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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

  • 選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか 10 7/28 再

    あの頃と同じく変わらない後藤新平古臭い考えかと思うが・・・街中のいたるところに掲示されている選挙ポスターだが、今どきはデザインも印刷もナカナカのものである。そして多くが歯を晒して笑っている書きモノの中身は公約が姿を消し、マニフェストやらアジェンダと゛盗って?゛つけたような異文化の文字が約束事として羅列されている。この横文字で有権者の大部分は半知半解のマジックにはまってしまう。昔は「国つくり」「まちつくり」が脚色され、゛お年寄が安全に暮らせる゛゛夢と希望の描ける゛など、曖昧だがどこか納得させるものがあった。近頃では具体性と説明責任が加味され医療や年金、雇用が細かく謳われるが、これもあてにはならないことを国民は承知している。今は「安心・安全」だが、これも易しいが、優しくないちなみに防衛や外交は票にはならないと...選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか107/28再

  • 1989年5月27日 日本は負けると・・ 再

    権力との関わり方である・・1989年5月15日ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が訪中した。国内の特権階級の腐敗、米国との軍拡争いによる経済の停滞、国民の怨嗟に敢然と取り組み、その改革の端緒が開けつつあるときの訪中である。そもそも両国は共産党とは名乗っているが政治体制はともかく民癖が大きく異なる。また実験国家の如く一連の共産主義的政治仕様の試みが一応のデーター結果を集積し、かlつコミンテルンという不可思議な字句を掲げ様々な民族、地域に浸透させた。一方は資本主義、自由、民主、人権、一方は解放、平等を謳ってつばぜり合いを行なってきたが、お陰で双方のお題目を食い扶持とする似非知識人を大量生産した。それは学派となり兵隊ごっこ宜しく、覇を唱えつつ国家の連帯と調和を崩してきた。彼等も錯覚学説の実験材料でもあった。それは...1989年5月27日日本は負けると・・再

  • 人間種の考える、ランド・シー・エアー、それぞれのパワー 2017

    あくまで、いまだ人間の及ぶ理解の淵にも届かない無限界において、太陽系と呼ぶ一群の惑星として周回巡行する地球生物種の一つである人間と称する種の、たかだか微細な思索ではある。この種の思索は夢想もあればリアルな現実もあり未来の推考もあり、まるで右往左往で無体系の書き連ねのようようだが、他人の珍奇な思考の一端に触れ、難儀な問題を巻き起こすことを期待するものである。また、種としては人間種、民族別には黄色人種の、これまた日本と呼び複雑な要因をもって構成されている国家なるものの中で、諸国から異端とされている日本人の、これまた異なることを恐れない小人の思い付きとして看過していただければ幸いである。千葉この国の歴史では異種、異郷、異教の白人宣教者が遠路お節介にやってきたことがある。「造物主が造った最高のものは人間である」と...人間種の考える、ランド・シー・エアー、それぞれのパワー2017

  • 任侠と武士道の是非を問う. 15. 1/15

    筆者は二十歳代から少年非行や犯罪者の更生のお手伝いをしている関係で多くの稼業(かぎょう)と云われる人たちと縁を持った。先生が中学校で手を焼く生徒や暴走族、近ごろでは窃盗や振り込め詐欺などだか,なかには環境調整といって刑務所に収監されている者の仮釈放時の身元引受人と居住地の調査に指定された家族や友人、もしくは内縁の男女の状況などの訪問聴き取り調査を行うこともある。仮釈放は刑期が裁判所決定満期以前に刑務所や法務省更生保護委員会との調整で決定されるが、あくまで概ねだが長期なら一年前後、短期なら半年前後の仮出所が認められる。その場合はあくまで刑期中であるために社会内処遇として保護司が観察官の監督によって面接などの観察処遇にあたる。以前、稼業と云われた者は仮の出所など求めず満期まで務めるものが多かった。稼業上の務め...任侠と武士道の是非を問う.15.1/15

  • 宰相の器量と観点 政治の前提「四患」の認知 あの頃

    2021年「聞く力」の総理が登場した。所属派閥の宏池会の命名は、漢学者安岡正篤氏。マスコミも聞く総理とはやしているが、本来は「聴く」である。つまり国民の妙な声を聞き流すことも事と次第によってはあるが、身を入れて真摯に意を汲みとるなら聴くべきであろう。国民にヤサシク伝えることでも、人を憂うる「優しく」ならまだしも、誰に合わせるのか「易しく」なっている。多くは相手の理解力に合わせて「易しく」なっているのだが、内容は内外の世情を正しく伝えたり、人間の情感の歪みや劣ろえを共に憂い、ときに厳しい声明を発する真の優しさでなくては国は治らない。しかも政治の「政」は、一に止まる「正」の行為だ。「一」は、これだけは行わなくてはならない一線、行ってはならない一線だが、近ごろは安易に越える公職者が多い。これでは幾ら善い政策でも...宰相の器量と観点政治の前提「四患」の認知あの頃

  • 諫鼓鳥(かんこどり)運動の提唱 2015 3 あの頃も

    以下は台湾外交部(外務省)の亜東太平洋局周學佑副局長(次期駐日副代表)との表敬応接での会話です。(伴)この前、閑古鳥が鳴くという格言に興味があって調べたら、本当は諌鼓鳥、諌める鼓と書くのね。メイヨウカーレン(没有客人=客がいない)ではないことが分かって面白かった。(周)本当ですか。(伴)堯舜の時代に自分の政治が悪かったらこの太鼓を鳴らしてくれといったそうだ。ところが、人民はその政治に満足していたので誰も太鼓をたたくものがいなくて、そのうち、太鼓に鳥がとまるようになったという話だ。(周)理解できますね。チエンクーチー(諫鼓鶏)。(寶田)(日本の)総理官邸と(台湾)総督府に太鼓を置いたらいい。誰も鳴らさなければそれでいい。(伴)日本でも市役所とか役場の前に置けばいい。諌鼓鳥運動やりたいね。ひどいところは朝から...諫鼓鳥(かんこどり)運動の提唱20153あの頃も

  • アジアンセキュリティー?への理解 2009頃の稿

    いま思えば古い話です。世につれ人の情感も変わります。以下は日本人にとっては土壇場、満州国崩壊の後、現地の漢人や満人の明け透けの姿です。「日本人はあと二、三回負ければ角がとれる」とは満州国総理張景恵の呟きでした。確かに四角四面は悪くはないが、なんとなく息がつまる。彼らはその息の抜き方を教えてくれる。ーいい加減、曖昧さ、とは今どきの合理主義との問題だが、規格化されて誰にでも納得する事柄は表層の納得事項についてごく整合性のあるものとはなるが、異民族との関係における共通かつ普遍性ある内面活性の性がある。あらゆる問題の要因となる、色、食、財の欲望の共通意識においては、どうも表層をなぞるようで何とも的を得ない。口に出しては憚れる単語、あるいは体裁なのか、問題に通底する「欲望」の制御や寛容には論が及ばない。あるいは実体...アジアンセキュリティー?への理解2009頃の稿

  • 石原莞爾の遺文と、秋山真之、落合博満 11 10/16再

    人には色々な切り口がある。主観も客観もさまざまな観点がある石原の言う政治、経済、民政、思想、願望を部分で切り取ることも大切なことだが、これらの探求されたものを全体として構成するために石原が表した、姿や言辞、そして歴史的行動をを支える心根や気概に筆者は興味が沸く。それはアカデミックな心理学から行動理由を問うものではなく、「情」を元とした全体への促がし、そして突破力、身の処し方など、庶政にも身近な人物像として理解したいと考えている。なぜ、石原なのか・・・時を違えても問題意識はに変わりが無いのであるそして縁の誘引があった。弘前の養生会の文庫棚にある直筆の「戦争史大観」を手にとったとき、またそこの存在経路に連なる伊東六十郎氏、義弟鈴木忠雄氏、小笠原豊氏、また浦和の中川昇氏主宰の東亜連盟物故者慰霊への誘い、そこで対...石原莞爾の遺文と、秋山真之、落合博満1110/16再

  • 阿諛迎合と四角四面、そして好奇心

    標題ですが、中国人は日本人のことを、そのように観ていた。逆に日本人がどのような印象をもっているかは、マスコミなどに表れる金銭欲や犯罪、狡猾な外交などネガティブなものが多いが、それらはあくまで現象である。エネルギッシュな上昇志向、色、食、財への飽くなき欲求と、同化欲求への誘いもある。近頃は中華街でも華人同士が一定のエリアに店舗、事業所を営むが、広い国土ゆえ言葉もわからず気風も違うので隣同士でも話をしないこともある。狭い範囲の純なる人情を理解するが、国家への帰属意識は実利のみ。ある意味、独立独歩、他を安易に信じない、いまの日本でも当然と理解される民風でもある。標記の阿諛迎合だが、戦後GHQの様々な施策を受け入れる擬似柔軟性を順応と取り違え、生活規律のみならず国家の基礎的条件まで唯々諾々と受け入れている。これを...阿諛迎合と四角四面、そして好奇心

  • いずれ、其の男のような人物の登場が必然となる 9 7/13再

    ≪宣誓式は総統府の大ホールで行われ、蔡氏は国父・孫文の肖像画を前に、右手を挙げて「憲法を順守し、職務に忠誠を尽くし、国家を守る」と宣誓した。≫毎日新聞https://www.youtube.com/watch?v=RoBIRF5aLQ0Youtube孫文は大陸の中華人民共和国と中華民国台湾の双方が国父と讃えている人物である。中国は共産党の毛沢東が天安門に掲げられているが、台湾は国民党の蒋介石が辛亥革命の領袖として国父記念館を創建し、対立する民主進歩党の蔡英文氏も総統就任の宣誓では孫文の掲額に向かって宣誓している。孫文は対立していた国民党の創設者ではあるが、民主進歩党に政権が変わっても従来通りの形式を維持している。ここで一つの中国論はおいて台湾が孫文の存在を維持継続する由縁について、一つの切り口をもって記し...いずれ、其の男のような人物の登場が必然となる97/13再

  • 貪りから亡国へ導く「法」という代物

    法は、いつでも、幾つでもつくれる。だが社会の煩いは増大する。しかし家族、教育、政治、職域にある狭い範囲の掟や習慣が壊れたら再生には百年かかるという。易きに流れる利便への誘惑は人間そのものを融解させ、社会の調和や連帯を失くしてしまう。食べ方、行儀、悪くなるのは一代だが、再生(矯正)には三代、つまり半世紀以上掛かるという。ちなみに、ある程度の人が問題意識を持っている社会風俗もそうだし、あの受験戦争も同じだ。そんな時間をかけられないと、維新や革命が風向きを変えるその場合の体制法規はご破算になる。レーニンも毛沢東も総て白紙にした。そして都合よく色つけた。ところが、みんなで決めた法はどこかユルミがある。それを是とする生身の人間の智慧ではあろうが、切り口が多様で解釈が煩雑なら、弁護士をはじめとする法によって禄を食むも...貪りから亡国へ導く「法」という代物

  • 床の間の石と神の磐座(いわくら) 15 11/4 再

    青森県北方の鎮護岩木山神社にて全国津々浦々(各所)には数多の神をまつる社がある。多くは観光名所や、流行りのパワースポットとして今風の信仰の対象になっている。主となる御祭神がどこにあるかも解らないが、この場合は神社側の説明責任などは問うたところで始まらない。神はあうい(葵)のあるところに降臨するとは京都上賀茂の上賀茂神社の別雷(ワケイカズチ)の神だが、それが神殿に鎮座しているとして木製構造物に首を垂れて祈る。あるいは産土神として郷のいたる所に祀られた神もある。大木や大石(岩石)、海の龍神、山の大神もある。昔は各々の郷におびただしい数の産土神があった。またその周りは掃き清められ、樹木で囲んだ。スギやクスノキなどは侵さざる神域ゆえ、空を突く大木になった。明治の合祀によって多くの官幣大社が建立され産土神への参道や...床の間の石と神の磐座(いわくら)1511/4再

  • 名前さえ書ければいい 12 10/6 再

    隣国との軋轢が大きくなっているさなかに、当事者がおっかなビックリしている。責任官吏は能力があるという。それを貶(けな)されるとプライドなのか、気分を悪くして復讐心さえ覚えるという。その能力とは、゛知っている゛゛覚えている゛類で、当事者能力、とくに肉体的衝撃や食い扶持地位にかかわると、その折角知りえた能力を最大限に自己保全の用と為す習性がある。それを以って交渉相手である華人の知恵を拝借するのは片腹がくすぐったいが、歴史の集積にみる明け透けな欲望と栄枯盛衰には一目置かざるを得ない。法治国家だと鼻をふくらましても、たかだか明治このかた百数十年。その法に庇護され、駆使する四角四面の官吏には耳も痛いし、訳も分からないと云われそうだが、懸案の解決はこれしかない、いやこの感覚と覚悟しかないと思うのである。あの孫文でさえ...名前さえ書ければいい1210/6再

  • 強制学習は必要との観点に立った小学論 11 10/7 再

    2000年12月11日(月)萬晩報掲載義務は義の勤めだが義が判別できなければ必要性もない。ここでは人間の成長過程にとって強制学習は必要との観点に立って小学を論じてみたい。『小学、大学』は知識人の基本的な素養であった四書五経のひとつにでは有るが,現在では官制学歴のなかでの一部分を指しているだけで、説かれている意味を内包した理解ではないようです。成長年齢にしたがって小から大になるのではなく、大にあっても小を観るといったことも小学,大学にはあります。簡単に言えば小学も大学も人生の連続性のなかにおいて、つねに存在しているということです。たとえば世界の国々はおおむね6歳になると、それぞれの国が定めた制度のなかでの教育がはじまります。ここでは施行しているかどうかの論点ではなく、成長過程のなかでの6歳という時期をどのよ...強制学習は必要との観点に立った小学論1110/7再

  • 似て非なる民族の「利」なれと゛ 08 6/13 再

    中華人民共和国成立天安門楼上大学教養という錯覚学新聞の正しい論というコラムに、大学教授が昨今の東アジアの新しい潮流、「イデオロギーから実利主義へ」と題して健筆を振るっていた。その章に、「政治から経済への転換・・」、そして、「イデオロギーないし原理主義から現実主義ないし実利主義への転換・・」と、章をつないでいる。よく政治家を観察評していたとき、「あの政治家は人品骨柄が卑しい」と評論家が語っていたことがある。まずは政治家が主役で手を挙げて選ばれる政治家への評としてはその通りだろうが、政治の目的とする側からみれば、「近頃は人品骨柄が卑しいものしか政治家になろうとはしない」と返したことがある。大学教養とは、自らの特徴を発揮して自己を明らかにすることだ。特徴を発見して目的を明確にして方向を定めるのは、それ以前の問題...似て非なる民族の「利」なれと゛086/13再

  • あの時の企て 8 11/17 再

    佐藤慎一郎氏これを以て他国の生存を懸けた謀を悪意と言い立てるものではない。歴史は国家の創生とともに複雑多岐に要因と、情緒的には陋であるが民族夫々に涵養された精霊の存在なくしては語れない。しかも座標の定まらない放埓した言論は、切り口の異なる奇論や高邁にも人格とは何ら関わりの無い附属製価値を金屏風にして判例の如く、一過性と思われる定説?を作り出している。近頃はオーラルヒストリーが流行りだが、それとて曖昧な言辞としてその手の言論界に布かれた掟を覆すことなく、発言者の肉体的体験証言を虚偽、錯覚の範疇に追いやっている。辛亥革命の先輩山田純三郎と若き蒋介石あの孫文の側近であり唯一宋夫人と臨終に立ち会った山田純三郎の言辞さえ、定説に添わないというだけで、歴史の章から外されている。「孫先生があの時決断した理由は・・・」山...あの時の企て811/17再

  • 陛下は横田に忠恕の心を語った 2010 あの頃

    ブラジル入植者とその子供達の謁見だった横田は言う「それまでガヤガヤしていた子供たちだったが、陛下が入室すると皆引き締まって整列した。普段はそのような訓練など受けてはいない子供たちだったが、みな真剣な眼差しだった。」横田は代表してこう述べた「私達はブラジルに移住した日本人を代表して参りました」陛下も皇太子のときに訪伯してカイザル大統領と面会している。そのとき大統領は皇太子に感謝の意を伝えている。「不毛の大地といわれたセラードを豊饒の大地に転換させたのは日系ブラジル人のたゆまぬ努力によるものです。勤勉で忍耐強く、しかもその土地の人々に馴れ親しんで立派な成果を挙げブラジル農業に大きな貢献をしていただいた。その姿は畏敬の民として私達も誇りを持っています」地球の裏側において異民族の信頼を集めたことへの大統領の感謝は...陛下は横田に忠恕の心を語った2010あの頃

  • 萬晩報 2023-01-16 水道法改正から4年、宮城県が落ちた

    伴武澄約4年前、水道の民営化を促す水道法が改正された。この政策が進められると日本の水道は外国資本に支配される。そんな危機感から、高知市議選に立候補する決意を固めた。すぐに耳に入ったのは浜松市の情勢だった。すでに下水道がフランスのヴェオリアの傘下に入り、まもなく上水道も民営化されるというスケジュールになっていた。反対派の住民運動は4月の統一地方選の立候補予定者に水道民営化の是非を問うた。自民党を含めてほとんどの候補者は反対を表明した。驚いた鈴木市長は記者会見を開き、民営化を凍結すると発表した。住民運動のアイデアが功を奏したのだった。ヴェオリアは同じフランスのスエズとともに世界の水事業を二分し、水バロンと呼ばれる巨大企業だった。次に分かったことは、高知市上下水道局にそのヴェオリアの子会社が入り、料金徴収業務を...萬晩報2023-01-16水道法改正から4年、宮城県が落ちた

  • 桜はどこでも見るが、リンゴの花は・・

    ・桜前線と名付けて南から北に向かって開花がすすむ。どこの在所でも桜に誘われるように人が集まる。川辺や名所旧跡などには必ず桜が植えられているが、どこでもふるさと自慢が盛んだ。日本列島は前線を追って約二か月間は桜を堪能できる。そこで変わり者は染井ヨシノが散り、八重が終わるころを狙ってリンゴの花を楽しみにいく。先ずは雑踏がなく静かだ。足を入れるリンゴ畑の土壌は柔らかい。とくに青森県津軽地方は秋のリンゴ、連休の五月をおえて自然が清々しい。連休の弘前城内は桜だが目の前の岩木山はまだ雪をかぶって夜桜はまだ肌寒い。五月のなかば、津軽平野はリンゴの花で満開だ。美空ひばりの「津軽のふるさと」そのままの情景がひろがる。青い空、まだ残る八甲田や岩木の冠雪、色めく草花、山菜採り、筆者はこの季節の津軽がことのほか居心地が良い。よく...桜はどこでも見るが、リンゴの花は・・

  • 葷酒 山門に入るを許さず

    [クンは草冠に軍]臭い野菜(ニラ等)や酒を飲んでいる者は山門に入ることを許さない禅宗の山門に掲げてある。また「清風のいたるを許す」ともある此れは排除ではない。陋規の礼である。これも無理なき尊重でもあろう。山田良政の墓弘前市貞昌寺ある意志拙稿「請孫文再来」ついてkindle版は「天下為公」賢読50,000に届こうとしている拙稿は、当初、備忘録のつもりで陰蔵していたものですが、「萬晩報」の伴主幹と「蜆の会」の大塚寿昭氏のスタッフによって作成され見事に化粧を施されましたが、他人の目に供するほどの文体でもなく当初は゛恥ずかしい゛心地がしたものです。そういえば手前味噌な例えで恐縮ですが、映画の場面でショーンコネリー扮する小説家が、「自分の為に書いた文章は,人に見てもらおうと書いたものより勝る」と、小説家志望の少年に...葷酒山門に入るを許さず

  • 寳田教学 生徒を好きで楽しくなること 15 4/17あの頃

    「本立って道生ず」と記すが、その「本(もと)」とは知識(情報ほか)や技術を習得する前提として学ぶべきものとの認識だ。その学びとは、習慣化なり肉体的にも浸透されることでもある。その前提がないと、せっかくの知識や技術があらぬ方向に進むことを危惧するのだ。つまり、価値観や観察における錯(さく)にあるような錯誤、錯覚による成功価値や人物の見方なりを、《枝葉末節でなく根本的》、《一面的でなく多面的》、《現世価値のみでなく将来的価値》、に思索の座標を導くことでもある。、その意味で隣国の古典にある、「小学」「大学」を単なる官制の「校」ではない理解のもとに思索や観照を行うのも必要だ。この講話は官制なり商業私学のカリキュラムはない。しかも数値に表れることもなく、選別には無意味な学びでもある。しかし、聴講された青年の心には甦...寳田教学生徒を好きで楽しくなること154/17あの頃

  • 広島 金家の矜持 10 1/1再

    「私は広島生まれの在日の朝鮮人で法律を勉強している金沢です」「おぅ岩田さん元気ですか」「あんこ屋の・・・」「確か叔父さんは宮島競艇の・・・」「姉さんに聞いてみます」十数年前の突然の遭遇だったがこんな会話だった「戦後、父親は食肉の仕事をしていて特技は花札。そのころ若い衆だった親分連中に花札を教えていた。お陰で赤ん坊の頃に正月になるとオシメにお金がどっさり挿まれていた。姉さんが面倒見がいいものだから其の人たちが出入りして、面白い話がたくさんあります」「ところで仁義なき戦いといわれた・・」「そうそう、知っている人が大勢います。昔は道具(拳銃)を預けられそうになった。けっこう東京に逃げてきていますね。いゃ、あの広島駅での銃撃の拳銃だったらしい」「そういえば其の犯人は東京に来ていた。何で・・と岩田さんに聞いたら天皇...広島金家の矜持101/1再

  • 陛下の心を惑わす国賊官吏 2012・7 あの頃も

    天皇は和歌に託して国の時々を綴っている。その中でも明治天皇は10万首に及ぼうとする和歌を御つくりになった。御製といわれるものである。吾身のお立場は憲法の範疇にあり、国民に対する忠恕の心は歌を詠むことによって、側近なり国民が感受するような、たおやかな関係が政治権力を司るものを透過して深層の信頼となり定着していた。憲法は権力を制御し人間の尊厳を護ることである。「法」という文字が付いているからといって、ときに人の自由を恣意的に縛る刑法や民法とは違う。あの律令のころ聖徳太子の十七条の憲法、いや「十七」で済んだ社会のころの法は、すべて官吏に向けられたものであった。官吏も権力を構成するが、その最たるものは徴税である。また治安官吏も国家の要件としては双壁だ。つまり「徴税の公平」と「治安の正義」を天皇の威によって守護する...陛下の心を惑わす国賊官吏2012・7あの頃も

  • 伴氏が憂う日本の役人 あの頃も

    今は高知の山奥に引っ込んで炭焼きをしたり、ときおり街なかで「夜学会」と称して寺子屋風の勉強会を開いたいる、元共同通信の伴武澄氏のコラムである。人は彼を反骨とか左翼かかっているという。共同通信の待遇はあの朝日新聞をしのぐ高給だといわれているが、そんな位置から世俗を眺めるブンヤとは異なり、ことのほか浮俗の下座観が豊かな人物である。その第四の権力といわれるマスコミの経済部門に位置して、相手からすればイヤらしい視点で書き綴るコラムは、゛政府は嘘をつき隠す゛ことを赤裸々に表している。人々は、すねる・嫉妬する・あきらめる。それらは為政者ですら手のひらで戯れさせる狡猾さだが、数多の国民は承知している問題だ。まずは新年に際して寒気がする初笑いを楽しんでいただきたいと転載します。台湾外交部にて手前左伴氏未成年飲酒防止を名目...伴氏が憂う日本の役人あの頃も

  • 大謀企図は、夷をもって夷を制す 15年 9/18 改編

    豚も煽てれば木に登る、確かに総理の踊るような動きは、誰かの耳元の呟きの故かと思える節がある。前任も主体的な動きのようだか、賛同する各国の賛意浸透ぶりは日本の置かれている地裁学的地位や、どんよりした経済の先行きを考えたとき、いつの間にか前に押し出され、まるで先兵のような立ち位置に立っているかのようにみえる不思議さがある。あの北京義和団事件の時、柴五郎に代表される日本及び日本軍人の目覚ましい活躍を賞賛したロンドンタイムズのモリソン記者の心情は次第に危惧に変わり、英国世論を動かし、後の清国における英国の権益擁護を企図した日英同盟から日露の戦端まで、巧みに操られた時と似ているように感じている。そして増長した軍部、盛り上がった国民は国力のホドを超え、誘い込まられるように大陸を侵攻した。もちろん役割を終えた日英同盟は...大謀企図は、夷をもって夷を制す15年9/18改編

  • 三島由紀夫から安岡正篤への手紙 2008/10稿

    新潮社「三島由紀夫全集」には未公開の多くの手紙が遺されている。そのなかで大塚潔氏の提供された安岡正篤氏宛の手紙が記載されている。それは昭和四十三年五月二十六日(封書)として紹介されている。三島氏にとっては初めての手紙ではあるが、江藤淳、丸山真男について書き連ねる氏の気風に、さぞ驚いたことだろうと推察する。たしかにヌーベルバーグに踊った流行監督や出版部数を競う商業マスコミにあって、その作風に添うように、映画「憂国」での割腹場面や肉体強化の結果をグラビアに登場させ、かつ雑誌「薔薇族」への登場など、常に進取と異型を美と捉えることが新しい社会の風様とみた時世の観客を楽しませてきた。それは戦後台頭してきた掴みどころの無いもの、つまり富と残滓の合理的理解への道筋にあるアンチ部分合理主義、言い換えれば「精神の総合力」と...三島由紀夫から安岡正篤への手紙2008/10稿

  • 「天下公為」とはいうが・・

    中華民族から国父と仰がれている孫文が好んで揮毫した「天下、公に為す」、それは中華民族への訓であり覚醒を促すものである。「衣食足りて礼節を知る」とはあるが、当時の中国は英仏をはじめとする横暴なる干渉に唯々諾々と応じざるを得ない満州族(清朝)の衰退があった。それは香港割譲や治外法権がまかり通る居留地、あるいは不平等条約など国権の護持と経国治世が風前の灯となっていた。人々は衣食も足りず、礼節のあるも知らないような、悲惨と形容するくらい混沌とした状況にあった。それは易旗革命にある文化圏の異民族とは異なり、白い色をした人間たちによる種の改良を含む、今までに味わったことが無いような危険な状態だった。昨今のチベットや新疆ウイグルの問題は、漢族との軋轢であり、その間隙に入る欧米列強の侵入とあいまって、漢族は常に中心にある...「天下公為」とはいうが・・

  • 一利を興すは、一害を除くに如かず 2011あの頃

    「名山の元に名士在り」明治の言論人陸羯南以下は謹読している産経新聞の過日の感想だが、記事に書かれている事象の真意も重要だが、その前段として拙意を記したことを想起し新風(オピニオン)の有無如何を考えてみたい。津軽の冬岩木神社境内わが国の出版界、新聞界、私学教育の各社各機関には隠然とした元老院的支配の類が存在しているが、近頃とみに顕在化して本来の使命を忘却し、怠惰にも自らの素餐の糧にしているような状態がある。それは出版、私学校のもつ既得権の世襲に似た同族支配や、新聞を代表とするマスコミの一部に蔓延する錯覚した知的ステータス、あるいは大衆の中央思考や自己表現のための露出願望の対象としての視覚羨望の意識が、その世界を増長させている観がある。既得権といっても第四権力と揶揄されるような、物書きの中央権力志向や私学助成...一利を興すは、一害を除くに如かず2011あの頃

  • 師弟酔譚録 「荻窪酔譚抜粋」 終章

    至る処青山あり」佐藤先生の故郷青森県津軽岩木山S佐藤先生Wモト夫人M某通信社上海T筆者≪土壇場の人間学≫Sよく分からんが、非常時は公が中心だねTその非常時に「私」が中心になるから問題です。関東軍が満州崩壊の折に居留民を残して、しかも電話線を切って逃げるこれも「私」優先ですねS学生がね大人が居ないからって米だの醤油だの持っていった子供を騙して金もっていったことも僕知っているだけど日本に帰ってきたとき何にも言わずに僕は仕事を与えたんだT男が国家だとか社会を考えることが薄くなっているS今はね地球とか宇宙を考えなければならなくなっているが、国家とかを大事に考えないと、また゛駄目だまだまだ駄目だやはり国に対する考え方は大事なんだ歴史とか連帯とか排他的はいけないけどねM独りでは何も出来ないしねTリーダーは財や地位や名...師弟酔譚録「荻窪酔譚抜粋」終章

  • 師弟酔譚録 「荻窪酔譚抜粋」 その四

    ≪豪傑加藤三之輔≫Tそういえは北九州の加藤三之輔先生は箸をどこでも持参していますねM箸???Sそういえば加藤さん、お金送ってきたお返したしょっちゅう連絡がくる有り難いなぁ。(北京の時は)困ったらアライさんのところへ連絡したらいい日航か全日空の主任だから、北京の・・。そういえば、この前来た加藤(三之輔)さんの手紙に、宝田さんに宜しくと書いてあったT加藤先生は上京するとき私のところへ人を連れてきて、この人を頼むといってきた。だけど私より年上の人に学問させてくれ、と言われても・・・僕の郷学にはいつも案内を出している。たしか静岡の池田篤紀さんの関係者だったSいゃ加藤さんには色々と申し訳ないよT加藤先生は大東塾の影山さんの関係ですそれと下関の赤間神宮の水野宮司の関係で玄洋社の頭山先生の縁です赤間には大連神社が祀られ...師弟酔譚録「荻窪酔譚抜粋」その四

  • 仰ぎみる佐藤慎一郎先生の「総理秘密報告」・? 終章

    叔父山田と革命の同志寥沖凱の子息寥承志中日友好協会初代責任者と田中総理「息子の承志が来日すると、まずは叔父の家に来た。子供の頃、叔父の腕でいつも抱かれていた」佐藤談「あの、幻となった蒋介石、毛沢東会談も叔父の仲介で、寥のお母さんが迎えに来ることになっていた」(請孫文再来より)《その一より》゛満州一の大悪党゛と新聞に書かれたが監獄では唯一自由に行動した。多くの民衆は名を隠して差し入れした。衣類はもちろん三日三晩歩いて卵を持ってきた人もいた。金はリックサックに入りきらないほど集まった。上海で叔父がその新聞を見て,国民党湯恩伯将軍を呼び記事を見せた。将軍は黙って「佐藤慎一郎を釈放して長官官邸にひきとれ」と電報を打ち釈放した。金は使えなくなった満州紙幣だが、公文書をつけて米ドルに換えると云われたが、もともと洗面道...仰ぎみる佐藤慎一郎先生の「総理秘密報告」・?終章

  • 仰ぎみる佐藤慎一郎先生の「総理秘密報告」・? その一

    王荊山の遺子と孫大同学院の子弟の会王荊山・・・満州の実力者で引き揚げ者に大量の食糧を供出「困っているときはお互いさま、日本人のお蔭で満州は発展した」と、平然としていたが、共産軍によって敵を援けた罪で銃殺<前掲載「佐藤先生に観る機密費という銭」と重複する個所もありますが、期日を違えて掲載された荻窪酔譚録音を参考に、二部に分けて掲載します>先生が自ら言を発し、了解を得て録音され、いずれ利他に用となることを共感したものと、政府機関から委嘱され、秘密報告として七部作成された政府資料が商業出版に漏洩されたことは、国益損傷といえる行為である。いま、これを種に、゛新しい発見゛として、かつそんな名称もない「総理秘密報告書」として巷の売文の利に用いられると聴く。要は、本人が焼却を最後の念としていたものが、盗まれたか、もしく...仰ぎみる佐藤慎一郎先生の「総理秘密報告」・?その一

  • 佐藤慎一郎氏に観る 機密費という銭 2010 加筆再

    ≪最近、以下の内容に極めて似た著作が出版された。濾過された情報の又聞きだが、実直な作者ゆえか、佐藤先生象の感受表現は改めて懐かく感じられた。もし先生にお会いして盃を交して著作にある記述を拝聴するならば、P44のような言動をするような風はないと認識するでしょう。また「おれ・・・(俺)」は、申が上から押されて下部が曲がった姿、つまり男性シンボルが押し曲げられた、いわゆる男の機能はないと、「日本人は面白い呼称をする」と云われたことを笑い話として語られた。残置された書類はすべて焼却を切望していましたが、書類現物があることは不思議なこと。残っていたとしても触れた御仁は師の切望を知らぬはずはない。真実を追うことが学問だと認識するのは勝手だが、切望の意を曲解なり隠匿することそのものを利とするのなら、どこかの国の大量破壊...佐藤慎一郎氏に観る機密費という銭2010加筆再

  • おんぶと抱っこの 「戦争が無ければ平和という欺瞞」 2015あの頃

    内緒・??、いや「言わないでください」・??習さん、馬さんの国共合作無いに越したことはないが、地球の表皮で、いつも、どこかで起きているのが戦争だ。その理由は意地とメンツと食い物と金が大きな理由だが、こうも続くと人間種の遺伝的特徴のようにもみえる。「平和」は戦争と戦争の争いのない間を意味するというが、恒久平和は「安寧」によって表わされる。戦いは無いに越したことはないが、無いからと云って平和だとは限らない。平和で困るものもある。かといって平和が反戦同義のスローガンだと、すべての冠につけられ唱えられても理解に苦しむことがある和して平になる(平等なり落ちついた状況)で、それが本当の実現なら理屈では文句はないが、もともと身体や労働量や質、年齢など異なる七十億の人間が同じ分け前では、逆に不平が出る。「平ならず(不平)...おんぶと抱っこの「戦争が無ければ平和という欺瞞」2015あの頃

  • 時節は儒を除けて墨を得る 終章 2014 10/9

    官製学の教科にもない行きつ戻りつの奇説だが、「ゴマメの歯ぎしり」として拙書笑読を請うものです。前号よりまた、当時の儒を中心にした教養ついては、語りも学びも重宝する説のようだが、これを掲げられては生身の人間の欲望の企てには、殊のほか邪魔で厄介なものと考える人もいるだろう。まして、これを盾に抗されては現実の実利成果にはそぐわない事も出てくるようだ。儒を則や善なる習慣性とする学徒からすれば、向学には相容れない徒と切り捨てられるかもしれない。まして、知った、覚えたような類の学びが、現実の生活の仕草、面前の欲望、とくに儒の説く人倫の際(きわ)に在る性欲、嗜好を凝らした食欲、貪欲な金銭欲が起こす競争、排他など、制約のある環境の中で他と譲り合うことなどは可能なのか、あるいは生活内観、自制心などの素行自得などできるのだろ...時節は儒を除けて墨を得る終章201410/9

  • 安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

    碩学と謳われた安岡正篤氏は古典を引用した数々の格言を提示した。多くは著作権などない中国の古典にある昔話や逸話からだが、それを応用する「活学」もその一つだ。※碩学・・・学問が広く深い超然、泰然に代表される「六然」も先に付く文字によって「然り」が感覚で解る容易な処世の自覚ではあるが、浮俗時世にはマニュアル格言として挨拶や上司の訓話に用いるにはホドよい引用だ。語る方も聴く側も何となく納得するが、どのような姿を具体的に表すのかは不明のようだ。手とり足とりで隣国の古典(昔話)をひいて説明しても、もともと国柄、民癖も似て非なる地域ゆえ、ときに錯誤珍奇な受け取り方をしてしまうこともある。ただ、明治以降のフランス革命の前段仕込み思想のようだった啓蒙思想によって、これも我が国の民癖である好奇心、阿諛迎合でカブレ取り入れた官...安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

  • 人間考学 亡国に表れる学識と人格

    頭山満タゴール私論だが・・・このところ起きる様々な事件、事象を歴史に記述するにあたって、その因果関係を考証するに、旧約聖書の預言に求めたり、地球が宇宙の構成要因として物体経年上避けてとおれない大気の変質や基盤変化などが、人間の所作である歴史の現象に深くかかわっているような論を聞くことがある。分派、分裂してボスとその他一同を抱える学派にはみることはないが、これも人間の「識」の変遷とすることを歴史考証の成り立ちとして、また現代学徒そのものの考証としても面白いものがあるようだ。彼らのいう珍奇、高邁な仮説のもとに西洋学にある科学的根拠の組み立てと分類を披瀝する苦労は、東洋にある変化する動態を俯瞰するような活論の透徹さと、将来に評価を委ねる余裕とは異なる学である。もちろんボス依存の食い扶持学、面子学のような類もそこ...人間考学亡国に表れる学識と人格

  • 鈴木宗雄氏も綴る、佐藤慎一郎先生 お別れの言葉

    心より感謝し、理屈のない感涙を招いた師の言葉をお伝えいたします好きでたまらないという生徒達に伝え、生徒も感応した。なかには戦慄(わなな)き落涙するものもいた。あの人情豊かな鈴木宗雄議員も先生への思いを随時に綴っている。筆者も多くの碩学といわれる人物に遭遇するが、背筋に冷たいものが走ったのは佐藤先生をおいてはいない。ただ、下座において、吾が身を以って伝えることは、俗事小事にまみえる小生にとって終生解けぬ難問でもある。時おり学徒に無学を晒しつつも師の追従模倣でしかない。春、秋と津軽の墓前に参するも、照れくさくも恥ずかしい雄の児があるだけだ。最後は病室を退く背に『後は頼みますよ・・』といわれたが、なぜか振り向けなかった。同行の王荊山の遺子が覚ったように身を震わせた悲しい、淋しいより、悔しかった。それは、゛まだ早...鈴木宗雄氏も綴る、佐藤慎一郎先生お別れの言葉

  • 血が導くタルムードと厚黒学 09 3/13 あの頃

    一つは中東に棲むユダヤ民族に伝承されている処世の知恵として、他方は永い歴史を刻むなかで百家が説いた「論」を集積しつつも、「論」を噺の類にして、無尽なる欲望へのエネルギーをあからさまに人間関係の術としてリアルに「学」としたものである。棲み別けられた自然や、政治環境の異なりはあるが、人と人が相対する接点における独特の術は歴史の時を違えて応答行動の姿として醸し出されている。わが国の「ことわざ」も対比させると面白い。堅物の合間に手にとるロシュフーコや各種小話にも似たようなものがあるが、こと世界観、人間観ともなると、いま時を考察するのには面白い内容だ。インターネットは世界を駆け巡るが、新旧取り混ぜた情報と称す真実、虚偽は時として民族性癖と交じり合って人々を群行群止させる。とくに覗き、脅しの類は、いたずらな恐怖心を添...血が導くタルムードと厚黒学093/13あの頃

  • 棲家は欧州から米国、そして利によって同化する 18 再

    管理人の棲家は欧州から米国、そして連衡へ国家を超え、自由を求めてグローバルゼーションの喧伝が定着すると、次の手順として収れんが始り、独裁という従来の概念に似て非なる目に見えない収束が起こってくる。しかし、為政者あるいは管理人が、人間なるものの厄介な存在を欲望喚起を用として群盲のように仕立てても、一方では異なるものへの埒外な欲望への欲求は、従前の疲弊再興、不便から便利、貧困から富裕をスパイラルのように転回させる従前の管理方法では収まらない状況が発生している。それは思想を看板にしては経国できない状態が数多の国なるものに起きている。宗教も然り、経済も然り、大衆が偶像化した財貨への欲望は管理人によって固有の財貨発行権すら無効とし、為政者の執る政治なるものは、管理人のルールに収斂された厄介な国民なる大衆の欲望の交差...棲家は欧州から米国、そして利によって同化する18再

  • 外交における応答辞令

    中国共産党の党学では歴史、古典の科目もあるいま日本では受験科目にも忌避され、企業でも採用には無用の能力として顧みられることが少なくなった。それでも挨拶のネタや微かな教養の披歴として稲盛氏や安岡氏の言葉や文字を説明している。習近平氏はその党学校の校長を歴任している。しかも下放という辺鄙に地方での労働教化も体験している。それは、人物によってその情勢や時の流れが見て取れることであり、相手が政治指導者ならその国の力量や行く末まで読み取れる、一種の度量や器量の類だ。まさに頭の良いということは数値秀才ではなく「直観力」や先を見通す「逆賭」の力量だろう。「逆賭」・・・現状観察からあらかじめ起こり得ることを推考する。事前に手を打つ。「観る」・・・多面的、根本的、全体的、俯瞰もちろん、相手によって対応を変えたり、古典百家の...外交における応答辞令

  • 知識と技術は、識と術を弁えなくては痴戯(知技)同然

    秩父奥名栗「識」とは道理であり、口舌を駆使することなく内心で会得することであり、「術」は手立てや技ともあるが、術智がなくては単なる企みに終始してしまうようだ。よく知識人の堕落は国家をも衰亡させるという。ならば内心会得する道理とはどの様なものであり、会得した人間の姿や能力はどのようなものか考えてみたい。「色聴」という文字がある。人と応対したとき顔色をみて真偽を観察する。あるいは容、象、体の表れで対象を観察する、それが色聴能力で表されることである。「色」は女が座って上から人が覆いかぶさっている姿だが、なまめかしい形でもある。それこそ様々な聴き方があるが、観人則(人物をみる座標)から独り鎮まりを以って聴いてみたい。「辭(辞)聴」辞めるとき、下がるとき、「色聴」「気聴」「耳聴」「目聴」などがあるが、敢えて言葉に出...知識と技術は、識と術を弁えなくては痴戯(知技)同然

  • 日中秘話 対支二十一か条要求

    袁世凱政権にむけた対支二十一か条要求というものがある。いまでも国辱として中国の歴史認識に刻まれている。もう一つ孫文と交わした日中盟約というものがある。アメリカの公文書館で発見されたものだが、その署名は孫文と側近陳基美、日本側は満鉄理事の犬塚信太郎と山田純三郎である。また起草は外務省の小池張造と秋山真之があたっている。秋山参謀その模様は以前NHKのドキュメントでも紹介されているが、その内容は日本政府が袁世凱に突きつけた要求と極似している。この署名がされた場所は頭山満が孫文の隠れ屋として用意した隣家であるカイヅマ邸の奥座敷である。そこは頭山邸を通らなければ入れない処ではあるが、当時の官警は分刻みで事細かに監視している。その状況は、まず山田が呼ばれ、次に陳基美が入室する。盟約本文は山田が持参している。そこで孫文...日中秘話対支二十一か条要求

  • いまどきの安岡学に集うこと 08.5 あの頃も

    数年前より安岡正篤という人物を取り上げた書籍が氾濫しているそれも当人が亡くなられた後、弟子や有名人と称される者が金屏風を背に登場することが多く見られるようになった。以前、御長男の正明氏と一夜投宿した早朝にこんな会話をした。「ちかごろ安岡学という妙な学が流行っていますが・・」『お弟子さんの中では父の説いたもの、あるいは臨機に遺した事績の背景となる学問ではなく、時の権力者との交流や人脈、はたまた増幅され偶像視する人たちがいますが、父は教育者です』「偶像視する人は人脈を辿り利につなげたり、なかには安岡ブランドで食んでいる人もいます」『父が存命なら出版させないものもあるし、そもそも名を遺すということに慎重であり、ある意味で遠ざける気風がありました。そういえば父が酒席で遅くなったとき『あなたのお弟子さんは名のある方...いまどきの安岡学に集うこと08.5あの頃も

  • 商業新聞の弛緩と内なる憂鬱 2008.3 あの頃

    尾崎ホツミも記者だった2016年12月のある日の産経一面を使って商業新聞の食い倒れのような貸家広告が載った。人の行いや事物の批評は得意だが、関連会社を装った己の副業を誇大広告として書き連ねていた。どこのマスコミも同様だが、TBSも赤坂不動産となりフジも台場で威容を誇っている。昨今はカジノ博打をエンターテイメント施設と擬装して宣伝している。博打といえば役人の別財布といわれて久しいが、そもそも公営といえど客は社会的問題意識の乏しい大衆であり、新聞も紙面を埋めるために売り上げの多寡を煽る仲間である。競輪は経済産業省、馬は農林省、舟艇は国土交通省、なぜかパチンコは警察庁の独断場だ。それらは官僚の既得利権となり族議員もオコボレに与っている。今度はカジノだ。ラスベガスのハマコーこと浜田代議士やトランプ氏も有名だが、博...商業新聞の弛緩と内なる憂鬱2008.3あの頃

  • 小章 満州郷村運動に倣う地方創生の要 其の二

    満鉄総裁後藤新平人を観て、人を育て、人によって資材を活かすことで、超数的効果が生まれるその後は官吏の乗数効果を追う政策で、人の育て方も、活かし方も数値選別評価に埋没してしまった。其の一より・・・国内における閉塞感、軍官吏の増長、議会の権能の欠如は、ある種の泥足紐付きではあった。しかし満洲での異民族との交流は、明治以降衰えたかのように見えた良質の公的使命観念の覚醒を促し、かつ大らかな意識の甦への喚起でもあったようだ。それを助長したのは生まれた環境に滞留した固陋な掟や習慣が、ときに鬱積し怠惰となる宿命感からの解放であり、新たな立命えの道程が描ける環境であったからでもあろう。笠木会はそれを髣髴とさせるに充分な雰囲気だった。後年になって石原莞爾の唱えた東亜連盟を継承する会に筆者も招かれ毎年物故祭に参加しているが、...小章満州郷村運動に倣う地方創生の要其の二

  • 小章 満州郷村運動に倣う地方創生の要 其の一

    広州以下は桂林の友人が連れてきた北京の大学教授の依頼で記した小章である。地球の表皮に刻まれた歴史の中には複雑な要因をもって構成された国家がある。いや「国家なるもの」と云ってもよいだろう。その国家なるものの成立は、棲み分けられた地域や環境に適応した人間の作業が習慣化され、自然律や人為律の調和のもとに集合されたものだ。また、集合した「類」の協働生産性や「類」の増加は他地域との境際を越え干渉や侵入を行うようになった。分類すれば成立した「類」の習慣性から発生した思想なり宗教の広幡、もしくは生産拡大への欲求などもあるが、細部の出来事は学術的な部分考証に委ねたい。ここに記す郷村運動とは、政治目的、宗教目的、民族目的などの順化運動や単なる企図をもった啓蒙ではない。また学術的に歴史経過をたどり、構造的、あるいは仕組みを検...小章満州郷村運動に倣う地方創生の要其の一

  • 手を汚し、媚びへつらう者の謂う国益 H10 10 あの頃

    津軽岩木の祷り日本の西には日本海、中国の東には南シナ海がある。そのシナ海が荒れている。前総理は「友愛の海」といったと国内は騒ぎたて、まるでエンターテイメント「朝までテレビ」の売文の徒、言論貴族、貰い扶持議員の狂態の愚に倣うように庶民は呆然としている。器量や度量を測ったのか互いに「なめられている」と思い、また思われ古女房との力関係を試すかのように稚拙な抗論が交差して妙に間合いが取れなくなっている。近すぎず、遠からずが似て非なる民族との交誼ではあるが、そもそも同族、家族(国家)を忘却した小商人を虎の子として彼の地に誘引された親としては歯がゆい対応しかできないのは欲と人情の常である。しかし、それは飽くまで庶民の感覚である。分別極みのない気弱なオヤジの姿である。それは安岡流に言えば「芯の無い」人物のありきたりの醜...手を汚し、媚びへつらう者の謂う国益H1010あの頃

  • 宰相は、慌てず、競わず、怯まず 14 6/12再

    青森県十三湖政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」を本としている。茶坊主や陣笠には分からなくてもいいことだが、宰相は内外の施策方針を陛下に奏上(天聴)する務めがある。陛下とて内外の事情、とくに国民(大御宝)の生計を案じ、細かく世情を観察している。安倍さんの叔父さんになる佐藤栄作首相は度々皇居に参内している。いまも変わりはないが、猟官、政策提言、など、こと理由をつけて総理に面会を希望する者がいる。宰相とて...宰相は、慌てず、競わず、怯まず146/12再

  • 「人間考学」 聞くか、聞かんかは、我が知るところなし 再

    さて、当拙意が安岡氏命名「宏池会」群列の、理解の淵にでも届けばと願いたい。要は、口は軽くても、重くても問題ではない、信と実の忠恕の気概がなくては詭弁でしかない。写真は関連サイトより転載2011再掲載筆者は御懇嘱をいただく諸分野での講話で、「やりたい事より、やるべきこと」と伝えます。それは70数億人の地球人が存在する中で、2人として同じ特徴(特質)はないが、多くは他人と異なることを恐れ、情報なるものに翻弄され己の特徴を埋没させている。成長は特徴を自身で発見して伸ばす、もしグランドが狭ければ、たとえ孤独でも広い世界に進出して天与の特徴を伸ばす、それが、為すべきこと、やるべきことだと一考拙意を伝える。ときに「狂」の境地と他は嘲るが、内心を探れば似たものと勝手に察している。それゆえ小楠のように、ハナシではなく語る...「人間考学」聞くか、聞かんかは、我が知るところなし再

  • 再読 「嗚呼 中学生狂歌」 再

    満州新京の佐藤慎一郎氏ご家族哀しさは勤めに出てのたまにする母の話題のくだらなさ(中三男)あの親爺大学出たのは本当かなどうも怪しい教養の無さ(中三男)あなたのネパパが働きないためにこんな暮らしをと母の口癖(中二女)あんな人選んじゃだめよあなたわネ体験がにじむ母の口癖(中三女)心から、すがりつこうとするときにいつも父さん逃げてしまうよ(中一女)人並みに叱られてみたい時もある俺の親爺は俺が怖いのか(中二男)家庭とは父厳しくて母優しそれでイイのだうちは違うが(中二男)残業と母から電話父と吾ボソボソ食べる味気ない夕食(中二男)地獄だな心通じぬ人たちがいやでも同じ家に住むとはみんなだめ顔とげとげでイライラで他人みたいなわが家一族(中三女)矢野寿男「親を見れば僕の将来知れたもの」よりマナーとルールのこども議会稚拙である...再読「嗚呼中学生狂歌」再

  • 金にまつわる百年に一度の危機とはいうが・・・ 2008 あの頃

    日本の少年江戸の金貸しや両替屋が銀行だとしたら、駕籠かきはタクシー、旅籠はホテル、馬方は運送業、武士が役人、藩主が議員か知事、変らないのが坊さんと医者、数多の職種が分派して面白い横文字名称が増えたが、当時は金や地位名誉に志向する人間は限られていた。竹下総理がリクルート事件で辞任したが、その際「武士(モノノフ)の心で・・」と心境を語ったが武士は金を不浄なものとして触れない気風があった。しかも江戸の口入屋の変化した人材紹介業リクルート社からの賂(まいない)つまり袖の下にまつわる辞任だが、お白州(裁判所)に呼び立てられたのは御家人頭である。1989.6北京古来より米穀を生産する範囲を石(こく)高知行として土地を配分していたが、そうそう無限にあるモノでもなく、ときには茶碗や壷、香炉、または金銀に価値を設けて下賜し...金にまつわる百年に一度の危機とはいうが・・・2008あの頃

  • 中国人は中国人に戻り、日本はアジアに還れば・・

    突如満州に侵攻したソ連は、現代の東欧の戦禍同様に奪略と暴行を繰り広げた。同様なことを日本の軍人も行ったと歴史に記述にはある。これは当時の実情だが、いかなる国でも戦火を交えれば同様なことが起き得る、人間の醜悪な姿である。その満州騒乱のなか、高学歴の軍官僚や天皇から信任を受けた勅任官の実態はどうだったのだろうか。隠蔽,改竄、廃棄、責任回避、逃避は、現代でも官吏のつねだが、異民族の地に進出して美しい国ならぬ王道楽土を掲げた末路は、まさに土壇場における性癖とも言うべき日本人の姿を現した。それは教育なるものが、人間の性(しょう)に対して無力だあった証左でもある。よく一部との評もあるが、数値選別で成した高位高官のの影響力は無辜の民とは格段に違う。吉田松陰は士規七規の初章に「禽獣と異なる」と記している。しかし、人間は土...中国人は中国人に戻り、日本はアジアに還れば・・

  • 今どきの、飲(呑)む・打つ・買う 2015 5/27 再

    学習院乃木希典院長人倫の道を若き陛下に説く欲望にもホドがある。ましてや、自分に縄をかけることは難しい。縄もちでもできないことは、なおさらだ。為政者は、゛美しい国゛というが、清く・正しく・美しい、が連なるものだ。これは大欲や大業の理念だが、我利の小欲が蔓延ると国家は衰亡する。よく、遊び人の三拍子で飲む、打つ、買う、が一人前といわれた。もちろん、すべてはホドが肝心だが、酒も博打も異性も身体と懐の算段が必要だ。また、事前準備として、それに苦労する。姿や格好を気にした一昔前の遊び人は、一人遊びもいいが、遊ぶ相手を選んだ。競馬・競輪などの公営ギャンブルは、当たり外れはあっても恨みっこなしだが、麻雀はときおり苦いものが残る。株も博打相場になって主婦など素人投資家が多くなったが、玄人に言わせればゴミか餌のような扱いだ。...今どきの、飲(呑)む・打つ・買う20155/27再

  • その人は任侠の薫がした 13 4/9 再

    青森県は県下を南部とよばれる地域と西方の津軽とよぶ二分する地域があるが、その津軽氏を藩祖とした城下町に弘前という市がある。あの「名山のもとに名士あり」と詠んだ明治の言論人陸羯南の生地でもある。その弘前で幾度か訪れた居酒屋でのことだった。「わっ(我)が作った漬物だ、旨いよ」カウンターの隣に座った客が近ごろ心地よくきけるになった津軽弁で女将に持ち込んだ漬物をしきりにすすめる。酔客にもこだわりを持たないせいか、また旨かったためか話がはずみ、カラオケが始まった。この地域の人たちは歌が巧い。よく男は陰気で頑固、足の引っ張りが特徴だと津軽の女性はいうが、ここには威勢よく威張るような、あるいは開けっぴろげで粋な江戸っ子のような軽妙さは少ない。だが、腹は同じだとおもえる素振りがみえる。女に好いかっこしい、酒が好きで歌が巧...その人は任侠の薫がした134/9再

  • 台湾・・ 中国・・ あの時と同じ、国民党と共産党の国共合作会談だったのか

    http://sunasia.exblog.jp/7312984/寳田時雄著「請孫文再来」より≪幻の蒋介石毛沢東会談の章≫山田孫文右山田左佐藤慎一郎滞在から数日して山田が真剣な顔で佐藤に伝える。「じつは蒋さんの依頼で大陸へ行く」「大陸って、中共ですか」「毛沢東主席に会う。慎ちゃんもいっしょだ」佐藤は驚いた。蒋介石は常々大陸進攻を唱えている。それが毛沢東主席と…しかも伯父さんが…山田はあえて事務的に指示をあたえる。「廖承志さんを通じて毛主席には伝えてある。廖さんの母親が上海に迎えにくることになっている」廖承志の父、廖仲ガイ(りっしんべんに豈)は孫文の革命に山田とともに奔走した革命の同志である。その息子の廖承志は、子供のころに山田の腕であやされていた関係である。後年、廖承志は中日友好協会の代表として来日すると...台湾・・中国・・あの時と同じ、国民党と共産党の国共合作会談だったのか

  • 台湾民主主義 消費者から見た日本ブランドの偽装問題 15 4 改題

    子供たちは幼稚園から常に手を洗うことを習慣としている。日本以上に健康生活には敏感である。台北市中山記念小学校307/25「日本産食品の解禁を問う」台湾11月に住民投票野党国民党は消費者の不安を煽り、解禁を目指す政権を攻撃してきた。国民党は、政権が日本の機嫌を取って核被災食品の解禁をしようとしていると攻撃。どちらの側に立つものではない。また与野党の政治的目的から離れて以下に記した。201702/9の掲載先日、台湾外交部関係の高官と食事を共にしながら懇談した。それは青森県平川市で行われた台湾シンポジューム招請の返礼の意もあった。場所は都内のホテル内の飯店、円席を共にしたのが某高官と秘書官である。その高官は我が国のキャリア官吏の様子とは異なり、外交官らしく直感と俯瞰力に優れた人物である。時節の話題としてリラック...台湾民主主義消費者から見た日本ブランドの偽装問題154改題

  • 佐藤慎一郎先生隋聴備忘録 あの夜のこと 2007

    頭山満氏タゴール氏佐藤慎一郎酔譚聴聞記『あの夜のこと』内外の諸問題がくすぶるなか日中平和友好条約が締結された。人民大会堂では田中首相、大平外相、中国側からは周恩来総理をはじめ関係者で埋め尽くされていた。「乾杯、乾杯、万歳、万歳」と両国の友誼を祝い、マスコミもこぞって歓迎していた。田中総理の挨拶の字句に注目が集まり、前夜まで調整が図られたとも報道されたせいか、かたずを呑んで注目したことを記憶している。四角四面の「直」で自らを絞める日本外交を垣間見て中国民族はどう観たのか。出発数日前、横浜在住の旧友(譚覚真氏)から連絡があり訪中のことでおもしろい話があると言ってきた。旧友は中国共産党の対日工作の第一人者で、娘(譚路美)は反共的な本を日本で出版している。以前、稲山経団連会長の訪中に際して「今度、稲山を招待する。...佐藤慎一郎先生隋聴備忘録あの夜のこと2007

  • トヨタの宝物 09 6/28再 あの頃

    ある友人が新聞の切抜きを持参した。そこにはトヨタの新社長の会見の模様が掲載され、見出しに《就任会見の物足りなさ》とあった。世襲は大丈夫か・・・『海図無き航海に出発・・』『トヨタ丸に天気を振り返る余裕は無い・・』『現地現物の車つくり・・・』レース出場について『車の開発に命を懸けている。人材育成にも役立つ』この発言について「目だったのは具体戦略より精神論」と記者は評している。またジャーナリストの井上久雄氏の見方として、「・・・世界有数な大企業に成長するにつれ、トヨタの社員は官僚化してしまった。出世や自己保身しか頭に無い小役人のような社員が増えました。最近はトヨタというブランドに胡坐をかき広告力をバックにメディアに圧力をかける幹部も目立ちました・・・」井上氏はこうした流れを変え,金儲けから、いい商品をつくるメッ...トヨタの宝物096/28再あの頃

  • あの時、津軽に鎮した偉人の残像

    いつ頃からか進学で都会に出ると、多くは戻ってこいない。郷里は就職もままならず、年に数カ月も雪で閉ざされる。だが、歴史事績が多く教育都市と云われた津軽弘前では帝大を卒業しても郷里に戻り、教員、官吏もさることながら、家業の酒屋や洗濯屋に就いた方も多かった。それは弘前の人材のファンダメンタル(基礎的条件)である学校歴や知力だけではない親しむ郷人の稀な姿だった。東北の俊英が集った県立弘前高校の学風も特異ものがあった。また一時は精強として謳われた陸軍第六師団の軍都として郷は興った。そして厳しい環境のなか多くの人物が輩出した。国内はもとより海外に飛躍し中国の近代化に挺身する偉人もいた。近ごろは、何か発起すると必ずといってよいほど、役所は・・・、誰それに先ず話を・・・と、まるで郷の掟のように習慣化されているが、当時は、...あの時、津軽に鎮した偉人の残像

  • 備忘録「Hong kong」 上場前夜 あの頃

    「HongKong」より抜粋「お父さんは優しかった。私も日本に留学して落合の尾崎行雄さんのところに下宿した。あの事件の日に帰って押入れを開けたら岡田首相が出てきたのでビックリしました。押入れに隠れていたのですね。訪日すると憲政記念館の尾崎さんの娘(相馬)さんのところにいきますよ」麗華の母が日本留学中の出来事である。母の弟と妹が1989年の北京で起こった世界史に載るような事件(天安門)のとき筆者の通訳をしてくれた。弟は早稲田大学出身、新京の実家に新築した自分の家は岸信介氏のために譲り、その後武藤富雄氏(後の明治学院大学学長)が住んだ。父は関東軍に戦闘機五機を寄贈した。満州経済界では有名だったが、戦後日本人帰還者のために食料など馬車百両を用意した。「この地は発展した。人々も豊かになった。困っている日本人にせめ...備忘録「Hongkong」上場前夜あの頃

  • 備忘録「Hong Kong」 香港調査報告 1 あの頃

    香港返還前年に突然依頼された上場前の大手企業のアジア圏現地法人調査ではあるが、改善実行計画、アジア圏への商圏拡大などを配慮した現地法人のトラブル処理の逸話である。寳田時雄備忘録「HongKong」より抜粋啓徳空港からハーバービューのシャングリアホテルに直行した香港はあのアヘン戦争によって九龍半島の突端と向かいの香港島が割譲され、今は英国人の総督によって施政権が管理されているアジアで唯一の植民地の名残を見せている地域だ。当時、白人から未開で野蛮と蔑まされていたアジアは、日本、朝鮮のほかは西欧諸国の植民地陣取り合戦に巻き込まれていた。香港は英国が大英帝国といわれていたころ東インド会社を先兵として中国にもその刃を向けていた。もちろん始めは宣教師と貿易商が進出するが、特産であった景徳鎮の硬質な白磁や絹織物を購入し...備忘録「HongKong」香港調査報告1あの頃

  • 人間考学 人略 地略 機略 2014 8

    知ったら、想像して、体感してみよう。学問は行動と化して、はじめて学問の成果という(佐藤慎一郎」よく戦略とあるが、この場合の略は「戦」をどうするか、こうするかの問題だ。この「戦」がつくと情報戦、経済戦があるが子供たちの受験戦争もある。これらは相手より、より多く、より早く、より高度な戦を仕掛け勝利することだが、なかには正対する堂々とした戦いではなく、騙し、欺き、隠す、といった狡知が「術」としてマニュアル化されているものもある。現代はそれは常態化していると云ってもいい。たとえば、「代議士は人を騙して雄弁家という」が、先ずは錯覚させることが巧い話し方だと、妙に唸らせることが代議士の資質だと覚らせる術がある。立派な内容などは昨今の聴衆にとっては、難しくもうっとうしいことがその理由だ。その錯覚だが、暴力的武力を「勇」...人間考学人略地略機略20148

  • 贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む

    しょせんラ・ロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。ちなみに、「我々は、どちらかといえば幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである」ともある。、当てはまる現象を各々取り上げることも野暮な想索だが、標記を逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。ハービーハンコック氏とオスニー・メロブラジルの天才音楽家オスニー・メロが流暢な日本語で日本人のおかしさを語っている。エッフェル塔に東京タワー、聞きなれた名称に違和感はないが、彼は東京塔にエッフェルタワーではないのか?との問いだったが、後者はフランス語と英語、だが東京...贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む

  • 不忘記 台湾の支援に感謝 2021 3/12

    9月18日午後台湾東南部でマグニチュード6.8の地震が発生した。多くの日本人は、大陸棚の先端に並ぶ島礁の人為では購うことのできない宿命を共有している。そこには政治思想や民族感情を超え、かつ経済的対価や幸福観念ではなく自然に湧き出る人の情、つまり「人情は国法より重し」を容易に体現できる関係があるようだ。日本語世代台北台北市地下鉄中山駅で震災10年イベント3月12日(金)午後7時から場所:WaterBaseで講師:伴伴武澄について新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。今年1月23日、台北市の「Taipei101ビル」の上層階の窓に「日台友情」というメッセージが映し出された。日本台湾...不忘記台湾の支援に感謝20213/12

  • 馮寄台氏(中華民国駐日代表)と日本

    2022/10コロナ禍で中断していた台湾駐日代表処主催の双十国慶祝宴が行われる。双十とは10月10日、孫文を領袖とした辛亥革命ゆかりの記念日である。大陸と台湾は共に孫文を国父として讃えている。歴史的には漢民族が満州族の清朝帝政を倒した記念としての意義ある国の祝い日でもある。いっその事、孫文の唱えた三民主義で和議ができないのか、それは自由の大義が変容して新自由主義となり、共産主義が便宜上の専制集権の装いだとしたら、共に青い目の謳う主義の借用ではなく、国父の主義を共に掲げたら、民族とくにアジアの国々にも分かりやすいのではないだろうか。いずれ浮上することは必然であり、必須な人間像でもあるからだ。まして中日提携してアジアを興し、西洋とも調和して世界を平和にするという大経綸を唱えていた孫文の、日本も拒む理由はない。...馮寄台氏(中華民国駐日代表)と日本

  • デジタルはオトコとオンナを変えた? 2012 8 あの頃

    妙な切り口だが、一般には便利性が周知され、その多様なアイディアと双方向通信、そして人のつながりの親密さと、一方の希薄さの助長を含ませながらデジタル化が進んでいる。つまり便利性からはアナログが進化したものがデジタルという考え方が一般的だろうが、もちろん技術的な入口は別物である。一昔前はアナログ人間と喩湯されてもピンとこなかったオヤジ世代も、デジタルの便利性と簡単操作な機器のおかげで今風の家族の疎外感から、少しの息抜きを探し出している。ビデオが一気に広まったときと同じく、隠れて見るアノ映像が不可能な希望をバーチャルな世界への誘いとして機器の販促に一役買っている。もっぱらスケベ心と金の世界への誘導だが、無料と課金の騙し合いにウロウロしながらエンタ―キーを押そうか、どうしようかと逡巡している一種の緊張感さえある。...デジタルはオトコとオンナを変えた?20128あの頃

  • 小泉進次郎に括目したあの頃 2014

    山岡鉄舟括目(かつもく)とは目を瞠(みは)るとか、期待することである。よく、男子、3日会わねば括目するというが、この場合は「遇う」だろう男子は一瞬で変わる。腹が据わる、覚醒する、見た目に落ち着く、つまり体験なり、言動によって己を信じること出来ることでもある。それは自身が気づかなくても他人が評価するものだが、少し前と比べて目を瞠る成長をしたと思えることでもある。それは覚悟の行動や一声によって、貪なり鈍の気を正気に覚醒したりする行為であり、その突破力は、社会や国家の多面的観察や歴史の俯瞰力によって成し得るものである。それがなければ、言いっぱなし、軽率な朝令暮改になってしまう。まして、流行りの説明責任などという風にまぎれれば、要らぬ口舌も必要になってくる。賢人は文も言もなるべく短縮した方がいいというが、発するも...小泉進次郎に括目したあの頃2014

  • あの時は・・貪りの民と税の騙取 2007/11再

    19,10/28弘前城公園平成6年の年明けだった。細川首相の公約でもあり、政権の成立要件でもあった政治改革法案が産みの苦しみを経て成立して間もなく深夜の会見で、国民福祉税の創設と7%の税率設定、ついでに景気浮揚を賭けた6兆円の減税案が発表された。伏魔殿の公(狡)務員が一生懸命に考え意をこらした案であったのだが、役者に口上を語らせても意図するものまでは教えず、かといって舞台のそでから教えたのでは千両役者も大根になってしまう。旧政権にはない明快な口上であることは疑いもないが、国民にとっては慣れていないせいか“間”のとりかたが難しい。演出家にとっては反対、賛成も織り込み済みの大芝居の幕開けである。「自立した民」の湧き出ずる序曲であるかのようにまずは「反対」が出てくる。論語泰伯に“民はこれに由(よ)らしむべし、こ...あの時は・・貪りの民と税の騙取2007/11再

  • 「台湾は誇りだ」と中華街の声 あの頃

    「台湾は誇りだ」と中華街の声数十年も通い慣れた横浜中華街だが、これほど清々しく彼等の笑顔を見たことは無かった。それは台湾系だけでなく大陸系の華僑にも伝播した。古老が亡くなれば誰からともなく知らせが届き、葬儀に参列したりして多くの縁があったつもりだが、この歓喜に近い故国への賛辞は懐かしくもうらやましい姿だ。台湾の地方自治交流青森県平川市ことは災害に際しての台湾の援助のスピードと量についての驚きだった。『聴いて、きいて・・すごいね台湾は。私は日本で生まれて此処の小学校を出て、ずっと中華街で暮らしているがこんな嬉しいことはないね』普段は感情表現も少ない初老の女性店主である。生き字引のように人で、ある意味日本人のような視点で華人を見ているが、近頃の新華僑といわれる華南系との軋轢が目立ってきた旧華僑になる女性だが、...「台湾は誇りだ」と中華街の声あの頃

  • 日本人として「思索力」と「観照力」を奪われて久しいが 09 1/22再

    いつの間にか・・・そのように、なった。以前、記したことでもあるが200年以上前の或る企ての章に《・・・われわれはすべての信仰を破壊し、民衆の心から神と聖霊の思想を奪い、代わりに数字的打算と物質的欲望を与える。思索と観照の暇を与えないためには民衆の関心を商工業に引き付ける。そのようにしてすべての人々は自分の利益のみに没頭して共同の敵を見逃してしまう・・・・》と記した。部分の現象に証明を・・・、などという西洋の科学的合理の説明に陥ることに慣れた思索は、時空を超えて俯瞰視した人間の変容を直感することに否定的な学の形態でもある。一方、東洋の学びには、もともと公式や原理などは存在し、たかだか人間の知能で後の世に「発見・証明」して公式や定理とすることより、人間種を含めた数多の生物が存在する形態そのものが証明する姿であ...日本人として「思索力」と「観照力」を奪われて久しいが091/22再

  • 死に方もいろいろある そのⅠ

    以下は筆者の備忘拙意と、参考に人生の恩師、佐藤慎一郎先生の教授案を参照として長文になっています。「人生五計」という。恩師である佐藤慎一郎先生は人生について「五計」があり、最後の「死計」を考える上で他の生計,身計(身許)、家計、老計をいかに過ごしていたかによって、死の計画はできても「死にざま」が異なると筆者に説いていただいた。満州の馬賊は官警に捕縛され首を刎ねられるとき、透き通った青空をまるで鳥を追うようにして眺め、かしも目元は穏やかで、死への覚悟というよりかたどりついた寿命のように達観していた。「私は死刑判決を受け、刑務所の空き地で穴を掘った。墓穴だ。生徒たちには、自分で墓穴を掘ってはならないと教えていたが、まさに自分が入る墓穴を掘っているのだと思うと笑いがこぼれた。すると銃をもった看守が『お前の子供は何...死に方もいろいろあるそのⅠ

  • 格差とは「官」と「民」の間(かん)に在り 2008 11/1 再

    怨嗟と嫉妬と反目の社会に今更といった内容だが、幾許の叛意を浴びることを思いながら敢えて記してみたい。このところ蟹工船が流行っている。流行りモノといっては恐縮だが、公害問題が騒がれていたときは、栃木県足尾の古河鉱山と下流の遊水地渡良瀬遊水地を舞台にした田中正造翁の義挙が映像化され各地で上映された。ともに資本家と大衆の問題だが、金持ちの長(おさ)が富国強兵にともなう近代工業化によって経営者となり、隣国の近代化にもある先富方針の倣いにもなった金融、諸税などの優遇政策により資本集中から多くの財閥が形成され、曲がりなりにも西洋近代化の産業構造模倣が出来上がりつつあった。この方法はなにも経済理論にともなう政策という代物ではなく、偏向的便宜供与もしくは国家資材の騙取のようなもので、販路開拓などそのための理屈立てに国威伸...格差とは「官」と「民」の間(かん)に在り200811/1再

  • 宰相の迷言に、言葉も無い 2007 10 あの頃もそうだった

    角の取れた積み木を積む、童の無垢な労心(弘前養生幼稚園)総理就任後のメールマガジンの一章に「信頼を取り戻す名案がない」とある。ことさら今ばやりのコピー批評や冷やかし、あるいは氏を憎み、宰相を軽んじているのではない。最初のメッセージに名案が無いといわれると、なぜ手を挙げたのだろうか。せめて妙案がある、あるいは積齢、溜めていた理想の姿を具現する、と誠実な純情を見せて欲しいものだ。いまどきと冷笑されるだろうが、上に立つものは人倫の道を国民に自ら示すべきであり、ことに政治家の言葉は刃であり、成文は国家の義でなければならない。文は経国の大義にして・・と先人は説くが、大儀(おっくう、骨の折れる)では、しばしば門閥名家にみる白足袋風情に他ならない。もしも、これも歴代続く取り巻き茶坊主の見識だとしたら、国民は胸を張って世...宰相の迷言に、言葉も無い200710あの頃もそうだった

  • 「人間考学」人は先ず資格より「人格」を

    バングラデシュ新聞も教材近年、資格ビジネスが繁盛している。とくに介護は社会福祉系、保育は児童福祉系、ビジネスは英語系の資格認定のために多くの若者、とくに女性の男女雇用均等法の援用もあり、盛んになっている。なかには漢字,漫画、歴史などの資格認定もあるが、その資格証発行元も、むかしは各省庁の天下り受け皿としての社団法人が主に行っていたが、内容はともかく、御上の威光なのか仮装信頼を仰ぎ戴いたものたが、最近はNPOの資格認定もある。ビジネスにおいては技術系の技能や検査の認定資格だが、これも生産性と節約で端折るところもある。それも新米の資格持ちの検査より、熟練技術者の確認作業の方が検査も確実なのだが、資格証の所持如何で検査証の認証がとれる。先輩の熟練者は、日々技を磨くために現場に馴染み、習熟を高めて後輩に伝承するの...「人間考学」人は先ず資格より「人格」を

  • 装う彼らからすれば、靖国は仇討ちの誓いとみるのか

    旧稿です。≪武士の仇討(あだうち)は家の再興が懸っていた。主君や親を殺されると仇を討つまでは帰参もできなければ、腰抜けとあざけ笑われた。それが家の矜持を守る武士の掟だった。加えて、戦闘集団でもある武士の心構えであり一家一門の誇り高い行為でもあった≫参拝者がどのように想うとも、彼らはそのように考えるのだろう。だから、参拝は反対なのだろうか。しかも、英霊を祀ることが世界的に普遍な倣いとして高論すると、余計にそう考えるのだろう。よく、昔は言わなかったが何か企図することがあるのだろうと邪推する邦人も散見するが、標記のようになるとより合点に近づく。なにも中曽根総理のころ御注進政治家とマスコミがポチ犬のように隣国に云ったとか、言わないかと因を探索しても、それだけではないだろう。逆に小泉総理のように堂々と参拝すれば左右...装う彼らからすれば、靖国は仇討ちの誓いとみるのか

  • 人間考学 機略の縦横無尽を養う郷学講座

    津輕弘前昨冬≪以下はある組織の指導的立場の人材養成についての講話録である≫それは長時間微動だにしない真剣な講話でした。巷の礼賛や激励ではない。彼らが志を願って(志願)した職域で縁を以て結ばれた人間の気概に応えたものだった。それは誰にでもある誕生と辿りつく死への意義を、人生観として伝える、時に修める(自修)の機会でもあった。後刻送達された「所感」には、紅心に中(あたる)る真剣な内容が綴られていた。標題に添えて・・・機略とは事に臨んで臨機応変、縦横無尽に思考をめぐらすことではあるが、その要は人間(人物)そのものにある。それは状況に応じて、瞬時な対応を考案することであり、たとえ集団内においても、全体の一部分において発揮できる己の特徴を鑑みて、連帯の調和をいかに維持するか、また、各々の部分をいかに連結統合できるか...人間考学機略の縦横無尽を養う郷学講座

  • 安岡正篤の呻吟 吉田茂の銅像と国葬 2007/6

    いまは金と地位が自由になると、畏れ多い、謙譲の美徳、不特定多数の国人への忠恕など死語になった。昨今はとくに中央、地方問わず、政治、官界にその姿は顕著に表れている。「美しい国」があるかどうか解らないが、本来は、「清く、正しく、美しく」が本来の唱和だが、その「清く」と「正しく」が無ければ、当然、美しい国は目の前には現れない。吉田茂は天皇を畏敬し書簡の末尾に臣茂(吉田茂は天皇の臣下の意味)と記すくらい、輔弼の使命意識がつよかった。つまり国民統合の象徴である天皇の存在意義を自らが体現しているのだ。それゆえに、もしも存命中に銅像や、天皇と格式上であれ同位になる国葬などもっての外と激怒したに違いない。遺族とて畏れ多いと丁重に遠慮したはずだが、取り巻きには別の理由があったようだ。吉田氏が歳上でありながら老子と敬して意見...安岡正篤の呻吟吉田茂の銅像と国葬2007/6

  • パルさん縁で、懐かしきことへの寄り道です あの頃

    下中パル博士ビール仲間だった平凡社の下中邦彦(社長)に誘われて箱根のパル・下中記念館に行ったおり、パンフレットに見覚えのある書風の碑文が載っていた。記念館は邦彦さんの父、当時の出版界の大立者、下中弥三郎氏と極東軍事裁判(東京裁判)のインド選出判事、ラダビノード、パル博士との厚誼を記念して建てられたものです。パンフには広島市本照寺院内に1952年に建立されたとある。【大亜細亜悲願の碑】と刻まれた石版には、住職筧義章師の求めに応じて揮毫されたパル博士の言葉が同様に刻まれている。「大東亜悲願の碑」は宮島詠士(大八)氏の筆によるものであるじつは以前、筆者が毎年招かれた鎮海観音会という法要があった世田谷の豪徳寺という名刹で催される会の主催者は宮島家の当主である。本堂の読経は住職と僧四名で迫力ある観音経を唱和する。そ...パルさん縁で、懐かしきことへの寄り道ですあの頃

  • 真の国力に憑依する軍と財への誘惑 09 9/19 再

    [憑依]は弱っているものにとり付くことである現実の生活にある嗜好の基礎的条件を否定するものではない。ただ将来を見つめるための座標軸と欲求充足のホドを弁えることが必要だと考えるからだ。異民族の賢人、孫文は「真の日本人がいなくなった」と歎くが、゛あの時は存在した゛ということだ。その意味で真の国力を考えたみたい。国力のバロメーターは経済力と軍事力だという。またそれがために他国の事情が気になり、ついつい知った時点から意味の無いものになるような一過性のかつ、たかだか努力次第で変化する数字に翻弄されるのが近頃の人の倣いになった。加えて世界に普遍的であるとグローバリズムの基準に沿って、より俯瞰した考察からすれば、たかだか人間のみの要件を引き合いに狭い範囲のルール「掟」によって国内事情までが混乱し、政府は重い荷を背負って...真の国力に憑依する軍と財への誘惑099/19再

  • 「人間考学」 荀子 「衰亡の徴(しるし)」から観る日本は 08・6再

    佐藤慎一郎先生寄託資料をもとに「現代生活における利と義について」筆者挿入編抜粋さて、日本は・・・今から二千三百年も前に亡くなった苟子が、「乱世の徴(しるし)」として、次のような「徴(しるし)」が現われてくれば、その国家は「衰亡」に傾くと警告しています。「その服は組」ー人々の服装がはですぎて、不調和となってくる。個性的なオシャレとは言いえて妙な考えですが、不調和を楽しむ、あるいはそれを競うことに意識が集まると、内容がおろそかになるということでしょう。「その容(かたち)は婦(ふ)」男は女性のまねをしはじめ、その容貌態度は婦人のように、なまめかしく軟弱になってくる。ところが国が亡ぶ時には、女までも堕落する。女性は、そのような男か女かわからんようなニヤケタ男を好きになる。また逆に女性が烈しくなるようです。そして女...「人間考学」荀子「衰亡の徴(しるし)」から観る日本は08・6再

  • 憲法伝説 九条と九九条は裏を返せば「666」 2015 5/26

    旧稿ですが・・・ごまめの歯軋りですが先日、我が家に共産党の運動員が9条についてのポスターを持って来た。「9条を守れ!」とのことだが、憲法を守ろう、戦争を起こすな、のキャンペーンだろう。そこでこう伝えた。「9条問題は切り口が多くで争いの種になっている。それも一党一派の勢力争いに利用され、社会の鎮まりある連帯を融解している。なにも選挙私事のハナシではない。あるいは議員の任期満了に基づく失業対策選挙の具に使ってはいけない。それよりも99条の方が判りやすいし、時宜を得ている。」GHQ草案では91条となっている。第九十一条皇帝皇位ニ即キタルトキ並ニ摂政、国務大臣、国会議員、司法府員及其ノ他ノ一切ノ公務員其ノ官職ニ就キタルトキハ、此ノ憲法ヲ尊重擁護スル義務ヲ負フ此ノ憲法ノ効力発生スル時ニ於テ官職ニ在ル一切ノ公務員ハ右...憲法伝説九条と九九条は裏を返せば「666」20155/26

  • 一服 憂さ晴らしの学・・・? 2017

    暇まかせに字引をひらいてみると、漢字ではあるが原典とは違う意味もあれば、錯覚なのか、はたまた「そのように呼称せよ」と指示されたような熟語があれば、日本流に作った俗字もある。漢字は単なる文字記号ではないために意味の錯誤は日本人そのものの印象すら嘲笑の対象にされることもある。「俺」とは、我とか自分という意味で使われるが、「奄」を見ると、宦官とか門番とある。碩学は、伸びるものが大という重しに押され申の縦線が曲がった状態で、男性器が折れ曲がって使えない意味だと古老は説く。大陸では我が身を「俺」とは言わないという。それと同様に「黄門」といえば水戸黄門だが、黄は皇帝色といって高貴な色であり、その「黄門」を守護しているものは去勢された宦官である。中国文化特有の文字遊びか、はたまたそのように教えられたのか「俺」も「黄門」...一服憂さ晴らしの学・・・?2017

  • 安岡正篤と佐藤慎一郎、そして景嘉 2008 稿

    佐藤慎一郎氏に誘われたある会でのこと・・・壇上から一段下がったところの席に佐藤氏は誰かと談笑していた。真剣さに近寄れない雰囲気だが、ときおり間を置くように破顔一笑している。臨席の老人は斜め横からなので、どなたなのか判らない。筆者に気がついて右手を高々挙げて起立した。するとその間を突いて白髪の紳士が隣席の老人に恭しく挨拶した。紹介していたのは見覚えのある碩学の秘書だった。近寄ると慇懃に頭を下げ応答しているのは安岡正篤氏であった。傍に近づいたその白髪の紳士を正面から見て会釈した。見覚えがあった。柳川次郎氏である。もう引退をしてしばらく経っていたが、山口組の創成期に活躍し、そのときは亜細亜民族同盟という組織の後見のようなことをしていた。安岡氏の秘書とは入魂の間柄なのだろう、もともと安岡氏は目の前に現れる人物には...安岡正篤と佐藤慎一郎、そして景嘉2008稿

  • 人間考学から「伸びしろ」をみる 13 ・ 8 再

    新聞の読み聞かせバングラデッシュ多くは「容」「像」「体」から読みとる人物像である「容」は相の具合だが、顔色はもちろん柔和とか溌剌感、目線の落ち着きや口元の締りだ。「像」は容に加えた雰囲気だが、仕草やたたずまい(佇まい)、もしくは圧倒的な威力や謙虚さに観る姿だ。そして「体」は言うまでもなく身体の歪みや緩慢な動作など気力衰退や患いから発する形だが、容と像は体との調和として表れる解り易いイメージと考えるもし相も悪く気分は弛緩して行動が緩慢な人間に財や知恵を付加したkらどうだろう。まだ元気溌剌で柔和な貧乏人の方が感覚を震わせるそれから先は相手の説明や行為から知ることだが、往々にして金と地位とその継続性を詮索することでその価値の優劣が決まるようだ。近ごろは金持ちの未亡人や熟女狙いの狡猾な男が増えたようだが、見えるも...人間考学から「伸びしろ」をみる13・8再

  • 門田隆将のフルスイング あの頃 08 2 1

    先日、門脇(門田)さんから氏の著書「慟哭の海峡」に記した台湾南部の潮音寺で慰霊祭があるので、との誘いがあった。じつは、その前に戦前の台中の霧社であった事件の慰霊にも誘われた。両方とも門脇氏が記念講話をするという。同伴する予定だった門脇氏の土佐校の先輩の諸都合もあり筆者も遠慮したため、8月2日の潮音寺は行こうと思っている。「ところで、小泉君がアナタの愛読者だと云っているが、会ったことあるのか」『そうらしい、演説でも言っているらしいが、まだ会ってない」「実は台湾映画のKANOのことで彼も関東学院野球部、アナタも少年野球のコーチで、お互いに台湾に関係が深い。できれば21世紀の枠を作って台湾選抜を甲子園に招待できないかと思っているのだが・・・」『選抜は難しいとおもうので、エキジビションならいいのではないか・・・」...門田隆将のフルスイングあの頃0821

  • 土佐の咬ませ犬といわれた男 門田隆将のあの頃

    令和4年7月14日、筆界の安倍派?で旧知の門脇護(筆名門田隆将)氏から久しぶり電話があった。まさに彼の現在の筆風であり、依り処でもあった元総理の安倍晋三氏が亡くなった直後でもある。内容は小生の師であり当ブログでも再三取り上げている佐藤慎一郎先生の菩提寺、弘前市寺町川龍院の所在を尋ねられた。佐藤慎一郎氏彼の電話は手に取るようにその姿がわかる。新潮敏腕記者として少し高邁のようだが冴えていた頃、退社して将来を模索していた頃。本が売れ始め昇り調子だった頃。出版不況で講演に勤しみ、新潮縁故の桜井よしこさんの縁で安倍晋三総理との邂逅したころ。その後の安倍シンパの雑誌に寄稿し、そして大樹が倒れた現在の音声など、さまざまな心情が読み取れる。安岡正篤氏は「音声は知性を表す」と、つぶやいたが、今回はなぜか気弱だが、より彼の醇...土佐の咬ませ犬といわれた男門田隆将のあの頃

  • 疲弊する国家 良くも悪くも、多い少ないも 08 5/23 あの頃

    国会で舌鋒火を噴く「切腹問答」を行った浜田国松氏ここでは人間の問題、とくに群れとなった人々の生き方について、明確かつ隠蔽されたかのように矛盾をはらんだ事柄について記してみたい。それはある隣の酒席の話だが、ことさらコソコソ話をダンボ耳にしたわけではないが、妙に納得した会話だったので紹介します。『ところで公務員は450万人といわれるが、隠れ公務員はそれと同じくらい居るが、家族3人で2400万。隠れ公務員というか税で生活している人のには、各種天下り法人、外郭団体、あるいは民間法人を設立して食い扶持を公共に特化している組織もある。近頃では駐車違反の摘発をする「民間」と称する警備会社もある。ともかく、税や手数料ほか特別予算に依存している組織や人間が多い。これが問題の高給取りで待遇は抜群。定年後5年間の臨時雇用と公務...疲弊する国家良くも悪くも、多い少ないも085/23あの頃

  • 「義」は人の大本なり 08.6稿 再

    ベンガルの義人シャーカー氏昨日は「利」でした。生活には戸惑いのあるものですが、「義」を理解すれば「利」の効用があるようです。浅学非才の若輩なれど、身の程を忘れ、先人、師、恩人の言を無断で活用いたし、いくばくの利他の増進に役立てばと考え、かつ世代の役割を感じつつ記してみます「義」について「義」は羊と我の合字です。羊は古代いけにえとして神に献上した習慣から吉祥だとか善などの意味が含まれています。ですから、善い、正しい、と解されています。「事宜を知り、恥を知り、為すまじきをなさぬは義」「義は人の大本なり」(准南子人間訓)義は無条件で正しいとおもうことに我を捧げることです。それは、人間のあらゆることの大本であり、根本であると定義されています。「義は己の威義なり」(説文)といいます。威義は、その人の修養の程度によっ...「義」は人の大本なり08.6稿再

  • 数寄屋橋の鬼に酔わされた

    教員免許など無用大学校にて「大学の道、明徳」自身の徳(特徴や意志)を明確にする学び舎(大学校)で、自己を語る。2008記赤尾敏氏を知っているだろうか。この様な書き出しは筆者の出自や思想を云々されそうだが、その云々の無用さを赤尾氏のエピソードから記してみたい。銀座数寄屋橋の街頭で、通称、街宣車(ガイセンシャ)の上で仁王立ちになって演説していた民族運動家である。筆者は赤尾氏の自宅兼道場に伺ったことがある。たしか知事選に立候補した時の選挙の真っ只中、夕刻の7時であった。紹介者とはいっても、安岡氏と懇意な岡本義雄氏である。「赤尾さんに会いに行く、君も来なさい」いつものことだった。強引にも筆者を文京区白山の安岡邸に誘い込んだのも、今回の赤尾氏に連れて行ったのも岡本氏である。好奇心もあったが、そのたび明治人に面白いよ...数寄屋橋の鬼に酔わされた

  • あの時の参議院選挙

    「国賊的な政治家には投票するな。しからば選挙に行かないように」と、投票棄権を唱えた08/9再20166月再掲載1月29日のコラム「数寄屋橋の鬼」に記されている、゛老人゛について語りたい。拙宅の近所に住んでいたが、起縁は小会(郷学)でジャーデン・フレミング証券のアナリスト、ニックエドワーズ氏を招請して講演会を催したときに参会された時からだ。たしか今を想定して投機についての歴史的経過と、その危険性についてだった。その後、毎日のように来訪され漢文詩や自作の啓文を持参して戴き、以来多くの時を過ごしていた。或る時「前記コラムと重複するが、安岡正篤氏(当時、会うまでは知らなかった)の自宅である文京区白山に連れて行かれたことがあった。また多くの著名人との懐古とともに筆者を同行して熱論、激論を拝観させていだいた。また、毎...あの時の参議院選挙

  • 聖徳太子の心配事は当たったか 09 3/06 再

    「「紐帯の結びの重し」皇居内お休み処このところ中央地方を問わず金と異性と失言などの問題で毎日のように紙面を騒がしている。そこへきて重要議案に口角泡を飛ばして争論に励んでいるようだが、定数や待遇については口を封じて与野党同衾している。国民は野暮な旅芝居を見ているようだが、ときおり女形ならぬ行儀の悪い男のような女性議員の登場で回り舞台は観客は惑わされる。安岡正篤氏は書斎の雑談でつぶやいた。「今どきの政治家は人物二流でしかなれないようだ」あれから四半世紀、二流から三流、そして埒外が増殖している。金をごまかし、平気でうそをつき、不倫もする。選んだあんたが悪い・・!と嘲られるが、もともと党の旧字は中が黒だった。つまり黒をかんむり(賞)すると古人は揶揄する。白黒といえば黒は悪人だ。善党はないが悪党はある。その悪党が多...聖徳太子の心配事は当たったか093/06再

  • 日本型 官僚社会主義の呪縛 そのⅠ 2018・4

    日本型官僚社会主義の呪縛犬も歩けば棒に当たるというが街中を歩けば懐かしい顔に出会う。そのたび数多の縁を想いだし、会釈されても顔すら忘れていて通り過ぎ、心中で詫びることもある。ときには視線を察することもある。しかも首の可動範囲の左右斜め後ろまでの察知範囲だが、そのときは左右に振った視線の左端にその男はいた。父親はノンキャリアの厚生官僚、それゆえ悲哀をかこっている母親は息子に東大を望んだ。だが数値選別に届かなかった息子は慶応に進んだ。それでも母親は忸怩な気分だった。母方は家族は国立大学卒の教員など地方ではキラ星の家系、母も高等女学校卒、ゆえに亭主のノンキャリ、息子の私大に対する母の心中は偏執そのものだった。それゆえか、息子は都立高校在学中に学生運動の先頭を切っていた。当時の学生運動は権威らしきものに反発し教員...日本型官僚社会主義の呪縛そのⅠ2018・4

  • 「人間考学」 選挙、その笛を吹く人たち 9 1/11 あの頃も

    林檎の花「笛吹き」といえばハーメルンの鼠捕りが思いつく。色とりどりの服装で鼠捕りを請け負う笛吹きの物語だ。笛に浮かれ誘き寄せられた鼠が川で溺れ死ぬが、市民は笛吹きに報酬を支払うことをためらったために、子供達(130人)を笛で誘い洞窟におびき出され二度と帰ってくることはなかったという悲劇が記されている。今どきのマスコミ表題では、゛鼠捕りの報酬を払わなかったために笛吹きは怒り、130人の子供達を拉致した゛と事件は踊るだろうが、その末尾に助かったのは足の不自由な二人と盲目とろうあ者の四人であると記事が結ばれたら趣は変る。ハーメルンの笛吹きについては多くの隠された歴史がある。ペスト患者の隔離、十字軍の徴兵、あるいは開拓者として植民地に向かった、など様々な説が「鼠捕りの笛吹き」によって追い立てられ、誘われ、連れ去ら...「人間考学」選挙、その笛を吹く人たち91/11あの頃も

  • 問題は、゛欲張り゛と、゛無礼゛という民癖 2010/5再

    友人の園田さんが自らのブログで「権藤成卿『農村自救論』公同の概念」を転載して八百万の神の合議こそ和製民主主義だと持論を述べている聖徳太子のころの十七条の憲法も簡潔だったが、当時はいちいち説明責任や近頃の法匪や走狗に入る弁護士や知識人の類の食い扶持詭弁となる、゛法の解釈゛とかいう解釈論なる「奇合理」はなかった。それら比べ当時は、立法する側も、応ずる側も素朴で自然的な共通した情緒があった。「そもそも」という言葉があまり聴くことのなくなった世情に、そもそも「法」とは、あるいは「矩」や「則」で表わされていた自己と他人かが厳存する世の中における欲望の範囲と制御を簡潔に考えてみることも一考かとおもう。ちなみに十七条の憲法は、官吏の怠惰、堕落、腐敗こそ、人間の尊厳を毀損するものとしてそれを戒めている。まずは、「遅刻、口...問題は、゛欲張り゛と、゛無礼゛という民癖2010/5再

  • 「五寒」 生じて国家無し 08 あの頃

    [亡国とは]“亡国は、亡国になってはじめて亡国を知る”と言います。国家の三要素である「領土」「民族」「伝統」を司るものは「人間」です。清朝末期の読書人(知識人)、梁巨川の殉世遺言録の校録者であり、朝野の知識人の隠れた導師であった景嘉は「人にして人でなくば、国は何で国と成りえようか」と述べ、序文において「世界で発生するあらゆる問題、及び一国一家に生ずる一切の問題は、実は人の問題とは切り離せない」と、いうことである。そして人の問題では、「とくに東洋の伝統が主張する人格の問題がとりわけ重要である。人格、人心、信義の重要さを知り、特に精神の独立、人格の独立、出たとこ勝負と己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を従わせることの不可を、心の深奥な所で反省することである」と、亡国に立ち至る人間の脆弱さを指摘している。...「五寒」生じて国家無し08あの頃

  • 日中の縒(より)をほぐすために、各々の民は・・・2010再

    以下、イメージは桂林近郊あるべき姿の関係に解(ほぐ)すことである。わら縄をよるには両手で二本の藁を掌でこすりながら一本に縒りあわせるが、はじめの二本の藁も数本を束ねたものを掌を拝むように縒り、さらに二本にするのだが、それぞれ一本の藁が縄になるには数十本必要になる。その縒られた縄は神前の注連縄(しめなわ)にもなり、罪人を捕縛することもある。人間関係を縄の縒りにたとえれば、あるときは同盟や友好の絆となり、縒り方が悪ければささくれた関係になり、時には戦争になったりもする。注連縄のように毎年新規更新する条約ならまだしも、手入れもなく古くなれば朽ちて融解することもある。それは民情のように潤った風、乾いた風によって更新の方法や条件も変わることでもある。縄つくりも多少湿り気のある藁のほうが縒りもシッカリしているという。...日中の縒(より)をほぐすために、各々の民は・・・2010再

  • いずれ日本は負けると・・ 1989 年北京 あの頃

    無関心な民と関心意識の豊かな民の問題でもある。以下は権力との関わり方である・・1989年5月15日ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が訪中した。国内の特権階級の腐敗、米国との軍拡争いによる経済の停滞、国民の怨嗟に敢然と取り組み、その改革の端緒が開けつつあるときの訪中である。そもそも両国は共産党とは名乗っているが政治体制はともかく民癖が大きく異なる。また実験国家の如く一連の共産主義的政治仕様の試みが一応のデーター結果を集積し、かつコミンテルンという不可思議な字句を掲げ様々な民族、地域に浸透させた。一方は資本主義、自由、民主、人権、一方は解放、平等を謳ってつばぜり合いを行なってきたが、お陰で双方のお題目を食い扶持とする似非知識人を大量生産した。それは学派となり兵隊ごっこ宜しく、覇を唱えつつ国家の連帯と調和を崩し...いずれ日本は負けると・・1989年北京あの頃

  • 「人間考学」 人の心の進む方向を知る 2014 12 再

    それはコンビューターの2000年問題が起きる以前、今から16年前のことだった純朴で稚拙な童のころに目にした西洋の章を想起したその結果は民族固有の暦(カレンダー)を亡きものとして西洋歴に収斂される企てだと、後で知った。人々の成功価値は数値による財貨に向けられ、そのグランドも降り注ぐ「情報」という案内(インフォメーション)に先導され、ハーメルンの笛吹の逸話や羊飼いの群れのように、笛や一頭の牧羊犬に従順となってきた。掲げられた「民主と自由」によって人々は仮装した自由を疑いもなく受け入れ、嬉々として民族の連帯を解きながら個別から孤独への道に迷い込んた。国家は融解し固有の情緒も崩壊した。戻るべき所もなく、唯一偶像視する財貨の欲望に狂騒し、為政者の執る政治すら無意味なものとした。それは、気がつかないように、いや気がつくこと...「人間考学」人の心の進む方向を知る201412再

  • 人間考学 君は手を差し出して貰えるか 8 11/20 あの頃も

    孤立無援、国会で粛軍演説を行なった斉藤隆夫タダでくれるものには、意味がある。それが乗数効果という国民を相手にした投資なのだ出したら回収することは銀行も同じ手法だ。以前、別枠信用保証があった。中小商工業者は競って借りた。借りた途端、金融機関は今までの負債と相殺した。数兆円の資金は真水といわれる使える資金ではなくなった。しかも金融機関は日銀に還流したが政府保障貸出金より多くの資金が日銀の金庫に回収された。エサを撒いて大魚を釣ったのだ。流動資金は枯渇してサラ金、商工ローンへ追いやることになった。この政策で助かったのは金融機関だ。だが貸借バランスは良くなったが、国債は買わされ、これもエサになった。天邪鬼の屁理屈だが、金をくれると云われた時の人間の姿を考えてみた。まずは、民主の時代の政府と国民の関係におかしいと思わないか...人間考学君は手を差し出して貰えるか811/20あの頃も

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