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ブログタイトル
まほろばの泉
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
ブログ紹介文
亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集
更新頻度(1年)

119回 / 365日(平均2.3回/週)

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まほろばの泉さん
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まほろばの泉
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まほろばの泉

まほろばの泉さんの新着記事

1件〜30件

  • 平民なりに観る憂慮ある現れ

    筆者、世が世であれば・平民の部類である。明治のころ、文明開化だの近代化だのと騒ぎ立て、藩主は華族となり、高知の山内容堂藩主曰く「維新の無頼の徒」も功績をあげれば男爵など爵位が付いた。それらはベタ金と揶揄された記章で衣服を飾り貼り付け、勲章をぶら下げて髭を撫であげた。あの智将と謳われた秋山真之が天祐(天の助け)と呟いた日露の戦勝に際して、舞い昇り偉上高になったのも、その元無頼の徒だったが、当の凱旋将軍の東郷平八郎は明治神宮の参拝にはうつむいて、まるで敗軍の将のようだったという。乃木希典も同様だ。それは戦地臨場にあり敵味方にかかわらず多くの若者を死地に赴かせた哀悼惜別が終生、事あるごとに想起されていたからだ。現代でも大戦を境にして戦前生まれの政治家はその惨禍を体験しているからか、「戦争の知らない政治家は危ない」と警...平民なりに観る憂慮ある現れ

  • 桜はどこでも見るが、リンゴの花は・・

    ・桜前線と名付けて南から北に向かって開花がすすんでいる。どこの在所でも桜に誘われるように人が集まる。川辺や名所旧跡などには必ず桜が植えられているが、どこでもふるさと自慢が盛んだ。日本列島は前線を追って約二か月間は桜を堪能できる。そこで変わり者は染井ヨシノが散り、八重が終わるころを狙ってリンゴの花を楽しみにいく。先ずは雑踏がなく静かだ。足を入れるリンゴ畑の土壌は柔らかい。とくに青森県津軽地方は秋のリンゴ、連休の五月をおえて自然が清々しい。連休の弘前城内は桜だが目の前の岩木山はまだ雪をかぶって夜桜はまだ肌寒い。五月のなかば、津軽平野はリンゴの花で満開だ。美空ひばりの「津軽のふるさと」そのままの情景がひろがる。青い空、まだ残る八甲田や岩木の冠雪、色めく草花、山菜採り、筆者はこの季節の津軽がことのほか居心地が良い。よく...桜はどこでも見るが、リンゴの花は・・

  • 嫉妬は正義の仮面をつけてやってくる、とはいうが・・

    陛下の祷りも通じない群れの醜態だが、これは国家のバチルスの一例である。社会はますます重症化している。標題はその趣としてよくあることだが、昔なら国賊とかいわれた類の群れの一人だ。組織でも人事の恨み、蟻塚を作って対立し抗争したり、排除されたとおもっている側は、組織の、゛そもそも゛目的を掲げたり、反論もできないような、民主、自由、平等。人権を掲げてその正当性を突いてくる。しかし、以下に掲載する事例は狡猾な上級職公務員の所業である。しかも学び舎エリートの醜態は後の東電・関電幹部、後の佐川理財局長の国税長官への褒賞的栄転などの因となる隠蔽改竄行為など、金品や文書情報についての恣意的行為がはびこっている。これに湧くのは嫉妬ではなく、公の憤慨である。それを助長するのは迎合しつつ血税を吸い合う政官の狡猾な「狡務員」の醜態である...嫉妬は正義の仮面をつけてやってくる、とはいうが・・

  • 可愛い女傑たち 2017 2 再

    俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。以前、政治評論家の板垣英憲氏の主催で「可愛い女傑たち」というパーティーに誘われた。普段は政治の裏側や政策評論などを生業としていた板垣氏の呼びかけだったが、参加者はそれなりの女性だが、みな一堂に揃うのははじめてらしく利発さと相まって、どこかツンと澄ましていて気弱な小生などは会話もままならぬ雰囲気だった。三分一の男子は役人か企業サラリーマン風情、渡された名刺には公正取引委員会と厳め...可愛い女傑たち20172再

  • 碩学の双心と憂鬱 その三

    箱根、バル・下中記念館蔵東條英機氏安岡正篤氏は「続、人間維新明治維新百年の変遷」でこう著している《スパイの一番大きな目的は相手国の国策を誤らせることである。とにかく大東亜戦争で日本は国際謀略というものに引っかかって敗北した。謀略に対して暗かったという、不明がある。決して物量に敗れたとか、何とか言うような簡単なものではないということを、諸君たちは知っておいてよろしい・・》文頭に戻ってみよう苗剣秋の大書の意味とガラスケースの中の敵国資料の持つ意味を推察して欲しい。ここに佐藤慎一郎という人物がいる辛亥革命の領袖孫文に共鳴して恵州の戦役で日本人でありながら、あくまでシナ人と言い張って処刑された弘前出身の山田良政、孫文の側近として日本人唯一孫文の臨終に立ち会った弟純三郎を叔父にもち、大陸二十年の経験から日中史の歴史的証人...碩学の双心と憂鬱その三

  • 碩学の双心と憂鬱 その二

    若き蒋介石と辛亥革命の先輩山田純三郎苗剣秋氏について参考拙書「張学良鎮す」より抜粋・・夫人は待ちかねたようにベットから起き上がって持参したケーキを食べた。すると、「苗先生は西安事件は関係無いんです」突然の言葉である。「その話を伺いたくて訪ねたのではないですよ」考えもなく応答する「あのとき先生は天津にいたんです」只,黙って口元を注目するしかなかった西安事件の立役者である苗氏のことは佐藤師にも聞いている北方の軍閥,張作霖の子として生まれた張学良の学友として張作霖に可愛がられ、持ち前の利発さから日本に留学。一高帝大難関高等文官試験に合格。張学良率いる東北軍の顧問として活躍し、周恩来とも懇意で事件前後さまざまな想定問答があったことは以後の推移をみてもわかる事だ。また、佐藤師とも懇意であった苗氏の状況をみても事件の大筋は...碩学の双心と憂鬱その二

  • 碩学の双心と憂鬱 再読

    苗剣秋婦人(1989台北)武蔵嵐山の郷学研修所に併設されている安岡正篤記念館に驚愕する資料遺物が展示されている。一つは縦3メートル横1メートルという全紙様の漢詩文である。内容はともかく作者は苗剣秋と記されている。関連するものとしてガラスケースに米国側資料として、終戦に導くため影響力ある日本人の筆頭に安岡正篤氏が記されている英文のタイプ様の資料がある。小生は早速、記念館関係者に撤去を促した。もしも、諸外国の評価が影響力ある人物の第一人者という増幅された価値と、苗剣秋という日本人には馴染みの薄い人物からの贈物の意味を、これまた評価の金屏風にすることはよくないことであり、かといって四角四面の考察を建前上述べる苦渋の深慮を理解されるとの期待からでもあった。苦渋の深慮とは、昨今浮上してきた観のある安岡氏への錯誤した興味と...碩学の双心と憂鬱再読

  • 我国の宰相は「掃除大臣」たるべし 2008 10/8 再

    悪戯な標題ではない。今を見て臨機に為すべきものを知らなければ「政外」(政治のピントが外れる)こと疑いなし。゛掃除゛は掃き、除くことである。それは倹約につながり無駄を省くことにもなる。歴史に尋ねれば、このような姿が国家、社会、民衆に現れたら、先ずこれに取り掛かるのが権力者の任だった。干支では「戌」の期に当てはまる。草冠をつけると茂るとなるが、同じ「繁」とは異なり、植栽をしない為に風通しが悪くなり樹木全体が枯れてしまうために「刈る」という意味でもある。これを国の機構なり、会社の組織に当てはめると、「弛緩」つまり心の弛みになって組織が停滞し無駄も滞留し「患う」ことになる。多くの組織は人によって動いている。しかし、その人心が弛み、機械などによって労働感性が衰えたりすると全てが受動的になり、国家をして、゛誰かがやってくれ...我国の宰相は「掃除大臣」たるべし200810/8再

  • 人間考学  ある任侠の逍遥備忘として

    「逍遥」自由で気ままな,何ら束縛されない歩みその世界では雲の上の方といわれている人物である。趣味は読書、それも小説の類でなく、内外の栄枯盛衰にみる人間のあり様など、難解な古典を丹念に精読している。反社とか暴力団と呼ばれる立場だが、市井の下座からみる観察は鋭敏だ。ときおり当局(警察)の上級職が訪れるが、傾聴して聴きいっている。足が速く国体にも出た。本当は体育の先生になりたかった。そんな任侠といわれる人物の回顧でもある。任侠の旅した津軽平成26年5月憚りながら一言、つれづれ心に思っていることを述べる齢七十五になったが、いまだ童心のごとく、あの郷里の山野を駆け巡った初心(ウブ)な心が甦る。くわえて、世間を四角四面に渡る人生となった滑稽さをも感ずるのである。家庭も顧みず、律義で人の世話焼きに没頭していた厳しい親父、それ...人間考学ある任侠の逍遥備忘として

  • ゴマメの歯ぎしり  腰の落ち着かない国防迷論

    あの国はともかく、そろそろアジア回帰するべきだとの意見が起きている。トランプ大統領は日米安全保障は片務的でおかしい、商船は自国で護るべきだ、との発言を受けて専門家と称する人たちが騒いでいる。在日米軍は「瓶の栓」ともいう。先の大戦や、それ以前の日露,日中と戦った異能な兵士と経済力に、いつかまた、という危機感がそう言わせたのだろうが、今の浮俗に戯れる国民には覚悟も能力がない。それより無関心だ。まして国防組織そのものが大国に取り込まれている状況では、防衛や偵察は長けても、戦闘は装備も教育も難しい状況と慣性に成っている。いわゆる「瓶の栓」は必要なく、却って米軍の情報収集力は、あの橋本総理の経済交渉の内輪話を盗聴するように、金融や経済を矛として有効性を増している。それは日本が資本市場構築のキャッシュディスベンダーのごとく...ゴマメの歯ぎしり腰の落ち着かない国防迷論

  • 人間考学 石破氏に比して、昇るだけで、くだらない人たち

    上善は水の如し埼玉県名栗湖「昇官発財」とは隣国の官吏のならいだが、官位が昇れば生活は安定し、俸給は担保され、退職後は天下りで民の労を貪る、まさに内なる賊だ。「外の賊破るは易し内の賊破るは難し」外敵は他国、「内」は国内や己の欲心のことだが、これが甚だしくなっている。歴史上、多くの功績をあげた人物でも晩年を汚す者もいるが、人の愛顧として残像し語り継がれる人物もいる。日露戦争では陸軍大臣で将来の宰相として謳われた児玉源太郎は、二階級降格して満州派遣軍総参謀長として乃木を援け、難攻不落の旅順陥落を智略した。人を観る眼も秀逸だった。官界では変わり者の医官後藤新平を台湾民生長官に抜擢した。その縁はコレラが蔓延していた満州からの帰還兵二十万人の検疫を行い、国内感染を防いだことだ。つまり、専門は医官だが台湾の民生向上にも役立つ...人間考学石破氏に比して、昇るだけで、くだらない人たち

  • 子供たちを商品にする大人たち 2013 2月 再

    ベンガルこども新聞無料配布世代の市場ターゲットは年々若年化している大人が面白がって子供と戯れている経済の市場は消費者の嗜好を追いかける、あるいは餌をぶら下げて誘引し、囲い込む。大手の新聞社が新しい市場として「こども新聞」を発行し始めている漢字にルビをふっているが、まず子供が使わない熟語が入っている。新聞社もこどもの商圏に敏感になっている。もちろん広告もそれに続く。影響力のあるテレビも追従している。幼児や子供向けの企業広告を集めて、育児衣料教育と称して外国語、受験準備と、世の流行ごとに敏感な母親を子供ともども煽っている一部の母親たちはゴルフにエクササイズ、カルチャーと競っていたが、いまは子供を愛玩(オモチャ)として衣服の着せ替えや、芸の仕込みに夢中になっているそしてテレビに売り出すことに懸命となっている。一方では...子供たちを商品にする大人たち20132月再

  • オリンピックという興行に、さもしく なること 2013 2月 再

    種目にない剣道は落ち着きを維持していることさら反対や、白けて無関心だからと考えるものではない。だだ、政府なり自治体為政者は鎮まりを以て歴史を俯瞰し、将来を逆賭したような施政を都民はみたいと願っているのではないだろうか、あるいはそんな面倒なことを考えないと一瞥さえしない人たちにも、民癖のようになった好奇心、迎合心など、そのまま投影したような政治メッセージは、いずれどのような状態を導くのかを政策意志を通じて魅せてほしいと思うのである。以前、あの石原新太郎さんがIOC(国際オリンピック委員会)総会に皇太子殿下の出席を依頼したことがある。学習院の運動会でムービーカメラを抱える殿下ならひと肌ぬいでいただけるだろうとの気分だったに違いないが、そこは宮内庁の職員が踏ん張った。そこで「宮内庁ごときの役人が・・」と殿様気取りの荒...オリンピックという興行に、さもしくなること20132月再

  • 学識と人格 08 2 再

    頭山満タゴール私論だが・・・このところ起きる様々な事件、事象を歴史に記述するにあたって、その因果関係を考証するに、旧約聖書の預言に求めたり、地球が宇宙の構成要因として物体経年上避けてとおれない大気の変質や基盤変化などが、人間の所作である歴史の現象に深くかかわっているような論を聞くことがある。分派、分裂してボスとその他一同を抱える学派にはみることはないが、これも人間の「識」の変遷とすることを歴史考証の成り立ちとして、また現代学徒そのものの考証としても面白いものがあるようだ。彼らのいう珍奇、高邁な仮説のもとに西洋学にある科学的根拠の組み立てと分類を披瀝する苦労は、東洋にある変化する動態を俯瞰するような活論の透徹さと、将来に評価を委ねる余裕とは異なる学である。もちろんボス依存の食い扶持学、面子学のような類もそこに見え...学識と人格082再

  • オンナの色気とオトコのその気 2018 3 あの頃

    オンナの色気とオトコのその気遺伝子組み換え食品によって精子が乏しくなり、゛その気゛が失せ、かつ女性化する。逆に女性が男子化する、そんな謀略じみた流行り話ではない。居酒屋の酔い話に、どっちがスケベイか゛と眉間にシワ寄せて真剣に応じている一群の話を紹介したい。昨今はオトコの色気にオンナがその気になる傾向があるが、ともあれスケベイは両性が存在しなければ成り立たないことだ。ダジャレ好きは共同正犯ならぬ「協働性犯」と笑いを取った。ことは、昨今の不倫はやりの関係はヤッタかヤラレタからの始まりだった。流行りの「一線を越えたか」の想像の類だ。結論は聴く由もなかったが所詮は凸凹(デコボコ)の出会い、゛どっちもスケベイ゛で難なくおさまった。少しのでき心以下は「公式統計に現れない隠れた副業の規模と実体」より抜粋門倉貴史BRICs経済...オンナの色気とオトコのその気20183あの頃

  • 天聴に達した「郷学」の淡交録   07,6再あの頃

    人はその力を数値評価に置き換えることがある。たかだか努力すれば上下したり、はたまた嫉妬や怨嗟の対象になったり、まことに気の抜けない問題である。しかし、たとえ2世であっても、あるいは独特の出自を以って恬淡に生き、その姿をして安心と鎮まりのある雰囲気を醸し出す人物が存在する。写真の三方はいたって洒脱な粋人ではあるが、信念と目標の明確さは人後に落ちない。左は平凡社の邦さんこと下中邦彦氏、出版会の大立者であった父弥三郎の意を受け、あの東京裁判のインド判事パル博士と義兄弟であった縁でパル・下中記念館を運営している。隣は安岡正明氏碩学と謳われた父正篤氏の意を継承して郷学作興に意志を添えている。一人置いて皇太后御用掛の卜部亮吾氏。入江侍従亡き後、皇室の語り部として、゛奥゛を切り盛りしている。つねに郷学に留意して、社会の真の力...天聴に達した「郷学」の淡交録07,6再あの頃

  • 「人間考学」は無限空間での座標考「心の標(しるべ)」である

    ≪解題≫【寳田氏の「人間考学」を含めて、その他の作品群を集積し、分類し、然るのち体系化することは可能である。作業としてはできる。しかしほとんど無意味だ。氏の思想と文章は一個の芸術だからである。氏のどの個々の作品の中にも全体が貫徹し、全体を観ればそれが個々の作品を写影している。戦後、発展した複雑系の数学では、これを基本原理(フラクタル)になっているのだが、要するに芸術の芸術たる所以は人々に生き活きとした感動を与える事にあるのであって、体系化や分析をした途端、何かおかしなものになってしまう。「目黒の秋刀魚」になる恐れがある。読者に注意を喚起したい。※「目黒のさんま」とは七輪で丸ごと焼いたさんまは美味いが、骨を取り頭と尻尾を取って身だけ献上しても丸ごとの焼きさんまの美味しさとは違うと殿様の面白噺である。】宇宙はどこま...「人間考学」は無限空間での座標考「心の標(しるべ)」である

  • コロナと米国の季節性

    外電では、中国武漢から始まったコロナウイルスによる感染によって新型肺炎患者は、令和2年1月現在2万人の感染で400人の死亡を伝えている。市内映像も伝えられているが、交通量、人通りもなくゴーストタウンのようである。近隣諸国は入国禁止、施設閉鎖など対応処置をとっている。中国政府は突貫工事で病院を建設、住民の武漢市外の外出禁止など彼の国の体制ならではの緊急対策をとっている。政府の政策には対策が有ると、それを感知した人たちは一族郎党を引き連れ海外に逃避している。もともと国家が利を提供してくれるからこそ面前では従っているが、その自由もなく利がなくなれば地球の表皮のいたるところに生息の場を作り、順応できる民族ゆえ、国から離れることに何ら躊躇することはない。「小人、利に集い、利薄ければ散ず」利があるうちは権力に随い、権力が衰...コロナと米国の季節性

  • 落ち着きのある思索と学風

    寒風の中、柱上の思索吾が身をつねって人の痛みを知る、と格言にある。栄枯盛衰、世の倣い、もよく云われた。世上では事あるごとに様々な切り口と例証をもって、ときに百家争鳴のごとく、或るときには一派を形成しつつ正否を争っている。それをアカデミック(学術的)と言うらしいが、落ち着きの無さは、よりその騒がしさを増している。口角泡を飛ばす空中戦の落とし所は、どちらかがギブアップしなければ治まらないのか行儀の悪い仕草とともに浮俗の見世物イベントの様相になっている。官制大学の雄といわれている東京大学も旧制の頃は鎮まりの教養が満ち溢れていた。それが新制になると一挙に変化した。変化は知識の厚みや技量ではない、落ち着きの無さと旧制を野暮扱いする学生の出現だった。ことさら教養主義を謳うものではないが、学生食堂でも新制はすぐに判った。騒が...落ち着きのある思索と学風

  • 人間考学 右も左も野暮で、金に卑しい 2018 1/1 再

    津軽岩木雅(みやび)心までとは思わないが、下衆な下心を隠すような騒がしい人間が増えてきた。軽薄と見た大衆に迎合し、商業売文に勤しみ、紙離れの昨今は名を知らしめて口舌の輩になり漫談並みの講演を稼ぎにしている言論貴族も増えている。それは、国家の外敵危機を煽り、経済予想で懐銭の多寡を憂慮させ、さも容易な解決策を無責任、かつ詐欺的話法で食い扶持稼ぎ場として浮俗に漂っている。ある週刊誌の記者だが退職して物書きになった。ネタは戦記物の逸話や事件物だが、情感が薄いせいか物語小説は書かない。小説と言っても明治のころは、今でいう漫画の類で、格落ちの売文屋と蔑まれていた徒の部類だった。商業として成り立つようになると部数を競い、勝手に大衆文学と称するようになると、流行りのカルチャー(文化)に乗じ、新聞連載やテレビの出現などで、いつの...人間考学右も左も野暮で、金に卑しい20181/1再

  • 明治人は、キャッチボールで遊ぶのが好き

    台北国父記念館素行自得の逍遥≪以下は拙い備忘録ながら、学びの活学として、経済活動の実利としても潤いのある情緒性であろうと記す≫キャッチボールは野球の用語で、ボールを投げ合う、やり取りをすることだが、ここでは若僧が球になって、それぞれ世間では異様で老練な人物の間て゛、゛試される゛゛仕込まれる゛ようなことが戯れのように行われた。その球は、磨かれていない原石が投げ合う内に少しづつ角がとれることの様だった。その球(たま)は小商人の倅に生まれ、文部省の狭い学科に不思議さを覚え、かつ数値によって人を評価選別することに不思議が昂じて反発心さえ抱いていた。だからと云ってその問題意識を高めて探求し解決するすべも持ち得なかった。投げる方は「このように仕込んだ」とおもって送っても、送られた方は「違う仕込み方をして返してくる」そのやり...明治人は、キャッチボールで遊ぶのが好き

  • 中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

    佐藤慎一郎先生孫文は側近の山田に、「真の日本人がいなくなった」と呟いた。その山田の甥、佐藤慎一郎は敗戦まで二十年以上も中国社会で生き、その体験を通じて、戦後は中国問題の泰斗として要路に提言や気骨ある諫言をした人物である。その佐藤氏と筆者の応談は音声記録「荻窪酔譚」として残されている。いつもは荻窪団地の三階の居間で御夫婦とご一緒の酔譚だが、悩み,大笑、ときに不覚にも二人して落涙することもあった。「これもある」と、長押に設えた棚から降ろしたり、背後の書棚から引き出したり、それでも「ほかの方がご覧になるから」と遠慮すると、数日して依頼文を添えて送付していただく。すべて音声応談に関することだが、講話依頼の課題に逡巡すると、その音声を聞くたびに、無学な恥知らずを回想している。昨日のこと、アジアの「そもそもの姿」を考えたく...中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

  • 安倍くんと、もう一つのニューオータニ

    五十嵐八郎氏が語る大谷米次郎世上、総理とニューオータニの関係が取りざたされている。いわゆる便宜供与の問題だ。以前、清話会(福田派)はプリンスホテルを利用することがあった。たしか派閥事務所がプリンスにあった。これも政治家の財布のような立場だった西武の堤家との関係だった。大谷米次郎もそうだが、創業者の堤康二郎もホテルにプリンスと名付けているのは、双方、戦後没落した宮家の都心にあった広大な土地を手に入れそれをきっかけに盛業している。空襲の真っただ中に土地を買いあさった堤氏の逸話もあるほどだ。佐藤慎一郎氏も笠木会の縁筆者と五十嵐八郎氏とは新橋の善隣会館で毎年一回開催されていた「笠木会」の縁である。戦後生まれ二十代の参加者は筆者一人。そこからの縁の広がりだが、以下備忘録「まほろばの泉」から抜粋加筆する。・・・〖国際善隣会...安倍くんと、もう一つのニューオータニ

  • ある教育の試策について考えたこと

    中央集権化の流れに沿った官制(文部省)の教育制度(フランスより仮借)以前の、江戸期の藩校、郷学、塾などにあった、男女の分別はあったが、年齢混在の長幼から学ぶ倣いは、知見修得の前提として他の存在を知り、己を量り、自己の特性を知る環境があった。その結果、幼少では「小学」、その冠として「尋常」を記し、長じて特徴を発揮する(徳を明らかにする)「大学」を学制とした。まさに和魂洋才という棲み分けられた民族が培った情緒性や規範を基にした、文明という代物に沿い、似せた国柄が構成された。時の進行と環境の変化は個性化を謳いつつも、マクロ管理と個の集中収斂によって教育制度もその変化に対応できなくなった。要は普遍性を旗印に社会は自由と平等を謳歌しつつも、一方では人的情報の集中管理という中で、国家はどのような人間を組成するかが大きな課題...ある教育の試策について考えたこと

  • 政治・行政・教育  要は綱紀粛正からだ 2018 10 あの頃も

    文字と詭弁の「乗数効果」、そして「超数的能率」いっとき管直人君がこれでやられた。ただアカデミックな言葉は知らなかっただけで、政治家の離合集散における乗数効果はお手のものである。「小人、利に集い、利薄ければ散ず」小者は利の臭いに目ざとく、利(力)が衰えれば離れる、考えれば選挙制度なども政権側の継続的維持のために図った仕組みだが、浮気性の国民はその仕組みさえ別の要因でひっくり返す。年金とスキャンダルだ。突き詰めれば大きな勢力による専制、つまり同じ党でも思惑がバラバラで纏まりがつかなくなり外交や税制すら決められなく、終には候補者の選任を党が行うという、国民にとっては衰退の選択すらなくなった小選挙区制による議員の生存与奪権の党一極集中化にもなった。向かうところは憲法改正ではあろうが、仕組みは宜しくとも人間が成っていなけ...政治・行政・教育要は綱紀粛正からだ201810あの頃も

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の三   2009 7・22R

    《美しい国》とはあるが、通常、至るところで「清く」、「正しく」、「美しく」が三拍子のように日本人の生き方として唱和されていた。美しいものには前提がある。ちなみに可愛い童子が「ハイ」と応える様子が隣国の「美」の意味と聞く。素直で、清く、正しく、が美しい姿なのだろう。つまり清く、正しくを人の姿として、国民に人倫の道を表わすことが政治家に課せられた最低限の勤めだということである。それが説明、解釈もなき美しい姿ではないだろうか以下本文【人としての日本民族】学問といえば家庭の躾、朋友との練磨、伝統歴史の自習といった郷学、藩校での学習,海外での見分など゛成長に沿った多面的な学問習得から,真に頭の良いといわれる「直観力」「先見性」「勇気」を涵養,自得している。歴史の機会や時に委ねても、同じ国土に、単に時を違えて輩出された人物...宰相として為すべき学問の特殊性其の三20097・22R

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の二   09 7/22再

    八景称名寺《国家百年の大計は人を樹る事にあり》国家、国民という呼称が出来上がった創成期に国家リーダーであった天皇の憂慮は、大正昭和の立身出世、学閥、或いは軍閥など、エリートの堕落によって現実のものになった。それは競争なり発展を否定するものではなく、その収穫を利他(国内外)に効あるものにするために、地位、名誉.権勢といった欲望に恬淡とした人物の養成、つまり国家のリーダーには人類普遍的な精神の涵養が教育の根本に据えなければならないという天皇の意志でもあり、西洋合理主義との関係において調和すべきもの、あるいは、堅持すべきものの峻別を促したものでもあった。ここに教育面において『相』の養成に心を砕き、当時(明治初頭の大学教育とその学制)の教育に憂慮を抱いた天皇のエピソードがある。深層の憂慮に添う「聖喩記」明治天皇の侍従元...宰相として為すべき学問の特殊性其の二097/22再

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の一   2009 7/19再 

    「名山の元に名士在り」と謳われた岩木山(陸(クガ)かつ南)作【再度の総理だが、当時に戻って考えてみたい】平成19年8月27日安倍総理は参議院選挙惨敗後、早々と続投宣言をおこない、明日新しい内閣の布陣を発表するという。独り鎮考するというが、以前と同様つねに被写体フレームに顔を出す家族ぐるみで飲み仲間の官房副長官の進言があると思われる。なぜなら官房副長官の選挙区では当初の組閣で安倍さんから唯一相談があったと吹聴しているからである。あの時も総理は河口湖の別荘で独り組閣人事を練ったことになっていたが・・若者二人は宰相の意義を真摯に熟慮したのだろうか。老婆心ながら彼らの別世界にある、いや官制学校歴マニュアルには無い人間学から「相」の存在を考察してみたい。宰相臣茂【以下本文】『相』について『相』は木ヘンに目だが、木の上に目...宰相として為すべき学問の特殊性其の一20097/19再

  • 時節は儒を除けて墨を得る  終章 2014 10/9

    官製学の教科にもない行きつ戻りつの奇説だが、「ゴマメの歯ぎしり」として拙書笑読を請うものです。前号よりまた、当時の儒を中心にした教養ついては、語りも学びも重宝する説のようだが、これを掲げられては生身の人間の欲望の企てには、殊のほか邪魔になる厄介なものと考える人もいるだろう。まして、これを盾に抗されては現実の実利成果にはそぐわない事も出てくるようだ。儒を則や善なる習慣性とする学徒からすれば、向学には相容れない徒と切り捨てられるかもしれない。まして、知った、覚えたような類の学びが、現実の生活の仕草、面前の欲望、とくに儒の説く人倫の際(きわ)に在る性欲、嗜好を凝らした食欲、貪欲な金銭欲が起こす競争、排他など、制約のある環境の中で他と譲り合うことなどは可能なのか、あるいは生活内観、自制心などの素行自得などできるのだろう...時節は儒を除けて墨を得る終章201410/9

  • 大謀企図は、夷をもって夷を制す 15年 9/18 再

    「大謀は計らず」とはいうが、まさに見えない、ここでは感づかない企てだ。それは連帯を断ち分断する統治や、傭兵のごとく前線に送る遣り口だ。そうせざるを得ないのは、資源、金融などの経済もしくは、昔なら人質だが、今どきは防衛の屏風だろう。屏風を外したら丸裸だからだ。その裸にせめても衣類を着せるのが法律だ。それも、゛しなければならない゛ではなく、゛することができる゛ぐらいの類だ。しかし、その大謀は、「夷をもって夷を制す」これだろう。つまり、金もかけずに未開の獣は、獣同士で闘い疲弊すればよいということだヒットラーや蒋介石に援助したのも米国の金融財閥だ。アフリカ中東などでは敵味方問わず、双方に援助する狡知がある。中華人民共和国はチベット平定のためにモンゴル騎馬兵を使った。その騎馬兵は満洲国の士官学校で修得した戦術でチベットの...大謀企図は、夷をもって夷を制す15年9/18再

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