chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
昼のガスパール・オカブ日記 https://blog.goo.ne.jp/sarastro1957

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

オカブ
フォロー
住所
世田谷区
出身
世田谷区
ブログ村参加

2014/10/15

arrow_drop_down
  • 花菜漬け

    暮れ時になると考える。今日は何をなしたのかと。別に人様に言えるほどのことはやっていない。大抵、無為に過ごしている。人に使われ、組織に属していた時はこんなことは考えなかった。考える余裕がなかったというほうが正しい。時間と山のような仕事に追いまくられ、成果として一日、何をやり終えたかなど考える暇がなかった。もちろんクォータだのヒストグラムは毎日意識して、憂鬱な気分になっていた。しかしだからと言ってそれを達成したとしても、どうしてもやったという実感がわかないのである。晴れて自由の身となった今は、同じく虚無感と徒労感にさいなまれている。想えば無為徒食の人生だったとつくづく思う。花菜漬け飯に熱き茶かけ注ぎ素閑花菜漬け雨の小僧が土間の口素閑醒めた酒花菜の漬けもの齧りたり素閑花菜漬け野の鳥たちもささやけり素閑花菜漬けくさむら...花菜漬け

  • 飯蛸

    九尾の狐の物語というのがある。妖怪めいている。てっきり那須の殺生石にまつわる伝説かと思ったら、各地に似たような言い伝えがあるらしい。そもそもは中国起源で、その言い伝えの勢力範囲は東アジア全体に及んでいる。大体は、絶世の美女に化けて人に害をなすものとして語られる。日本でも多くの学者文人が言及している。神獣か妖怪かの議論があるらしい。しかし一般に美女は魔物である。人をたぶらかすということにかけては古今東西の別がない。女は愛嬌である。整い過ぎた容姿はよろしくない。飯蛸や二つに割かれ伊万里鉢素閑飯蛸に日もなごみけり辛子味噌素閑湯に通し飯蛸赤く伸びにけり素閑飯蛸の素性も聴かず塩まきて素閑飯蛸や艫の幟の南風素閑新たなる妻に飯蛸割かせけり素閑飯蛸の里山染めて七分咲き素閑飯蛸や大凪の灘舟を漕ぎ素閑飯蛸や桂の浜の汐けむり素閑こひ...飯蛸

  • 猟名残

    ルノー・日産のカルロス・ゴーン元会長の法的処遇に関して夜が喧しい。人質だとか果てや拘置所の環境が酷いとか・・・日本人の感覚からすれば、悪いことをしたらしょっ引いて、潔くお縄につけばよいと思うのが普通ではないか?それが冤罪だったり、政策的な逮捕だったら、それはそれで検察側が処断されればいい事である。法は曲げられない。そこにフランス政府が顔を出し文句を言っているのも滑稽だ。どこかの人治主義の国と日本は違う。きちんとしたルールと慣例と合理性に基づいた裁量によって司法行政は行われている。もちろん検察をはじめ司法を信頼しすぎるのも考え物だが、少なくとも日本の制度・法体系は国民の信頼・信託によって成り立っており、合理的に運用されている。ゴーン氏の今後は見守るしかないが、潔白であれば合理的にそれを証明してほしい。「大物」であ...猟名残

  • 麦踏

    どうも気分がすぐれない。とはいえ気分がすぐれないのは毎度のことだ。このような不安定な境遇にいては、気分がすぐれるほうがどうかしている。まあ当然の報いと言えば報いなので、甘んじてこの不快感は受け入れよう。しかし他の世の人は普段どんな気分でいるのかよく分からない。常に天に上ったかのような気持ちでいられる人もいるのだろうか?オカブが思うに、誰しも生きることの、世を渡ることの重荷を背負って、その辛さに耐えているのではないか?だからその苦悩と苦痛は誰もが等しく、多少の程度の差があるくらいのものだと推測している。気晴らしに何か打ち込めるものを持っている人はいい。しかし大半の人は苦渋に満ちた表情で背を丸めて生きているのではないか?麦踏める畑の端場五輪塔素閑山はまだ固く閉ざされ麦踏めり素閑枝のみがただ空に延び麦踏めり素閑ただ和...麦踏

  • 蓴生ふ

    顔は人を表すというが本当にその通りだと思う。もちろん「顔」とは目鼻立ちのことではない。人間のこれまでの生き様や人格、考え方などが言い表しようのない表情や面相に如実に表れていることを言う。その点、自分は実に貧相な底の浅い顔をしている。何も考えないで時に流され生きてきたからだと思う。目鼻立ちが整わない道具立てでも、実に立派な顔をしている人もいる。こういう人は経歴も人格も立派なのだろうな、と思ってしまう。これは男女を問わない。リンカーンの「男は40になったら自分の顔に責任を持て」と言う言葉は「男も女も」と訂正すべきだろう。ぬなわ生ふ和歌の師あらば雨に訪ふ素閑岸の路ぬなわ生ひたり仄暗し素閑行くならじぬなわ生ひたる池の端素閑蓴生ふ高徳の僧みまかりて素閑蓴生ふ水泡岸辺にあがりたり素閑蓴生ふ林の奥の古が池素閑水漬けし手を引っ...蓴生ふ

  • 春浅し

    因果応報と言う言葉があるがこれはまことにその通りである。原因があって結果がある。その双方にはそれなりの筋道がある。そして結果を作った原因は自分の責任なのだから反省せよということである。近年の自己責任論に近いものでもある。我々は須らく、毎日を原因の創成と結果の享受に明け暮らしている。良きこともあれば悪しきこともある。ただ常に結果は自分に返ってくることを頭に入れて緊張を持って過ごさないと、足元をすくわれる。なかなか楽ではないが、生きることとはそういうことである。蔓草の鋭き棘や春浅し素閑ポケットに手をいる画家や春浅し素閑水澄めど汲むものも無し浅き春素閑曙や浅き春をば始めけり素閑古妻と手を取り合って浅き春素閑石段に照る日の明かき春浅し素閑表にて泣く子の頬や春浅し素閑山里の川の木橋や春浅し素閑硝子窓開けてはみるや春浅し素...春浅し

  • 片栗の花

    ラーメンが好きだ。有名店に列を作って並んで食うラーメンではない。5パック幾らのスーパーで売っているインスタントラーメンだ。これを作るには湯を煮たたせ麺がほぐれたら生煮えのまま丼に盛って、長ネギをぶった切ったものを一本分、載せて食う。実に豪快だ。ラーメンを食っているのか葱をかじっているのか分からない。ラーメンと並んで葱も大好きだ。長ネギを生のまま一本、味噌をつけて齧ってみたい気もするが、これはまだやったことがない。こういうゲテモノと言うか、変わった食い物が好きだ。金はないが大抵の美味いものは食ったので、こういう悪趣味に走る。だがこれでいいと思っている。片栗の花の林の山霧や素閑はつゆりの足元の里人見えず素閑片栗の花揺らめけり葉風どき素閑かたかごの花や年増の姉御肌素閑竹籠をえて片栗の花を見し素閑片栗の花や山家の大鎌や...片栗の花

  • 春めく

    来年のことを言うと鬼が笑うというが、自身の行く末はどのようになってしまうかの不安はある。経済的な保障は何もない。資産と言っても雀の涙ほどだ。娘はまだ発展途上。かーたんは病身。オカブは全く稼げていない。こういう状況を救ってくれる社会制度みたいなものはないのだろうか?もう、どうにでもなれと自棄になるしかない。下流老人になるしかないのは分かっているし、もとより覚悟の上だ。しかし、そうは言っても飯は食わねばならぬ。その当てがまったくないのだ。困ったものだ。春めきぬ焼田にほのか虫のごと素閑春めくやピンクの衣装の娘さん素閑春めけり自転車音無く通り過ぎ素閑朝潮や春めく伊豆の瑠璃の海素閑春めくや小鯵の朝餉那須の宿素閑あけぼのと古人の語り春めくや素閑桟橋にテープ残りぬ春めくや素閑僧堂のしんと人なく春めけり素閑干潮の浜辺の貝や春め...春めく

  • ミモザ

    プロヴァンスに行きたい。夏に行きたい。観光地ではなく、誰も行かない田舎に行きたい。輝く太陽、碧色の空、しじまを破る噴水の音。そんな中で夢と現の中を行きつ戻りつして無聊に身を任せたい。贅沢な望みである。多くの日本の文人が古来より南仏プロヴァンスに憧れたが、まさに、その西欧にあっての異国性。何と言っていいのか分からないが、西欧に在って西欧ではないエキゾチシズムが人を惹きつける。豊かな風物。しかしそれはパリのような整然とした西欧の都会の文化ではない。十字軍の昔から異文化との接点を持った、ある種雑然とした環境である。太陽に照らされたプロヴァンス。魅力的である。日曜のミモザの咲ける垣の家素閑祝祷に散じる人やミモザ咲く素閑あざやけくミモザの如き胡姫みたり素閑寡婦の弾くショパンの雫ミモザ咲く素閑空鈍くミモザの微風染むる街素閑...ミモザ

  • 春の雨

    運は大切にしたい。人は必ず運と言うものを持っている。運に恵まれた人もいるしそうでない人もいる。しかし、そうでない人もいつかは運が巡ってくる。その運を捕まえて放さないことだ。しかし人の運の中で一番重要なのは人の運だ。何か判じ物のような表現だが、起業しようとする人、組織の中で生きる人、志を立てて何かをなそうという人・・・これらはほとんどすべての人に当てはまるのだが、そうした人に最も重要なのは優れた人、誠心の人、真実の人に巡り合える運だ。会社に入社して優れた上司に巡り合えるということは強運だ。それはどんな有名な人も羨む会社に入社できたかと言うことよりも重要だ。人の運に恵まれない人は、商売には向いていない。しかし自分が誠意を尽くしていれば人の運は巡ってくる。逆に不誠実な態度・行為を取り続ければ人の運は離れる。人は石垣人...春の雨

  • 雨水

    平均賃金を上げるためには雇用の流動化が必要との説がある。これには賛成だ。冗費、冗員が会社の業績を落とす。従って給料も上がらない。結局、悪循環で労働者の利益にもつながらない。会社という所は利潤を追求する「組織」ではあるが、同時に従業員同士の「共同体」でもある。仕事をしない社員でも、共同体にあっては「仲間」の一人である。どうしても切り難い。しかし、これでは会社はちと困る。会社は稼がなくてはならないし、利潤を追求する戦闘集団でなければならない。会社でのんべんだらりと暇を潰す、あるいは休んでばかりいる社員が増えては会社も立ちいかない。こういう社員には意識改革してもらうか、会社を去ってもらうしかない。それによって会社は稼ぎ、従業員の給与・賞与の原資も出来る。賃金も上がる。至って簡単な理屈である。追われた元社員は再挑戦でき...雨水

  • 余寒

    親しき中にも礼儀ありと言われる。その通りだと思う。家の中では妻のことを面白半分にけなしている。別に悪気はない。情愛なかばの悪口である。しかしかーたんはそれでひどく傷つくらしい。真剣になって言い返してくる。莫逆の友という言葉もある。しかし我々、夫婦の間では当てはまらない。マーク・トゥウェインが「女を擁護するのは簡単だ。しかし貶し、からかっていたほうがよほど面白い」という言葉を残している。フェミニストではないオカブはそれに大賛成だが、家の中では大人しくして、かーたんを大切にしよう。北向きの部屋の余寒や目板塀素閑採り尽くし葱の畑の余寒かな素閑星空に浮かぶ余寒や夢の里素閑方丈に座る無想の余寒かな素閑平らかに広がる大地余寒かな素閑臈たけたにょせうもくさめ余寒かな素閑すり硝子余寒の侘びしき光かな素閑人あまた駅のホームの余寒...余寒

  • 海苔

    北海道はニセコの土地がブームだという。外国人が手広く土地を買い漁って別荘やリゾート施設を建てているという。オカブがニセコに行ったのは、もう60年近く前だが、倶知安の何もない駅とイワオヌプリ、チセヌプリという山に登った記憶しかない。とにかく、60年前のニセコには何もなかったのだ。そこが賑わっているというのは、ご同慶の至りだが、ニセコの何がそんなにいいんだろう?中国人などの外国人にとっては、スキーをするのに北海道のパウダースノーは夢のような存在らしい。それで、彼らをニセコに惹き付ける。なぜニセコでなければいけないかは措いておいて、北海道の土地全体が外国人に買い漁られているという。安全保障上の問題もあり!という物騒な話もある。実際上、日本人が立ち入れい地域もあるという。まあ、穏便に済めばそれに越したことはない。おもゆ...海苔

  • 安吾忌

    中世を暗黒時代と呼んだのは誰だろうか?もちろん西欧の中世のことである。このことに関しては、多くの反論が歴史家などからなされている。この誤解は中世がローマンカトリック教会の呪縛によって雁字搦めにされ、まったく文化の不毛の時代だったという事実誤認からきている。しかし、実際には中世は豊かな文化が花開いていた。吟遊詩人や工匠詩人、恋の詩人。騎士文学。シモーネ・マルティーニらの画家。城塞・教会建築とそれにまつわる彫刻芸術。中世独自の音楽。果ては艶笑譚までありとあらゆる文化の宝庫だった。決して華やかな後代のルネサンスに劣るものではない。しかも、その文化はカトリック倫理に基づく画一的なものだけではなく、退廃的な芸術すら含まれていた。時間と能力と体力が残されていたなら、ヨーロッパ中世を研究してみたいという誘惑も起きないことはな...安吾忌

  • 武田家というと武田信玄の武田である。信玄が戦に滅法強かったので、その印象があまりに強いが、また武田家は画才に秀でた諸将を輩出したことでも知られている。信玄自身も『渡来天神図』など優れた作品を残している。また信玄の弟、逍遥軒信廉などは名品として知られる『武田信虎像』をものしている。戦国武将はただ戦が強い荒大名だけでは、国治も外政もままならなかったわけだ。武田信虎はご存知のように信玄を疎んじたため、信玄に放逐され京に上った。そこで足利義昭の同朋衆(お伽衆)として扶持を得る。信虎も近国を切り従えて相当な武将だったが、唯々諾々とこのような晩年を過ごしたのは興味深い。人間の運命は分からないものである。染まりゆく白き梅花よ朝の園素閑楼上のあふるる梅の迷える香素閑さらばへていずれかぐはし梅の花素閑かそけくも梅一輪に月の出や素...梅

  • スポーツが嫌いだ。スポーツが嫌いと言うよりスポーツが苦手だ。音楽も苦手だ。こう言うとなんだが、オカブは時間に密接に結びついた物事が大の苦手だ。だから、スポーツのテンポに乗った動作や、絶妙のタイミングでのシュートやパスなど全く別の世界だ。音楽もまた、リズムがまったく取れない。静的なものしかできないのである。どうしたものか?そこで、オカブは時間とあまりかかわりのない登山という「スポーツ」を選んだ。これは、非常に楽だった。一面で体力的には苦行に近いものもあったが。しかし最近では「登山」の一分野のクライミングでは一秒を競う競技が行われている。多くの人があれは「登山」とは見做さないが、なんとなく釈然としない。そこで登山もやめて、家に引きこもっている。なんとも扱いようのない爺である。うそなくや暮れるまでなけなき告げよ素閑こ...鷽

  • 猫柳

    どうもこの世に期待しすぎるのは考え物のようだ。それこそ「地に働けば角が立つ、情に掉させば流される」である。世の中とはそんなものである。それを、あたかもこの世は理想主義の天国であるべきだ、あるいは理想主義を実現しなければならない、と考えている向きがあるようだ。しかし、そんなところは無い。あったとしたら、そんなに住みにくいところは無いだろう。でも、本気で考えているのかどうか知らないが、その理屈を力で圧してくるから、ありとあらゆるところで軋轢が生じる。それは家庭や学校などの身近なところから、国会などの政治、国家間の国際関係など多岐にわたっている(会社はさすがに金を儲けるためには汚いこともしなければならないという現実主義が染みわたっているから、そんなことは少ない)。そこで連中は美辞麗句のお題目を並べ立て、理想主義を振り...猫柳

  • 山焼く

    北に行けば寒くなる。南に行けば暑くなる。北半球の常識だ。しかし最近その理屈が通用しなくなっている。北の果ての北海道が夏に極端に暑くなっている。それに対して南の沖縄はそれほどでもなく、夏が北海道より涼しくなっている時もある。異常な現象だ。エルニーニョのなせる業か、はたまた地球温暖化の結果か?しかし京都議定書の話題・議論はどこに行ってしまったのでしょうねえ?山焼けり遠き紅蓮の幻か素閑老荘も知らねどつとに山焼けり素閑ほの白く雨もけぶるや山焼けり素閑田の向こふ常念の前山を焼く素閑山焼くや野辺の仏の煙かな素閑山焼くや江戸より望む奥相模素閑山焼くや炮烙の豆煙りあげ素閑青き空木造校舎に山焼けり素閑トンネルを出ると山焼く煙かな素閑剛たるや山火の燃ゆる巌の鼻素閑山焼くや白き仙女の化身かな素閑俳句・短歌ランキング山焼く

  • 薄氷

    浪費は良くないと分かっている。散在したくとも、元手がないのでできない。しかし、わずかなものでも手許にあると使ってしまう。人間の本性である。どうしても、やってはいけないと分かっていてもやってしまう。中毒のようなものである。オカブはギャンブルは絶対にやらないが、パチンコにはまる人の気持ちも分からないではない。あれは一度はまると、絶対に抜け出せないだろう。だからやらない。やらなくても貧乏から抜け出せない。稼ぎがないくせに浪費していれば当たり前である。しほの香はうすらひはれる里までも素閑薄氷ともに旅するみちのく路素閑山里にほのか日の照る薄氷素閑子の帰り待ちて夕餉か薄氷素閑窓の辺に鈍き明かりや薄氷素閑村はずれ祖霊も眠り薄氷素閑野の仏供える陶片薄氷素閑薄氷とにも出にくくひとり酒素閑峠道逆修の塔に薄氷素閑うすらいに梅のこぼる...薄氷

  • 春泥

    「MBA」といういわゆる資格がある。実は「資格」でもなんでもなく米国の大学の「経営学修士」という単なる学位なのだが、一時、企業幹部になるには、この学位が必須と言われていた。しかしスティーブ・ジョブスも、ビル・ゲイツも、ザッカーバーグもこの学位を持っていない。数十年前になるが、オカブが漠然とアメリカン・ドリームに憧れて、米国留学しMBAを取りたいなどと夢想していたころ、取引先の米企業の幹部から、MBAの学位は金融にしか役に立たないからやめておけ、と言われた。確かに、その通りだ。現実のビジネスで成功する、特に起業に成功するには、経営大学院に行くよりも、ドア・ツー・ドアのセールスで汗をかいたり、プログラミングを必死に勉強したりするほうがよほど役に立つ。まあ、何事にも王道はないということだ。春泥に傘と菜の束市の路素閑と...春泥

  • 京菜

    もう、既に何回もご紹介した。しかし今年もこの季節がやってきた。京菜である。我が家にとっては、これを食って初めて春が訪れを告げる。調理は簡単である。大量の京菜(一束)を洗ってザクザク切って、豚肉とともに割り下で鍋で煮る。生煮えのところをバリバリ喰う。春の精気をもろに喰らっているかのようだ。これも何回も申し上げたが、この料理はサントリー・ローヤルの広告に「すき焼き」として掲載されていたものである。昔は広告・宣伝でも乙なものがあったものである。ありありと京菜の煮ゆる益子鍋素閑先のこと思ふも疎し京菜煮る素閑井の水をざぶりと洗う京菜かな素閑新たなる季節を喰えり京菜鍋素閑三日月に京菜の映ゆる今日の宵素閑京菜切る二寸のまな板あふれけり素閑初京菜青くすぐれて貴しや素閑初京菜雨に小雪の混じりたる素閑煮もうせど生にて喰えり京菜かな...京菜

  • 冴え返る

    「LGBT」という言葉を目にすることが多い。レズ・ゲイ・バイ・トランスの略だそうだ。いわゆる性的「マイノリティー」のことを言う。「マイノリティー」に関する認識や論説の現代的意味や、LGBTにまつわる活動家たち、および社会現象などは措いておく。しかし、性的の同一に関する「倒錯」は今に始まったことではない。リルケはドイツの詩人だが、名は「ライナー・マリア・リルケ」。男性の名前ではない。両親が生まれてから、かなり成長するまで女の子として育てたからだ。しかし、詩人自身は両親の性的に特異な育児観にも拘らず、ゲイにもトランスにもならず、『マルテへの手紙』にみられるように女性を愛する男性に成長した。ある研究によると、人間は多少の差はあるが、すべて同性愛的要素を持っているらしい。性同一性障害を除いて、別に新奇な「LGBT」とい...冴え返る

  • 針供養

    キリスト教と仏教に接点があるやなしやと聞かれたら曰く「ある」が正しい。ガンダーラ仏には厩で誕生した釈尊の像などがあることから、キリスト生誕の聖書の挿話が仏教にも影響したという話があるが、ここは、そんな歴史的な話ではなく、今現在進行中のトピックスである。しかも他宗教交流などといった微温的なものではなく、キリスト教神学の中枢に仏教宗教思想を採用しようという(あるいは既にしている)という事実がある。オカブもついこの間まで、キリスト教と仏教は水と油だと思っていた。しかし、キリスト教前衛の自由主義神学に基づくと、仏教思想はキリスト教的に有りで、キリスト教はそれを採用すべきだとする説が堂々と唱えられているそうだ。これを聞いたとき保守的なキリスト教思想に基づく信仰を持っていたオカブは魂消た!そして即、それは違うだろう、と思っ...針供養

  • 二月

    二月も駆け足で過ぎていく。今年は平成最後の年だそうだが(平成三十一年と言うのはあるのだろうか?)どうも、そんな大ごととは思えない。むしろ今日・明日食っていくのに必死だ。なんとか一週間過ぎるとほっとする。結構、ユーガにやっているだろう、という向きには分からないかもしれないが、台所事情は火の車だ。今期も会社は赤字を避けられない。どうしたものだろうか?もう会社も畳もうと考えたことも何度もだ。まったくアベノミクスの恩恵を受けていない。本当に助けてよ、と言いたい!日の光煙りにまぎれ二月かな素閑たゆたへど二月の月の尖りしか素閑朝日にも暖かさ増す二月かな素閑朝湯入り草のかほりや二月かな素閑骨のごと二月の枝に土ぼこり素閑かほりなし二月に花を待ちぬるも素閑大利根にこれ見る二月赤城かな素閑道祖神二月の陽にぞ染まりけむ素閑狼煙あぐ二...二月

  • 春の雪

    昔、壜をモチーフに執拗に描き続ける日本の画家がいた。そんなに有名な画家ではない。しかしマイナーではない。昔と言っても50年足らずだが、美術手帖にグラビアと活版の特集が掲載されていた。一升瓶を特に気に入って、描いていた。一升瓶は「チンポコ」と、その画家は言う。成程、そんな興味や関心が画家の創作意欲を掻き立てるのかと、絵心の無いオカブは思った。抽象でもない、具象でもない、ただただ壜をモデルにした淡いマティエールの作品群になぜか惹かれた。それが証拠に、掲載誌もとうの昔にどこかに処分した今でも鮮明に覚えていて、その画家のことが忘れられない。名前も覚えていないが、気に入っている。「名画」でなくとも「名画」は身近にたくさんある。今度、銀座の画廊にでも行ってみようかと思っている。春の雪傘なく衣装に降りにけり素閑淡雪や百万遍の...春の雪

  • 公魚

    税務署からお呼びがかかった。脱税をしたわけではない。3年にわたって申告書に誤りがあったので訂正せよとのお達しだ。面倒くさいがお上の言うことなので従うしかない。しかし、日本のお役所はこういう素人にも丁寧に付き合って、親切に何くれと教えてくれるところはありがたい。オカブは一応経営者なのだが、税法だ、申告書の書き方だのなんのことやらチンプンカンプンで、さっぱり分からない。税理士を雇う金はない。ネットで知識を仕入れ、税務署のお役人に教えを請うて、なんとか毎年、申告を済ませている。するとお役人は懇切に指導してくれる。時には払わなくていい税金のことも指摘してくれる。これは日本の行政の長所だ。尤も短所もあるが。いずれにしても春はもうすぐである。わかさぎや沈める湖のものがたり素閑わかさぎや広大無辺の平野かな素閑風雪もわかさぎに...公魚

  • 立春

    どうも手許不如意である。もともと稼いでいないので、そんなことに期待することが意味のない事なのだが、それでも「おあし」はあったほうが良い。ちょっとしたものも買いたくても買えないし、ちょっとしたものも食いたくても食えない。まあ、銭金のことには、もともと、あまり頓着がないので、これで済んでいる。我が家はかーたんも含め至って貧乏性だ。ある人が「貧乏を楽しめ」と言ったのを聞いたことがある。竹中平蔵ではない。普通の市井の人である。いくら頑張った所で金が転がり込んでくるわけはないので、この言葉は気に入っている。貧乏であるからこそスーパーの値引き品も堂々と買えるし、古着のコーディネートも楽しめる。貧乏も捨てたものではない。だから格差格差と無暗矢鱈、喚くのは大嫌いだ。貧困は辛いが、貧富の差がなくなったら、却って社会の規律が保てな...立春

  • 春待つ

    ~の乱とか~の蜂起とかは、どうして起こったのだろう?それは情報の伝達の手段があったからで、首謀者が同志を糾合し、民衆を扇動して、それを組織し起こったものであろう。「情報の伝達」は言語、文字が不可欠である。そして、大規模な騒乱には、結構、高度な情報技術・・・もちろん、いわゆるITと言ったものではない。当時は電気もなかったのだ。現代の情報技術の発展は、言語、文字の枠を超え、凄まじいものがある。だから、現代は情報技術の発展に伴ってに、さらに不安定化し緊張が高まるであろう。と、まぁ、アラブの春を予測したかのようなことを、50年近く前の高校生の頃考えていた。ガキの妄想ではあったが、インターネットの発達によりそれに近いことが今起こっている。自分の感覚もあながち馬鹿にするものではない。甲斐駒のかたちもやすき春を待つ素閑門ごと...春待つ

  • 探梅

    昔、勤めていた会社の社長が「論理的な狂気」で仕事をやれ、とのたまったのを聞いた。その会社は、今にも潰れそうな外資系のベンチャー企業で、売り上げの確保が急務だった。それにも関わらず、営業はまったく危機感がなく、のんべんだらりと一日の大半を会社の社内で過ごしていた別に営業だけが悪いわけではなく、会社全体が沈滞と諦めムードに満ちていた。そんな状況に喝を入れようと社長は冒頭の言葉を吐いたと思われるが、この社長自身が、折あらばこんな会社からスピンアウトしようという魂胆だった。これでは、やる気のある社員は救われない。しかし「論理的な狂気」というフレーズは気に入った。人間、何事も理屈だけでは通らない世界がある。理詰めで行けば駄目なことでも、時には推さねばならないこともある。商行為も同列である。しかし、そこにはそれなりの筋道が...探梅

  • 日脚伸ぶ

    かーたんの誕生日は2月11日で毎年その日に祝い事をしたいのだが、なかなか内外の都合がつかなくて、その前後に誕生会をすることになる。誕生会と言っても、かーたんとオカブの二人だけの祝いだが、今年は張り込んだ。金曜日のランチに銀座の『ハプスブルク・ファイルフェン』に行ってきた。ウィーン料理である。高級である。ウィーン料理は高級になればなるほどフレンチと見分けがつかなくなる。ここもその手の料理で、シュニッツェルやターフェルシュピッツは普通はない。ただ、今回はかーたんの希望として、特別にシュニッツェルを出してもらった。料理は総じて美味かった。何か分からんがとにかく食ってきた。セクト(オーストリアのスパークリング・ワイン)も空けた。かーたんは抗がん剤の副作用で体が辛く、美味く良い思いをしたのはオカブだけだったかもしれない。...日脚伸ぶ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オカブさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オカブさん
ブログタイトル
昼のガスパール・オカブ日記
フォロー
昼のガスパール・オカブ日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用