宮本三郎記念美術館「Journeys――宮本三郎 旅する絵画」展
自由が丘駅から歩いて数分のところに宮本三郎記念美術館がある。洋画家の宮本三郎(1905‐1974)の住居兼アトリエがあった場所だ。同館では今「Journeys―宮本三郎 旅する絵画」展が開催されている。 宮本三郎は第二次世界大戦中の戦争画と戦後の(それも晩年になってからの)鮮烈な色彩の裸体画のイメージが強い。本展はそれらの、いわば表の顔とは違った、旅先で描いた風景画を追った企画展だ。素顔の宮本三郎がうかがえる。 チラシ(↑)に使われている作品は「風景/柴山潟の四手網漁」(1944年頃)。宮本三郎が故郷の石川県に疎開したときの作品だ。全体に靄のかかったような画面がターナー(1775‐1851)を…
N響の定期演奏会Cプロ。指揮は下野竜也で、プログラムはスッペとオッフェンバックを中心にしたもの。スッペ(1819‐1895)とオッフェンバック(1819‐1880)は同い年だ。ワーグナー(1813‐1883)とヴェルディ(1813‐1901)が同い年なのと似ている。 1曲目はスッペの「軽騎兵」序曲。冒頭の金管楽器がさすがに良い音だ。スッペにしては上等すぎるといったら語弊があるが、オペレッタの場末の雰囲気(これも語弊があるが、けっして悪い意味でいっているのではない。言い直せば、世俗的な雰囲気)とは多少ニュアンスの違う音だ。それにしても、「軽騎兵」序曲は明暗のコントラストが濃やかな名曲だ。N響の演…
2月にしては暖かい日曜日。大田区立龍子記念館を訪れた。日本画家の川端龍子の作品と高橋龍太郎の現代美術コレクションのコラボ企画をみるためだ。みた後で記念館の向かいに建つ川端龍子の旧宅(写真↑)を見学した。白梅がきれいに咲いていた。帰路、近くの公園で一休みした。お昼時だった。ベンチに座って、往きに買ったどら焼きを食べた。 小さな公園だった。少し離れたベンチに労働者風の二人の男性が腰かけて、缶ビールか缶酎ハイを飲んでいた。とくに話もせずに、のんびり過ごしていた。小さな音でトランジスタラジオをかけていた。わたしは二人を見るともなく見て、「おれにもこんな人生があったかもしれないな」と思った。 わたしは1…
藤岡幸夫が東京シティ・フィルを振って仏陀をテーマとする大作2曲を演奏する企画を立てた。昨夜はその第1弾。東京シティ・フィルの定期演奏会で伊福部昭(1914‐2006)の交響頌偈「釈迦」(1989)を演奏した。第2弾は2月20日に都民芸術フェスティバルの一環として貴志康一(1909‐1937)の交響曲「仏陀」(1934)を演奏する。貴志康一の「仏陀」は1934年に貴志康一がベルリン・フィルを振って初演したことで知られる。 伊福部昭の交響頌偈「釈迦」は浄土宗東京教区青年会、東宝ミュージック、ユーメックスの委嘱で書かれた(柴田克彦氏のプログラム・ノートによる)。頌偈は「じゅげ」と読む。「佛の徳を讃え…
ポペルカがN響に初登場した。1曲目はツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」。ツェムリンスキーの作品は好きなのだが、「シンフォニエッタ」は勝手が違った。「抒情交響曲」や「人魚姫」や「フィレンツェの悲劇」にくらべると、リズムが鋭角的で、和声が明るくてモダンだ。わたしは曲に入り込めなかったが、演奏は明快だった。 2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の若書きだ。人気作ではあるが、わたしは第2番の方がシュトラウスらしくて好きだ。ホルン独奏はバボラーク。相変わらずの名手だ。髪が白くなった。アンコールがあった。甘いメロディーの曲だ。帰りがけにロビーの掲示を見たら、ピ…
ツァグロゼクが指揮した読響の定期演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第5番(ノヴァーク版)。第1楽章が始まる。音楽がブツブツ切れる。ゲネラルパウゼが頻繁に入るから当然なのだが、なぜか音楽が流れない。第2楽章もその違和感が残った。わたしの好きな第2主題(弦楽合奏で悠然と歌われる主題)が浮いて聴こえる。 第3楽章スケルツォに入ると、ぎこちなさは消えて、通常運転になったが、トリオのコミカルな味が出ない。同様に、主部に挿入される(トリオに似た)のどかな楽想も、十分には生きない。第4楽章になると力感あふれる演奏が展開して、わたしは圧倒された。第3楽章までは気になっていた演奏スタイルが、第4楽章で一気に実を…
秋山和慶の「ところで、きょう指揮したのは?」(アルテスパブリッシング、2015年)を読んだ。秋山和慶の指揮活動50年を記念して出版された回想録だ。 秋山和慶の逝去にあたり、多くの人が語る「ベルリン・フィルから3度も招聘されたが、東京交響楽団の定期演奏会などの予定が入っていたので、断った」というエピソードも書かれている。秋山和慶の言葉を引用すると―― 「あのとき「秋山はなぜ、要請を断ったのか」と言う評論家がいたそうです。「ばかだな」という声も、回りまわって私の耳に入ってきました。受けていれば、私のその後の人生は変わっていたかもしれません。でも、私には、自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことな…
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