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  • 今年の5月

    昔から暑さ寒さも彼岸までと言われてきた通り、5月は暑くも寒くもなく、湿度が低く過ごしやすい日が多く、新緑が目立つようになる季節で比較的気圧が安定した晴れ日が多い。日本は、春、夏、秋、冬の四季があったが、温暖化の影響で春と秋は短くなって、2つの季節だけになってしまった。温暖化は徐々に進行して二季に変わったと、メディアが言っている。我が家では、5月に入っても温かくならず、寝床には電気あんかを、部屋は暖房する日が多く、ある日には、暑くなってエアコンを冷房に切り替えたり、扇風機を回したり、着衣を半袖に変えたり。二季に変化してしまった原因には、日本周辺の海面水温が去年あたりから上昇が激しく、太陽が夏の様相を示すよりも先に海から暖かい風が吹くため、早い時期に気温が高くなるんだとか。今年の5月

  • 米不足

    令和の米騒動が起きているが、長年にわたる減反政策の影響や、温暖化による異常気象・農業従事者の高齢化・食生活の多様化、人口減少等々で不安定な米市場になっているという。昭和20年8月(中学1年生)に戦争は終結してから食糧難は深刻化して戦時中以上に大変な米不足に見舞われたのを思い出す。校内では弁当泥棒が頻発、臨時休校になったりした。小生も母に連れられて、夜遅くに、やみ米を求めて近くの農家を訪れ、衣類と交換してもらったのを覚えている、行きは衣類を持って、帰りは僅かな米を持つのが小生の役割だつた。あの当時思えば、高値になったが農家に行かなくても米屋に電話一本で届けてくれる。ひもじい思いをすることもなく、腹いっぱい食べられる豊かな食生活を楽しめる時代である米不足

  • 心のふる里

    5歳から19歳まで過ごしたふる里である新潟県岩船郡保内村と言う地名は、昭和29年に荒川町に、平成20年に村上市になり消えてしまったが、今も爺の心に永久保存されている。数年前に、新潟日報朝刊に旧保内村に残る伝統芸能「三匹獅子踊り」が紹介されていた、毎年8月24日と25日保内村坂町の鎮守様の祭礼には、選ばれた三人の少年が演じた獅子踊りである。祭りの期間中は境内に何軒かの露店が並ぶ、小学生のころ友達同士で買ったハッカパイプが懐かしく思い出す、普段は静かな境内もこの日だけは大勢の参拝客で賑わう。お盆には、境内で青年団主催の盆踊りが行われる、中央の櫓の周りで若い男女が輪になって踊る、若者たちにとっては嫁さん探しの場でもあり、お気に入りの女性と会話したり贈り物したりする。心のふる里

  • 活動写真

    5歳から19歳まで過ごした新潟県岩船郡保内村(現村上市)には映画館はなかったが、小学生の頃は父に連れられて何回か小学校で上映された映画を見たことがあるが、題名は全く覚えていない。当時は活動写真と言っていたが、画面に「雨」といわれる白い線状のものが一面に激しく出たり消えたりいてたが、地方で上映される映画は長く使った傷がついフイルムだったのである。中学生の頃の夏休みには中耳炎の治療のため羽越線坂町駅から新潟駅まで約2時間かけて新潟市にある鉄道病院に通院していたことで、新潟市内の映画館で綺麗な画面の封切りの映画を楽しんだ。雨の降ってるような映画でも、小学生の頃から母方の爺ちゃんや叔父さんに連れられ、チャンバラ映画を、中学生の時は従兄の仁さんと、高校生の時は友達と見た西部劇や探偵映画が懐かしい。活動写真

  • グーブログのサービスが終了

    今年の11月18日をもってグーブログのサービスが終了することになり、引っ越しようか、卒業しようか、思案中。2007年5月にOCNブログ人から引っ越してから18年になる。2007年5月2日に初投稿してから、今日が1209回目の投稿になる。初投稿の話題は先輩で元気な当時91歳だった高沢さんと84才の奥さんがお見合いの席での愉快な話だった。身近で応援してくれた読者、全国各地の顔の見えない読者の皆さんからの応援、またブログ村内で爺のブログに対する注目度も上位にあることが励みになって書き続けてきた。運転免許返納後は外出は限られて話題は少なくなったが、92年の人生を振り返れば話題は尽きない、今は爺の人生体験談でもある「爺の世間話ばなし」を書籍化したいと思っている。グーブログのサービスが終了

  • 卓球とピンポン

    英語で庭球はテニス、排球はバレイと言ってるので卓球もピンポンと言うのかと単純に思い続けていた、卓球はスポーツでピンポンは商品名だとは知らない人も意外に多いと思う。卓球の発祥は19世紀後半のイギリスに遡る。当時、イギリスではテニスの大流行が起こり、それを室内のテーブルの上でやろうとしたのが卓球の始まりだと考えられている。「ピンポン」という名前の正確な由来は歴史家の間で議論されている。ラケットで打つと「ピン」と、相手の台に落ちると「ポン」と音がするところからピンポンと名付けられたとか。爺が卓球との出会いは、昭和20年旧制中学一年の時だつた、体育館に卓球台が何台かあり、仲間同士で自由に休み時間を楽しんだもの、当時はラケットが無かったので板切れだった。卓球とピンポン

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