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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

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  • ブログのお引越し

    読者の皆様へこの度、gooblogの閉鎖に伴ひ、ブログを引越すことに致しました。この際、止めてしまはうかとも思ひましたが、備忘録として、あるいは頭の体操として継続してもいいのではと思ひ、続けることと致しました。年々、更新の頻度が少なくなつてゐるやうに感じますが、フェードアウトの傾向は続くだらうと思ひます。時々は覗いてみてください。引越し先は、こちらになります。ブログのお引越し

  • 今年の桜は万博公園

    明日は大阪での仕事のため、早めに帰阪して万博公園に出かけた。人が多く、入口に至るまでが渋滞。公園駅の改札を出て左側の下りのスロープからすでに行列。こんな経験は初めて。しかし不思議に苛立つ気持ちは起きない。太陽の塔を眺めながらの牛歩と、隣の家内と不在の間の取り止めのない大阪での話を聞く時間とは、春の休日の過ごし方として大満足。持参したおにぎりとおかずとお茶を桜を見ながら食す。桜越しの太陽の塔の左後ろ姿はその時のもの。音に引き寄せられて行つて見た大道藝にしばし見入つた。ちょつと怪しいが自称22歳の青年のジャグリング藝は素晴らしかつた。しつかりお金を求めてゐた。それが良いと思つた。藝には金を払ふ。当然のことだらう。大道藝を軽く見てゐた自分の考へ入試気づかされた。写真を撮り忘れた。最後に日本庭園に初めて行つた。こ...今年の桜は万博公園

  • 白石一文『私という運命について』を読む

    私という運命について(角川文庫し32-4)白石一文角川グループパブリッシング久しぶりに白石の本を読む。やはりいいなと思つた。入試の対策に追はれて面白くもない文章をこれでもかといふほど読み続けて来たが、春休みにやうやく読む楽しみを経験できた。1人の女性が主人公。職業人として活躍する女性である。恋愛を重ねていく中で、この人と結婚することになるだらうとよかんしながら、さまざまな出来事が起きて破談になる。時々に出会ふ友人や知人との会話には、気の利いた雑学やら箴言があつて、これが好きか嫌ひかで、きつと白石文学の評価が分かれるのであらう。私はそれが好きである。気の利いた会話を日常的に出来るかと言へば、それはほとんどない。したがつて、こんな小説の会話はリアルではないのかもしれない。しかし、さうであるからこそ日常には倫理...白石一文『私という運命について』を読む

  • 「教皇選挙」を観る

    映画ポスターコンクラーベ(2)キャンバスポスター印刷壁アート油彩画モダンホーム装飾誕生日ギ...【材料】キャンバス家内の実家の整理のために宮崎に来てゐる。最後の日は市内のホテルに宿を取り、観たい映画があればそれを観る。さういふことにしてゐる。といふのは、宮崎駅周辺の再開発で食事も映画も楽しめる場所が出来たからでもある。都会の生活に慣れてしまふとかういふ環境にむしろ親しみを感じる。田舎暮らしは私には向いてゐない。さて、今回はレイトショーで「教皇選挙」を観た。楽しみにしてゐた。映像も音楽も演出も2時間弱の時間が短すぎると感じさせるほど一体となつて観てゐる者を惹きつける。カソリックの伝統は、儀式と衣装と建築に凝縮されてゐるやうに思はれた。言葉の意味はよく分からないが、そこに2000年といふ時間の堆積を感じる重み...「教皇選挙」を観る

  • 時事評論石川 2025年3月20日(第851)号

    今号の紹介です。と言つてもこれで休刊。おそらく最後の号となる。一面に久しぶりに留守晴夫先生が書かれてゐる。その師松原正の全集を刊行し続けてゐる留守先生が最新刊『自衛隊よ旨を張れ』について書いてゐる。自衛隊を論じながら、日本人が如何に物事を自分の頭で考へないかを松原は書いてゐた。切り口鮮やかに血潮が飛び散るやうな怜悧な展開は、読者を選んだ。絶望的な思ひを抱き続けながら最期まで書き続けられた松原の精神を受け継がれた留守先生は、師への思ひを全集刊行といふ形で今も示し続けてゐる。四巻目となる本書は、松原だけが書いた、いや松原だけが書けた現代日本の剔抉の書である。対談3本と講演1本も収録されてゐると言ふ。是非とも手に入れたいと思ふ。留守先生は、今回永井荷風の『断腸亭日乗』から次の文章を引いてゐた。「帝都荒廃の光景哀...時事評論石川2025年3月20日(第851)号

  • 「国語の教科書も横書きではいけないのかな」

    今朝の読売新聞の一面の記事「再考デジタル教育検証中間報告下」の冒頭の一節である。読んでがつかりした。かういふ母語理解でデジタル教科書の検討がなされてゐるのかといふことを改めて知らされたからである。「祖国とは国語」とはシオランの言葉だつたと思ふが、国語には「かたち」と「意味」と「音」とがあつて、それらは受け継ぐべきものである。歴史的な変化のなかで徐々に変はつていくならそれは自然であるが、「コンピューターは横書き」だから「国語の教科書も横書きで」は本末転倒である。機械に国語を合はせるのではなく、国語に機械を合はせよと主張するのが、教育を審議する組織の在り様である。さういふ見識も理解もない人たちが集まつて方針を出すといふところが、笑止である。記事の後半、東京大学の酒井邦嘉氏(言語脳科学)のコメントが救ひであつた...「国語の教科書も横書きではいけないのかな」

  • 吉田茂、岸信介、そして安倍晋三

    昨日と今日と、年末に録画してあつたNHKの番組を見た。「映像の世紀バタフライエフェクト」シリーズの2本、「吉田茂占領下のワンマン宰相」と「戦後日本の設計者3人の宰相」とである。後者の3人には安倍晋三は入つてゐない。吉田、岸、そして田中角栄である。安倍晋三は岸邸で遊ぶ子供として登場してゐた。吉田は白洲次郎と共に戦後の方向性を決定づけた。経済生活が何より大事であるといふことである。そして、岸はそれに異論をぶつける。真の独立には憲法改正が必要だと主張したのである。こんな戦後史の基礎を今更書くのは、番組を見て現在の宰相との違ひを感じたからだ。今の宰相にはさういふ「やりたいこと」を微塵も感じない。そのことの落差が国力の劣化そのもののやうに思へる。穏やかに沈んでいく。とんでもない時代であるのに、それを感じることなく溶...吉田茂、岸信介、そして安倍晋三

  • 新保祐司『美か義か 日本人の再興』を読む

    美か義か〔日本人の再興〕新保祐司藤原書店久しぶりに考へながら読む本に出合つた。とは言つても本屋で吟味して手にしたものではない。著者である新保先生からお送りいただいたものである。そして、今じつくりと読み進めてゐる。美か、義か―—その選択に悩みながら生きてゐるといふ人を日常のなかで見かけることはない。そのほとんどは、損か、得かで生きてゐる人ばかりである。もちろん、さういふ私自身もさうであつてはいけないと自戒しつつ生きてゐるともりであつても、その実はたから見れば、「お前だつてさうだらう」と言はれるやうな生き方になつてゐよう。この言葉は、内村鑑三の言葉であるやうだ。そして「その選択は人生重大の問題である」と続いてゐると言ふ。さすが『後世への最大遺物』として「高尚なる人生」を生きた鑑三の言葉の重みを受け止める器が今...新保祐司『美か義か日本人の再興』を読む

  • 時事評論石川 2025年2月20日(第849・50)号

    今号の紹介です。なんと言つても今月号と来月号で「休刊」といふことを記さずにはゐられない。一面左上に掲げられた「編集の方針」には、次のことが書かれてゐる。一、国家目標の実現と確立一、日本の歴史と文化の正しい継承一、21世紀を拓く人間教育への転換一、国際的視野からの正論報道一、地域共同体(コミュニティ)精神の再確認「国家目標」といふ言葉自体を取り上げる政治家も総合雑誌も今では見かけないが、思ひ返せば1980年代まで共産主義の脅威が現実的だつた頃には、さういふ言葉が輝きを以て語られてゐた。しかし、「日本の歴史」も「正しい」といふ言葉も、なほかつ「継承すべきもの」として使はれることも、「人間教育」も「正論報道」といふ言葉も白々しく感じられるほど、私たちの生活から失はれてしまつた。コミュニティといふ言葉だけが賑やか...時事評論石川2025年2月20日(第849・50)号

  • 「ゆきてかへらぬ」を観る

    ゆきてかへらぬ:田中陽造自選シナリオ集田中陽造国書刊行会ゆきてかへらぬ映画パンフレット監督根岸吉太郎出演広瀬すず、木戸大聖、岡田将生、田中俊介、トー...A4サイズKINO中原中也長谷川泰子小林秀雄この三人の物語が映画化されては観ないわけにはいかない。決して評判になるやうな映画でないだらうことは分かつてゐるが、田舎にゐると上演館まで行くのに車で一時間はかかつてしまふとは思はなかつた。しかし、見終はつて、いい映画だつたと素直に思へた。景色は昭和の初期を描いてゐるのだが、着る物も家の中の様子もどうにも綺麗すぎるのはたまに傷だが、2025年の現代に何もかもかつての姿を再現する必要もないだらう。それを言ふなら、誰もが現代の美形の役者が演じること自体を否定しなければならなくなつてしまふ。詩をつかまうとして生き急ぐ中...「ゆきてかへらぬ」を観る

  • 理想的な演劇はあるのか

    藝術とは何か改版(中公文庫ふ7-5)福田恆存中央公論新社今年の大学入試も大詰め。2月25日26日の国公立大学の前期試験はその頂点である。そこで毎年この時期は、大学入試の過去問の演習をする。先日、京都大学の2023年の国語の問題をやつた。著者は福田恆存で、題材は『藝術とはなにか』である。その問三。「そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい」(傍線部(3))のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(三行)ネットから解答を拾ふ。演劇が演技を見せるものに留まり、精神の可能性を問いかける観客の主体性を発揮できないならば、演じる側の方がものまねの快感を味わえる分楽しみが大きいから。(75)演劇で日常生活のものまねを見て楽しみを感じる程度のことであれば、鑑賞に主体性を欠くので、観劇するよ...理想的な演劇はあるのか

  • 福田恆存の肉声『WILL』2025年2月号

    月刊WiLL(ウィル)2025年02月号[雑誌]ワックワックこの手の雑誌を手にすることはほとんどない。『諸君!』があつたころは毎号欠かさず見てゐたが、現在では『文藝春秋』も見ない(だいぶ傾向が変はつてしまつた)。今は『正論』『中央公論』『VOICE』ぐらゐ。本屋で見て気になれば購入するといふ程度である。これまでにも何度も書いてきたが、読みたい著述家がほとんどゐないからである。それでもこれらの雑誌が継続してゐるといふことは、読者の私の方が時代とズレてゐるといふことであらう。さういふことも事実としてあるだらう。しかし、その一方で今の著述家言論人で30年後にも読まれる文章を書いてゐる人はどれぐらゐゐるのだらうかといふ疑問もぬぐい切れない。それほどに時評的後付け評論が多いといふのが率直なところである。30年とは言...福田恆存の肉声『WILL』2025年2月号

  • 『ていねいなのに伝わらない『話せばわかる』症候群』を読む

    ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群北川達夫日経BPマーケティング(日本経済新聞出版今の職場に著者のお一人北川達夫先生が定期的にお越しになつてゐる。非認知能力を開発するインストラクターとしてである。生徒を相手にレクチャーをされたり、スタッフを対象にセミナーを実施されたりしてゐて、お話する機会がある。北川先生がZ会と組まれて、宇宙飛行士の訓練の一環として開発されたコンピテンシー育成の手法を学校現場でも取り組めるやうに作り直したもので、大変興味深い。未だこちらの理解途上にあるものなので、質問しようにも質問自体が茫洋としてゐて、勿体ない時間を過ごしてゐる。先生が来られてゐる期間中に何とか実のある対話をとの思ひがあつて、この正月に読んだのが本書。対談相手の平田オリザ氏は著名な劇作家。言葉と行動とをめぐる...『ていねいなのに伝わらない『話せばわかる』症候群』を読む

  • 令和7年の太陽の塔

    少し体調が安定して来たので、外の空気を吸ひに万博公園まで行つて来た。変はらないものを見て、こちらの変化を自覚する。そんな逆定点観測にもつてこいなのが私にとつては太陽の塔である。今年は昭和100年といふ。この太陽の塔が建てられた(立つた)のが昭和45年。三島由紀夫の年齢は昭和の年号と一致するから、市ヶ谷の駐屯地で憤死したのがその年である。そして昭和100年の今年、再び大阪で万博が開かれる。夢洲の喧騒を遠くに眺めながら千里の丘の上から太陽の塔は立ち続けてゐる。令和7年の太陽の塔

  • 里子来て大慌てなり秋深し 昨年を振り返る

    年末から年始にかけて風邪をひき、正常に戻つてはぶり返す、これを繰り返してゐる。初めて病床(少し大袈裟だが)で新年を迎へた。今朝は熱は下がつたが、いつまでも寝てゐられるほどの倦怠感。かういふこともあるのだなと少し遠くから自分の寝姿を見てゐる。さて、昨年一年を振り返つて、最大の出来事は里子を迎へたといふことである。と言つても、臨時や緊急避難的な「預かり」である。児童相談所から、本当に突然連絡が来る。年齢も性別も事情も詳しくは知らされずに、とにかく「どうですか」といふ電話がかかつて来る。今回は2件とも運良く私も家内も時間が取れるタイミングだつたので受けた。しかし、緊急避難の時には下着も着替へもない、体一つで来るから、こちらはてんてこ舞ひ。食事も何を食べさせたら良いのかも還暦を過ぎたこちらには手に余る。がなんとか...里子来て大慌てなり秋深し昨年を振り返る

  • 福田恆存の讀まれ方ーーシンポジアムのレジュメ

    僥倖は突然訪れた。『福田恆存全集』の詳細な年譜を作成された佐藤松男先生より、十一月に突然シンポジストとして福田恆存没後三十周年記念のシンポジアムに参加してほしいとの依頼があつた。私としてはこれ以上ない快事であつた。あまり良いことのなかつた今年の最後の最後にかういふ出来事が訪れたことを静かに喜んだ。いつもさう思ふが、出会ひといふのは、そのことが起きる直前まで分からないといふことである。当たり前のことではあるが、この「待つ」時間こそが生きるといふことなのだと改めて思つた。さて、当日私がお話したのは、以下のレジュメの通りである。どんな観衆なのかも分からないので、それぞれの世代ごとの「讀まれ方」について概説した。年の瀬に、もしご関心があればお目通しください。拙ブログをこの一年お讀みくださりありがたうございました。...福田恆存の讀まれ方ーーシンポジアムのレジュメ

  • 丸谷才一の評論2つ 日本近代文学の隘路

    悠々鬱々(1975年)(現代の視界〈1〉)ふと目についた丸谷才一の本『悠々鬱々』を手にして読んだ。その中の評論2つが印象に残つた。1日本文学のなかの世界文学2実生活とは何か、実感とはなにか載せられた媒体は異なるものの書かれた時期ほぼ同じ。前者が『展望』昭和41年1月号、後者が『群像』昭和41年2月号である。したがつて、主旨には通じるものがある。それは何か。日本近代文学が手本としたのは、19世紀ヨーロッパ文学であり、私小説・自然主義文学こそが「純文学」であるといふ観念を作り出してしまつた。しかし、そもそも19世紀ヨーロッパ文学とはそれ以前の文学への反抗の表象であり、ヨーロッパの文学において異質なものであつた。それを手本としてしまつた日本の近代文学が生まれながらにして持つてしまつた性格は、当然ながら文学を痩せ...丸谷才一の評論2つ日本近代文学の隘路

  • 友宅のリフォームを見る冬の風

    将来我が家のリフォームするときのために、以前から見ることを約してゐた家内の友人宅を見に出かけた。寒い午前中だつた。それが悪かつたのか、陽射しはあるが、風のなかを15分ほど歩いた。なかなかにきれいな仕上がりに感動したが、どうにも寒かつた。どうして暖房を入れないのだらうかと思ふほど寒かつた。今思へば、そのときに既に風邪をひきかけだつたのだらう。お昼に近くなつたので友人宅を離れてさらに20分ほど歩いてショッピングモールに行き、コーヒーを飲んだが、一向に体は温まらない。食事をしようにも食欲はない。これはまずいと内心思ひながらどうしようもない。暖房のきいたその食事街で休憩すれば少しはよくなるだらうと思つたが、どうにもならず一時間ほどゐて電車に乗つて家に帰ることにした。電車は始発駅だつたので暖房も聞かず、ドアはすべて...友宅のリフォームを見る冬の風

  • 時事評論石川 2024年12月20日(第848)号

    今号の紹介です。年の瀬である。仕事納めとなり、やうやく冬休みを迎へた。読みたい本を選別し、ゆつくり本を読んだり映画を観たりしようと思ふ。寒い季節は外に出るのも躊躇されるので、友人や知人に会はうといふ気も年々減退してゐるやうに感じる。これはまずいなとは思ふ。しかし、その一方でさういふ気持ちの変化は自然なことなのだから、その自然に逆らうのもよくないのではと思つてしまふ。3面の照屋先生の論考にはたいへん刺戟を受けた。「非近代的なもの」を近代化にとつて「除去されるべき障害物」と見ることは、明らかに「非」である。そのことを何となく感じて「バイデン=ハリス」を拒否したのがアメリカの国民であり、「バイデン=ハリス」的な、非近代的なものに価値を見出せない流れを追つてゐるのが、現代日本の社会の流行であると言ふ。その端的な例...時事評論石川2024年12月20日(第848)号

  • 『神様のカルテ』を観る

    神様のカルテ(小学館文庫)夏川草介小学館神様のカルテ深川栄洋夏川草介の小説をしばらく讀んでゐたが、出世作であるこの小説は未讀のまま時間があつたので、Primevideoで観た。最初から最後まで、この作品は櫻井翔であることで味はひが台無しになつてしまつたのではないか、そんな風に思つた。宮崎あおい、池脇千鶴、吉瀬美智子、加賀まりこ、江本明、要潤と周囲の人物は見事であるが、肝心の主役が違ふのだ。ではお前なら誰に依頼するかと自問すると、はて、と思つてしまふ。「一止(いちと)」といふ名前の人物は、正しいといふ漢字を連想させるが、それは正しさを主張する前に一度止まるといふ意味にも思はれた。正しさは控へめにといふことでもあらうが、若さに任せない慎重さと、経験不足への謙遜と、それでゐて自分の腕への誇りとを併せ持つ、複雑さ...『神様のカルテ』を観る

  • 時事評論石川 2024年11月20日(第847)号

    今号の紹介です。やうやく冬らしくなつてきた。総選挙も終はり、いきなり外交の成果を問はれる石破総理だが、やはり厳しい評価をするしかない。彼の人は、もう三十年以上前の「政治制度改革」の嵐が吹き荒れる頃から見てゐるが、論理的に話してゐるやうで、どうも根本的なところで間違つてゐるのではないかといふことを感じてゐた。かつて数学者の藤原正彦が書いてゐたが、論理とはA⇒B⇒C…⇒Nのことを言ふが、最も大事なことは最初にAを選んだことである。したがつて結論Nの成否は、論理的かどうかといふことよりも、最初にAを選んだことの成否には及ばないといふことだ。ではAはどうやつて選ぶか、それはまさに直観である。直感ではない。直観だ。本質をとらへる眼力であらう。同じく数学者の岡潔がつとに述べてゐたやうに、情緒の賜物である。そこが貧困で...時事評論石川2024年11月20日(第847)号

  • 『語り合いを生む教育実践研究』を読む

    ここでは、あまり私の本業である「教育」について記すことはない。その理由ははつきりしてゐて、毎日取り組んでゐることについては実践での反省や改善に勝ることはないからである。教育は仕事であり、その効果は毎日の教室でのやり取りで判断されてゐる。うまく行く日も行かない日ももちろんあるが、目指してゐるとこへ向かつて歩いてゐる。学校は年中行事の繰り返しのやうに見えるが、じつは自然の変化と同じで同じことは二度と起きない。同じ文章を、同じ時期に取り上げても、クラスが違へば異なるし、更には私自身の体調も生徒の感情も変数として加はるから、同じことは行ひやうがない。それでもそこにはある種の運動があつてリズムを伴つてゐる。そのリズムが乱れてゐるかどうかに意識は集中してゐる。だから、わざわざ文章にする必要はない。とは言へ、学校は個人...『語り合いを生む教育実践研究』を読む

  • 「八犬伝」を映画館で観る

    【チラシ2種付映画パンフレット】『八犬伝』出演:役所広司.内野聖陽.土屋太鳳映画『八犬伝』の公式パンフレット。キノフィルムズ興奮しながら映画を観た。人気がないのだらう。朝9:05と昼12:00からの上映回しかなく、仕方なく8:00過ぎには家を出て出かけることにしか。滅多に映画も観なくなつたので、嗅覚も鈍い。そんなこともあつてネットのコメントを参照することが増えた。時間もお金も無駄にしたくないといふ今時のタイパ・コスパ感覚にだいぶ浸潤されてゐる。頭では否定してゐるのにである。つまらない映画にあたつたら、金のことなど気にしないで席を立つて出ていけばいい。さういふ姿に憧れてゐるが、そんなことが出来たのはこれまでに2回しかない。それはともかく、この映画の評価は決して高くはなかつた。確かに八犬士の冒険譚や戦闘シーン...「八犬伝」を映画館で観る

  • 君はいいな。 彼らは走っているのに、君は走っている人間を、散歩しながら眺めているような男だ。

    小川国夫全集.全14巻小川国夫全集.全14巻ノーブランド品この文は、小川国夫全集の第3巻の「編集後記」の中にある。小説仕立てなのか、随筆なのかは分からないが、「後書に代えて」と題された文章の中の一節である。「私」は、「妙な誤解だが、そう見えたのなら、そうとしておけばいい」と記してゐる。得てして人は自分の姿を他人に映してしまひやすい。この友人も「私」が毎日散歩してゐる姿を羨ましいと思ひ、それが募るあまり「私」への非難を口にしてしまつたのであらう。「散歩できない(仕事に追はれゆつくりできないことへの)不満」を抱へてゐるのである。それは「眺める」といふことに「人間の本質を見極める」といふ意味があることを知らず、楽をしてゐると見てしまつたのである。つまり、友人にとつての仕事とは「眺める」ことではなく「走る」といふ...君はいいな。彼らは走っているのに、君は走っている人間を、散歩しながら眺めているような男だ。

  • 追悼 西尾幹二先生

    西尾幹二が亡くなられた。長年、愛読して来た「西尾幹二のインターネット日録」の11月1日には令和6年、11月1日午前4時2分西尾幹二先生が永眠されました。と書かれてゐた。享年89最晩年の著作は読まなくなつてしまつたが、30年前、私の人生の危機とも言ふべき時期を支へてくれた文章家の御一人であつた。今手元にある『智恵の凋落』を繙くと、昭和45年ごろに日本は「未曽有の激変期」を迎へたと記してゐる。私は昭和39年生まれで、その「智恵の凋落」を書かれたのが昭和60年である。整理すれば、1945年大東亜戦争敗戦1965年~1970年未曽有の激変期1985年「智恵の凋落」執筆私は、西尾幹二の見立てによれば、「激変期」直前に生まれたことになる。時代は1991年にソ連滅亡を経て、左翼勢力が衰退していくが、私の大学時代はその共...追悼西尾幹二先生

  • 時事評論石川 2024年10月20日(第846)号

    今号の紹介です。やうやく涼しい季節がやつてきた。一昨日、エアコンが壊れた。運よくといふのだらうか。苦しまずに残暑を送ることができた。四面コラムの「死刑制度」についての議論は、たいへん面白かつた。日本はもちろん死刑存置国である。それに対して世界の潮流は死刑廃止論だといふ人がゐる。果たしてさうだらうか。以前、テレビで竹田恒泰氏が語つてゐたが、フランスでは凶悪犯罪者で警察に対して発砲したり、人質を殺害しさうだったりしたときには、その場で射殺する権利があると言ふ。さういふ国で死刑制度がないといふのは分かる。しかし、それもなく、殺人者の人権だけを論ふ日本の死刑廃止論には私は与せない。「冤罪に苦しむのは死刑囚だけではない」から死刑制度は維持するといふのは理屈にもなつてゐないが、死刑制度の存置に異存はない。ご関心があり...時事評論石川2024年10月20日(第846)号

  • 平和について

    NHKの朝のドラマは、たいがい終戦記念日を取り上げる。あたかもそれを抜かしてはいけないといふコードがあるかのやうである。そして、そのトーンはいつも「二度と戦争は起こしてはいけない」といふものである。そのことについて異論はない。しかし、である。いつもそれは「戦争を起こしたことへの糾弾」と「戦争は平和の敵であるといふ確信」に貫かれてゐる。そこに私は「いい気なものだな」といふ残念な思ひを抱く。これが日本人の多くの人が抱く「平和観」だとすれば、疎外感すら感じるのである。第一に、朝ドラ的平和観が間違つてゐるのは、「私は戦争を起こすことはない」といふ自信の根拠の薄弱さである。第二に、「戦争は平和の敵である」といふ思考の根拠の貧弱さである。戦争といふものが起きてゐる理由を、今日のロシアやハマスの例で考へれば分かりやすい...平和について

  • 時事評論石川 2024年9月20日(第844・845)号

    今号の紹介です。久し振りの更新。今朝はやうやく涼しい風が立つてゐた。エアコンをつけずに過ごせたのはいつぶりだらうか。暑い夏がやうやく終はつたかのだらうか。私が愛読してゐるこの時事評論石川は、その名の通り金沢市に発行元がある。加賀も能登も昨日までの雨で年始の地震の避難場所が再び災害に襲はれてゐる。何といふことだらうか。何の理由もなくかうした災害に襲はれるといふのが自然災害なのだけれども、それでもどこかにその理不尽さへのやりきれない思ひをぶつけたくなる。その思ひを共有することはできないけれども、その思ひが未来への蓄積になることを祈るばかりである。さて、三面の照屋氏の論考が光る。マッシウ・アーノルドの「CultureandAnarchy」を『文化と教養』と訳してゐらしたところ、今に至つて一般に訳されてゐるやうに...時事評論石川2024年9月20日(第844・845)号

  • 山田太一「今朝の秋」を観る

    山田太一原作笠智衆主演『今朝の秋』【NHKスクエア限定商品】笠智衆、倍賞美津子、樹木希林、杉村春子、山田太一(原作)NHKエンタープライズ今夏の映像視聴はハズレが多かつた。「ぼくのおじさん」(北杜夫原作)、「秋刀魚の秋」(小津安二郎)は、期待してゐたが、肩透かしだつた。それに対して「今朝の秋」は、素晴らしかつた。目の前に人はゐるけれども、独白調で語る台詞回しは小津安二郎に似てゐるけれども、山田の場合にはもう少し思想的である。言葉は気分の表明のやうに見えて、実はさうではなく、思想を構築するやうに、しかもレンガを積んでいくやうでもなく、ちやうど彫刻家が木材を削りながら造型を作り出してゐる装ひである。掘つては修正し、残しては掘る。その往還が1人の人物の台詞として描かれていく。それは見事であつた。もちろん、うまく...山田太一「今朝の秋」を観る

  • 今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

    「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策今井むつみ日経BP組織に属してゐる人であれば、必ず感じるだらうことが、この「何回説明しても伝わらない」といふ体験である。ましてや私の職業は教師といふことなのでなほさらである。認知科学の発達により、「理解」とはどういふことなのかはおおよそ明らかになつてゐる。今から40年ほど前に、ある論文の中で認知心理学やスキーマ(理解の枠組み)といふ言葉を読んで、なるほど「理解」とは、外部からの刺戟とそれについての反応といふ表面的な過程の奥に、前提となることがあるのだ。そして、そのスキーマを見据えて学習といふ行為を成立させることが必要だといふことを知つた。だから、それ以来私の教育観の中から「話せば伝はる」といふ図式は一掃されてゐる...今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

  • 多様性万能論を排す

    なぜ東大は男だらけなのか(集英社新書)矢口祐人集英社先日、東京大学の副学長の矢口祐人氏のお話を聞く機会があつた。『なぜ東大は男だらけなのか』の著者である。東大の女子学生は2割の壁を越えない。もちろん、他の大学も同じやうなもの。早稲田が少し女子学生が多いらしいが、日本の大学生には男子が多すぎるとのことだ。これは他国の大学からするとかなり特殊といふことのやうだ。もちろん、女子大学といふ世界にはあまり例のない大学が日本にはあるといふことも一因かもしれない。しかし、そもそも受験の段階で女子が少ないといふこともある。日本とスイスぐらゐらしい。大学進学者の男女比がその他の国では逆転してゐて、圧倒的に女子の方が多いといふのだ。かういふ話を聞いて、なるほどねといふ驚きがあつた。それで、日本でも女子学生を増やさなければとい...多様性万能論を排す

  • 内田樹『街場の成熟論』を読む

    街場の成熟論(文春e-book)内田樹文藝春秋久しぶりに内田樹の本を読んだ。十年ほど前はむさぼるやうに読んだが、その政治的発言が外れ続けるのを見てゐて違和感が強くなり、読むのを止めてしまつた。それがどういふ訳か、この夏に読む本の一冊として鞄に入れ久ぶりに読むことになつた。政治的見解の「ずれ」について、内田が弁明のやうなものを書いてゐた。「そもそも私にはどの政党の政策が『客観的に正しい』のかがわからない。外交や安全保障や経済について、私には政策の適否を判断できるほどの知識がない。知識経験豊かな専門家たちの意見が食い違うような論件について素人の私には判断がつくはずがない」(93頁)と。それなら普通は、政治的なコメントは寄せないといふのがマナーだらうが、内田は違ふ。本書にも安倍元首相の批判について何度も記してゐ...内田樹『街場の成熟論』を読む

  • 缺性といふこと

    缺性(欠性)とは聞きなれない言葉だと思ふ。缺如と言へば分かりやすいが、哲学用語はわざわざ言ひ古されてゐない言葉を用ゐて、言葉の意味をくつきりとさせようといふ意図があるやうに思はれる。その意味は「本来は持つてゐるべき性質を持つてゐない状態」といふ意味である。「中」とは上下左右前後などの「両端」の概念があるはずなのに、それを持たずに「中」だけがあるとすれば本来はをかしいはずだが、中しか存在しないと考へればそれは缺性的といふことになる。中の下に「華」をつけて、東西や南北に存在を認めないといふ政治姿勢の国があると言へば、その国は缺性的といふことになる。このことは、人に対しても同じである。自分の考へだけが正しいと考へ、他の人の考へは誤りであると断じる姿勢は、意見の対立は許されないといふことを示してをり、缺性的と言へ...缺性といふこと

  • 角田光代『方舟を燃やす』を讀む

    方舟を燃やす方舟を燃やすノーブランド品長編である。方舟とは旧約聖書に出てくるノアの物語から採られたものだ。それがどういふ意味か。タイトルに引き寄せられた。カバーの絵が私には現代藝術家の辰野多恵子の絵のやうに見えた。この絵の色合いと筆触が好みにあつてゐた。巻末を見ると津田周平といふ方の想定であるやうだが、オレンジ色の字に黒い不思議な形状が浮かび上つて見える。方舟を燃やす角田光代新潮社しかし、驚いたことに巻かれてゐる帯を読後の今初めて剥がしてみると、その黒い不思議な形状は猫が伸びをしてゐる姿だつた。読み終はつて「猫」の存在が最後の最後に印象付けられるが、さういふことだつたのかと知らされた。帯は外してみるものかは。私の子供の頃には、ノストラダムスの大予言が取りざたされ確か映画にもなつてゐた。1999年7月に地球...角田光代『方舟を燃やす』を讀む

  • 人生初の新幹線

    一昨日と昨日、栃木県に行つてゐた。自治医科大学が主催する説明会に参加するためだ。これまでに日光をはじめとして栃木に行つたことは何度かある。母方の出は栃木である。生前、戦時中の話になると栃木に疎開してゐたときの話題になつたから、たぶん親類がゐたのであらう。栃木には親近感はある。東京に住んでゐた頃に宮城や山形に出かけたことがあつたが、それらはいづれも自動車であつた。あるいはもつと昔、大学時代に仙台に出かけたときはまだ東北新幹線がない頃であつたから、特急列車で行つた記憶がある。そこでせつかくだから東北新幹線に乗つて栃木に行つてみようと思ひ立つた。しかし、それが失敗だつた。上野で人に会ふ約束があつたので、東北新幹線に上野から乗つたのだが、そのホームが何と地下の深いこと深いこと、驚いてしまつた。更に、列車が15分ほ...人生初の新幹線

  • 自治医科大に向かふ車中にて

    今日はこれから自治医科大学の説明会に向かふことになった。説明会自体は明日だが、天候不順が怖いので大事をとつて本日から移動することにした。大阪から東京への新幹線での移動は久しぶりのことで、その間何をしようと考へてゐたが、少し見ておきたい映像があつたので、それを見て過ごすことにした。実を言ふと今この文章も車中で書いてゐる。その映像を見終つたところで一息ついてこれを書いてゐる。これからの時間は、教へ子が書いた小説を読まうと思つてるる。職業作家のそれではないが、その腕は相当なものだと思つてゐる。なかなか切実なテーマを抱へてゐるもので、書かなければ生きていけないといふやうな種類のそれである。聞けばヘッセの小説に惹かれてゐると言ふ。こんな時代に、いやこんな時代だからだらうか。ヘッセを読まうといふ若者は貴重である。少な...自治医科大に向かふ車中にて

  • 不易流行といふこと

    先日の講演会で講演者の一人が、この言葉を引用し、芭蕉はこのやうに言つてゐるとして示したのが次の言葉である。「去来抄」にある。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」。そして、これを次のやうに現代語訳してゐた。「変わらない真理の中にも新しい変化を取り入れようという考え方です」と。国語の教員であるといふ方の、わづかこれだけの短い自分の言葉に矛盾があることに気付いてゐない。それに驚いてしまつた。「変わらない」と「変化」が両立するとはどういふことであるのか。芭蕉が言はんとしたところは、俳句には基本がありそれをおろそかにしてはいけない。ただし、その基本に忠実といふだけでは陳腐になつてしまふので新風を吹き込めといふことである。芭蕉が「去来抄」で述べたところを、真理自体が変化するかのやうに解釈して...不易流行といふこと

  • 生成AIで脅迫する教育学者

    昨日大手予備校が主催する教育セミナーに参加した。大阪難波の一流ホテルの大宴会場に相当な数の教員を集めての大集会であつた。いく人かの講師が話されてゐたが、どれも低調で残念だつた。この種のセミナーが成功するかどうかは主催者がどれだけ丁寧に講演者にセミナーの主旨を話し議論し講演の内容を鋭角的にできるかにかかつてゐる。さうでなければ、どこかで使つたパワーポイントの焼き直しかどこかに書いた文章の再現でしかないものになりがちである。昨日のもさういふ印象が強かつたが、それとは次元の異なる酷い公演があつた。それはもはや生成AIを使はない選択肢はないといふ内容であつた。それはその通りで全く異論はない。問題はその次の話を聞きたいのである。ところが30分の講演がそれだけであつた。しかも、脅迫的に話すのである。しかし当たり前の社...生成AIで脅迫する教育学者

  • 『ある男』を観る

    ある男(コルク)平野啓一郎コルク平野啓一郎の同名の小説は未読である。したがつて、この映画が原作通りであるのかどうかは分からない。あくまでも映画の感想である。宮崎県のある文房具屋に、スケッチブックを買ひに男がやつてくる。温泉旅館の次男坊といふことらしいが、兄と折り合ひが悪く故郷を離れ、この地にやつて来た。仕事は木を切り出す林業である。仕事の休みの日には風景画を描いてゐるらしい。そのために何度もこの文房具屋を訪れる。さうかうしてゐるうちに、文房具屋の女性と恋仲になり結婚。娘が生まれる。ところが、ある日木を切り出す仕事をしてゐる最中に不慮の事故で亡くなつてしまふ。話はここから急展開。葬儀にやつて来た男のお兄さんは遺影を見て、「これは弟ではない」と言ふ。ではいつたい誰なのか。文房具屋の女性は、じつは離婚歴があり、...『ある男』を観る

  • 片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

    プライドが高くて迷惑な人片田珠美PHP研究所どうしてこんな本を買つたのだらう。しかもこの暑い夏の昼間にどうして読んでゐるのだらう。そんなことを考へながら読んでしまつた。たぶん、さういふ人に出会ひ、困つてゐるからである。さう、私は困り果ててゐるのだ。できればさういふ人に出会はずに、かかはらずに、気持ちよく生きて行きたい。しかし、仕事も変はり立場も変はれば、彼らとの遭遇率は上昇していく。否応なしにである。電車が遅延したり、まずい食べ物屋に入つてしまつたりするのと同じである。家にじつとしてゐれば、さういふ「不幸」には遭遇することはないけれども、それでは生きていけない。現代社会とはさういふ社会なのである。いやいや人間とは「関係性」のなかに放り投げられてゐるのであるから、いつの時代もさうであつたのかもしれない。本書...片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

  • 時事評論石川 2024年7月20日(第843)号

    今号の紹介です。久し振りの更新。やうやく学校も夏休みに入り、生徒が帰省。大人の仕事はまだまだ続くが、今日は久しぶりの休日。自動車が無くては生活もままならない私が住んでゐるこの地域にあつて、今日はその自動車の点検のために休みを取つた。ついでに行かう行かうと思ひながら行けずにゐた病院へも出かけられた。休みは休みでこれまた忙しい。さて、今月号の紹介である。一面の記事「政界は『獅子身中の虫』だらけ」は、たぶん政界に限らず、日本の現状を見ると、財界も学界も、医療界もマスコミ界も同じであらう。「獅子の身体の中に宿る寄生虫に百獣の王、獅子が身体を徐々に蝕まれ、朽ち落ちてしまう」といふことである。あらゆる組織は、ラインとメンバーとで成り立つてゐる。ヒエラルキーに従つて組織の意志は伝へられ、それをメンバーがこなしていく。そ...時事評論石川2024年7月20日(第843)号

  • 時事評論石川 2024年6月20日(第842)号

    今号の紹介です。先日、台湾に留学するのをお手伝ひする仕事をしてゐる若き青年にお会ひした。昨年に引き続き二回目で、札幌からやつて来られた。一時間半ほど話したが、じつに清々しい気分になる。かういふ気分になれる人は、あまり日本人にはゐないなといふ気がした。北海道大学に留学生としてやつて来て、修士号を取つたあと、今度は日本人で台湾に留学したいと思ふ人を支援したいといふやうになつたらしい。私が高校生なら台湾に留学してみたいなと思つた。日本人の欧米志向は、今もまだ強い。アメリカ経済に陰りが見えてインドを含めたアジアの世紀はすぐそこに来てゐるといふことを頭では分かつてゐるのに、やはりアメリカに留学したがる。そこには今も魅力があるからなのだらうが、アメリカに全振りせずとも留学希望者の三分の一の人間ぐらゐはアジアに行つても...時事評論石川2024年6月20日(第842)号

  • いとうみく『夜空にひらく』を読む

    夜空にひらくいとうみくアリス館ネットで児童文学を探してゐて見つけた本である。読み終はつて、いい本に出合つたと感じてゐる。母に捨てられた少年が主人公。複雑な生ひ立ちが災ひしたのか、心が張り詰めるとつい手が出てしまふ。職場で嫌がらせを受けたことで、その職場の先輩を殴つてしまふ。傷害罪で訴へられて家庭裁判所に送られた。そこでの審判は、試験観察といふ処分になつた。そんな少年を迎へたのが花火制作の工場(正確には煙火店といふらしい)であつた。その家の主人もまた、複雑な経験を持つた人である。長男を無免許でバイクを運転してゐた少年にひき逃げされてゐたのだ。家族でスーパーに買ひ物に来た時に、車から奥さんが長男を下ろして少し目を離してゐた瞬間のことであつた。罪ある少年に息子を殺されたのに、罪ある少年を迎へ入れる試験観察の引き...いとうみく『夜空にひらく』を読む

  • 『大人のための公民教科書』を読む

    大人のための公民教科書日本復興の希望を繋ぐために小山常実高木書房今日も本の紹介である。高木書房刊の新著である。著者は、新しい歴史教科書をつくる会の理事をされてゐる小山常実氏である。現代日本には数々のウソ話があると言ふ。その中でも特に問題なのが、次の五つ。1日本は侵略戦争を行い、数々の国際法違反を行った戦争犯罪国家である。2「日本国憲法」は憲法として有効に成立した。3「新皇室典範」は皇室典範として有効に成立した。4日本政府が発行している大量の国債は借金だから日本は財政破綻する。5人間活動により地球温暖化問題が生じている。そして、本来「公民」の教科書は、それらのウソ話を排し、日本人のあるべき姿を示すものである。それが著者の訴へである。全くその通りである。にもかかはらず、それは多くの人々に共有されてゐない。日本...『大人のための公民教科書』を読む

  • 『日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争』を推す

    日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争戦争と革命の世界から見た昭和百年史細谷清高木書房版元の高木書房の斎藤信二さんから送られた書籍である。著者は、国際近現代研究家の細谷清氏である。知つて見ると、社会工学者の故目良浩一氏と共に「歴史の真実を求める世界連合会」を設立された方であつた。現代の戦争は、弾薬と戦闘によるものであるよりも前に、歴史観によつて行はれてゐる。現今のウクライナ戦争も、きな臭い台湾へのシナの戦略も、朝鮮半島の南北の対立も、いづれも歴史観闘争が水面下では繰り広げられてゐる。その暗渠は、日米戦争にもつながつてゐる。著者は「なぜ、どの様に、戦争は起きたのだろう」といふことを調べていくうちに、さう確信を得るやうになつた。米国が傍受解読した電報はルーズベルトによつて内容の変更が許可され、スターリ...『日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争』を推す

  • 村田沙耶香『信仰』を読む

    村田沙耶香と言へば『コンビニ人間』(2016年芥川賞)であるが、1979年生まれのこの作家(つまり、現在45歳)にとつて、『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)が今のところの代表作と言へるかもしれない。この2022年に書かれた『信仰』も、全く真実味を感じられない。「原価いくら」が口癖の主人公が、現実志向でブランド物や飲食店の値段のつけ方に違和感を抱きながら、友人が始めたカルトに惹かれていくといふのが筋立て。理性的な性格の持ち主が、一週回つて反理性に行きつくといふのは、人間の逆説としては面白いが、そこには「本当さ」がない。言葉遣ひの誤りと言つてもよい。つまり、これは「信仰」の物語ではなく、「詐欺」の物語であり、どう控へ目に言つても「信じる心」を弄んでゐる者の物語ぐらゐであつて、「信じて仰ぐ」といふ...村田沙耶香『信仰』を読む

  • 『正論』の記事読みました。

    昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほ賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またしばらくはか...『正論』の記事読みました。

  • 『正論』の記事読みました。

    昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほその主旨に賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またし...『正論』の記事読みました。

  • 夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

    本を守ろうとする猫の話夏川草介小学館夏川草介2冊目。肝心の『神様のカルテ』を読まずに、搦め手からの夏川接近であるかなとも思ふ。還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた。現代文の授業的に、この「還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた」を説明してお茶を濁す。①主語は何か。私である。つまり前田。なので私に「」はつけない。②要素に分解する。A「還暦を過ぎた」B「読書中級者」C「あまり引き寄せられるところはなかつた」と三分割する。③それぞれを具体化する。Aこの主人公は高校生であるが、それとははるかに年齢の異なる年配の人である。Bこれまでにその職業を通じて読書生活を人並み以上には過ごしてきた人である。Cここは動詞なので、④「なぜ」を突つ込むところ。「私にはそれなりの読...夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

  • 時事評論石川 2024年5月20日(第841)号

    今号の紹介です。久しぶりに原稿を寄せた。政治について思ふところを書けとの依頼に、まづは川勝静岡県知事について書くしかないと思つた。それは氏の理不尽さではなく、手の平返しの県民への怒りである。川勝氏の言説は、もう学者時代から変はらない。早稲田大学を辞めた理由から始まつて、氏は自分の気に入らぬことがあれば駄々をこねるといふのは常套手段である。習ひ性と言つてもよい。それなら、県民はあんな失言で辞めさせるのではなく、氏の政策について評価を下すべきで、その評価を下さずに辞任に追ひ込んだといふことは、知事にとつてはむしろ「してやつたり」である。「リニア反対」については一貫して支持をされたといふ認識を持つたままの辞任会見はどこか誇らしげであつた。県民は、いつたい川勝知事の何を評価し、何故に支へてゐたのか、それが全く分か...時事評論石川2024年5月20日(第841)号

  • 夏川草介『始まりの木』を読む

    始まりの木(小学館文庫)夏川草介小学館夏川草介といふ作家の名前は以前から知つてゐた。『神様のカルテ』といふ作品は映画にもなり、それが人気のある原作に基づいてゐるといふことも何となくは知つてゐた。しかし、その映画も原作も見たり読んだりしようとは思はなかつた。主人公を演じてゐるのが櫻井翔といふあまり好きではない俳優だからかもしれないし、医療ドラマといふだけであまり気が乗らなかつたからかもしれない。理由は特にはないが、気が向かなかつたといふことである。では、なぜ今回この夏川の小説を読んだのか。これが良くも悪くも日本人的私の生き方であるが、知人に紹介されたからである。年若き青年二人から、夏川草介を愛読してゐると言はれ、では読んでみるかと重い腰を上げた次第である。読了第一号が、この『始まりの木』である。ずゐぶん批評...夏川草介『始まりの木』を読む

  • 年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山 西行法師

    今日、岡本かの子の小説「蔦の門」を読んだ。滋味深い掌編である。かの子の実体験であらうか。「書き物」をする「私」は蔦の絡まる門のある家に住むことが多かつたやうだ。その家には年老いた女中がゐた。その女中は性格上の問題もあつて二度も離婚をし、身寄りとも仲たがひをしてゐて孤独である。ある日、その蔦を通りかかつた少女たちが切つて遊んでゐた。それを咎める女中と少女たち。犯人と思しき少女もまけじのやり取り、自分と似た性情を感じたのかその少女に怒りと共に親しみも感じることになる。いつしか蔦を切る遊びに関心が失せ、近寄らなくなる少女に寂しさも感じ始める。その少女はお茶屋の娘で、お茶を買ひにその店に行く。その少女もまた父母に先立たれ、伯母夫婦の養女になるかも知れず、気兼ねしながら生活してゐる境遇であることを知る。孤独が孤独を...年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山西行法師

  • 「オッペンハイマー」を観る

    これは面白かつた。けれど、内容が難しくて了解出来たかと訊かれれば、それは無理でしたとしか答へられない。観て損はないとは言へるけれども、もう一度観たいとは言へない。さういふ映画だつた。広島と長崎とが最後の方で言及されるが、確かに不快ではあつたが、戦争とはさういふものであらう。敗戦国の語る戦争観が正しい訳ではない。良心の呵責に悩む主人公にも、従つて同情もしない。科学者とはさういふものとの自覚があればその呵責は引き受けるべきものだらう。それと同じぐらゐの栄光も受けたはずである。3時間は確かに長いが、十分惹きつけられる時間であつた。オッペンハイマークリストファー・ノーランの映画制作現場ジェイダ・ユエンボーンデジタル「オッペンハイマー」を観る

  • 白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む

    見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋小説には珍しく「あとがき」が添えられてゐる。読み終へて、それを読むと、この小説が本当のデビュー作であると知つた。てつきり『一瞬の光』がそれだと思つてゐたので驚いた。最新作と言つても良いほどの完成度だと私には思はれたからだ。ある文学賞の佳作に入選したものの本になることはなく、鳴かず飛ばずの十数年を過ごしてゐたらしい。作家とは大変な職業なんだとつくづく思はれた。「あとがき」にはその他の作品への編集者たちの酷評が書かれてゐたが、私には理解できなかつた。世の中にはそんな名作ばかりがあるのだらうか。それが私の率直な感想である。もちろんそんなに読んでゐる訳ではないが!編集者た...白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む

  • 八木義徳「春の死」を読む

    家族のいる風景(福武文庫や401)八木義徳ベネッセコーポレーション久しぶりに八木義徳の本を手にした。大阪の家の本の整理をしてゐてふと目に留まつたのがその理由である。しばし、手を止めて読み始めてしまつた(これだから本の整理には時間がかかる!)。『家族のいる風景』の中の掌編、「春の死」である。この題名から大方の人が予想するものとは、いささか内容が違ふだらう。六十七歳になる作家と二十歳ほど年若い妻との会話から始まる。妻が子宮筋腫になり手術をすることになる。一方、病気と言へばぎつくり腰程度しかしたことがない「私」である。しかし、作家といふ仕事において必ずしも屈強であることが利点となるわけではないといふ(このあたり私小説作家の考へが滲み出てゐる。丸谷才一がこれを聞いたら激情するだらう。だから日本の小説は貧しいのだ、...八木義徳「春の死」を読む

  • 花咲きけり

    車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり

  • 万城目学『八月の御所グランド』を読む

    八月の御所グラウンド(文春e-book)万城目学文藝春秋久しぶりに万城目学の小説を読んだ。直近(第170回)の直木賞を受賞した作品だからである。受賞作は、「八月の御所グラウンド」だが、単行本にはもう一作「十二月の都大路上下(かけ)ル」も収められてゐる。後者は、毎年行はれてゐる全国高校駅伝の大会に取材したもので、私も以前勤めてゐた学校がこの常連出場校で、宝ヶ池辺りで応援したことが何度もあるので、懐かしく読んだ。ネタバレになるので詳細は止めるが、その都大路を走る高校生の横で見えるヒトには見える歴史的人物が絡んだ話である。受賞作の方は、同じく京都の大学のライバル関係のある教授二人が学部長選を争つてゐる。その前哨戦として「野球の対抗戦に勝て」といふ厳命を受けた彼(多聞)がその戦ひに挑む。彼に借金をしてゐたためその...万城目学『八月の御所グランド』を読む

  • 岡山に遊ぶ

    先日、春休みを使つて岡山に遊んできた。初めて訪れた岡山は晴天に恵まれ、楽しい旅となつた。一日目は、岡山城と後楽園とを歩く。外国人の多さに驚いた。地方都市もすでに世界的な観光地になつてゐたといふことだ。平日に訪れるのはむしろ外国人の方が多いのかもしれない。宇喜多秀家、小早川秀家、池田光政と城主は変はつたが、いづれも著名な武士たちである。西国に睨みを利かすそれなりの人物でなければ治められなかつたといふことだらう。戦国の山城から、平野に城を構えた先駆けであつたといふことも、時代の変化を鋭敏に捉へた証である。ただそれだけに目の前に流れる旭川の氾濫を受け、治水には苦労もしてゐたやうだ。現在の城は近代建築になつてゐるが、形状の異形もその現れであるやうに感じられた。池田家は、途中から養子を迎へて家を守つてきたことにも驚...岡山に遊ぶ

  • 造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章

    2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章

  • 造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章

    2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章

  • 2024年度入試 東京大学と京都大学の奇跡的な一致

    東京大学の2024年度入試の第四問(文科のみ出題)の設問(一)は「『ガラスは薄くなっていくが、障壁がなくなる日は決して来ない』とはどういうことか、説明せよ」となつてゐる。そして、京都大学の2024年度入試の大問1(文理共通問題)の問5は「『核心は近づいたかと思えはまた遠ざかる』のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌詞に触れつつ説明せよ」となつてゐる。「祈り」とは吟遊詩人ブラート・オクジャワの詩(沼野充義訳)で、第一段落に記されてゐるもの。神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく……東大京大とも、翻訳にまつはる話題である。異文化理解だとか他者理解だとか、あるいは多様性の尊重といふこがいかに難しいかといふことを、それとは明示しないけれども、...2024年度入試東京大学と京都大学の奇跡的な一致

  • 2024年度東京大学の国語第四問について

    東京大学国語入試問題の2024年度の第一問についての論評は、昨日記した。「なに」を訊く問題が4つ揃わなかつたので、「なぜ」を2つ混ぜるしかなかつたといふのが私の考察である。「なに」を訊く問題には「なぜ」が入るが、「なぜ」と訊けば理由しか含まれないと私は考へるので、その文章自体も含めて、2024年度の東大の現代文第一問は「面白くなかつた」といふのがその内容である。では第四問(文科のみに課される問題)はどうか。こちらは、良いと思つた(それにしても随分偉さうな物言ひですね。我ながらさう思ひます)。フランス文学研究者が、日本語でフランス文学の翻訳を通じて感じてゐることを記してゐる。菅原百合絵「クレリエール」翻訳論では、2013年第一問『ランボーの詩の翻訳について』湯浅博雄があるが、こちらは文科理科共通問題であつた...2024年度東京大学の国語第四問について

  • WHAT(なに)を問へない時に WHY(なぜ)を問ふ

    春休みは、大学入試問題を解くことにしてゐる。やうやく、今年の東京大学と京都大学の入試問題を解くことができた。いつもにも増して、解くまでに時間がかかつたやうな気がする。それは東京大学の第一問評論が面白くなかつたからだ。ちなみに近年出題された文章のタイトルだけを挙げると、2023年吉田憲司「仮面と身体」2022年鵜飼哲「ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路」2021年松嶋健「ケアと共同性-個人主義を超えて」2020年小坂井敏晶「『神の亡霊』6近代の原罪」となつてゐる。そして、今年は2024年小川さやか「時間を与えあう――商業経済と人間経済の連環を築く「負債」をめぐって」だつた。物事の両義性に焦点を当てた文章を、よくぞこれほど違ふジャンルの文章から持つて来られるなと思ふほど見事な文章選択眼ではある。しかし、その...WHAT(なに)を問へない時にWHY(なぜ)を問ふ

  • 時事評論石川 2024年3月20日(第839)号

    今号の紹介です。先月号に引き続き留守晴夫先生の論稿が掲載された。喜ばれる読者も多いだらう。『再び、戦争は無くならない』とある。戦争といふ局面では、「人間の中身が丸見えになる。善人はより善い人になり、悪人はさらに悪くなる」といふのは、今般のウクライナ戦争を取材した番組の中で、あるウクライナ人医師が語つてゐた言葉だと言ふ。であれば、戦争をやれない日本人は、道徳的な問ひに突き付けられる機会を失つてゐるのであるから、堕落してゐるに違ひない。留守先生は、師匠の松原正の言葉を引用して論稿を閉じる。まさに、自分自身を振り返つて見ても、戦争に立ち会つたときに、どういふ振る舞ひをするであらうかと自問すれば、「善人」になれるとは断言しがたい。さらに「悪人になる」とも断言しがたい。かういふ態度こそがきつと不道徳的といふのであら...時事評論石川2024年3月20日(第839)号

  • 白石一文『我が産声を聞きに』を読む

    我が産声を聞きに(講談社文庫)白石一文講談社昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。現...白石一文『我が産声を聞きに』を読む

  • 『正論』2024年4月号に寄稿

    月刊正論2024年04月号[雑誌]正論編集部日本工業新聞社今、書店に並んでゐる『正論』4月号に、「国語の『混乱』をごまかすな」を書いた。年末に、「今度、言葉についての特集を組むことになつたから、是非書いてほしい」との依頼を受けた。30分ほど、それについてどんな意図なのか、あるいは私が今何を考へてゐるのかといふことについて話し合つた。国語の混乱といふワードがその時に出てきたかどうかは分からない。ただ、年明け早々にある「全国大学入学共通テスト」については触れてほしいとのことだつたので、「分かりました」と答へ、その電話を切つた。実はこの年始は、金沢に旅行に行くことにしてゐた。11月に日帰りで金沢に出かけることがあり、今度は家族で来ようと決めてゐたからである。しかし、何だか気が進まないところもあつて、予定がすつぽ...『正論』2024年4月号に寄稿

  • 還暦を通り越してや春を待つ

    令和6年の2月が明日で終はる。今月60歳になり還暦を迎へたが、特別な感慨もなくどうしようもない停滞の中を苦々しい顔をしないで(他人様からはいつも笑つてゐますねと言はれる)過ごしてゐる。今の願望は早く定年を迎へたいといふことである。恥づかしいことであるが、偽ることでもあるまい。その原因の一つはデジタル社会の生きづらさである。ワードを使つて文章を書くのは当り前。エクセルを使つて表計算するのは当たり前。そこら辺りはまだいい。楽々清算やら、teamsやら、その他さまざまなソフトやアプリを駆使してデジタル社会は人間にその仕様に馴れるやうに求めて来る。現代の人間疎外である。デジタルデバイド(デジタルによる格差)を取り上げる若者はゐない。何が多様性だ。そんな言葉の薄つぺらさは、この一事で分からう。技術上達者が生きやすい...還暦を通り越してや春を待つ

  • 時事評論石川 2024年2月20日(第837/38)号

    今号の紹介です。久し振りの留守晴夫先生の論稿が掲載。喜ばれる読者も多いだらう。留守先生の師匠でもある松原正の名著『戦争は無くならない』と同じタイトルで寄稿された。今号ではその前半が載せられてゐる。近著メルヴィルの『詐欺師ー仮面芝居の物語―』についてから書き起こされてゐる。人に「心」がある限り、つまりは「悪と悲惨」とを解決しようとする良心がある限り、この世から戦争が無くなることはないといふ主旨である。次号も楽しみにしたい。一面にある共産党のカネについての話は面白かつた。共産党の昨年の総収入は190億円といふから驚く。しかもその収入のほとんどが「赤旗」の購読料といふのから驚きである。政党助成金を受取つてゐない共産党の資金源である。それが今たいへんなことになつてゐるといふのだ。購読者の漸減と、配達の負担である。...時事評論石川2024年2月20日(第837/38)号

  • 草の芽に降りし光や微かなる

    草の芽に降りし光や微かなる

  • 白石一文『快挙』を読む

    快挙(新潮文庫)白石一文新潮社写真家を目指すが、その能力に限界を感じ、ホテルマンなどのアルバイトで生活を送る俊彦。彼は小料理店を営む2歳年上のみすみと一緒になつた。小説を書き始めた俊彦が小説家として世に出ることを勧め、支へてくれてゐた。小説を書きながらも、あと一歩のところでそれが世に出ない。筆力の限界と共に、担当し俊彦の文才を買つてくれてゐた編集者の急逝といふ不遇もあつた。それでも長い忍耐の時期を過ごしながら出会つた人との繋がりでノンフィクションの本が出、10万部を越すベストセラーになる。不遇の中で腐りかけながらも、俊彦を支へてくれたみすみの存在が切ない。彼女は決して聖女ではなく、愛に迷つてもゐるが、傷ついた心を決して他人のせいにはしない女性であつた。俊彦は『快挙』といふ小説をそれぞれ別の作品として2度書...白石一文『快挙』を読む

  • 花咲く冬もある

    今年は暖冬だと言はれたが、寒い日はあつてそんな時はやはり寒い。特に当地は埋立地で、本来は海の上、雨の次の日は不思議に風が強い。それはここに来るまで経験したことのないほどの風の強さで、1年に何度も台風が来てゐるやうに感じる。もちろん建物は鉄筋コンクリート建てだから壊れることはないが、サッシは築17年も経つとどうやら隙間が開いて来るやうでガタガタと揺れる。夜中に何度か起きたことがあるが、海の上だものなと思ふと腹も立たない。それよりは快晴の日の景色の解放感の方が優つてゐる。さて、そんな今年の冬だが、不思議に薔薇が咲いた。5月に咲き、秋に咲き、冬に咲いた。これは初めてのこと。これが暖冬のせいなのかは分からないが、嬉しい出来事である。ベランダにオレンジ色の薔薇に引き寄せられ寒い外に出て行つた。冬に咲く花の強さや席を...花咲く冬もある

  • 福田恆存の講演が本に

    今月、文春新書から、福田恆存の講演が文章になって出版される。新潮社から刊行されてゐたカセット文庫が、新潮新書ではなく文藝春秋から出るのは不思議な感じを受けますが、読者としてどちらでもよく、刊行されることを素直に喜びたい。何度も聴いたものなのだが、活字になれば、また違つた発見があるかもしれない。福田恆存の言葉処世術から宗教まで(文春新書)福田恆存文藝春秋福田恒存講演日本の近代化とその自立1(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存講演第2集理想の名に値するもの(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恒存講演3近代日本文学について;シエイクスピア劇の魅力(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存の講演が本に

  • 白石一文『草にすわる』を読む

    草にすわる(文春文庫)白石一文文藝春秋今日も白石文学を楽しんでゐる。今作は短編集。5篇の作品が編まれてゐる。中では「砂の城」を推す。「若い矢田が、世を恐れ、人を恐れ、そして自らの無知を深く恐れながら、必死で文学と格闘していった」「彼の文学は、無神論者が血眼になって神を求めているような、いわば見苦しい徒労だね」「要するに矢田は人間関係の距離を上手くはかることのできぬ男であり、それは彼の生まれついた一大欠落だった」ここに記された作家矢田泰治とは、白石一文のことなのかどうか、あるいは父親で直木賞作家の白石一郎のことなのかは分からない。そんなことはもちろんどうでも良いことだが、かういふことを書き留めることのできる白石一文の日本人評を、私は得難い観察眼として嬉しく思ふのである。言葉はそれを感じるものにしかかたちを与...白石一文『草にすわる』を読む

  • 「PERFECT DAYS 」(役所広司主演)を観る

    今年最初の映画。紛れもない日本映画だけれど、やはりどこか違和感がある。主役が夜眠る夢がモノクロで、不穏な音楽にうなされてゐるやうな印象を受ける。しかし朝起きた彼は不機嫌でもなく、昨日と同じやうに朝の作業をこなして仕事に行く。渋谷辺りの公衆トイレを清掃するのが彼の仕事。寡黙に丁寧に仕事をこなす。昼休憩に寄る神社の境内ではサンドウィッチを食べる。木漏れ日を見ては笑顔になる。ピントをわざと合はせず偶然の妙に委ねてフィルムカメラでその木漏れ日を撮る。もう何年も続けてゐる。帰宅して銭湯に行き、帰りがけに一杯やつて家に帰つて本を読む。眠たくなつたらそのまま眠る。その1日の固定された生活から弾き飛ばされたやうな心情や考へが汚物のやうに夢に滲み出て来る。しかし夢は見れば終はる。あたかも浄化されたかのやう。だから、朝になれ...「PERFECTDAYS」(役所広司主演)を観る

  • 2024年の太陽の塔 高所恐怖症の鳥はゐるのか

    冬休み最後の1日となつた。太陽の塔を見に行かうと思ひ立ち、昼食をとつた後に出かけた。歩いて行かうかと思つたが、2時間ほどの歩行に膝がどう反応するのかを考へるとやめた方が賢明だと思ひ直してモノレールで出かけた。公園を訪ねる人は思ひのほか少なかつた。温かい冬の一日に公園での散歩はもつてこいだが、やはり初詣が優先ではあらう。太陽の塔には神事につながるものは何もないからである。思はず拝みたくなる威風と清潔とはあるけれども、岡本太郎といふ藝術家が創り出した意匠である。しばらく眺めてゐると頭部の辺りにカラスが飛んでゐるのに気がついた。これまで何度も見てきた姿であるが、珍しい光景だつた。以前、このブログに書いたかもしれないが、太陽の塔について旧約聖書のノアの話に触れたことがあつたと思ふ。簡単に言へば、ノアの家族たちは大...2024年の太陽の塔高所恐怖症の鳥はゐるのか

  • 住吉大社に参る

    奈良の春日大社にお参りするつもりだつたが、急遽予定を変更して住吉大社に詣でた。大阪府民でゐたころから一度も出かけたことがなかつた。場所も何となくあの辺りといふ認識しかなく、調べてみると南海本線にその名も「住吉大社」といふ駅があつた。場所は駅前。1月2日の午後。結構な人盛りであつた。天気は快晴。初めて参る宮の雰囲気は独特。第一、第二、第三宮は縦直列.第三宮の横に第四宮が建つてゐる。配置について住吉大社の説明によれば、「大海原をゆく船団のよう」であり、「古代の祭祀形態をよく伝える貴重な存在」とのこと。その点について全く知らない私には、さういふものかと思ふしかないが、独特さは感じた。遣隋使が派遣された地であるとの案内板を読むと、まさに「大海原をゆく」といふ表現が相応しいと感じられた。目の前に阪堺線の路面電車も走...住吉大社に参る

  • 東浩紀『訂正する力』を読む

    訂正する力(朝日新書)東浩紀朝日新聞出版デリダの研究者だけに、本書が伝へてゐる「訂正」とは「脱構築」といふことである。この言葉、哲学の専門用語なので日常的に使はれる言葉としては「再解釈」といふのが適切であらう。しかし、「再解釈する力」では面白くないので、敢へて人人が違和感を抱きやすい「訂正」といふ言葉で気を引かせる(異化)といふ戦略なのだらう。東は、「修正」と「訂正」は違ふと本書のなかで何度も書いてゐるが、それは「歴史修正主義」といふ悪評高い言ひ方があつて、それへの差別化を意図したものである。歴史修正主義とは、特定の側面のみの誇張や政治的な意図を持つた歴史の書き換へのことを言ふが、例へばホロコーストの否定や矮小化である。このことの当否は、ここでは問題にしないが、読者の私としては、この言葉の選択に意味を感じ...東浩紀『訂正する力』を読む

  • 初日浴び晴晴とせり富士の山

    今朝の富士山です。ただし戴き物。初日浴び晴晴とせり富士の山

  • 携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

    今年を振り返つてみれば、まづは8月に母が94歳で亡くなつたことだらう。最後の十年ぐらゐは寝てすごすことが多かつたし、認知症も進んでゐた。何よりコロナの感染を防ぐためといふことで、施設では玄関先で5分ほどの会話しか許されなかつた。いつも「元気でね。また来るからね」と言ふばかりで、会話といふほどのものでもなく別れる。3時間かけて行き、3時間かけて帰る。それを繰り返した数年であつた。施設には感謝してゐる。それ以前は、実家は伊豆にあるので地震があれば心配し、床下に浸水する地域なので豪雨があれば心配してゐた。父は週に2日のごみ捨てがだんだんしんどくなつて来たと行つてゐたが、それを聞いて施設に入つてはどうかと話し、両親共に施設に入つてもらふことになつた。「飯がまずい」とこぼしてゐたが、その父も3年前に亡くなり、しばら...携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

  • メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

    詐欺師ー假面芝居の物語ハーマン・メルヴィル圭書房留守先生の新訳によるメルヴィルの『詐欺師』が出来した。アメリカ文学は、私にとつてあまり馴染みのないものであるが、留守先生の新訳が出るたびに、それらを通じて知るやうになつてきた。これまでは同じくメルヴィルの『ビリー・バッド』『バートルビー/ベニト・セン』、ロバート・ベン・ウォーレンの『南北戦争の遺産』である。そして、今回『モービー・ディック(白鯨)』に次ぐ傑作と言はれる『詐欺師』である。まづは、その訳者解説を読んだ。しばらく体調を崩されてゐた留守先生が書かれた現代批評として、それは読まねばならないものだからである。それは、『詐欺師』そのものの解説であるのはもちろんであるが、メルヴィルの作品の本質の解明であり、当時と現代アメリカの批評であり、それはそのまま近代か...メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

  • 『ゴリラ裁判の日』を読む

    ゴリラ裁判の日須藤古都離講談社このブログの長年の読者であれば(そんな奇特な人はゐるんか?)、私の読書傾向が分かるだらうから、このタイトルを見て「どういふこと?」と違和感を抱くのではないか。確かに私でもこの種の本を自ら選んだりはしない。そもそもこれは書店で言ふとどの棚に置いてあるのかさへ見当がつかない。中身を読んだ今なら、これは小説であるから「現代文学」の棚に置かれてゐることは分かる。さういふ自分では決して手にしない本を読んでみたのである。それは若き友人からのお届け物だからである。講談社に就職したその若き友人がどうやら担当してゐる作家らしい。須藤古都離さんといふ作家で、この作品で第64回メフィスト賞を受賞したらしい。情けないことに、私にはそのメフィスト賞といふ文学賞も知らなかつた。なんと64回も続いてゐると...『ゴリラ裁判の日』を読む

  • 哀悼 平岡英信先生

    12月16日(土)平岡英信先生がご逝去された。94歳。何度も死を乗り越えて来られたが、「私に使命があるなら神さんが生かしてくれる」とおつしやつてゐらしたが、遂にこの日が来てしまつた。私の母も今年同じく94歳で亡くなつた。父も、そして翻訳家で批評家の松原正先生も同じく皆昭和4年生まれである。平岡先生とのご縁は、福田恆存とのつながりである。『私の幸福論』の文庫版の後書に書かれてゐるが、平岡先生が福田恆存を招き、清風学園の教職員を前に語つた講演が下敷きになつてゐる。このことが福田恆存と平岡先生との最初のお付き合ひかどうかは分からないが、大阪に来られる度に、平岡先生は福田恆存との交流を深められてゐた。その後現代演劇協会の理事にもなられ、福田恆存の御子息である逸さんが大阪に来られる時も、お会ひになつてゐた。私も一度...哀悼平岡英信先生

  • 時事評論石川 2023年12月20日(第836)号

    今号の紹介です。年末恒例の吉田好克先生の「腹立ち三大噺」。今回は岸田、岸田、岸田である。岸田首相への批判、怒り、憤りである。結論は、女性宰相を願ふとのことで、高市早苗さんを推してゐるのだらうが、私も将来的には女性宰相が良いと思ふが、これほど劣化した政治の中で、嫉妬と劣情とが渦巻く男性政治家に女性宰相を支へようとする気概のある人がゐるかどうかは不安である。残念が駄が、岸田の後がよくなる保証は全くない中では、この人をうまく支援した方が良いのではないかと思ふ。その意味では、国民の志向や心意気が問はれてゐるのである。こんな奴に任せてられるかとの本音を隠し持ちながら、「先生、いかがですか、こんな風にされては」と言へる保守支援者が多く出て来るかどうかが勝負どころである。私は、まづはこの方に教育について直言したい。さて...時事評論石川2023年12月20日(第836)号

  • 白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

    白石一文の本を読んでゐると心が整理されていくのを感じる。ある小説がいいか悪いかは、読む人ぞれぞれであらうが、私にはこの「心の整理」といふ基準が最もしつくりとくる。むしろそれは小説に限らない。批評も歌や俳句もさうだらうと思ふ。それがいいか悪いか、この際それは問はないことにする。私にとつて読書とは私のために読むものであるからだ。本作は、一見すると白石の実話にもとづく随筆のやうにも感じた。自伝的作品となつてゐるが、「私」といふ第一人称で書かれてゐるフィクションといふよりも、小説といふスタイルを借りたノンフィクションといふ感じがする。三島由紀夫が自伝を書くのに『仮面の告白』と名付けたやうに(その味はひはまつたく異なるが)、白石が「野々村保古」といふ人物を借りて告白してゐるやうに思へた。だから、小説としては氏の他の...白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

  • 時事評論石川 2023年11月20日(第835)号

    今号の紹介です。性的マイノリティへの理解増進法を巡る自民党の迷走ぶりを的確に批判した一面の島田洋一氏の論考に賛同する。性は身体に基づく、これが倫理である。自身の性と身体とに違和感を表明することも倫理的行為である。そして、その苦悩を他者が理解しようとすることもまた倫理である。しかし、性同一性障碍者が性別変更を求めた際には「生殖腺」の切除を求めたことは違憲であるとした最高裁の判決は不当である。性自認を当該個人の「心理」だけを根拠としては、過去と現在と未来との当該個人の心理さへ不安定であるのに、ましてや他者には想像できない個人の内部に対して当該者の性別の判断など到底不可能だ。困りましたね。四年前までは合憲とされてゐた判断が、たつた四年で違憲になるとは。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2...時事評論石川2023年11月20日(第835)号

  • 河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

    こころと脳の対話(新潮文庫)隼雄,河合新潮社臨床心理学者と脳科学者との対談のやうであるが、実際には後者による前者へのインタビューといふ形式である。脳についての実践家と科学者と言つてもいいだらうか。ただ、注意が必要なのは、共に分からないことを巡つてアプローチの仕方が異なつてゐるといふだけで、実践と科学とが相容れないものであるといふわけではない。まさに「分からない」といふことを大切にしてゐるといふスタイルは、2人の共通点である。河合の言葉を拾ふ。「全体をアプリシェイト(味わう)することが大事であって、インタープリット(解釈)する必要はない」「ここで大事なのは、『ここまで行った』「あそこまで行った」というのは科学的、論理的にうまいこといったんやない。それは、先生とその子との関係性で行われていた、ということなんで...河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

  • ポケットに一年前のマスクあり

    急に寒くなつた。ついこの間まで、夏用のスーツを着てゐたが、先日冬のジャケットを出して着、ポケットに手を突つ込むと何やら入つてゐた。慌てて取り出すとそれは一年前に使つたままのマスクであつた。それを見ると一気に一年前が思ひ出された。まだまだ感染症の2類対策に追はれてゐた昨年の冬。暖房をかけながら窓を開け、休み時間ごとに窓を開け放ち、「寒い」「寒い」と叫ぶ生徒らを見て見ぬふりをして教卓に戻ると、既に窓は誰かの手によつて閉められてゐた。やれやれとの思ひが込み上げて「それでも窓は開けないと」と独り言ちて授業を始めた。そんな時間を、くしやくしやになつたマスクの残骸が記録してゐるやうだつた。彼らはもう卒業してゐない。どうしてゐるだらうか。ポケットに一年前のマスクあり

  • 橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

    世界はなぜ地獄になるのか(小学館新書)橘玲小学館なんと不愉快な書名であるか。それなのにそれを読んだ私がゐる。この著者の本は何冊か読んだが、読者を絶望的な気分にさせる力がある。それなのに読ませる。それが筆力なのであらう。頭がよく、論点が綺麗に整理されてゐて、術語を駆使して問題の根本を抉り出してゐる(やうだ)。しかし、謙遜ではなしに頭の悪い私には途中でなんのことやらさつぱり分からなくなる。だから10月8日に購入しその日に読み始めたはずだが、1ヶ月以上かかつてしまつた。話題が次々に変はつていく書き方も好きではない。しかし、最後まで読んでみた。何も解決法は書かれてゐない。しかし、納得できたことがあつた。それは特に中途半端に金持ちで教養があると自分で思つてゐる連中がひどくこの世界を呪つてゐて、自分より幸福さうに見え...橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

  • 白石一文『道』を読む

    道(小学館文庫し12-2)白石一文小学館いい小説に出会ふ時間は幸福だ。さういふ小説に出会ふ確率を求めるとどうしても贔屓の作家が出来てしまふ。それは服にしても、食事にしても、同じことが言へて、「失敗したくない」といふ思ふが強くなるといふのが、畢竟するに「老い」といふことなのだらう。偶然を頼りにひたすら読み散らかすといふ読書生活をした時期もわづかにあるが、私は同じ作家を読む。それも気に入れば何度も同じ作品を読む。といふのがどうやら私の読書生活の傾向らしい。それで、白石一文の文庫になつたばかりの小説を読んだ。デビュー作『一瞬の光』を読んでから、贔屓の作家になつてゐる。文庫にして700頁もある。しかし、読み終へるのが残念でたまらなかつた。あらすぢは、ニコラ・ド・スタールの「道」といふ絵(文庫の表紙にはその絵があし...白石一文『道』を読む

  • 信頼する批評家――森本あんり

    聖霊の舌ウィリアム・タバニー平凡社森本氏は、神学者で東京女子大学学長である。以前、国際基督教大学の副学長をされてゐた。内田樹の『反知性主義』の言葉づかひは誤りではないかと思つてゐたところ、森本氏がアメリカの文化的背景から、その誤りをズバリと指摘してゐたのを読んで(内田氏の言を直接論つてゐたわけではない)、非常に勉強になつた。反知性主義とは「反-知性主義」なのであつて、「反知性-主義」ではない。前者は知性(理性)だけに信憑を置くと危険ですよといふことであり、後者は「知性にたいする批判」を専らにすべきだといふことである。有り体に言へば、後者は「知性なんていらないよ」「感情や情念が第一だ」といふ考へ方である。内田樹は、安倍晋三批判をするに際して、後者の意味で「反知性主義」と名付けてゐたが、やはりそれは誤りである...信頼する批評家――森本あんり

  • 時事評論石川 2023年10月20日(第834)号

    今号の紹介です。何と言つても圧倒的に面白いのが2面の照屋氏の論考。英国の詩人マシュー・アーノルドから引いて、アナーキーへの漂流への危機から「従属関係と慣習の考えを重視し、これを人間の道から排除していなかった英国の封建制を評価」すべしと述べるのに、刮目させられた。照屋氏は、近著にジョージ・オーウェルの翻訳があるが、英国文学者ならではの指摘である。マシューについては全く知らなつたが、調べると私が大学時代にお世話になつた英文学の先生が翻訳されてゐた。ラフカディオ・ハーンの研究者とばかり思つてゐたので先生のお宅にまで伺つてハーンの話はうかがつたが、今にして思へば先生の研究について調べてからうかがふべきだつたと反省するばかり。マシューについて関心を持つた。ただ照屋氏がかう書いてゐるについては正直疑問がある。「デジタ...時事評論石川2023年10月20日(第834)号

  • 「沈黙の艦隊」を観る

    映画『沈黙の艦隊』冒頭11分46秒大沢たかお新装版沈黙の艦隊(1)(KCデラックスモーニング)かわぐちかいじ講談社面白かつた。潜水艦とはどういふ船なのかの説明を台詞に織り交ぜながら、話を展開していくのは上手いと思つた。これ以上「説明」が長くなれば話が途切れてしまひさうだが、そのギリギリのところを絶妙に攻めてゐて、なるほどと思ひながら話の理解を深めてくれた。原作にはない話の挿入は、主人公の艦長(大沢たかお)とその下で副長をしてゐた別の艦の艦長(玉木宏)の対立を描くには必要不可欠なのだらう。ただ、独立国やまととしての活躍を描く時間が削がれてしまつたやうにも思ふ。これは少なくとも全3話の第1話といふ印象が強い。原作を換骨奪胎して2時間強で描いた手腕は素晴らしいと思ふが、やまとに翻弄される日本政府とそれと対抗する...「沈黙の艦隊」を観る

  • 「本ってどこで買えるのですか」

    ついにここまで来たか。そんなことを感じた。新潮社のPR雑誌『波』の2023年10月号に掲載された群ようこによる、沢木耕太郎『夢ノ町本通りブック・エッセイ』の書評の一節である。ある記者が、高校生を取材をしてゐた折に、一人の男子高校生がした質問だと言ふ。本屋といふ存在を知らない、とはにはかには信じがたいが、まんざら嘘でもあるまいから、極めて特殊な例とは言へ、ついにさういふところまで来たのであらう。街の本屋は消え、ショッピングセンターの本屋は雑誌や漫画や売れ筋の文庫や新刊本のみ。専門書を扱ふのは、人口30万人以上の中核都市にあるかないかであらう。スマホのみを情報源とする「一人の男子高校生」には、本とは教科書や副教材や学校の図書館にある物、といふ認識なのだらう。私は別に憂いてはゐない。文化の格差もまた後期近代には...「本ってどこで買えるのですか」

  • 『夢なし先生の進路指導』を読む

    夢なし先生の進路指導(1)(ビッグコミックス)笠原真樹小学館中等教育を担ふ中学校高等学校には分掌といふ教員の役割分担がある。生徒達には「生徒指導部の先生」といふのはイメージしやすからうが、教務部や進路指導部といふのはなかなか分かりづらい仕事の割り振りであらう。かく言ふ私も分掌といふ言葉を教員になるまでは知らなかつた。教員といふのは、教科を教へる仕事がもちろん第一であるが、学校が組織であり、教育が教科の伝達と完全にイコールでないと知るならば、やはり教員の仕事にはそれ以外のことがあるのは当然である。しかも、それは言はば教科を教へる仕事を支へる根つこのやうなものであり、見えない仕事でむしろあるべきとさへ思へる。カリキュラムの熟成やライフキャリアを考へる資質を養ふことは、縁の下の力持ちである。私の所属してゐる分掌...『夢なし先生の進路指導』を読む

  • 時事評論石川 2023年9月20日(第832・33)号

    今号の紹介です。一面に記事を書かせていただいた。安倍元総理への思ひを書いてほしいとの依頼であつた。今年のゴールデンウィークに、安倍氏が銃弾に倒れた場所に行つてみた。そこはすでに道路になつてをり、その脇には芝生の小さな公園が出来てゐて、そこに高校生と思しき若者が飲み物を片手に寝そべつて談笑してゐた。道路の脇で寝そべるといふのも私の感覚とは大いに異なるが、その場所がどういふ場所かを知つてゐながらの行為であつてみれば、個人の感覚の相違を越えて、どうにも整理をつけようがないほどの悲しみが湧いてきた。冷静になつて考へてみれば、なるほどこれが今の私たちの国のマジョリティーの感覚であり、東大法学部の教授をはじめ安倍批判のインテリゲンチャ―の思潮である。これは言はば、「日本の自殺」なのである。民主主義とは、かういふやうに...時事評論石川2023年9月20日(第832・33)号

  • 『沈黙の艦隊』を読む。

    沈黙の艦隊全16巻セット講談社漫画文庫かわぐちかいじ講談社『怪物』を観に行つたときだつただらうか。本編の開始の前の予告の上映のときに、『沈黙の艦隊』が映画化されることを知つた。昔から海の映像は苦手で、恐怖が先立つ上に、潜水艦の映像であるともつと怖さがまさるかもしれないとの不安もあるが、この映画は観たいとの思ひがあつて、急いで漫画の文庫コミック16巻を取り寄せて夏休みに一日一巻づつ読んだ。漫画といふものを読むといふ習慣がこれまでになかつたので、始めは苦労した。コマ割りがどのやうに続くのか分からないし、老眼には文庫版のふきだし内の文字は読みづらい。しかも、日米で開発した原子力潜水艦が独立国を宣言するといふ想定が果たしてどの程度リアリティがあるのかも分からない。その上、主人公の艦長がこれまたあまりにも見事に指揮...『沈黙の艦隊』を読む。

  • 西尾幹二氏の新著

    月刊『正論』8月号に西尾幹二氏の近況が載つてゐた。保守言論人の重鎮として、私としては今もその発言を聞きたい人の中の数少ない中のお一人である。西部邁、山崎正和、松原正、渡部昇一、石原慎太郎、江藤淳、野田宣雄、勝田吉太郎、かつては森のやうに密にして奥深い豊かさを、ささやかな私の読書生活にも十二分に感じさせてくれる方々が生きて存在してくれてゐたが、今はこの西尾幹二氏と加地信行氏、そして長谷川三千子氏のお三方のみである。もちろん、その他にも優れた批評家はゐるだらうが、もうかつての青年時代のやうには読むことはできない。その西尾氏が筆を執ることも随分少なくなつた。ブログの記事によれば、「ガン研究会有明病院で大手術が行われたのは2017年3月31日でした。あれから六年の歳月が流れました。ガンは克服されましたが、体重を1...西尾幹二氏の新著

  • 2013年の終戦記念日

    宮崎にゐる。義父の一周忌法要を無事終へて、ほつと一息。ただし、お盆と重なつたので、迎へ火、送り火をお墓と自宅前とで行ふ。それから家の前には新盆の家だけが提灯を灯しておくといふ習慣がある。すべてはお寺の指示で、A4用紙3枚にわたつて書かれた段取りにしたがつて行はれる。曹洞宗の檀家が全てこのやうに行つてゐるのか、あるいはこのお寺だけが行つてゐるのかは定かではない。しかし、もう何十年も、葬式を出した時にはかうしてゐるのだと言ふし、お盆の行事もまたこのやうにしてゐたと家内は言ふ。かういふ慣習が何によつて維持され信じられてゐるのか、私はひとへに住職の仏様への帰依にあると予感するが、残念ながらそれは感じられなかつた。ここでは書けないが、新盆の読経に来られた時に実に残念な言葉を残して次の檀家に行かれた時、本当に情けない...2013年の終戦記念日

  • 近況

    母親の葬儀も無事に終はつた。家族で通夜を過ごした。父親の時と同じ葬儀場なので、勝手が分かり不安も和らいだ。祖父母の時には家で葬儀を行なつてゐたから、わづか一世代でこんなにも葬儀の有り様が変はつてしまふものかとの思ひもあつた。一世代の変化といふことを言へば、母方の祖父が亡くなつたのは50年も前である。一世代とは30年をいふのであらうが、祖父母と父母との世代間の差がいちばん大きいのであらう。戦後の高度経済成長が食料を豊かにし、衛生状態を向上させた。寿命の変化が最も著しい時期である。それに引き換へ、私と両親との間はせいぜい30年である。母の通夜はもつとしめやかにしたいと思つたが、誰もしんみりとした様子はなかつた。懐かしい話題には事欠かないが、どれも笑ひ声と共に語られるから深夜まで楽しい時間となつた。半分悔しい思...近況

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