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  • ナンプレ

    脳に適度な刺激が加われば、脳内の血流が良くなり脳が活性化されることで認知機能の低下を防ぐことができるので、結果的に認知症の予防効果が期待できると言われているが。精神科医の和田秀樹氏によると、ナンプレは同じような問題を解いても脳が慣れてしまい、問題を解く能力は上がるが、特定の脳の部位は鍛えられ、認知機能までは上がらないと言ってる。イギリスで最も権威がある新聞の一つであるデイリーメイル紙には、ナンプレには主に三つの効果があることが分かったと、脳の健康を保つこと、イヤマームを治すこと、記憶力を改善すると。効果のほどは色々と言われてるが、暇つぶしにナンプレを楽しんでから1年近くになる。現在の正解率は初級が100%、初中級が52%、中級が50%、今の実力は初級と中級の中間位か。ナンプレ

  • 読売巨人

    プロ野球の公式戦日程が終了した、セリーグは阪神、パリーグはオリックスと関西勢同士の日本シリーズは老いても巨人ファンの爺には関心が薄く、翌朝にパソコンで結果を見ただけ。昔から巨人には常勝という使命があり、常に優れた成績を維持することが求められ、2位も6位も一緒なのである。監督コーチ陣は、采配が疑問だ、休養だ、交代だと騒がれるのも宿命である。選手の獲得競争中、現代っ子は職場環境を重視するようになり、原監督の好き嫌い人事や使い捨て起用、阿部新監督のパワハラ気質が懸念され、球児の憧れだった巨人では無くなったようだ。オリックスから近藤大亮投手が巨人に移籍が決まった。背番号は江川卓氏が背負った「30」、小さい頃から巨人ファンで阿部監督の下敷きを使っていたとか、期待したい。読売巨人

  • 身近の技術者

    フルセルフレジ、セミセルフレジのスーパーが増えてきたが、爺はフルサービスのレジを利用している。マイバックに瞬時に手際よく商品を詰めてくれるレジ係の腕前は技術者である。4日は、何時もの庭師さんと助手の二人が来てくれた。イチジク,梅、松、月桂樹,ネズミモチの剪定を2時間ほどで終わった。終わった後の樹形の美しいこと、その道のプロだと実感する。11日は床屋さんへ、ベテランの中年女性A子さんにお任せ、四方山話をしながら終了まで80分、手探りで髭を探す柔らかい手は心地よい眠りの世界に連れて行ってくれる。パソコンに出会って22年になる、今はパソコン相談所の会員になってトラブルや疑問があると電話や往診して指導してくれるKさんに尋ねると知らないことは無い心強い技術者がいる。身近の技術者

  • 加齢による症状

    爺に内緒で老化が着々と進んでいるようで生活動作が鈍くなってきた。筋力が低下し柔軟性がなくなり、神経の伝達速度が遅くなったことから、素早く動けなくなったのだとか。朝晩の着替えで、特にズボンを履く時に、立ったまま最初に左足はスムーズに履けるが、次に右足を履く時は柱や壁に寄りかかり、ふらつきながらも転ばないよう慎重に履いている。スーパでの精算はクレジットカードだが、病院、コンビニ、書店、ホームセンター、タクシー、バスなどで精算する際の財布から現金の出し入れが手間取り歯がゆい思いをしている。もの忘れ、就寝時にトイレの回数が増えた、耳が聞こえづらくなった、夕方に目が見えにくくなった、階段を上りに息切れする等、誰にでも起こる加齢による症状が揃ってしまった。加齢による症状

  • 年賀状

    今年も年賀はがきの発売が始まり発売初年度の昭和24年12月1日から75年になる。年賀はがきのアイデアは、京都在住のアマチュア画家で林正治さんと言う方が考案したものだと知った。爺の年賀状住所録には69人、家内は24人の氏名が記載されてる。彼の地に行かれた先輩の皆さんや年賀終いされた皆さんなどで、現役時代の半数近くになってしまった。発売初年度時は高校2年生だった。初年度から年賀状の交換しているのは、唯一同級生のN君だけである。彼とは学生時代、社会人を通して親しい間柄でなかったのに不思議な友である。退職してから32年も経っているのに、まだ現役時代の職場の21人の後輩からコメント付きの年賀状がくる。懐かしく、楽しみで、元気づけられている。みんな爺ちゃん婆ちゃんに。年賀状

  • 短気だった父

    地震雷火事親父の諺どおり、爺が子供の頃の父は短気な人で怖い存在だったが、国鉄を定年で退職してから74歳で一生が終わるまでの父は別人のように優しい人に変わった。爺が兄のように慕っていた5歳年上の従兄の仁さんが言っていた、「お前の両親は夫婦喧嘩が絶えなかった」と、爺も小学生の頃は父が大嫌いで、父が夜勤の日は嬉しかったもの。察するに爺が3歳前後の頃か、爺は母親に手を引かれて玄関の土間に立っている、何やら叫んでいる父、父をたしなめているお婆ちゃん(父の母)の情景を覚えている。今に思えばSLの機関助手、機関士として、狭い運転室の中で、夏は高温、冬は厳寒、激しい振動の中での長い乗務時間は重労働であり、特に夜勤明けは疲れていたのだろう。短気だった父

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