爺の世間ばなし
住所
西区
出身
村上市
ハンドル名
爺の世間ばなしさん
ブログタイトル
爺の世間ばなし
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/kh38
ブログ紹介文
思いつくままのお喋り
自由文
-
更新頻度(1年)

54回 / 269日(平均1.4回/週)

ブログ村参加:2014/11/18

爺の世間ばなしさんの人気ランキング

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爺の世間ばなしさんのブログ記事

  • 寒さが恋しい

    太平洋高気圧とチベット高気圧が重ね布団のように停滞しているから猛暑が続いているんだとか、野菜作りを楽しんでいる高齢者の中には、水やりに体力の限界、栽培を諦めた方も。今年の暑さは、早朝からの暑い太陽の日差しは、骨身に染みる。庭の水やりと朝の散歩も午前5時前には済ませてしまい、24時間をエアコンと共存しながらの日が続いている。例年なら残暑の季節に極暑見舞いのメールが届いた。日中は涼しい海風に浸りながら、エアコンなしでの生活だったのに、寒がり屋の爺も余りの暑さに冬の寒さが恋しくなった。毎年、鉛色の雲に覆われる新潟特有の冬になると、関東地方の青空が羨ましく思っていたのに、時折り見える雲があらわれると、少しは日差しが弱まり、雲のありがたさが分かった。寒さが恋しい

  • 子供が減った

    1990年代から国や自治体は少子化対策に取り組んでいるが、若者たちの非結婚化、晩婚化が進み子供の数は減るばかり。あるジャーナリストが言っていた通り、将来は少数民族になってしまうかも。若者たちが適齢期に結婚して、子供を沢山育てるための政策はあるだろうか。元号が「令和」に変わった今年5月の婚姻件数は昨年同月の2倍近かったものの、令和ベビーは減ったと言う。この世に生まれた貴重な幼い命が、親の資格のない親からの虐待や、引きこもりと言う異常者から命を奪われたり、運転操作ミスによる交通事故の犠牲になったり、悲しくて勿体ない話が多い。農家の嫁不足が叫ばれた昭和40年代の先輩に仲人暦の豊かなTさんを思い出した。彼の頭の中は、年頃の男女の名前が保存されているカタログのようだつた。彼の地で気をもんでいるだろう。子供が減った

  • 今年の8月

    異常な猛暑日が続く今年の8月は冬の寒さが恋しくなる。外出は予約の通院とスーパーだけ、エアコンと扇風機を併用しながら爺は物書き、家内は編み物で豊かな自由時間を楽しんでいる。加齢とともに、水を飲まなくなったのは実感している。こまめに水分補給と言われても、飲みたくないので飲んでいないが、今年も3度の食事からの補給で間に合っているようだ。熱中症で死亡する高齢者は、エアコンが嫌いで、水を飲まないと言うニュースが全国各地で発生しているためか、折に触れて息子からの電話も、「エアコン使っているかね」から始まる。昨年8月の心筋梗塞の術後1年になったことで、心臓のRI検査という心臓に血液が順調に流れているか否か調べる検査があった。結果は心配ないので次は来年来なさいと言われ、薬も一個減った。今年の8月

  • お盆と言えば

    お盆と言えば、海外旅行や里帰りする人で、新幹線や高速道路や空港の混雑している風景が夏の風物詩である。胸を轟かせながら幼い孫を迎えていた頃が懐かしく思い出される。お盆に帰省した家族を迎えた家庭では、3泊4日の行程で冥土からお帰りになられたご先祖様のお墓参りを済ませ、自宅で寿司折やオードブルを囲んだり、食事処での昼食会が多いようである。多くの企業では、国民の祝日でもないのに、お盆休みと称して8月14・15日を挟んで前後を夏休みにしている。今年は最大で10日から18日までの9日間、再起動は19日からになる。公務員や銀行員の休日は、法令に定められた土日祝日と年末年始だけ、お盆休みはないので、交代で有給休暇を利用しているが、今は爺の現役時代にはなかった3日間の夏季特別休暇があるという。お盆と言えば

  • 回覧板

    高齢を理由に自治会役員を辞退させてもらった爺、物を申すのも気が引けるが、回覧板について、殆どの人が不要だとは思いながらも言い出せず、昔からの慣習で回しているのが実態である。全国的にも回覧板が廃止されている地域が増えているようだ。そろそろ、情報の伝達手段としては時代遅れの回覧板、若い世代の皆さんで見直しを検討してもらいたいと願っている。行政からのお知らせは市報やインターネットのホームページ等で確認できる。自治会や班長からの連絡事項は、ゴミ集積場所に掲示板を設置して知らせている地域もあると言う。回覧板はお隣同士のコミニケションの場でもあったが、今や共稼ぎが多くなって留守宅の玄関先に置くだけで、大きな役割は終わったと思う。忙しい世代の方には煩わしい存在でもある。回覧板

  • プロ野球への思い

    戦後、日本のプロ野球が復活した時は中学生だった。NHKラジオ第2放送から流れてくる巨人戦をラジオの前に一人座って一喜一憂しながら最後まで聞いていた頃を思い出す。初めてプロ野球を観戦したのは昭和27年、後楽園球場での国鉄対大洋だった。初めてのナイター観戦したのは昭和42年、対戦チームは忘れたが、巨人がサヨナラで勝った感動は忘れられない。東京ドームは、新幹線を利用して一人で日帰りしたり、野球のルールの詳しくない家内を連れて一泊したり。野球に興味のない者から冷やかされながらも、数多く足を運んだものである。80代になった今、あの頃の元気は何処かへ行ってしまった。今は寝床で横になりながら観戦するも、いつの間にか眠りの世界。翌朝、巨人の勝利記事だけ読み返して楽しんでいる。プロ野球への思い

  • お医者さま通い

    所属している自治会の6組は22世帯、高齢者世帯が多くなったこともあり、持病と共存しながらお医者さま通いをしている方が多いようである。爺も数枚の診察券を交互に使って通院している。平均寿命を超えて生き続けている爺、昨年は心筋梗塞で生死をさ迷いながらお医者様に助けられた。大なり小なり今日まで爺を助けてくれたお医者様を数えて見たら52人思い出した。記憶にある初めて出会ったお医者様は、小さな村にただ一人、みんなから遠山様と呼ばれ、専門は産婦人科だったが、全科目をを扱っていた。人力車で往診していた姿が印象深い。患者に、笑顔で接するお医者様に出会ったことはないが、世間話の好きな歯医者さんが居た。治療をしながら、私は口の中しか知らない世間知らずだが、広い世間を見ながら仕事している人が羨ましいと。お医者さま通い

  • 爺のこの頃

    年金生活になって20年にもなると、一日の大半が自由時間の生活にも慣れてしまった。暦の日付を赤丸で囲む予定行事ば月二回の仲間の集まりと通院日だけだが、健康であると暇な時間は少ない。概ね午前3時半には起床、5時半朝食、11時昼食、16時夕食、19時就寝のリズムがすっかり定着してしまった。初めは人様にお話しするのも恥ずかしかったが、今では正直に公開している。定期的に内科のお医者様からいただく薬を飲みながらも、夫婦揃って、美味しく食べられて、自由に動かれて,ぐっすり眠られるだけで幸せを感じているこの頃、これ以上に望むものはない。去る10日、親しい職場仲間も少なくなった中、昨今では珍しい二人のひこ孫の世話をしている相変わらず明るい70代のA夫妻宅を訪ねた。昼食をともにしながらのお喋りで新しい元気を補給してきた。爺のこの頃

  • 整形外科の待合室

    日頃から爺が外出するたびに、転ばないでよと言っていた家内が、5日午前、歩道で転倒。午後になって左足の膝に痛みが出たので整形外科を受診、幸い骨折はなく打撲傷だけ、治療後は痛みも治まった。午後は2時からの診療開始だが、午前の患者の診察が終わったのが3時、待合室で両隣に座った方は偶然にもお喋り好きな爺と同じ昭和一桁組、世間話をしながら待機すること約2時間。左に高知出身で86才の奥さん、新潟出身のご主人と結婚、新潟が好きだと言っていた、引っ越しの疲れで体中か痛くて受診。右には酸素を背負った86才の奥さん、車椅子の主人が首が痛くて付き添ってきたとか。向かいに60才になったと言う奥さん、午後6時ごろ、割れた茶碗を踏んで、足の裏を切り救急で受診。スリッパを履いていなかったのかと御主人に叱られ、痛い思いをしたり、泣きっ面に蜂だ...整形外科の待合室

  • 猫好きの初枝ちゃん

    家内と同級で幼友達の初枝ちゃんは、85才になった今も、名前をちゃん付きで呼び合っている。幼い頃からお人形さん代わりだった猫とともに生きてきた人だけに、猫に注ぐ愛情は並みでない。80歳まで続いた小学校の同級会で猫の具合が悪いので欠席したとか、猫に海老の刺身を与えているとか、出かける日は自分の傍から離れないとか、猫の話題になると話が止まらない。3月24日に亡くなった義弟の100日法要が6月29日、家内の実家である上越市の良運寺で行われた。檀家でもある初枝ちゃん、まだ足腰も達者で台所と本堂を往復しながら法要の準備に忙しそうだった。葬儀当日は、挨拶もそこそこだったが、遺族や親族の居並ぶ前で、家内とハグしながらの挨拶から始まった。幼い頃から良く遊び、良く学ばない幼友達が100日ぶりで出会った85才の元少女の姿を見た。猫好きの初枝ちゃん

  • 86才ともなれば

    世間の年長者から、近頃の若いもんは・・・と言われていた若者時代は、あっという間に昔々のこと。WHO(世界保健機関)は、85歳以上を末期高齢者とも呼んでいるが、素直に受け止めている。体のアチコチの老化が確実に進んでいるのを実感しているこの頃である。現に昨年の心筋梗塞、最近の長引いた風邪、足首の腱鞘炎の原因は全て加齢による老化だと診断されている。人生で最後に残る欲は食欲で、最初に失うものは臭覚だと、ある医師が言っていた。食欲が失せたら死へ、臭覚が失せたら認知症へ近づく、爺は今のところ、その気配はないようだ。86才ともなれば、永眠された方、病院や介護施設や自宅で療養中の方が多い年頃であり、何処へ行っても同年代の方との出会いが少なくなった。一人で通院できるだけで、ささやかな優越感もある。86才ともなれば

  • 55年前を思い出す

    昭和39年6月16日に発生した新潟地震から55年経った6月18日、県北で新潟地震の片割れだと言う地震が発生して寝入りばなを襲われた。55年前に上越市で体験した日を思い出す。地震前日に次男が生まれたので、16日の地震発生時は病院で家内の傍に付き添っていた時だつた。婦人科の病室には数人いたが、みんな揺れが収まると我が子のいる新生児室へと急いだ。帝王切開で出産した家内は身動きできず、爺もベッドの傍で揺れの収まるのを待った。しばらくして看護婦さんが落ち着いてくださいと叫びながら部屋の来たのを覚えている。あの時、落ち着いていたのは、爺と家内だけだったろう。看護婦も職員も外へ飛び出したりの右往左往、避難訓練は実施していたと思うが、地震当日の対応には役立っていなかった。55年前を思い出す

  • 人混みの東京

    昭和10年代、小さな田舎の少年だつた爺、東京は皇居二重橋の写真しか見たことがない夢の都だった。終戦後の昭和20年代になって、映画館でのニュース映画でお目にかかった。初めて東京を見たのが昭和27年19歳の時だつた。父の友人Tさんに連れられ、人混みの中、国電、都電、地下鉄、皇居、銀座、浅草、プロ野球、見るもの全てに感動、疲れ果てた東京見物だった。関東にいる孫のところや、公務で東京へ出張するようになっても、田舎者特有のキョロキョロ周りの案内表示を見ながら、人だらけで混雑する中を何とか歩いて目的地に向かったものだが。平成16年、ディズニーランドでの孫娘の結婚式では、息子たちから東京駅まで送り迎えをしてもらい、混雑する中を歩くだけで精いっぱいだった。夢の都だった東京も、今では遠慮したいところに。人混みの東京

  • 整形外科へ

    6月に入って、思い当たる原因は分からないが、歩行時に右足の足首に痛みを感じながら自然に治る日を待っていた。痛みが続くので11日に評判がいいと聞いていた整形外科へ。病院に着いたのが8時20分ごろだつた。すでに20人以上の老々男女が受付名簿に名前を書き終わって、8時30分の受付開始時刻まで玄関前に用意された椅子に腰かけて待っていた。待合室は、定期的に通院している内科や耳鼻科と違って子供の鳴き声を聞くことはない。みんな黙々と新聞や雑誌を読みながら順番を待ち、リハビリ室や診察室へ向かう姿も、静かに、ゆっくり。診察室に呼ばれたのが9時40分ごろ、医師からの丁寧な説明を受け、加齢によるアキレス腱の腱鞘炎と診断され、塗り薬で治るでしょうとのこと、クッションのある履物がよろしいとも。整形外科へ

  • シジュウカラの巣箱

    31年前、現在の地に移住した頃の我が家の周りには、キジ、ハト、ツバメ、スズメ、シジュウカラなどの野鳥、トンボやセミなどの昆虫が飛び交っていた。あの子たちは何処へ行ってしまったのだろう。昨年、今年と2年続けて、春のドラマ、シジュウカラの巣作り、子育て、巣立ちを見ることが出来なかった。巣箱を清掃して待っていたのに、時折り様子を見に来る姿はあったが入居していただけなかった。シジュウカラは古い巣が残っている所や、古い巣箱は敬遠する贅沢な鳥だと言われている。12年前に作り替えた古い巣箱なので、新品を用意して来年の入居をお待ち申し上げようかと。巣箱の設置するにあたり、鳥が入りやすい場所、高さは2m~3m、向きは雨が入らないように、時期は11月から1月頃が良いと言う、識者のご高説に従って設置し、来年は感動のドラマを見たい。シジュウカラの巣箱

  • 夢に出てきた

    5月24日の夜中、昨年8月に亡くなった愛犬のゆうちゃんが、初めて夢の中に出てきた。一人の青年と3匹の元気なワンちゃんが走っている中に、ゆうちゃんの姿があった。一緒に走っていたのは、多分ゆうちゃんより一足先に亡くなった散歩仲間のムックちゃんとカルちゃんのようである。青年はムックちゃんの飼い主で昨年2月に40歳の若さで旅立たれたk君であろう。カルちゃんは歩くのが苦手でご主人に抱っこされていることが多い子だったが、ゆうちゃんを見つけると、走り寄ってきて頬ずり合い、ムックちゃんも晩年は会えば体を触れ合う仲だった。ゆうちゃんは、今でも何時も爺の傍にいる。写真に向かって朝晩の挨拶、外出と帰宅時の挨拶等々、生前と同じ声掛けをしている。25日の朝に家内が、ゆうちゃんが夜中に来たよと言う。夢に出てきた

  • 短命な雑草

    雑草という名の草はないが、ネット検索して見たら、名前もない雑多な草とか、人に有害無益な草とか、可哀そうな定義ばかり、「許可なく生える草」と言うのがあり気に入った。子供の頃から、親からも先生からも雑草はゴミとして教えられ、短命であり嫌われもので可哀そうな植物である。我が家の雑草は、よそ様よりは長生きしている幸せなほうである。零細な庭に生える緑豊かな雑草の中で、アイリスが控えめに咲いている。平均寿命を超えたし、そろそろ引退してもらい、若い世代に移行させたいと、業者から除草してもらった。除草した雑草は大きなビニール袋に納められ、軽貨物に乗せられ処分場へ運ばれて行く姿を見送りながら、今度生まれて変わってくるときは、美しい花木になっておいでよと。短命な雑草

  • 手軽な運動

    術後の心臓にやさしい生活について幾つかの生活指導を受けてきた。運動療法として血流が良くなる散歩を勧められているが、ワンちゃんに先立たれてからは消極的になっている。健康維持のために散歩している人、気分転換のために散策をしている人、ワンちゃんの散歩をしている人、みんな世代交代してしまって、声を掛け合っていた仲間の姿は見られなくなった。久しぶりにワンちゃんの散歩をしている70歳前後の女性と立ち話する日があった。この子に何時も寂しさとストレスを和らげて貰っていると語っていたが、心情は良くわかる。悪夢だった久しぶりの風邪の症状も和らいだ。気分転換に新しい仲間との出会いに期待しながら、健康に良し、手軽な運動として積極的に散歩する習慣を徐々に回復させよう。手軽な運動

  • 風邪を引いた

    令和元年5月のおめでたい月に1年半ぶりに風邪で受診した。風邪の専門医が申す通り、のど・鼻水・せきの3つの症状が順番に表れ、症状が出た順に治っていくという典型的な風邪だつた。少々の風邪では受診することもなく自然治癒力で治っていたのに、この度はこじらせてしまったようで、年のせいだと言い聞かせながら、のど・鼻水・せきの3種類の薬を飲み続けている。昨年8月から毎朝食後に服用している7種類の薬と3種類の風邪薬を飲むのも、88歳の米寿まで、更に90才の卒寿まで生きる目標に向かっているからであるが、長生きするには努力も要る。スーパーの買い物以外の外出を控えている。床に就くほどのこともないので、普段通りの生活を続けているが、残り少ない余生を無駄に過ごしてしまって、勿体ないことをしている。風邪を引いた

  • 爺のこのごろ

    毎日繰り返される最初の生活動作は、着替えと寝床をしまうことから始まる。何となく布団が重たく感じるようになったが、終わった後は、気持ちが引き締まり健康の喜びを覚える。この頃は、通院か月2回の仲間との集いかスーパー以外の予定は少なくなった。朝茶を飲みながら、お天気と気分次第で、今日は何処へ行って見ようかと、日替わりの話題を楽しんでいる。連休最終日の5月6日、帰省客も戻られたろうし、改元による御朱印を求める人も少なくなったろうと、例年は桜の季節に訪れていた胎内市にある乙宝寺へのお参りを済ませた。昨年8月の術後、控えていた長距離の運転、高速道路の利用も、順調に元に戻りドライブを楽しんでいる。5月は新茶の季節、今年も仲間のところへ元気で届けられそうである。爺のこのごろ

  • 10連休が終わった

    今年限りの10連休も終わって、過ごし方も色々あったであろうが、みんなお疲れさま。合わせて172才になる爺と婆、体調に気配りしながら混雑する場所へは遠慮させてもらった。平成から令和に代わるころ、ワンちゃんの散歩仲間だったHさんが嘔吐と下痢に襲われたと言う。主治医が不在で救急車を依頼、4か所目の病院でようやく点滴治療してもらったとボヤキ話。連休2日目の4月28日、昭和59年に仲人した小川夫妻が連絡なしで来られたが30年ぶりなので自己紹介されるまで分からなかった。二人の娘も嫁いで孫もいるとか、思いがけない嬉しい再会だつた。普段は健康でも、持病と共存しながら生活している高齢の身になると、官庁や金融機関や学校などの連休は何の支障もないが、主治医や病院の連休は少々不安もあり、5月7日の朝はホッとした。10連休が終わった

  • 加持祈祷

    3月24日に旅立った義弟は、初行、再行、三行の3度にわたり、日蓮宗大荒行、百日間の荒行を成満した僧侶であり、平日の早朝、日曜祝日ともなると加持祈祷を求めて信者さんが訪れていた。夫婦や嫁姑の問題、家族の病気の相談が最も多く、お医者様から勧められて来られる方も居られたほど、爺も厄年のお祓い、車のお祓い、息子たち、孫たちの合格祈願など、お加持をお願いし続けて来た。すでに、初行、再行、三行、再々行、五行の5度にわたり百日間の荒行を成満した「権僧正」の地位にある長男が後を継いでいる。檀家の皆さんからの人望も厚く、前住職に追いつき追い越す日も遠くはないであろう。旅立ってから1か月半になる今も、住職の旅立ちを知ってお悔やみ来られる信者さんたちが絶えることなく、奥様には、疲れを癒している暇もなく、対応に追われていると聞いている...加持祈祷

  • 今日から令和

    今日から令和、今年限りの10連休の真っ最中で、新元号が発表されてから日本国中がお祝いムードが続いている。爺の名前の和雄の和も、昭和の和から令和の和に若返った。超大型の365連休を過ごしている老夫婦にとって、ささやかな10連休には関係なく平常通りの日々である。年を重ねると、病院がお休みになるのが少々不安なだけ、特に転倒には気を付けている。この時期、新幹線ホームで孫たちを迎えていたのは遠い昔のことになってしまった。電車のドアが開いた途端、孫たちが爺のところに飛んできた、今もテレビに映る同じ情景は変わらない。今頃は全国の爺と婆は、孫バカになって楽しく過ごしているであろう。孫は来て嬉し、帰って嬉しは今も昔も変わらない。連休明けの自動預け払い機の前には疲れ気味の爺や婆たちが並ぶだろう。今日から令和

  • 90才を目指して

    ブログの投稿1000回を目指して、月6回ペースで書き続けているが、目標を達する時には90歳の峠にかかる年齢になる。命は何時か尽きるが、世間ばなしのタネは尽きることは無いだろう。来年3月87才での運転免許更新には自信を持っているが、次の更新時は90才になる。90才での免許更新記念に新車を買ったというお坊さんに出会ってから、爺もその気なっている。先日、車の点検のために訪れた馴染みの自動車販売修理業の社長とも約束した。90才に免許更新したら新車を買うのでよろしくと言ったら、ニコニコ顔でお待ちしていますと返事が返ってきた。新車に乗ることが出来るのか、新車のようなピカピカの霊柩車に乗ることになるのか、結果は神様だけがご存知のこと。楽しく大きい目標を掲げて、毎日の健康と安全運転を心がけたい。90才を目指して

  • 春の花々

    今年は、花の開花がみんな例年よりも早めである、平日でも混雑する桜の名所には立ち寄らず、市内や近郊をドライブしながら安全な場所で停車して車窓からの花見を楽しんだ。新発田市の加治川添えの桜を眺めながら、国道290号線に入り久しぶりに菅谷不動尊に立ち寄り本殿に参拝する、清々しい気持ちになって境内の所々に咲く桜の木の周辺を散策する。新潟市に春の訪れを告げるイベント、市民の皆さんが育てた市の花チューリップで、新潟市のシンボルである萬代橋を飾るフェスティバルと、信濃川添えの桜を徐行しながら目の保養。我が家の小さな庭には、スイセン、チューリップ、ツバキ、ムスカリ、スミレが豊かな雑草に囲まれながら自由に咲いている、昔から草は短命な運命の植物だが、我が家の草は長生きしている。春の花々

  • ヤミ米

    戦争が終わった昭和20年から23年は、汽車通学をしていた中学生だった爺、何回か列車内で警官と鉄道公安官が怒号が飛び交う中で容赦なくヤミ米を没収する情景に出会った。警察の手入れが始まると、没収から逃れるために、米を列車内からホームへ投げだす人、受け取って逃げる人、小分けして学生に頼んでいる人等々、騒然とした情景を傍観していた。中には、我が子のために衣類と交換して、やっとの思いで農家から買い求めたであろう僅かな米を没収され、警官に泣きすがっているお母さんの姿もあったが可愛そうだった。爺も母に連れられ、夜遅くに米を求めて近くの農家を訪れた、行きは衣類を持ち、帰りは米を持つのが役割、衣類の品定めをして米の量を決める主の威張った態度が子供心に怖かった。ヤミ米

  • 長生きしてる

    長生きとは何歳からか定義はないが、心筋梗塞と痛風と共存しながらも、日常生活に何の支障もなく、平均年齢を超え86歳ともなれば、長生きしている果報者だと思っている。今年の仲間からの年賀状に、先ずは88才の米寿を目標に、次に90歳の卒寿を目指してくださいと激励の言葉をいただいた、若い頃は無駄に過ごした日も多かったが、今は毎日を大切にしている。3月6日、免許の更新をして新車を買ったという90歳の僧侶との出会いがあった、もう86才ですと自己紹介したら、これからは、まだ86才だと言ってくださいと、人生の先輩から元気づけられた。体質や生活習慣や諸々の幸運もあるが、今の医学なら助かったであろう5才と3歳と0歳で亡くなった3人の短命だった弟たちから兄貴へのプレゼントだと思うようになった。長生きしてる

  • 名前の由来

    5男の父は結婚後も本家での間借生活だったので、戸主である父の兄が一切を仕切っていたようで、爺の名前も3月生まれなので戸主が春吉と決めたが、両親の意に添わず「和雄」で届けたと聞いている。4月1日、新元号の令和が発表され日本国中がお祝いムード一色になつた、読み方は違うが、全国の新元号と同じ名前の令和さんたちは、驚いたり、感激したり、賑やかな一日だつた。爺の名前の文字を説明する際は、昭和の和に英雄の雄と言ってきたが、これからは、遠くなった昭和よりも令和の和と説明したほうが理解され易いし、なんだか若返った気分にもなる。大正に改元されたときは「正」が、昭和に改元されたときは「昭」の文字を使った名前が多かったが、今度はどんな名前の子どたちが誕生するだろうか、これを契機に沢山生まれてほしい。名前の由来

  • 義弟の旅立ち

    僧侶である家内の弟が3月24日享年79才で浄土へ旅立った、28日の通夜と29日の葬儀が15人の僧侶による読経、親族、檀家、大勢の信者さんが参列する中で執り行われた。住職で喪主の長男から参列者への挨拶には、寺を守りつつ、悩んでおられる方が来られると優しく耳を傾けて助言するなど、どんな時も暖かい姿を見せてくれた人生の大先輩だったと父を紹介していた。家内と結婚した時から、僧正という高い地位になっても、兄さんと呼んで慕ってくれた義弟だった、何回か温泉に浸りながら、二人だけで語り合った日が懐かしく思い浮かんでくる。昨年の秋から、持病が悪化して寝たきり生活だつたが、奥様はじめ嫁いだ長女と孫で看護師のはあちゃん、看護師を目指して勉学中のゆうちゃんの手厚い介護に支えられた幸せな晩年だった。義弟の旅立ち

  • 代用食

    戦後の食糧難時代に、米の代わりに食べた芋やカボチャなどを代用食と言っていた、豊かな食生活があたりまえの時代になった今では、忘れられた言葉であり、知らない人も多い。代表的な代用食は、蒸かしたサツマイモである、ある時期は毎日一日一食はサツマイモかジャガイモだった、今も時々食べる芋ごはんと違って、当時は芋にご飯粒がついているものだつた。寺で育った家内は、仏様にお供えされる米や、母が農家の出身で田んぼ持参でお嫁に来たものだから実家から米が届いたため、ご飯は十分食べられたし代用食の体験はなかったと言う。食べ盛りの幼い子供たちが、代用食を食べ終わって、御馳走様と言った後も、箸を持ったまま席から立たなかったとは当時の一粒話であり、ご飯が食べたかったのである。代用食