哲人、岡本義雄は学び舎エリート(選ばれ、優れたもの)を「蘞利偉人」(エリイト)と造語した。与えられた課題に疑問すら抱かず、あくせく答えなるものを出すために熱中して、これまた商業化した学び舎において労働者教員が判定する数値によって選別され、生涯賃金の多寡を人生の目的とし、国家なるものの下僕である官域に生息する、その群れを岡本は俗称「蘞利偉人」と呼んでいる。ときに和製宦官とも記すが、陰茎を切り取って宮中の募集に参集する漢(オトコ)ならぬ男子と類似して揶揄している。満州崩壊のおり佐藤慎一郎氏は最後の重臣会議に招かれた。甘粕など重臣が集う会議において、満州国崩壊の土壇場において右往左往する重臣たちは腰も落ち着かず、史上はじめての日本人が異国での亡国時の対処に妙案すらなかった。そこで、二十年余にわたって異民族の生活...蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる