清朝末の哲人、梁巨川(桂林出身)の「一読書人の節操」に編者である景嘉氏はこう記している。「人が人でなくて、どうして国家が国家として成りえようか・・」と。中国の歴史にみる栄枯盛衰は、夫々の機会ごとに人間の所作を記している。歴史に問われる臨場の真贋を四角四面に探索することもあれば、天空から眺める楽しみもある。それは合理的考察と思える学び、あるいはアカデミックと称する唯一の向学観念だけではは感受することのない「腑におちる」覚り方でもある。だが、近代の学制はそれらを集積しながら知識の応用とする上で有効な「人間学」として顧みることは無かった。とくに主義なるものが食い扶持方法まで支配すると知学修得が滞貨となり、利学に伴って詐学、錯学まがいの分野まで広がった。桂林近郊いや、そのものを思索したり観照したりするスベもなく、...「五寒」に観る、国家衰亡を止める法則08,12再