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  • 懐かしの情景

    近頃では見られなくなったが、暑い日の午後から夕方にかけて雷を伴って突然降り出すどしゃぶりの雨が、短時間で止んだ後の涼しさ、お日様の光に合わせて鳴き始める蝉の声。子供の頃、夜は暑くて早々に寝床に入ることはできないので、大人は玄関先で長椅子に座り夕涼み、ご近所同士で世間話が弾んだり、子供たちは蛍をとったり線香花火で遊んだり。子供のころ、夏は、いつも一つの蚊帳の中で両親と一緒、蚊を入れないために蚊帳の出入りは、できる限り体を小さく、かがんで入ることを親から、きつく言われているもの。蚊帳の中に紛れ込んだ一匹か2匹の蚊を越中褌姿の親父が,ロウソクの炎で退治する姿を見て育った爺、見よう見まねで覚えた技、蚊帳を焼かないように対峙するコツがあった。懐かしの情景

  • 一番古い記憶

    90年の人生の中で一番古い記憶をたどって見たら昭和12年4歳の時である。県北の城下町である村上市の旧制女学校の隣り合わせた借家に住んでいた時のことである。学校敷地内にあった学生寮とは目と鼻の先にあり,寮から窓越しに、女学生たから声をかけられ遊んでくれたのを鮮明に覚えている。後に当時の女学生だったという80歳のご婦人と偶然の出会いがあった。隣りの家はお巡りさん、何か悪さをする度に「隣のお巡りさんに言いつける」と親からの決まり文句、子供心に、サーベルを携えたお巡りさんの姿を恐る恐る遠くから見ていたもの。昭和13年5歳の時、父の勤務地の保内村(現村上市)へ転居する。新築の2軒長屋が3棟あり、右隣が、爺に初めての魚釣りを教えてくれた齋藤さん、左隣の松木さん、同い年のK君がいた。一番古い記憶

  • リュックサック

    若者から高齢者まで利用されているリュックサック、爺も近くの店まで買い物に出かける時は、リュックサックを背負う習慣が身についたところ、中高校生の殆どは腰に、大学生は背中に背負ってる。女子高校生達の背負い方は、みんなお尻近くにぶら下げている。孫娘も高校生の頃に、リュックサックをお尻にぶら下げてやってきたので、訳を聞いたら「ファッションの追及」だと言う。、当初は違和感もあったが、最近は見慣れたせいか、歩きながらリュックサックが踊っている後ろ姿が可愛らしく見える。ファッション雑誌で進められたスタイルで女子高校生ならではのおしゃれ感覚である。ズボンの腰履き(腰パン)などの流行に伴い広まったという。背負う位置で個性を演出できるのが、リュックの魅力でもあり、重さ2キロ以内で1時間程度なら、体に大きな負担はないらしい。リュックサック

  • 高校野球が始まった

    高校野球の地方予選が始まった。甲子園を夢見ていた球児たちによる熱戦が繰り広げられる大会で、選手もスタンドも地元も一体になって一喜一憂、勝って嬉し泣き、負けて悔し泣きのドラマである。開会式での高校球児たちのさわやかな入場行進は、干し柿のように焼けた顔で力強く整然と歩く姿が何とも頼もしく、日頃、巷で見る高校生とは別人のように見える。こぶしを握り,甲を前に向け、肩まで腕を振り上げ、足を高く上げて歩くのが軍隊調だと言う人も居られるし、高校野球の人気の一つだと言う人も居られるが、個々の感じ方次第であろう。新潟県代表校の殆どは、甲子園で校歌を歌うことが少なく、砂を持ち帰るだけで、野球不毛の地と呼ばれている。残念ながら、春夏ともに甲子園で優勝したことがない十二県に名を連ねている。高校野球が始まった

  • 卒寿の日常

    この頃、高齢者同士の最初の挨拶は、「お元気ですか」と聞いたり、聞かれたりして始まり、日常生活動作に大きな支障がない限り「元気です」とか、「何とか」と受け答えしている。今のところ卒寿の老夫婦、室内での起居動作・移動・食事・更衣・排泄・入浴・整容は手間取りながら不自由はないが、掃除・料理・洗濯・高所の作業などは程々に手抜きをしている。爺は、ゆっくりと歩いて10分ほどの本屋と100円ショップを利用しているが、家内は目が不自由になり転倒防止のため、外出時は爺につかまりながら、一人での外出は控えている。夫婦そろっての唯一の外出であるスーパーの買い物が出来て、3度の食事を美味しく食べられ、お互い趣味を楽しみながら、大きな病気もしないで、過ごせるだけで満足している。卒寿の日常

  • おにぎりの思いで

    小学校低学年だった昭和10年代半ば,家庭にオヤツが常備されていなかった。学校から帰ると必ず「母ちゃん何かない?」と言うと、味噌か塩をつけた小さなおにぎりだった。。遠足に持っていくおにぎりの具は梅干し、全体を海苔で巻いたものがお決まりだが、農家の子供たちが味噌を塗って、こんがりと焼いた大きなおにぎりが、美味しそうで食べたかった。戦争末期の昭和20年の6月に農家への勤労奉仕で、除草機での田の草取りをした。小昼(こびり)と称して10時に出される塩むすびの味が今も忘れないでいる、コシヒカリよりも美味かった。昭和46年の単身赴任時に下宿のお婆ちゃんから、おにぎりを用意してもらったことがあった。ご飯茶碗二膳分のおにぎり2個、当時38歳の爺に「若いもんは、これくらいは食べなさい」と。おにぎりの思いで

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