ギエドレ・シュレキーテという女性指揮者がN響の定期演奏会に初登場した。シュレキーテはリトアニア出身。2023年には読響を振ったらしい。 1曲目はシューベルトの「ロザムンデ」序曲。リズムが粘らず、快適なテンポで進む。テンポを落とす部分も、音楽が停滞しない。何か特徴がある演奏ではないが、十分にシューベルトらしい演奏だった。 2曲目はドホナーニ(1877‐1960)の「童謡の主題による変奏曲」。童謡とは例の「きらきら星」だ。ピアノ独奏と大編成のオーケストラ(たとえばティンパニは2組だ)のための曲。オーケストラの物々しい音楽で始まる。それが一服すると、ピアノが「きらきら星」を弾き始める。その意外性をね…
尾高忠明が読響の定期演奏会を振った。プログラムは亡父・尾高尚忠(1911‐51)の交響的幻想曲「草原」(1943)と、尾高尚忠が亡くなる2か月前に日響(現N響)を振ったブルックナーの交響曲第9番だ。 交響的幻想曲「草原」は前に一度聴いたことがある。サントリー芸術財団のサマーフェスティバル2017で下野竜也指揮東京フィルが演奏した。そのときの記憶は薄れているが、でも当夜の演奏はだいぶ印象がちがうと思った。下野竜也と東京フィルの場合は淡い色彩の演奏だったが、尾高忠明と読響の演奏は濃い色彩の力演だった。 冒頭は幻想的な音楽だ。岩野裕一氏が執筆したプログラムノートに尾高尚忠の文章が引用されている。その…
東京交響楽団(「東響」)の定期演奏会。指揮は沼尻竜典。1曲目はバルトークの組曲「中国の不思議な役人」。先日オクサナ・リーニフ指揮の読響で聴いたばかりだ。どうしても比較してしまう。3つの誘惑はリーニフ/読響の方がおもしろかった。沼尻/東響は3つの誘惑がどれも同じように聴こえた。反面、中国の不思議な役人が少女を追いかけまわす場面では、リーニフ/読響の濁流のような音(衝撃を受けた。ちょっと忘れられない)とは対照的に、沼尻/東響はクリアな音だ。 2曲目はリストのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はマルティン・ガルシア・ガルシア。人気のピアニストだ。当日のチケットは完売。おそらくガルシア人気のためだろう。わ…
コンポージアム2025「ゲオルク・フリードリヒ・ハースの音楽」
「ゲオルク・フリードリヒ・ハースの音楽」。ハースは1953年オーストリアのグラーツ生まれの作曲家だ。演奏はジョナサン・ストックハンマー指揮の読響。 1曲目はメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」。粗い演奏だったので、感想はその一言でもよいのだが、その演奏を聴いていると、ストックハンマーのこの曲の捉え方がわかる。穏やかな部分はそれなりに。だが激しい部分は、たとえていうなら、船が転覆するのではないかと心配になるくらい激しい。この曲の水彩画のようなイメージとは異なる捉え方だ。 2曲目はマーラーの交響曲第10番の第1楽章アダージョ。冒頭のヴィオラ・セクションの音が肉厚だ。その後も音圧の強い音が鳴る。各…
東京都美術館で「ミロ展」が開催中だ。ジュアン・ミロ(1893‐1983)の作風の変遷をたどることができる。 会場に入って最初に目に入るのは「自画像」(1919)だ。ミロの若いころの作品(本展のHPに画像が掲載されている)。衣服の描写はキュビスム風だが、顔は繊細な線で描かれる。その繊細な線はミロの生来のもののようだ。本作はピカソが所有していた。キュビスム風の描写もさることながら、繊細な線もピカソに通じるところがある。 「自画像」と同時期の作品が何点か展示されている。レジェ風の丸みをおびた形態の風景画もあれば、山道を黄色く塗ったフォービスム風の風景画もある。それらの風景画の中では「ヤシの木のある家…
新国立劇場「新作オペラ『ナターシャ』創作の現場から~台本:多和田葉子に聞く~」
新国立劇場が本年8月に世界初演する細川俊夫のオペラ「ナターシャ」。その台本を書いた多和田葉子のトークイベントが開かれた。聞き手は松永美穂。会場は新国立劇場中劇場。ざっと見たところ、客席は6~7割が埋まっていた。終盤にはサプライズで細川俊夫も参加した。動画が撮影されたので、後日配信されるかもしれない。 まず多和田葉子の語ったことは―― ・ナターシャはウクライナ語を話すが、ウクライナというと、どうしてもウクライナ戦争に引き寄せて考えられてしまう。だが構想を練ったのはウクライナ戦争の前だ。あまり限定的に捉えられたくないので、今はあまりウクライナと言わないようにしている。 ・ナターシャとアラトは、北海…
カーチュン・ウォン指揮日本フィルの定期演奏会。1曲目は芥川也寸志の「エローラ交響曲」。色彩豊かで歯切れのいい音が飛び交う。巨大なエネルギーを放出する目の覚めるような名演だ。今まで何度か聴いたこの曲の演奏の中では、レベルがひとつ上の演奏だったと思う。 先日聴いた黛敏郎の「涅槃交響曲」を思い出した。あのときは昭和の時代を感じた。さすがの「涅槃交響曲」も歴史的な文脈に収まる時期がきたのかと思った。だが今回の「エローラ交響曲」はアップデートされた鮮烈さを感じた。それは曲のためだろうか。それとも演奏のためだろうか。 周知のように「エローラ交響曲」と「涅槃交響曲」は同じ日に初演された。1958年4月2日だ…
映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」が公開中だ。ナチス・ドイツのプロパガンダを主導したゲッベルス。ゲッベルスのプロパガンダはどのようなものだったか。そこに焦点を当てた作品だ。 たとえば1938年に起きた「水晶の夜」事件。パリでユダヤ人の青年がドイツ大使館員を銃撃した。大局的に見れば小さな事件だが、ゲッベルスは大々的に取り上げて、ユダヤ人への憎悪を煽った。同時に、ひそかにドイツ各地でユダヤ人襲撃を仕組んだ。それを自然発生的な襲撃と偽って大々的に報じた。 ゲッベルスの手法は、今の視点で見ると、珍しいものではないが、困ったことには、ゲッベルスの手法は今でも有効だ。ゲッベルスの時代は映画と…
巷にはAI、メタバース、アルゴリズム等々、よく分からない言葉が氾濫する。社会のどこかに未知の領域が生まれ、それが拡大する気味の悪さがある。 そんな日々にあって森美術館で開かれている「マシン・ラブ」展に行った。13人(組)のアーティストの作品が展示されている。どれもAIなどの最新テクノロジーを駆使した作品だ。最新テクノロジーでなにができるか。その可能性を示すとともに、危うさを意識させる作品もある。 興味深い作品を3点あげたい。1点目はディムート(1982年、ベルリン生まれ)のAIインスタレーション「総合的実体への3つのアプローチ」だ。難しい題名だ。本作品は3部構成になっている。その中のひとつの「…
下野竜也指揮都響の定期演奏会Aプログラム。今年一番注目していた演奏会だ。なんとチケットは完売。5階席までびっしり埋まった。 1曲目はトリスタン・ミュライユ(1947‐)の「ゴンドワナ」(1980)。テンポが終始伸縮する曲だ。その独特のテンポ感に乗ってクリスタルガラスのような音が点滅する。難曲にちがいない。その難曲の堂に入った演奏だ。 初めてこの曲を聴いたときを思い出す。2010年5月の武満徹作曲賞のときだった。ミュライユがその年の審査員を務めた。関連の演奏会でミュライユの作品が演奏された。そのときの演奏曲目のひとつが「ゴンドワナ」だった。わたしは船酔いしそうになった。演奏の光景を覚えている。指…
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