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爺の世間ばなしさんの人気ランキング

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その他日記ブログ 68位 75位 72位 77位 69位 66位 74位 30,976サイト
日々の気になること 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 884サイト
60代 日々のできごと 10位 11位 11位 11位 11位 12位 14位 109サイト
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80歳代 16位 16位 16位 16位 16位 15位 16位 120サイト
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  • 末は博士か大臣か

    将来は博士や大臣のような“立派な人”になって欲しいという子供の将来を期待しての言葉であるが、いつ頃、誰が言ったものか不明らしい。現代ではあまり聞かなくなった。明治維新で徳川幕府が消滅し、若者たちの新政権下での夢は、1番が政治家になること、2番が学者だつたことからではないかとも言われているが、現代っ子は望んではいない。小学生男子は、1位YouTuber、2位スポーツ選手、女子は、1位パティシエ、2位看護師、中学高校になると男子は、1位会社員、2位公務員、女子は1位会社員2位看護師と現実的な職業になる。学問や政治を志す若者にとって目指す到達点であることは変わりがない。学者は博士を目指して励み、政治家は大臣に憧れ、順番を待ち続け、たまに適材適所でない方も見受ける。末は博士か大臣か

  • ヤミ米

    昭和16年12月に大東亜戦争が始まった翌年の2月、食糧管理法が制定されお米は政府の管理になった。米穀通帳と言うものが各家庭に配られ、販売店も指定され配給量も決められてしまった。配給量では足りないので農家等から買った米をヤミ米と言っていた。昭和20年の終戦後は満州、朝鮮、台湾からの引揚者により人口が急増したことで食糧不足が深刻であった。警察当局によるヤミ米の摘発が盛んにおこなわれていた、汽車通学の中学生だった爺、列車内で怒号が飛び交う中で没収されるヤミ米、泣き崩れて警察官に泣きすがる女性の姿が忘れられない。我が家でも、母が近くの農家から衣類と交換して米を求めてきた。配給米は玄米、農家から買った米は白米で一目でわかる。爺の白米の弁当を見て、農家の子たちにヤミ米だと騒がれたことも。ヤミ米

  • 末は博士か大臣か

    末は博士か大臣か

    将来は博士や大臣のような“立派な人”になって欲しいという子供の将来を期待しての言葉であるが、いつ頃、誰が言ったものか不明らしい。現代ではあまり聞かなくなった。明治維新で徳川幕府が消滅し、若者たちの新政権下での夢は、1番が政治家になること、2番が学者だつたことからではないかとも言われているが、現代っ子は望んではいない。小学生男子は、1位YouTuber、2位スポーツ選手、女子は、1位パティシエ、2位看護師、中学高校になると男子は、1位会社員、2位公務員、女子は1位会社員2位看護師と現実的な職業になる。学問や政治を志す若者にとって目指す到達点であることは変わりがない。学者は博士を目指して励み、政治家は大臣に憧れ、順番を待ち続け、たまに適材適所でない方も見受ける。末は博士か大臣か

  • ヤミ米

    ヤミ米

    昭和16年12月に大東亜戦争が始まった翌年の2月、食糧管理法が制定されお米は政府の管理になった。米穀通帳と言うものが各家庭に配られ、販売店も指定され配給量も決められてしまった。配給量では足りないので農家等から買った米をヤミ米と言っていた。昭和20年の終戦後は満州、朝鮮、台湾からの引揚者により人口が急増したことで食糧不足が深刻であった。警察当局によるヤミ米の摘発が盛んにおこなわれていた、汽車通学の中学生だった爺、列車内で怒号が飛び交う中で没収されるヤミ米、泣き崩れて警察官に泣きすがる女性の姿が忘れられない。我が家でも、母が近くの農家から衣類と交換して米を求めてきた。配給米は玄米、農家から買った米は白米で一目でわかる。爺の白米の弁当を見て、農家の子たちにヤミ米だと騒がれたことも。ヤミ米

  • 春が来た

    春が来た

    昨年の夏の記録的な猛暑に続き冬は暖冬小雪と異常気象の中で、我が家の庭には福寿草が予定通り3月には咲いてくれたし、今は水仙の花盛り、偉大な自然の力が心を和ませくれる。我が家の東側には昨年10月に3階建て15世帯のアパートの新築工事が始まり3月下旬に竣工、早速に大型車両が家財道具を運んでくる、自転車小屋には真新しい自転車が並んでいる。お米をとぐ前のお釜のご飯粒や米櫃周りに零れた僅かな米は庭に捨てることで、スズメが一粒残さず食べてくれる、また庭に捨てたキャベツの外側の葉、今年も虫が食べ始めたようである。新潟は桜の花盛り、新入生、新入社員は、そろそろ環境の変化に慣れたろうか、関東に居る3月に3歳になったひこ孫も幼稚園入園、母親に手を引かれた制服姿の写真の可愛いこと。春が来た

  • 雑 感

    雑 感

    新しくなった新潟駅を見たいと思っていたが、生粋の新潟っ子の知人の話では、3回も尋ねながら目的地にたどり着いたと聞いて、誰かに案内してもらって行くことにしたい。生来のせっかちな性格もあるが、スーパーの買い物でマイバックを忘れたり、郵便局専用の振込用紙で銀行窓口で断られたり、時計を見間違えて早く起きてしまったり、みんな一度だけだが。運転免許証を返納して1年半、タクシーは運転経歴証明書を提示することで1割引きになる。利用する度に番号を控える人、証明書を確認するだけの人、統一できないものかと。高校同級生の新野君とは年賀はがきが初めて発売された高校2年生の1949年12月から75年続いた年賀の友である。今年の年賀状には、「元気で頑張っていますか」と、最後の年賀状になるとは。雑感

  • プロ野球開幕

    プロ野球開幕

    3月29日、今年のプロ野球ペナントレースが開幕した。昨年の日本一阪神と今年こそ優勝を義務付けられた阿部新家督率いる巨人との一戦、巨人ファンにとって久しぶりの喜びだった。去年の巨人の開幕戦は最下位だった中日に3対6で敗れ、阪神とは6勝18敗1引き分けだった嫌なイメージを払拭させた一勝であり、に投打ともに安定した巨人戦、最後までテレビ観戦を。初の開幕投手になった戸郷、セーブの大勢のピッチング、試合の流れを変えたベテラン梶谷ファインプレー、続いてホームランはお見事、阿部新監督の思惑通りの試合になった。阪神とは2勝1敗と勝ち越したものの、中日には2連敗中とは、喜んだり不安になったり、阿部新監督の采配に期待して今年の巨人戦を楽しみながら今年こそ日本一になることを祈る。プロ野球開幕

  • 大相撲

    大相撲

    日本人横綱はいない、郷土出身力士がいない、日本人大関の高安、正代、御嶽海には、前頭に陥落したままで横綱への期待は無くなり、新大関琴の若の活躍に期待した春場所が終わった。琴の若を中心の場所になるかと思ったら、新入幕の尊富士が優勝、110年ぶりの快挙だそうで、更に初場所に入幕して敢闘賞の大の里大が最後まで優勝争いで、尊富士と二人で盛り上げた場所だった。想像だが、琴の若には気楽だったろう、祖父のしこ名横綱琴桜になる来場所に期待したいし、尊富士は前頭上位に躍進、大野山は新三役だろうか、上位陣との対戦が楽しみな場所になる。期待できる郷土力士はいないのが少々つ寂しいが、5月の夏場所では琴の若、尊富士、大野里の若きホープの活躍を楽しみにしとてい。研究されて今場所より苦戦するだろうが応援したい。大相撲

  • 公衆トイレ

    公衆トイレ

    トイレの言い方は、便所、厠(かわや)、雪隠(せっちん)、はばかり、ご不浄お手水(おちょうず)など色々あるが、現在では「トイレ」が普通であり、日本語として認知されている。「厠(かわや)」は、現在では使われていないが、昔の日本の軍隊では公式の用語であったそうであり、確か爺が子供の頃の昭和10年代のお年寄りたちが使っていたのを覚えている。和式から洋式へとトイレの中も変わったことで、座りながらスマホに触ってしまうという人が多くなり、落書をするのではなくスマホからメッセージのやり取りをしているとか。「トイレットペーパーを持ち帰らないでください」と書いた貼り紙が目立ってきた、あるところで、貼り紙の「ペーパー」の部分をマジックで黒塗りしてあったのを見て思わず苦笑い。公衆トイレ

  • 好きな食べ物

    好きな食べ物

    食糧難時代を体験したためか、食べ物に好き嫌いが無い爺、91歳まで生きた要因のひとつかも、「好きな食べものは」と問われると、迷わず「赤飯、桜餅、甘納豆」と答えてきた。生前の義弟(家内の弟)が、我が家に来るときは何時も赤飯を持ってきたもの、また、爺の誕生日には知人のS氏から赤飯が届く、家内は赤飯が苦手とあって殆ど爺が一人で食べる。今年もご近所のAさんから自家製の桜餅をいただいた、ご先祖様と愛犬が眠る供養塔の写真前にお供えして、仏様が食べ終わるまで待ち遠しかったが、市販の桜餅とは風味が全く違う。下宿生活だつた独身時代のこと、職場のM先輩が酒を飲んで朝帰りした時は、爺と一緒に過ごしたことにしてアリバイ作り、手土産は何時も甘納豆、奥様からのお礼も甘納豆だった。好きな食べ物

  • 愉快な飲んべたち

    愉快な飲んべたち

    酒は百薬の長と言って適量の酒はどんな良薬よりも効果があるが、飲み方次第で毒にもなる代物。色々な酒癖の人と出会ったが、ちょっと愉快な3人の飲んべを紹介する。昭和34年頃、同じ職員アパーの2階に住む田村氏、酒を飲んで帰宅の際は、決まって3階の我が家のドアをノックする、施錠していない時は、玄関に入り込んできたことも。昭和46年の職場の友の山口氏、帰宅前に居酒屋で晩酌する飲んべ、話し相手に何回か誘われた。爺が何を飲もうが、食べようが無頓着、無理強いもしない、面白くもない話をしながら喜びに浸る。2度、職場を共にした婿養子のK氏、外で飲んだ時は奥様がマイカーで迎えに来る、「こんなに遅い時間に女性の方から送っていただきありがとうございます」と丁重にお礼の挨拶をする。愉快な飲んべたち

  • 91歳になった

    91歳になった

    先輩はもとより、同期の仲間の殆どが石のシャッポを被って彼の地でお休みなさっている中で、この世に取り残された吾輩は3月8日には無事に91歳の誕生日を迎えた。見た目で姿勢がいいとか、声に張りがあるとか、元気だねとか、色々言われるが、爺には内緒で心身ともに老化が進んでおり、日頃の言動から年を取ったことを痛感するこの頃である。掃除も厳しくなって、手抜きしながらも一部屋ごとに一休み、思い物を持っては手首を痛め、寝違えてあちこちの痛みで、何時も体のどこからか湿布の匂いかする無理できない体になった。厚労省の調査資料によると、91歳の平均余命は3年とあるが、いくつまで生き延びられるのかは運命に従うしかない。時々年上の元気で明るく話好きな高齢者と語り合いたい気持ちになる。91歳になった

  • 好きだった上司

    好きだった上司

    58歳まで半世紀の公務員生活から第二の人生は造園業界の事務局へ、異質な環境の中で戸惑う爺に全面的な信頼を寄せてくれた責任者の片岡氏(故人)を懐かしく、時々思い出している。陸軍士官学校出身で身長180センチ近い大男、終戦時の位は佐官クラス、戦時下であれば近寄りがたい存在、戦後は会社を設立、市議商工関係の役職など地域の名士として活躍された御仁である。過去の市議、商工関係、軍人時代の話題は自らは殆どしなかったが、南京虐殺事件と沖縄戦に関して一部を反論しながら自身の認識を語ってくれたことが印象深く、納得できる内容だった。造園業の社団法人代表として、当時80代半ばだったが、元気はつらつ、若い会員にも何時も同じ目線で話しかけ耳を傾けてくれる姿は好々爺といったところ。心が温まる存在だった。好きだった上司

  • 老夫婦の朝

    老夫婦の朝

    90歳の老夫婦ともなると、全ての動作が鈍くなったが、三日か四日に一度スーパーへ買い物に出かける。昔ながらの食材を買い求め、3度の食事は全て子供の頃から食べ慣れた和食である。朝の2時半前後には目を覚まし、朝茶を飲みながら家内は読書や編み物、今はアームウォーマーを編み続けている、爺はブログづくりや現在46人のブログ仲間の作品を読んだりしてる。5時には夫婦共同で朝食の準備、前日の夕食後12時間、起床後3時間後の朝食は待ち遠しく、空腹感で3度の食事で一番美味しく食べている、今の時期まだ周りの家々の明かりはない。食事が終わると、ご先祖様にローソクと線香を灯して手を合わせる。洗顔、手抜きしながらの掃除、洗濯などすませば、寝るまで自由時間になる、こんな生活が何時まで続くやら。老夫婦の朝

  • 通勤仲間

    通勤仲間

    昭和49年から2年間、50歳代の阿部氏、30歳代の岩佐氏、40歳代の爺の3人が交代でマイカー通勤していた時のことをふと思い出した。周りから羨ましがられるほど気の合った仲間だった。阿部氏は、温厚で真面目一筋、笑う時は声を出すことはなく両肩が上下に動くだけ、岩佐氏は、対照的に賑やかな性格で、面白い話題を一人喋り、40分ほどの車内で退屈することは無かった。ある日、阿部氏の運転日だった、楽しい話題に夢中になってスピードを出し過ぎたのか、サイレンを鳴らした白バイのお兄ちゃんから停車を命じられ、反則切符をもらったことがあった。阿部氏は58歳で退職後は建設業界へ転出後間もなく病で還暦前に亡くなり、岩佐氏は若い頃からの酒の飲み過ぎで体調を壊し、定年前に亡くなる。相変わらず良く喋る岩佐氏の夢を見た。通勤仲間

  • 月極駐車場

    月極駐車場

    我が家に隣接する東側は15台が駐車できる月極駐車場である。現在の利用台数は13台、県内車は3台で他は県外車で占められている。利用者は近くのアパートなどに住む人たちであろう。爺が現在の地に転居した33年前は、スイカと大根畑だったが、耕作者の高齢化で駐車場になってから20年以上になる。舗装されていないので月3500円だと聞いている。当初は県外出身の学生が殆どで、4月の年度替わりには利用者が入れ替わる。我が家の窓越しに学生たちに声をかけると、挨拶は出会いの始まりと言うが、翌日からは挨拶が返って来た。中には、親しくなって我が家でお茶飲みしたり、たまには食事をしたりした学生もいて、結婚式に案内されたこともあった。今時の学生たちは気質が変ったのか、声をかけても繋がらない。月極駐車場

  • 近頃の思い

    近頃の思い

    薪を背負って歩きながら熱心に本を読んでいた二宮金次郎、鞄を担いで歩きながら熱心にスマホと向き合っている若者、熱心さに変わりないが、横断歩道では左右の確認して命を大切に。相変わらず編み物好きな老妻、今の時期はアームウーマーを楽しみながら編み続ける日々、成果品は、全て知人やスーパーで親しくなった女性店員に、喜んでもらって楽しんでいる。某寺院の住職が「今日を大切に」と題した講話、80歳まで生きたとして、27年は睡眠時間、10年は食事の時間、5年はトイレの時間を除くと、仕事や趣味などに使える時間は38年しかないと。共働きの時から調理時間が短く、皿数が少なく、栄養バランスが取りやすく、果物が合うなど合理的でメリットの多い朝のパン食をご飯にしてから半年ほどになるが、パン食より美味しい。近頃の思い

  • 3人のひ孫

    3人のひ孫

    1番目のひ孫の女の子紗奈ちゃん、3月には3歳になり4月から保育園に入園する。保育園からの入園許可証を両手で掲げた写真がきたが、本人は何も分かっていないかも。誕生から今日までの成長する様子はラインを通して見ているがコロナ騒ぎで会っていない。知恵付きは早いが、まだおむつが取れないようで、目下訓練中だとか。2番目のひ孫の女の子莉音ちゃん、今月22日には一歳になる。スマホで莉音ちゃんのアルバムを見るのが朝一番の楽しみ、数歩ほど歩き始めたところ、会える日が待ち遠しい。3番目のひ孫、紗奈ちゃんの弟が2月3日早朝に無事誕生の知らせがあり、逞しい顔の男の子の写真が夕方には早速に送信されてきた。これで楽しみが3倍になった。3人のひ孫

  • 老いを痛感

    老いを痛感

    男性の平均寿命81歳を超えてから10年、人生の終電車に乗って終着駅に向かっていると言ってもいい年齢である。二人の息子が支援要請手続きをするのも無理からぬことだと思う。90歳の壁を越えてからの1年を振り返ると、爺には内緒で目に見えないところで老化現象が起きている。ひざ痛、首痛、胃もたれで受診したが、全て加齢による老化と診断された。ゆっくり歩いて10分ほどで行ける100円ショップと本屋まで途中で一度腰を伸ばして一休み、通学する大学生たちは、みんな爺を追い越していく姿を見ながら老いを痛感する。掃除機での掃除も厳しくなって、手抜きしながらも一部屋ごとに一休み、思い物持っては手首の痛め、寝違えてあちこちの痛みで、何時も体のどこかに湿布が、無理のできない体になってしまった。老いを痛感

  • 時代劇

    時代劇

    子供の頃に見た時代劇で記憶にあるのは、チャンバラ場面を震えながら見ていた嵐寛寿郎が演ずる「鞍馬天狗」、好きな時代劇を問われたら、市川歌右衛門が演ずる痛快時代劇「旗本退屈男」か。時代劇に登場する代表的なものに庶民長屋がある、長屋の管理人の大家さん、家賃の取り立て以外に、今でいう行政書士や民生委員の役目を勤めながら長屋の住民から親のように慕われた存在だ。悪代官、悪徳商人、大店のどら息子、怠け者の大工や植木職人、傘張り浪人など日銭を稼ぎながらの貧乏人達が登場するが、令和の御代でも名称は違っても似たようなのは存在する。居間、食堂、寝室を兼ねた一部屋の庶民長屋、今で言うワンルームマンションだが、長屋全体が大家さんを中心に堅い絆で結ばれている情景は、福祉の原点を見ているようで、ほのぼの気分に。時代劇

  • 年賀状じまい

    年賀状じまい

    年賀状じまい等で年々少なくなって今年は80枚程になった。当選番号が発表され、毎年2,3枚が当たる利用することもない切手シートでも、初めて当選ゼロとは少々寂しい。高校2年生だった昭和24年12月1日に初めて発売された年賀状も、メールやSNSで、年賀状を書く手間、節約のため、高齢者層の終活などで、年々減少の一途、何れ無くなるような気がする。年賀状について本音の意見を聞いたら、47.4%が「そのうちやめたい」、22.7%は「すぐにでもやめたい」、「まだ続けても良い」は24.0%で、7割がやめたいと思っているそうである。爺は今のところ、自ら年賀じまいのご挨拶をするほど気力は落ちていないので、現役時代から添え書きのある知人、友人、後輩からの年賀状だけは、楽しみながら書き続けていきたい。年賀状じまい

  • 要支援認定申請

    要支援認定申請

    今年の誕生日が来れば91歳になる老夫婦、日常の簡単な家事は共同でやりながら、介護のお世話にならずに何とか自立した日々を過ごしているが、大きな家事は無理になった。壁掛け時計の電池交換、蛍光灯の取り換え、高所の作業などは便利屋さんに、庭木の剪定を庭師さんに頼んでいるが、寝具類の洗濯や入れ替え、大掃除、室内のバリアフリー化を思料している。実態を見た、関東にいる長男(64歳)と次男(59)歳の判断ですすめた要支援認定申請に基づいて、去る1月15日に2人の息子の立ち合いの中で調査員による調査を受けたところ。調査項目が75項目ですと言われ、日常生活の実態、認知機能、歩き方、寝返り、手足の動き等々で約一時間ほどを要した。要支援対象の是非についての認定まで約一か月ほどかかるらしい。要支援認定申請

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