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しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
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2014/12/11

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  • 福山城①遺構を見る 入江・木綿橋・天下橋・築堤・御水門

    ・・・・・・・・・・・福山城・古写真天下橋付近から見る福山城。正面に築堤、御水門二重櫓も見える。・・・・・・・・・・・場所・広島県福山市日時・2021年11月27日福山城神辺二番櫓跡現地説明会に参加する。その会場に行く途中、福山城遺構に寄ってみた。入江遺構場所・福山市船入町今月初め、入江(瀬戸内海から福山城への水路・運河)の石垣が道路工事中に見つかった新聞報道があった。それらしき場所に行くと、落葉拾いのおじさんいたので聞くと、「埋め戻して、いまは跡形はまったくありません」とのことだった。(入江)木綿橋場所・福山市笠岡町入江に架かる橋、モニュメント。(木綿橋)天下橋場所・福山市宝町入江に架かる橋、モニュメント。(天下橋)築堤場所・福山市伏見町入江の終点、海と福山城外堀を区切るため、築城後50年ほど経ってから築かれ...福山城①遺構を見る入江・木綿橋・天下橋・築堤・御水門

  • 伊勢大神楽、鴨方往来をゆく

    名称・国指定重要無形民俗文化財「伊勢大神楽」場所・岡山県旧鴨方往来日時・2021年11月26日伊勢大神楽は、時代と地方と社中によって違うのだろうが、昨日鴨方往来で遭遇したので書き残す。3人一組で家々を訪れる。過去帳を見ながら行くので、素通りする家と、門前で止まる家がある。止まる家は、事前に訪問日・その時間が記載の葉書等が届いているようで家人が待っている。挨拶のあと、太鼓と笛と獅子舞を1分程度行う、一年間の家内安全等を祈願の舞で、終わると、次に家に向かう。それを毎年繰り返す。浅口地方では毎年11月の下旬に訪れる。笠岡市も、同じ社中が一部の地区に訪れているが、来ない地区の方が多いようだ。伊勢大神楽、鴨方往来をゆく

  • 「天空の城」に登る 竹田城の雲海

    竹田城場所・兵庫県朝来市和田山町竹田竹田城跡天気予報を調べ、竹田城の雲海を見に行く。笠岡駅始発・山陽本線5:02(真っ暗)岡山駅発・新幹線6:01(真っ暗)姫路駅発・播但線6:39竹田駅に着いたのが、8:14。駅に降りて、すぐに裏山に走り上っていった。雲海が消えないうちに竹田城に登らなくてはいけない。竹田城三の丸の雲海。竹田城二の丸の雲海。竹田城本丸、天守台の雲海。天守台で眺めていたら、雲海は消えて行った。満足しながら、竹田城山城から麓の寺町へ下りて行った。欲を言えば、もう30~40分早く着けばいいのだが、但馬の国竹田は遠い。撮影・2021年11月16日「天空の城」に登る竹田城の雲海

  • 楠公父子--桜井の別れ--

    場所・大阪府三島郡島本町桜井桜井駅跡史跡公園♪青葉茂れる桜井の・・・、で有名な桜井駅跡に行ってみた。都市化が進んでいたが、この公園には700年前の雰囲気がほんの少し漂っていた。「太平記」新潮古典文学アルバム新潮社1999年発行正成戦死尊氏が都を落ちたのは、建武3年(1336)2月であった。4月にはもう態勢を整え、京都をめざして東上の途についた。足利軍が海・陸両路を攻め上ると、義貞がこれを防いだ。しかし敗れて退き、兵庫から援軍を求めると、天皇は正成に兵庫へ下ることを命じた。勝利の見込みのない戦いであった。彼は死を選ぶしか道がないことを覚り、討死を決意する。そこで兵庫に下る途中、桜井の駅で、息子正行に遺言した。兵庫に下った正成は、5月25日、湊川の西に打って出、総大将の義貞は和田御崎に陣を構えた。足利軍は海陸呼応し...楠公父子--桜井の別れ--

  • 聖武天皇・光明皇后

    場所・奈良県奈良市奈良公園バスターミナル屋上「奈良大菊人形展」奈良に観光に行ったら菊人形をしていた。文字通り、”薫う”ような美しい菊人形だった。聖武天皇の天平時代、奈良の都は全盛を極めた。青丹よし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり小野老聖武天皇と光明皇后との篤信によって仏教の国教化が確立した。「奈良県の歴史」永島福太郎山川出版社昭和46年発行撮影日時・2021年11月5日聖武天皇・光明皇后

  • 奥村太平

    場所・奈良県奈良市春日町奥村記念館関西系ゼネコンの奥村組は、奈良県が創業地。奈良国立博物館前に「奥村記念館」があり、市民に開放されたスペースもある。奥村太平さんは奥村組の創業者で、戦後の大阪通天閣の再建に取り組んだ。撮影日時・2021年11月5日奥村太平

  • 日像と一条兄弟

    場所・広島県福山市南町妙法寺この銅像は、福山のバラ公園近くの妙法寺にある。(Wikipedia)日像にちぞう(1269―1342)鎌倉末~南北朝時代の日蓮宗の僧。下総の人。日蓮の孫弟子で肥後阿闍梨(ひごあじゃり)と号し、日蓮宗が京都に進出する端緒を開いた。7歳のとき日朗(にちろう)に従って出家し、身延に隠棲した日蓮のもとで修学す.一条兄弟はよくわからない。刀鍛冶師で、熱心な日蓮宗徒だったのだろうか。日時・2015年5月15日日像と一条兄弟

  • 鉄人28号

    場所・兵庫県神戸市長田区若松町若松公園小学生のとき、漫画は大好きだったが、漫画といえども、ちょっと現実と飛躍しすぎている物語が、いくらかあった。その代表的な漫画が、横山光輝の「鉄人28号」、堀江卓の「矢車剣之助」や「天馬天平」、杉浦茂の「猿飛佐助」。「鉄人28号」は、鉄人が現実離れというのでなく、操作する少年”金田正太郎くん”をさす。金田正太郎くんは、一見、読者であるわれわれと、ほぼ同じ時代、同じ年齢であったが、やること、なすこと、すべてが違い過ぎていた。最大の違いは少年でありながらピストルを持っていて、しかも、すぐに乱発射する。パンパンパン。他にも服装。半ズボン(田舎の子は半ズボンをはかない)、ワイシャツ、ネクタイ、背広。頭は長髪。靴はズックでなく、革靴のようなもの。長いソックス。社会悪と戦うこの少年にとって...鉄人28号

  • 敦盛と熊谷

    場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町須磨寺2021年11月4日、神戸市の源平の史跡関係地を何カ所か訪れた。須磨寺は初めてだったが、都会の市街地の中に歴史と静寂の両方を感じるお寺だった。「平家物語」世界文化社1976年発行敦盛の最後熊谷次郎直実は、何とかよい大将軍と組みたいものだと、渚の方へ馬を進ませていくと、練貫に鶴をぬいとった直垂に,萌黄匂いの鎧を着て,鍬形に打った兜の緒をしめ、黄金づくりの太刀をはき、二十四差した切斑(きりう)の矢を負い、滋藤(しげどう)の弓を持ち、連銭葦毛(れんせんあしげ)の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖のほうの船をめざして、馬を海へ乗り入れ、三、四十間ばかり泳がせているのが目にはいった。「それなるは、よき大将とこそ見まいらせる、みぐるしくも敵に後ろを見せたもうものかな。お返りなさ...敦盛と熊谷

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