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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

  • 「今日の散歩」

    今日は武蔵野公園まで行って来ました。真夏のように暑い日でした。「今日の散歩」

  • 「東京のイグナチオ教会の今日のミサの風景」

    今日はグナチオ教会のミサにインターンットを通してあずかりました。イグナチオ教会の今日のミサの風景の写真をお送り致します。「東京のイグナチオ教会の今日のミサの風景」

  • 「国宝の大浦天主堂の写真」

    大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。「国宝の大浦天主堂の写真」

  • 「東京のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」

    6月16日https://www.youtube.com/live/acVQoM00Tcc【本日の聖書朗読箇所】第1朗読エゼキエルの預言(エゼキエル17:22-24)第2朗読使徒パウロのコリントの教会への手紙(2コリント5:6-10)福音朗読マルコによる福音(マルコ4:26-34)カトリック麹町聖イグナチオ教会https://www.ignatius.gr.jp/index_j.html「東京のイグナチオ教会の今日のミサの動画配信」

  • 「托鉢僧の写真です」

    何故かこんな風景が美しく見えます。写真はインターネットからお借りしました。「托鉢僧の写真です」

  • 「深大寺の銅造 、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」

    平成29年3月10日、国の文化審議会が文部科学大臣の諮問に対し、深大寺の銅造釈迦如来倚像(飛鳥時代)を国宝に指定することを答申しました。深大寺釈迦如来倚像は博物館や美術館を除いて、関東の寺院所蔵の国宝仏では、鎌倉大仏に次ぐ二例目、制作年数は鎌倉大仏より約500年古く、東日本最古の国宝仏となります。深大寺開創の天保5年(733)より前に文化の中心であった畿内地域において、作られたと考えられます。白鳳時代(飛鳥後期645-710)同時期の傑作である奈良県新薬師寺薬師如来立像(香薬師)、奈良県法隆寺観音菩薩立像(夢違観音)と深大寺釈迦如来倚像は銅の成分が極めて近似するなど共通する部分が多く認められ、同一の工房又は同系統の工人によって作られたと考えられます。「深大寺の銅造、釈迦如来倚像(飛鳥時代)は国宝」

  • 「東京で最古の寺、深大寺の写真」

    今日は少し有名な深大寺をご紹介します。国宝の飛鳥時代の銅造釈迦如来像(白鳳仏)もあります。深大寺は733年に創建され、浅草寺と並んで東京では最も古いお寺の一つです。天台宗別格本山の寺です。武蔵国の国分寺は760年代始め頃に完成していますので、それより20年も古いお寺です。以前に撮った門前の店と山門などの写真をお送りします。1番目の写真は山門の左にある店です。門前には名物の「深大寺ソバ」の蕎麦屋や土産物屋が沢山並んでいます。深大寺ソバは家内と何度も食べました。この土産物屋だけ特に示した理由は店の右に坂道があり、そこを登ると神代植物公園の東口があるからです。2番目の写真は深大寺の山門です。3番目の写真は本堂です。阿弥陀如来が本尊の本堂です。4番目の写真は本堂の左にある元三大師堂です。天台座主、元三慈恵大師の像...「東京で最古の寺、深大寺の写真」

  • 「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」

    私は1936年に仙台で生まれ24歳まで仙台に住んでいました。その間に何度も蔵王山に登りました。蔵王山は故郷の山なのです。その蔵王山に咲く花をインターネットで調べ幾つかみつけました。その写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1493です。1番目の写真はハクサンイチゲです。2番目の写真はシラネアオイです。3番目の写真はユキワリコザクラです。4番目の写真はミヤマオダマキです。「我が故郷、懐かしい蔵王山に咲く花の写真をお楽しみ下さい」

  • 「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」

    松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで四季折々の美しい松島の写真をお送り致します。写真は、「松島の景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。1番目の写真は松島湾を一望出来る大仰寺の庭からの眺めです。大仰寺は標高116メートルの山頂にあります。山を背に東、南、西の三方向が開けていて、島々が湾内に連なる様子が見えます。2番目の写真は松島湾の東側、宮戸島の大高森の山頂からの風景です。何度も登った山頂です。松島湾の向こうには遠く奥羽山脈の山々も望めます。3番目の写真は寒い冬が終わり桜が満開になっている松島の夕暮れ風景です。「西行戻しの松公園」という公園からの風景です。写真は、https://...「我が故郷、松島の四季折々の写真をお楽しみ下さい」

  • 「今日の散歩は小金井公園まで」

    今日の散歩は小金井公園まででした.今日は曇りですが乾燥した軽やかな風が吹いていました。気分爽快に小金井公園まで行って来ました。「今日の散歩は小金井公園まで」

  • 「郷愁を誘う昔の町の面影」

    郷愁を誘う昔の町の面影をお送り致します。郷愁を誘う昔の町の写真が沢山掲載されているブログを見つけました。https://4travel.jp/travelogue/11815459です。そこから4枚の写真をお借りして示します。「郷愁を誘う昔の町の面影」

  • 「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」

    安曇野の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに泊ったことがありました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルの雰囲気でした。写真をお送り致します。1番目の写真は白馬東急ホテルの玄関です。写真はインターネットからお借りしました。2番目の写真は私どもが泊まった部屋と同じような部屋の写真です。写真はインターネットからお借りしました。ここのホテルを出て、暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳など...「安曇野の奥の白馬東急ホテルの寫眞」

  • 「安曇野の仁科三湖、木崎湖、中綱湖、青木湖の寫眞」

    大糸線の大町駅から白馬駅の間に車窓から3つの湖が見えます。その周囲には何も無い静かな湖沼群で標高が一番高い西端の青木湖から中綱湖、そして木崎湖と農具川でつながっていて、木崎湖から流れ出ているのも農具川といい、それは高瀬川に合流し、信濃川になります。この仁科三湖は透明度の高い水で、遥か遠方には残雪の白馬連山が横たわっています。そんな美しい水をたたえた風景写真をお楽しみ下さい。大糸線の車窓から撮った写真です。そして下の写真はこの仁科三湖と北アルプスの山々ととの位置関係を示しています。この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B9%96です。「安曇野の仁科三湖、木崎湖、中綱湖、青木湖の寫眞」

  • 「安曇野の風景と大きな水車の思い出」

    思い出ばかり書いているのは老人の悪い傾向です。と知りながら今日も書きます。安曇野の風景と大きな水車の思い出です。思い出すたびにすがすがしい気分になります。元気が出ます。そして老境を格調高く生きることが出来るのです。1番目の写真は残雪が輝く北アルプス連峰です。写真の出典は、https://www.kabegamikan.com/p/i.php?url=www.kabegamikan.com%2Fimg%2Fna14%2F169619.jpgです。2番目の写真は北アルプスの麓に広がる水田の風景です。写真はインターンットからお借りしました。続いて自分が2017年6月に撮った安曇野の清流と水車の写真をお送りいたします。3番目の写真は訪れた安曇野の山葵園の脇にある美しい流れの光景です。川底の藻がゆらゆら揺れていて、...「安曇野の風景と大きな水車の思い出」

  • 「今日の散歩道の風景」

    武蔵野公園までの道すがら撮った写真です。順に真蔵院、小金井市立美術館、昔風の農家の写真です。「今日の散歩道の風景」

  • 「初夏の陽に輝く草原の風景」

    初夏の陽に輝く草原の風景です。今日は初夏の碧い空が広がっています。先程、その写真を撮って来ました。「初夏の陽に輝く草原の風景」

  • 「中国人が大好きな牡丹の花」

    牡丹は花びらを何枚も重ね大輪の花を咲かせます。牡丹の花言葉は「王者の風格」「富貴」「恥じらい」です。原産国の中国では、観賞用の花として牡丹が大人気です。唐代の詩人・白居易は牡丹の人気を「街中の人が狂ったようだ」と記しています。その大きく鮮やかな花姿から、牡丹は「花王」「花神」とも呼ばれ、中国でもっとも格式の高い花とされました。その牡丹の花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://news.biglobe.ne.jp/trend/0222/mwk_230222_4045486843.htmlです。「中国人が大好きな牡丹の花」

  • 「周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出」

    皆様ご存知のように中国は共産党独裁の国です。ですから民主主義の日本の仮想敵国でしょうか?しかし私はその中国の数人の人と親しく付き合っていました。今日は中国の周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出を書いてみたいと思います。私は1981年に北京と瀋陽に行きました。私を紫禁城(故宮)、頤和園、明の13陵、万里の長城、天壇、北京原人の周口店、瀋陽の清朝の発祥の宮殿、そして文化大革命で荒らされたキリスト教の教会(天主堂)などなどに行きました。西安の大雁塔や玄奘法師の墓のある慈恩寺も行ました。1番目の写真は紫禁城、故宮です。この故宮は多くの日本人も観覧していますので説明は省略します。そして頤和園のいかにも離宮らしいロマンチックな雰囲気に圧倒されました。湖も山上の楼閣も素晴らしいのですが、特に美しい左右の風景を見な...「周恩来、鄧小平、胡耀邦、温家宝などの思い出」

  • 「昔の武蔵野の屋敷森の写真を撮って来た」

    昔の武蔵野にあった農家はそれぞれ屋敷森に囲まれていました。そんな屋敷森に囲れている家が現在の小金井市に数軒あります。今日は北はずれにある屋敷森の写真を撮ってきました。家は森に隠れて写真には写っていません。「昔の武蔵野の屋敷森の写真を撮って来た」

  • 「北海道の魅力(2)松前藩の盛衰と現在の寂しい町の風景」

    ある時代に繫栄していたが現在はすっかり忘れられている町が沢山あります。時代の変化についていけず寂れてしまうのです。私はそんな町を訪れて繁栄していた頃の様子を偲ぶのが好きです。現在住んでいる人の静かな息づかいが感じられ、しみじみと旅愁を憶えます。そんな町の一例に北海道の松前藩の松前町があります。北海道の南端にあります。以前に独りで旅をした曾遊の地です。今日はこの松前藩の歴史と独り旅の思い出を書いてみたいと思います。松前藩は徳川幕府に正式に認められた北海道唯一の藩でした。慶長九年(1604年)に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、蝦夷地の交易の独占権を得ます。こうして日本最北の藩、松前藩が成立しました。(town.matsumae.hokkaido.jp)しかし領内に米の生産がないので、幕府の『武鑑...「北海道の魅力(2)松前藩の盛衰と現在の寂しい町の風景」

  • 「北海道の魅力(1)洞爺湖、昭和新山、ザ・ウインザー・ホテル」

    北海道は魅力溢れる旅先です。特に夏の北海道は暑くなく旅行が快適です。私も何度も旅を楽しみました。北海道には美しい湖や原野が広がっています。今日は美しい洞爺湖と隣接する新しい昭和新山をご紹介します。そして洞爺湖を見下ろすザ・ウインザー・ホテル洞爺をご紹介します。この地は千歳空港から近いので何度も訪れました。さて洞爺湖ですが、この湖は北海道の虻田郡の洞爺湖町にあります。周辺は支笏洞爺国立公園に指定されています。また、「日本百景」や「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれている美しい湖です。1番目の写真は洞爺湖の全景です。湖の中心に島のある大きなカルデラ湖です。2番目の写真は湖の中心の中島の近景です。島にはエゾシカが棲んでいます。洞爺湖には在来種のアメマス、ウグイ、ヨシノボリ、ハナカジカ等が棲んでいま...「北海道の魅力(1)洞爺湖、昭和新山、ザ・ウインザー・ホテル」

  • 「近所の道沿いに咲いているムクゲの花」

    近所の道沿いに咲いているムクゲの花です。道沿いに沢山咲いています。素晴らしい7眺めです。「近所の道沿いに咲いているムクゲの花」

  • 「庭に綺麗に咲いた花々」

    狭い庭にも花々が今年も綺麗に咲きました。家内が世話をしている花々です。「庭に綺麗に咲いた花々」

  • 「カトリック松原教会の今日のミサの動画配信」

    カトリック松原教会の今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=NQfCUMTgGW8にあります。「カトリック松原教会の今日のミサの動画配信」

  • 「今日はイグナチオ教会のミサにあずかりました」

    今日は広島の教会も東京の教会も動画配信が遅れましたので、先週のイグナチオ教会のミサにあずかりました。その風景の写真をお送り致します。「今日はイグナチオ教会のミサにあずかりました」

  • 「懐かしいカトリック韮崎教会の思い出」

    旅に出ると時々教会に寄ります。その地方の人々の気持ちが分かるようで楽しいのです。今日は懐かしいカトリック韮崎教会の思い出を書いてみたいと思います。2012年のことでした。山梨県の甲斐駒の麓の小屋へ行く途中にあるカトリク韮崎教会の思い出です。その教会の庭で神父さんらしい若い人が花壇の手入れをしていました。ちょっとお祈りさせて下さいと挨拶をしました。どうぞ、どうぞ。何処からいらっしゃいましたか?東京です。旅先では時々教会による習慣があるものですから。どうぞごゆっくり。下に御堂の中の写真と、信者さん達の集合写真を示します。1番目の写真はカトリック韮崎教会の内部です。中は立派な教会です。机の下のお祈りの冊子を手にとって、主の祈りを唱えました。ついでに信仰宣言も。2番目の写真は窓と窓の間にはイエス様の道行きの彫刻が...「懐かしいカトリック韮崎教会の思い出」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信です。6月9日広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信です。https://www.youtube.com/watch?v=zSTtJ21fqp4第広島のカトリック幟町教会の住所、広島市中区幟町4番42号原爆犠牲者を追悼し、世界平和の実現を祈念する教会堂です。「広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信」

  • 「我が散歩道に咲く花々の写真」

    我が散歩道は野川沿いの道です。その先に武蔵野公園があるのです。先程撮った写真をお送り致します。「我が散歩道に咲く花々の写真」

  • 「広々とした武蔵野の風景を撮りに行く」

    武蔵野の面影を保全した都立武蔵野公園で写真を撮って来ました。気分が爽快になりました。「広々とした武蔵野の風景を撮りに行く」

  • 「夏が来ると思い出す戦争(4)学徒出陣の悲劇」

    昭和18年10月の神宮外苑での学徒出陣の写真を見る度に涙が出てきます。当時はまだ幼かったので、その映像は戦後の映画やテレビで見ました。何度も見て心に焼き付いてしまったのです。暗い秋雨の降る日です。関東地方の旧制専門学校と大学の文化系の学生が卒業を繰り上げて、死を覚悟で出征するのです。25000人の学生が三八式小銃をかついで行進をします。女子学生を前列に5万人の観衆が学生の出征を送ります。壇上には東条英機首相が前の行進を暗い顔で見降ろしています。行進した25000人の学生のうち何人が無事故郷へ帰ることが出来たのでしょう。1番目の写真は昭和18年10月の神宮外苑での学徒出陣の壮行会です。手前の壇上に立っているのが東条英機首相です。敗戦後、東条英機首相はアメリカによって絞首刑にされました。2番目の写真は出陣する...「夏が来ると思い出す戦争(4)学徒出陣の悲劇」

  • 「100年に一度だけ咲くアガベ・ベネズエラの花」

    100年に一度だけ咲くアガベ・ベネズエラの花の写真です。写真の出典は、https://blog.goo.ne.jp/.../f0ef4569be3ef2dd95fe7828385c9e49です。「100年に一度だけ咲くアガベ・ベネズエラの花」

  • 「今日の散歩、坂下の野川まで行って来ました」

    小金井市は北半分がちょっとした高台で南半分が坂下で野川が流れています。今日の散歩は坂を下り野川まで行って来ました。いつもは行かないコースでした。「今日の散歩、坂下の野川まで行って来ました」

  • 「夏が来ると思い出す戦争(3)満州での中国人の悲劇」

    戦争というものの無駄と悲劇の大きさを客観的に深く理解するためには敵、味方、双方の立場に立って考えなければなりません。満州事変と満州建国、敗戦、シベリア抑留、引揚にまつわる悲劇を中国と日本の双方の立場にたって考えて見ようと思います。今日は中国人の立場に立ったら満州事変や満州建国をどのように見えるかを書いてみます。勿論、私は日本人ですから、完全に中国人の立場になることは不可能です。しかしその立場になったらどう感じるか想像は出来ます。1931年(昭和6年)満州の瀋陽市郊外で関東軍が起こした鉄道爆破事件、すなわち柳条湖(溝)事件が満州事変の発端になりました。関東軍は短期間で満州全土を占領します。しかし一般には1933年の停戦条約までを満州事変としています。この柳条湖事件を中国人は九一八事変と呼んで学校の教科書で現...「夏が来ると思い出す戦争(3)満州での中国人の悲劇」

  • 「フィリピンのカトリック教会の写真」

    フィリピンではキリスト教が全体の90パーセント以上です。そのうちカトリックが約80%、10%がプロテスタントを占めています。そんな国はアジアでは唯一です。フィリピンには、スペイン植民地時代に建てられたカトリック教会や大聖堂などが点在しています。それではフィリピンのカトリック教会の写真をお送り致します。1番目の写真はサンタマリア教会です。1993年に「バロック様式教会群」のひとつとして世界遺産に登録されました。教会全体を包む巨大な赤レンガが印象的で厳かな雰囲気です。2番目の写真はサントニーニョ教会です。1565年にスペインの植民者レガスピとウルダネタによって建てられたフィリピン最古の教会です。3番目の写真はサンアウグスチン教会の内部です。マニラで唯一の世界遺産に登録されている歴史的建造物です。1599~16...「フィリピンのカトリック教会の写真」

  • 「カトリック国のフィリピンの宗教事情と風景写真」

    いろいろな国の人々の考え方を理解するためにはその国の宗教事情を知ることは欠かせません。それは重要な事です。今日はフィリピンの宗教事情をご紹介したいと思います。フィリピンは16世紀から1900年頃までスペインの植民地でした。その後はアメリカの植民地でした。本当に独立国になったのは第二次大戦後です。フィリピンの宗教を決定したのは長らく植民地にしていたスペインでした。フィリピンは東南アジアでは珍しくキリスト教の国です。キリスト教はスペイン植民地時代にカトリックが普及したのです。今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者です。キリスト教信徒はフィリピンの全人口の90%以上を占めています。2000年の国勢調査では、カトリックが82.9%、福音派2.8%、その他で実質上カトリック国です。その国勢調査でのキリスト...「カトリック国のフィリピンの宗教事情と風景写真」

  • 「武蔵野で樹々がひそやかに息をしている風景」

    樹々がひそやかに息をしているような風景の写真を撮って来ました。都立小金井公園です。「武蔵野で樹々がひそやかに息をしている風景」

  • 「開戦早々にイギリスのプリンス・オブ・ウェールズも沈没」

    1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃と同時にマレー沖でイギリスのプリンス・オブ・ウェールズも日本空軍の攻撃で沈没しました。12月10日でした。帆足正音予備少尉が指揮する九六陸攻(元山空、索敵)がイギリスのZ部隊を発見して通報した。同機の誘導により、まず美幌空の九六式陸攻8機が水平爆撃を敢行し、レパルスに爆弾1発が命中して小破した。続いて元山空の九六式陸攻の雷撃がはじまる。第2波空襲開始早々、プリンス・オブ・ウェールズに魚雷2本が命中したのです。ウェールズでは13時15分に総員退去が命じられ、13時20分に転覆、沈没したのです。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%...「開戦早々にイギリスのプリンス・オブ・ウェールズも沈没」

  • 「真珠湾攻撃とその他燃えるアメリカ艦艇の写真」

    人間の心に悪魔が住みつくと戦争を始めます。戦争は悪魔の仕業です。狂気の沙汰です。1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争も狂気の沙汰です。1番目の写真は1941年12月8日の真珠湾攻撃で炎上するアメリカの太平洋艦隊です。2番目の写真は1945年1月1日、リンガエン湾に向けて航行中にスールー海で神風特攻隊旭日隊の特攻を受け炎上する護衛空母オマニー・ベイです。この後に沈没しました。3番目の写真は1945年6月10日、特攻機が至近弾となって大きく傾いた駆逐艦ウィリアム・D・ポーター(en:USSWilliamD.Porter(DD-579))です。復旧作業も実らずこの後に横転し沈没しました。4番目の写真は1944年10月30日神風特攻隊葉桜隊の零戦1機の特攻を受け艦載機が次々と炎上してい...「真珠湾攻撃とその他燃えるアメリカ艦艇の写真」

  • 「アメリカのB29と東京の焼野原の写真」

    アメリカのB29と東京の焼野原の写真です。B-29の日本軍にによる損失数は資料によって異なり、日本の戦後の統計では損失合計714機[です。延べ数での出撃した全数は33,000機でした。「アメリカのB29と東京の焼野原の写真」

  • 「夏が来ると思い出す戦争(1)焦土の日本とB29の搭乗員」

    戦前の昭和11年に生まれた私は毎年、夏が来ると太平洋戦争のことをいろいろと思い出します。太平洋戦争は日本民族の歴史において空前絶後の大事件でした。日本人が310万人死に、中国人は1000万人、アメリカ人も40万人も死んだのです。朝鮮の人は軍人が22万人、一般人が2万人死亡しました。台湾人は軍人が18万人、一般人が3万人死亡しました。今日は日本の200の都市が焦土になった写真を示します。そしてB29の搭乗員として何度も空襲に来たアメリカ空軍の大佐と戦後に親友になった話を書きます。戦争の虚しさと不条理を考えさせます。あれから79年経過しましたが戦争の悲劇の大きさにますます心が痛みます。米国空軍のB29爆撃機による無差別絨毯爆撃はすさまじいものでした。1945年7月10日、仙台市はB29による焼夷弾攻撃で一夜に...「夏が来ると思い出す戦争(1)焦土の日本とB29の搭乗員」

  • 「初夏の花5種の写真をお楽しみ下さい」

    初夏の花5種の写真をぉ送り致します。お楽しみ下さい。写真の出典は、https://greensnap.jp/article/7824です。1番目の写真はガクアジサイ(額紫陽花)です。アジサイ科アジサイ属のガクアジサイ。その名の通りアジサイの仲間ですが、アジサイ(ハイドランジア)やアナベルとは異なり、特徴的な花を咲かせます。2番目の写真はダリアです。白、黄、オレンジ、赤、ピンク、紫、複色など色とりどりの花が魅力のダリア。品種により、大・中・小と花の大きさも様々です。3番目の写真は,トケイソウ(時計草)です。時計の文字盤に似た花が特徴的なトケイソウ。白、黄、赤、ピンク、紫色の花を咲かせる熱帯植物です。4番目の写真はアスターです。お盆の頃に開花し、夏の花のイメージが強いアスター。素朴な花姿と白、赤、ピンク、青、...「初夏の花5種の写真をお楽しみ下さい」

  • 「青空に誘われて武蔵野公園まで散歩して来ました」

    青空に誘われて武蔵野公園まで散歩して来ました。今日は暑いくらいの初夏の天気です。写真の出典は、https://kids.rurubu.jp/article/72700/です。「青空に誘われて武蔵野公園まで散歩して来ました」

  • 「友人たちが先に旅立つ、仙台の愛宕中学校の亡くなった友人たち」

    2012年10月に仙台市愛宕中学校の第二回生の同窓会が秋保温泉でありました。私は卒業以来61年目に初めて仙台の同窓会に出席しました。若くして仙台を出てアメリカへ留学した私はそれ以来61年間仙台の中学校の同窓会へは不義理を重ねてきました。今回をもって最後にしますという案内状に誘われて出席しました。61年目に再会した懐かしい友人が皆笑顔で迎えてくれたのです。その折に幹事が配った名簿に物故者の名簿がありました。その中に一緒に遊んだ友だちが数人もいたのです。亡くなったことも知らなかった私をお許し下さい。内海範夫君。君は長身で知的な少年でした。今回の大津波で流された宮城県の名取市の閖上港町から汽車通学していたので心配していました。同窓会に出ていた友人に君の事を聞きました。石巻日赤病院に医者として定年まで勤めていたそ...「友人たちが先に旅立つ、仙台の愛宕中学校の亡くなった友人たち」

  • 「友人たちが先に旅立つ、今は亡き萩生田君などのの思い出」

    十年位以前に仙台の中学校の同期会がありました。卒業後62年目の会でした。同期生300余人のうち、すでに70名以上の人が旅立っていました。新幹線で仙台駅におりたった私は大町を通り抜けて、一番丁で右折し、三越のそばの会場まで歩いて行きました。昔のことを思い出しながらゆっくり歩いていきました。仙台での一番の繁華街なので昔あった店を探しながら行ったのです。しかし存続していたのはたった2軒です。メガネの相沢と井ケ田茶店だけです。あとは見知らぬ店々がえんえんと続いているのです。そしてメガネの相沢に店員として働いていた水元君のことを思い出したのです。水元君は南米へ移民してしまった友人でした。水元君は評定河原橋のそばに母一人、子一人で住んで居た色白のやさしい子供でした。生活が苦しいので南米に移民するという夢を何度も話して...「友人たちが先に旅立つ、今は亡き萩生田君などのの思い出」

  • 「友人たちが先に旅立つ、今は亡き村木良彦君の思い出」

    村木良彦君の思い出を書きたいと思います。彼とは中学と高校が一緒でした。仙台の愛宕中学校と仙台一高で同級でした。寡黙で色の白い少年でした。一緒に演劇部に入っていました。村木君は演技力があり舞台ではしばしば主役を務めていました。高校の頃は東8番丁にあった彼の家に何度か遊びに行きました。母親が病で床についていると彼が淋しそうに言います。父は裁判官でした。親しくしていましたが仙台から去ってしまいました。東京大学の文学部に行ってしまったのです。大学生の頃東京で会いました。大井町駅の前の店でトンカツをご馳走してくれたのです。大学を卒業すると彼は赤坂のTBS社に入社します。また会って赤坂で一緒に何度か飲みました。その後はお互いに仕事が忙しくて会っていません。しばらくすると村木君はTBS社のデレクターとして活躍していまし...「友人たちが先に旅立つ、今は亡き村木良彦君の思い出」

  • 「友人たちが先に旅立つ、そして初島への航海の思い出」

    老境になると昔の友人たちが3人、4人と旅立つて行きます。老いればそれが自然です。私も達観の境地というものが少し見えてきたような気がします。何事も自然の摂理のままに日々が流れてゆくのです。しかし時々は亡くなった友人たちのことを思い出します。そこで今日は不運にも富士山で遭難死をしたOT君の思い出を書いてみたと思います。高校時代から親友だったOT君が富士山で行方不明になったという報らせがありました。2018年のことでした。彼はその年の9月2日の午前4時半に山行きの服装で家を出発したそうです。そして富士山8合目の山小屋に記帳しています。その後、行方不明になったのです。遺体は6年経過した現在でも発見されていません。優しい性格で寡黙な人でした。OT君とは大学の同じ金属工学科を1958年に卒業しました。そして彼は当時の...「友人たちが先に旅立つ、そして初島への航海の思い出」

  • 「今日の散歩、都立多磨墓地へ行く」

    どういう訳か私は墓地が好きです。静かです。空気がさわやかです。今日の散歩は都立多磨墓地へ行って来ました。以前によく行った都立多磨墓地の無縁仏の墓まで散歩して来ました。多磨墓地には、東京都内で亡くなった無縁仏のお墓が年代順に並んでいます。1番目の写真は東京都内で亡くなった無縁仏のお墓です。亡くなった年代順に写真の右の方へ並んでいます。2番目の写真も無縁仏のお墓です。3番目の写真も東京都内で亡くなった無縁仏のお墓です。4番目の写真も無縁仏のお墓です。この墓には「倶会一処」と書いてあります。倶会一処とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏や菩薩たちと一緒に出会うことが出来るという意味です。お釈迦様の慈悲は全ての人々へ分け隔てなくふり注ぎます。宗教の原点は死者へ対するわけ隔て無い尊敬です。釈迦の慈悲です...「今日の散歩、都立多磨墓地へ行く」

  • 「今日の散歩は多摩墓地の無縁仏の墓まで」

    今日の散歩は府中市にある多磨墓地の無縁仏の墓まででした。写真はその無縁仏の墓です。東京都内で亡くなった無縁仏のお墓が年代順に写真の右の方へ並んでいます。多摩寺と慈光寺の代々の住職さんが春秋のお彼岸に卒塔婆を供え、読経をしてくれます。亡くなれば人は皆一緒に安らかに眠るという意味の「倶会一所」(くえいっしょ)と彫り込んであります。今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人「今日の散歩は多摩墓地の無縁仏の墓まで」

  • 「ヨットの中でローソクの灯をつけ、クラシック音楽を聴く」

    ヨットの中でローソクの灯火をつけ、クラシック音楽を聴くと一段と感動します。以前ヨットに乗ってた頃はヨットの中でよくクラシック音楽を聴いたものです。もうヨットも止めましたが懐かしく思い出します。このヨットには音質の良いステレオ装置がついていたのでです。懐かしいです。撮影日時:2010年10月7日夜、撮影場所:茨城県土浦港に係留しているヨットの中、(終わり)「ヨットの中でローソクの灯をつけ、クラシック音楽を聴く」

  • 「華麗なヨーロッパ文化の溢れるクラシック音楽」

    昔は元気だったので、NHKホールなどの都心にあるホールへクラシックの音楽を聴きに行っていました。老年になり、都心まで夜、出掛けるのが億劫になり、そんな機会も無くなりました。ところが、世の中よくしたもので、近隣の府中市や国分寺市の音楽ホールへ一流の演奏家が出向いてくれるようになりました。ある時、家内と国分寺市の「いずみホール」でのベートーヴェンの弦楽四重奏とシューマンのピアノ五重奏を聴きに行きました。その時は他にソプラノ歌手とテノール歌手の独唱と二重唱もありました。出演者が皆働き盛りの一流の音楽家です。素晴らしい音質です。緩急自在に旋律が踊ります。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノの生の音に酔います。そして人の声の美しさに吃驚します。ヨーロパの華麗な文化が舞台の上に溢れるように再現されています。ああ、や...「華麗なヨーロッパ文化の溢れるクラシック音楽」

  • 「貧しい家でトッカータとフーガをフルートで吹く少年の思い出」

    あれは昭和28年のことでした。まだ焼け跡があちこちに残る仙台の貧しい野田君の家でバッハのトッカータとフーガを聞いたのです。友人の野田君がフルートで吹いたのです。美しい銀色のフルートの音が貧しい家に響きました。野田君も私も仙台一高の2年生でした。それが私がクラシック音楽をじかに聞く初めてのことでした。演奏を終えた野田君が曲目は「トッカータとフーガ」だと一言だけ言ったのです。彼は寡黙な少年でした。父が戦死して母と2人だけで暮らしていました。トッカータとフーガに魅了された私はクラシック音楽が好きになりました。それ以来仙台公会堂でのクラシック音楽の演奏会にしばしば行くようになります。仙台一高を卒業する頃に偶然野田君に会いました。これから中小企業で働くと言います。でもフルートを時々吹いて頑張ると言います。野田君に会...「貧しい家でトッカータとフーガをフルートで吹く少年の思い出」

  • 「小雨の中を武蔵野公園まで行って来た」

    小雨の中を武蔵野公園まで行って来ました。午後の散歩として小雨の中を武蔵野公園まで行って来ました。写真の出典は、https://www.bbqjp.com/portfolio/musasinokoen/です。「小雨の中を武蔵野公園まで行って来た」

  • 「小雨の庭の花々の写真」

    今日は小雨です。しかし庭の花々は鮮やかに咲いています。そんな写真です。「小雨の庭の花々の写真」

  • 「隣の韓国はキリスト教国、そしてカトリック教会の写真」

    韓国の人口は5千107万人で、22.8%が仏教徒で18.3%がプロテスタント教徒、そして11.0%がカトリック教徒で残りの人々は様々な少数派の宗教、例えば道教、儒教、そして円仏教などを信奉しています。ですからプロテスタントとカトリックを合わせたキリスト教全体では29.2%となって仏教より信者の数が多いのです。キリスト教信者数は約1376万人となります。したがって韓国はフィリピンと同じくキリスト教国なのです。しかしその一方、韓国の宗教を信じている人は人口の53.1%で無宗教は46.9%です。すなわち宗教を信じない人も日本と同じように沢山住んでいのです。さてキリスト教の朝鮮半島への伝道活動は18世紀に始まりました。カトリック教会の方がプロテスタント各派よりも早かったのです。パリ外国宣教会が宣教を担っていました...「隣の韓国はキリスト教国、そしてカトリック教会の写真」

  • 「長崎の26聖人にまつわる話」

    長崎の観光名所の一つに日本26聖人像があります。今日はこの26聖人の事を書いてみようと思い写真を検索して、探していました。そうしたら鮮明な写真に素晴らしい文章のついたブログを発見しました。江島達也さんのブログ:http://hayabusa-3.dreamlog.jp/です。このブログの中から観光名所になっている、26聖人像の写真をお借りして以下に示します。(出典」は、http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51207384.htmlです)。有名な彫刻家の船越保武氏が4年余の歳月をかけて昭和37年に完成した芸術作品です。余談ながら私はカトリックなのでこの像の前に立ったり、写真をみるのが好きです。祈っているのです。・この26人は1597年2月5日、長崎の西坂で十字架には...「長崎の26聖人にまつわる話」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

    今日はインターンットを通じて広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。今日のミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信」

    6月2日キリストの聖体(祭日)広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信です。https://www.youtube.com/watch?v=zSTtJ21fqp4第1朗読出エジプト記24章3~8節第2朗読ヘブライ人への手紙9章11~15節福音朗読マルコによる福音書14章12~16、22~26節広島のカトリック幟町教会の住所、広島市中区幟町4番42号原爆犠牲者を追悼し、世界平和の実現を祈念する教会堂です。「広島のカトリック幟町教会の今日のミの動画配信」

  • 「大きな樹々の写真を撮って幸せな気分になる」

    何故か幸せな気分になって小金井公園をを散歩して来ました。大きな樹々の写真をお楽しみ下さい。「大きな樹々の写真を撮って幸せな気分になる」

  • 「函館トラピスチヌ修道院の風景写真」

    「函館トラピスチヌ修道院」でのミサの風景をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「函館トラピスチヌ修道院の風景写真」

  • 「函館トラピスチヌ修道」

    函館トラピスチヌ修道院の写真をお送り致します。日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に創立された「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。函館山と中心市街地を挟んで対面する高台に、ひっそりとたたずんでいます。煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています。祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに7回。毎年12月24日・25日の「クリスマス・ご降誕のミサ」、3月末~4月初めの「復活徹夜祭」、8月15日の終戦記念日の「平和の祈りの集い」には、一般参加者の募集があり、聖堂に招かれて臨席することができます。「函館トラピスチヌ修道」

  • 「北海道のトラピスト修道院の自給自足」

    函館の寒冷の地に戒律が厳しい自給自足の修道院を作った人がいたのです。フランスの戒律の厳しいことで有名な厳律シトー派の流れを汲むトラピスト派の数人の修道士が1896年、明治29年に津軽海峡を見降ろす丘の上に来ました。石ころの多い熊笹の原野や深い森を切り開いて乳牛の放牧場を作り、レンガ造りの建物を建設したのです。場所は函館の西、30Kmほどの所にある渡島当別駅のそばです。不便な所なので観光客の少ない深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎が高い塀の中に見えます。その外は一面に牧草が生えた放牧場です。2012年の4日間に4回も訪問しました。周囲の景観が素晴らしかったのです。この修道院はローマ法王傘下のカトリック組織の一部ですが、戒律が厳しい事で有名です。修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、...「北海道のトラピスト修道院の自給自足」

  • 修道院とはどういう所でしょうか?その内部をご紹介します。

    キリスト教の修道院は日本に沢山あります。しかし社会からかなり孤立した場所なので、その内部はあまり公には知られていません。そこで今日はその訪問記をお送りします。そしてイエズス会のことや、その修道院の内部をご紹介したいと思います。1番目の写真はイエズス会石神井修道院の若い修練者が小金井教会で聖なるパンを信者に与えている場面です。この修道士は以前、日曜のミサのお手伝いに小金井教会へ来てくれていました。この方のご縁で修道院を訪問することになったのです。それは2010年の7月のことでした。イエズス会石神井修道院を訪ねたのです。お会いして下さった方はイエズス会士の塩谷恵策神父様でした。博識な方です。修道院の歴史を明快にご説明して下さいました。何も知らない小生へ分かり易くお話して下さったのです。昔から東洋文庫から出版さ...修道院とはどういう所でしょうか?その内部をご紹介します。

  • 「済州島は楽しい観光地?」

    済州島は行ったこと無いけど済州島は楽しい観光地らしいです。https://www.klook.com/ja/blog/things-to-do-in-jeju/をご覧ください。「済州島は楽しい観光地?」

  • 「韓国の国花のムクゲの写真」

    韓国の国花のムクゲの写真をお送り致します。写真の出典は、https://pixta.jp/.../%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E8%8A%B1...です。「韓国の国花のムクゲの写真」

  • 「今日の散歩道に咲いていた花々の写真」

    野川沿いの散歩道に咲いていた花々の写真です。「今日の散歩道に咲いていた花々の写真」

  • 「茫々とした武蔵野の写真を撮りに行った」

    都立武蔵野公園には手付かずの武蔵野が保存してります。その茫々とした武蔵野の写真を撮りに行って来ました。「茫々とした武蔵野の写真を撮りに行った」

  • 「何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景」

    韓国の釜山の北の慶尚北道にある河回村と良洞村の平和な農村風景の写真をお送りいたします。何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景です。何故か懐かしい農村風景です。この2つの村は農村ながらも世界の文化遺産に認定されています。李朝朝鮮時代の農村が昔のまま残っている珍しい文化遺産なのです。写真はいろいろありますが、何と言っても次の写真集が抜群の出来なので、その写真集から7枚を選びお借りすることにしました。韓国の歴史村:河回と良洞の絶景写真画像、https://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage921これらの写真を撮った方へ敬意を表します。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)「何故か昔の日本の農村を思い出させる韓国の田舎の風景」

  • 「今日は雲が綺麗なので写真を撮りに行った」

    今日は五月晴の青い空に白い雲が流れています。小金井公園まで写真を撮りに行って来ました。「今日は雲が綺麗なので写真を撮りに行った」

  • 「札幌のアカシアの白い花」

    札幌ではアカシアの白い花が札幌を象徴する花でした。古き良き札幌を思い出させてくれる花です。北国らしさの漂う花です。札幌の風物詩とも言われたアカシアは、正確には「ニセアカシア」という外来種で、明治初期に輸入され、札幌駅前通の並木道として使われたものが最初でした。札幌のアカシアの白い花の写真をお送り致します。写真の出典は、https://poros.exblog.jp/13485739/です。「札幌のアカシアの白い花」

  • 「5月に咲くリラの花をお楽しみ下さい」

    ライラックは東京だと5月に咲く花木で、葉はハート形、花は円錐形に小花が房咲きになり紫色、藤色、紅色、白色などの一重や八重の花をたわわにつけます。香りが良いので世界中で愛されている花木です。フランス語でリラ、和名はムラサキハシドイと呼ばれています。ハシドイは、日本に自生する近縁種の落葉小高木のことです。ライラックは冷涼な気候を好み、特に夏の夜温が下がる環境を好みます。そのため東北北部や北海道、本州の高原地帯が適地といえます。ライラックとアカシアの関係:ライラック(あるいはリラ)は札幌の樹でです。赤紫や青紫、ピンクや白などが5月中旬から下旬にかけて花開きます。一方、アカシアは6月中旬から下旬にかけて白い花を咲かせ、通りの緑の列に白い飾りが加わります。札幌のアカシアは植物辞典的にはニセアカシアです。「5月に咲くリラの花をお楽しみ下さい」

  • 「美しいアカシヤの大連の花の写真」

    『アカシヤの大連』は詩人の清岡卓行の最初の小説作品です。雑誌『群像』1969年12月号に発表し、第62回芥川賞(1970年)を受賞しました。当時読んで感動しました。それを思い出したので大連のアカシヤの花の写真をご紹介いたしす。写真の出典は、https://4travel.jp/travelogue/10244256です。大連は昔から「東方魁城」(東方のアカシアの都)と呼ばれており、毎年5月になると一斉にアカシアの花が咲きます。アカシア祭りが毎年5月に開催されます。アカシアと言えば清岡卓行著の『アカシアの大連』で、この花を見たいと思う人も多いと思います。アカシヤの花はその清楚とも言える白い花と芳醇な香りに大いに酔いしれます。この花は注意深く見ると日本の山にも沢山咲いています。札幌などにははアカシヤの並木道が...「美しいアカシヤの大連の花の写真」

  • 「中国の各地の花園の写真」

    中国の各地の花園の写真です。写真は「中国の花園の写真」を検索して出て来た数多くの写真の中から美しいものを選びました。1番目と4番目の写真は洛陽の中国国家花園です。2番目と3番目の写真は福建省の国家花園です。「中国の各地の花園の写真」

  • 「中国の農村の写真」

    中国の農村の写真をお送り致します。写真は「中国の農村の写真」を検索してインターネットからお借りしました。「中国の農村の写真」

  • 「大きな樹々を見ると幸せな気分になる」

    何故か分かりませんが私は大きな樹々を見ると幸せな気分になるのです。小金井公園で大きな樹々を眺めて来ました。「大きな樹々を見ると幸せな気分になる」

  • 「秦の始皇帝陵と兵馬俑を見た時の驚き」

    中国に行って驚くことは古い歴史的なものが昔のままに保存されていることです。例えば古都、西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。さっそく始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで...「秦の始皇帝陵と兵馬俑を見た時の驚き」

  • 「長崎の大浦天主堂にまつわる話」

    建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した(この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリ...「長崎の大浦天主堂にまつわる話」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。2024年5月26日三位一体の主日https://www.youtube.com/live/IQ_4_i5DUYM第1朗読申命記4章32~34、39~40節第2朗読ローマの信徒への手紙8章14~17節福音朗読マタイによる福音書28章16~20節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

  • 「美しくい国、フィンランドの写真」

    美しくい国、フィンランドの写真をお送り致します。写真の出典は、https://www.gettyimages.co.jp/search/2/image-film?phrase=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89です。「美しくい国、フィンランドの写真」

  • 「北の国のヘルシンキのサウナ」

    昔、北の国のヘルシンキの工科大学のハイケンハイモ教授を訪問したことがありました。そうしたら大学のサウナに招待されたのです。北欧のサウナは、極北の香り高い白木で内装されています。隣に談笑する大きな部屋が付いていて、窓からは広々とした風景が見えるのです。その談笑室には白木のテーブルと椅子があり、酒を飲みながら裸で談笑するのです。そんなことを思い出しながらヘルシンキの路面電車やサウナの写真をお送り致します。「北の国のヘルシンキのサウナ」

  • 「スウェーデン王国 の国花はドイツスズラン」

    ドイツスズランはヨーロッパ原産で、日本のスズランと似ています。ドイツスズランは日本のスズランより大きな花を咲かせ、香りが強く、葉幅が広いのです。他のスウェーデンの花々の写真をつけてお送り致します。お楽しみ下さい。写真は「スウェーデンの野原に咲く花の写真」を検索して、インターネットの写真から美しい写真を選びました。「スウェーデン王国の国花はドイツスズラン」

  • 「美しいドイツの花々」

    ドイツの花と言っても特に特徴がないように見えます。オランダの花卉栽培農家が品種改良した園芸種を情熱的に窓枠に植えたり庭に植えています。ドイツ人は花を飾ることに対して強い情熱を持っています。彼等は何事に対しても徹底的にするのです。お墓にもいつも色鮮やかな花々を飾っています。ドイツ文化の長所でもあり怖さでもあります。南ドイツに家族と共に住んでいました。子供は小学校とキンダーガルテンに通っていました。週末には近郊へのドライブを習慣にしていました。冬の間一面雪に覆われていた地面が復活祭の頃一気に春の兆しを見せます。牧場地帯や麦畑の農村地帯を車で走っていると一面の菜の花に遭遇したり、黄色いレンギョウの茂みを見つけたりします。そして5月になるとサクランボの花が青い空にピンクに輝いています。リンゴの花も咲いています。コ...「美しいドイツの花々」

  • 「ドイツの文化とハプスブルグ家の影響」

    ドイツには1969年の夏から1970年の秋まで一年4ケ月住んでいました。そして一番吃驚したことはヨーロッパは国々や地域によって文化の非常に違うということでした。日本から眺めると西洋文化という一つの文化があるように見えますが、住んでみると国々や地域によってそれぞれ歴史や文化が非常に違うのです。ドイツも北では「こんにちは」はグーテンターグと言いますが、私共が住んでいた南ドイツではグリュースゴットと言います。言葉だけでなく考え方が違うのです。シュツットガルトでアパートを探しましたらシュバーベン出身の人以外には貸さない家主が多いのです。シュツットガルト地方は昔、シュバーベン王国だったのです。要するに地元の人にしか貸さないのです。新聞広告にはっきり「シュバーベン人に限るに」と明記してあります。理由を聞くとシュバーベ...「ドイツの文化とハプスブルグ家の影響」

  • 「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」

    外国への留学は私の冒険でした。1960年、24歳から2年間オハイオの大学に留学しました。アメリカに行く冒険の次はヨーロッパにも行く冒険でした。今度は34歳のときドイツに留学しました。アメリカ留学でその社会や文化に魅了されましたが、今度はドイツにも魅了されました。外国に住むと、その国が好きになってしまうのです。今日はまず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景をご紹介しましょう。暗い城壁に囲まれた中世の町です。5枚の写真はインターネットからお借りしました。1番目の写真は町を囲む城壁です。城壁の上には回廊があり守備兵が並んで防戦出来るようになってきます。写真の左側が町になっています。私はこの城壁の上をよく散歩しました。懐かしいです。2番目の写真も町を囲む城壁です。3番目の写真は城壁...「冒険の連続だった私の人生(2)中世の町、ローテンブルグとドイツ留学」

  • 「江戸時代からある道端の祠」

    よく行く武蔵野公園の帰り道に江戸時代からの祠があります。立ち止まって江戸時代からの人々の祈りの内容を想像します。単純に家族の幸せを祈ったのでしょう。何故か私も幸せになった気分になりました。「江戸時代からある道端の祠」

  • 「美しく花が咲いてる散歩道」

    野川そいの道です。武蔵野へ続く散歩道です。今日もウグイスが鳴いていました。悠々と散歩して来ました。写真をお楽しみください。「美しく花が咲いてる散歩道」

  • 「よく散歩するハケの道の風景写真」

    よく散歩するハケの道の風景写真をお送り致します。写真の出典は、https://tachikawaonline.jp/walk/30koganei.htmです。1番目の写真は美術館脇にあるハケの小道です。石畳の小路にせせらぎが沿って流れています。2番目の写真はムジナ坂です。昔は農民が田畑へと通った道です。3番目の写真は武蔵野公園の中心を流れる野川です。はけの湧水が野川を形成し、その先は多摩川へと流れています。4番目の写真は武蔵野公園の中央広場です。「よく散歩するハケの道の風景写真」

  • 「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」

    自分の性格を考えてみると結構冒険好きだったと思います。東北大学在学中から冒険の人生が始まりまりました。北アルピスや南アルプスを単独で縦走したのがその始まりでした。そしてその後アメリカ留学に挑戦したのです。アハイオ州立大学のセントピエール教授にいきなり手紙をだしました。月謝と生活費を出してくださいと頼みました。OK!という返事がきました。1番目の写真の左側の人がセントピエール教授です。私どもの結婚式の後のレセプションヘの客を迎えるレセプション・ラインです。留学先の大学はオハイオ州のコロンバス市にありました。感動したことはアメリカ人の先生方と同級生がとても親切だったことです。もう少し正確に書くと、フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学したのです。アメリカ人はいつ...「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」

  • 「ロマンチックな小岩井農場の写真」

    盛岡市から北西約12kmの所にある小岩井農場はロマンチックな雰囲気です。岩手山の南麓にあり約3,000ヘクタールもの広大な敷地です。1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同で作った牧場です。その3名の姓の頭文字をとり小岩井牧場と名付けらました。小岩井牧場はその後、小岩井農場となり東京に本社をおき大きく発展しました。宮沢賢治もこの牧場とその周辺の景観が好きで、しばしば散策しました。詩集『春と修羅』に収録された長い詩「小岩井農場」も書きました。15年位以前に私どもも行って、そのロマンチックな雰囲気に感動しました。インターネットからお借りした小岩井農場の写真をお送り致します。「ロマンチックな小岩井農場の写真」

  • 「川物語(5)北上川と石川啄木と宮沢賢治」

    北上川の水源は岩手県岩手町御堂にある「弓弭(ゆはず)の泉」とする説が一般的です。そこから岩手県の中央を南下して宮城県に入り石巻湾の太平洋へ流れ出ています。北上川のように北から南へ流れる川は全国でも珍しい川です。北上山地と奥羽山脈の間を流れているため、それぞれの山地からいくつもの支流が流れ込み、その数は大小合わせて200以上もあります。1番目の写真は盛岡市を流れる北上川です。背後の山は岩手山です。ここへは2度ほど訪れましたが北上川にそった遊歩道を歩くと実に気持ちが良い場所です。この北上川が流れている岩手県は宮沢賢治や石川啄木の故郷です。彼等の関連のある土地の盛岡や花巻も私は何度も訪問しました。小岩井牧場にも行きました。盛岡城跡の高い石垣を登ると広い草原になっています。青草の上にあおむけに寝て大空を見ていたら...「川物語(5)北上川と石川啄木と宮沢賢治」

  • 「小諸市の紹介」

    小諸市の市内の広い範囲から南に蓼科山、北に浅間山が見え、空気の澄んだ日には遠く富士山をも望めます。「関東の富士見百景」に選定されています。千曲川は市の南部から西部を、流向を北から西へと大きく変えながら貫流しています。何度か訪れた懐かしい町です。「小諸市の紹介」

  • 「川物語(4)千曲川と藤村記念館のある懐古園」

    千曲川は長野県、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ヶ岳にその源にして、佐久、上田の2つの盆地を経て長野市のある善光寺平で犀川と合流します。犀川は新潟県に入ると信濃川と呼ばれ日本海へ流れ出ます。千曲川と呼ばれている部分は214kmです。1番目の写真は千曲川です。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search?k=%E5%8D%83%E6%9B%B2%E5%B7%9Dです。千曲川と言えば藤村の「千曲川旅情の歌」を思い出します。藤村は明治の後半に7年余、小諸の私立学校の先生をしながら「千曲川旅情の歌」を作ったのです。私どもも小諸に旅をしました。小諸は美しい城下町です。すぐ後ろに浅間山が悠々と広がり眼下には千曲川が碧く光っています。何となく詩情を感じさせます。特に城跡は懐古園と...「川物語(4)千曲川と藤村記念館のある懐古園」

  • 「大きな樹々の写真を撮りに行く」

    大きな樹々の写真を撮りに行ってきました。近所の学芸大学には大きな樹々が緑豊かに茂っています。散歩しながら大きな樹々をしばし眺めて来ました。「大きな樹々の写真を撮りに行く」

  • 「多摩川の上流の風景」

    多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。多摩川の上流のある奥多摩は立川駅から青梅線で青梅まで簡単に行けます。そこで乗り換えると奥多摩駅まで電車で行けます。さて多摩川は何処から流れて来るのでしょう?山梨県の笠取山を源とし、上流部では柳沢峠から流れ込んでくる柳沢川と合流し、そこから下流は丹波川(たばがわ)と呼ばれ奥多摩湖に注いでいます。多摩川と呼ばれているのは奥多摩湖の湖水の出口である小河内ダムより下流からなのです。多摩川は両岸に堤防のない部分が多いので、野草や野鳥が数多く自然豊かな昔のままの川なのです。それこそが多摩川上流の一番の魅力なのです。それでは多摩川の上流の風景の写真をお送り致します。1番目の写真は御岳駅から3Kmほど上流の多摩川です。2番目の写真は御岳駅から2Kmほど上流の多摩川にあるマス釣り場...「多摩川の上流の風景」

  • 「多摩川と相模川の鮎釣り」

    多摩川と相模川には夏になると鮎がいっぱい泳いでいます。鮎を釣る人々で賑わいます。そんな写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「多摩川と相模川の鮎釣り」

  • 「川物語(3)利根川と坂東梁の思い出」

    利根川の源流は群馬県の大水上山で関東平野を北から東へ流れ太平洋に流れています。信濃川についで日本で二番目に長い川で322Kmの長さです。1番目の写真は銚子の利根川の河口の雄大な風景です。写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/sta_033638/g1_22/です。利根川は坂東太郎とも呼ばれ江戸時代は霞ヶ浦を経由して太平洋へ流れ出ていました。利根川で一番印象深かったのは中流の渋川にある坂東梁の鮎料理です。家内も鮎が好きなので何度も行きました。坂東簗の料理場の外の廊下に古い写真が沢山飾ってありました。明治、大正時代に前橋の金持ちが人力車で乗り付けていました。芸者さんの乗った人力車も続いているのです。2番目の写真は坂東梁の入り口です。関越道路の渋川インターを出て、前橋方向に戻り...「川物語(3)利根川と坂東梁の思い出」

  • 「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」

    昔ドイツで住んでいたアパートの写真です。1969年から1年余シュツットガルトに住んでいました。cottastrasseの45番地でした。写真のアパートの3階です。そこから毎日Max-Plank研究所へ通っていました。娘はドイツの小学校、息子は幼稚園に行っていました。「昔ドイツで住んでいたアパートの写真」

  • 「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」

    ライン川の中流に歌で有名なローレライの岩があります。その写真をお送り致します。出典は、https://imagenavi.jp/search/...です。「ライン川の中流にあるローレライの岩の写真」

  • 「 広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

    今日はインターネットを通うして広島のカトリック幟町教会のミサにあずかりました。広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真をお送り致します。「広島のカトリック幟町教会の今日のミサの写真」

  • 「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

    広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。聖霊降臨の主日(祭日)ミサhttps://www.youtube.com/live/iTxvvOlarq8第1朗読使徒言行録2章1~11節第2朗読ガラテヤの信徒への手紙5章16~25節福音朗読ヨハネによる福音書15章26~27、16章12~15節広島県広島市中区幟町4-42電話082-221-0621FAX082-221-8486「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

  • 「何度見ても感動する巨木の風景」

    武蔵野公園です。「何度見ても感動する巨木の風景」

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