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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 「五寒」に観る、国家衰亡を止める法則 08,12再

    「五寒」に観る、国家衰亡を止める法則 08,12再

    清朝末の哲人、梁巨川(桂林出身)の「一読書人の節操」に編者である景嘉氏はこう記している。「人が人でなくて、どうして国家が国家として成りえようか・・」と。中国の歴史にみる栄枯盛衰は、夫々の機会ごとに人間の所作を記している。歴史に問われる臨場の真贋を四角四面に探索することもあれば、天空から眺める楽しみもある。それは合理的考察と思える学び、あるいはアカデミックと称する唯一の向学観念だけではは感受することのない「腑におちる」覚り方でもある。だが、近代の学制はそれらを集積しながら知識の応用とする上で有効な「人間学」として顧みることは無かった。とくに主義なるものが食い扶持方法まで支配すると知学修得が滞貨となり、利学に伴って詐学、錯学まがいの分野まで広がった。桂林近郊いや、そのものを思索したり観照したりするスベもなく、...「五寒」に観る、国家衰亡を止める法則08,12再

  • 男子は大法螺を吹く気概をもて 10 6・16 再

    男子は大法螺を吹く気概をもて 10 6・16 再

    以前、台湾出身のモノ書きが、「孫文はペテン師だ」と記した。孫文は両岸をはさむ中国も国父と敬している。近代化の父を正統の証として敬することはよくあることだが、民進党の陳総統も孫文の掲額に就任の誓詞を述べている。生前、死後を問わず民族の長(おさ)は両岸の政治為政者を違えても厳存している。台湾は民主化で、゛言論は自由だ゛、というが、何でも言いっぱなしの日本に来て、たとえ形式であれ国父として推戴されている人物を罵倒する感覚は日本人にはない。いや、一番忌み嫌われ、馴染まない心根でもある。そのとき小生はこう応えて記した「革命家の行為や言を肉体的衝撃の無い安逸な時代に、゛言い捨て゛をすることは彼の国の九儒、臭九老と蔑まれている知識人にある姿だ。まして革命家はペテン師で、謀略家、大風呂敷、法螺吹き、女性好き、でなくては表...男子は大法螺を吹く気概をもて106・16再

  • 蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

    蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

    哲人、岡本義雄は学び舎エリート(選ばれ、優れたもの)を「蘞利偉人」(エリイト)と造語した。与えられた課題に疑問すら抱かず、あくせく答えなるものを出すために熱中して、これまた商業化した学び舎において労働者教員が判定する数値によって選別され、生涯賃金の多寡を人生の目的とし、国家なるものの下僕である官域に生息する、その群れを岡本は俗称「蘞利偉人」と呼んでいる。ときに和製宦官とも記すが、陰茎を切り取って宮中の募集に参集する漢(オトコ)ならぬ男子と類似して揶揄している。満州崩壊のおり佐藤慎一郎氏は最後の重臣会議に招かれた。甘粕など重臣が集う会議において、満州国崩壊の土壇場において右往左往する重臣たちは腰も落ち着かず、史上はじめての日本人が異国での亡国時の対処に妙案すらなかった。そこで、二十年余にわたって異民族の生活...蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

  • 台湾における被災復興の人間力

    台湾における被災復興の人間力

    台湾緋桜自然環境の繰り返しの変異は、まさに「天変地異」の情況になっている。またもや体感する人間社会の様相は、政治の混乱や醜態に倣ったように、いままでと違った異種の犯罪が蔓延し、しかも繰り返す刺激に慣らされているかのように、人の口(話題)にも乗らず別の刺激を求め他人事としてしか考えられなくなってきた。故事に「人心は微かなり」とあるが、天変地異に順うように人心劣化に進んでいる。とくにその影響は土壇場に現れるのが通例である。3.11震災と原発罹災、熊本、能登の地震や各地に起きる風水害などにおきる行政の対応、住民の協働、ポランティアのヒューマニティーなど初期行動から復興まで、多くの問題点が指摘される。夫々は所定の目的をもって必須の行動をするが、問題となるのは法の適応、想定する準備(訓練、備蓄)などだが、その焦点は...台湾における被災復興の人間力

  • 「そのことを、もっと早く知っておきたかった」 08.6再

    「そのことを、もっと早く知っておきたかった」 08.6再

    威容を誇る弘前忠霊塔戦争を知らない公人たちに呈す拙意乱文で恐縮ですが・・・筆者が都下東久留米に住む巣鴨プリズンの教誨師を務めた花山信勝氏との面談の折、秘話が語られた。花山氏によれば、東條氏との面談のなかで宗教の話題に及んだとき、氏は「そのことを、もっと早く知っておきたかった」と述べている。どのような意味を内包した言葉であるかは、宗教人との応答であるため深遠なものだったと推察する。それは明治以降の軍人教育の習得過程にみる戦術の合理性を追い求めるあまり、軍人としての教養である死生観や恩讐にかかわる情緒の涵養との調和のあり処についての応答だったのだろう。それは四角四面にみえる官僚のセクト主義を役割の任ではなく緊急時の大権責任の存在と、それに埋没してしまった「相」としての任の部分構成のみならず、組織全体を俯瞰する...「そのことを、もっと早く知っておきたかった」08.6再

  • 文教利権 得意な分野で緩み挫折すること. 17. 6/21再

    文教利権 得意な分野で緩み挫折すること. 17. 6/21再

    数年以上前の掲載ですが・・・。やはりボロがでたようだ。このところ国会の争論は教育行政の緩みに集中している。あの頃はみな純真だった。嘘や隠し事は恥だと教えられ、国家社会のために理想を掲げて政治家や官吏に志願した。それが煩いごとが露呈した途端、鬱になったり躁になったり、鎮まりもない人間に成り下がっている。「智は大偽を生ず」のたとえあり。彼らの学びは自己の陶冶には向かず、己を欺き、他に偽善を働くための智になってしまった。他の貪官や陣笠は解っていても口をつぐみ、人の失敗を陰に悦び、勇気のかけらもない。相変わらず「お願いします」と平身低頭の嬌態で有権者を惑わせ、票(委託権利)を騙し取る。黙々とご精励する国父(陛下)の苦衷、如何ばかりかと・・・1989北京文部科学省といえば公私問わず教育に関する許認可や科学技術に関す...文教利権得意な分野で緩み挫折すること.17.6/21再

  • 総理は聞く力があるというが. あの頃

    総理は聞く力があるというが. あの頃

    2021年「聞く力」の総理が登場した。マスコミは「聞く」と書いている。本人からも「キクちから」とはいうが、聞いたことにする、聞くだけでは務まらない。所属派閥の宏池会の命名は、漢学者安岡正篤氏。事にあってはうろたえず、騒がず、余裕をもって任務に充るような意味ではあるが、今の議会は弁護士も多く、裁判所の如く、こまごまとした法廷の様相がある。マスコミも聞く総理とはやしているが、本来は「聴く」である。つまり国民の妙な声を聞き流すことも事と次第によってはあるが、身を入れて真摯に意を汲みとるなら聴くべきであろう。国民にヤサシク伝えることでも、人を憂うる「優しく」ならまだしも、誰に合わせるのか「易しく」なっている。多くは相手の理解力に合わせて「易しく」なっているのだが、内容は内外の世情を正しく伝えたり、人間の情感の歪み...総理は聞く力があるというが.あの頃

  • 羯南も熊楠も真之も、そして正篤すら歎いた点取り官学の愚 10.6再

    羯南も熊楠も真之も、そして正篤すら歎いた点取り官学の愚 10.6再

    南方熊楠世の中はかくあるもので仕方がない・・・その手の人には以下の章は煩わしい内容だが、それらの人間にとって人生は既存のタガに悩みつつも安逸平穏に過ごすための常識として理解されているようだ。彼らは情緒とか心情という目に見えないものはは解析しようが無いという。だがネガティブに裏読みすることは殊のほかピントとがあっていなくても得意なようだ。解析しようとする習慣性は,具体的行動の多くを占めている覚悟なり自身の目的構成などは読み解けない。ただ経過の記録と結果の定説である。明治以降の官制学の大きな欠陥は、人間を感じ悟ることへの無理解と無価値への誘引だった。しかし、彼等は少し違っていたが、世間は理解しがたき人物であった。とくに官学という国家の行政が「策」として施す政策では理解の淵にも届かない問題でもある。文部省の政策...羯南も熊楠も真之も、そして正篤すら歎いた点取り官学の愚10.6再

  • 逍遥録 伝、エリートの呟き

    逍遥録 伝、エリートの呟き

    下北カマブセ山文化文明は興隆し、財貨を蓄え矛と盾を増大し、「高学歴」と称するものが増えても、世の中の「なぜ」に妙答も智慧もない。世の先達たちは死生観もなく、いたずらに死を恐れ、繁栄の残滓を残したまま戸惑い生きている。笑談の臨機に切り口が見つかったように突然、耳元で口からもれた至言があった。伝とは、絵画の作者などの、゛そのように伝えられている゛作品だ。掛け軸などで江戸時代の作者名が揮毫されているが、本物か偽物か真贋は判別しないが、その作者だと伝えられているという意味で「伝」と冠される。ある晩のこと友人が、「安岡先生の文なり言葉は感性を以て理解しなければならない」と発言した。戸惑ったのは感性への理解だった。彼は学び舎エリートで派遣留学でスタンフォードで早々とドクターになって帰国、官域でも高位を得た人物である。...逍遥録伝、エリートの呟き

  • 優しさへのとりなし

    優しさへのとりなし

    「郷に入れば、郷に倣う」と年上に諭されたが、人情や道徳心はたとえ異郷や異民族の地に入っても、変わるものではない。よく言われるのは、すみません、わるいね、は自分の罪?を認める事になるので言わないようにと教えられる。エキスキューズミーに似た心を譲る「礼」の意味だが、使う場所にもよるらしいが近ごろは無言も多くなった。近頃は人の様子を覗うような情報は欲しいが、自身にとっとそれほど有用でもないものは見向きもしないといった手合いが増えているようにもみえる。少々、へそ曲がりな観察かと反復もするが、その傾向はある。とくに安易、つまり易しい事柄ばかりに慣れてくると当然のことだが考えることすら面倒になってくる゛易きに流れる゛とか容易ににある自身の小さな「容器」に納まるものしか考えられない状態になってきている。「容」・・かたち...優しさへのとりなし

  • 貪りの民の必須学 「賄賂学」の提唱 11 1/20再

    貪りの民の必須学 「賄賂学」の提唱 11 1/20再

    2012年夏隣国、中国の専売かと思ったら、防衛庁、国交省、東京都まで騒いでいる。こちらもオスプレイ同様ヘリコプターや地下に潜った水道工事、どこにでもその種はある。尖閣竹島も大切だが、納税者にとってはこのバチルス退治の方が重要だ。こんなことをしているから狡猾官吏の手玉にのった貪り議員の扶養費(生保)押し込み、便宜供与が目立ち、議会答弁でも官吏の不手際の言い訳を議員が負っている状態になる。あえて極論、奇論のごときに映る「賄賂学」の提唱は、実に合理的実利の真理であろうと考える。どうだろうか・・・、体形化して論理付けたら面白い学説が現われるのではないだろうか。今の時節、この教科に取り組むもの益々多くなること必然。まずは東大法学部や警察大学校が魁となれば国家にとって有益なる効果が出るはず。以下、再掲載少々、長文だが...貪りの民の必須学「賄賂学」の提唱111/20再

  • 中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

    中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

    佐藤慎一郎先生孫文は側近の山田に、「真の日本人がいなくなった」と呟いた。その山田の甥、佐藤慎一郎は敗戦まで二十年以上も中国社会で生き、その体験を通じて、戦後は中国問題の泰斗として要路に提言や気骨ある諫言をした人物である。その佐藤氏と筆者の応談は音声記録「荻窪酔譚」として残されている。いつもは荻窪団地の三階の居間で御夫婦とご一緒の酔譚だが、悩み,大笑、ときに不覚にも二人して落涙することもあった。「これもある」と、長押に設えた棚から降ろしたり、背後の書棚から引き出したり、それでも「ほかの方がご覧になるから」と遠慮すると、数日して依頼文を添えて送付していただく。すべて音声応談に関することだが、講話依頼の課題に逡巡すると、その音声を聞くたびに、無学な恥知らずを回想している。昨日のこと、アジアの「そもそもの姿」を考...中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

  • 明治人は、人間キャッチボールで遊ぶのが好き

    明治人は、人間キャッチボールで遊ぶのが好き

    台北国父記念館素行自得の逍遥≪以下は拙い備忘録ながら、学びの活学として、経済活動の実利としても潤いのある情緒性であろうと記す≫キャッチボールは野球の用語で、ボールを投げ合う、やり取りをすることだが、ここでは若僧が球になって、それぞれ世間では異様で老練な人物の間て゛、゛試される゛゛仕込まれる゛ようなことが戯れのように行われた。その球は、磨かれていない原石が投げ合う内に少しづつ角がとれることの様だった。その球(たま)は小商人の倅に生まれ、文部省の狭い学科に不思議さを覚え、かつ数値によって人を評価選別することに不思議が昂じて反発心さえ抱いていた。だからと云ってその問題意識を高めて探求し解決するすべも持ち得なかった。投げる方は「このように仕込んだ」とおもって送っても、送られた方は「違う仕込み方をして返してくる」そ...明治人は、人間キャッチボールで遊ぶのが好き

  • 人間考学 もの書きの懐と覚悟 2018 1/1 再

    人間考学 もの書きの懐と覚悟 2018 1/1 再

    津軽岩木※懐・・・カネ勘定雅(みやび)心までとは思わないが、下衆な下心を隠すような騒がしい人間が増えてきた。軽薄と見た大衆に迎合し、商業売文に勤しみ、紙離れの昨今は名を知らしめて口舌の輩になり漫談並みの講演を稼ぎにしている言論貴族も増えている。それは、国家の外敵危機を煽り、経済予想で懐銭の多寡を憂慮させ、さも容易な解決策を無責任、かつ詐欺的話法で食い扶持稼ぎ場として浮俗に漂っている。ある週刊誌の記者だが退職して物書きになった。ネタは戦記物の逸話や事件物だが、情感が薄いせいか物語小説は書かない。小説と言っても明治のころは、今でいう漫画の類で、格落ちの売文屋と蔑まれていた徒の部類だった。商業として成り立つようになると部数を競い、勝手に大衆文学と称するようになると、流行りのカルチャー(文化)に乗じ、新聞連載やテ...人間考学もの書きの懐と覚悟20181/1再

  • そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である 2020 あの時から

    そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である 2020 あの時から

    旧掲載だが、あの頃も同じことがあった。そもそも悪党と言うが、善党とは言わない。犯罪でも黒は容疑者、白は無罪という。党の旧字は「黨」、つまり黒を賞する、まして白は党ではない、連(ツル)まない。群れにならず党からは弾かれるのが白のようだ。黨には掟がある。とくに悪党には厳しい掟がある。口の軽さと裏切りだが、ゆえに嘘が上手くなる。むかし、「政治家は人を騙して雄弁家という」一種の戯言があった。近ごろは「会」を装っても腹は黒が多くなった。市井の陶芸家の作品検察官の人事に黨に政治家の介入があったと騒いでいる。幕府でいえば目付の食い扶持を担保するような話だが、あんたの都合で決められては、タマッタものではないという事らしい。下座から眺めれば、暗記上手の学び舎エリートが一方は政治家になり、一方は官僚となり、お手盛り利権で政治...そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である2020あの時から

  • 人間考学 腰の落ち着かない国防迷論 あの頃も

    人間考学 腰の落ち着かない国防迷論 あの頃も

    あの国はともかく、そろそろアジア回帰するべきだとの意見が起きている。トランプ大統領は日米安全保障は片務的でおかしい、商船は自国で護るべきだ、との発言を受けて専門家と称する人たちが騒いでいる。在日米軍は「瓶の栓」ともいう。先の大戦や、それ以前の日露,日中と戦った異能な兵士と経済力に、いつかまた、という危機感がそう言わせたのだろうが、今の浮俗に戯れる国民には覚悟も能力がない。それより無関心だ。まして国防組織そのものが大国に取り込まれている状況では、防衛や偵察は長けても、戦闘は装備も教育も難しい状況と慣性に成っている。いわゆる「瓶の栓」は必要なく、却って米軍の情報収集力は、あの橋本総理の経済交渉の内輪話を盗聴するように、金融や経済を矛として有効性を増している。それは日本が資本市場構築のキャッシュディスベンダーの...人間考学腰の落ち着かない国防迷論あの頃も

  •  再読 民主と自由 長(おさ)のいない国家 09/7あの頃

    再読 民主と自由 長(おさ)のいない国家 09/7あの頃

    敬重なき国家は滅びる安岡正篤翁ことさら権力をひけらかす訳でもない長(おさ)の首取りが流行のようだ。それは人間が他の人間に言葉や行動を譲ったり、補い合いながらスパイラルを描くように推戴する長(おさ)の立場への敬重や、暗黙の契約というべき長との関係の在り様が希薄になっているからだろう。長(おさ)が軽くなったのでもなければ、過大な罪科をともなう過ちをしたわけでもない。ただ、゛下りたほうがいい゛くらいな声が増したために地位を下りるのである。別段、小物だの大物だと評するものではないが、推戴する側もされる側もアンチョコにも易く考えているような傾向があるようだ。華人の俗諺にあるように「天が落ちてきたら、一番高いところに当たる」、つまり厄災は総て長(おさ)の責任として甘受すべきであるからこそ、たとえ時の運によって縁により...再読民主と自由長(おさ)のいない国家09/7あの頃

  • 死亡推定時刻もなく骸になったモノ書き

    死亡推定時刻もなく骸になったモノ書き

    天田五郎長じて愚庵数回に分けて抜粋連載した「アメリカよあれが文明の灯だ」は大西洋単独横断で有名なチャールズリンドバーグの逸話を記したものですが、筆者は「明治遊侠伝」を書き残しています。あるとき持参して、出版元も連絡取れない、どうにか再編して写真も入れたいと云ってきた。こちらも記載されている出版元に連絡をしたが、やはり不通。それならばと、金持ちになりたい、有名になりたいためかと問い、「いや、このような人物を世に知らせて、せっかくの人生に古い人間だが主人公の生き方と、それを面白がって育てた明治の傑物たちの心意気を知ってもらいたい」と。それならばと、ジスイ(綴じ目をばらしてデータ化」して、登場人物の写真を入れ、難解な文字を変換したりして、どうにか形は整った。題名は登場人物がたどりついた禅の僧名「愚庵」とした。以...死亡推定時刻もなく骸になったモノ書き

  • 時節に踊る 腹話術会議

    時節に踊る 腹話術会議

    国会から町内会・PTAまで様々な会議と称する集いがあるが、散見るのは親分のコントロールによる正式委員の腹話術のような意見だ。とくに、゛村社会゛と揶揄されるような共同体では親分、ここでは、゛主だった人゛といわれる有力者や組織の先輩の意向が委員をコントロールしてロボットのように使役するようだ。一人前の意見を述べているようで方向性は親分の意向どおりのコントロールだ。別に生活保障されているわけでもなく、なんら服従する理由もないが、ここでは逆らえないような、言うに言われぬ風圧があるようだ。国会では派閥のボス、党の意向、町では世話になっているわけでもないが昔の地主や先輩の存在が大きな影響がある。ここでは悪しき意味での忖度がある。心を察して随うのだが、ボスには責任は及ばない。ここでは全体を構成する不特定多数の利福などは...時節に踊る腹話術会議

  • アメリカよあれが文明の灯だ Ⅷ

    アメリカよあれが文明の灯だ Ⅷ

    春は枝頭から星よさらば十一章―サンテクジュペリのこと―アレクサンドロ・ド・サンテクジュペリは、今や日本でも、人気のある、有名な作家である。特に「星のお王子さま」で、群を抜く評判だ。アニメ映画も、フランスで作られている。みな戦後の評価である。日本翻訳は、内藤濯(アラフ)、その人と作品に惚れこんで、訳した。しかし、戦中、昭和十四年、五年―一時、その作品は、白水社から、少部だが、連続刊行され、一部の層には、斬新なスタイル、鋭利で磨かれたセンス、文体を珍重されている(当時の翻訳は堀口大学)(第一書房)生前、リンドバーグとは、二度しか逢っていないが、互いに敬畏と共鳴を抱き、リンドにとっては、カレルに次ぐ話しの通じ、よく分かる益友だった。更に、アンにとっては、無上の人この頃までは、理想の太陽の人だったのは夫のリンドバ...アメリカよあれが文明の灯だⅧ

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