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ブログタイトル
爺の世間ばなし
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https://blog.goo.ne.jp/kh38
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思いつくままのお喋り
更新頻度(1年)

72回 / 365日(平均1.4回/週)

ブログ村参加:2014/11/18

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爺の世間ばなしさん
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爺の世間ばなし

爺の世間ばなしさんの新着記事

1件〜30件

  • この頃の雑感

    コロナ騒ぎで、人に会う自由が制限されてから何となく息苦しい世の中になった感があり収束する見通しもない。地方の首長からは、お盆の帰省自粛を求める声と温かい心で受け入れて欲しい声が。ここ数年は電車やバスを利用することのない老夫婦には関係ないことだが、GoToトラベルとステイホーム、二つの相反するキャンペーンに挟まれて、若い世代は選択に戸惑っているのでは。気分転換に、久しぶりに馴染みの和洋レストランを訪れたが、決められたコロナ対策を施していた。新しく始めたテイクアウトの利用者が多くなり、女性グループで賑わっていた店内は閑散。今は、親元から独立して関東で会社勤めの二人の孫からの電話、お米と茶豆が欲しいと言う。幼い頃から食べ続けた新潟のブランド品の味を忘れないでいる。早速に孫馬鹿となって送る。この頃の雑感

  • 散歩もいろいろ

    内科医の指導もあって、早朝の6時前後にゴミ出しを兼ねて15分程度の散歩も定着した。生前の愛犬と一緒に散歩した道である。人通りのない所々で深呼吸しながら新しい空気を吸ってくる。70代の二人の知人が、定期的に散歩する姿を窓越して見たり、出会ったりする。足元が不安定な方と目が不自由な方である。健康維持のために懸命に歩いている姿に、声をかけて応援している。散歩が職業であるかのように、歩き続けている70代と思われる男性がいる。周囲に関心を示すこともなく、何かにとりつかれたようにも見える。気軽に声掛けする雰囲気の方ではない。暑い日差しの中でも常にマスクを着用している。熱中症予防のため時にはマスクを外すように言われているが、本人は知ってか知らずか、助言してくれる人はいないのか、聞く耳が無いのか。散歩もいろいろ

  • 新しい生活様式

    コロナが収束する見通しがない中で、3密の回避、手洗い、マスクの着用、人との距離の確保、テレワーク、時差出勤、テレビ会議など、人に会う自由が制限された新しい生活様式が定着した。我が家も、今年は、知人友人宅へ伺うのは控えたところ、毎年お中元の季節には訪れてくれるE夫妻も郵送で、この時期には顔見世に来てくれる関東に居る孫たちも来難い状況だ。爺が参加している公民館での仲間の集いも6月から再開され、8人の会員が小さな和室で寄り添っていたが、今は広い会議室で離ればなれに座っている。加齢難聴がはじまり、補聴器を使っている。高齢者の集いでも、ズームを使ったオンライン交流が行われている。元気な高齢者には物足りなさや寂しさを感じている人もおられるが、体の不自由な人には、孤独感を解消してくれるのでは。新しい生活様式

  • 初恋の人

    昭和15年、小学校2年生の時、近くに転居してきた4人姉妹の三女で同級生のN子さん、可愛らしい子だった。着物にモンペ姿の女の子の中で洋服姿のN子さん、男の子達から注目されていた。昭和10年代の田舎で、男の子と女の子が二人だけで歩く姿は見ることは無かった。下校時に、彼女と並んでお喋りしながら帰って来たこともあったが、人に会うと自然に離れて歩いた。男の子と女の子が一緒に遊ぶことは無かったご時世だったので、男の子達にとっては、二人の姿が羨ましかったのか、やきもちだったのか、冷やかされたり虐められたりもした。思春期の頃には、どんな姿の女性になったろうかと、時々思い出して想像していた。初恋の多くは、幼小時代に異性を好きになると言うから、一年足らずの出会いだったが爺の初恋の人だったのかも。初恋の人

  • もったいない

    シルバー川柳の入選作品「もったいない気づけば我が家はゴミ屋敷」は、昭和一桁生まれの老夫婦の生活そのもの。二階にある品々は、捨てられる日を待っているものが大半である。デパートの包み紙や紙袋、お菓子の空き箱や空き缶、段ボール等々、何かに使えるからと捨てずにとっておく。あとで利用するのは稀で、たまに利用しながら増えるばかり。食べ物も、衣類も不足の時代を体験した世代である。形あるものを捨てることが、粗末にするという罪悪感さえ覚え、勿体ないという固定観念に凝り固まっている。結婚63年目の老夫婦ともなれば、着ることのない衣類、読むことのない本、使うことのない瀬戸物で埋まっている。処分する気持ちになれないまま、息子たちに引き継ぐことになる。もったいない

  • 高齢の仲間たち

    昭和28年、最初の勤務地には昭和8年生まれの独身が5人いた。男性は爺一人、4人の女性のうち、一人は家内、A子さんはご主人に先立たれ独り暮らし、T子さんはご主人の介護中、S子さんは他界されている。今の時期は、北限(村上市)の新茶を手土産に各地に居る同年代の知人や友人を訪れていたが、コロナ騒ぎで不要不急の外出の自粛と寄る年波で体調不良者も多くなり、訪問は控えたところ。一昨日、久しぶりに昭和34年当時の職場仲間のH氏と昼食を共にしながらの四方山ばなし。84歳になるH氏、今も地域の老人会の役員として活躍中とあって、元気だし、食べるし、良く喋る。数種類の薬と共存しながらも、夫婦そろって体が自由に動いて、3度の食事が美味しだけで満足している日々である。今の願いは一つ、「早く来い来い、みんなの素顔が見られる日」だけ。高齢の仲間たち

  • 庭の草取り(2)

    若者4人に除草してもらった庭に、毎日のように若い草同士が競争しているかのように顔を出してくる。近所の奥さんから紹介された軽いステンレス製の鍬で、珍しさもあって、自ら草を取っている。今では、草を見ると気になり、髭剃りのように、草取りの習慣がつき始めたようで、鍬の使い方も上手になってきた。時々、今度生まれてくる時は「美しい花になって来いよ」と独り言を呟いたり。草取りと言うと、故人となった近所のA婆ちゃんを思い出す。広い庭には、一年を通して色々な花を育て、周りは何時見ても草一つ見当たらない。よその庭の草でも、目に入ると取る人だった。かがみながらの草取りと違って、老体になった腰への負担も少なく、楽に出来る一本の鍬のお陰で爺の心境に大きな変化があった。何時まで続くだろうか、涼しそうな庭を見るのが楽しくなった。庭の草取り(2)

  • 爺の母親たち

    家電製品は無かった爺の子供の頃の母親たちの一日は、炊事と洗濯に追われていたと思う。お天気の日は、何処の家でも台所の入り口などで、タライで洗濯をしているお母さんの姿があった。子供達も、お母さんのお手伝いを当たり前のように行われていた。玄関の掃除、庭の草取り、簡単な買い物は子供の役割として定着していた。爺も風呂の水くみをしたのを覚えている。炊事は全て手作り、燃料は薪か炭なので目配り気配りを欠かせない。買い物は魚、野菜、乾物、肉屋など専門店を歩いて回り口で注文する。目方計りや包装に手間もかかっていた。3度の食事は、全てお母さんが作ってくれたおふくろの味である。爺にとって、戦後の食糧難時代のおふくろの味は、サツマイモ、ジャガイモ、トウモロコシを加工した代用食である。爺の母親たち

  • 給付金

    新型コロナウイルスで、政府から一人10万円づつ給付金をいただくとは素直に嬉しい。各自治体では予期しない大量の事務処理に追われ、予期しない家庭内トラブルが発生している。世帯主中心の従来型家庭は少なくなり、現代の家族問題は多様で複雑である。夫婦別居中の人、家族間の単なる不仲等々で個別支給を求める相談が多いとか。給付金は個人への支援でなく家庭への支援であり、受給権者は世帯主とされているので、個別支給は出来ないらしい。家族間の円満な話し合いに期待するしかなさそうだ。書類不備の方、まだか、まだかと待っている方、すでに頂いた方など様々であろう。あるブログで、使い果たした人に対する新しい諺、「いつまでもあると思うな10万円」には一人笑い。給付金

  • 社会的距離

    英語やカタカナ語に弱い爺、また一つ覚えた。ソーシャルディスタンスとは日本語で社会的距離とある。要するに外出した時は人と一定の距離を保ちましょうということか。6月から再開した爺が所属している物書き仲間8人(男4人・女4人・平均年齢78歳)の集いも、部屋の窓を開け、間隔をあけて座る。右耳が人工鼓膜の爺、小声の方が発言する時は補聴器を使用するようになった。スーパーやホームセンターのレジ前や自動預け払い機前の床には一定の間隔で待つ位置の目安となる赤いテープや足形が表示されている。ソーシャルディスタンスも定着してきたようだ。高齢者の中には慣れてない方もいる。先日ホームセンターで2番目に並んでいた爺の前に割り込んだ老人がレジ係から注意されたが、「お先にどうぞ」と譲ったら、照れ臭そうに、ペコリと頭を下げて行った。社会的距離

  • 小さな庭

    西側の小さな庭には、チューリップ、スミレ、ホタルブクロ、アイリス、オダマキ、アマドコロ、アジサイ、ボケ、シャクナゲ、菊、福寿草、スイセンなど、それぞれの季節に咲いてくれる。イチジクと梅ノ木の周りの雑草の中で力強く咲いてくれる花も美しい。夏から秋にかけて、寝静まるころ虫の声を聞かせてくれるので家内がお礼の気持ちを込めて、キャベツの葉を置いてみた。朝に置いたキャベツは夕方に、夜に置いたキャベツは翌朝には、茎だけになっている。丁寧に食べてくれたのはダンゴムシだったことが分かり、期待外れで少々がっかり。孫娘が幼い頃にダンゴムシと喜んで遊んでいたのを思い出した。丸まって転がるので子供のおもちゃ代わりになる可愛い虫でもあると思ったら、捨てていたキャベツの葉を与え続けている。小さな庭

  • 庭の草取り

    「元気ですね」とか「年齢より若いですね」とか「姿勢がいいね」等とよく言われている爺、嫌な気はしない。人様から見た目と違って、下水掃除や草取りなど外の作業はきつくなった。今年も南側の猫の額ほどの庭には、よそ様よりも長生きしている雑草が咲き誇ってしまった。そろそろ引退してもらい、若い世代に移行させたいと、1年ぶりに業者から除草してもらった。暑い日差しの中で、水分補給をしながら4人の若者による約2時間の作業だつた。除草した雑草は大きなビニール袋13個、軽貨物に乗せられ処分場へ運ばれて行く姿を見送った。涼しそうになった庭を眺めながら家内が言った「風邪を引かないだろうか」と冗談を。近いうち、また若い世代の雑草が長生きできる我が家の庭に許しもなく生まれてくるだろう。庭の草取り

  • JR時刻表

    明治5年に新橋・横浜間に日本初の鉄道が開業したときから存在したというJR時刻表、今も最寄り駅の時刻表がダイヤ改正があると新聞広告と一緒に、各家庭に無料で配られてくる。関東に居る孫たちに会いに行ったり、迎えたりした頃は、時刻表は家の見やすい場所に貼って便利に利用していた。電車に乗ることもなくなった今では折りたたんだままで見ることはない。隠れたベストセラーとも言われているJR時刻表と言うと、愛読者だった昭和46年~48年、現役時代の上司S氏を思い出す。何時も時刻表を抱えて約1時間ほどの電車通勤をしていた。時刻表を検索しながら、鈍行、急行、特急、東海道新幹線の各電車を乗り継いだり、普通車やグリーン車を利用したり、全国各地への旅行プランを作ることで、旅行気分を満喫していた。JR時刻表

  • 片づけもの

    スティホーム週間中のこと、知人で70代の奥様からのメールが届いた。片づけものをしていたらご主人の古いカバンの中から2万円のヘソクリらしきものを発見、喜び勇んでネコババしたと言う。爺も、気がかりだった二階の押し入れの片づけに着手した。忘れていた金目のものでもあるかと、良からぬ気持ちを抱きながら一時間ほど作業を続けたが、出てきたのは、ゴミと腰の痛みだけだった。お昼近く市役所から封書が届いた。10万円の政府からのコロナ見舞金の請求手続きだろうかと思ったら軽自動車税の納付書だった。間もなく車検でもり、さっさとコンビニで納めてきた。一連の顛末を知人の奥様にメールで報告したら、継続中の片づけもので、620円しか出てこなかったとか、お金が散在している家である。我が家の片づけものは骨折り損のくたびれ儲け。片づけもの

  • 個人商店

    スーパーやホームセンタ-等の大型店がなかった時代、魚屋、八百屋、肉屋、衣料品店などの個人商店へ入ると、「いらっしゃいませ」とか「毎度どうも」の掛け声が懐かしく思い出される。馴染みの衣料品店では、今日のお天気の話から始まって、お客様に合わせた世間話をしたり、品物についてお客様に寄り添ったきめ細かい説明をしながら品定めをしてくれて助かった。我が家の近くに、家内が長いこと利用している手芸店がある。70代と60代のおばちゃんが、同年代のおばちゃん相手に、毛糸や手編み糸の販売と丁寧な指導をしてくれる店で繁盛している。時々、店の片隅にある椅子に腰かけて、黙々と編み物をしている近所のおばちゃんたちに出会う。家でしているより指導者の傍で何かと便利なのであろう。個人商店ならではの雰囲気である。個人商店

  • カタカナ語

    日本国中に数えきれないほどカタカナ語が氾濫して、多くの日本語が死語になっている現状に対して、識者の皆さんから嘆きの声も聞こえてくる。カタカナ語は外国人にとっても難しいとか。国民学校卒業の年代層の爺、難しいカタカナ語は苦手だったが、パソコンと出会ってからは、抵抗感も、違和感も薄らいで、ネット検索で調べる習慣がついたが、直ぐに忘れてしまう。新型コロナウイルス騒ぎで、テレビ、新聞、雑誌で飛び交っているオーバーシュート、ロックダウン、クラスター、テレワークだけは忘れない。日頃の会話の中でも気軽に使うようになった。これからは、年寄りも世の中の動きを知り、若者や周囲とつながっていくためには、新しいカタカナ語を使わなくても、知っておく必要があると思う。使い慣れるとお喋りしやすいもの。カタカナ語

  • 修学旅行

    爺は、昭和14年に小学校入学、同26年の高校卒業生である。昭和16年12月から昭和20年8月までの大東亜戦争と戦後の混乱期の中での学生生活だったので修学旅行を体験しない世代である。小学校6年の時は戦争末期だったし、中学から高校時代は、食料難と学費を滞納する生徒も大勢いたり、修学旅行の経費を負担できる家庭は稀だったと思う。修学旅行は夢の世界だった。修学旅行先として古都である京都や奈良の都について語り合うことはあった。還暦を迎えてから旅行社が企画したフルムーン旅行に参加しながら、夫婦ともに叶わなかった夢を果たした。コロナ騒ぎで、修学旅行を楽しみにしていた小学校6年生、中学3年生、高校3年生、卒業旅行を楽しみにしていた大学4年生の皆さんには、叶わぬ夢になったが、後の楽しみにして欲しい。修学旅行

  • 自宅待機生活

    政府からお達しの自宅待機、老夫婦の日常生活に大きな変化はないが、親しい人達とのお喋りの自粛で寂しい思いをしている。マイカーも、通院とスーパー通いだけで物足りなさそう。5月9日、外出の自粛が少し緩和されたことだし、弁当持参で海岸線を寺泊港までドライブ、途中近くに見える佐渡島を眺めながら一休み、家内と車中で過ごした3時間、僅かながら気分転換になった。退屈を知らないと自負している70代の仲間がいる。パソコンの会、物書きの会、俳句の会、読書の会、健康マージャンの会、演劇の会などで楽しんでいる。今は自宅で、読む、書く、食べる、寝ることだと。コロナ以前の生活に戻る日は何時になるのか、みんな待機疲れも出てきたようだし、コロナ騒ぎに便乗した特殊詐欺、窃盗、空き巣なども増えているようだ。治療薬が出来るまで続くような気がする。自宅待機生活

  • 子育て雑感

    お正月とゴールデンウイークには、孫を迎え、来て嬉しや,帰って嬉しやで過ごしたのも昔のこと。3人の孫も、長男の娘は嫁ぎ、次男の娘と息子は親元を離れ普通の大人になった。新型コロナ騒ぎで、休校や休園の長期化により、子どもを爺ちゃん婆ちゃんに預ける共働き家庭が増えたとか。大変だ、疲れたと悲鳴を上げながら、孫のために奮闘している。動物や小鳥たちが、常に食うか、食われるかの厳しい環境の中で、雄と雌がツガイで役割分担をしながら子育てをしている映像を見る度に、可愛らしさと逞しさに感動している。ある家族研究所が子育て中の女性を対象に行った調査では、9割がストレスを抱え、その原因の一位が子育てだとか、子供を虐待してしまう親もいる。動物たちの子育ても学んで欲しい。子育て雑感

  • 迷惑電話

    先日、糸魚川市に住む知人のYさん(91歳)から、固定電話の番号を変更したとの封書が届いた。奥様に先立たれ一人暮らしの身になって久しい。今年も元気で畑仕事を始めたとあつた。最近、3日に一回は家族構成を聞かれたり、電気料などの支払いは誰が受け持ちだとか、詐欺まがいの電話がかかってくるので、番号を変更して電話番号帳から削除してもらったと言う。我が家の電話機は、ナンバーディスプレイ対応なので、非通知やフリーダイヤル0120から始まる電話は取らないが、断り続けても、繰り返しかかってくる迷惑な営業電話には閉口している。今のところ、我が家は詐欺グループの候補者名簿に載っていないのか、詐欺まがいの電話は来ていない。近い将来のために自分に関係ある電話番号のみを登録しようかと思料しているところ。迷惑電話

  • 和食が一番

    戦後の食糧難時代を体験した結婚62年の老夫婦、今も変わらないのは食欲だけと言ってもいい。豊かな食材に見向きもせず昔ながらの素朴な和食が介護不要の健康を維持してくれている。和食の基本食材である主采の魚、肉、大豆製品、卵など、副菜の野菜、きのこ、海藻類などを、和食の基本調味料である砂糖、塩、酢、醤油、味噌、味りんで味付けられた和食が一番である。テレビの料理番組で料理研究家たちから紹介される料理は、味つけも素材の組み合わせも多種多様である。たまに味見のため家内が作って食べてみるが、爺の世代には馴染めない。現役時代は、食べ物に好き嫌いがないので、洋食や中華料理を食べる機会も多かったし美味しく食べてきた。加齢とともに、ケチャップ、マヨネーズ、ソース味などは、好まなくなってしまった。和食が一番

  • 転ばぬ先の杖

    「転ばぬ先の杖」「石橋を叩いて渡る」「濡れぬ先の傘」などは失敗をしないように、事前に用心をしておくことという意味のことわざ、普段の会話で良く使っている。昨年旅だつた義弟が晩年に使用していた杖を形見として貰ってきた。いずれ役立つ時が来る日まで彼を偲びながら大切に保存している。今は靴を履く時に支えとして利用している。昨年の夏、家内が路上で転倒、幸い骨折に至らず膝の打撲で済んだが医師から転ばぬ先の杖を利用しなさいと言われた。その気になれないですと答えたら、医師から「その元気があればいいだろう」と。長男から、そろそろ免許を返納するか最低でもサポカーを利用して欲しいと忠告された。馴染みの自動車販売店に依頼してきたが、中古のサポカーは、まだ多くは出回っていないようである。転ばぬ先の杖

  • 警戒警報発令

    大東亜戦争末期の昭和20年8月、旧制中学1年生だった。爺の田舎でも8月に入ってからは、殆ど毎晩アメリカの飛行機が飛んでくる日が続いた。あの時の恐怖感を、はっきり覚えている。敵機が近づくと、サイレンが鳴り響き、消防団員が叫ぶ警戒警報発令の声を聞くと自家製の小さな防空壕に避難した。防空壕の中で爺と妹は母親に抱えられながら、警報解除されるまで震えていた。8月15日の終戦は向かいの中林さんから、「戦争に負けたよ」と言われて知った。子供心に、敗戦の悔しさか当日の食事が進まなかったが、久しぶりに安心して、朝まで、ぐっすりと眠った。16日、政府から全国に緊急事態宣言は現代の警戒警報発令である。みんな一丸となって平和を乱す見えない敵と戦わなければならない。戦時中の標語「欲しかりません勝つまでは」の再現である。警戒警報発令

  • シジュウカラが来た

    NHKの「ダーウィンが来た」でシジュウカラを、白い頬っぺたとネクタイのような胸の模様が可愛い野鳥と紹介されていた。郵便受け箱や植木鉢を利用した子育ての姿に改めて感動した。シジュウカラは鳥類の中でもナンバーワンと言われるほどの言語能力を持っているとか。鳴き声を組み合わせて文章を作り、仲間同士で情報伝達するために利用することが明らかになったと言う。シジュウカラは古い巣が残っている所や古い巣箱は敬遠する贅沢な鳥だと言われているので、昨年の夏に新品を用意して入居をお待ちしていたところ、3月下旬から巣作りを始めた。今は巣作りは終わったのか、抱卵中なのか、巣箱の中の様子は分からない。コロナ騒ぎで閉塞感のあるこの頃、時々巣箱に出入りするシジュウカラを見ながら元気に巣立つ日に思いを寄せている。シジュウカラが来た

  • ウイルス騒ぎで (2)

    ウイルス騒ぎで、ロックダウン、オーバーシュート、クラスターという新しいカタカナ語を覚えた。それぞれの日本語で都市封鎖、感染爆発、集団感染と言われるよりは印象を和らげる。密閉、密集、密接の場を避けるため不要不急の外出は避けるように、手洗いとうがいを丁寧にするようにと、令和のお奉行様からのお達しで、老々夫婦も、徐々に気疲れしてきた。一昨日の8日は久々の晴天に誘われて、不急ではあるが必要な日用品の買い物方々郊外をドライブ、車窓から桜やチューリップなど春の花々を眺めながら2時間ほど、気疲れを癒してきた。日頃はテレビを見るのは少ない生活だが、外出自粛以来、テレビを見る時間も増えた。各局ともに色々な分野の方々が、令和のお奉行様の対応に賛否の意見を述べていたが、正解は先のこと。ウイルス騒ぎで(2)

  • 昭和一桁生まれ

    昭和元年生まれが94歳に昭和9年生まれが86歳になる。県内各地に散在していた同世代のお喋りや食事を共にした夫婦仲間も、御主人に先立たれたり、老々介護の身になってしまった。昭和一桁生まれの爺と婆、相変わらず概ね3時半頃には起きて朝茶を飲んでいる。爺はパソコンに向かいながら、婆は編み物をしながら細切れの会話、5時半頃には朝飯を食べている。二人が結婚届を提出した日は62年前の4月1日だつた。今では結婚前には知らなかった全てを知り尽くしあった仲である。良くある家庭内別居、卒婚、熟年離婚の気配もなく過ごしてきた。職場から解放されてから現役時代に訪れることのなかった県内の市町村を順次ドライブしながら、自然や人々との出会いを楽しんで来た。今は病院とスーパーと近郊への小さなドライブを楽しんでいる。昭和一桁生まれ

  • ウィルス騒ぎで

    事の重大さに自覚が足りない若者もいる中で、隣の学生マンションの入り口に朝早く10人ほどの学生が集まっていた。卒業旅行を諦め、卒業式も中止になり皆で泣き明かしたところだと言う。爺も所属している8人の物書き仲間の集いが暫くお休みとなり、皆とお喋りができず口寂しい。また年に一度、楽しみにしている長男夫婦から案内される温泉の旅も、今年は中止になった。3月24日は住職で義弟の一周忌を迎えたがウイルス騒ぎで法事は延期された。命日にあたり今も本堂に安置されている遺骨と一昨年18歳で旅立った愛犬が眠る供養塔をお参りしてきた。異常気象による昨年夏の極暑、豪雨災害、雪ゼロの冬、ウイルス騒ぎなど、地球が呪われているかのようである。しばらくは皆が静かにしてウイルスの終息をお祈りしよう。ウィルス騒ぎで

  • 朝晩の着替え

    朝起きて、パジャマから服に着替えた時から一日の行動が始まる。戦争末期の昭和20年だった、敵機来襲に備えて、着替えを素早くできるよう枕元に置いた時のことを思い出した。爺の子供の頃、暖房は炬燵か火鉢しかなかった中で寝間着姿のままでは居られないので起きると着替えをするのが当たり前だった。寝間着のまま炬燵に潜り込んで親に叱られたものである。この頃、ズボンと靴下を履く時は、少々ふらつくので安全のために柱などに支えてもらっているが、夫婦ともに80代後半になった今も朝晩の着替えを自分一人でする度に幸せを感じている。朝の着替え後の気持ちはスッキリするし、夜の着替え後の気持ちは新潟弁でラックリ(ほっと)する朝晩の区切りの動作でもある。加齢とともに早寝早起きになり、着替えする時刻も早くなった。朝晩の着替え

  • 不自由な昨今

    政府からのお達しで不要不急の外出や人混みは避けるようにとある。爺は通院とスーパー以外に外出することがないので大きな支障はないが、若者たちにとっては苦痛の日々であろう。新型コロナウイルス騒ぎでマスク不足が続いている。爺も家内もマスクとは全く縁がなかったので、買い置きもなし、着用を促されても売っていない。咳が聞こえたら、ハンカチか腕で防護するしかない。月に一度の通院する病院内やスーパーで買い物するときは、咳をしてる人に会わなければ良いがと余計な神経を使いながら歩いている。一方で丁寧なうがいと手洗いの習慣が身に付いた。これからも、感染リスクを高める換気の悪い場所での活動の自粛など耐乏生活が続くようである。知る人も少なくなった戦時下の標語、「欲しがりません勝つまでは」を思い出した。不自由な昨今

  • 健康管理

    長いこと職場の健康診断や市民検診を受けてきたが、発見された病は何もなかった。一昨年8月に急襲された心筋梗塞が最初の病、手術医から加齢によるものだと断言された。今は、心筋梗塞で入院中に服用していた7種類の薬を、開業医の主治医から月に一度の診察を受けながらいただいている。一日一回の朝食後に薬を飲む習慣もすっかり身についてしまった。主治医からの診察前には採血があり、20の検査項目の中から毎回三分の一づつの検査を繰り返している。検査数値に基づいて医師から日頃の健康管理について指導を受けている。体調も良し、食事も美味しく、生活動作に不自由なし、定期的に通院中であり、症状が出たら治療をするとして市民検診はしていない。本音は87歳の今更、新しい病を発見してもらいたくなし。健康管理

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