糞船昭和25年前後の数年間、茂平の波止に神戸から「糞船」と呼ばれる船が来ていた。茂平の農民に限ったことではないが、町の人の「人糞」や料亭街の「人糞」は人気が高かった。江戸時代の江戸周辺の農家では、江戸城大奥のものが”特上品”だった。(父の話2001)肥えを積んだ船が茂平に来ていた。神戸から来とった。船の真中辺に肥えを積んどった。それを金を出して買おとった。浜に入った船に荷車にニ盃積んでしんがいの畑の野つぼに移し、せえから、また船に行って買おて今度は他の畑にうつす。そわあなのは戦中から戦後まで3~4年続いたじゃろうか。(人糞肥料はどんな野菜や果物に適していたのか?)何ににも効きょうた。・・・「瀬戸内文化誌」宮本常一八坂書房2018年発行肥買い船讃岐の国は古くから人の充ち満ちた所であって、土地はすっかりひらけ...茂平の港に来る船(糞船・祇園詣り・打瀬・瀬戸の花嫁)