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  • 面白いプレー

    昭和30年代、職場内の親睦を目的とした野球、卓球、バレーボールなどが盛んに行われていた頃、全員参加でのゲームとなれば珍プレーの続出で最後まで笑いが絶えない。戦時中はお巡りさんだったと言う池田Iさん(故人)、小太りのおっさん(通称とんちゃん)、力任せに振るバットから、いい当たりを見せるが、毎回のように3塁ベースに向かって走る。元々スポーツは苦手の野崎さん、運動神経は良くない、転がっているボールは怖くて捕球しようとせず、ボールが完全に静止してから捕球する、何のためにグローブをつけているのか。ちなみに野崎さんの自動車の運転は、時速40キロ以上での運転や片側2車線以上の道路での運転はできない方で、臆病と言うか、気が小さいと言うか自身も認めていた。面白いプレー

  • 敵性語

    敵性語とは、対米英戦争に向かう中で英語は使わないようにと言う風潮が高まる中で、一般民間人や民間団体による自己規制として、自然発生的に生まれたものらしい。法律はなかったので、海軍兵学校や旧制中・高校・大学でも英語の授業は行なっていたそうだし、昭和20年旧制中学一年生だった爺も、はじめて英語の授業を受けた。小学生(昭和14年~20年)高学年の頃に、ラジオから放送されるアナウンサーことを「放送員」と呼び、ニュースのことを「報道」と言ってたのをおぼろげに覚えてる。アメリカ生まれの野球用語は日本語でしか使えず、例えばストライクは「よし」、ボールは「だめ」、アウトは「それまで」と言ったそうだが、小学生たちは英語で野球を楽しんでいた。敵性語

  • リュックサック

    若者から高齢者まで利用されているリュックサック、背中に背負うのが一般的だが、女子学生達はお尻近くにぶら下げているので、リュックサックが踊っている姿が可愛い。小生も息子から貰って買い物などへ出かける時は、リュックサックを背負う習慣が身についたところ、ポケットが沢山あって、取り出すのに手間取りボヤキながらも便利に利用している。今ではスーツにあうデザインが増えて、通勤にリュック姿のサラリーマンも見かけるようになったとか、男性のみならず女性に、リュック姿の女性社員を見かけるようになったそうだが。我が家近くのマンションを出入りする大学生たち、右手にスマホを熱心に見つめながら、リュックサックを女子大生は腰から下に、男子学生は背中に背負った令和のる二宮金次郎の姿がある。リュックサック

  • やりたくない仕事

    公園や、サービスエリアのトイレ清掃員のような、やりたくない仕事でも、やる人が必要である、殆どは中高年の女性たちで黙々と働いている、会えば感謝を込めてご苦労さんと声をかける。清掃会社に雇われた社員であろう、観光バスが去った後の清掃員のぼやき話を聞いたことがある、激励の言葉をかけてやったら、頑張りますと喜んでくれた清掃員、元気だろうか。新聞配達さんも早起きに慣れるまで大変だ、寒い日も雨の日も配達しなければならない、特に雪の降る地域では、道路から各家庭までの道なき道をかき分けながら歩くしかない。配達員は、毎日夜中の2時半から作業、概ね5時頃~6時頃に配達しているとか、このため午後8時までには就寝する必要があり、また早朝からうるさいといむ苦情もある中で、ご苦労様。やりたくない仕事

  • 懐かしい情景

    昭和30年代~40年代、4月初めの旧信越線高田駅のホームは、官民を問わず新任地に赴任する同僚や家族を見送る人たちが電車が見えなくなるまで手を振り続けていた。この時期、駅員の粋な計らいであろう、ホームに流れるメロデー「蛍の光」で女性たちの目に涙するひと時でもある。昭和46年4月、爺も見送りを受けたが、あの時の感動は忘れることはない。裏話だが、赴任者の都合に合わせて、何回も駅までのご足労は大変なので、可能な限り同じ電車に同乗してもらうための見送り日を調整する担当者の苦労というか、笑い話もある。やむを得ない時は、取り敢えず指定の電車に乗ってもらい、次の駅で戻って来るという滑稽だか実際に毎回あった話、内緒で戻ってから、隠れて用を足すのも一苦労だと聞いた。懐かしい情景

  • 結婚66年

    昭和33年4月1日、爺が25歳、家内が24歳だった。お互い本籍地から取り寄せた戸籍抄本と印鑑をもって新潟県柏崎市)に婚姻届けを提出した日を忘れることは無くあの日から66年になる。「お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」古いことわざ通り白髪になり、爺は92歳、家内は91歳になった。100歳の壁に向かって動きの鈍くなった五体に鞭打ちながら自立している。運転免許返納後の二人での外出はスーパーと病院だけ、家では小生はパソコンと向き合い、家内は編はみ物三昧、お互いに居眠りしながらの読書、時々無理のない家事を共同作業でしている。夫婦ともに補聴器を着用しながらの生活だけに、言った、言わない、聞いた、聞かないの水掛け論を繰り返しながらも、お互い転倒には最大限の気配りをして、老体をかばいながら生き続けている。結婚66年

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