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2014/10/09

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  • 「地域活動、設立20周年」

    2005年、平成17年4月に設立された我が住む地区の社会福祉協議会。法人格を持たない、営利を求めない、高齢者に優しい町づくり、など数々の理想を掲げて、反対勢力を説き伏せてスタートしたのをはっきりと思い出す。「自治会連合会があるのだから、福祉協議会など必要ない。必要なら自治会活動の範囲を広げればいい」などの頑固な反対派と賛成派が対峙する地区社協設立委員会。その議長を仰せつかったのは若干?62歳の春だった。自治会長や地元有志を一堂に集めた会合は「今夜はどうしても設立に向かう方向で」という密約とまでは行かないが、地元有志の懇願を背負わされた議長職であった。なんでそんな大役をあの若さで仰せつかったのか。それほど人材に貧した地区だったのだろう。その翌年何とか船出をして20年の歳月が流れた。地域住民に支えられ、この2...「地域活動、設立20周年」

  • 「ちょっと、興奮」

    昨日2月20日、待ちに待った「NHK新BS日本のうた」という人気番組の収録を一般公開するステージを観てきた。演歌大好き人間にとってはたまらないご機嫌な100分であった。坂本冬美・鳥羽一郎・夏川りみ・竹島宏・辰巳ゆうと・一条寛太・STUフォーテイエイトなど、総勢11組のメンバーが29曲を熱唱。1000人収容できる広くて高~い天井の素晴らしい音響の中で、腹の底に響くような歌声を聞かせてくれた。あの音響にあのマイクのボリュームで、好きな歌を思いっきり歌ったら、いったいどんな気持ちんなるんじゃろうか、味わってみたくなる。さぞかし気持ちいいだろうねぇ・・・。申込の抽選倍率はなんと13倍ということで、改めて今回ばかりは運の良さを喜んでいる。しかも座席がまたラッキーで、前から14列目、顔立ちも分かる位置。しかもステージ...「ちょっと、興奮」

  • 「癒しの長電話」

    昨日は国立医療センターで定期検診、今日は医師会医療センターで点滴。二日にわたって半日を病院通いに費やす忙しさ。そうやって何とか健康イチバンを保たせてもらっていることを思えば、待たされるだの、病院にかかるトータル時間がもったいないなどと大口は叩かれない。と分かっちゃいても時々横着を言う。やっとの思いで点滴を済ませて帰ったらカミさんは電話中。相手は私の妹で義理の姉妹が長い長いお話中。内容は、妹の旦那が心臓の血流を促す治療で、8時間に及ぶ大手術をした。手術室から出てくまでの気持ちの揺らぎや、最悪をも覚悟した様子などを、私の代理として長々と妹の話しを聞いている。幸いにも二人は同い年で、近ごろの旦那の好・不調はお互いの共通の苦労話。なかなか終わりそうにはない。病院帰りで「オイ、コーヒー」と言いたいところだが、話の内...「癒しの長電話」

  • 「月曜日の病院」

    手術後9か月目の定期検診で、月曜日の今日11:00の予約で、岩国では最も大きな部類に入る国立病院機構岩国医療センターに出かけた。どっこの病院も同様に月曜日は患者の数が多い。待たされそうだな~というイヤな予感が、入り口ドアから一歩足を踏み入れたとたんに的中。カウンターフロアがある2回ロビーは長蛇の列。10時半を回っている時間帯という不運もあって、診察を終えて書類を手に持った計算受付に並ぶ人。もう一塊の団体は、計算受付を済ませて支払い窓口から呼ばれるのを待つ人の群れである。なんであんなに時間がかかるのだろう。この人工頭脳万能な時代、しかもそういった先端技術の宝庫でもあるべき大病院のフロントが、待たせることは自然の理とでもいうように待たせる。具合が悪くて病院に来た患者を、一刻も早く我が家に戻らせるのが責務ではな...「月曜日の病院」

  • 「花のいのちは」

    今を盛りに深紅を誇る花もある。あれ~っという間に、吹き来る風のいたずらに、蜜を求めるヒヨドリのいたずらに、心ならずも散りゆく花もある。まさに花の命は短くて・・・などと柄にもなく、庭に散る花に少しの同情を贈ってみたくなる。この三日間ちょっと忙しすぎたからお疲れなのかもね。というか、冬枯れてまだらになった芝生に彩りを添える紅い花びら。枯れ落ちても粋を見せてくるじゃないか。そしてふと目を上げれば、まだまだ散ってなるものか、「今が旬よ!」とばかりに小枝をしならせるようなさざんか。花はいいね~。散り果てるからもっと深くいとおしい。そしてまた時節が来ればまた花は咲く。能登半島の人たちに贈りたい。ウクライナの人にもガザで苦しむ人達にも、一瞬の安らぎになる花を贈りたい。本当のところは花よりもパンがいい、暖かい飲み物がいい...「花のいのちは」

  • 「かわいい招待状」

    地域にある二つの小学校の一つから一通の封書が届いた。小学3年生K君と名前が書かれている。封を開けると、便箋1枚とA-4版プリント2枚が出てきた。便箋には、一生懸命丁寧に正確に時間をかけて書き上げたのであろう、ご招待の案内文であった。右肩には、私の名前の最初の一字が漢字で次からはじらがな。そして最後の一字が漢字となっている。なるほど、ひらがなの部分は難しい漢字が使われているので小学3年生には習っていない領域である。内容は、「お元気ですか。ぼくたち三年生は、いつもお世話になっている地域のみなさんに感謝の気持ちを伝える会を開きたいと思います。・・・」後略。丁寧な案内の趣旨が書かれて、最後は「きっと楽しい会になると思います、ぜひ来てください」で締めくくられている。もちろん3年生の招待状なので、漢字の部分もほとんど...「かわいい招待状」

  • 「年次総会」

    地元自治会連合会のG・ゴルフ大会1年に1度開催される「岩国グラウンド・ゴルフ協会、総会」に出席した。たとえ小さな団地の小さなG・ゴルフ同好会でも、一応岩国の協会には所属している。協会に所属すれば、当然ながら氏名を登録して年会費を収める仕組みになっている。登録したメンバーだけが公式大会の参加資格を得る。ほかに山口G・ゴルフ協会、そして日本G・ゴルフ協会とそれぞれ段階がある。それぞれに所属するためには別途登録料を納めて、会員の権利を得る。たとえば、大会において8ホールを1周する中で3本のホールインワンを入れたら「ダイヤモンド賞」として日本G・ゴルフ協会の会誌に名前が記録される。そんな場合、日本G・ゴルフ協会に入っていないと、ダイヤモンド賞を達成しても、トータルスコアに影響するだけで、名誉の対象に扱ってはもらえ...「年次総会」

  • 「延命地蔵尊ご縁日」

    2月11日、建国記念日は、国民の祝日として玄関に国旗を立てるくらいのことで、特にこの日を祝う集会に参加するといった行動は起こしたことがない。それよりもこの日は、ずいぶん前から延命地蔵尊ご縁日とのご縁を頂いて、ここ数年お参りに出かけるのが通例となっている。岩国市街地から約20㎞ばかりの山あいにあるこのお寺は、京都に本山を持つ黄檗宗「通化寺(つうけいじ)」という。徳川幕府による長州征伐の折、芸州口の戦いを左右する長州軍遊撃隊の屯所として使用された。そんな歴史と広大な寺領を有した古刹である。雪舟作と言われる「心字池」もしつらえられていて、本来なら参拝者が後を絶たないはずなのだが、時の流れとともに紆余曲折があって、今は訪れる人とてない寂れたお寺となっている。聞くところによると、檀家さんも極めて少なく、高齢の人が中...「延命地蔵尊ご縁日」

  • 「寒さに耐えて」

    家庭菜園に毛が生えたような畑で、この寒さに耐え、必死に上を向いて真っ白い花を咲かせようとがんばっているのは、11月初めに植えた、スナップエンドウとグリンピースである。成長の弦を巻きつけるネットは、木枯らしにも春の嵐にもビクともしない頑丈なおろぎを立てた。ところが、食べ物が底をつくこの季節、食欲旺盛なヒヨにとっては何でもエサにする。弦を巻きつけさせるネットは約10cmの四辺形で割と広い。それをいいことに、どうかするとネットを足場に、豆の新芽をついばみおる。仕方ない、網目の小さい防鳥ネットで豆の木全体をバッサリ覆ってしまう。やっとこさヒヨ対策をしたら、今度は大寒波の今年は寒さにやられてしもやけを起こしている。ただ、弦巻きネットや防鳥ネットのお陰で幾分か雪や霜対策にはなっているようだ。そうやって、野鳥のエサにも...「寒さに耐えて」

  • 「くじらびと」

    少し古い話になるが、2021年に制作されたドキュメンタリー映画「くじらびと」(監督石川梵)を鑑賞するチャンスを得て、今日午後岩国市民文化会館で鑑賞した。岩国ユネスコ協会創立60周年記念として催されたもので、たまたま協会長さんと顔なじみのご縁で、珍しく映画鑑賞に出かけたというお話。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)とは、今さら私など不勉強な者が申し上げるまでもなく、先刻ご承知のこととは思いながら、会場で頂いた数々の資料に目を通す中で、私なりに少し感じたことをおさらいしておきたいと思ってここに記すことをお許しいただきたい。ユネスコとは、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じた国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関のことを言う。と書かれている。ということは、現在の世界情勢は、至る所多くの...「くじらびと」

  • 「梅枝」

    『東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ』古典の入り口1丁目1番地のような詩である。そんな匂い起こした梅の一枝を手折って何と呼ぶか。「梅枝」と書かれる。うめのえだでは能がなさすぎる。「ばいし」これは有りかも知れないなと思う反面、関西落語会一問の新弟子の名前を連想させて、ちょっと夢がしぼむ。これを「うめがえ」と読むと一気に古典の匂いがしてくる。奥深い万葉の宮中人の感性が伺い知れて心地よくなる、などと言えばちょっと大げさな気もしないでもない。思い起こせばこのうめがえと言う言葉は、私たちの身近なところで息づいている。かつておふくろが元気だったころ、4歳下の妹と一緒にいると「岩国の金さん銀さん」と呼ばれたことがあった。この二人が好んで出かけたのが、岩国のもみじ谷公園にある梅枝薬師さん(うめがえやくし)と...「梅枝」

  • 「哀しきかな 恋心」

    ❝人の恋路を邪魔する奴は窓の月さえ憎らしい❞❝沖のカモメに深酒させて主と朝寝がしてみたい❞ひとそれぞれに一度や二度は経験されたであろう、人を恋する真剣な悩ましさ。一度や二度どころか10指にあまるお方もおられるかも。まさしく『恋は盲目』。この言葉には年齢制限もなく、理性も金銭感覚も麻痺させてしまう魔力、魔が差すという不思議が付いて回るようだ。注ぎ込む財産などないからいいようなものだが、幾つになろうと新たな出会い、新たな恋愛感情には理性と言う歯止めもブレーキも利かないというお話。その代償としてもあまりにも犠牲が大きい。その犠牲が大きければ大きいほど世の中のワル達が雄たけび挙げて喜んでいることを想像すると、その喜びになんとも腹が立つのである。絵に描いた餅が今にも転がり出て、思いもかけない大金持ちになれるような甘...「哀しきかな恋心」

  • 「淡い雪化粧」

    薄化粧も薄化粧、白粉をケチったんじゃないの?と言いたくなるほどのウッスラ初雪。豪雪地帯の人には叱られそうな話題で申し訳ないですが、この冬一番の低温注意報の中での初雪がこの程度の地方に住まわせてもらっている。たったこれほどの雪でも、朝の通勤ラッシュは倍近く時間をかけていた昔を思い出す。もっとも、現役のころは雪ももっともっと降っていたような気がする。地球温暖化と言う魔物は、人の迷惑顧みず姿も見せずに神出鬼没。暑い夏には更に地球の温度を上げて人の命を簡単に奪う。あれだけ温度を上げるエネルギーを持っているのだから、列島が凍り付くような低温を退治してくれりゃいいのに。物流の敵である大雪を減らしてくれたらいいのに。寒さの冬は益々低温をもたらす。そんな魔物に対抗するために、世界が知恵を絞って地球温暖化対策に取り組もうと...「淡い雪化粧」

  • 「こいつぁ春から・・・」

    節分の翌日、「立春」を2月3日に迎えた今日。1枚の葉書が届いた。「入場整理券」(1枚2人様)・・・・・・売買禁止と書かれている。差出人はNHK山口放送局。その下に新BS日本のうたのロゴが載っている。当ったのよ!!NHKBSで日曜午後7時30分~8時59分の長時間歌謡番組が、山口県下松(くだまつ)市で公開録画する。その視聴者募集に応募していた。昨夜のこと、2月20日のことを今までなんとも言って来ないんだからハズレだわ、と夫婦で話したばかりであった。半ばというかほとんどあきらめていた。昨年12月最初の大安吉日を選んで、パソコンの応募要項に丁寧に記入して送信したのだった。坂本冬美だの鳥羽一郎、それに竹島宏など錚々たるメンバーが揃うNHKの番組。倍率が高いことを予想して、今年の運試し的な応募であった。こんなことも...「こいつぁ春から・・・」

  • 「痛快丸かじり」

    2月の別称数ある中で、最もわかりやすかったのが「梅見月」であったような。文字通り2月はウメがほころび芳香を放つ季節である。我が家の玄関先にある八重の白梅も今や遅しと、ほころぶ時季を待つように、つぼみを膨らませている。例年より1日早い節分。冬から春への季節を分かつ日と言われるが、今年の場合は季節の分かれ目が近いとは思えないほどの大雪に見舞われている。同じ岩国市内でも、海岸線に沿う我が家周辺は雪ではなく雨であったが、少し山間部に入ると重い雪が降り続き、電線切断などで停電となったりしている。娘の嫁ぎ先など雪に閉ざされているという。昨日里帰りしたまではよかったが、帰りはひどい渋滞となったため、周南市方面まで遠回りしてやっと帰り着いたと話していた。相変わらず食い意地の張っている食欲旺盛爺にとって、節分の楽しみといえ...「痛快丸かじり」

  • 「雨の如月ついたち」

    雨だれ受けの大火鉢を叩く雨久しぶりのまとまった雨を喜ぶ畑長い間降らなかった雨。雨音を聞くのも久しぶりなら、小鳥たちや野良猫の水飲み場となっている、雨だれ受けの大火鉢に溢れる雨水を見るのはほんと、久し振りである。人間も畑も小鳥もノラもみんなを喜ばせる如月ついたちの雨、ええね~。いつものことながら、あっという間に睦月が往き、節分、立春と耳には春近しが聞こえてくる如月ではあるが、本当は最も温度が下がる寒い時季である。インフルやコロナ対策にお出かけにはマスクのスペア持参、そんな季節でもある。その昔、2月の異名「如月」が「きさらぎ」と読めなくて、「どげつ」かなとか迷った挙句苦し紛れに「にょげつ」と読んだ。幸いなことに顔がつながっていた大学教授から「実はね、如月は中国の2月の異名「にょげつ」が日本に渡ってきてそのまま...「雨の如月ついたち」

  • 「睦月つごもり」

    「あ~あ」と思うのか「やり切ったぜ」と思うのか、「もう一つだったね~」と思うのか、人それぞれに色んな1月が往った。まさに足早とはこんな季節の流れを言うのに違いない。お正月の里帰り接待や、接待のない家では自分たちを接待するために旅行に出かけたり、遠くの神社に初詣に出かけることで正月がすぎてしまう。そんなこんなで正月をやり過ごし、ふと我に返って正月のバタバタで手抜きになった家事を取り戻すべく努力する。それに疲れてひと休みするころには成人式という月半ばになっている。1月には1月中にやらなければならないことがある。星まつり表を見て「今年は凶年だ」とばかりにお祓いに神社詣で。我が家では、通院の予約を忘れんように、スマホ予定欄に目を通しながら互いに車の使用を確認し合う。小学校の応援と言う地域活動も1月からガッツリ組ま...「睦月つごもり」

  • 「春めく」

    少し早いかなと思いながら使っている「春めく」という言葉。今日まとめて届けられた各種案内状を目にするとき、自分の中で最初に頭に浮かんだ春の近さを実感させる言葉。それが「春めく」である。各種案内その1、最も早いのが2月12日(水)。Iグラウンドゴルフ定期総会、昼下がりの約2時間程度。〃その2、3月13日(木)Iグラウンドゴルフ協会、〇〇大会Y河川敷運動公園9:~14:。〃その3、4月5日(土)I工場定年退職者の会、お花見歩こう会、9時集合15時解散。〃その4、4月12日(土)Yグラウンドゴルフ協会△△大会y運動公園。ゴルフ協会の総会を除いては春風の中、アウトドア―で普段鍛えた腕を競う協議会や、永年の仲間として共に頑張った友と交わす旨酒。全てに参加したい。そのためにはゴルフは練習しておかないと。歩こう会は体調万...「春めく」

  • 「復活の予感」

    少なくとも5年、どうかすると6年くらい無沙汰が続いた、名付けて「美男美女の会」略して「美々の会」。名前からしてあまり謙虚なタイプの集まりではないのが伺い知れる。元同じ釜の飯を食って某製紙会社岩国工場を支えた、と本人たちは思っているちょっと厚かましい会でもある。厚かましかろうが謙虚さに欠けようが、それぞれの職場で持ち場で、間違いなく大切なポジションを経験した強者の男子4人と女子5人。今日はこれだけしか集まらなかったが、他に数人の男子が名を連ねる気の置けない仲よし会である。久しぶりの招集なので「どんな内容にしよう?」という相談を受けていた。ご無沙汰以前は間違いなく夜の会であった。が、皆さんご高齢の仲間入り、そろそろ宗旨を変えて昼間の招集にしようと。「先ずは久しぶりの集いなので昼食会」とし、アルコールは個人の判...「復活の予感」

  • 「静かなスタート」

    静謐(せいひつ)一人では生きて行くのが難しいと感じた82歳の一年間であったような、昨日まで。口では今までと何一つ変わらず、夫唱婦随を通して来たし、今日からもこのまんまで行くのだ、と自分に言い聞かせてはいるつもりなのだが、新たな病気診察や医師の注意事項の早口説明には、一人では付いて行けていないものを感じる時がある。どんな説明だったのか、どんな指示を出されたのか、後で復習するときにこの耳とババ殿の耳とでは大きな開きがあったりする。それでもオレが所帯主で、遠く深い思考と判断力は、経験の深さが違う。などと、別に威張るわけではないがその立場を続けさせてもらっている場合もある。飽くまでも「そんな場合もある」であって、いつもかつもそうばかりではないこともある。少しずつ自信喪失が押し寄せているというのが現実かも。それにし...「静かなスタート」

  • 「一区切り」

    若い時にタバコを吸っていたころ、紙巻タバコを6・7分目吸ったらもみ消して間もなく新しいタバコに火を点けていた。給料日前になると段々タバコ代まで逼迫してきた。そんな時、ホンのちょっと一服するだけなら紙タバコでなくていいんじゃないか、などとケチな知恵を絞ったことを思い出している。一息か二息軽くニコチンを吸い込んで気持ちが休まるのなら、年老いた伯父がたしなんでいた「きざみタバコ」で十分じゃないかと思い立って、古びた銀ギセルを見つけ出しきざみタバコを吸っていた。ホンの一息、いまそんな心境である。もし今もタバコを吸っていたら、おそらく銀ギセルを探し出して、きざみタバコを詰め、着火マンで火を点けているのかもしれない。あいにく、タバコを辞めて22年になる。ホンの一息もミカンを相手じゃね~。何がホンの一息なの?昨年の1月...「一区切り」

  • 「市民活動カフェ 2025」

    何年振りだろうか「市民活動カフェ」に出かけた。岩国市の中央公民館を拠点として活躍するボランティア団体や、グループで立ち上げた独自の活動を紹介しPRするという、1年に1度の大切な発表会である。市民活動支援センターが音頭を取り、会場を設定し、各グループがそれぞれのブースを設けて、それぞれの活動に興味を持つ人を誘い込み、活動の輪を広げようといった意味を持っている。もちろん音楽活動などもその仲間であり、大切な発表の場でもある。コロナ禍以前のタウンリポーター活動華やかりし頃は、ほぼ毎年出かけてはその年の目を引く活動や、努力の跡が伺えるグループを取り上げ、新聞紙上に載せ、それぞれの活動に光を当てる応援団の役割を担った者としては、全体的な活動の盛衰や個別活動の数の動向も気になるところである。そこは、支援センター職員皆さ...「市民活動カフェ2025」

  • 「No1・・」

    ❝ァメリカンファースト❞❝ァメリカンナンバー1❞とリーダーが叫ぶ。熱狂的な支持者は半狂乱でUSA・USA・USAと息もつかずに連呼する。そんな自らの声と支援者の声に押されて、これまでの大国アメリカの全てを否定するかのような、自身が考える大統領令にサインする。そしたらそれがアメリカ合衆国の大義となって世界に発せられる。国境を接するメキシコに対してもカナダに対しても、アメリカの利益に反する行為の全てが敵対行為と見なされる。文句があれば云ってみろとは言わない。従わなければ自国製品をアメリカに輸出する物品全てに、これまでにはなかった関税を課せ、アメリカ国内での価格を引き上げなければならなくして販売能力を下げる。そうしておいて自国の製品の販路を確保しアメリカ人を守る。何が何でもアメリカ第一主義と言う横暴。どこまで通...「No1・・」

  • 「返信の要る郵便物」

    昨日は郵便事情で少しいい思いをさせてもらった話をした。続いて今日も郵便にまつわる話である。郵政省という親方日の丸時代から、企業体へと民営化されて久しい郵便事業の回し者ではありません。ただ一つ、日本郵船という昔から耳に馴染んだ株価がえらい暴落している。余ったお金があれば「買い」なのだろうけど、惜しいかな資金がない。そんな話じゃなく、今日は珍しく郵便物が5通も届けられた。いつものけたたましいバイク音が間違いなく我が家にも止まり、慌ただしく走るように配達員さんがポストに投げ込んでまた慌ただしく隣に行った。お昼前と言う早い時間は珍しい。どうかすると日の暮れ時分にようやく葉書1枚が届くこともある。届けられた内容は、これまた珍しくレターパックが1通、Aー4版封書2通、普通の封書と葉書がそれぞれ1通。中でも間違いなく返...「返信の要る郵便物」

  • 「お目こぼし」

    遠くに住む友から電話があった。「〇〇ちゃん、あなたからもらった年賀状で切手シートが当たったよ!有難う。ところで私が出したのは当たってなかった?」と言う。「エッそうなの、当選発表はいつだったの?」などのやり取りがあって、まあダメで元々、パソコンで当選番号をチェックして、いざ照らし合わせ。そう云えば、大晦日の昼に発表があった年末ジャンボ宝くじも、神棚に挙げたまま年が明けてからゆっくり丁寧に、慎重にチェックしたのを思い出した。何故発表と同時に飛びついてチェックしないのか。それほどガサついても仕方がない、それより鷹揚に構えて「当たってくれ」と願う心の内を見透かされないように・・・などと男の美学を洒落込む癖がいつしか身に付いていた。但し、年賀状の当選発表はほんとに知らなかった。ま、どうせ当たりゃせんじゃろうという先...「お目こぼし」

  • 「小学1年生と共に」

    三学期を迎えて随分逞しさを増して来た小学1年生を対象に、昔の遊び体験授業のお手伝いをした。コマを長い紐で回すなどの遊び、古くなった自転車のリムからタイヤ・チューブを外して遊び道具にした輪回しなどは、私たち世代が全盛期だったのではないかと思わせるほど流行りに流行った遊びだった。コマ回し輪回したこ揚げさらに、家を一歩出たらそこには至る所広っぱがあって、たこ揚げなんてのはどこででもできた。そんなのどかな昔に戻るわけには行かないので、せいぜい学校の運動場を使うくらいが精一杯である。そんな世知辛い現在と、遠い昔を交錯させながら、目を丸くして挑戦する1年生に丁寧に教える立場も、我が孫に接するのとはまたひと味違った面白さがある。こんなところにも、ジジババが近くに住んでいる子は、どことなく抜け目がない。ほんの少し手先が器...「小学1年生と共に」

  • 「往時を偲ぶ裏通り」

    日本列島寒さの極限を示す、二十四節季の一つ大寒である。そんな寒さに向かっているというのに、ここんところ気持ちがようやく前向きになったように思う。昨年末から続いた身内やご近所さんのご不幸で気持ちどんより、なんかしら吹っ切れないものを引きずっていた。気持ちとは裏腹に身体が少し運動を要求しているみたいな気がしてきて、近回りではあるが珍しくウオーキングに出るようになった。同じ歩くのなら、近道となる国道を避けてくねくね路地がある裏道を選んでいる。その昔は「〇〇銀座」と呼ばれた商店街の面影を残している場所もある。見つけた!その昔栄えた豪商の面影を残した「河本百貨店」。中屋根に載せた金看板には「創業明治25年」とある。待てよ、指では足りない、電卓が要る。大正元年が1912年というから、明治25年と言えば1892年の創業...「往時を偲ぶ裏通り」

  • 「天皇杯、男子駅伝」

    天皇杯、広島男子駅伝。平和大通りを一斉にスタート今やこの季節の風物詩ともいる、都道府県対抗男子駅伝.、こちらは天皇杯である。先ごろ京都を舞台に行われた同じく都道府県対抗女子駅伝は皇后杯となっている。ほとんど知らない選手が走る駅伝競走ではあるが、日本全国都市対抗となれば、我が山口県は。お隣広島県は、東北勢のあの県は、九州勢は・・・など色んな興味が湧いてくる。そして高校駅伝、ニューイヤー社会人駅伝、箱根大学駅伝それぞれに魅力満載だが、この全国駅伝は、中学生も走る、もちろん高校生から大学一般までという幅広い年齢層が7人1チームとなり、タスキをつなぐところに、面白さと残酷さと大きな試練が横たわっているのが魅力である。全学年揃って最高に力を発揮しなければ優勝はない。今大会は、長野県の史上初大会4連覇というすこぶるつ...「天皇杯、男子駅伝」

  • 「試練への入門」

    昨年夏県大会ベスト4をかけて大奮闘結果は敗戦べすと8止まり、涙が止まらない孫君1月18日土曜日そして明日日曜日。日本列島は共通一次試験一色に染められている。高校から大学へ。名門校を目指す人、自分の専攻する道を探求する人、それぞれに蓄えて来た学力・知識が問われる、ある意味一生を左右しかねない、厳しい局面に立たされる。などと考えると切迫した緊張に追い込まれかねない。そう視野を狭くして堅苦しく考えない生き方もあるのではないか、などと無責任かもしれないがそう思っている。人生百年時代、気持ちよくいい人生を長く生きようと思えば、今日明日の共通一次試験で全てが決まるなどと自分を追い込まない方がいい。本人にとっては出来る限りの努力で今日と言う日を迎えている。努力はしたのだ、その結果が世間に受け入れられなかったからと言って...「試練への入門」

  • 「風雪30年」

    何年たっても忘れられない記憶であり、その日が近ずくと思い出さずにはいられない人生の節目みたいな日が何日かある。1月17日は特にその思いが強い日である。1995年、平成7年1月17日午前5時46分。記憶から決して消えることのないメモリアルデー。メモリアルデーとは、単なる思い出の日と捉えがちであるが、それは日本風な解釈であって、アメリカでは真珠湾攻撃の受難、戦争悲劇、9/11世界同時多発テロといったような負のイメージの強い記念の日を言うのよ、と教えてくれたのは、フロリダ半島に長く住んでいた同級生だった。彼女の言葉を借りると、大きなメモリアルデーとなる1月17日ではある。特に思い出の深いわけは、ふる里を遠く離れた東京世田谷区三軒茶屋の単身赴任寮で、普通通りの出勤に備えた朝食のテーブルで、神戸の街が炎や煙に包まれ...「風雪30年」

  • 「隣の芝は・・・」

    ここんところ週に3~4回、ちょっとしたウオーキングを心がけている。毎日と言いたいところだがとてもとてもおこがましくてそれは言えない。ただし、自ら歩いてみようと思うようになったこと、思い立ったら身体が自然に外に向くようになったことは、大いなる進歩であり自分に対して自らムチを当てる気持ちになったということか。問題はいつまで続くか。当面の目的地は1.5km先の郵便局。但し、国道を歩けばこの距離だが、一歩街中に向かうと昔の商店街があり、かつてはバスも通ったくねくね道があるのよ。今の国道沿いより遥かに密度の高い、軒を連ねる商店街の跡がうかがえる。結構歩数を稼げる昔道。国道から折れて旧道に入るとお寺がある。「新たな年を迎えられたのは偶然ではなく必然、だから大切に生きましょう」と言ったような掲示板を横目に見てふと上を見...「隣の芝は・・・」

  • 「成人の日」

    正月明けて早速迎えた3連休。その最終日が今日成人の日である。ただ多くの地区で成人の日のお祝い行事は昨日日曜日に行われたようで、全国的な足並みなど無用論の様相である。少なくとも私たちの時代は、成人式は1月15日と決められていた。それに合わせるように、都会に住む人が故郷に戻って幼馴染などと久しぶりに顔を合わせる感動シーンも数多く見られたものだが、そんな気持ちの起伏を助長する自治体は少なくなった。それぞれの自治体の都合に合わせて成人式が行われるということかな。親にとっては子が成人式を迎えることは、大きな意義と感動をもって迎えられる。ただそんな親の気持ちを本当に理解しているかどうかは個人差がおおきいようだ。私たち世代の多くは18歳で高校を卒業させてもらったら、多くが就職した。大学進学は少数派であった。成人の日を迎...「成人の日」

  • 「今年の年賀状事情」

    年の初めの試しとて、元旦に寄せられる年賀状を楽しみに待つ。はがきの大幅な値上げ、儀礼賀状の廃止、年賀状そのものの見直し、など色んな理由から年賀状が年々減ってきているのはよく承知している。単なる高齢のため賀状を辞めたいといった、分かったような分かりにくい理由でお断りをされる人もある。私個人の今年の年賀状事情は、これこそ年々減る一方で、100枚ちょっとを出したに過ぎない。もちろんその中には返信を期待しない一方通行発信も数枚はある。予想通り80枚はそれなりの返信が寄せられた。ただ、こちらは同じ出すのなら元旦に届くように準備をした。が、6日以降に届いたものが10数枚もある。今年の賀状の特筆すべきことは「今年をもって年賀状を終いとさせて頂きたい」といった内容が多いことである。それも遥か年の若い後輩から三行半を突き付...「今年の年賀状事情」

  • 「ふる里のとんど祭り」

    私の住む町のすぐお隣には、古くから受け継がれた「とんど祭り」が今も盛んに行われている。「とんど祭り」は言うまでもなく、年神様を迎え入れるために飾った玄関のしめ飾りや、古くなったお守りやお札、書初めなどを焚き上げて天に返そうという神事で、地域の安定と繁栄を願うお祭である。今年も地域住民の願いを込めて、地元神楽団の舞い奉納とコラボレーションで、見事な炎の競演が行われた。知己が沢山いることもあって、我が家のとんど祭りも隣町まで出向いてお焚き上げの便を借りている。もっとも、我が済む地区にそんな気の利いた祭りなど一切ない。そして今ひとつ、地域の活動の広報担当という側面もあって、こういった地域活の写真撮影担当を担っている。長く続けて見ていると、微妙なところで色んな変化が目につくようになった。良くも悪くも役員さんの入れ...「ふる里のとんど祭り」

  • 「今年一番寒い日」

    1月10日金曜日。年明け早々、この日を「今年初打ちの日」としてG・ゴルフ会員皆さんに参加のお願いラインを発信していた。ところが今日は今年一番の冷え込みという思いがけない極寒に見舞われた。でも早くから発信していた手前苦情を言う人もなく一人だけお休み、他7人は全員元気に参加。新年の挨拶も早々に「早く始めようや」ということで、今年1年のG・ゴルフがスタートした。かれこれ20日間の冬休みがあった。その間皆さん里帰りの接待やらなにかで大忙しを乗り越えた人ばかり。今日からは自分の時間を持てる喜びに浮き立つ気持ちもあってか、いつもより声も大きくゼスチェアも大きい。クラブ片手に集まってボールを打つかたわら、おしゃべり出来るのが有難いようだ。お陰で点数も伸びず、普段はあまり取らないほどの豪華なスコアであった。しかも土のグラ...「今年一番寒い日」

  • 「太陽と寒風と」

    季節を忘れさせるような、朝からものすごい勢いの太陽が照っていた。がからといって外に出て見れば、とんでもない寒さに縮み上がりそう。足元に生える草を2・3本抜いただけで指先は凍りそうになる。まさに大寒を前にした1年で最も気温の下がる季節には間違いない。太陽の優しさに誤魔化されないようにしないと、すぐに風邪を引いてしまいそう。甥っ子のあまりにも早い黄泉路への旅立ちに気持ちはどんより。どうあがいても、あがかずゆったり暮らしていても、人それぞれの持って生まれた命というものは、天知る地知る神ぞ知る。我々凡人では計り知れないところで決裁されているのだろうか。冬枯れの空き地に生き付くススキが、寒風に晒されて枯れた穂を右に左に大きく揺らしながらも、根っこはしっかり生きている。ススキがこのような姿を見せるこの寒さは、タマネギ...「太陽と寒風と」

  • 「巳年ハードルを」

    10連休という長い正月休みを経て、さてそろそろと人並みに動き始めたのが、先ずは昨日の「病院初め」の点滴治療。私個人にとっては正月休み明けなどは関係なく、いつも休んでいるわけだが、病院が再開してくれたのは心強く思っている。丸1カ月近く意識的に帯状疱疹の痛みを和らげる点滴注射を休んでみた。案の定と言うかやっぱり、皮膚内面のピリピリした痛みは「早く点滴して痛みを和らげて」と悲鳴を上げる。意外とも思えるような点滴の効能。点滴を終えた昨夕くらいから左胸脇腹あたりがずいぶん楽になった。正直これは一つの発見であり、ペインクリニック担当医への感謝の報告が出来るものを感じている。新たな年に向けて、ようやく前向きな話ができる、と喜んだところへ飛び込んできた思いがけない訃報。六人兄弟の第三子で、若くして東京に出て行った兄の一人...「巳年ハードルを」

  • 「三度目の正直」

    12年に1度干支の巡り合わせでやってくる今年は巳年。これまでの殻を破り脱皮して大きく成長する一年になるようにとの願いが込められている。普段足下に突然姿を見せたら腰を抜かさんばかりに驚き、一目散にその場を離れるほどに、決して好かれているわけではない小動物「ヘビ」の年である。岩国市には、青大将の突然変異と言われる色素の抜けた青大将が真っ白い身体に輝くようなピンク色の瞳。毒性を持たず、性格もおとなしいこともあって、天然記念物として国を挙げて大切に保護されているし、金運の神様としても丁重に祀られている。そんなわけで岩国市民はもとより、近く遠くのファンがわんさと詰めかけてんやわんやの大騒ぎ。除夜の鐘と共に待ち望んだ初詣で客を加えて元旦・二日・三日・四日とまさしくその名の通り、参拝客の長蛇の列だと聞いてはいた。私も一...「三度目の正直」

  • 「ようやく平常」

    昨年末から今年の初め、暦に恵まれた超大型連休。まさに帰ってきて良し、戻って行ってなお良し。と言われる孫御一行様のご帰還でやっと一通りの正月が終わった。巳年生まれで最も付き合いの長い孫君が今日午後、ばあちゃんの手土産をいっぱい車に積んで鳥取県へ戻って行った。今年中に22歳を迎える二人目の孫君は、売れ行きのいい自動車ディーラーの整備士で、仕事柄火曜水曜が休みの代わりに、年初と言えども土日は出勤で昨日から仕事に行った。ようやく日常が戻った高校受験の3番目の孫君は、はてさて受験勉強に熱が入っているのだろうか。あまり期待はできないね~、なにしろこのジジの孫だもの。秀才などとは誰一人呼んでくれない、むしろ鈍才なら誰もが認めるワタシの血筋、多くは期待しないことにしよう。ハナッから体育会系なのだから。かれこれ1週間を、ゴ...「ようやく平常」

  • 「欲の初詣で」

    暮れからお泊りが続いていた呉の御一行様と、近くの娘一家との合同お正月が、昨夜遅くまで賑わいだ。呉の御一行様も今朝早く帰って行った。山のような食料の残り物をこれからボチボチ消化するのだ。せっかくの朝から平和が戻った今日、先ずは本格的な初詣でに。元旦早くに地元の氏神様への初詣でだけは出かけていた。それから今日まで柏手を鳴らす機会に恵まれなかった。先ずは巳年のことし、何と言っても注目される金運の神様「岩国白蛇神社」へ駆けつけた。岩国白蛇とは、これまで何度も触れてきたように、数百年前に青大将と言うおとなしい普通のヘビが、突然脱色して白化現象を起こし、今に伝わっている不思議な現象で、国の天然記念物に指定されている。次々に生まれる蛇が真っ白いというのが珍しい。その神社へ。近くの公園に何とか駐車場を見つけ、直近で神社に...「欲の初詣で」

  • 「ご多忙、三日目」

    我が家にとっては今日が実質的なお正月、長男一家と長女一家が勢ぞろい、賑やかな大宴会となる。ただ一人肝心な長男は、勤務体系の影響でフル操業の会社を休めず、一人自宅に残ってお勤め第一。ババ殿は今宵のために元旦から台所に立ちっぱなし。今年は嫁さんがお手伝いをしてくれるので、少しは腰を伸ばすいとまがあったようだ。何しろ一人が「オレ、ばあちゃんのあれが食いたい」と言えば「オレはこれとあれ」と勝手に注文を出す。極めつけは中三の孫君。他の者と同じものを食べずに特別注文を出す。寿司だけでも「田舎巻き」「サラダ巻き」「お稲荷さん」、コロッケを、ギョーザをと口々に個別注文を出す。それらに応えるのはそれこそ大変。その他にもポテトサラダに豚汁、芋煮、から揚げ、煮しめに煮豆。レンコンの三杯酢など定番の正月料理では許さないグルメぞろ...「ご多忙、三日目」

  • 「穏やかな年明け」

    令和7年、2025年の幕開け。元旦、二日と実に穏やかで素晴らしいお天気に恵まれている。ここ瀬戸内地方に住む有難さを改めて享受している。一年の計は元旦にありと言われるように、世界情勢・国内情勢難問山積ではあるが、この穏やかな今年のスタート併せて、紛争解決や一国主義の横暴などない一年になると有難い。なってほしい。トランプ政権誕生という世界秩序の混乱が懸念される今年。この穏やかさが「嵐の前の静けさ」でないことを祈りたい。ここ瀬戸内の穏やかさを喜ぶ気持ちがあるにはあるが、荒れる日本海側の厳しい風と吹雪の寒さ、そして昨年1月1日発生の能登半島地震・津波、そして大雨洪水被災などの復興を待つ人々の難儀に思いを馳せると、何かにつけて手放しで喜べない鬱屈を感じている。正月遊びの中で、様々なトランプ遊びをしてみるが、なかなか...「穏やかな年明け」

  • 「謹賀新年」

    新年明けましておめでとうございます。本年も拙ブログとのお付き合いをよろしくお願い申し上げます。日本列島はじめ世界中あちこちでは、果てしない不幸の出来事が続いているが、時は流れ季節は巡るのもまた宇宙の摂理。新たな1年を迎えるに当って、お目出度い気持ちを抑えることは出来ても完全に消し去れないのも人間の心理なのだと思う。正月早々理屈っぽいことを言わずに、ご来光の美しさに今年の輝く躍進を期待しましょう。「謹賀新年」

  • 「感謝を込めて!」

    2024年、令和6年もいよいよあと数時間となりました。今年1年、色んなことが起き起きては行く日々を、大して深い思考もないまま、感じたままを言葉足らずながら書き綴って参りました。そんな「世の中ちょっとやぶにらみ」ブログを優しく応援して頂きました多くの皆さまに心から感謝申し上げます。特にこの1年は、病気との闘いに負けそうになる一時期もありましたが、皆さまに応援して頂いている感謝だけは忘れず、思いつく事柄があればその都度綴って参りました。暖かい気持ちでお付き合いを頂きまして誠にありがとうございます。どうぞ佳き年をお迎えください。来る年が皆様にとりまして素敵な1年でありますようにお祈り申し上げます。「感謝を込めて!」

  • 「年の瀬点描」

    心の拠り所、神仏にお飾りとお供えをいよいよ今年も明日一日を残すのみとなった。良くも悪くもない交ぜで、終わってみればどれもそんなに悪いことばかりでもないし、特別よかったわけでもない。ごくフツー、これが一番有難いことだと思っている。先ずはこの一年を元気に生きさせてもらった上に、来年も普通に生きられるよう願って正月飾りを飾れることを喜びたい。欲を言えばキリがない、欲がなさ過ぎてもキリがない。中庸、ほどほどがちょうどいい。新たな1年のスタートに当たって、神棚や仏具の清めやお飾り、お供えを準備する。昨年まではウラジロや杠(ユズリハ)はちょっと山に入って手に入れてきた。今年は何となく小回りの利かない足腰を心配で山には入らず、スーパーで買うことにした。ウラジロもユズリハも葉ミカンもそれはそれは丁寧にビニール袋に入れてき...「年の瀬点描」

  • 「年の瀬小休止」

    12月29日。二重の苦労を連想させるところから、吉祥を願うお祝い行動は控えるように、誰とはなく口伝えに教えられてきた。ま、速い話が江戸時代の町人衆が、単なる語呂合わせによる言葉の遊びで、年の瀬を慌ただしく駆け回る人を揶揄したのかもしれない。その程度のことではあっても、無理に逆らうことはない「君子危うきに近寄らず」で、従順な一日を心得たこの日。先ずは半年ぶりくらいの洗車。クルマの内側に掃除機かけたり、ワックスで磨き上げたり。少し気持ちよく新しい年を迎える足しになれば幸いと思って、痛む右肩を壊さない程度に運動させた。そして今ひとつ、応接間代わりに普段使っている部屋がな~んか物足りなさを感じていたことにふと気が付いた。そうだ小さくていい、自分で撮って自分で引き延ばした写真を飾ってみようということに。写財はもちろ...「年の瀬小休止」

  • 「お邪魔のいない餅つき」

    今日を入れてあと4つ寝るとお正月、なんてのはあまりにも子供っぽいが、買い物などに出かけると繰り返し繰り返しこんな歌が流れてくる。12月28日、この日の我が家は随分昔から餅つきの日と決めて来たようだ。今日も朝から頑張った。といっても実際に頑張るのは餅つき機という器械がウイーンと唸りながら、蒸したお米を餅にしている。つき上がったら、小さな手が4本伸びてきて、白い片栗粉を周囲に飛ばしながら「おもちって熱いね」とか言いながら半分はお邪魔虫なのだが、ガマンして「上手に出来たね」などと楽しんだ。そんな孫のいる餅つきはここ最近なくなったね~。そりゃそうだ、冬休みに入ったらいち早く我が家にやってきて、食い荒らしていた近くの孫君はもう半大人になってしまった。少し遠くに住む可愛い方の手は明後日にならないとやって来ない。お鏡餅...「お邪魔のいない餅つき」

  • 「今年最後の患者様!」

    年末から年始にかけての連休は、日々の仕事に追われる人々の「堂々と休める有難い大型連休」と歓迎されているという。有給休暇を取らずに普通の休みが連なって生まれた9連休。楽しみだよね~、と思う人が大半だが、中にはあまりにも連休が長すぎて何をしようか迷ってる・・・と言う人も結構いるのだという。確かにそれも判るね~。ただ、毎日連休の私にはどっちでもいい話ではあるが。さて今日は、そんな楽しみな大型連休に入る前夜、仕事納めの日。元々月末の金曜日午後を予約診療日に決めていた私は、内科クリニックと眼科クリニックを兄弟で営むクリニックを予約通り15時30分に訪れた。先ずは眼科へ。順調に進み16時15分には内科クリニックに移動した。これからが大変だった。もちろん今年最後の診療日だから患者さんも多かった。散々待たされた挙句、定期...「今年最後の患者様!」

  • 「一息ついて」

    何かと忙しく過ごしたクリスマスシーズン。ま、小さな孫さんでもいれば、また別な忙しさを味わうのだろうが、今年の場合は孫もいない、どちらかというと意気消沈の中での忙しさで昨日まできた。今日はようやく一息ついた感じ。クリスマスとは特に関係なくゆとりある時間を楽しんでいる。庭に出てふと見上げると深紅と純白のサザンカが「私たちの存在も忘れないでね」と言いたげに微笑んでいる。地元の二つの小学校でしめ飾り教室が実施されたらもう冬休み。私たちの地域活動も冬休み・正月休みになる。そうなると、普段やりっぱなしの部屋の片づけや迎春準備が求められる。今年は本気で部屋の片づけを含めた機能アップを図りたい。年々身体の動きが緩くなり、機能的に模様替えすることで無駄な動きを取り除いておきたい。それもこれも、師走に三つ重なった葬儀が少なか...「一息ついて」

  • 「安らかな眠りを」

    ついこの間まで、年なりの元気を保ち、切羽詰まった病気もないまま優雅に自らの境遇に甘んじた生活を送っていた義兄91歳。私の家内である14歳年の離れた妹をこよなく頼りにしていた。当然私も義兄の応援団としてささやかな手助けはさせてもらった。公務員生活が長く、あまり大きな声を出したこともない穏やかな性格が、軽い脳梗塞と判定が下されたころから人格が一変した。それまでにはなかった、角張った異常な厳しい発言が続くようになっていた。「脳梗塞と診断されているのにお前たちは見舞いにも来ない」という、いわゆる被害妄想的な発言で、それまで親しく付き合ったり助けて頂いた方が急に冷めた対応に変わった。頼りにしていたはずの私の家内まで完全に敵に回すような3か月が過ぎていた。実際は単に見舞いを怠ったわけでもなく「診断結果はどうだったのか...「安らかな眠りを」

  • 「二度あることは・・・」

    前回のブログで、師走の葬儀参列や思いがけない訃報などもうこれ以上要らないから、最後にして欲しいと神仏にお祈りをした。今年の場合はその霊験もあらたかならずして、妻の兄、私にとって義兄が急逝という身近な訃報が届けられた。師走の通夜・告別式の参列が3回重なったことになる。義兄は91歳という生涯だから大往生と言えなくもないが、それにしてもあまりにも突然のことで驚くばかりである。親族を上げて入念な弔いでもってお浄土へ送り届けたい。明日がお通夜、明後日が告別式。極寒の季節ではあるが、もともと生まれは雪深いところなので、「俺らしい季節を選んだじゃろう」と以外にも微笑んで三途の川を渡るのかもしれない。できるならそう願いたい。合掌「二度あることは・・・」

  • 「最後にして欲しい!」

    これでもか、これでもかと目の前に突き付けられた今年の訃報の数々。もうこれで今年の最後にして欲しいと神仏に願いあげたくなる訃報が今朝早くお隣さんから届けられた。今朝未明にお隣の奥さんが亡くなられた。享年81歳。少し身体が弱く、数年前からいろんな病気と闘っておられた。特に晩年は心臓ペースメーカーを頼りに、ゆっくりな行動が目立っていた。ここに引っ越してきて以来の直近のご近所づきあいだからおよそ30年。ご主人は私と同い年。何かにつけて話が合う気さくな人柄だったが、5年くらい前にあっさりとお浄土に召された。その後奥さんにはG・ゴルフにも誘い、なんとか太陽の下に連れ出そうと試みたが、少し気持ちの沈みが大きく、お家に籠りがちではあった。特にコロナ以降は、まるでお隣さんなのに顔を合わせて言葉を交わすことが極めて少なくなっ...「最後にして欲しい!」

  • 「渡り鳥いずこ」

    今年も隣の空き地にやってきて、せわしげに尾っぽをピコピコ震わせ、今ここに止まったと思ったら、カメラのシャッター切る間もない俊敏さであっちこち飛び回る。その名をジョービタキという。通称やあだ名は色々ある。子供の頃に聞いて印象に残っているのが「ヒンコチ」だった。今では主翼に大きな間白い円形模様があることから、紋付き袴の正装に見立てて「モンツキ」と呼ばれたりするちっちゃなちっちゃな渡り鳥である。このちっちゃな体で東南アジアを舞台に寒い場所を求めて渡り歩くという。渡り歩くという点ではあの旅する蝶「アサギマダラ」こそもっとすごいことである。あの蝶がどうやって大洋を横断するのか、何のために大洋を飛び越えるのか、そのスタミナ・馬力などがどこに隠されているのか、考えれば考えるほど世の中に不思議は幾つもあることに驚かされる...「渡り鳥いずこ」

  • 「金銀財宝ザックザク」

    そろそろ年末ジャンボ宝くじをを買わなくっちゃと少し気持ちに焦りを感じ始める季節だね~。実は昨年の暮れ、何かと忙しくてとうとう買いそびれた宝くじ。大晦日の昼のテレビが実に空しかったのを思い出している。今年は何が何でも買うぞ~~~。そうは言っても自分で買える枚数は知れたもの。それでも1等7億円に一応夢を馳せてみる。何故10億円とは言わないの。それはね、前後賞合わせたを連番クジは当たり外れが一瞬にして解ってしまうので面白くない、だから買わない。その点バラを買うと、1枚1枚最後までチェックする楽しみがあるから。さてあなたは連番派それともバラ派?まあどっちでもいいか。ところで、金銀財宝なんてあるところにはあるもんだね~。一人の銀行員が4年間に20億円近い他人様の金品を盗めるシステムが現存するのだから、宝くじ買って億...「金銀財宝ザックザク」

  • 「今年最後の十六夜の月」

    昨夜は今年最後の十五やお月さんが拝めると少し期待していた。残念ながら朝からの予報通り、夜空には雲が広がり、何度も寒さを堪えてベランダに出ては見上げてはみたものの、雲のいずこに月やどるらん。満月の姿を見ないままに眠った。そして今宵、夕方6時半を回ったころ、東の空にそれはそれは見事な十六夜のまん丸お月さん。今さらまん丸お月さんでもないでしょう、などと無粋なこと言わんといて。1年の始まりの〇〇とか、今年最後の〇〇などという季節の節目の何かを感じることは、小生の中ではごく当たり前のことであり、少しでも時の流れや時の動きみたいなものを感じていたいという願望の現れなのかも。カレンダーの日付の横に小さく書いてある旧暦と、大安・友引・仏滅などの六曜も少し意識している。これも一つの信心みたいなものだから、予測が当たることも...「今年最後の十六夜の月」

  • 「討ち入りは終わったが」

    「あこうろうし」とパソコン入力すると最初に変換されるのが「赤穂労使」である。早くも来年春闘の相場作りや、賃金体系の見直しが声高に叫ばれる時代背景をパソコンが敏感にキャッチしているのだろうか。キーボードを打つこちらの気持ちは、この季節には三つ四つの赤穂義士伝が放映されないと年越し出来ないほどの盛況ぶりを見てきた。だからというわけでもないが、今じゃ自らの命をもってご政道を糺す一石を投じる、などという話は昔話になってしまった。この頃のテレビと言えば「紅白歌合戦」の番宣がこれ見よがしに流される。我が家の二階から見下ろす紅葉が一段と色濃さを増すと師走半ばを迎える。赤穂浪士の討ち入りに目を奪われる暇などないほど忙しくなるのが年賀状の準備である。年賀状推進派、葉書による賀状をやめて電子媒体派、まるっきり辞めてしまう派、...「討ち入りは終わったが」

  • 「小生、この1年の一字」

    令和6年、今年の一字『金』この1年を一字で表すと。京都清水寺の貫主さんは「金」と揮毫された。確かに、パリの地で掲げた金メダルラッシュ。まさしく表の金であり誇りに思う金・ゴールドである。同じ金でも手垢にまみれた、薄汚れた金もある。メダルラッシュのゴールドに対して政治資金規正法違反ラッシュのマネーである。同じ金と呼ばれても、そこには大きな差があるものだ。但し札束が薄汚れているわけではない。使いこなす人の利害が絡むとちょっとねー。今一つ最低賃金にからむ所得の大幅アップ103万円問題もあった。金にまつわる一大政治課題である。どこかに溜まりこんでいるお金を所得アップという形で分配すれば、間違いなく街に笑顔があふれ、消費が伸び税収も増えて国情そのものが豊かに見える。私たちの世代は、働き盛りのころにそんな恩恵をこうむっ...「小生、この1年の一字」

  • 「最初で最後の忘年会」

    早くから約束していた12月13日金曜日正午。自治会事務所集合。お馴染みのグラウンドゴルフ仲間の忘年会。この頃では同級生の飲み会もゼロ、昔の仲間との飲み会ももう卒業といった塩梅で、このささやかな忘年会が、最初で最後になるかもしれない貴重な宴会である。いつもの通り午前8時45分団地公園に集合。ラジオ体操第一に続けて軽い運動、それから始まるグラウンドゴルフ。今日は今年最後の大会と銘打って優勝・準優勝・ブービー賞など商品を買い込み、我が手作りによる賞状を授与する念のいった大会なのである。と本人は思っている。大会が終わったところで、それぞれ自分で調達した食べ物・飲み物持参で自治会事務所に集合。会費はもちろん自分の飲食費実費だけ。先ずは優勝ほか成績に合わせた、蘊蓄を織り込んだ賞状授与式。続いてお互いが勝手にこの1年の...「最初で最後の忘年会」

  • 「二つとはない、切ない訃報」

    一瞬言葉を失う訃報を受け取った。まさか、こんなことってあるの?、耳を疑ったが夢でもなければうつつでもない、現実そのものであった。悲しい。遠い思い出が次から次に浮かんでくる。どの思い出も大切な一コマとして脳裏に焼き付いているものばかり。正式には67年前の高校入学式での出会いである。大学を卒業して4年目の、まだ完全に教師になりきっていない、やんちゃな新しい兄貴分のような人だった。その人が高校3年間の担任であったことが、小生の人生に大きな光を当ててもらった、そんな素晴らしい出会いであった。出身は種子島で、国語の教師を多く輩出した東京の某大学出身。眉が濃くて鼻も高く黒いキリっとした瞳の、垢ぬけたとはこういう人をいうのか、と田舎の高校1年生の男女共通のあこがれの担任教師であった。他の教科はあまりできなかった小生だが...「二つとはない、切ない訃報」

  • 「最後の訃報連絡」

    そろそろ本格的に年賀状の準備に入ろうとした今日のこと。少し遅めの訃報葉書が届いた。仲よし同級生からの一通で「長男〇〇が今年11月、58歳で永眠しました」と書かれていた。この世で何が辛いかと聞かれたら答えに窮する。それは、想像に絶するほどの不幸を体験していないからではないかと思う。彼女にとって、この年齢になって自分たちより先に我が子の不幸を見送る立場に立つことの辛さは如何ばかりか。もっとも、身内の誰が旅立っても深い悲しみに沈むのは確かであるが、親より先に逝く子の気持ちも測ることの出来ない重さを持っているのだろう。中国の古いことわざに「親より先に旅立つことほど親不孝なことはない」と言われるが、確かに一理ある。子は親より長く生きて、親をちゃんと見送るのが中国古来の親に対する最高の尊敬を言い当てた子の道徳心であっ...「最後の訃報連絡」

  • 「よみがえるふる里の風景」

    私の住んでいる岩国市南部の中心に、戦前の海軍病院から格上げされた近隣では特別な大病院として多くの患者を救った国立病院(通称、国病)があった。すぐ横には養老院と呼ばれた特別養護老人ホームも併設されていた。市営バスの南部発着拠点として殷賑を極めた一時期もあった。米軍岩国基地主要滑走路の沖合移設に伴う土砂を採取するため、市街地のほぼ中心に近い愛宕山一帯が新規開発された。その利便性の良い広大な新天地に国病が移転された。それから20数年、雑草に覆われ見る影もなくなった旧国病跡地に今、膨大な資材と建設機器が搬入され、大きなエンジン音を唸らせて槌音も高く、新たな生活拠点に生まれ変わろうとしている。一つには福祉の拠点、科学の学習拠点、その他市民の憩いの場づくりなどの計画が発表されている。ようやく重い腰を上げてくれたか、と...「よみがえるふる里の風景」

  • 「小春日和」

    絶好の小春日和、漁船の修復にいそしむ漁師さん師走に入って数日、ポカポカ陽気の温かい日が続く。この時季のそぼ降る雨を「時雨(しぐれ)」と呼ぶのはご承知の通り。詩歌にも演歌にもよく唄われる。逆にこの時期のポカポカ陽気は「小春日和」と呼ばれこちらも歌には何度となく登場する。今は亡き谷村新司の名曲「こんな小春日の穏やかな日は、もう少しあなたの子供でいさせてください」という心に沁みるあの歌詞である。私たちの手で行った海岸清掃から1カ月、その後の砂浜の状況を見に海岸へ立ち寄った。その海岸につながる船溜まりで漁船のペンキ塗りにいそしむ漁師さんと出くわした。「大きな船ですねー」「なーに、こまい(ちいさい)もんいの」「ペンキ塗りは全部自分がやるんですか」「ほかにやってくれるもんがおらん」「これで何年物ですか」「うーん、おお...「小春日和」

  • 「身近な紅葉」

    昨日は奇特な友から送られた「岩国の紅葉を楽しんで!」というラインの画面を紹介した。そういえば、ということで自分でも心当たりのご近所さんをちょっと見まわしてみたら、なんとものすごい銀杏の古木に出会った。奔放に伸びた枝振りから察するに100年はくだらないだろうと思わせる見事な黄金色である。周囲の赤い葉っぱの木々が小さく見えている。しかも黄落と呼ばれる地面を金色に染める銀杏の落ち葉がまだ落ち始めない貴重な今だ。そいえば、何年前になるだろうか、銀杏の葉っぱが地面に敷き詰められて盛り上がるほどになった黄金色の絨毯を、この目で確かめ、脚で踏みしめた感触を思い出している。これこそ黄落と呼ぶにふさわしい。もう少ししたらそこにもここにも黄落がお目見えするのに違いない。朝から照ったり曇ったり、どっちが本命か分からぬほど入り乱...「身近な紅葉」

  • 「お待たせいたしました!」

    今年は所属する地区社会福祉協議会(地区社協)が発足以来20周年という節目を迎えていることは何度も拙ブログで吹聴して来たところだ。20周年記念事業の一つとして、地区社協発足に至った先輩諸氏の心意気や活動の基本理念がちゃんと引き継がれているか、目的に沿った活動がなされているか、と言ったことを取りまとめた写真集を中心としたパネル展をやろう、そうして賛助会員として活動資金を提供してもらっている多くの住民の皆様に、活動の足跡を再確認して頂こうという話になったのである。過去の歩みを写真集にまとめるとは、広報担当がパソコンに残した数百枚の中から改めてパネル20枚分の写真を抽出する途方もない大仕事である。そうはいっても広報担当とは自分なので、他の人に頼むのは筋が違うんじゃない?やっぱしこの手でやるのが自然の流れでしょ、っ...「お待たせいたしました!」

  • 「最後の従兄弟」

    丘に上がりそうな満潮の船溜まり最後の一枚となったカレンダーに今年最終の月間予定を書きこんで行く。相変わらずあれこれあるもんだね~、ボヤっとなどしていられないし、ボヤっとして予定の活動をすっぽかしたり約束を違えたりしようものなら、一気に信頼失墜「彼には頼みずらいね」などという負の評判が立ちかねない。今のところそれは心外であるし、そこまで耄碌してないよと反論したくなる。何もない日数より何かしら予定を書き込む日数の方が多いことに少しの安堵をおぼえたところへ、父方の最後の従兄弟がついに満ちる潮が満杯になって引き始めるように、静かに黄泉路へ旅立ったという訃報の報せが。昨夜がお通夜、今日が告別式という新たな緊急事態が舞い込むんだ。こちらは他の何を置いても駆けつける一大事である。96歳というから年に不足はないとは思うが...「最後の従兄弟」

  • 「師走ついたち」

    泣いても笑っても、今年の暦はペランペランのたった1枚だけとなった。今年も7泊8日の旅に出たのなら喜ばしいことなのだが、そうも行かない。5月末日の手術で国立病院機構の大きな医療センターに入院したのが7泊8日だった。これを最後に入院手術とか、落ち込みの激しい病気に罹らないよう、静かに祈りながら、半分おっかなびっくりで過ごしている。というのも、泌尿器科手術の後遺症はなかなかしつこく、まだ完ぺきではない。などと可愛い愚痴をこぼす間はまだいい。今年もあの人この人多くの人の喪中はがきが届いている。中でも「え~~??」と思わず声が出そうになる訃報に接した。50歳を過ぎた遅いお上りさんであり、慣れない東京本社勤務に不安いっぱいで有楽町駅に着いたとき、気さくに迎えてもらったのが、敏腕営業マンと名が知られていたYさんである。...「師走ついたち」

  • 「霜月つごもり」

    晴れ間が多い割には北風が舞ったり、ときおりパラついたり、思わず襟を立てたりなんとも落ち着かない1日であった。個人的には昨日摂取した8回目となるコロナワクチンの後遺症に悩まされる、やや憂鬱の一日となった。過去7回、感染症対策の国策に乗っかって無料。申込さえすれば比較的簡単にプチュで話は終わった。手続きも簡単なら接種後の体調不良など全く感じないでここまで来た。ところが今回8回目の接種は、希望する個人が対象、だから2200円の個人負担がある。しかも、同じ薬品を使用する場合一定の人数がまとまるまで受付が延長される。10人~15人がまとまった時点で呼び込まれて行われるという仕組み。先月は、これまで一度も経験のなかったインフルエンザワクチン接種。元々注射嫌いが昂じて出来るだけ針を刺さない生活をしてきた。インフルエンザ...「霜月つごもり」

  • 「日本の四季」

    あれよあれよと言う間に近くの「もみじ谷公園」の紅葉が色あせてしまった。隠れ紅葉の名所と勝手に名付けて、紅葉見ごろを狙って毎年訪れてきた。腕前はともかく、カメラは上等品を引っ提げてささやかながら拙ブログの読者に見て頂こうと、自称最高のアングルから最高の写真を撮ってアップして来た。それが今年の場合、まだ大丈夫だろう、少しは遅くなってもまだいけるじゃろうと高をくくって、追われている自分の作業に没頭していた。そしたら何のことはない「もう行ってもダメよ、見られんよ」と冷たい評価が飛び交って、とうとう今年は行かずじまいの紅葉狩りとなった。ちょうど紅葉のシーズンに孫ちゃんがやって来なかったという不幸も重なった。どんなに忙しくても孫に美しい自然に触れさせるとなると、どんなに忙しかろうともそれは次元の違う話である。隠れ紅葉...「日本の四季」

  • 「いい風呂の日」

    今日は極めて単純な語呂合わせで、11月26日「いい風呂の日」だという。先日のいい夫婦の日(11月22日)の方が少しは文学的な匂いもするようだが、まあどっちにしても11月は頭に「いい」と言う二文字から始まるから何かにつけていい記念日になりそうな気がする。あまり裕福ではない、と言えばかっこいいが、あまりどころかまるで裕福ではない家に生まれた子供時代。風呂にまつわる話には何かしら暗い影がつきまとう。先ずは風呂の水くみの話。我が家の井戸が枯れてしまって隣りからのもらい水。それもうまくいかなくなったら今度は、少し離れてはいるがおふくろの仲よしおばさんの家のもらい風呂。小学校4・5年生だったろうか、何かにつけて恥ずかしさを覚える頃のもらい風呂は、風呂上りから戻る道すがら冷えるのなんの、もらい風呂の哀れさと貧乏が身に沁...「いい風呂の日」

  • 「個人の尊厳って」

    近くの小学校で、災害発生時の緊急引渡しの訓練を行うという情報を得て、地域活動の広報担当としてちょっと覗いてみることにした。午後3時の訓練開始に合わせて出向いた。ものずきやねーとの声を尻目に。児童は既に講堂に集まっていた。登校班の地区ごとに別れて、寝っ転がってリラックスしている子、せわしげに宿題ノートに消しゴムを走らせる子、様々に「保護者が迎えに来るのを待つ」という共通の目的の中で自由に時間を過ごしている。ぽつんぽつんと保護者が現れる。講堂の外では校長先生と教頭先生が、クルマの交通整理をしておられる。教諭と言う教諭はほぼ全員が講堂の中で、保護者に確実に児童を手渡す準備を整えて待っている。この小学校には、写真を一切撮ってはいけない生徒がいるのを知っている。担任の先生に写真撮影の許可をお願いすると「今日は大丈夫...「個人の尊厳って」

  • 「あれは3年前」

    やはりこの季節、「初冬」と呼ぶのがお似合いなので、迷わずそう呼ばせて頂こう。初冬の朝早い川風を心配して少し重ね着で出かけた河川敷運動広場。岩国のシンボル錦帯橋の上流200m。見上げる目に飛び込む岩国城という素敵なロケーションのもと、少年ソフトボールに取り組む近郊の20チームが参加する大きな大会に来賓と言う形のご招待を受けた。かつては地元に進出して来た電力会社がスポンサーとなっていたリーグ戦だが、電力会社の事情で撤退したため財政的に窮していたところを、地元の子どもたちが多く参加するのだから、私たちの地域活動の中で出来る範囲の応援をしよう。これも、地域活動が標榜する「青少年健全育成」の理に叶った活動として実践している。そんな事情があって来賓として招かれ、開会式を盛り上げた。ただ予想通り陽射しのない時間帯は寒か...「あれは3年前」

  • 「似てはいるが異なるもの」

    隣りの空き地に生い茂るピラカンサ。びっしりと付いた実を深紅に染めて、小鳥のエサ場としてヒヨを呼び込む前に、艶姿は人間の目を楽しませている。このピラカンサの実が色付く頃の季節の呼び名には、毎年と言っていいほど悩まされて来た。今年も同じように少し迷っている。「今年も晩秋を迎え隣の空き地のピラカンサが見事に熟した」と表現しようか、「初冬の吹き抜ける北風の中で、隣りの空き地を真っ赤に染めるピラカンサ」と表現するか。どっちこっち大差ないのだから、どちらも間違ってないし、どちらを使ってもいいのよ、という声が聞こえる。ウ~~ン、その時の気分で使い分けるのがいいいようだ。ただ、間違ってはいけないのは季語としての使い分けである。晩秋は文字通り秋の終わりであり「秋の季語」となる。一方初冬は、こちらも文字通り冬の初めなので冬の...「似てはいるが異なるもの」

  • 「コタつむり」

    ♫出ん出ん虫ムシコタつむりおまえの頭はどこにある・・・♬この季節になると、里帰りする姫孫たちが真っ先にするのが、まぁるいホーム炬燵に潜り込んで、カタツムリならぬコタつむりを決め込むこと。顔半分まで炬燵布団をかぶって、ちっちゃな体ながら二人が炬燵を占領する。そうなると割を食うのはこのジジで、寒さに弱いのを我慢してテーブルに移動する。まだ温風ヒーターが準備されていない部屋の足元は冷える。半分はやせ我慢で孫たちの自由にまかせつつ、ちょっと気の毒そうな顔をする彼女たちに、チラッと片目をつむって見せる。ジジはつらい時もあるのだ。ここんとこゆっくり炬燵に入って、世界野球プレミア12を見ることもなく、日記やつぶやきを勝手気ままに綴るブログさえもままならないほどに、期限を切られた地域活動に追いかけられている。自ら背負った...「コタつむり」

  • 「アンコール!」

    コンサートなどで「最後の一曲となりました」と言われ、その曲が終わったら一旦幕が下りる、のではなく緞帳ともいう豪華なカーテンが閉められる。とたんに観衆が立ち上がって拍手を送り続ける。するとほぼ間違いなく再び幕が開き、ではなくカーテンが左右に開き、観衆の拍手に応えるようにもう一曲サービスで聞かせてくれる。こんな一連の動作を「アンコール」と呼ぶと、馬鹿の一つ覚えのように思って来た。今どきアンコールと言う言葉はあまり使わなくて「カーテンコール」というのよと誰かが教えてくれた。我が定年後の人生を「自分のアンコール人生」と思って来た。つまり60歳で一つの幕が下りる。そして新たに始まるおまけみたいな定年後人生こそがアタシのほんまもんの人生だと、少し突っ張ってきた。というか、現役時代ほど周囲に気を使わなくてもいい、少しは...「アンコール!」

  • 「カッターの使い方」

    今日は地元小学校2年生の授業の応援に駆り出された。図工の学習の一つで、カッターナイフを使って洋紙に書かれた図案の線に沿って、物差しで押さえカッターで切れ目を入れ、立体図型を作り出すという学習である。要するに、物差しで用紙を抑え、指を切らないようカッターの安全な使い方を監視するといもの。幸いにも私は、紙とカーターナイフの切り方・使い方についてはプロフェッショナルである。かつての職場は、大手製紙メーカーの技術課、いわゆる紙製品の品質をチェックする試験課が長かった。ひと巻きが7トンも8トンもあるジャンボ巻取りの一部を切り取って、厳しい製品スペックに合致しているか否かの判定をする、試験官と言う立場で、現場の生産担当者からは嫌われる存在であった。検査をするためには、1日にどれほどの紙を断裁して坪量(適正な重さを保っ...「カッターの使い方」

  • 「クローズアップ現在」

    Closeup現代我が家のテレビはおおむねNHKが流れている。何故か?格別な事情があるわけではないが、強いて言うなら今日一日の動きが、世界中から我が住む県内に至るまでの幅広い情報が入りやすいという単純な発想かな。兎に角、これみよがしに個人を売り込もうとする民間のバラエティなるものに辟易している、というのはある。特に今宵のクローズアップ現代、身に詰まされましたねー。入れ替わり立ち代わりして、電話や直接訪問。最初は耳に優しい話で認知症検査をしてカモかアヒルか確かめる。一旦カモと決めたら、寄ってたかって吸い上げられるまで吸い上げる。手口は千差万別。相手の認知度によって使い分ける。どこかに司令塔がいて、情報を共有し、ターゲット絞り込んだらたらいまわしをする。日本中を恐れさせるあの広域強盗一味とあまり変わらないのか...「クローズアップ現在」

  • 「瀬戸内海環境保全大作戦」

    昨日の準備段階から人数を配置し、完全な体制を整えて臨んだ今日本番。正式な活動名は「瀬戸内海環境保全大作戦」。ちょっと厳めしく、ちょっと大げさな気がしないでもないが、初代会長の強い思い入れで名付けられ、第18回目となる今年も同じように続けられている。地元から多くのボランティア参加に加えて、地元中学校や高校生、郵便局長会や郵便局長婦人会など約300人の賛同を得て、ここ数年で最も多い約10トンに及ぶ漂着ごみを回収した。下見を繰り返すたびに漂着ごみが増えて行く。あの10月に降った大雨にによる河川の水量が大幅にアップして、海に押し流された流木やゴミの量が半端でなかった。幸い雨も降らず、暑すぎもせず、秋風が吹かないのが漁船による海上運搬作業と言う特殊海岸の清掃を容易にしてくれた。これは有難かった。天候に感謝状を差し上...「瀬戸内海環境保全大作戦」

  • 「前日の準備と確認」

    私たちの地区社会福祉協議会の1年に1度の一大イベントが明日に迫った。一応、主管する専門部を決めてはいるが、あまりにもスケールの大きな事業であるため、社協挙げての事業と言う位置づけである。そんな中で主管専門部を中心にこれまでに何度も下見をしてきた。秋の海辺での掃除だけに、風向き、回収物運搬用の漁船の安全など、色んなシーンを想定して綿密な計画を立て、他の5つある専門部の役割を決め、それぞれに基づく実行委員会も開催。準備にかけるエネルギーは半端ではない。そうしてこうして今日最終の下見や、大木や長い竹はチェーンソーで断裁。先ず先ずの準備ができた。問題は明日の天候と風向き・風力など心配事は消えない。しかも今年の場合、10月から11月にかけて降った大雨によって、上流からの漂着ごみがものすごい。寄せ打つ波に乗って、白い...「前日の準備と確認」

  • 「晩秋の花」

    北方の魔よけとして、敷地の北の角に植えた南天。難を転じて福となすという言葉を信じて、新築して間もなく植えた。その傍に、どこから頂いたものか、私がどこからか引っこ抜いて来たものを植えたのか、定かな記憶はないが、毎年見事な黄色の艶やかな花で北の一角を明るくしてくれる。踏み出せし路ひとすじにつわぶきの花稲畑汀子あらためてこの道知るやつわぶきの花稲畑廣太郎晩秋の暗い空の下や、木枯らしにも似た風がビュービュー吹く寒さには似合わない花のような気もする。それほどにしっかりした茎に、目を射るような黄色。この季節だからこそ逆に健気に見えるのかも。今宵は今年初の忘年会のお誘いを受けた。あらかじめ「歌のお願いもしておきます」とのことで、歌の方は長い間のブランクで声が出るのか、息が続くのか、色々心配はあるが、まいいか。少々のお酒...「晩秋の花」

  • 「夕焼けこやけ」

    ♫ゆ~やけこやけでひがくれて~や~まのおてらのかねがなる~~・・・♬夕方5時になったら、団地公園に設置されている防災無線スピーカーから「夕焼け小焼け」の優しいメロディが流される。家庭の事情を反映してそそくさに帰り支度をする子もたまにいる。大方はそんなメロディなど無視してさらに遊び続ける子の方が多い。学校サイドも、夕方5時の時報に合わせてお家に帰りなさい、などという奨励もされていない様子。もっとも、季節によっては子供は元気に外で遊んでくれる方が有難いという親もかなり多い。そんな色んな事情がある中でも、あの夕焼け小焼けのメロディは、ひと仕事終えた人たちにとってはなんとも癒しのメロディとして受け止められている。小学校のオルガンで教わったあの歌詞もメロディも、私たち世代は好意的に受け止め、愛唱したものである。それ...「夕焼けこやけ」

  • 「もしトラがほんトラになりそう」

    「もしトラ」と言う流行り言葉にもなったアメリカ大統領選挙。「もしも」が取れて「ほんトラ」になりそうな選挙速報が流されている。何が常識で何が非常識あなのか、考え方の一貫性や世界の大国という大義を忘れて「アメリカンファースト」を掲げて憚らない「ほんトラ」が誕生したらいったいどうなるんじゃろう。色々考えてしまう。諸国の無法な侵略から我が身を守る防衛に関する戦略に与える影響はどうなるのか。そろそろ自分の力で自国を守れ、などと言い出しかねない気配を感じる。我が国ばかりではなく、侵略戦争中の大国。何としてでも侵略に耐えるために他国の兵力を頼りにする国。侵略戦争中の国へ自国の兵を派遣して、大国の軍事機密を譲り受けようと躍起になっている国。太平洋に通じる東シナ海・南シナ海を自国の領海として組み入れ、軍事拠点化を無理やり進...「もしトラがほんトラになりそう」

  • 「ふる里のお神楽」

    すぐ近くの集落で行われた昔ながらのおしとやかなお神楽。神主さんが神様に捧げるお祈りの儀式の一種である。希少で貴重な資料を基に、地元の人たちの熱意によって復活を遂げたのは、1990年、平成2年というから、まさに『復活35年祭お神楽』であった。舞手には、あの顔この顏知った顔のオンパレード。「そっか~この人も、見えぬところで練習に練習を重ねて、年に数回しかない晴れ舞台のために頑張っているんだね~」と感心することしきり。そういえば、このお神楽だけは手ほどきを受けるチャンスに恵まれなかったことにふと気が付いた。もし若い時にひょんな出会いがあったら私のことだ、のぼせ上がってお神楽にハマっていたかも。鬼の衣装に身を包み、軽やかに舞うのは81歳という。翁の衣装に釈板を担ぐ舞い手さんは御年88歳だとか。やりますね~。飛んだ...「ふる里のお神楽」

  • 「霜月の風は・・・」

    普通の季節の感覚で種を蒔いた野菜と言う野菜が一切芽を出さなかった今年の異常気象。地中温度の高さによって、種も苗も全て地中で枯れてしまった。気を取り直して、不作覚悟で二回目の種まきとジャガイモを植え替えた。今度はどれもこれもちゃんと芽を出した。ジャガイモに至っては植えた種イモ全てから芽を出し順調に伸びている。思わずニヤリ。カブ・大根はこの時期間引かなくてはいけない。「間引く」とは、今さら言うまでもなく、種まきをするときに一粒だけ蒔くのではなく、複数のタネを蒔いて余分に目を出させておき、ある程度成長した時に、最も元気そうな苗を残して後は抜き去る。それが間引き菜である。「渋柿や丸八年の恩知らず」と並んで、この季節ならではの身に詰まされる話である。プロ野球の世界でも11月前後になると、戦力外という通告を受け、要す...「霜月の風は・・・」

  • 「霜月ついたち」

    朝方は予定通りグラウン・ドゴルフが出来るかなという空模様であった。集合時刻が近づくとともに雲が厚くなり、ついにパラリパラリ落ちて来た。急いで「今日のG・ゴルフは中止です、また来週を楽しみに!」とライン発信した。その後間もなく本降りに。久しぶりに耳にする雨音はなんとも心地よい。久しぶりの気の置けない友との再会に似た思いである。その後の天気予報や、スマホの画面に出てくる雨予報は、災害級の大雨が予想されるという。夕方のローカルニュースでは明日の朝のJRなど多くが運休となっている。え~~??ほぼ一日中止みなしの本降りで、ダムの水量アップにより放流するので、河川の水量アップにご注意くださいとの緊急メールが入る。それほどの雨以上に明日の午前中はもっと降るという。今日から別称が霜月に変わり、そろそろ霜が降りる畑の冷え込...「霜月ついたち」

  • 「神無月(神有月)つごもり」

    4・5日前までは「まだまだ暑いね~」「この暑さ、いつまで続くのかね~」などと嘆き節がまかり通っていた。10月も残り数日となったころから一気に冷え始めた。パジャマは冬物に、厚手のちゃんちゃんこのお出まし。そんな寒さを感じ始める頃、16年前の母の終焉の姿を思い出す。お世話になっている介護施設の窓の下で、細身のコスモスが一輪冷たい風に吹かれて右に左に心細く揺れていた。それは母の容態が黄泉路の向こう岸へ渡ろうか、こちらの岸に留まろうか、迷っている姿に似ていたように感じた。その日から10日後に100歳7か月の生涯を閉じた。菩提寺さんから、今年は17回忌法要となる案内を早くから頂いていた。忘れないように目の届くところに置いて「絶対忘れないように」気にかけていた。そして今日、私たち夫婦と妹3人でお参りし、修復中の本堂か...「神無月(神有月)つごもり」

  • 「おごるもの久しからず」

    お終いに近い今年のアサガオ。垂れ下がった枝のわずかなつぼみを、健気にもきれいに花開かせて楽しませてくれる。どこからともなく垂れ下がった小枝がコンクリートの上で弦を伸ばし、上等な花一輪を北風に揺らせている。折しも昨日は国政の中でも特に重要とされる衆議院議員の総選挙が行われた。裏金疑獄とも言われる政治と金の問題、特異な宗教団体との結びつきによる集票活動など、政権与党にとって様々なスキャンダルにまみれた選挙と言われた。私のような素人が考えても「こんな状態で選挙に打って出て勝てるの?」と思わせる選挙戦であったように思う。盛者必衰の理(ことわり)を表す。強引で無謀な選挙であったようにも見えた。そこには政権与党として長き安寧の座に座り過ぎた驕りと、謙虚さに欠ける思い上がりがあったことを証明するような結果を招いた。出直...「おごるもの久しからず」

  • 「最後の七五三」

    男の子3人、女の子2人合わせて5人いる孫の一番下の女の子が7歳となり、今年で最後となる七五三お宮参りに付き添った。現在住んでいるのはお隣広島県だが、嫁さんも岩国出身なので、自身のお宮参りもほとんどが岩国の神社という馴染みもあって、昨夜から親子揃って里帰りしていた。お祝い事には女の子も男の子も関係なく家族総出のお祝いをする習わしで、今朝も早くから美容院や着物レンタルのお店をめぐって、神社の境内で落ち合うことにした。これは女の子ならではの、事前の準備に時間とお金がかかる。その裏返しで、男の子の凛々しさに勝るとも劣らない可愛らしさを見せてくれる。普段着たこともない洒落た着物にお太鼓帯を結んでもらって、かかとの分厚い白緒の草履を履かされる。ちょっと活発に動けばよろけるわ草履は遠くへ飛んでいくわ。いそいそと集めて元...「最後の七五三」

  • 「秋、悲喜こもごも」

    今年のプロ野球もレギュラーシーズンを終え、日本シリーズを戦うチーム以外は、早くも来シーズンの覇権を目指して秋季練習に汗を流している。そんな中でプロ野球選手の登竜門であるドラフト会議が行われた。プロを目指して来た選手個人はもとより、野球に関係する全ての人にとって、悲喜こもごも、まさに笑顔と涙に色分けされる厳しい秋を迎えている。特に今年の大学卒業のプロ野球志望者は、憧れの甲子園高校野球大会がコロナ禍のために中止に追い込まれた絶望を味わって来た人たちである。忘れようにも忘れられない、突然襲われた不運を涙で乗り越えて厳しい練習に耐えた男たちのロマンを感じるドラフト会議でもあったような。どの有名選手がどの球団に入ったかは、それぞれのひいきチームの人たちで喜び合えばいい。問題は、あの甲子園大会の夢破れた選手たちが、ど...「秋、悲喜こもごも」

  • 「一段落」

    夏から秋にかけて種まきをする冬・春野菜。今日のタマネギ300本の植付けが終わってようやく一段落。痛む足腰をしっかり伸ばして深呼吸。やれやれ、なんとかかんとか言いながらよくやった。カブ・ダイコン・コマツナ・シュンギク・ミズナなど色々な野菜の自給自足を目論んで、今年も時季を違えず植えた。もちろん畑作りも雑草除けマルチも完璧に敷き詰めて準備万端整えて植えた。だが半端ではない今年の暑さは、植えたタネを一粒残さず腐らせてしまうほどの頑強さであった。本来なら最初に植えたタネが半分は実っていてもおかしくない秋半ばに、全部植え替えた。そんな二度手間で季節を外したのだから、新たに植えて芽を出した葉物・根菜が完全に成長するかはその時にならないと分からない。ただ、ジャガイモは遅く植えたのがよかったのか、とても元気に芽を吹き始め...「一段落」

  • 「季節の来訪者」

    届けられた年賀状申込書いつまでも暑いね~と言っている間に秋が来て、今年も馴染みの来訪者がやって来る季節を迎えた。本局での仕事を終えた帰り道、すっかり日が暮れて暗くなったのも構わず「今年もよろしくお願いします」と言いつつ年賀状の申込書を遠慮がちに置いていく、馴染みとなった元配達員さん。今では本局のデスクに座っておられる。この季節の行事が習慣化していったい何年になるだろうか。遠い記憶を呼び起こしてみると、はがき代が50円に値上げされて数年たったころだったような気がする。ということは20数年前のことになる。我が家の郵便受けに配達物を入れようとしたとき、タイミングよく私が直接受け取って「ご苦労さん」か「お世話様」かなにか云ったのがきっかけであったと思う。人と人との出会いとは不思議なもので、それから何度かの喪中はが...「季節の来訪者」

  • 「悩み多き秋Ⅱ」

    やれやれ😥困ったもんだ。悩み多き秋そのⅡがこの身を襲ってくる。あれほど息苦しかった猛暑酷暑をなんとかやり過ごして、遅い遅い秋の訪れではあったがようやく涼しくなったと喜んでいたというのに。一昨日土曜日の雨から一気に晩秋、初冬の肌寒さを感じるようになった。そのとたんに、スネに傷を持つ者の辛さとでも言おうか、ハクションハックションに悩まされる。いつもかつも出るわけではないが、一日に何回か、思いがけないところで急に鼻の奥がムズ痒くなる。そうなるともう止めようがないほどのハクション連発となる。今日も昼間の運転中にいきなり襲われたのには自分でも驚いた。そんな状態になったのは、あれやこれや病気と闘うようになった体調の低下と時期が重なる。この年になるまで感じたこともなかった花粉症にまで悩まされるようになった。内科クリニッ...「悩み多き秋Ⅱ」

  • 「悩み多き秋」

    今やなくてはならない生活の必需品となったスマートホン。弱りかけた脳みそをフォローして余りあるお助けマンの上に、こちらが出した質問に取り敢えずは答えを出してくれる。そんな心強い相棒であることに感謝する反面、ひとたび機嫌を損ねると箸にも棒にもかからない。その強情さはパソコン以上である。いま使用中のスマホは、機種を変更してからまだ3カ月にもならない新進気鋭である。それが何と2週間前に突然画面は真っ黒。褒めても好かしてもけなしても一切反応なし。急いで購入店に駆け込んだ。状況説明からメーカー修理の書類作成などに約2時間近く。「今色々やってみたところ、使えるようですが」と手渡してくれた。見たかったアプリを開いたらまた画面は真っ黒、応答なし。結局メーカー修理に出して2週間、今日受取に行った。電話番号控え、ラインのメンバ...「悩み多き秋」

  • 「岡目八目」

    仲良し同級生が主宰するカメラ愛好家グループによる写真展が開かれている。年に1~2回の開催で、今回が39回目という。実に息の長いグループ展である。必ず葉書による案内状を頂くし「アンタの感覚で忌憚のない意見を聞かせてくれ」と頼まれてもいるので、岡目八目ながら欠かさず鑑賞させてもらっているし、男の約束で、正直な意見を言わせてもらっている。ただ、展示されている作品は、確かにプロフェッショナルではないが、市の美術展覧会の入賞作品や各種コンテスト入賞・入選作品もずらり並ぶ力作展である。観る側も1時間以上をかけてじっくり。額に収められた作品の息吹を感じるのは当たり前だが、作品に添えられたタイトルや、作者の思いを伝える一言についつい厳しい目が行く。タイトルと作品がピタッと合っているいると、私自身がホッとするからである。逆...「岡目八目」

  • 「雲隠れにし・・・」

    今宵は、満月の中でも旧暦9月の最も美しいと言われる満月である。その上地球に一番接近して大きく見える上にきれいな、超の付くスーパームーンという触れ込みに誘われて、夕方あたりから少し期待しながら月の出を待った。でも内心は、この雲の厚さじゃいくらスーパームーンと言えども、地上に待つ私の目に届かないのではないかと、ある程度覚悟をしていた。日暮れとともに益々雲は厚くなるばかり。結局期待も当ても外れてしまった。ただ早くから全面的な期待をかけていたわけじゃないので、ま、しゃーないかと言った程度の当て外れでもあった。そんなことを考えていたら、頭の中を久しぶりに百人一種が駆け巡った。中でも月にまつわる歌が、上の句下の句別々にあれこれ浮かんでは消える。そんな中でもただこれだけは他人に譲れない、いわゆる十八番(おはこ)で絶対に...「雲隠れにし・・・」

  • 「背に腹は代えられず」

    ヒヨドリ旺盛な食欲を誇るヒヨドリ。お腹を満たすためなら大抵のものは食べる。モズほどの肉食性はないようだが、木の実から畑に出来る野菜類まで大方のものを食べる。食べると言えばかっこいいが、食べ散らかす、無茶苦茶に食い荒らす。ここらあたりが多少なりとも農作業を楽しむ者にとっては、許し難い敵となることもある。今朝も起きがけにヒョイと窓越しに畑を見れば、何とピーマンの木にあの大きな身体で乗っかって、ピーマンの葉っぱを丁寧に辛抱強くついばんでいる。ピーマンの実ではないから直接的被害はないのだが、キャベツや白菜、大根の葉っぱなら納得もするが、あの苦みのあるピーマンの葉っぱが美味しいのか訊いてみたくなる。もっとも、背に腹は代えられないという論理から言えば、お腹が空いたら先ずは何かを食ってお腹を満たす。この気持ちは納得でき...「背に腹は代えられず」

  • 「スポーツの日」

    以前は体育の日は10月10日と決まっていた。だから我が家の息子君の誕生日なので忘れられることはなかったが、今では変動制で10月第2月曜日が当てがわれた。その上、呼び方も慣れ親しんだ「体育の日」から「スポーツの日」と改められた。体育の日という呼び方は、知育・徳育と並んでいかにも道徳的な臭いがするから、道徳と言う観点が嫌われる現代人には好まれない呼び方なのかもしれない。しかも体育というからには何かしら運動が出来る人間、つまりある程度基礎から学んで体得した運動の出来る人とのイメージが匂ってくる。そこへ行くとスポーツの日と言うフレーズは気楽でいい。ただゆっくり歩くこともスポーツの仲間に入れてもらえそうである。肩ひじ張らずに気楽に体を動かし、躓きの防止や転倒を防ぐ準備運動をする程度でも、広い意味でのスポーツに通じる...「スポーツの日」

  • 「再会を祝して」

    長い間の都会暮らしを引き上げ、出身地の岩国に定住することになった同級生K君。定年退職後5年を経たころ偶然と言う必然と言うか初めての出会いがあって意気投合したOさん。K君とOさんは高校・大学が一緒の古い友達。K君と私は中学時代の同窓生で、務めた会社が同じ。そんな3人がいつか昼食会をしようという約束が出来ていた。このごろは駅前繁華街と言えども男3人が、ちょっとビールでも傾けながら少しゆっくり出来る静かなスペースを確保するのが難しくなった。そんな中をOさんの肝煎りで、格好の和食スペースを心配してもらった。互いの置かれた場所に少しの違いはあるが、根っこは同級生でありつながりが確認できる信頼と安心感でつつまれた三人会。予定が実現し、楽しい時間となった。三人三様ギラギラした過去を持ちながら、一仕事を終えたゆとりが漂う...「再会を祝して」

  • 「半世紀」

    HAPPYBIRTHDAY10月10日、我が家の長男君の誕生日である。長男と言っても男の子一人、女の子一人、つまり長女と長男の組み合わせである。幾つになったかって?この世に生を受けて半世紀近くになるのかね~。二人の娘のお父さんである。人生いろいろで、まだ子供が小さい。小5と小1で、これから本格的に教育にかかる費用が膨らんでくる。がんばってもらわないといけないお年頃である。自分の時を振り返っても、胸突き八丁「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」の時代であったような。どうかすると子供の世話は一切合切母親任せ。ただただ仕事に没頭していた・・・なんて言えばかっこいいのだが、そんなこともないのに何かしら忙しくて、お年頃の子どもとお父さんの関係らしき思い出が少ない。そこへ行くと今どきのお父さんお母さんはほんと、子ども...「半世紀」

  • 「丸8年の・・・」

    今年の異様な暑さは今さら言うまでもなく、マイナス面の大きさに驚くばかりである。が、数こそ少ないが利点と言えることがらもまるで無いわけではない。人にとってもクマやサルにとっても美味しい秋の味覚「柿」が豊作といわれている。❝渋柿や丸8年の恩知らず❞と言われる渋柿が丸々太って収穫される映像が流された、いや違ったオンエアーされていた。そして頭の奥にシミのように密かにくっついている遠い思い出がよみがえる。今思えば我が子を奮起させる父親の期待感であったのかもしれない「渋柿じゃったのー」という嘆き節。桃やクリは3年もすれば実を結び始める。そこへ行くと柿は実を結ぶまでに8年もの長きを要する。苗を植えて8年間辛抱して手塩にかけた、その挙句が渋柿だった。となれば裏切られたという親父の気持ちが今にして少し理解できる。だが待てよ...「丸8年の・・・」

  • 「カンロ」

    さむ~~!!夏が往ったのかな~と思う間もなく、あきない冬の初めが訪れた。秋のないまま冬がやってきたようで、季節に敏感な老身、身震いひとつ、ハックション一つ。二日続きのぐずついた曇天は、あの悩まされ続けた陽射しが恋しくなる肌寒さ。矛盾してますね~。寝覚めに二階の窓から見下ろす畑には、雨が降ったあとのような光沢が目に入る。あの夜露が月明かりに白く光るのが白露。その夜露が冷気に晒されて寒さを連れてくるのが寒露。熱燗を口に含んで思わず唸るのがカンロ・甘露だろうか。いずれにしても一気に寒くなった。家の中では半袖薄手の肌着でじゅうぶんだったのに、長袖を着て前ボタンを留めたくなる。変わり身の早さについて行けないねー。挨拶も「「暑さに気を付けましょう」から一気に「風邪引かないように」と変わる。改めて口にするが、風邪は万病...「カンロ」

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