chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2015/01/13

arrow_drop_down
  • 男子は大法螺を吹く気概をもて 10 6・16 再

    以前、台湾出身のモノ書きが、「孫文はペテン師だ」と記した。孫文は両岸をはさむ中国も国父と敬している。近代化の父を正統の証として敬することはよくあることだが、民進党の陳総統も孫文の掲額に就任の誓詞を述べている。生前、死後を問わず民族の長(おさ)は両岸の政治為政者を違えても厳存している。台湾は民主化で、゛言論は自由だ゛、というが、何でも言いっぱなしの日本に来て、たとえ形式であれ国父として推戴されている人物を罵倒する感覚は日本人にはない。いや、一番忌み嫌われ、馴染まない心根でもある。そのとき小生はこう応えて記した「革命家の行為や言を肉体的衝撃の無い安逸な時代に、゛言い捨て゛をすることは彼の国の九儒、臭九老と蔑まれている知識人にある姿だ。まして革命家はペテン師で、謀略家、大風呂敷、法螺吹き、女性好き、でなくては表...男子は大法螺を吹く気概をもて106・16再

  • 蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

    哲人、岡本義雄は学び舎エリート(選ばれ、優れたもの)を「蘞利偉人」(エリイト)と造語した。与えられた課題に疑問すら抱かず、あくせく答えなるものを出すために熱中して、これまた商業化した学び舎において労働者教員が判定する数値によって選別され、生涯賃金の多寡を人生の目的とし、国家なるものの下僕である官域に生息する、その群れを岡本は俗称「蘞利偉人」と呼んでいる。ときに和製宦官とも記すが、陰茎を切り取って宮中の募集に参集する漢(オトコ)ならぬ男子と類似して揶揄している。満州崩壊のおり佐藤慎一郎氏は最後の重臣会議に招かれた。甘粕など重臣が集う会議において、満州国崩壊の土壇場において右往左往する重臣たちは腰も落ち着かず、史上はじめての日本人が異国での亡国時の対処に妙案すらなかった。そこで、二十年余にわたって異民族の生活...蘞利偉人(エリート)は土壇場で逃げる

  • 台湾における被災復興の人間力

    台湾緋桜自然環境の繰り返しの変異は、まさに「天変地異」の情況になっている。またもや体感する人間社会の様相は、政治の混乱や醜態に倣ったように、いままでと違った異種の犯罪が蔓延し、しかも繰り返す刺激に慣らされているかのように、人の口(話題)にも乗らず別の刺激を求め他人事としてしか考えられなくなってきた。故事に「人心は微かなり」とあるが、天変地異に順うように人心劣化に進んでいる。とくにその影響は土壇場に現れるのが通例である。3.11震災と原発罹災、熊本、能登の地震や各地に起きる風水害などにおきる行政の対応、住民の協働、ポランティアのヒューマニティーなど初期行動から復興まで、多くの問題点が指摘される。夫々は所定の目的をもって必須の行動をするが、問題となるのは法の適応、想定する準備(訓練、備蓄)などだが、その焦点は...台湾における被災復興の人間力

  • 「そのことを、もっと早く知っておきたかった」 08.6再

    威容を誇る弘前忠霊塔戦争を知らない公人たちに呈す拙意乱文で恐縮ですが・・・筆者が都下東久留米に住む巣鴨プリズンの教誨師を務めた花山信勝氏との面談の折、秘話が語られた。花山氏によれば、東條氏との面談のなかで宗教の話題に及んだとき、氏は「そのことを、もっと早く知っておきたかった」と述べている。どのような意味を内包した言葉であるかは、宗教人との応答であるため深遠なものだったと推察する。それは明治以降の軍人教育の習得過程にみる戦術の合理性を追い求めるあまり、軍人としての教養である死生観や恩讐にかかわる情緒の涵養との調和のあり処についての応答だったのだろう。それは四角四面にみえる官僚のセクト主義を役割の任ではなく緊急時の大権責任の存在と、それに埋没してしまった「相」としての任の部分構成のみならず、組織全体を俯瞰する...「そのことを、もっと早く知っておきたかった」08.6再

  • 文教利権 得意な分野で緩み挫折すること. 17. 6/21再

    数年以上前の掲載ですが・・・。やはりボロがでたようだ。このところ国会の争論は教育行政の緩みに集中している。あの頃はみな純真だった。嘘や隠し事は恥だと教えられ、国家社会のために理想を掲げて政治家や官吏に志願した。それが煩いごとが露呈した途端、鬱になったり躁になったり、鎮まりもない人間に成り下がっている。「智は大偽を生ず」のたとえあり。彼らの学びは自己の陶冶には向かず、己を欺き、他に偽善を働くための智になってしまった。他の貪官や陣笠は解っていても口をつぐみ、人の失敗を陰に悦び、勇気のかけらもない。相変わらず「お願いします」と平身低頭の嬌態で有権者を惑わせ、票(委託権利)を騙し取る。黙々とご精励する国父(陛下)の苦衷、如何ばかりかと・・・1989北京文部科学省といえば公私問わず教育に関する許認可や科学技術に関す...文教利権得意な分野で緩み挫折すること.17.6/21再

  • 総理は聞く力があるというが. あの頃

    2021年「聞く力」の総理が登場した。マスコミは「聞く」と書いている。本人からも「キクちから」とはいうが、聞いたことにする、聞くだけでは務まらない。所属派閥の宏池会の命名は、漢学者安岡正篤氏。事にあってはうろたえず、騒がず、余裕をもって任務に充るような意味ではあるが、今の議会は弁護士も多く、裁判所の如く、こまごまとした法廷の様相がある。マスコミも聞く総理とはやしているが、本来は「聴く」である。つまり国民の妙な声を聞き流すことも事と次第によってはあるが、身を入れて真摯に意を汲みとるなら聴くべきであろう。国民にヤサシク伝えることでも、人を憂うる「優しく」ならまだしも、誰に合わせるのか「易しく」なっている。多くは相手の理解力に合わせて「易しく」なっているのだが、内容は内外の世情を正しく伝えたり、人間の情感の歪み...総理は聞く力があるというが.あの頃

  • 羯南も熊楠も真之も、そして正篤すら歎いた点取り官学の愚 10.6再

    南方熊楠世の中はかくあるもので仕方がない・・・その手の人には以下の章は煩わしい内容だが、それらの人間にとって人生は既存のタガに悩みつつも安逸平穏に過ごすための常識として理解されているようだ。彼らは情緒とか心情という目に見えないものはは解析しようが無いという。だがネガティブに裏読みすることは殊のほかピントとがあっていなくても得意なようだ。解析しようとする習慣性は,具体的行動の多くを占めている覚悟なり自身の目的構成などは読み解けない。ただ経過の記録と結果の定説である。明治以降の官制学の大きな欠陥は、人間を感じ悟ることへの無理解と無価値への誘引だった。しかし、彼等は少し違っていたが、世間は理解しがたき人物であった。とくに官学という国家の行政が「策」として施す政策では理解の淵にも届かない問題でもある。文部省の政策...羯南も熊楠も真之も、そして正篤すら歎いた点取り官学の愚10.6再

  • 逍遥録 伝、エリートの呟き

    下北カマブセ山文化文明は興隆し、財貨を蓄え矛と盾を増大し、「高学歴」と称するものが増えても、世の中の「なぜ」に妙答も智慧もない。世の先達たちは死生観もなく、いたずらに死を恐れ、繁栄の残滓を残したまま戸惑い生きている。笑談の臨機に切り口が見つかったように突然、耳元で口からもれた至言があった。伝とは、絵画の作者などの、゛そのように伝えられている゛作品だ。掛け軸などで江戸時代の作者名が揮毫されているが、本物か偽物か真贋は判別しないが、その作者だと伝えられているという意味で「伝」と冠される。ある晩のこと友人が、「安岡先生の文なり言葉は感性を以て理解しなければならない」と発言した。戸惑ったのは感性への理解だった。彼は学び舎エリートで派遣留学でスタンフォードで早々とドクターになって帰国、官域でも高位を得た人物である。...逍遥録伝、エリートの呟き

  • 優しさへのとりなし

    「郷に入れば、郷に倣う」と年上に諭されたが、人情や道徳心はたとえ異郷や異民族の地に入っても、変わるものではない。よく言われるのは、すみません、わるいね、は自分の罪?を認める事になるので言わないようにと教えられる。エキスキューズミーに似た心を譲る「礼」の意味だが、使う場所にもよるらしいが近ごろは無言も多くなった。近頃は人の様子を覗うような情報は欲しいが、自身にとっとそれほど有用でもないものは見向きもしないといった手合いが増えているようにもみえる。少々、へそ曲がりな観察かと反復もするが、その傾向はある。とくに安易、つまり易しい事柄ばかりに慣れてくると当然のことだが考えることすら面倒になってくる゛易きに流れる゛とか容易ににある自身の小さな「容器」に納まるものしか考えられない状態になってきている。「容」・・かたち...優しさへのとりなし

  • 貪りの民の必須学 「賄賂学」の提唱 11 1/20再

    2012年夏隣国、中国の専売かと思ったら、防衛庁、国交省、東京都まで騒いでいる。こちらもオスプレイ同様ヘリコプターや地下に潜った水道工事、どこにでもその種はある。尖閣竹島も大切だが、納税者にとってはこのバチルス退治の方が重要だ。こんなことをしているから狡猾官吏の手玉にのった貪り議員の扶養費(生保)押し込み、便宜供与が目立ち、議会答弁でも官吏の不手際の言い訳を議員が負っている状態になる。あえて極論、奇論のごときに映る「賄賂学」の提唱は、実に合理的実利の真理であろうと考える。どうだろうか・・・、体形化して論理付けたら面白い学説が現われるのではないだろうか。今の時節、この教科に取り組むもの益々多くなること必然。まずは東大法学部や警察大学校が魁となれば国家にとって有益なる効果が出るはず。以下、再掲載少々、長文だが...貪りの民の必須学「賄賂学」の提唱111/20再

  • 中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

    佐藤慎一郎先生孫文は側近の山田に、「真の日本人がいなくなった」と呟いた。その山田の甥、佐藤慎一郎は敗戦まで二十年以上も中国社会で生き、その体験を通じて、戦後は中国問題の泰斗として要路に提言や気骨ある諫言をした人物である。その佐藤氏と筆者の応談は音声記録「荻窪酔譚」として残されている。いつもは荻窪団地の三階の居間で御夫婦とご一緒の酔譚だが、悩み,大笑、ときに不覚にも二人して落涙することもあった。「これもある」と、長押に設えた棚から降ろしたり、背後の書棚から引き出したり、それでも「ほかの方がご覧になるから」と遠慮すると、数日して依頼文を添えて送付していただく。すべて音声応談に関することだが、講話依頼の課題に逡巡すると、その音声を聞くたびに、無学な恥知らずを回想している。昨日のこと、アジアの「そもそもの姿」を考...中国人は中国人に戻り、日本はアジアに戻れば・・

  • 明治人は、人間キャッチボールで遊ぶのが好き

    台北国父記念館素行自得の逍遥≪以下は拙い備忘録ながら、学びの活学として、経済活動の実利としても潤いのある情緒性であろうと記す≫キャッチボールは野球の用語で、ボールを投げ合う、やり取りをすることだが、ここでは若僧が球になって、それぞれ世間では異様で老練な人物の間て゛、゛試される゛゛仕込まれる゛ようなことが戯れのように行われた。その球は、磨かれていない原石が投げ合う内に少しづつ角がとれることの様だった。その球(たま)は小商人の倅に生まれ、文部省の狭い学科に不思議さを覚え、かつ数値によって人を評価選別することに不思議が昂じて反発心さえ抱いていた。だからと云ってその問題意識を高めて探求し解決するすべも持ち得なかった。投げる方は「このように仕込んだ」とおもって送っても、送られた方は「違う仕込み方をして返してくる」そ...明治人は、人間キャッチボールで遊ぶのが好き

  • 人間考学 もの書きの懐と覚悟 2018 1/1 再

    津軽岩木※懐・・・カネ勘定雅(みやび)心までとは思わないが、下衆な下心を隠すような騒がしい人間が増えてきた。軽薄と見た大衆に迎合し、商業売文に勤しみ、紙離れの昨今は名を知らしめて口舌の輩になり漫談並みの講演を稼ぎにしている言論貴族も増えている。それは、国家の外敵危機を煽り、経済予想で懐銭の多寡を憂慮させ、さも容易な解決策を無責任、かつ詐欺的話法で食い扶持稼ぎ場として浮俗に漂っている。ある週刊誌の記者だが退職して物書きになった。ネタは戦記物の逸話や事件物だが、情感が薄いせいか物語小説は書かない。小説と言っても明治のころは、今でいう漫画の類で、格落ちの売文屋と蔑まれていた徒の部類だった。商業として成り立つようになると部数を競い、勝手に大衆文学と称するようになると、流行りのカルチャー(文化)に乗じ、新聞連載やテ...人間考学もの書きの懐と覚悟20181/1再

  • そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である 2020 あの時から

    旧掲載だが、あの頃も同じことがあった。そもそも悪党と言うが、善党とは言わない。犯罪でも黒は容疑者、白は無罪という。党の旧字は「黨」、つまり黒を賞する、まして白は党ではない、連(ツル)まない。群れにならず党からは弾かれるのが白のようだ。黨には掟がある。とくに悪党には厳しい掟がある。口の軽さと裏切りだが、ゆえに嘘が上手くなる。むかし、「政治家は人を騙して雄弁家という」一種の戯言があった。近ごろは「会」を装っても腹は黒が多くなった。市井の陶芸家の作品検察官の人事に黨に政治家の介入があったと騒いでいる。幕府でいえば目付の食い扶持を担保するような話だが、あんたの都合で決められては、タマッタものではないという事らしい。下座から眺めれば、暗記上手の学び舎エリートが一方は政治家になり、一方は官僚となり、お手盛り利権で政治...そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である2020あの時から

  • 人間考学 腰の落ち着かない国防迷論 あの頃も

    あの国はともかく、そろそろアジア回帰するべきだとの意見が起きている。トランプ大統領は日米安全保障は片務的でおかしい、商船は自国で護るべきだ、との発言を受けて専門家と称する人たちが騒いでいる。在日米軍は「瓶の栓」ともいう。先の大戦や、それ以前の日露,日中と戦った異能な兵士と経済力に、いつかまた、という危機感がそう言わせたのだろうが、今の浮俗に戯れる国民には覚悟も能力がない。それより無関心だ。まして国防組織そのものが大国に取り込まれている状況では、防衛や偵察は長けても、戦闘は装備も教育も難しい状況と慣性に成っている。いわゆる「瓶の栓」は必要なく、却って米軍の情報収集力は、あの橋本総理の経済交渉の内輪話を盗聴するように、金融や経済を矛として有効性を増している。それは日本が資本市場構築のキャッシュディスベンダーの...人間考学腰の落ち着かない国防迷論あの頃も

  • 再読 民主と自由 長(おさ)のいない国家 09/7あの頃

    敬重なき国家は滅びる安岡正篤翁ことさら権力をひけらかす訳でもない長(おさ)の首取りが流行のようだ。それは人間が他の人間に言葉や行動を譲ったり、補い合いながらスパイラルを描くように推戴する長(おさ)の立場への敬重や、暗黙の契約というべき長との関係の在り様が希薄になっているからだろう。長(おさ)が軽くなったのでもなければ、過大な罪科をともなう過ちをしたわけでもない。ただ、゛下りたほうがいい゛くらいな声が増したために地位を下りるのである。別段、小物だの大物だと評するものではないが、推戴する側もされる側もアンチョコにも易く考えているような傾向があるようだ。華人の俗諺にあるように「天が落ちてきたら、一番高いところに当たる」、つまり厄災は総て長(おさ)の責任として甘受すべきであるからこそ、たとえ時の運によって縁により...再読民主と自由長(おさ)のいない国家09/7あの頃

  • 死亡推定時刻もなく骸になったモノ書き

    天田五郎長じて愚庵数回に分けて抜粋連載した「アメリカよあれが文明の灯だ」は大西洋単独横断で有名なチャールズリンドバーグの逸話を記したものですが、筆者は「明治遊侠伝」を書き残しています。あるとき持参して、出版元も連絡取れない、どうにか再編して写真も入れたいと云ってきた。こちらも記載されている出版元に連絡をしたが、やはり不通。それならばと、金持ちになりたい、有名になりたいためかと問い、「いや、このような人物を世に知らせて、せっかくの人生に古い人間だが主人公の生き方と、それを面白がって育てた明治の傑物たちの心意気を知ってもらいたい」と。それならばと、ジスイ(綴じ目をばらしてデータ化」して、登場人物の写真を入れ、難解な文字を変換したりして、どうにか形は整った。題名は登場人物がたどりついた禅の僧名「愚庵」とした。以...死亡推定時刻もなく骸になったモノ書き

  • 時節に踊る 腹話術会議

    国会から町内会・PTAまで様々な会議と称する集いがあるが、散見るのは親分のコントロールによる正式委員の腹話術のような意見だ。とくに、゛村社会゛と揶揄されるような共同体では親分、ここでは、゛主だった人゛といわれる有力者や組織の先輩の意向が委員をコントロールしてロボットのように使役するようだ。一人前の意見を述べているようで方向性は親分の意向どおりのコントロールだ。別に生活保障されているわけでもなく、なんら服従する理由もないが、ここでは逆らえないような、言うに言われぬ風圧があるようだ。国会では派閥のボス、党の意向、町では世話になっているわけでもないが昔の地主や先輩の存在が大きな影響がある。ここでは悪しき意味での忖度がある。心を察して随うのだが、ボスには責任は及ばない。ここでは全体を構成する不特定多数の利福などは...時節に踊る腹話術会議

  • アメリカよあれが文明の灯だ Ⅷ

    春は枝頭から星よさらば十一章―サンテクジュペリのこと―アレクサンドロ・ド・サンテクジュペリは、今や日本でも、人気のある、有名な作家である。特に「星のお王子さま」で、群を抜く評判だ。アニメ映画も、フランスで作られている。みな戦後の評価である。日本翻訳は、内藤濯(アラフ)、その人と作品に惚れこんで、訳した。しかし、戦中、昭和十四年、五年―一時、その作品は、白水社から、少部だが、連続刊行され、一部の層には、斬新なスタイル、鋭利で磨かれたセンス、文体を珍重されている(当時の翻訳は堀口大学)(第一書房)生前、リンドバーグとは、二度しか逢っていないが、互いに敬畏と共鳴を抱き、リンドにとっては、カレルに次ぐ話しの通じ、よく分かる益友だった。更に、アンにとっては、無上の人この頃までは、理想の太陽の人だったのは夫のリンドバ...アメリカよあれが文明の灯だⅧ

  • アメリカよあれが文明の灯だ Ⅵ

    石原莞爾ジョセフ・ステジァクインディアナ州ミシガン市鋼鉄労働者「フィリピンのミンダナオ島―日本軍の立てこもる洞穴に、火炎放射器を使って、掃討作戦も従った。―諸君に捕虜を連れて来て欲しく無いって…頭ん中に徹底させたよ。…俺達は、呉に上陸した、広島から8、9マイルか…十月六日から一ヵ月経ってた…このインタビュー中、彼は笑い…話し…そして、途中、言句に絶して、泣く、彼は、放射能の真っ只中にいたのだ…生き残りの日本人と共に…帰国後、毛が抜け出し…この時、発症。インタビューの時も、原爆症だった。ロドート・レカーマンニューヨーク市立大学経済学教授、徴兵…目が悪いし、何についても不器用で…結局、連隊本部付の事務に廻された。グアム…沖縄…「酷い状況でした…誰かがやってたような。敵兵の耳を集める事はしてません。毒牙を持つ黄...アメリカよあれが文明の灯だⅥ

  • アメリカよあれが文明の灯だ Ⅴ

    当時、硫黄島守備隊長海軍大佐和智恒蔵は、本部命令により、別方面に移動したが、その三ヵ月後、米軍来襲となり、かつての部下約二万人が、ほぼ全員玉砕、皆殺しにされた。(米国側七千人死)軍人として、上官として、痛恨、悲嘆、その心情は、想像に余りある。幸か不幸か、和智大佐は、敗戦後も存命した。彼の思いは、ただ、死に遅れたという悔いと、生き残りならば、せめて、日本の復興と、犠牲者の慰霊のみが。後半生―生涯の念願となる。戦犯となり(おかしな話だが)出所後僧となり、現地の遺骨収集と、供養に全て捧げる。硫黄島は、その後二十数年は、米軍基地として占領支配に在り、渡島も出来なかった。ようやく昭和四十二年、日本返還その間―ただ一度、昭和二十七年、八方に陳情、切願して、硫黄島に渡って、遺骨集めと、清掃、慰霊の機会を得た。すりばち山...アメリカよあれが文明の灯だⅤ

  • アメリカよあれが文明の灯だ 抜粋 Ⅳ 2010再

    津軽弘前忠魂碑の威容久坂総三氏寄稿部分プリント2しかし、云わなければ、云わないままの状態が真実とされる、歴史と決められてしまう。云わねばならぬことあれば、云うべきである。…ウソと私情私然で誇大に叫べば、これもまた、ニセの真実となる。全くムヅカシイ事だが、それをなすのが、学者であり、知性人であろう。残念ながら、日本では…?ウォーナー“カミカゼ”「“ライフ”一九四四年五月二十二日号今週の写真は、一ページ丸毎使われていた。アリゾナ州フェニックス市の二十才のナタリイ・リチャードソン(戦時従業員)嬢が、ペンを片手に、卓上の頭蓋骨―日本兵―をウットリと眺めている写真であった。それは、ボーイフレンド、W・F・J・ウィームズ大尉が故郷に送ったもの。小見出しに、彼女が、それを贈ってくれたボーイフレンドに礼状を書いていると説...アメリカよあれが文明の灯だ抜粋Ⅳ2010再

  • 連続した短期政権崩壊の根本要因は、「四患」にある 再

    イメージ隣国の指導者は歴史の栄枯盛衰から、真摯に智慧を学ぶことを疎かにしない。いま必要かつ上善な策は何か、慎重に考え、胆力をもって実行している。それは外治、内治を問わず、その職掌に就く人間の問題として、弛緩、堕落、腐敗を戒め、政治の前提である「信」の有り様を綱紀粛正を以て具体的に明示している。それが現政権における高位、下級を問わず逮捕、処罰している理由である。まず、四患を除けこの患いが政治、官吏、司法、経済、民心に蔓延すると優れた政策も財政も行き渡らなくなる。いやそれでも不安と不満がとめどもなく湧き出てくる。「政を為す術(すべ)は、先ず四患を除く」と云う言葉がある。後漢の荀悦(148~209年)という人の教えである。彼は後漢第十四代献帝(189~220年)の時、進講申上げている。その彼が漢の政治の乱れを正...連続した短期政権崩壊の根本要因は、「四患」にある再

  • 国家とは何か

    愛犬ですら反省を知っている碩学安岡正篤氏は「さまざまな要因をもって構成されている国なるもの」と語る。よく国家の要素は、「領土、民族、伝統」と政治家は唱える。「国を護るということは」と武官に問えば、同様な意味の応えが多い。戦後の露天と進駐米兵筆者は防衛関係の講話で「政治家は国民の生命と財産を守る」というが、それだけでは肉体的衝撃や生命を懸ける職掌には覚悟とか使命感はおぼつかない。問いの理由は初期教育を行う基地において隊員に伝えていた内容について気になったからだ。「君たちは国のためと云っても、なかなか理解は難しいとおもう。身近な人のため、愛する人のためにと考えれば理解にできると思う」たしかにその通りの現状ではあろう。三か月の初任体験で、当初は集団行進すらバラバラだが、三か月後の退所(各基地へ配属)頃になると、...国家とは何か

  • 人間考学 あの時の「五寒」にみる政治の局面と狡務員

    201712再桂林の子供たち数年前の再掲載ですが、病巣は拡大している官と民間の棲み分けが曖昧になってきた。それは公私の分別といったものだろうが、古典では「公私の間」の重要さを説いている。しかし、このところその「間」を巧妙に使い分け、まさに狡猾な狡務員が増殖している。昨今の世情を騒がしている防衛省の問題だが、装備備品の水増し請求についての錯覚した争論をみてみたい。石破大臣の弁に「官側でその価格の査定をする内部組織と人員が必要だ」とある。また野党民主党も追従している。教育改革の論もそうだが、組織やシステムを論ずることによって問題が解決すると思っているのだろうか・・・民の代表である議員職が政府側の大臣になった途端、妙な論を展開するのは常だが、このところの内閣は官吏の怠慢から生ずる問題の言い訳に終始するのが答弁の...人間考学あの時の「五寒」にみる政治の局面と狡務員

  • 「人間考学」の不確実性原理 その(Ⅱ)

    櫻のあとの津軽は、リンゴの花盛り以下は村岡氏が持参した二度目の原稿(二)組織と人材Ⅰ組織のガバナビリティー組織の統御を考えるとき、統御のパワーは結局、統御する「人間如何」に依存しているということである。人間如何であるならば、との解答(又はそのヒント)は、人間考学の随所に隠されている。(繰り返すが解答は一つであるとは云えない)然しながら、寳田先生の「人間考学」は、漢語環境が多用され、しかも「思考」の過程が水(上善)のごとく流れ、それに伴って文体も大河の流れのように雄大なっている。そうであるが故に、現代人の思考形態(回路設計の類)で、「人間考学」を追求するのは容易ではない。そこで、その難問を突破する糸口として、歴史学(政治史)と社会学の両学を活用してみることにした。組織の統御の問題を換言すれば、組織の両義性の...「人間考学」の不確実性原理その(Ⅱ)

  • 「人間考学」の不確実性原理 その(Ⅰ)

    二部に分けて持参した原稿を、流れを解りやすくするために連続掲載します。終章(Ⅲ)は、到着次第掲載します。なお、村岡氏は質実簡素な生活を好み、PC、FAXは所持しないため、御意見、ご質問は以下から転送します。sunwen@river.ocn.ne.jpまで「人間考学」の不確実性原理国策研究会評議員村岡聡史はじめに・・・今年の正月明け、寳田先生から1通のEメールが届く。それは、「人間考学」を現代人の思考形態(慣性)に理解対応できるように体系化することは可能か否かということだった。「たぶん可能です」と気軽に応えてしまったが失敗だった。途中で背負いきれない程の重いお荷物を抱え込んだ自分に気が付いた。放り投げたい気持ちは山々だが,時すでに遅し。私に対して奇人(貴人)怪人(快人)と高い評価を与えてくれた寳田先生の期待...「人間考学」の不確実性原理その(Ⅰ)

  • はりまや橋夜学会 自由への渇望「自由之理」

    賀川豊彦「意見が通らないことは不自由ではない。大勢の人間の一部分であることを愉しいことだと感じなければ、独りを悦しむ(独悦)さえ不自由、排斥として悲哀をかこい、ついには不満を恃みとして思考を狭く、行動を締め、より不自由に陥るだろう」明治はあらゆる制度を諸外国から引用、いや食べ合わせのよくないモノでも巧く調理吸収した。憲法はドイツ、君主制は君臨すれど統治せずとイギリス王室に倣った。海軍はイギリス、陸軍はドイツ、ちなみに今風の民主主義は移民大国米国から敗戦国として迎合順化した。ついでに明治初頭フランスから取り入れた教育制度に添えて啓蒙思想を掲げ、民主に自由と平等や人権なる意識を知らしめた。ここで伴氏の記した自由の理(ことわり)は、当時の日本人には新鮮かつ刺激のある内容だったと推察する。とくに基礎的修学慣習のあ...はりまや橋夜学会自由への渇望「自由之理」

  • たしか、団塊と呼ばれていた 2007. 11 再

    団塊といわれたあの頃の人は来年には70歳になる話題は変わり、病気、孫、年金、元気がいい者は、まだ車やオンナの話、それも多くは昔話だ。この世代は前世代との端境期だ。「人と変わったことをするな」「余計なことを話すな」それが習性となっている前世代の両親を持つ子供たちが、易々とマスコミ宣伝の作った流行に乗って、のっぺりとした姿に変わったのもこのころだ。受験も熾烈になったが、大学の新設ラッシュで大学と名の付くものはどこにも潜り込めた。そんな具合だから、ナンパ・麻雀・学生運動、同棲、など学生が先頭を切って遊び始めのもこのころだ。津軽平川団塊の世代のあいだで流行っているものにオールディズというジャンルの音楽がある。カントリー、ジャズ、ポップス、ロックなど1960゛70年代の懐かしい曲が、心地よい気持であの世代を思い起こ...たしか、団塊と呼ばれていた2007.11再

  • 人間考学 主義で実態は動くか 11 12/24 あの頃

    石原莞爾戦争史大観原本弘前養生会蔵世俗に称せられる右、左、中道といろいろな紙面に接するが、その商いや懐事情は同じでも集会、会議、居酒屋談義、選挙、宣伝などを見ると、みな特殊事情を持ったその手の人間には同様な「質」をもっている。購読しているその一つの某党機関紙にこんなことがあった「資本主義の矛盾の深まりと、科学的社会主義の生命力」資本と科学的社会に「主義」を付け加えると何となく理屈に合いそうだが、人間科学には馴染まない。それは昨今の金融の混乱を題材に「そら、みたことか」と言いつのる表題として使っているが、それは理屈でなく「人間」を観ていない。いや、人間とは不可思議で、当てにならない、更には単なる箱で整理したような教科書学習のマニュアルでは理解できないためか、合理性が無いと観念しているようである。この場合、彼...人間考学主義で実態は動くか1112/24あの頃

  • 人と成り 2017 あの頃も

    音声は知性を表すとは安岡正篤氏の呟きだが、それは電話の音声のことだった。誰でも判るような見たり聞いたりではなく、琵琶法師のように、盲目でも音を駆使して情景を表す潜在能力を現代人は失ったのだろうか。それ故か人格とは何ら関係のない附属性価値(地位、名誉、財力、学校歴など)でしか人を測れなくなっているようだ。その虚装エリートによる組織の経営、法の運用、政治政策は、数多の社会問題、突然起きる災害、他国との交渉などに多くの煩悶を起こしている。まさに「成っていない」人間の有り様として日本および日本人を覆っている。「成り」は姿や被っているものだが、「人」の問題となると難しくも整理のつかない問題となるようだ。いまどきは証明なるものを言葉や文字で説明するような必要に迫られることもある。人なりは一瞬の観察で、観て(見るではな...人と成り2017あの頃も

  • 官吏の四角四面 09 10月 あの頃も

    几帳面である。鷹揚ではない。満州国の副総理だった張景恵は日本人を揶揄して「どうも四角四面でいけない。異民族との調和は何処まで踏み込むか、あるいは引くかの間(ま)が重要だ。二、三度戦争に負けたら角が取れるだろう」と、ある意味、残念がっていた其の証拠に、今でもあの、゛偽満州゛は良かったと古老は懐古している。官吏も四角四面で真面目だ。しかし賄賂を取らないために下の官吏に回ってこない。コレには参った。朝から晩まで賄賂を考える処である。しかしこの賄賂も「人情を贈る」こととして定着している。だから貰う側にまわりたいと勉強(賄賂学)を一生懸命習って地位を昇るのである。つまり「昇官発財」である。其の四角四面と揶揄された日本の官吏だが、このところコンプライアンスと騒ぎ立てているが、゛すり抜け゛については巧妙な知恵を働かせる...官吏の四角四面0910月あの頃も

  • 智将と勇敢な兵士がいたあの頃 「後藤田の諫言」 2012 10 再

    中曽根内閣の元官房長官後藤田正晴氏は、ペルシャ湾に掃海艇派遣を迫る中曽根氏を諫めるように言った。「彼の地はかりにも戦闘地域である。そこに自衛隊を派遣することは戦争に参加することだ。国民にその(戦争)覚悟はあるのか・・」本人はことさら厳しく諫言したものではないというが、戦争体験した世代なら語るように物申した方が相手にとっては厳しい。翻って戦争を知らない世代が国民の大多数を占めるようになった。また、座標の定まらない時勢に流される手合いも多い。俗話に「馬糞の川流れ」とある。流れるうちにバラバラになることだが、時勢に合わせることに汲々としていると力は弱くなる。騒ぎ、落ち着きのない政治に指揮される軍隊は弱い、あの世代の人ならみな判っている。「国民に覚悟はあるのか」戦略戦術は机上だが、社会の気風を慎重に観察して「機」...智将と勇敢な兵士がいたあの頃「後藤田の諫言」201210再

  • 再読 宰相が先ず取り組むべきこと 09 9/20 あの頃も

    いつの間にか・・・と、考える国民が等しく自省すべき問題に「己を知る」ということがある。複雑な要因で形成された国家という代物に、民族という名において棲み分けられている夫々の国には、政治や経済という運動体によって維持され、そこから観察する多少高低や速度が繁栄バロメーターとして測定されている。また、単にその要因だけでは集合体は成り立たない。そこには人々の情緒性や、あるいは精霊の在り処を生き様に溶け込ませてこそ国家として成さしめることでもある。「人が人でなくて、どうして国が国として成り得ようか・・」と清末の哲人梁巨川の言である。それは清朝末期の宮廷官吏の腐敗と政治の堕落が外国勢力の侵入を誘い、終には清朝打倒という国内革命勢力の伸張を許してしまった事への歎きでもあった。しかし政治権力は満州族から漢族に易旗しただけで...再読宰相が先ず取り組むべきこと099/20あの頃も

  • カエルの面(つら)に小便政治 あの頃も

    カエルの面に小便政治カエルは天上からの潤いに、顔を上げて目をつむりウットリとした顔でそれを享けている。いまどきは放射能か黄砂混じりなどという野暮はあえて言わないが、たとえ小便でもそれは変わらないだろう。無感能、人間なら問題意識無しの無関心とでもいおうか、はたまた空気が読めない(KY)ともいうらしい。為政者はカエルなら国民は「釜中の民」(ふちゅうの民)だ。これもカエルに例えるなら、カマドにかけられた大釜の水が、ぬるま湯なら温泉気分でもよいが、温度が上がり煮えたぎるとカエルは茹カエルになってしまう。水鉢のボウフラなら飛び立つが、メダカや金魚は死滅するだろう。まさに、温泉・グルメ・旅行・イベントの刺激と遊興が、ギリシャやローマ、あるいは大英帝国が衰亡するときに表れた市民の指向性だと識者はいう。「上下こもごも利を...カエルの面(つら)に小便政治あの頃も

  • 我国の宰相は「掃除大臣」たるべし 2008 10/8 あの頃も

    悪戯な標題ではない。今を見て臨機に為すべきものを知らなければ「政外」(政治のピントが外れる)こと疑いなし。゛掃除゛は掃き、除くことである。それは倹約につながり無駄を省くことにもなる。歴史に尋ねれば、このような姿が国家、社会、民衆に現れたら、先ずこれに取り掛かるのが権力者の任だった。干支では「戌」の期に当てはまる。草冠をつけると茂るとなるが、同じ「繁」とは異なり、植栽をしない為に風通しが悪くなり樹木全体が枯れてしまうために「刈る」という意味でもある。これを国の機構なり、会社の組織に当てはめると、「弛緩」つまり心の弛みになって組織が停滞し無駄も滞留し「患う」ことになる。多くの組織は人によって動いている。しかし、その人心が弛み、機械などによって労働感性が衰えたりすると全てが受動的になり、国家をして、゛誰かがやっ...我国の宰相は「掃除大臣」たるべし200810/8あの頃も

  • 安岡家、仏間の書籍 08 10/7

    松下政経塾教場茶室筆者「中庸」を語るH19先日、安岡家の仏間の書籍の整理をした際、贈呈された出版物があり、一部を残して関係書籍を大量に戴きました。ご存命なら許可するはずの無い安岡ブランドの出版物も数多ありました。また、時節柄マニュアル本や表層をなぞるものもありますが、かえって知的直観力を衰えさせるようなものもありました。「知って教えず、学んで行なわず」そんな人間の粗製乱造が甚だしい傾向ですが、是非一頁でもいいですから、3回再読し、音感に触れる言葉を探すと、自然に肉体化され、単なる「知」を振り回さず、深い思索と観照が容易になります。同じ書物でも小説や解説本とは異なる味わいが出てきます。「好きで楽しくならなければ覚えない」とは孔子さんですが、人の勉強は見るのではなく、自身で行なうものです。先生がよく開いたペー...安岡家、仏間の書籍0810/7

  • 上質の国でありたい

    国なるものの在り方は生活圏や生まれ育った「郷」に棲む人間のありようでもある。以前、大分県の知事が「一村一品」として特徴ある産品の生産販売を提唱した。筆者は、一品は品物ではなく、人品(住む人間の品性)の姿だと付け加えた。江戸時代の農民出身の山田方谷(ヤマダ-ホウコク幕末期の儒家・陽明学者、備中松山藩士)は財政再建のため、先ずは自身を正すべきと考え、信頼を得ることを本意として私塾をつくり人材をそだてた。当時松山藩は財政がひっ迫し困窮していた時だった、方谷は「理財論」を説き藩の財政立て直しに取り組んだ、その要点に「その目先の小さなその場しのぎの「利」を追うのではなく、綱紀や法令を整えるという「義」を明らかにすることによってそれを基準にして物事を分別すれば自ずと本当の「利」が手に入る」である。「義」を明らかにする...上質の国でありたい

  • 日本人は日本を学べ

    横浜港の見える丘公園外国館BBC放送の日本語部長、ジョン・ニューマンはそのように日本人に問いかける。高校生の頃、ロンドンで行なわれた柔道の試合を通じて日本を知った。それはアクロバットのように相手を投げつける巴投げに魅せられた。講道館五段の腕前でもある。それはヨーロッパ選手権に優勝後、柔道の盛んな奈良県天理への柔道留学から、オリンピックのイギリス代表監督を経て、母国の大学で日本語をマスターしている。知識は頭から、智恵は汗からとは言うが、柔道を通じた礼儀と鍛錬が彼を真の日本通にしている。民間外交にも一家言もっている。ヨーロッパで行なわれる日本文化、とくに古典芸能にある歌舞音曲だが、在留日本人に其のことを尋ねても何の知識さえ持っていない。芸能人のゴシップは世界共通だか、アメリカはカントリー・ジャズ、イタリアはオ...日本人は日本を学べ

  • なるほど、この手があった 2013 あの頃

    教職員の早期退職が流行っている。勤務年数の関係で期限をのこして早くやめた方が得をするということだ。なかなか目先がきいた行動だ。それに苦言をいう第三者がぞろぞろ出てきた。≪子供の心を踏みにじる≫≪金のことしか考えないのか≫四角四面で手前勝手な理屈の応戦だが、一方は「子供たちのために有終の美を飾りたいが・・・・」、と。糸を引くのは女房だろうか・・・悪いことに子供の自殺や体罰、教師のわいせつ行為、縁者の便宜採用が放置されている現状での金にまつわる話だ。考えようによっては税を俸給にしている公務員は教師だけではない。警察官、議員、国・地方公務員などがあるが、裁判官もいる。ある裁判官は裁判途中で公証役場の席が空いたので、ということで担当裁判の途中で退職している。これを職場放棄というのだろうが被告も唖然とした。今回は警...なるほど、この手があった2013あの頃

  • 安岡氏は謂う 『稚拙であるが、いずれも痛いほど現実をつかんでいる』

    20152/15あの頃思春期の子供の目線だが、物知りの下手な批評より正鵠を得ている。なによりも辛辣だが唸るような短章だ。あの頃の童の観察眼は、教員や政治家より優れている成長するにしたがって余計で無駄にもなる知を詰め込むと、こんな発想力は湧いてこない。サラリーマン川柳も秀逸だが、そんな親の思いまで読み取るような齢でいえば年少の下座観は、家庭だけでなく社会や、国内外の状況も的確に観察しているのだろう。バングラデシュ子供新聞キシロチェトロ編集長プロビール・シャカ氏筆者が仲間とベンガル子供新聞を創刊したのも、そのような子供の観察を世代の智慧として活用し、大人社会への忠告、警鐘としたかったからだ。子供が取材し、子供が描き、書く。そして無料で配布する。識字率は上がり世代間共通の問題意識が生まれる。子供たちへの、゛お返...安岡氏は謂う『稚拙であるが、いずれも痛いほど現実をつかんでいる』

  • 『請孫文再来』の読後感 15 3/30 再

    孫文と山田兄弟上は弟純三郎下は兄良政生家の向かいは陸羯南の家で、多くの薫陶を受けている兄弟の叔父菊池九郎初代市長、代議士東奥義塾・東奥日報の創設者以下は小生の拙書にいただいた読後感である。それは大分過去のことだ。読書には「古教照心」と「照心古教」がある。前は本の内容に知った・覚えたと得心するが、後は、己の心を以て内容を照らすことだ。ことさら拙書を批評したり、なかんずく誉めたり迎合したりすることは容易だが、その読書感をもって志操の座標を掲げる見事さは筆者としても望外な悦びでもある。「書籍の山」とあるが、いずれ切り口を変えて宝の山になるだろう。つまり詮索、研究に没頭するより「眺め」に至る途だからだ。実はこの読後感も送達された時期と現在では、筆者自身も観点が変わっている。想うに読者においても揺るぎない座標軸に狂...『請孫文再来』の読後感153/30再

  • 賢者に請う 拙稿『請孫文再来』について 9 2/23 再

    http://sunasia.exblog.jp/ブログ編冊子「天下為公」人師、佐藤信慎一郎先生との数々ある想い出の多くは、感動感激体験を語りながら時節の憂いに共感するも,ときには共に惜涙し、あるときは欣快の心地を忘れまいとして杯の乾くのも忘れ清話の宴に興じたことだ。まさに《第宅器物その奇を用せず。有れば有るにしたがって愉しみ,無ければ無きに任せてまた安ジョたり》と、詠んだ徳川光圀の境地に似たものだった。愉しかった、嬉しかった、そして何時も歯唇の間に溢れる誠言に心耳を澄ました。思考や疑似体験は天空を渡り、志操を育んだ弘前や海を越え大陸にも飛んだ。辛亥革命恵州にて殉死山田の兄良政まるで偉人,賢者が添っているかの如く孫文も山田も眼前に現れる。そんな気持ちを忘れまいと紙上に遺そうと思ったとき、師はつねに寄り添っ...賢者に請う拙稿『請孫文再来』について92/23再

  • 日本版 「人民監督網」 15/4

    巷の株価の様相はバブルのようだと評者は謳う。政治は政策焦点すら定まらず、恒例となった金の問題で世間をにぎわしている。よく官僚は指示がくると、まず、<やらなくてもよい理由を探す>と某次官は嘆いていたことがある。省益に係わることは、<可能な条文を探索>しても邁進する。隣国の宦官のようだと識者は嘆くが、記載されたらセーフなどといった普遍なる常識さえ毀損する政治資金規正法を、まるで泥棒が縄をよる(作る)ように助言したのも狡猾な官吏である。落ちればタダの人となる議員でも、使いようによっては役に立つ、官域に問題があれば官僚作成の答弁書を読んで、言い訳したり、謝ったりしてもらえる重宝な人たちだ。少しでも高飛車になれば江戸の仇長崎とばかり、選挙法を駆使して警察に捕縛させ、記載漏れは裏金としてようやく認定したのは、数次にわ...日本版「人民監督網」15/4

  • 文は経国の大業にして不朽の盛事なり 13 7/30再

    東大文系法学部は知識習得の前提とした「本(もと)」のあることが分からないのか、既得済と確認しないのか、それとも「もと」など説明論拠が立てられないからと、無意味と考えているのか、ともあれ学び舎エリートと称する学徒が群れのよう暗雲となって世情を覆っている。それは「観人則」が簡便な数値判別となった頃から顕著になっている。国家経営の歴史的証である文書が、改ざん、隠蔽、廃棄が平然と行われるようになった。裁判所も恒常的に行われ、行政官庁も倣ったように断捨離に勤しんでいる。金貸しが証文を勝手に書き換えたり廃棄したら生業は成り立たないが、組織活動体でもある国家なるものでも、敗戦時、中央、地方問わず官域では書類廃棄(焼却)が続いた。多くの、改ざん、隠蔽、廃棄は見られたら都合の悪い、つまり責任者を特定されないよう、あるいは無...文は経国の大業にして不朽の盛事なり137/30再

  • 【一官九族に繁える】 7 11/6 再

    「一官九族に繁える」親戚縁者が一人でも高位高官に昇ると縁者も共に繁栄する以前のプログ「安倍晋三・・・」連載内「昇官発財」を参照平成12年9日〈時事AFP〉北京で息子の大学受験に付き添う父親のツァイ,ジョンションさんは一カ月の収入を上回る1800元(約23,000円)を試験場近くのホテルに支払い『この試験に私たち一家全員の未来がかかっているだ』と決意を語っている。宋代に『勧学文』と称して皇帝が学問を奨励しているが、その文は『書中、自ずから黄金の部屋あり』『書中、自ずから女あり』と、食、色、財の欲望を際立たせ、しかも試験に合格し、めでたく登用され官位が昇れば金や女が自ず(自然に)と近寄ってくるというのである。しかし、このことも平穏に怠惰をむさぼっている民情なればこその戯れであり、それが証拠にあれほど朱子学を端...【一官九族に繁える】711/6再

  • 中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

    故鎌倉節氏辞めた議員が「分かる人には分かる、分かりたくない人には分からない」と捨てぜりふを吐いたが、この事は国民も承知だ。サンズイとは汚職である宮内庁長官だった元警視総監の鎌倉氏の慚愧の念だ氏は皇室を敬愛し武士(もののふ)の風儀が漂っていた。国民が憂慮する公官吏や政治家の弛緩した実態でもサンズイは無い、という。無ければ国民は幸せだが、今のところは無いはずがないと読んでいる。ちなみに警視庁の捜査二課は知能犯罪の捜査を担当するが、政治家や官吏の贈収賄の摘発などに専従している。ほかには選挙違反などがあるが、国民が期待しているのは、必ず有るであろう政官財のトライアングルと云われた関係での便宜供与に伴う斡旋収賄だ。もともと所轄署は地方公務員や市長もしくは出先の公官庁とは協力関係にあるためか、相身互いでなかなか摘発は...中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

  • 君が在る世を鎮考する

    このような気概と忠恕心をもった人物が存在する意義、それは政治権力や財の所有多寡にはない長(オサ)のような存在でもあろう。明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。ここでは、明治天皇の...君が在る世を鎮考する

  • 「人間考学」からみる唱和力

    雀の樹≪狼は月に向かって吠えるとはいうが、連らなって群れが吠えはじめると一定のリズムがあり心地よいハーモニーになる。何処にでもある唱和だが、人間界だけは調和もなければ連帯もない。かえって狭い範囲の軋轢さえ起こしてしまう。「和して唱える」とは、よく言ったものだ。いまは唱(となえ)に和するようになったが、それに疑問も持たないようだ。つまり、従うことに安逸している。≫さまざまな民族は複雑の要因を以って国家なるものを構成しているまた、環境に棲み分けられた人々は神と精霊の存在を認知し、それを共に畏れ崇めることによって宗教なり習慣的陋習をもとに連帯と調和を司ってきた。人は集い、衆を構成し、共通な陋習を掟や規範として血脈の継続と、拡大する衆の統制に活用した。それが衆を構成するシステムとして成立すると陋習は「矩」や「則」...「人間考学」からみる唱和力

  • 天皇誕生日の稿 あの時、民衆は御所に集まった 2015 9/19 再

    今日は天皇誕生日の誕生日であり、先の大戦後の極東軍事裁判で死刑判決を受けた重臣七名の処刑された日である。西洋ではメモリアルデーを重要視している。よりによって祝賀の一面を処刑報道で覆った企図に大人げなさを観る。本文中国の官制抗日記念集会は天安門に人集めをして兵士と武器を見せた。日本の安保法案阻止は国会に集まった。12万人と3万人との双方の発表だが、どちらも思惑のある数字だ。南京もシベリア抑留も、はたまたソ連の占領地域に在ったナチス収容所の犠牲者も後世は数字によって記憶されている。日本の数は治安当局(政府)発表と主催者発表だが、切り口や見方によって差異は有るが、この大きな差は何だろうという疑問はさておき、どうして国会に集まるのだろう。形式的には国民の選任した代議士が与野党に分かれて採決をするシステムに、それは...天皇誕生日の稿あの時、民衆は御所に集まった20159/19再

  • いま、陛下は何処(いずこ)に 15 7/27 改稿

    2016年掲載旧題あの頃に倣う移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない「移風」・・・忌まわしい雰囲気を祓い、新しい気風を起こす天明・天保、あの頃も天変地異は多発して人心は乱れただだ、民の窮状を直視し、禁中並諸法度を越えた英知で人心を整えた賢帝や国母がいた。それは民の依頼心や皇位の謀でもない醇なる忠恕心だった。真の学を作興し、ややもすると慣性に緩む宮中を整え、世に公徳心を喚起した。その威の力は、経年劣化に堕した幕府(政府)の軟弱さを露呈させ、民の離反を招いた国風に新たな清涼感を抱かせるには、物や便法ではなく、縦軸である維を新たにする忠恕の心であった。それが大御心に応ずる民(大御宝)の強固な国なるものの紐帯なのだろう。以前、日本の道徳的移風は王政(道)復古でなくては、との考えを記したことがある。文字解釈で...いま、陛下は何処(いずこ)に157/27改稿

  • 「五寒」 生じて国家無し その四

    文佐藤慎一郎氏「五寒」とは《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀が漏れる《女レイ》女性が激しくなる。荒々しくなる。孫文夫妻[両性の調和]娘、嫁、姑、姥、と変化する女性の表現文字は、男性から見ると、その積み重ねた経験の変化に、尊敬と慶び、あるいは慈愛にあふれた母性に感謝が込められています。言葉のニュアンスを論ずるものではありませんが、「女厲」にある女の烈しさと、母の剛さはその意味において大きな隔たりがあります。「強さ」と「剛さ」、「烈しさ」と「激しさ」も同様に似て非なるものです。女性には元々、性における特質があります。表現方法も男性とは違います。一つ一つの問題に互いの劣性、優性を争うものではありませんが、区別はあり...「五寒」生じて国家無しその四

  • 無学な平民が観る、憂慮ある現れ 19/9 あの頃

    前号関連稿大塩平八郎筆者は世が世であれば・・・・平民である。明治のころ、文明開化だの近代化だのと騒ぎ立て、藩主は華族はとなり、生き残ったは志士は軍人や吏員となって立身出世の風潮を煽った。高知の山内容堂藩主曰く「維新の無頼の徒」も功績をあげれば男爵など爵位が付いた。それらはベタ金と揶揄された記章で衣服を飾り貼り付け、勲章をぶら下げて髭を撫であげた。あの智将と謳われた秋山真之が天祐(天の助け)と呟いた日露の戦勝に舞い昇り偉上高になったのも、その元無頼の徒だったが、当の凱旋将軍の東郷平八郎は明治神宮の参拝にはうつむいて、まるで敗軍の将のようだったという。秋山は、゛神かがった゛と奇人扱いもされたが、日本の将来を遠望し鎮まりをもった処に自らをおいた。乃木希典も同様だ。それは戦地臨場にあり敵味方にかかわらず多くの若者...無学な平民が観る、憂慮ある現れ19/9あの頃

  • 「五寒」 生じて国家無し その二

    果たして我国の現状は・・・《五寒》中国は漢代のころ、当時の識者は国家社会を衰亡させる要因に五つの兆候があると説いている。其の一「敬重」ケイチョウ敬われる人物がいなくなる敬う対象がなくなるのか、あるいは敬意の心そのものを無くしてしまうものなのか、閨閥、学閥、財力、名誉、地位など人格以前の属性価値の変化から生ずる無秩序な社会の一過性の現象とも考えられる。いわゆる民心の混乱でもある。其の二「謀弛」謀(はかりごと)が弛(ゆるむ)大切な問題が筒抜けになる。相互信頼の欠如によって心の動揺が生まれ、公私の分別がつかなくなり我欲が際立つ社会構成になってしまう。また国家の重要な問題が他国に漏洩したりして、国家の維持機能が軟弱になったりします。また、綱紀が弛むなど自己規制がなくなる状態である。其の三「内外」ナイガイ内面の欠点...「五寒」生じて国家無しその二

  • 「五寒」 生じて国家無し 再掲載

    「五寒」生じて国家無しと言われる現象亡国の兆候顕著になって現れる姿は、政治、宗教、法律によるものばかりではなく、民族そのものの経年劣化、あるいは循環の妙ともいえるものである。分かり易くいえば、成功価値や幸福感の錯誤のようなものが人間と複合的社会の関係を考察する座標や、人そのものを観る「観人則」の亡失であるといってよい。宰相、荀悦が憂いた偽、私、放、奢を表す「四患」もその例である。以下「五寒」を照らして世俗の現象をみると、普段の情報知識とは異なる切り口でそり問題の本質が浮かび上がる。つまり自身の置所を変えた新たな感覚による考察が浮かび上がることでもある。《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀が漏れるゆるむ《女レイ》...「五寒」生じて国家無し再掲載

  • この有様は「五寒」の政外、内外の表れである 10 9 月 再

    平成29年、現下の情況は五寒にある「謀弛」、政治のユルミであり、隠していることが漏れる現象である。また、政府を取り巻く諮問会議など、都度に国会の審議を得ることもなく、為政者にフリーハンドを与えたシステムではある。だか、邪な意図をもった為政者なり側近が運用すると恣意的(思いのまま)に政策が遂行されてしまう。つまり、官邸と一部の迎合官僚と業者の関係のみで国会のチェックもない。面倒な争論を省き改革するには重宝だが、緩み(ゆるみ)と漏れ(もれ」は、必ず起きる。現下の騒動はその結果であり「五寒」に示す、謀弛の現象だ。再三にわたりブログで記すが、「四患」から「五寒」になる過程は、人心の劣化と国家の衰亡である。また、五寒にある「敬重」は、天皇、いや「天皇家」の意志にもかかわる問題である。そもそも、天皇といわれる日本独自...この有様は「五寒」の政外、内外の表れである109月再

  • 蟻さんから学ぶ、フリーライダー存在必須の意味

    20192/14あの頃《以下は関係サイトからの転載です》北海道大学の長谷川英祐先生が進化生物学の見地から詳しく研究し、一般向けの解説書を出している。それによると、働くアリと働かないアリの差は「腰の重さ」、専門的に言うと「反応閾値」によるという。アリの前に仕事が現れた時、まず最も閾値の低い(腰の軽い)アリが働き始め、次の仕事が現れた時には次に閾値の低いアリが働く、と言う形で、仕事の分担がなされている。仕事が増えたり、最初から働いていたアリが疲れて休むなどして仕事が回ってくると、それまで仕事をしていなかった反応閾値の高い(腰の重い)アリが代わりに働きだす。「疲労」というものが存在する以上、一見サボっているように見えるアリの存在が、コロニーの存続に大きな役割を果たしている。仮に全てアリが同じ反応閾値だと、すべて...蟻さんから学ぶ、フリーライダー存在必須の意味

  • 異なることを恐れない意志 08,8再

    粛軍演説で国会を除名された斉藤隆夫氏国際主義、平和主義、平等主義耳障りのよい文字配列だが、そこに自由主義、民主主義、はたまた経済構成を消費資本主義と管理社会、それらをミックスすると現代社会のようになり、茫洋としたなかで目標を描こうとしても、情報という便利魔物にかき回され、確かな答えがうっすらとモザイクを掛けられたような、まさに混沌とした状態が導き出される。そもそも「主義」なるものをみるに一例がある。戦前の碩学といわれた大川周明の日記の一章に、「近頃、主義と冠するものが増えたが、往々にして主義業のようなもの・・・」とある。つまり食い扶持を賭して主義を唱えていたのである。国際の云うところ、ボーダレス。平和が謳われると戦争への道程。平等は特徴を無くし却って不平を生ずる。自由は放埓、民主は分裂、消費は贅沢を生じ、...異なることを恐れない意志08,8再

  • 毒まんじゅうを喰らう政治 2012 あの頃も

    クリーンハンドの法則という言い方がある賄賂を貰うような汚職について、一度でも手を汚してしてしまうと、余程のことがない限り汚れは付いて回る、つまり何かにつけても弱みとなって言葉や行動が色眼で見られてしまうということである。神様でもあるまいし、と同類に慰められても、あるいは貰った当人しか知らないことでも、どうも居心地が悪い気分になり、言葉も行動も遠慮がちになる。「お前だって・・」と言われれば、「それとこれとは状況が違う・・」「一回ぐらいは・」と反発しても空々しく、日頃の貫禄など吹き飛んでしまう。なにも物のやりとりだけではない。煩雑で道徳域まで入り込んでいる法にかかれば、立ち小便、吸い殻のポイ捨て、行列の割り込み、あるいは何処かの妻持ち、旦那持ちと人情ごとまで邪推されたりするだけの風評で立ちいかなくなることもあ...毒まんじゅうを喰らう政治2012あの頃も

  • 「人間考学」前例執着から善例創造への臨機 11 4/17 あの頃

    「非道」一石百鳥ならぬ百石半鳥岡本義雄少し落ち着き始めると「前例」による紛い物の規制が頭をもたげるようだ。大勢の人を統率し、普遍的という冠をつけることに慣れた職位にある人たちによって前例が巾を利かすようになる。混乱状態になった現況には前例の投網を掛けることが、選択肢の少ない突発的事件には仕方が無いことでもあるが,従前の垂直指示が途切れ、判断不能になったとき現場当事者は少ない過去の例から探さなくてはならないのも現状である。同じようにマニュアルがある。アンチョコや教科書も同類だ。とくに人の管理が過度の規則などで括られると、家畜同様に時間と存在を管理され、考える工夫もないままに行動を習慣化され、創造的な意思さえ発揮できなくなる。そこに仕組みの標準化として「基準」と称する、現世一過性の時流が押し寄せると、それが例...「人間考学」前例執着から善例創造への臨機114/17あの頃

  • 干支の「龍」は何が起きるか不明 2012 あの頃

    山岡鉄舟「私することを忍び、以て大業を行う」小欲(私欲)を制して公に行動する尖閣も竹島も外交問題となっているが、突き詰めれば内政の目くらましだという。このブログでもその兆候は「五寒」を引用して記しているが、その内の「内外」に当っている。内容は国内が治まらないので外で気勢を上げたり、危機を捏造したりして国民の目を転じる状況である。それは「五寒」の表れに出る亡国の兆候だということだ。先日、華人的にいえば老朋友(古くからの友人)から連絡があった。第一声は「賄賂がすごくなっている」筆者の応えは「天が落ちるとき一番高いところに最初に当る、だから当らないうちに持つものを持って逃げる」政権が変わることは、天が落ちるときである。地位が高ければ高いほど危ない。ここ数年、多くの高官の親類縁者が留学、訪問を理由に外国に渡りその...干支の「龍」は何が起きるか不明2012あの頃

  • あの頃の娘への手紙

    親莫過(ばか)の繰り言でしたが・・・この度の合格おめでとう。でも、うれしく思いつつ戸惑いもあります。中学への進学と同時に新しい環境に入るについて、自分を取り巻く人々や祐芙子に対する社会の対応の変化に気が付いたときの気持ちと変化の問題です。人は勉強の成績やとりまく環境にどのように対応するかに注目しています。それは祐芙子の表面的に見える態度、成績、なかには着ている物や持ち物といった人間の表層に出たもので判断する人と、それとは別に嬉しいとき、困ったときにどんな態度をするのか、あるいは困った人がいたとき何が自分に出来るか、又、行動する勇気があるかを観察される年代になったということです。とりもなおさず、自分の心の勉強でもあり自分自身への観察です。色々な現象を目の前にして素直に感動し、感激したりする心の勉強です。それ...あの頃の娘への手紙

  • 4%金利で毎年40兆円の利子 2022/10 再

    萬晩報伴武澄高知発元共同通信経済部アメリカの長期金利の利率は4%。普通の金利に近づいている。日本は20年以上ゼロ金利が続いている。失われたものはとてつもなく大きい。金利上昇には当然メリットとデメリットがあるが、日本に金利が戻った場合のメリットについて話したい。日銀が6月27日発表した資金循環統計(2022年第1四半期)によると、家計金融資産額は前年同期比+2.4%の2,005兆円と過去最高となった。このうち、現金・預金が1,088兆円で、全体の54%を占めている。この1000兆円だけでもアメリカ並みの4%で運用されると国民は40兆円の新たな資金を手にすることになる。まずこれは消費市場において政府がこれまで打って来たどんな経済対策より強力である。次にこの40兆円には20%の税金がかかる。8兆円である。政府収...4%金利で毎年40兆円の利子2022/10再

  • 観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

    同郷、道縁、政治で言えば派閥などでよくあることだが、ここでは、゛咬まれた゛ときの咬むほうと、咬まれた側の応答に、愚かさと賢さをみるときがある。時代の推移と共に老、壮、青、小が入れ替わり、夫々のステージが変化してくるのは常ではあるが、無常観(一定ではない)をどのように消化するかは栄枯盛衰の流れを、どう捉えるかによって大きく左右され、不消化は怨嗟、反目になり、うまく消化すれば人生に重層された許容なり度量として賢く自身に内包される。一方、咬んだほうは高邁、狡猾になり、人との関係を計算高く見るようになる。とくに理解が半知半解であっても歓心を買うことにずる賢くなり、たとえ相手に道理が整っていなくても利のために追従し、かつそのような考察や行動が習慣化して軽薄な人物になってしまう。また、一方では往々にして理想を語り、大...観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

  • 少々昂じた書生論のようだが・・・ 2008 あの頃から

    ベンガルの哲人タゴール中華民国(台湾)のカウンターは北朝鮮か。ブッシュ政権末期、台湾は国民党政権になり新任の馬総統は大陸との関係交流を一段階上げたようにみえる。その台湾と貿易関係にある北朝鮮は米国ヒル代表に対して核開発の凍結を伝え、ライス国務長官は敵対的関係と制裁の解除を予告している。それに呼応するように外務省は北朝鮮交渉当局者との会談に入り、どのような経緯か拉致家族や関係者には分からぬまま、国民には唐突に思える制裁解除の手続きを始めた。しかも、その舞台装置はヒル次官補が再三にわたり事前会見に、おいて「拉致」を条件とする、いや日本政府になり代わって拉致家族に伝えるメッセージのように聴こえたのは妙に回り舞台の駆動に似た感じがした。これは北朝鮮を影響下におき、世界のATMと揶揄されている日本の助力で陣営の間断...少々昂じた書生論のようだが・・・2008あの頃から

  • 税と警察の姿で国民の信を得ることができる 14 1/20再

    岩木神社税と警察には政治家も腰をひく。目の細かい投網のような選挙法は警察のさじ加減でどの様にもなる。税も同様にサジ加減が利くが、警察の正義、税の公平が崩れたら国は自ずと融解する。国会でそのような分かり易い国家の根源的な論議は聞いた事はない。議員ですら口を封じ、いや問題意識すら抱かない、それよりか見て見ぬふりが現状なのだろう。1989北京近ごろはこの様な元気すらない日本。やはり仕方がない諦めか。標記は漢学者の安岡正篤氏の筆者につぶやいた呻吟でもある。くわえて子息正明氏もその経歴にある税務大学校長の経験から父の言をなぞっている。筆者も一方は自宅書斎で、正明氏からは小会(郷学研修会)で同様な社会観察、歴史考察から同様な憂慮を聴いた。当時、安岡氏の周囲には多くの集いがあった。何を意図しているかわからない経済人、政...税と警察の姿で国民の信を得ることができる141/20再

  • まちづくりに外国人の発想をという初夢 2015

    弘前城これも既得権益つまり政官の利権が災いしているのか?2008年の伴氏の章ですが、今と変わりませんね萬晩報主宰伴武澄あけましておめでとうございます。まもなく萬晩報は満10年を迎えます。ことしもよろしくお願いします。昨年来考えていることは、日本の物価水準が世界的に安くなっているのではないかということでした。日本経済新聞の新年企画は「YEN」から始まりました。アジアの人たちが日本で買い物天国を楽しむさ風景はまさに20年前の金満ニッポン人が欧米で繰り返したビヘイビアでした。日本の物価が高い、人件費が高いといっていた時代はとうの昔に終わっていたのです。47ニュースの編集で頻繁に目にする地方紙の記事はアジアからの観光客誘致です。正月にも山形新聞は蔵王での韓国からのスキー客誘致の話題がトップでした。日本の半分以上の...まちづくりに外国人の発想をという初夢2015

  • 還りたい あの頃のつずり あの頃 08 9/25

    夏が過ぎると候を待ち臨んでいたかのように草花が甦ってくる。古より、「天高く・・」と詠まれているが、首(こうべ)を巡らせると透き通った円空が目の前の海に溶け込んでいるかのように水平線が混色している。そこから海原を渡り水際から足元に眸を転じると、不思議かな視界が狭くなり,仕舞いには黙想状態になる。日頃世俗の事象に追いかけられているものにとっては、一瞬であろうが、言いようも無い独悦の刻でもある。それは、ことさら憂いや悩みがあることではない、ただ還ってみたいと思い立ったのである。世間知らずのガキが憧れの車を駆って、よく訪れた処で、同じ情景を味わいたかった。時を違えているがガキのころの気持ちと何ら変わってはいない。あの頃は嬌声に囲まれ騒いでいたが、今は浮世の戯言の訪れに口耳四寸を駆使するくらいにはなったが、゛独り゛...還りたいあの頃のつずりあの頃089/25

  • 投票前提 吾は社会そのものなり. 9 8/20 再

    以下は前コラム「国賊的・・・」に対する東夷学徒さんのコメントに対する応答です。東夷さんの了解を得る手段もありませんが、拙文の趣意に免じて参考掲載いたします。「われ未だ木鶏たりえず」(東夷学徒)2008-09-1401:44:14こんにちは。私の質問に対し、いつもご丁寧に返答頂き誠にありがとうございます。自民党総裁選と並んで、今国民の視線が注がれている問題として、大相撲の外国人力士の大麻汚染疑惑?問題が挙げられます。「われ未だ木鶏たりえず」という名言を残した角聖・双葉山の『心』の師であった安岡正篤氏がもし生きておられたなら、角界の一連の不祥事をどのように受け止め、一体どのような改革・再生に乗り出されたか、天上の安岡氏に聞いてみたいと思うばかりです。弛緩(孫景文)2008-09-1413:01:51国家が弛緩...投票前提吾は社会そのものなり.98/20再

  • 裕福な家のメイドより、貧乏でも自由が欲しい. 15.8/13 再

    ある在日の若き韓国女性の呟きごとだ。姉は結婚もせず事業に邁進しているが、独りよがりな強引さに妹は鬱陶しくなっている。姉も淋しがりやだが性格なのか他人を信じない。また金で人はついてくると考えている。別段、何に追いかけられているわけでもないが、つねに頭から事業が離れない。姉妹は普段は人情もあり仲は良いが、喧嘩するとパトカーが来る激しさがある。日本に来てスッキリしない自分の国の問題と情緒に染みついている感情は、ときに嫌になる。他人に烈しくみえるのは、我が解らない、いた堪らないなのかもしれない。今まで周りは「我」として生活してきた。「自分」という考え方が習慣化されていないようだ。本当の自分を知って広い心で周りの人をみるべきだろう。だが、そうしなければ生きられなかった地域の諦観(あきらめ)なのでしょう。儒教でもかた...裕福な家のメイドより、貧乏でも自由が欲しい.15.8/13再

  • 人間考学 歴史の静止考証と動態活学 08 3/18 再

    枝頭の梅花によって春の訪れを知る(師からの便り)《殺伐とした欲望と偽善の環境は、ときに素晴らしい情感を潤いとしても表現することがあるという。我が国の男文化の昇華は、戦国時代、幕末、敗戦直前の死生観から生じていると・・・、それは、実直、真摯、洒脱、大らかにも見える義挙への靖献の清々しさであろう。》以下珍奇な切り口ですがこのところ起きる様々な事件、事象を歴史に記述するにあたって、その因果関係を考証するに旧約聖書の預言に求めたり、地球が宇宙の構成要因として物体の経年上避けてとおれない大気の変質や基盤変化などが、人間の所作である歴史の現象に深くかかわっているような論を聞くことがある。分派、分裂してボスと、その他一同を抱える学派にはみることはないが、これも人間の「識」(道理)の変遷とすることを歴史考証の成り立ちとし...人間考学歴史の静止考証と動態活学083/18再

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の六

    中央は若かりし頃の邦彦氏(下中邸観桜会)下中邸は国道二号線の池上を過ぎたあたりを右折した小高いところにあった。閑静な住宅街のなか、石垣塀に囲まれた高台に広々とした芝生の庭が続き、玄関を覆い包むように桜の大木があり、和洋折衷の家屋がカネの手に作られている。観桜会はライオンから生ビールのケータリングと邦彦さん好物の瓶覗きという壺酒が用意され、新筍の照り焼きや混ぜ飯、そして主人の鍋奉行でおでんが提供された。参会者は各々庭で歓談しているが、主人は開け広げの縁側で楽しそうに眺めている。和服姿の麗人もいるが、さすがに飲み仲間の杯は早い。ともあれ、あの出版界の怪物と謳われパル博士と義兄弟の契りを結んだ下中弥三郎が思索を廻らした庵である。好物の銘酒カメノゾキを傍らに鍋奉行を任ずる亭主の箸捌きに具が踊る。「弥三郎釜の桜の会...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の六

  • 財流は欧州から米国、そして孔子の国へ 2009,9 再々稿

    色、食、財、三欲、とくに財の欲望は、あらゆるものを誘引し、同化する。肌の色は違えど、その欲望の指向するところ、具体的には似て非なるような興隆と衰亡の循環は、軌道を同じくして同衾に近い状態に導くだろう。それは表層の政治状況とは異なる裏面の戯れのように進んでいる。半藤さんの読みは鋭い。さまざまな意図を推考するあまり本質を見失うことがある世はインテリジェンス流行りだが、相手の本意と次の行動を予想して策を労するようだが、知識があっても胆力なく、小欲があっても大欲なく、いわんや連帯と調和を失くした国家には対応力もない。本質は事象の探索ではなく、人間の問題から発する欲の行く末と観れば容易に見当がつく。歴史からみれば一過性だが、米国は中国に向かう。それが財の目的、支配の意図、だとしても現世利益優先のグランドは大陸に向か...財流は欧州から米国、そして孔子の国へ2009,9再々稿

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の五

    《銀座ライオンビヤホール》下中邦彦氏との機縁と淡交友誼松坂屋の新橋寄りにライオンビヤホールがある。戦前からの古めかしい建物だが一階のビヤホールは天井も高く、照明は今ではアンティークになるドイツ製、正面のモザイクタイルで描かれた裸婦の壁面は戦時中、乳房が隠されてたというエピソードがあるくらいハイカラな内装である。戦後の一時期は進駐軍に接収されバーベキューの燻りでホール全体が煤けているが、それも変遷の激しい銀座の路面店では珍しい歴史の名残として絶妙な雰囲気がある。モザイク壁画を背にしてビヤカウンターがあるが、ウェートレスが忙しく運ぶビールの飛沫が掛かろうかという場所に常連席がある。週末は入り口に列を作るほどの盛況さだが、その脇をすり抜けて常連席に着く人たちがいる。互いに氏性を聞くでもなし、ましてや出自や社会的...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の五

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の四

    日本の青年へ端緒数年前、ことさら畏まった日ではなかったが九段の杜で刻を過ごしていた。この域は別段の想いを懐く処でもあるが、騒がしい世情から脱した時空を思い描き、時の経過を自省するには謂うに言われぬ潤いを感じさせるところである。また昂揚するも、それが還って鎮まりを請来させるような雰囲気を漂わせるまさに鎮護の杜の佇まいである。その参道の門前にテーブルを並べて書籍を販売する一団が在る。掛けられた襷には英霊の会と墨記され、見受けると老齢ではあるがかくしゃくとした健児のように眼を輝かしている。一冊の本が目に留まった。〔パール博士の日本無罪論〕、アジア人らしき人物の写真が表紙を飾っている。靖国のそれらしき本かとベージを捲ると、裁判の判決文や著者の考察があり、終章には思わず引き寄せられる稿があった。「日本の青年へ」とし...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の四

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の三

    パル・下中記念館の回想神奈川県箱根町、国道のつづら坂に沿って見落としがちな小道が旧道に向かって入り込んでいる。端には壊れた外国のスポーツカーが朽ち錆びて棄てられている。鬱蒼とした径に歩を進めると急に視界が開ける。広場のようになっているが、もとは芝生だったのだろう。周りには夫々異なった種目の建物が囲んでいる。右奥は低層のリゾートマンション風、左は二階建て研修道場風の建物があり、左手の小高く造成された石段を登ると拝堂がある。何かを鎮座するためのものだろうが、手入れの行き届かない周辺の様子ではある。それでも何かの意思を持って構成された建造配置であることが分かる。振り返ると広場の入り口の左手に自然石で作られた碑がある。和文とベンガル語によって記されている碑面は、雑草が蔽い風雨に晒され判別が難しい。拝堂の裏手の奥ま...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の三

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 其の二

    『日本の寺は博物館のようだ』京都に訪れたときの感想である。寺は人が集まる場所、という意味があるが、僧侶が観光ガイドとなり、拝観と称して入場料をとり、はたまた落語会、演奏会などイベント会場として用をなしている。寺とは僧侶の学習の場所であり、目的は民衆を救済することにある。パル博士には寺院がそのように観えたのだろう。インドの司法家ラダ・ビノード・パル勝者が敗者を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)の判事として、また唯一裁判の無効性を唱え独自の見解を残したパル判決文でも有名な人物である。出身はインドの哲人、賢人を多く輩出したベンガル。ここでは東京裁判や靖国問題など、言論思想界に登場するパル博士ではなく、ヒューマニティあふれるパル博士の人柄と日本人の交流を取り上げたい。なぜなら、巷間パル博士の言動は戦争の惨禍の後にある...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル其の二

  • 義理と人情に やせ我慢

    あの暴れん坊将軍の松平サンバ?演じる徳川吉宗の御世、大岡越前とめ組の鳶頭が活躍した頃のことである。当時の江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるくらい火事が多かった。花街は吉原が有名だが、以前は日本橋に在った。夜は行灯ロウソクの不始末を恐れて昼の営業だった。真昼間から!!!さらに驚くことは、当時の武士は夜間外出が禁止されていたため、もっぱら武士の花街通いはマッ昼間だった。つい最近までは霞ヶ関も昼の接待ゴルフと夜のノーパンしゃぶしゃぶにと、玉遊びと覗きに高学歴の似合い趣味だが、あの剣豪と謳われた武蔵も常連だった。江戸開府当時は町民の7~8割が独身だと杉浦女史も記しているが、女郎さんも忙しかったに相違ない。昨今、義理は古くて人情は野暮と言われているが、庶民のやせ我慢の伝統は生きている。女はシナをつくり、男は形...義理と人情にやせ我慢

  • 文は読むこと、読まれることではない 読者所感

    まさに、筆者としては恥ずかしながらの収受した読者の希文ですが、ご了解を戴き掲載させていただきます。氏は鹿児島県出身の元治安官僚です。拙文ながら御賢読いただき、ときおり顔を見せては洒脱な話をします弘前城公園ブログを拝見し、僭越ながら私の感想を述べさせていただきます。前書き(ブログ全体を通し、)今の時代の数々の問題を、枝葉は気にせず根本的に、いろいろな方向から客観的に分析し、回答まで導いており、見識の深さと肩を張らない自然体で物の見方を教えてくださり読む人に問題意識をもたせるブログと感じました。全体として博愛主義で、多くの人と交流するが、どのような人にあっても、どのような場面でも人を差別せず、同じ目線で来る者は拒まず、去る者は負わず、自主性に任せる、実に懐が深いお考えをもたれ、うらやましい限りです。私などは直...文は読むこと、読まれることではない読者所感

  • 府中刑務所 12 7/5 あの頃

    八嶋龍仙作青森県弘前市在あの大国魂神社や競馬場で有名な府中市は東洋一といわける威容を誇る?刑務所でも有名な場所だ。三億円事件の舞台となった刑務所の塀に沿う道路は東芝府中工場が隣接し、その広大な敷地を囲う施設は、さほどの興味を持たなければ内部の様子など知る由もない。昔、八王子や府中近辺は甲州と江戸の境目にあたり、神社の祭りにはそれぞれの勢力が角突き合い、露店の売り物だった鎌や鍬などを喧嘩道具にして亡くなったものも少なくなかった。また神社の掲額に和算が記されているほど農閑期には学問も盛んだった。ちなみに芦ノ湖からの導水建設も和算である。つまり斜面を上下から掘り進んで合致する計算である。ちなみに近鉄の生駒山トンネルは近代工法で行ったが合致点ではずれが有ったという。西洋方程式と和算は計算方法も異なるが、その慣性に...府中刑務所127/5あの頃

  • オンナが求める 金と面白さと易しさ 04 あの頃

    よく「ヤサシイ男性が好き」とはあるが・・・「優しさは」人を憂う(心に留める)と書くが、「易しい」は相手の能力程度に合わせてくれる心地よさでもあろう。優しいことは相手のために厳しさともなったり、別離さえあるがが、易しい人はの関心は、無関心、事なかれ、あるいは別の理由があるのかもしれない。今回はオトコではなく、オンナです。最近の女性へのアンケートだが、年代によって優先順は入れ替わりがあるが、女性にとっての三大用件は標記のようだ。例題の出し方が露店に並べられたバナナの口上ならまだしも、「裏も表もバナナだよ」と言いくるめられて妙に納得する見物客のようで面白い。あくまで男子への興味と付き合いの条件だが、旦那元気で留守がいい、と言われて久しいが中年は総じて金だ。つぎは吉本興業の若手芸人なみの面白さだが、レベルに合った...オンナが求める金と面白さと易しさ04あの頃

  • 当世知識人の「言、二貨無シ」 再

    言うことに二貨はない、つまり「掛け値の無い値段」ですよ、という意味だが、二貨はないが、三貨、四貨は有るとのことだ。良いも悪いも無い、面前応答を楽しんでいるのである。『大人(タイジン)、まけとくよ』終いには半値、七掛けまで値下げして、『大人には参ったょ』、と破顔笑する店の主人の愉しそうなこと。ついつい要らぬものまで手を出してしまうことがある。たとえは変わるが、時の経過に集積された事例を根拠とした肴をネタに、言や文という表現方法によって虚を実のように思い込ませる技を生業にしている知識人と称する一群がいる。それは、単なる無知と有知の違いだが、土壇場の勇智にならないのが常である。縁と機によって修得した「知」が、いつの間にか「識」となり、食い扶持の「職」となったものたちだが、真の知に格たる教養の有無を問うわけでもな...当世知識人の「言、二貨無シ」再

  • 衰亡の歴史を感知する習近平の国内政策 その①

    ものごとは、是は是,非は非と分別されなければならない。ロシアや中国の行うことはダメ。米国や西欧圏の唱えることは善。あるいは独裁国家だから自由がない国民は可哀そう、自由のある米国や日本は幸せとの感覚も同様にある。もしも、そのような印象でみれば、努力更新すらすべて歪んで感覚でしか見えない。筆者がはじめての訪問時に遭遇した天安門事件の頃、当時、日本人の浅薄な中国への印象は、汚い、遅れている、自由がないと。地方から都会に来て、しばらくすると同郷人を田舎者と嘲ることに似ている。あるいは戒厳令下の小学校訪問での印象を帰国後説明した際のこと、休み時間は文具か机の右側に揃えられ、パソコン教室は種類の異なるメーカーのディスプレイに白い布で覆われ、整理整頓、清掃が行われていた。なによりも教師に対して尊敬し従順だった。天安門で...衰亡の歴史を感知する習近平の国内政策その①

  • 至る処 青山在り 07 5/31 あの頃

    人は生地は判っていても、死に場所までは解からない。ただ三島氏のように死に場所を決めて、その自裁する意味を最後の言葉として発する華々しさもあれば、一瞬な事故や他人から殺害されたり、あるいは、自宅の床や病院で死を待つ最期もある。ここで記す革命家の死を想定した覚悟は、たとえ誰にも見取られない側溝泥水や異郷において斬首されることも想定しているが、彼らには肉体消滅に勝る覚悟が本懐となっている。死生観など望むべくもない昨今、説法や語りもの、あるいは医学的に骸となった死に意味合いを持たせ、知った、覚えた、類の知学と理解はしているが、生命や行為に死というすべてが無に帰す時と存在、あるいは生きた証を利他に提供する気概は、キナ臭くなった近未来に新たな課題として現代人に問いかけている。謳われる平和や自由は、どこに、本当に在るか...至る処青山在り075/31あの頃

  • 対支二十一箇条要求をたどり観る 2009 12 再

    20214/13日刊ゲンダイ連載で保坂正康氏が、対シ二十一カ条要求は大陸シナの植民地化と書いている。以前、安岡正篤氏道系の埼玉県東松山にある郷学研修所で保坂氏とお目にかかったとき「国際問題研究所」の私冊子をお渡ししたことがある。それは当事者から直接、佐藤慎一郎氏が聴取した内容である。泥沼化、日本軍部の横暴、北進から南進、政治の動向、いろいろ記載するも、その謀略企図や、それによる情勢の変化などは参考とされなかったようだ。国民党幹部の聴取もある中で、蒋緯国氏の記述もあるが、来日時には佐藤氏と自身の出生についての秘話など語り合っている。また、氏の著書にもある孫文と山田兄弟の逸話は、山田純三郎氏子息の保管していた資料からの転用記述ではあるが、この資料は行動を共にした佐藤慎一郎氏の膨大な資料の一部子息に寄託されたも...対支二十一箇条要求をたどり観る200912再

  • 可愛い女傑たち 2017 2 再

    可愛いか、可哀いのかはそれぞれだが、事と次第によっては熱狂と偏見、悲壮感さえ漂う雰囲気がある。街中では歩けないような原色スーツで身を装い、赤絨毯を闊歩する女性閣僚たちの予備軍のような方々であった俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。以前、政治評論家の板垣英憲氏の主催で「可愛い女傑たち」というパーティーに誘われた。普段は政治の裏側や政策評論などを生業としていた板垣氏の呼びかけだったが、参加者はそれなりの女性だが...可愛い女傑たち20172再

  • 家督と家業、そして国家を担うこと 2016 8 あの頃

    昨今の権利意識は家督と家業を混在させ血縁親族が相争う様相である。とくに、「経済生活での競争は人情薄弱な世の中をつくるだろう・・」と、以前に拙章で記した社会の構成と流れがその因だろうが、民主と自由という恣意的な喧伝は人々を、゛易きに流れる゛方向に向かわせている。つまり家督でいえば、親子や兄弟姉妹の分裂を招き、「個」の発揮というこれまた自由の屏風をたてに個別財の確保、あるいは家財の分散確保に向かうようだ。もちろん財を税務管理する「法」を建前として個別権利、個別相続といったことがしごく当然といった考えで個々の齟齬を発生させ、より分断や分裂を進捗させている。ここでは成文法の「清規」と掟や習慣にある「陋規」の分別の無理解であろうが、そのことの有ることすら認知しない人々の煩い事でもある。よく長兄の家督というが、商人の...家督と家業、そして国家を担うこと20168あの頃

  • 嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。 あの頃 23 2/7

    嵌って・・・ハマって読者からの資料を含む友人の税理士から届いた知らせを転載しますQ&A(質問と応え)これは課題ではなく、今の時点では仮題である。消費税そのものを論ずることは課題だが、想定問答を徴収するする側が仮題であってもクイズもどきの質問と答えを出されると従順と随う民癖には、さぞ丁寧に感ずる国民もいるはずだ。最近、国家を具体的に表す権力為政者の姿は、それに問題意識もなく面従腹背を従順に装う役人、ここでは税官吏の無謬性(間違いがないとの前提)が疑われている昨今、たとえ仮のケースであっても、クイズもどきにして混乱を整える作為には、とこか腑に落ちない。代議士が争論談合して、なんとなく決まったようだが、国民の多くは、どうにかなるだろう、これも慣れるしかないと、種々繰り出される政策同様な諦観(あきらめ感)をもって...嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。あの頃232/7

  • 北から、東からは大軍が押し寄せるという預言 そのⅡ 旧稿

    数年前から幾度となく掲載していますが・・・今回、中東イスラエルで起きた戦争を機に、聖書の黙示録に記されているエゼキエル戦争について多くの識者から様々な論文がだされています。伊勢の式年遷宮(20年ごとに更新)同様、聖書にも7年周期が記されています。7✖️7の49年、およそ50周年がヨベル年、それが今年の9月16日からその年といわれています。最終的にはイスラエル(カナンに聖地)に北からロッシ(ロシア)東から大軍、以前は異教徒のイラン(ペルシャ)、トルコ(オスマン帝国)でしたが、最近は一路一帯を掲げ大国となった中国もありますが、書かれた当時の預言ではそのように記されています。それが旧約聖書に書かれている最終戦争ですが、惨禍消滅ではなく人間世界の更新とも読めます。中国と記しましたが、現在はユーラシア大陸を横断する...北から、東からは大軍が押し寄せるという預言そのⅡ旧稿

  • 民情を変質させる面前権力である税と警察の自堕落 10 11/26

    末尾次章に安岡正明氏「地方行政官の心得」掲載税吏の職務日誌抄【電子書籍】[五十目寿男]江戸の仇は長崎で・・・・狡猾な官吏は時を置き、場を変え、しかも大義を謳って仇を返す、昔は江戸の恥をかたちを変えて長崎で遂げるそんな譬えだろう。官吏同士ならまだしも、こと官吏と庶民の関係にあろうものなら庶民は抗弁する間もなく残酷な苦しみを味わうことになる。こうも煩雑で怪奇な法を駆使されて懐中を召し上げられると、つい反論したくなる。諸情報に例を引くと、曰く・・・裏金、便宜供与、交番勤務が専ら切符切り、選挙法による議員のコントロール、関係現業への天下り、親族の就職登用の便宜、等まさに紫禁城の宦官のような「禁ずるところ利を生ず」の有様だ。税官吏も同様だ。己の源泉税を操作して背任横領、OBの税理士斡旋や恣意的節税ならず帳簿偽装、成...民情を変質させる面前権力である税と警察の自堕落1011/26

  • 「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・ 15 8/8 再

    北野武さん≪3/10また教員が頭を下げている。≫筆者がガキの頃、毎月爺さんと浅草に行った。本堂の足場が架かっていた頃だが、普段は教えもしなかった爺さんは「あの瓦の裏には名前が書いてある」とぼそぼそ語っていた。どこに行くのも、いつも、゛なっぱ服゛を着ていたせいか、本堂から六区に行く途中の路地の呑み屋で一杯入れていくが、店の婆さんが『税金の都合でお銚子一本になっているんで・・』と、浅草でも着なりをみるのかと不思議になった。爺さんは孫の前で恥かしそうだったが、余分にスズメという串刺しの小魚をたのんでくれた。六区では石井きん、大江美智子、浅香光代、大宮デンスケの人気者が看板を掛けていたが、総なめした。そのうち明治座で曾我廼家五郎八まで連れて行ってくれた。ロック座があったようだが、爺さんは早足で劇場側を歩いて見せな...「教員の待遇を良くして給料を上げよ」と、北野たけしさんは言うが・・158/8再

  • 外交とは・・・日本人はどこに 08 1/02 再

    【請孫文再来】寶田時雄著より(kindle版著名天下為公)≪日本人はどこに・・≫山田純三郎はことごとく曲解され,命まで狙われた純三郎の心には、そんな肉体的衝撃の危機にも増して,孫文に付き従い恵州で捕らえられ「日本人」だと告げれば死を免れたが、あくまで「支那人だ」と言い張り斬首された兄,良政の意志を、孫文に共鳴する独りの日本人の志操というだけではなく、独立した真の日本人としての矜持をもってアジアの将来に献じたものだと映っている。孫文は革命に殉死した兄・良政の志操を懐かしみ、終生、弟・純三郎を側近において、ときには叱り、あるときは激励して共に歓喜した孫文は、純三郎にとって革命の指導者であり、人生の師であり慈父のような存在であった。それゆえ、国際人となった純三郎なりの先見の推考で提言しても、日本に受け入れられな...外交とは・・・日本人はどこに081/02再

  • 舌鋒火を噴くベンガル魂

    東條英機首相少々間を置いた寄稿だったが、他ならぬ理由があった。以前、ベンガルの虎のことを記した。そして近代史の中でベンガルの有志と交流のあった岡倉天心とタゴール、頭山満とビハリーボーズ、下中弥三郎とラダ・ビノード・パル、東條英機とスバス・チャンドラ・ボースとの交流でベンガルと日本の関係の深さも記した。その関係史とインド亜大陸のなかでのベンガル地方の教育と、輩出した英雄や賢人などを紹介する「知ってる、知らない日本」という本が在日20年のシャーカー氏の筆で出版された。政治、経済、はたまた江戸文化吉原まで、彼曰く、゛下座観゛を駆使して記されているという。今回はベンガル語の出版だが、予定では英文、和文と作られる。本来、ODA(政府開発援助)による援助に添えて前記した貴重な人間関係を讃え、感謝する関係になりそうなも...舌鋒火を噴くベンガル魂

  • ひと括りに、「暴力団」といわれて久しいが 08/7再

    清水の次郎長暴力団といわれるが、これを以ってすべからく犯罪集団と思えない現象があった。通称、犯罪集団は各々の行為を冠して、詐欺団、窃盗団、集団行為に痴漢、ワイセツはないが、強盗あるいは暴走族など犯罪種別によって団や族に括られているようだ。あの族議員も同様な意味を含んでいる。余談だが「党」もある。旧字では「黨」、賞と黒だが、黒を賞する。隣国の古老の語りだが、党は悪党はいても善党とは言わない。党はそのような徒の集まりだから善いことをは行わない。近頃では、秋葉原事件など「堅気(かたぎ)」の凶悪犯罪が多発しているが、昔は刀剣、銃といった道具を用いるのはプロの仕事とされてきた。それは、あくまで気質の如何が重要視されたものだが、そこの境界を、゛義理と人情とやせ我慢゛で分けたのが、渡世をはるものの矜持だった。清水次郎長...ひと括りに、「暴力団」といわれて久しいが08/7再

  • 再読 2001年には多くの反論を頂いた拙論だが・・

    「名山の元に名士在り」と詠われた青森県岩木山2001年初頭の寄稿で「今、地方への下放の時代?」という題名だった。今、地方は疲弊しているという。そして都市に人々が集まってくる。何かおかしい、近代国家日本・・・以下、本文糜爛(ビラン)文化の写し絵でありながら中央思考の強い雑薄な人間が集い、情報というガセネタが飛び交う東京を中央と勝手に呼び、その他の地域を身勝手にも地方と錯覚している。地方といえば「文化程度が低い」はたまた「インフラ整備が遅れている」だから「食っていけない」などと評価したり、そんな御仁に限って隣国やアジア地域を「遅れている」「後進国」などと呼称している。地図上の呼称である「何々地方」はあるが、都会人が哀愁なのか、それともたまに出かける物見遊山の想い出からか、「地方の文化」などと褒め上げても鼻白む...再読2001年には多くの反論を頂いた拙論だが・・

  • 彼らの低俗で卑しい手段と態度 11.11再

    「なでしこ」関係サイトより転載よく政治家が庶民に親しむと称して記者を引き連れ居酒屋談義をする。似たようなことだが、台風や震災などにみまわれた災害地に現地視察と称して真新しい作業着を羽織って、行列を組んでいる。作業着が慣れないせいか、生地がなじんでなく恰好悪い。着心地良くするには、一度洗濯してから着るのが普通だ。なかには襟を立ててファッションを気取っているが、国会で作業着ファッションとはさまにならない。たしかに自衛隊は制服の隊員として被災地で神々(こうごう)しい姿を魅せたが、一方の制服マニアにはその風はない。民主主義の国民代表は大衆から選出され、議員としてその任に就いている。内閣を組閣すれば官僚を統括し戦闘命令さえ出せる負託された権力をもっている。その代議員になるためには平身低頭、街頭に立ち笑顔を振りまき、...彼らの低俗で卑しい手段と態度11.11再

  • その人は任侠の薫がした 13 4/9

    青森県は県下を南部とよばれる地域と西方の津軽とよぶ二分する地域があるが、その津軽氏を藩祖とした城下町に弘前という市がある。あの「名山のもとに名士あり」と詠んだ明治の言論人陸羯南の生地でもある。その弘前で幾度か訪れた居酒屋でのことだった。「わっ(我)が作った漬物だ、旨いよ」カウンターの隣に座った客が近ごろ心地よくきけるになった津軽弁で女将に持ち込んだ漬物をしきりにすすめる。酔客にもこだわりを持たないせいか、また旨かったためか話がはずみ、カラオケが始まった。この地域の人たちは歌が巧い。よく男は陰気で頑固、足の引っ張りが特徴だと津軽の女性はいうが、ここには威勢よく威張るような、あるいは開けっぴろげで粋な江戸っ子のような軽妙さは少ない。だが、腹は同じだとおもえる素振りがみえる。女に好いかっこしい、酒が好きで歌が巧...その人は任侠の薫がした134/9

  • 試されている 2008 1/9 再

    昨年の雑感と未だつかみ処のない今年の在り様は、自らの甲羅に合わせて穴を掘るという蟹にも及ばない状況だ。そもそも己の甲羅の大きさや背中を見ることの出来ない感覚では穴さえも掘れなくて当然ともいえる。そんな至らぬ若輩でも背中を押してくれた先輩諸氏がいた。しかし明治の気風を醸し出した多くの先達も年次を追うごとに姿を隠してしまった。それも、゛話し相手゛、といっては失敬だが、無位無官に加えて無名浅学な小僧相手に口の渇くのも忘れて押し込まれたものが牛の反芻のように身体を駆け巡る、そんな期が訪れたようだ。ある老人は「恩讐を超えて復(フタタ)縁は甦る・・」と縁の断絶による良知の習得の不可を説き、市井の哲人は「貪らざるを寶と為す」と書をしたため、大陸浪人は「知識の馬鹿は無学の莫過(甚だしく能力がある意)より始末が悪い」と喝破...試されている20081/9再

  • 侠客が郷に入ること 09,11再

    以前、安岡正篤氏と恩師の席のことだった。大勢の参会者があったが懇話しているときに凝視せざるを得ない容像の人物が近寄ってきて慇懃に頭を垂れた。大柄ではないが強固な体躯で白髪、目じりが細く荒ぶれた様子はないが、畏怖を感じるような重厚さがあった。いつものことながら安岡氏は丁寧な礼を返していた。どうも安岡氏の傍にいると政治家、財界人、官僚、浪人、侠客など人別をこだわらない、しかもその道の人物が近寄ってくる。かといって誰でも近寄るわけではない。民主党の黄門と自称している渡部氏も当時は竹下氏に連れられて来ていたが言葉すら発することが無かった。当時は田中角栄氏が裏面の権勢を振るっていたが、ある席で、゛別席に安岡先生がいらっしゃっていますが・・゛と女将が促すと、身を縮めてセンスを振っていたという。安岡氏が「一夜、沛然とし...侠客が郷に入ること09,11再

  • 疑問の源泉 柔軟剤?

    秋山真之氏このままでいい、いや変えなくては、との様々な世俗の評を観る時、直すべき対象を吾が身に振り返るときがある。ものを書き、ものを云ってみたところで、その技量の乏しさの為か余計に滞留するものが滲み出ることがある。それは衣服を伝って表面に染み出るように、云い難い匂いを漂わせている。若い頃、よく古老から「問題意識を持ちなさい」と言われた。また、それを素朴で純粋に観察する為に「無名かつ有力に」と付け加えられた。力を抜くことでもあろう。近頃は懐中の厚みや、食い扶持となる釜の蓋を開け加減を横目で見ながら、自分にとっての人生の仕事の住処について譬えられる、蟹の甲羅に合った穴探しに没頭している。掘ったと思えば狭く、あるいはユルイ、下手な穴掘りでもあるが、身を休めるつもりは無い。気は阿修羅だが、お人好しの気弱で、お節介...疑問の源泉柔軟剤?

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まほろばの泉さんをフォローしませんか?

ハンドル名
まほろばの泉さん
ブログタイトル
まほろばの泉
フォロー
まほろばの泉

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用