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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」

    今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」

  • 「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」

    今日は印象派の油彩画を見ております。印象派の画家は何人かいますがクロード・モネから始めたいと思います。何度見ても感動するクロード・モネの油絵から始めたいと思います。ClaudeMonet,は1840年11月14日に生まれ、1926年12月5日に亡くなりました。彼の絵を見ると私はしみじみと旧懐の情が湧いてきます。100年前のフランスの風景に強く魅了されるのです。昔の風景に魅了されるのです。そんな7枚の風景画をお送りいたします。出典は、https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC...です。1番目の写真は『サン=ラザール駅』1877年です。(油彩、キャンバス、75×104)2番目の写真は『かささぎ(英語版)』1868-69年です。(油彩、キャ...「何度見ても感動するクロード・モネの油絵」

  • 「岡 鹿之助の『雪の発電所』と『パンジーの花』の絵」

    岡鹿之助の『雪の発電所』は私の好きな絵なのでお送り致します。堅固な建造物が纏うはだら雪の柔らかさが静謐な雰囲気を醸し出しています。またパンジーの思索深い表情は画家の精神性の高さや穏やかな人柄を表しているように思えるのです。岡鹿之助は1898年(明治31年)に生まれ1978年(昭和53年)に没しました。昭和時代に活躍した洋画家で文化勲章受章者です。1956年には『雪の発電所』が現代美術日本展最優秀賞を受けます。また1957年には毎日美術賞も受けました。なお小松裕文さんの感想文を読むとこの絵が描かれた場所が分かります。https://www.danube4seasons.com/search/013/01.htmlそれにパンジーの絵を3枚つけます。「岡鹿之助の『雪の発電所』と『パンジーの花』の絵」

  • 「日本で最初の西洋美術館の大原美術館」

    大原美術館は、倉敷で幅広く活躍した事業家大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立しました。日本で最初の西洋美術の私立美術館です。孫三郎は、友人の児島虎次郎の才能を高く評価し、三度にわたる渡欧を支援しました。そこで児島虎次郎はヨーロッパの美術作品を選び取るという作業をしました。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術作家たちの仕事等にコレクションを広げ民間総合美術館として大原美術館を作ったのです。私どもも大原美術館を訪れ、その絵画の数の多さと美しさに感動しました。はるばる倉敷まで行ったかいがありました。それでは写真で大原美術館をご紹...「日本で最初の西洋美術館の大原美術館」

  • 「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」

    エミール・ガレ(1846-1904)やドーム兄弟の独創的なガラス器の作品を700点も収蔵、展示してあるのが諏訪湖のほとりにある北澤美術館です。その展示品はフランスのアール・ヌーヴォー期のガラス工芸品です。芸術的な工芸品です。バルブ製造会社で財をなした北澤利男氏が設立し、1983年に開館したのです。隣にはやはり北澤利男氏が設立したサンリツ服部美術館があります。エミール・ガレやドーム兄弟はガラス工芸の新しい技法を次々と創作していったことが素晴らしいと思うのです。深い芸術性を感じるのです。今日は北澤美術館に展示してあるエミール・ガレやドーム兄弟の作品をご紹介いたします。1番目の写真は一夜茸というキノコを模した作品です。高さ83cmの大きなものです。北澤美術館で非常に大切にしていて、貸し出し厳禁の展示品です。北澤...「諏訪湖の湖畔の北澤美術館とエミール・ガレの作品」

  • 「伊豆半島の一碧湖の畔にある池田20世紀美術館」

    この美術館は伊豆半島の山の中、美しい一碧湖の畔にあります。車で行くと道中が風光明媚で楽しいのです。さて池田20世紀美術館をご紹介したいと存じます。この美術館は本格的現代美術館です。1975年5月伊豆の一碧湖の岸辺にできました。この美術館の土地、建物と約1400点の所蔵作品の大半は、ニチレキ(株)の創立者池田英一氏が寄付したものです。建物は彫刻家井上武吉氏の設計で、展示館外壁は日本ではじめてのステンレススチール張りです。入口から出口まで連なる展示作品が大へん観賞しやすい美術館です。所蔵作品は20世紀に制作された絵画・彫刻で《人間》をテーマとするものを中心に約1400点収蔵しています。館内には、ルノワールをはじめ、ボナール、ピカソ、マティス、レジェ、シャガール、アンディ・ウォーホール、ミロ、ダリ、デ・クーニン...「伊豆半島の一碧湖の畔にある池田20世紀美術館」

  • 「鬱蒼と生えている樹木の写真」

    鬱蒼とした樹々の写真を撮ってきました。近所の学芸大学の構内です。撮ってきた写真をお送り致します。「鬱蒼と生えている樹木の写真」

  • 「日本の4大アヤメ園」

    日本4大アヤメ園とは、広大な敷地に多数の品種が植えられ、特に大規模なあやめ園として知られる4つの場所を指します。具体的には、山形県長井あやめ公園、茨城県水郷潮来あやめ園、千葉県水郷佐原あやめパーク、そして新潟県新発田市五十公野公園あやめ園です。1,長井あやめ公園(山形県長井市):120種以上のあやめが植えられ、毎年6月には「長井あやめまつり」が開催されます。2,水郷潮来あやめ園(茨城県潮来市):150種類以上のあやめが咲き誇り、6月には「水郷潮来あやめまつり」が開催され、花菖蒲にちなんだイベントも行われます。3,水郷佐原あやめパーク(千葉県香取市):300品種以上のあやめが植えられ、見頃には一面の花菖蒲が広がります。4,五十公野公園あやめ園(新潟県新発田市):300品種、60万本のあやめが咲き競う...「日本の4大アヤメ園」

  • 「東村山市北山公園のアヤメの花々」

    一面にアヤメが咲いている場所はもう一つ東村山市にもあります。北山公園のアヤメです。撮ってきた写真をお送り致します。撮影は2013年6月6日でした。「東村山市北山公園のアヤメの花々」

  • 「今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました」

    毎年、茨城県の潮来では『潮来あやめ祭り』を開催しています。それは色とりどりのアヤメが一面に咲く華やかな花まつりです。今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました。この『潮来あやめ祭り』は以前から関東地方では有名でした。そして昭和30年に美空ひばりさんの「娘船頭さん」のロケが水郷潮来で行われたのがきっかけとなり、その名は全国的にも知られるようになったのです。美しい娘さんが船頭になった小さな船に観光客が乗り、水郷を巡りながらアヤメの花を楽しむのです。何かロマンチックで美しい風景です。私も長い間、潮来につながる霞ヶ浦でヨットをしていたので一度行って見たいと思っていました。そこでついに2008年の6月17日に行ったのです。それでは写真に従ってお話を進めて行きたいと思います。1番目の写真は妻をヨットに乗せ、霞ヶ浦の沖に...「今年も潮来のあやめ祭りの季節になりました」

  • 「庭の花の写真」

    庭の花の写真です。10年以上前に潮来から買って来たアヤメが今年も咲きました。他の花の写真も含めてお送り致します。「庭の花の写真」

  • 「今日の小金井公園の風景」

    今日の小金井公園の風景です。小金井公園は東西に2kmあります。今日行った場所は西の端の部分です。撮ってきた写真をお送り致します。「今日の小金井公園の風景」

  • 「灯篭流し、精霊流しは夏の美しい風物詩」

    毎年、お盆のころになると日本のあちこちで灯篭流しや精霊流しがあります。この世を去ってしまった家族や友人の魂を弔うのです。あの世で平安に暮らしていることを祈るのです。そして故人があの世から暗い水面をゆらゆら揺れて流れてていく灯を見て慰められるのです。それは日本の夏の美しい風物詩です。そんな光景を下の写真で示します。真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。1番目の写真は長崎と佐賀県の一部で作られる精霊船を町中を引いて海辺に運んでいる様子です。2番目の写真は佐世保市の灯篭流しです。3番目の写真は曹洞宗本山、永平寺の灯篭流しです。4番目の写真は灯篭流しと精霊流しの画像検索によって転載させて頂きました。それはそれとして、毎年、実際に灯篭流しをしている人はそんなに多くありません。テレビや新聞で灯...「灯篭流し、精霊流しは夏の美しい風物詩」

  • ​「我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流し」

    我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流しは江戸時代から引き続き灯ろう流しは行われ、昭和に入ると花火大会も同時に開催されるなど、「夏の終わりを告げるの風物詩」として親しまれるようになりました。仙台市内有数の夏祭りです。その風景写真をお送り致します。​「我が故郷、仙台の広瀬川の灯篭流し」

  • 「今年もお盆が来て精霊流し をします」

    今年も7月になるとお盆が来て各地で精霊流しをします。お盆の期間は、8月13日~16日の4日間(8月盆)が一般的ですが、東京をはじめとする一部地域では、7月13日~16日の4日間(7月盆)で行われます。また、東京の多摩地区では7月31日〜8月2日に行う場合もあります。お盆には、お盆提灯やキュウリ・ナスで作った牛馬など、お盆独自のお飾りをして故人様をおもてなしする風習があります。ご自宅の玄関先・庭先やお墓などの場所で「迎え火」を焚き、ご先祖様の霊をお迎えします。迎え火と同様にお盆が終わると、玄関先・庭先やお墓などの場所で「送り火」を焚き、ご先祖様の霊をお見送りします。そしてお盆の風物詩は「精霊流し」です。有名なのは長崎の江迎千灯籠祭りです。毎年8月23日と24日に行われる祭りです。3000個以上の灯籠で飾られ...「今年もお盆が来て精霊流しをします」

  • 「家内の夏の思い出」

    家内の夏の思い出と言えばまず由比ヶ浜での海水浴、親類の若者が大勢泊りに来て砂浜にビーチパラソルを立てて、水浴びしたり海の家で食事やかき氷を食べたり小屋掛けの射的・ボットル落としや楽焼をした楽しい思い出をよく話しています。戦争末期に群馬県の下仁田町に疎開したのですがそこでも楽しい思い出が沢山あるようです。本来楽天的というか人懐こく物おじしない性格なので山あいの生活や小学校にすぐ慣れて、友達とカブラ川へ水浴びに行き、帰りに河原の桑の実を食べるのがとても楽しかったそうです。ママのお土産にしようとポケット一杯摘んで帰ったら白いワンピースのポケットが真っ赤に染まってしまったそうです。川の上流の浅瀬でバチャバチャしていたら流されて大渕という深みまで行って溺れていたら、大岩の上にいた3歳上の姉が飛び込んで救ってくれた。...「家内の夏の思い出」

  • 「夏の思い出はB29の空襲と焼け野原の光景」

    1945年の7月10日にB29の空襲があり仙台はすっかり焼け野原になってしまいました。そしてB29の焼夷弾空襲によってし全国の200市町村が焼け野原になってしまったのです。まず東京大空襲の写真をお送りいたします。東京大空襲は1945年(昭和20年)3月10日のアメリカ空軍による夜間空襲でした。その7枚の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2です。1番目の写真は東京を空襲しているB-29爆撃機です。多量の焼夷弾を落としています。2番目の写真は1945年1月27日の空襲で数寄屋橋上を逃げ惑う親子です。この日の爆撃の主目標は郊外にあった中島飛行機武蔵製作所でしたが、...「夏の思い出はB29の空襲と焼け野原の光景」

  • 「夏の思い出は我が故郷仙台の七夕祭り」

    夏の思い出は我が故郷仙台の七夕祭りもあります。仙台の七夕まつりは、江戸時代に仙台藩祖・伊達政宗公が婦女子の文化向上を奨励するために始めたのが由来とされており、以来仙台の伝統行事として民衆に広まり現在に至ります。故郷の仙台の七夕祭りは毎年、8月6日、7日、8日と開催されます。夏が来ると思い出します。毎年、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出すのです。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕飾りを見に帰りました。父母が健在だったあいだは毎年仙台に帰省していました。ですから七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。それではその七夕飾りが夏風に揺れている写真をお送りいたします。1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co....「夏の思い出は我が故郷仙台の七夕祭り」

  • 「夏の思い出は花火、金魚売、海水浴」

    何故か知りませんが夏が来るとしきりに思い出すのが幼い頃の光景です。昔の茶の間、花火遊び、夜店、金魚売り、海水浴などの光景です。私の幼い頃は戦前、戦後にまたがっていました。エアコンは勿論、電気冷蔵庫も無い時代でしたので暑かったに違いありませんが、不思議に暑くて困ったという記憶がないのです。当時の茶の間には柱時計、茶箪笥、ちゃぶ台がありました。テレビはありませんでした。夜になると「ちゃぶ台」をかたずけ、蚊帳を吊り、布団を敷いて寝ます。当時は網戸が無いので、寝ていると迷ったセミやハンミョウなどが開け放した廊下から飛び込んで来ます。寝る前には近所の子供たちとよく花火遊びをしたものです。1番目の写真は子供たちの花火遊びの写真です。この写真の出典は、http://www.kobe-np.co.jp/news/shak...「夏の思い出は花火、金魚売、海水浴」

  • 「山林の中の小屋の近くの新緑の写真」

    小屋は山梨県の西端の甲斐駒岳の麓にあります。その付近の新緑の写真をお送り致します。写真は2008年の5月に撮りました。なお2枚目の写真には家内と息子と幼い頃の3人の孫がが写っています。左の白服が家内で右端が小学校野球部の一番上の孫です。黒服の男が息子で傍にちいさい二人の下の孫が写っています。17年前は3人の孫も児童でした。一番上の孫は父親になりました。時の流れは早いものです。3番目の写真は山林の中の小屋の前の小川に手作りしたヤマメの魚道です。「山林の中の小屋の近くの新緑の写真」

  • 「戦後の雰囲気が漂う新橋駅前、江戸時代の仲見世通り」

    東京の街街には一種独特な雰囲気がまとわり着いているところが多く有ります。江戸時代の屋台が連なったような浅草の仲見世通り、寅さん映画で有名な柴又の帝釈天の参道、昭和のモダンな雰囲気が漂う日本橋三越界隈、新宿駅東口から中村屋、紀伊国屋書店、伊勢丹へと続くなにか懐かしい雰囲気の通り、そして原宿や竹下通りの気楽な若者の群れる町。それぞれ独特の雰囲気があります。そして新橋駅を出て西側の広場へ出る度に、ああ戦後の雰囲気がまだ残っているなあ、と感じるのです。広場は綺麗に舗装され、向こうに蒸気機関車が飾ってある平凡な広場なのです。何故、終戦後の雰囲気があるのでしょう?そんなことを感じるのは私だけかも知れません。写真を3枚掲載します。ご意見を頂ければ嬉しいです。(終わり)添付の写真は浅草の仲見世通りと戦後の雰囲気が漂う新橋...「戦後の雰囲気が漂う新橋駅前、江戸時代の仲見世通り」

  • 「懐かしい台所、真空管ラジオ、蒸気機関車、市電、小さな連絡船、青函連絡船、など」

    人間は老境になると昔のことが非常に懐かしくなるようです。家内が昔のことより現在や将来のことを考えたらとよく言います。しかし昔の懐かしいものについて今日も書きたいと思います。懐かしい台所、真空管ラジオ、蒸気機関車、市電、小さな連絡船、青函連絡船、などです。まずこれらの写真を示しましょう。1番目の写真は昭和時代の台所です。昭和11年に生まれた私の祖父の兵庫県のお寺の台所はこのようでした。懐かしいです。一方、私の自宅は仙台市にありましたので台所は近代的でした。2番目の写真は真空管のラジオの裏側です。高校生の頃の趣味は真空管のラジオを作ることでした。最後に写真のようなスーパーヘテロダインを作りました。大きな電蓄も作ったもです。3番目の写真は私が中年になるまで東北本線を走っていた蒸気機関車に引かれた列車です。新幹線...「懐かしい台所、真空管ラジオ、蒸気機関車、市電、小さな連絡船、青函連絡船、など」

  • 「夏になると思い出す北アルプス縦走」

    夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。若い頃の登山の思い出です。その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近く...「夏になると思い出す北アルプス縦走」

  • 「夏の風物詩、霞ヶ浦の伝統的な白帆漁」

    今日は爽快な白帆漁の写真をお送りいたします。お楽しみ頂ければ大変嬉しく思います。以前の夏、霞ヶ浦で撮影したものです。土浦観光協会で検索し観光のために出漁する日時をお確かめの上、お出かけ下さい。見物は観光船、ホワイトアイリスに乗船して船上から見るのが良いと思います。今日も皆様のご健康と平和を心からお祈り申し上げます。藤山杜人幅の広い大きな網を船の横に入れ、船の長さいっぱいの巨大な白帆で網をゆっくり引いて行きます。数キロメートルも引いて行きます。ワカサギを取っていますが、10月になると透明な白魚をとります。霞ヶ浦に江戸時代からあった伝統的な漁法だそうです。ワカサギは佃煮にします。沖宿でも売っていますが、土浦駅ビル地下食品売り場の小魚佃煮専門店でも売っています。白魚の生の刺身は蓮田の中の「うなぎの山中」(電話0...「夏の風物詩、霞ヶ浦の伝統的な白帆漁」

  • 「夏の風物詩、霧が流れる美ヶ原高原美術館のロマン」

    このところ湿気が多く暑いですね。間も無く本格的な夏が来るのでしょう。。そのせいか美ヶ原高原美術館の涼しさ、爽快さを思い出します。霧が流れる高原のロマンです。今日は美ヶ原高原美術館をご紹介したいと思います。この美術館は遥かに遠い天空の上の美術館なのです。標高は2004mです。4万坪の屋外展示場に350点あまりの現代造形作品を常設展示しています。1981年6月に、「箱根・彫刻の森美術館」の姉妹館として開館しました。長野県の上田市にあります。この彫刻群を楽しむため一番重要なことは天気予報を注意深くしらべ、寒い雪の日、強風の日、猛暑の日は行かないようにします。私達が訪れたのは2008年の8月5日でした。霧が流れ、幻想的な日でした。高原の丘一面に遊歩道がひろがり世界中の作品が展示されています。すべて野外で鑑賞するた...「夏の風物詩、霧が流れる美ヶ原高原美術館のロマン」

  • 「夏の風物詩、あちこちに蓮の花が咲く風景」

    蓮の花の咲く景色は夏の風物詩です。お寺の境内、各地の城のお堀や一面に広がる蓮根畑に咲いています。夏の陽に輝く白い花が風に揺れている光景は心に刻み込まれています。私は霞ヶ浦でヨットをしていたので周囲に広がる蓮根畑の白い花が忘れられません。そして同級生の大泉君と一緒に見た小田原城の堀に咲く花は背景の天守閣の風景とともに忘れません。その上家内と一緒に行った行田の蓮の公園に一面に咲いていた蓮の花には感動したものです。そこで今日はこれら3ケ所の蓮の花の写真をお送り致します。1番目の写真は霞ヶ浦の蓮根畑の写真です。2008年の夏に撮ったものです。2番目の写真は小田原城の堀に咲く蓮の花です。観賞用の花なので種々の色の花が咲いています。出典は、https://www.jalan.net/kankou/spt_14206a...「夏の風物詩、あちこちに蓮の花が咲く風景」

  • 「夏の風物詩、ヒマワリの写真をお楽しみ下さい」

    毎日、毎日が曇り日で気が滅入ります。そこで夏の風物詩、ヒマワリの写真をお送りいたします。写真をお楽しみ下さい。写真の出典は、https://jp.zekkeijapan.com/article/index/19/です。1番目の写真は山梨県北杜市の明野の60万本のヒマワリ畑です。背後の山は八ヶ岳です。2番目の写真も明野のヒマワリ畑です。7月下旬から8月いっぱい楽しめます。3番目の写真は北海道の北海道の美馬牛小学校の塔とヒマワリ畑です。美馬牛小学校は美瑛町にあります。4番目の写真はラベンダーの花で有名な富良野の8月のヒマワリ畑です。5番目の写真は北海道の北竜町の150万本のヒマワリ畑です。北竜町は札幌と旭川市のちょうど中間にあります。「夏の風物詩、ヒマワリの写真をお楽しみ下さい」

  • 「ローマ法王の写真」

    カトリック信者にとってはローマ法王は親しい存在です。憧れでもあります。写真はバチカンのサンピエトロ大聖堂でミサを司祭しているローマ法王ベネディクト16世です。「ローマ法王の写真」

  • 「今日の 聖霊降臨の主日ミサのミサの風景」

    今日の聖霊降臨の主日ミサのミサの風景です。広島のカトリック曙町教会のミサの風景をお送り致します。「今日の聖霊降臨の主日ミサのミサの風景」

  • 「今日の 聖霊降臨の主日ミサの動画配信」

    広島のカトリック曙町教会のミサ動画配信https://www.youtube.com/watch?v=eUiw_1FZ0FM第1朗読使徒言行録2章1~11節第2朗読ローマの信徒への手紙8章8~17節福音朗読ヨハネによる福音書14章15~16、23b~26節住所〒730-0016広島県広島市中区幟町4-42TEL082-221-0621守護聖人、被昇天の聖母神父【主任司祭】瀧井英昭神父【助任司祭】星野倫淳神父シスターシスター木村恭子(援助修道会)「今日の聖霊降臨の主日ミサの動画配信」

  • 「梅雨の季節はアジサイの花が美い」

    梅雨の季節はアジサイの花が美くなります。梅雨の季節は気が晴れません。しかしアジサイの花が美しく咲きます。写真の出典は、https://tenki.jp/rai.../column/usagida/2022/05/22/31138.htmlです。「梅雨の季節はアジサイの花が美い」

  • 「夏になると思い出す壊れた零戦、ナマズ、トマト畑と寝転がる馬」

    1945年に仙台がB29の空襲で焼野原になった後で田舎に疎開しました。その農村の生活は都会とは違って面白いものです。その思い出を4つ書きます。(1)河原に不時着した零戦に登って遊ぶ。終戦後一刻も早く故郷に帰りたい零戦の操縦士が郷里の実家の近くの河原に不時着したのです。考えは良かったのですが凸凹の河原で機体が大破しました。我々悪童連は操縦席に入り込み遊んだのです。その上風防のガラスを割り破片を持ち帰りました。そのガラス片はこするとバナナの香りがしました。食糧難の当時ばバナナの香りで幸福になったものです。すべての写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は零戦です。(2)ナマズを泥川で捕って食べる。零戦が不時着したのは泥の川の河川敷でした。その川で我々は竹竿に糸をつけて大きなミミズを餌にしてナマズを...「夏になると思い出す壊れた零戦、ナマズ、トマト畑と寝転がる馬」

  • 「夏になると思い出す疎開生活とドジョウ汁」

    生まれ育った仙台は終戦直前の1945年7月10日に焼け野原になってしまいました。100機のB29が焼夷弾をばらまいて焼け尽くしました。その後すぐに私は弟2人と共に宮城県の北の農村に疎開しました。そこでドジョウ汁を初めて食べました。農家の夕飯によく出たのです。夏になるとそんなことを時々思い出します。武蔵野公園の「どじょう池」の傍を通る度に思い出すのです。1番目の写真は武蔵野公園の「どじょう池」です。この付近は湿地帯でや沼が沢山あります。そこにはドジョウが沢山棲んでいます。昔からこの地の人々がそのドジョウを食べていたのです。この「どじょう池」を見る度に私は昔の疎開生活を思い出します。そしてよく食べたドジョウ汁を思い出します。2番目の写真は私が疎開した宮城県の北の農村によく似た農村の風景です。写真はインターネッ...「夏になると思い出す疎開生活とドジョウ汁」

  • 「夏になると妻が思い出す鎌倉」

    鎌倉は私にとって特別な意味があります。家内が生まれ、そこで終戦の年まで育った場所でした。終戦時は国民学校2年生でした。家内は結婚以来何度も、何度も鎌倉での楽しい思い出を話します。家内の話を聞いてから、私も彼女の昔の家の近所を何度か散歩しました。そして鎌倉の中をいろいろ歩き回りました。家内が鎌倉生まれで小学校まで住んでいた処は長谷寺の近くで現在の鎌倉文学館の下でした。幼稚園は六地蔵の傍にあった聖母幼稚園へ行っていたそうです。その幼稚園を探したら名前は変わっていましたがありました。通っていた小学校は御成小学校です。現在も当時のままの門がありましたので写真を撮りました。1番目の写真は御成小学校の門です。御成小学校は海蔵寺や寿福寺に行く途中にあるので何度も行きました。戦前の校門と講堂が残っています。妻が昔住んでい...「夏になると妻が思い出す鎌倉」

  • 「仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島の思い出」

    老人は楽しかった思い出で生きているのです。昔はテレビも無く娯楽と言えばハイキングや海水浴だけでした。海水浴の思い出は仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島の思い出です。今日は海水浴の思い出を書いてみようと思います。戦前戦後の貧しかった時代の夏の楽しみは近くの浜で海水浴をすることだったのです。私が育った所は仙台でしたので海水浴と言えば仙台から近い荒浜か菖蒲田浜でした。とにかく夏になると何度も行きました。少し遠方では松島湾の桂島や宮古島へ行ったこともあります。足が焼けるような砂浜を歩いて波打ち際に立つと冷たい透明な海水が足を洗い、心地良いものでした。そんな話をしましたら、家内は自宅から歩いて何度も海水浴に行ったと云います。鎌倉の加賀様の別荘の下に家があったので松林を抜けて由比ヶ浜に出たそうです。夏の日の楽し...「仙台の近くの荒浜、菖蒲田浜、桂島や宮戸島の思い出」

  • 「タチアオイの花の写真」

    近所の道端にタチアオイの花が綺麗に咲いています。撮ってきた写真をお送り致します。「タチアオイの花の写真」

  • 「私の身近にあったお寺の写真」

    父の実家は兵庫県の田舎のお寺でした。そんな関係で私の身近にはいつもお寺があったのです。今日は私の身近にあったお寺の写真をお送りしたいと思います。1番目の写真は父の実家の正林寺です。兵庫県の田舎のお寺で曹洞宗でした。2番目の写真は兵庫県の篠山市にある叔父が住職をしていた法福寺です。ここにも私は何日も泊りました。3番目の写真はよく行った宮戸島の大高森にある薬師堂です。松島湾が一望できる所です。4番目の写真は仙台の瑞宝寺です。幼少の頃にこのお寺の幼稚園に通っていました。5番目の写真は現在住んでいる小金井市にある真蔵院です。よく散歩に行く道そいにあるお寺です。6番目の写真は真蔵院の境内です。兵庫県のお寺が懐かしく境内に入って散歩します。この他によく行くお寺は小金井の金蔵院や海岸禅寺があります。今日は私の身近にあっ...「私の身近にあったお寺の写真」

  • 「宗教的義式に馴れる、お寺での施餓鬼供養」

    宗教には宗教的義式が必ずあります。例えばお寺ではお盆の時期に施餓鬼供養があります。施餓鬼供養の時は檀家の人々は本堂の両脇にある客間に座って見ます。住職さんに頼んでその席に入れて貰えば良いのです。お寺に行って施餓鬼供養に参加し、一緒に祈るとご先祖様の供養になるのです。この施餓鬼供養は日本のほとんどの宗派の寺で行われています。お寺によって開催日時が違います。さてその一例として愛知県の臨済宗妙心寺派の寺院の永正寺の施餓鬼供養の様子を、そのHPから以下にご紹介いたします。HPは、http://eishojikengaku.blog33.fc2.com/blog-entry-171.htmlです。永正寺では、お施餓鬼を毎年8月17日と9月23日の2日におつとめします。お施餓鬼とは「餓鬼道にいるものに施しをすると、ご...「宗教的義式に馴れる、お寺での施餓鬼供養」

  • 「日本人と仏教、欧米人とキリスト教」

    佛教とキリスト教は私の好きなものです。私の考え方に大きな影響を与えています。今日はに日本人と仏教の関係と欧米人とキリスト教の関係を書いてみたいと思います。そして宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を強調したいと思います。さて日本人は無意識のうちに仏教や神道の影響を受けています。日本人の考えかたや感じ方は仏教の無常の教えの影響を下敷きにしています。日本に仏教が伝来したのは日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から伝わったということになっています。それ以来、仏教は日本人の考え方や感性に深い影響を与えてきました。室町時代に明文化され形造られた日本人特有の『侘び寂び』の感じ方は仏教の無常感とつながっています。お釈迦様のすべては空(くう)ですという教えにつながっています。このような感性は欧米人にはありません...「日本人と仏教、欧米人とキリスト教」

  • 「ヨットと山林の小屋の趣味を教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生」

    ヨットと山林の小屋の趣味を私に教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生でした。エケトルプ教授は1974年に私を招待してくれたのです。エケトルプ教授はヨットの趣味と古民家を復元する趣味を持っていたのです。古民家を復元する趣味として中世のスウェーデンの古民家の構造を詳しく調べ、忠実に復元していました。ストックホルムの郊外に、藁葺と白壁の中世風の農家を復元して住んでいたのです。建坪50坪ぐらいで、大きな室内は、寝室、食堂、炊事場、風呂場、トイレを北欧の材木で区切り、ドアもすべて同じ板材です。木製の蝶番(ちょうつがい)と閂(かんぬき)が付いています。窓の外には白夜の牧草地が薄暗く広がっていて、遠くに馬の親子が立っているのがぼんやり見えます。当時はデジカメがありませんでした。写真も撮りませんでした。そこで似てい...「ヨットと山林の小屋の趣味を教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生」

  • 「もう一つの趣味は山林の中に建てた小屋」

    もう一つの私の趣味は山林の中に小屋に建て泊りに行くことでした。建てた年から泊って楽しんできました。小屋は山梨県にあります。甲斐駒岳や八ヶ岳が見えます。今日は山林を安く買って小屋を建て心豊かに暮らす方法を書きたいと思います。山林は驚くほど安いのです。まず小屋の近辺の山林の様子を3枚の写真で示します。山梨県北杜市の山林です。写真で示しような山林100坪を、80万円で1974年に買いました。早速、6畳と5畳の小屋を鉄筋コンクリートで建てました。それ以来、毎月2,3回は家内と泊りに行っていたのです。小屋の窓から庭の小川や焚火の煙が林の中を流れる様子が見え楽しいのです。そんな様子の写真をお送り致します。小屋は標高900mの寒冷地にあります。そこで北海道から簡素な薪ストーブを買って来て入れました。7番目の写真のような...「もう一つの趣味は山林の中に建てた小屋」

  • 「25年間のヨットの趣味を振り返って」

    私は50歳で江の島の小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。佐藤さんは優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットをあけび号と命名し、家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。霞ヶ浦で10年間乗った「あけび号」を群馬県のカヤシマさんという方へ売りま...「25年間のヨットの趣味を振り返って」

  • 「銀座にあるヨットの港と海上から見た東京の夜景」

    老境は思い出を楽しむためにあるようです。我が人生には悲しいこともありましたが楽しいことも沢山ありました。特にヨットの趣味で東京湾、相模湾、駿河湾を帆走したことは実に楽しい思い出です。ヨットの趣味は49歳から75歳まででした。今日は東京の真ん中の銀座にあるヨットマリーナをご紹介して海上から見た東京の夜景の写真を掲載しようと思います。さて銀座にあるヨットマリーナは銀座7丁目にあります。銀座7丁目に隣接した運河にあります。そこは浜離宮と築地魚市場の間にある運河で、その端はJR新橋駅の方向に入り込んでいます。築地川という運河です。そこが昔からヨットやモーターボートの静かなマリーナになっていたのです。1番目の写真は銀座7丁目にあるヨットやモーターボートのマリーナの写真です。暗い森は浜離宮の森です。左の奥の方へ出て行...「銀座にあるヨットの港と海上から見た東京の夜景」

  • 「中世のままのドイツの地方の町をめぐる旅」

    1969年にドイツ在住に慣れたころ、フンボルト本部から封書が届く。マイクロバス一台でドイツ全土の観光に連れていってくれるという。シュツットガルトから始まり、アウグスブルグ、ミュンヘン、ロマンテッシェ・シュトラーセ、ベルリン、ハノーバー、ブルーメン、リューベック、ボン、ケルン、モーゼル河を遡って、トリアー、カールスルーエ、シュツットガルトに帰る二週間ほどの長旅である。黒い針葉樹の森と新緑の広葉樹の美しい五月であった。各地の中世の絵画館、近代美術館、教会や修道院、歴史的な町並み。これが伝統的なドイツ文化だというものを徹底的に見せる。音楽ではベートーベンに代表される古典音楽、暗い宗教画の歴史、デユーラーの絵画、カント、ショウペンハウエルに代表される哲学、ゲーテやトーマスマンの文学、それら伝統に関連した記念館や生...「中世のままのドイツの地方の町をめぐる旅」

  • 「ドイツの冬景色」

    ドイツの冬は日本より寒く暗く厳しい季節です。懐かしいです。ドイツの冬の写真をお送り致します。出典は、https://note.com/haribo_germany/n/n0599c2c7befdなどです。「ドイツの冬景色」

  • 「心に残る東山魁夷の「『馬車よ、ゆっくり走れ』」

    1971年に出版された東山魁夷のドイツ旅行記の「馬車よ、ゆっくり走れ」を読むと彼の若き日のドイツへ対する強い想いが書いてあります。私の心に焼き付いている旅の随筆集です。昔、スケッチをした街角に立って風景を描いているときの気持ちを思い出しているのです。1970年前後に何度か行ったドイツや北欧で馬車に乗ったようです。ゆっくり石畳を走る蹄鉄や車輪の音が若い時のベルリン留学の回想を誘ったのです。ベルリンの冬は毎日雲が低くたれこんで暗く寒いのです。その風景が、そしてそこで学んだ宗教学や哲学が東山魁夷の絵画の精神性を深くしています。1番目の写真は「緑のハイデルベルグ」、1971年です。ライン河の支流ネッカー河のほとりに位置するハイデルベルク。初夏の緑に覆われた山腹の古城はドイツ・ルネサンスの重厚な面影と典雅な趣をあわ...「心に残る東山魁夷の「『馬車よ、ゆっくり走れ』」

  • 「寒く暗い冬のドイツの思い出」

    旧懐の情とは不思議なもので若い頃留学したドイツの暗い寒い冬のことが人生の折々に思い出されます。そしてドイツの中世の「遍歴徒弟の文化」を想像します。留学は遍歴しながら学問を身につける旅なのです。ドイツ語でシュティデーエン・ライゼと言いますが、その言葉はロマンと修行の厳しさ、そしてドイツの暗い冬の寒さを連想させます。ドイツは独特な文化を持っています。伝統を大事にし静かな思考を大切にします。街を歩くドイツ人は決してイタリア人のように陽気でありません。フランス人のようにお洒落をしません。何時も真面目で堅い雰囲気を持っています。50年前に留学したドイツにはそのような雰囲気が残っていたのです。当時、住んでいたたシュツットガルトやローテンブルグやクラウルシュタールの名前を思い出しただけで旧懐の情で胸が熱くなります。そし...「寒く暗い冬のドイツの思い出」

  • 「上高地の夢幻の美」

    何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。家内が撮った写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は右の色の暗い山です。真...「上高地の夢幻の美」

  • 「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」

    山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。我が家の子供達がまだ小さかった頃、信濃大町の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに数回泊りました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は2階で、縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルのような雰囲気でした。そのホテルから暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」

  • 「四季おりおりの甲斐駒岳の風景」

    山梨県と長野県の境にある山林の中に小屋を作ったので斐駒岳の写真を長い間撮ってきました。1974年にささやかな小屋を作って以来、そこに行く度に撮り続けています。こんなに長い間写真を撮っていても一向に飽きないのです。それは写真を撮る度に山の様子が違うからなのです。太陽の光の加減、雲の様子、山肌の色合い、周囲の森のたたずまいと、色彩の変化などなどが微妙に違い、毎回写真の様子が異なってくるのです。ここで山の写真を示します。上の写真は大武川をまたいでいる国道20号線の鉄橋の向こう聳える甲斐駒岳です。山の大きさを鉄橋の小ささで強調したつもりです。その上、垂直に見える山の絶壁が麓の建物や鉄橋を押し潰すように立っています。人間の営みの小ささと儚さを感じます。2番目の写真は甲斐駒岳の山頂をズームで撮りました。人間を寄せ付け...「四季おりおりの甲斐駒岳の風景」

  • 「山林の中の友人たちの思い出」

    山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。もう50余年通った小屋です。色々な出来事が走馬灯のように蘇ります。山小屋のおかげで知り合った人を思い出します。多くの知り合った人が旅立ってしまいました。残ったのは残雪が輝く甲斐駒岳だけです。自然の風景は変わらないのです。今日は山小屋のおかげで出来た友人たちの思い出を少し書いてみたいと思います。山梨県の雑木林の中で一緒に遊んだ人々の思い出です。その雑木林の中で「柳沢清流園管理組合」というものを作りました。、25人くらいのメンバーでした。毎年、夏に懇親会をしていたのです。1番目の写真は甲斐駒岳の写真です。「柳沢清流園管理組合」のある場所は麓の深い森の中です。森が少し平らになっている場所です。木を伐採して別荘地にしたのです。この山林の中ではいろ...「山林の中の友人たちの思い出」

  • 「湘南の海の写真」

    以前に明るい陽光に誘われ湘南の海の写真を撮って来ました。小金井から中央高速で八王子ジャンクションで圏央道に入り茅ケ崎海岸まで約80Kmです。撮って来た茅ケ崎海岸の波の写真をお送りします。湘南海岸は1950年代後半から太陽族が集まって賑わっていました。70歳代、80歳代の人々はご記憶のことと存じます。この太陽族という言葉は石原慎太郎の小説の『太陽の季節』に由来します。この小説に出て来る若者達は葉山で遊びましたが、鎌倉、茅ケ崎、大磯、小田原にかけた湘南海岸を太陽族の海と呼ぶのが普通です。そして湘南海岸は太陽族の海として人気が高まりました。『太陽の季節』は1956年(昭和31年)に、第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞しました。この作品は石原の出世作です。ストーリーが倫理性に欠けることで、発表されるや文壇の...「湘南の海の写真」

  • 「写真で見る鎌倉の風景」

    写真で見る鎌倉の風景をお送り致します。鎌倉は妻が生まれ育った町です。そこで鎌倉の風景を写真でお送り致します。「写真で見る鎌倉の風景」

  • 「写真で見る我が故郷、仙台の戦前、戦後の風景」

    誰でも自分が生まれた頃の故郷の風景が懐かしいと思います。幼いながら心に焼き付いている光景も沢山あるのが普通です。皆様はそのような昔の故郷の風景をご覧になりたいとお思いではありませんか?幸い最近はインターネットが発達して昔の日本各地の風景が数多く記録されています。ですから根気よく検索して行くと自分が幼少だった昔の風景が見つかるのです。私は昭和11年、1936年に仙台で生まれました。今日は仙台を例にして仙台の戦前、戦後の風景を写真で見たいと思います。昭和という時代は大きな戦争に明け暮れました。そして徹底的な敗戦、続いてアメリカ軍による占領がありました。外国軍による日本全土の占領は歴史上はじめての一大事件です。故郷の仙台に私は昭和11年から昭和35年にアメリカへ留学するまで24年間住んでいました。ですから仙台は...「写真で見る我が故郷、仙台の戦前、戦後の風景」

  • 「写真で比較する130年前と現在の東京、箱根、江の島、そして農村の風景」

    130年前の東京、箱根、江の島、そして農村の風景を写真で比較しました。130年前の写真はエドワード・モースが撮影したものです。彼は大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は明治時代の都心の遠景です。2番目の写真は現在の都心の遠景です。3番目の写真は芦...「写真で比較する130年前と現在の東京、箱根、江の島、そして農村の風景」

  • 「今日のミサの風景の写真」

    今日のミサの風景の写真です。聖イグナチオ教会のミサの写真をお送り致します。「今日のミサの風景の写真」

  • 「今日のミサの動画配信」

    聖イグナチオ教会の今日のミサの動画配信は下記にあります。https://ignatius.gr.jp/news/streaming.html〒102-0083東京都千代田区麹町6-5-1中央線(麹町出口)/東京メトロ丸の内線・南北線(赤坂出口)四ツ谷駅下車(徒歩1分上智大学手前)写真は福江島を代表する教会の水ノ浦教会です。鉄川与助による、最大規模の木造教会です。小高い丘の上に建つ荘厳な白亜の聖堂です。「今日のミサの動画配信」

  • 「アジアで唯一のカトリック教国のフィリピン」

    アジア唯一のカトリック教国で、国民の約93%がキリスト教徒であるフィリピンには、スペイン植民地時代に建てられたカトリック教会や大聖堂などが点在しています。1番目の写真はサンアグスチン教会です。マニラで唯一の世界遺産に登録されている歴史的建造物です。1599~1606年に建てられたフィリピン初のスペイン建築様式の教会で、石造りの教会としてはフィリピン最古です2番目の写真はサント・ニーニョ教会です。1565年にスペインの植民者レガスピとウルダネタによって建てられたフィリピン最古の教会です。3番目写真はモロ教会です。モロ教会は、1831年スペイン統治時代に建てられたゴシック様式の美しい教会で、イロイロ市で最も賑わうモロ広場に隣接しています。ピラミッド型をした二つの赤い尖塔がシンボルで、セメントがなかった時代に造...「アジアで唯一のカトリック教国のフィリピン」

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