ニワトリが産んだ卵がほしい
戦後大相撲が一番人気があったのは、まちがいなく「栃若時代」だろうと思う。学校帰りの散髪屋の窓ガラス越しに、テレビの相撲をのぞき見していた。テレビはチャンネルをまわしても、全放送局が相撲をしていた。その栃若のライバルの大関朝汐(後に横綱朝潮)は、ニワトリを追いかける相撲と呼ばれていた。農家では庭で飼うニワトリを夕方、小屋に追い込むが、それは子供の仕事(手伝い)で、その姿は朝汐が相手力士が動きをふうじ、土俵際に追い詰める相撲に、よく似ていた。ニワトリが生んだ卵は、家族の口には入らなかった。たった日に2個程度の卵だが、それをためては売っていた。食べるのは、運動会の弁当にゆで卵を半分に切ったものが入っていた。遠足のときも半分あった。一個まるごとほしいもんじゃ。一個一人で食べてみたいもんじゃ、と思っていた。その願いは小学...ニワトリが産んだ卵がほしい
2021/10/31 19:55