車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり
言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。
日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。
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車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり
八月の御所グラウンド(文春e-book)万城目学文藝春秋久しぶりに万城目学の小説を読んだ。直近(第170回)の直木賞を受賞した作品だからである。受賞作は、「八月の御所グラウンド」だが、単行本にはもう一作「十二月の都大路上下(かけ)ル」も収められてゐる。後者は、毎年行はれてゐる全国高校駅伝の大会に取材したもので、私も以前勤めてゐた学校がこの常連出場校で、宝ヶ池辺りで応援したことが何度もあるので、懐かしく読んだ。ネタバレになるので詳細は止めるが、その都大路を走る高校生の横で見えるヒトには見える歴史的人物が絡んだ話である。受賞作の方は、同じく京都の大学のライバル関係のある教授二人が学部長選を争つてゐる。その前哨戦として「野球の対抗戦に勝て」といふ厳命を受けた彼(多聞)がその戦ひに挑む。彼に借金をしてゐたためその...万城目学『八月の御所グランド』を読む
先日、春休みを使つて岡山に遊んできた。初めて訪れた岡山は晴天に恵まれ、楽しい旅となつた。一日目は、岡山城と後楽園とを歩く。外国人の多さに驚いた。地方都市もすでに世界的な観光地になつてゐたといふことだ。平日に訪れるのはむしろ外国人の方が多いのかもしれない。宇喜多秀家、小早川秀家、池田光政と城主は変はつたが、いづれも著名な武士たちである。西国に睨みを利かすそれなりの人物でなければ治められなかつたといふことだらう。戦国の山城から、平野に城を構えた先駆けであつたといふことも、時代の変化を鋭敏に捉へた証である。ただそれだけに目の前に流れる旭川の氾濫を受け、治水には苦労もしてゐたやうだ。現在の城は近代建築になつてゐるが、形状の異形もその現れであるやうに感じられた。池田家は、途中から養子を迎へて家を守つてきたことにも驚...岡山に遊ぶ
造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
造形藝術の永遠性とは何かー2024年度 京都大学入試現代国語の文章
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
東京大学の2024年度入試の第四問(文科のみ出題)の設問(一)は「『ガラスは薄くなっていくが、障壁がなくなる日は決して来ない』とはどういうことか、説明せよ」となつてゐる。そして、京都大学の2024年度入試の大問1(文理共通問題)の問5は「『核心は近づいたかと思えはまた遠ざかる』のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌詞に触れつつ説明せよ」となつてゐる。「祈り」とは吟遊詩人ブラート・オクジャワの詩(沼野充義訳)で、第一段落に記されてゐるもの。神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく……東大京大とも、翻訳にまつはる話題である。異文化理解だとか他者理解だとか、あるいは多様性の尊重といふこがいかに難しいかといふことを、それとは明示しないけれども、...2024年度入試東京大学と京都大学の奇跡的な一致
東京大学国語入試問題の2024年度の第一問についての論評は、昨日記した。「なに」を訊く問題が4つ揃わなかつたので、「なぜ」を2つ混ぜるしかなかつたといふのが私の考察である。「なに」を訊く問題には「なぜ」が入るが、「なぜ」と訊けば理由しか含まれないと私は考へるので、その文章自体も含めて、2024年度の東大の現代文第一問は「面白くなかつた」といふのがその内容である。では第四問(文科のみに課される問題)はどうか。こちらは、良いと思つた(それにしても随分偉さうな物言ひですね。我ながらさう思ひます)。フランス文学研究者が、日本語でフランス文学の翻訳を通じて感じてゐることを記してゐる。菅原百合絵「クレリエール」翻訳論では、2013年第一問『ランボーの詩の翻訳について』湯浅博雄があるが、こちらは文科理科共通問題であつた...2024年度東京大学の国語第四問について
春休みは、大学入試問題を解くことにしてゐる。やうやく、今年の東京大学と京都大学の入試問題を解くことができた。いつもにも増して、解くまでに時間がかかつたやうな気がする。それは東京大学の第一問評論が面白くなかつたからだ。ちなみに近年出題された文章のタイトルだけを挙げると、2023年吉田憲司「仮面と身体」2022年鵜飼哲「ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路」2021年松嶋健「ケアと共同性-個人主義を超えて」2020年小坂井敏晶「『神の亡霊』6近代の原罪」となつてゐる。そして、今年は2024年小川さやか「時間を与えあう――商業経済と人間経済の連環を築く「負債」をめぐって」だつた。物事の両義性に焦点を当てた文章を、よくぞこれほど違ふジャンルの文章から持つて来られるなと思ふほど見事な文章選択眼ではある。しかし、その...WHAT(なに)を問へない時にWHY(なぜ)を問ふ
今号の紹介です。先月号に引き続き留守晴夫先生の論稿が掲載された。喜ばれる読者も多いだらう。『再び、戦争は無くならない』とある。戦争といふ局面では、「人間の中身が丸見えになる。善人はより善い人になり、悪人はさらに悪くなる」といふのは、今般のウクライナ戦争を取材した番組の中で、あるウクライナ人医師が語つてゐた言葉だと言ふ。であれば、戦争をやれない日本人は、道徳的な問ひに突き付けられる機会を失つてゐるのであるから、堕落してゐるに違ひない。留守先生は、師匠の松原正の言葉を引用して論稿を閉じる。まさに、自分自身を振り返つて見ても、戦争に立ち会つたときに、どういふ振る舞ひをするであらうかと自問すれば、「善人」になれるとは断言しがたい。さらに「悪人になる」とも断言しがたい。かういふ態度こそがきつと不道徳的といふのであら...時事評論石川2024年3月20日(第839)号
我が産声を聞きに(講談社文庫)白石一文講談社昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。現...白石一文『我が産声を聞きに』を読む
月刊正論2024年04月号[雑誌]正論編集部日本工業新聞社今、書店に並んでゐる『正論』4月号に、「国語の『混乱』をごまかすな」を書いた。年末に、「今度、言葉についての特集を組むことになつたから、是非書いてほしい」との依頼を受けた。30分ほど、それについてどんな意図なのか、あるいは私が今何を考へてゐるのかといふことについて話し合つた。国語の混乱といふワードがその時に出てきたかどうかは分からない。ただ、年明け早々にある「全国大学入学共通テスト」については触れてほしいとのことだつたので、「分かりました」と答へ、その電話を切つた。実はこの年始は、金沢に旅行に行くことにしてゐた。11月に日帰りで金沢に出かけることがあり、今度は家族で来ようと決めてゐたからである。しかし、何だか気が進まないところもあつて、予定がすつぽ...『正論』2024年4月号に寄稿
令和6年の2月が明日で終はる。今月60歳になり還暦を迎へたが、特別な感慨もなくどうしようもない停滞の中を苦々しい顔をしないで(他人様からはいつも笑つてゐますねと言はれる)過ごしてゐる。今の願望は早く定年を迎へたいといふことである。恥づかしいことであるが、偽ることでもあるまい。その原因の一つはデジタル社会の生きづらさである。ワードを使つて文章を書くのは当り前。エクセルを使つて表計算するのは当たり前。そこら辺りはまだいい。楽々清算やら、teamsやら、その他さまざまなソフトやアプリを駆使してデジタル社会は人間にその仕様に馴れるやうに求めて来る。現代の人間疎外である。デジタルデバイド(デジタルによる格差)を取り上げる若者はゐない。何が多様性だ。そんな言葉の薄つぺらさは、この一事で分からう。技術上達者が生きやすい...還暦を通り越してや春を待つ
今号の紹介です。久し振りの留守晴夫先生の論稿が掲載。喜ばれる読者も多いだらう。留守先生の師匠でもある松原正の名著『戦争は無くならない』と同じタイトルで寄稿された。今号ではその前半が載せられてゐる。近著メルヴィルの『詐欺師ー仮面芝居の物語―』についてから書き起こされてゐる。人に「心」がある限り、つまりは「悪と悲惨」とを解決しようとする良心がある限り、この世から戦争が無くなることはないといふ主旨である。次号も楽しみにしたい。一面にある共産党のカネについての話は面白かつた。共産党の昨年の総収入は190億円といふから驚く。しかもその収入のほとんどが「赤旗」の購読料といふのから驚きである。政党助成金を受取つてゐない共産党の資金源である。それが今たいへんなことになつてゐるといふのだ。購読者の漸減と、配達の負担である。...時事評論石川2024年2月20日(第837/38)号
草の芽に降りし光や微かなる
快挙(新潮文庫)白石一文新潮社写真家を目指すが、その能力に限界を感じ、ホテルマンなどのアルバイトで生活を送る俊彦。彼は小料理店を営む2歳年上のみすみと一緒になつた。小説を書き始めた俊彦が小説家として世に出ることを勧め、支へてくれてゐた。小説を書きながらも、あと一歩のところでそれが世に出ない。筆力の限界と共に、担当し俊彦の文才を買つてくれてゐた編集者の急逝といふ不遇もあつた。それでも長い忍耐の時期を過ごしながら出会つた人との繋がりでノンフィクションの本が出、10万部を越すベストセラーになる。不遇の中で腐りかけながらも、俊彦を支へてくれたみすみの存在が切ない。彼女は決して聖女ではなく、愛に迷つてもゐるが、傷ついた心を決して他人のせいにはしない女性であつた。俊彦は『快挙』といふ小説をそれぞれ別の作品として2度書...白石一文『快挙』を読む
今年は暖冬だと言はれたが、寒い日はあつてそんな時はやはり寒い。特に当地は埋立地で、本来は海の上、雨の次の日は不思議に風が強い。それはここに来るまで経験したことのないほどの風の強さで、1年に何度も台風が来てゐるやうに感じる。もちろん建物は鉄筋コンクリート建てだから壊れることはないが、サッシは築17年も経つとどうやら隙間が開いて来るやうでガタガタと揺れる。夜中に何度か起きたことがあるが、海の上だものなと思ふと腹も立たない。それよりは快晴の日の景色の解放感の方が優つてゐる。さて、そんな今年の冬だが、不思議に薔薇が咲いた。5月に咲き、秋に咲き、冬に咲いた。これは初めてのこと。これが暖冬のせいなのかは分からないが、嬉しい出来事である。ベランダにオレンジ色の薔薇に引き寄せられ寒い外に出て行つた。冬に咲く花の強さや席を...花咲く冬もある
今月、文春新書から、福田恆存の講演が文章になって出版される。新潮社から刊行されてゐたカセット文庫が、新潮新書ではなく文藝春秋から出るのは不思議な感じを受けますが、読者としてどちらでもよく、刊行されることを素直に喜びたい。何度も聴いたものなのだが、活字になれば、また違つた発見があるかもしれない。福田恆存の言葉処世術から宗教まで(文春新書)福田恆存文藝春秋福田恒存講演日本の近代化とその自立1(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存講演第2集理想の名に値するもの(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恒存講演3近代日本文学について;シエイクスピア劇の魅力(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存の講演が本に
草にすわる(文春文庫)白石一文文藝春秋今日も白石文学を楽しんでゐる。今作は短編集。5篇の作品が編まれてゐる。中では「砂の城」を推す。「若い矢田が、世を恐れ、人を恐れ、そして自らの無知を深く恐れながら、必死で文学と格闘していった」「彼の文学は、無神論者が血眼になって神を求めているような、いわば見苦しい徒労だね」「要するに矢田は人間関係の距離を上手くはかることのできぬ男であり、それは彼の生まれついた一大欠落だった」ここに記された作家矢田泰治とは、白石一文のことなのかどうか、あるいは父親で直木賞作家の白石一郎のことなのかは分からない。そんなことはもちろんどうでも良いことだが、かういふことを書き留めることのできる白石一文の日本人評を、私は得難い観察眼として嬉しく思ふのである。言葉はそれを感じるものにしかかたちを与...白石一文『草にすわる』を読む
今年最初の映画。紛れもない日本映画だけれど、やはりどこか違和感がある。主役が夜眠る夢がモノクロで、不穏な音楽にうなされてゐるやうな印象を受ける。しかし朝起きた彼は不機嫌でもなく、昨日と同じやうに朝の作業をこなして仕事に行く。渋谷辺りの公衆トイレを清掃するのが彼の仕事。寡黙に丁寧に仕事をこなす。昼休憩に寄る神社の境内ではサンドウィッチを食べる。木漏れ日を見ては笑顔になる。ピントをわざと合はせず偶然の妙に委ねてフィルムカメラでその木漏れ日を撮る。もう何年も続けてゐる。帰宅して銭湯に行き、帰りがけに一杯やつて家に帰つて本を読む。眠たくなつたらそのまま眠る。その1日の固定された生活から弾き飛ばされたやうな心情や考へが汚物のやうに夢に滲み出て来る。しかし夢は見れば終はる。あたかも浄化されたかのやう。だから、朝になれ...「PERFECTDAYS」(役所広司主演)を観る
冬休み最後の1日となつた。太陽の塔を見に行かうと思ひ立ち、昼食をとつた後に出かけた。歩いて行かうかと思つたが、2時間ほどの歩行に膝がどう反応するのかを考へるとやめた方が賢明だと思ひ直してモノレールで出かけた。公園を訪ねる人は思ひのほか少なかつた。温かい冬の一日に公園での散歩はもつてこいだが、やはり初詣が優先ではあらう。太陽の塔には神事につながるものは何もないからである。思はず拝みたくなる威風と清潔とはあるけれども、岡本太郎といふ藝術家が創り出した意匠である。しばらく眺めてゐると頭部の辺りにカラスが飛んでゐるのに気がついた。これまで何度も見てきた姿であるが、珍しい光景だつた。以前、このブログに書いたかもしれないが、太陽の塔について旧約聖書のノアの話に触れたことがあつたと思ふ。簡単に言へば、ノアの家族たちは大...2024年の太陽の塔高所恐怖症の鳥はゐるのか
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車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり
八月の御所グラウンド(文春e-book)万城目学文藝春秋久しぶりに万城目学の小説を読んだ。直近(第170回)の直木賞を受賞した作品だからである。受賞作は、「八月の御所グラウンド」だが、単行本にはもう一作「十二月の都大路上下(かけ)ル」も収められてゐる。後者は、毎年行はれてゐる全国高校駅伝の大会に取材したもので、私も以前勤めてゐた学校がこの常連出場校で、宝ヶ池辺りで応援したことが何度もあるので、懐かしく読んだ。ネタバレになるので詳細は止めるが、その都大路を走る高校生の横で見えるヒトには見える歴史的人物が絡んだ話である。受賞作の方は、同じく京都の大学のライバル関係のある教授二人が学部長選を争つてゐる。その前哨戦として「野球の対抗戦に勝て」といふ厳命を受けた彼(多聞)がその戦ひに挑む。彼に借金をしてゐたためその...万城目学『八月の御所グランド』を読む
先日、春休みを使つて岡山に遊んできた。初めて訪れた岡山は晴天に恵まれ、楽しい旅となつた。一日目は、岡山城と後楽園とを歩く。外国人の多さに驚いた。地方都市もすでに世界的な観光地になつてゐたといふことだ。平日に訪れるのはむしろ外国人の方が多いのかもしれない。宇喜多秀家、小早川秀家、池田光政と城主は変はつたが、いづれも著名な武士たちである。西国に睨みを利かすそれなりの人物でなければ治められなかつたといふことだらう。戦国の山城から、平野に城を構えた先駆けであつたといふことも、時代の変化を鋭敏に捉へた証である。ただそれだけに目の前に流れる旭川の氾濫を受け、治水には苦労もしてゐたやうだ。現在の城は近代建築になつてゐるが、形状の異形もその現れであるやうに感じられた。池田家は、途中から養子を迎へて家を守つてきたことにも驚...岡山に遊ぶ
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
東京大学の2024年度入試の第四問(文科のみ出題)の設問(一)は「『ガラスは薄くなっていくが、障壁がなくなる日は決して来ない』とはどういうことか、説明せよ」となつてゐる。そして、京都大学の2024年度入試の大問1(文理共通問題)の問5は「『核心は近づいたかと思えはまた遠ざかる』のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌詞に触れつつ説明せよ」となつてゐる。「祈り」とは吟遊詩人ブラート・オクジャワの詩(沼野充義訳)で、第一段落に記されてゐるもの。神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく……東大京大とも、翻訳にまつはる話題である。異文化理解だとか他者理解だとか、あるいは多様性の尊重といふこがいかに難しいかといふことを、それとは明示しないけれども、...2024年度入試東京大学と京都大学の奇跡的な一致
東京大学国語入試問題の2024年度の第一問についての論評は、昨日記した。「なに」を訊く問題が4つ揃わなかつたので、「なぜ」を2つ混ぜるしかなかつたといふのが私の考察である。「なに」を訊く問題には「なぜ」が入るが、「なぜ」と訊けば理由しか含まれないと私は考へるので、その文章自体も含めて、2024年度の東大の現代文第一問は「面白くなかつた」といふのがその内容である。では第四問(文科のみに課される問題)はどうか。こちらは、良いと思つた(それにしても随分偉さうな物言ひですね。我ながらさう思ひます)。フランス文学研究者が、日本語でフランス文学の翻訳を通じて感じてゐることを記してゐる。菅原百合絵「クレリエール」翻訳論では、2013年第一問『ランボーの詩の翻訳について』湯浅博雄があるが、こちらは文科理科共通問題であつた...2024年度東京大学の国語第四問について
春休みは、大学入試問題を解くことにしてゐる。やうやく、今年の東京大学と京都大学の入試問題を解くことができた。いつもにも増して、解くまでに時間がかかつたやうな気がする。それは東京大学の第一問評論が面白くなかつたからだ。ちなみに近年出題された文章のタイトルだけを挙げると、2023年吉田憲司「仮面と身体」2022年鵜飼哲「ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路」2021年松嶋健「ケアと共同性-個人主義を超えて」2020年小坂井敏晶「『神の亡霊』6近代の原罪」となつてゐる。そして、今年は2024年小川さやか「時間を与えあう――商業経済と人間経済の連環を築く「負債」をめぐって」だつた。物事の両義性に焦点を当てた文章を、よくぞこれほど違ふジャンルの文章から持つて来られるなと思ふほど見事な文章選択眼ではある。しかし、その...WHAT(なに)を問へない時にWHY(なぜ)を問ふ
今号の紹介です。先月号に引き続き留守晴夫先生の論稿が掲載された。喜ばれる読者も多いだらう。『再び、戦争は無くならない』とある。戦争といふ局面では、「人間の中身が丸見えになる。善人はより善い人になり、悪人はさらに悪くなる」といふのは、今般のウクライナ戦争を取材した番組の中で、あるウクライナ人医師が語つてゐた言葉だと言ふ。であれば、戦争をやれない日本人は、道徳的な問ひに突き付けられる機会を失つてゐるのであるから、堕落してゐるに違ひない。留守先生は、師匠の松原正の言葉を引用して論稿を閉じる。まさに、自分自身を振り返つて見ても、戦争に立ち会つたときに、どういふ振る舞ひをするであらうかと自問すれば、「善人」になれるとは断言しがたい。さらに「悪人になる」とも断言しがたい。かういふ態度こそがきつと不道徳的といふのであら...時事評論石川2024年3月20日(第839)号
我が産声を聞きに(講談社文庫)白石一文講談社昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。現...白石一文『我が産声を聞きに』を読む
月刊正論2024年04月号[雑誌]正論編集部日本工業新聞社今、書店に並んでゐる『正論』4月号に、「国語の『混乱』をごまかすな」を書いた。年末に、「今度、言葉についての特集を組むことになつたから、是非書いてほしい」との依頼を受けた。30分ほど、それについてどんな意図なのか、あるいは私が今何を考へてゐるのかといふことについて話し合つた。国語の混乱といふワードがその時に出てきたかどうかは分からない。ただ、年明け早々にある「全国大学入学共通テスト」については触れてほしいとのことだつたので、「分かりました」と答へ、その電話を切つた。実はこの年始は、金沢に旅行に行くことにしてゐた。11月に日帰りで金沢に出かけることがあり、今度は家族で来ようと決めてゐたからである。しかし、何だか気が進まないところもあつて、予定がすつぽ...『正論』2024年4月号に寄稿
令和6年の2月が明日で終はる。今月60歳になり還暦を迎へたが、特別な感慨もなくどうしようもない停滞の中を苦々しい顔をしないで(他人様からはいつも笑つてゐますねと言はれる)過ごしてゐる。今の願望は早く定年を迎へたいといふことである。恥づかしいことであるが、偽ることでもあるまい。その原因の一つはデジタル社会の生きづらさである。ワードを使つて文章を書くのは当り前。エクセルを使つて表計算するのは当たり前。そこら辺りはまだいい。楽々清算やら、teamsやら、その他さまざまなソフトやアプリを駆使してデジタル社会は人間にその仕様に馴れるやうに求めて来る。現代の人間疎外である。デジタルデバイド(デジタルによる格差)を取り上げる若者はゐない。何が多様性だ。そんな言葉の薄つぺらさは、この一事で分からう。技術上達者が生きやすい...還暦を通り越してや春を待つ
今号の紹介です。久し振りの留守晴夫先生の論稿が掲載。喜ばれる読者も多いだらう。留守先生の師匠でもある松原正の名著『戦争は無くならない』と同じタイトルで寄稿された。今号ではその前半が載せられてゐる。近著メルヴィルの『詐欺師ー仮面芝居の物語―』についてから書き起こされてゐる。人に「心」がある限り、つまりは「悪と悲惨」とを解決しようとする良心がある限り、この世から戦争が無くなることはないといふ主旨である。次号も楽しみにしたい。一面にある共産党のカネについての話は面白かつた。共産党の昨年の総収入は190億円といふから驚く。しかもその収入のほとんどが「赤旗」の購読料といふのから驚きである。政党助成金を受取つてゐない共産党の資金源である。それが今たいへんなことになつてゐるといふのだ。購読者の漸減と、配達の負担である。...時事評論石川2024年2月20日(第837/38)号
草の芽に降りし光や微かなる
快挙(新潮文庫)白石一文新潮社写真家を目指すが、その能力に限界を感じ、ホテルマンなどのアルバイトで生活を送る俊彦。彼は小料理店を営む2歳年上のみすみと一緒になつた。小説を書き始めた俊彦が小説家として世に出ることを勧め、支へてくれてゐた。小説を書きながらも、あと一歩のところでそれが世に出ない。筆力の限界と共に、担当し俊彦の文才を買つてくれてゐた編集者の急逝といふ不遇もあつた。それでも長い忍耐の時期を過ごしながら出会つた人との繋がりでノンフィクションの本が出、10万部を越すベストセラーになる。不遇の中で腐りかけながらも、俊彦を支へてくれたみすみの存在が切ない。彼女は決して聖女ではなく、愛に迷つてもゐるが、傷ついた心を決して他人のせいにはしない女性であつた。俊彦は『快挙』といふ小説をそれぞれ別の作品として2度書...白石一文『快挙』を読む
今年は暖冬だと言はれたが、寒い日はあつてそんな時はやはり寒い。特に当地は埋立地で、本来は海の上、雨の次の日は不思議に風が強い。それはここに来るまで経験したことのないほどの風の強さで、1年に何度も台風が来てゐるやうに感じる。もちろん建物は鉄筋コンクリート建てだから壊れることはないが、サッシは築17年も経つとどうやら隙間が開いて来るやうでガタガタと揺れる。夜中に何度か起きたことがあるが、海の上だものなと思ふと腹も立たない。それよりは快晴の日の景色の解放感の方が優つてゐる。さて、そんな今年の冬だが、不思議に薔薇が咲いた。5月に咲き、秋に咲き、冬に咲いた。これは初めてのこと。これが暖冬のせいなのかは分からないが、嬉しい出来事である。ベランダにオレンジ色の薔薇に引き寄せられ寒い外に出て行つた。冬に咲く花の強さや席を...花咲く冬もある
今月、文春新書から、福田恆存の講演が文章になって出版される。新潮社から刊行されてゐたカセット文庫が、新潮新書ではなく文藝春秋から出るのは不思議な感じを受けますが、読者としてどちらでもよく、刊行されることを素直に喜びたい。何度も聴いたものなのだが、活字になれば、また違つた発見があるかもしれない。福田恆存の言葉処世術から宗教まで(文春新書)福田恆存文藝春秋福田恒存講演日本の近代化とその自立1(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存講演第2集理想の名に値するもの(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恒存講演3近代日本文学について;シエイクスピア劇の魅力(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存の講演が本に
草にすわる(文春文庫)白石一文文藝春秋今日も白石文学を楽しんでゐる。今作は短編集。5篇の作品が編まれてゐる。中では「砂の城」を推す。「若い矢田が、世を恐れ、人を恐れ、そして自らの無知を深く恐れながら、必死で文学と格闘していった」「彼の文学は、無神論者が血眼になって神を求めているような、いわば見苦しい徒労だね」「要するに矢田は人間関係の距離を上手くはかることのできぬ男であり、それは彼の生まれついた一大欠落だった」ここに記された作家矢田泰治とは、白石一文のことなのかどうか、あるいは父親で直木賞作家の白石一郎のことなのかは分からない。そんなことはもちろんどうでも良いことだが、かういふことを書き留めることのできる白石一文の日本人評を、私は得難い観察眼として嬉しく思ふのである。言葉はそれを感じるものにしかかたちを与...白石一文『草にすわる』を読む
今年最初の映画。紛れもない日本映画だけれど、やはりどこか違和感がある。主役が夜眠る夢がモノクロで、不穏な音楽にうなされてゐるやうな印象を受ける。しかし朝起きた彼は不機嫌でもなく、昨日と同じやうに朝の作業をこなして仕事に行く。渋谷辺りの公衆トイレを清掃するのが彼の仕事。寡黙に丁寧に仕事をこなす。昼休憩に寄る神社の境内ではサンドウィッチを食べる。木漏れ日を見ては笑顔になる。ピントをわざと合はせず偶然の妙に委ねてフィルムカメラでその木漏れ日を撮る。もう何年も続けてゐる。帰宅して銭湯に行き、帰りがけに一杯やつて家に帰つて本を読む。眠たくなつたらそのまま眠る。その1日の固定された生活から弾き飛ばされたやうな心情や考へが汚物のやうに夢に滲み出て来る。しかし夢は見れば終はる。あたかも浄化されたかのやう。だから、朝になれ...「PERFECTDAYS」(役所広司主演)を観る
冬休み最後の1日となつた。太陽の塔を見に行かうと思ひ立ち、昼食をとつた後に出かけた。歩いて行かうかと思つたが、2時間ほどの歩行に膝がどう反応するのかを考へるとやめた方が賢明だと思ひ直してモノレールで出かけた。公園を訪ねる人は思ひのほか少なかつた。温かい冬の一日に公園での散歩はもつてこいだが、やはり初詣が優先ではあらう。太陽の塔には神事につながるものは何もないからである。思はず拝みたくなる威風と清潔とはあるけれども、岡本太郎といふ藝術家が創り出した意匠である。しばらく眺めてゐると頭部の辺りにカラスが飛んでゐるのに気がついた。これまで何度も見てきた姿であるが、珍しい光景だつた。以前、このブログに書いたかもしれないが、太陽の塔について旧約聖書のノアの話に触れたことがあつたと思ふ。簡単に言へば、ノアの家族たちは大...2024年の太陽の塔高所恐怖症の鳥はゐるのか
子どもが自立できる教育(小学館文庫)岡田尊司小学館生徒を育てるにはどうすればよいか。そればかりを考へてゐる。育てるにはまづ学力をつけるといふことがある。もちろん、その場合の「学力」とは何かといふ問題もある。それについては、中等教育では教科書が検定によつて決められてゐるのであるから、その教科書が理解できるかといふところを基準にしてゐる。次に「理解できる」とはどういふことなのかといふ問題もある。それについては、定められた試験において60点を取れるといふことを基準にしてゐる。しかし、学力が付き、理解ができれば、生徒は育つたといふことになるのか。学力=教養=幸福といふ図式はすでに過去のものである。私の身の回りにも高学歴の方はたくさんゐるが、彼らの言動を見る限り、かなり不自由な生活をしてゐることが分かる。この場合の...岡田尊司『子どもが自立できる教育』を読む
素晴らしきかな、人生(字幕版)ウィル・スミス久しぶりの休日。車の点検に遠出し、買ひ物をしてきた夕方。特に予定もないこの時間が好きだ。日が伸びてきたおかげて、夕方と言つても外は明るい。そんな時に、更にいい映画に出会ふとさらに幸福感に満たされる。出会ひは偶然の力であるから、うまく行かない時もある。しかし、今日はうまく行つたやうだ。洋画をあまり観ないが、今日たまたまprimevideoで観たのが、「素晴らしかな、人生」である。訳者もウィル・スミス以外は知らない。不思議な話ではある。六歳の娘を重い病で失つた男が、「出会ひ」を通じてその悲しみを受け入れていくといふのが物語である。しかし、その男は娘の死を受け入れられない。病んでゐることを心配する同僚たちが、秘策を練る。それが功を奏するのであるが、その同僚たちの秘策も...映画『素晴らしかな、人生』を見る
先日、ある読書会に参加した。4年ほど前にも参加したことがあるが、どんな風に進めていくのかもすっかり忘れてゐたのでしばらくは様子を見てゐた。テーマとなつた本について順々に感想を述べてゐるやうだつた。それはまあ普通に答へて、一巡し終はつたところで、何か仰りたいことがある方は御自由にといふので、少しのべさせてもらつた。すると70歳ほどの常連らしきお方が、「そんな事を発表者に訊いて時間をかけてここで話し合ふ意味があるか」と言つて来た。話し合ふ意味とはどういふ意味なのか、私には全く分からなかつた。意味なんかないと言へばない。そもそも読書会にいやいや読書自体に意味があるのかどうかも分からない。意味がなければ何もしないといふのが私には暴言のやうに思へた。何のことはない。その御仁は自分の話がしたいといふことに過ぎないとい...読書会の難しさ
先日スマホの料金プランの見直しに行つた。コロナが明けて再び出張が増えると、スマホを使ふ機会が増えると見込んでのことだ。結果的にはこのままでいいといふことになり、疑問に思ひながらもそのままにしておいた。それはそれで終はりなのだが、店先で気になる場面に遭遇した。それが老婦人と店員さんとのやりとりである。八十を過ぎた彼女がスマホを契約したいといふことで来店したやうだつた。「知らないうちに解約されてゐて困つてゐる」とのことだつた。しかし八十歳を越えた人の契約には家族の同意が必要で、家族に電話をかけて欲しいと言はれてゐた。それで電話をかけたのだが、娘さんは「これから出かけるところなので今晩家でね」といふことになつたらしい。なぜこんなに詳しく知つてしまつたのかと言へば、とにかく耳が遠いその御婦人相手に店員さんの声は店...スマホと老婦人
今号の紹介です。国会の議論のくだらなさは、昨日今日のことではないが、最近のものは最早「くだらない」ではすまされないほどの酷さである。小西議員の議論は、附き合ひきれない。だから、ここでも細かいことには触れないが、根拠も示さずに憶測で言ひがかりをつけるのはいい加減にせよ。それから杉尾議員の高市氏への批難も全く当たらない。それに対して「信じないなら質問しないでいただきたい」は私には正論に思ふが、如何。議論とは「よりよきもの」を巡つて交はされるところに意義があるだが、自分は絶対正しく相手は絶対間違つてゐるといふ決めつけで交はされるのは最早議論ではない。折伏である。自分と他者とが共に真実に至らうと努力するから議論が成り立つのだ。他者不信=自己絶対化なのだから、さういふ図式の中では議論は成立しない。高市氏は正しい。発...時事評論石川2023年3月20日(第827)号
子供のための哲学教室、といふものにとても興味がある。もう50年も前のこと、自分自身の子供時代を振り返ると、私は考へるといふことが生きるといふことだと感じてゐたのだらうと想像される。何となく格好いい表現だが、実態はさうではない。哲学の作法も分からないから理屈つぽい少年といふことでしかない。「屁理屈屋さん」といふ言葉を「格好いい表現」とは思はないだらうから、まさにさういふ存在だつた。それでも小学5,6年生の担任の先生は、さういふ私を妙に可愛がつてくれて、すべての生徒と交換日記をやつてくださる先生だつたので、私の面倒くさい「屁理屈」にもていねいに付き合つてくださつてゐた。そのノートは今もどこかにあるやうな気もするが、今の自分はそんな屁理屈屋はうんざりだから、見返したくはない。なぜこんな思ひ出話を書いたかと言へば...土屋陽介『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』を読む
今年の京大の現代文の1番は、福田恆存の『藝術とはなにか』からの出題だつた。試験が終はつた直後の昼休みに「先生、見ますか?」と受験生に言はれたが、試験は振り返つちやダメだと常日頃言つてゐた手前、「やめとく」と伝へて話題を切り替へたが、内心は見たくてたまらなかつた。そして、今朝やうやく予備校のウェブサイトで確かめた。なんと福田先生の文章だつた。昨日それを知つてしまつたら思はず解説してしまつてゐたかもしれないので、見ないことにして正解だつた。さて、文章に引かれた傍線部は次の通り。(1)ドラマは《為されるもの》であります(2)この呼吸は映画では不可能です(3)そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい(4)教養とはそういう自我の堆積にほかなりません(5)現代では、藝術の創造や鑑賞のい...2023年京都大学の国語入試問題は福田恆存
今号の紹介です。今年最初の号。一年間といふ月日が、これほど変化をもたらした年といふのも珍しいことを感じる紙面構成である。昨年のまさに今、ウクライナへの侵略が始まつた。昨年の今頃は防衛予算の拡大についてなど政治的なタブーであつた。そして何より安倍首相が暗殺されることなど意想外中の意想外であつた。そして、それに伴つて宗教が社会の大ごとになつたのも何を言つてゐるのか分からない出来事であつた。しかし、である。世の中は変はつてゐない。今朝のテレビはパンダの移送が話題のほとんどであつた。上野のシャンシャン、和歌山のメイヒン、確かにそれは時の話題ではあらう。しかし、これだけか。人々の熱意の方向が私には分からない。大事な変化は大きすぎて見えない。今更ながらそれを感じる。「ユダ」の時代の到来を二面に掲載していただいた。左翼...時事評論石川2023年2月20日(第825/826)号
正しきことと良きことの区別ができない人がゐる。正しきことがいつでも良きことかどうか、一度考へるべきである。子供が何か過ちをした。それを叱る。それは正しきことである。しかし、叱つたからと言つて直ちに子供が良き子になるわけではない。だから、時間の猶予を与へなければならない。その時に、以前に輪をかけて叱り、怒鳴り、圧力をかけても、つまりは正しきことを幾重にも重ねても、それは良きことにはならない。裏木戸の戸を開けておけと古くから言はれるやうに、正しきことで子を追ひ込むことは良きことではない。むしろ悪しきことである。良きこと悪しきこと、正しきことと過つこと。かうした区別が大切である。これとは直接に関係ないが、アランは次のやうに書いてゐる。「ひどく腹を立ててゐる人間は、ひどく感動的な、いきいきと照らしだされた悲劇を、...怒りの鎮め方
受験生を抱へた身に去来する思ひそのまま。それは同時にこちらの老化でもある。昔は違つてゐたよな。やれやれと思ひ深々早や節分
まづは戯言を一つ。タイトルに「ソウギョウノウエン」と打ち込んだら、「操業農園」と出てきた。びつくりしたが、次の瞬間笑つてしまつた。操業農園では意味が分からない。蘭学事始(講談社学術文庫)杉田玄白講談社閑話休題。杉田玄白の『蘭学事始』には次のやうな箇所がある。「浮華の輩、雷同して従事せしも多かれども、創業の迂遠なるに倦(う)みて廃するもの少なからざりし」。(訳)浮かれて華やかなことが好きな人は、付和雷同して『解体新書』の翻訳に従事した者も多かったけれども、新しいことを始める時の回りくどくて面倒なことに飽き飽きして辞める者も少なくなかつた。今、仕事をしてゐてさういふことを感じてゐる。創立されて間もなく二十年になる学校に勤めてゐるが、この間のことを思ふと、まさに「創業の迂遠」なるを感じる。これに負けてしまひさう...創業の迂遠
ベルグソンの『物質と記憶』の第七版の序には「自分の立場ははつきり二元論だ」と書かれてゐる。そして、それは常識的な立場であるのに、哲学者からは理解されず評判が悪いとも書いてゐる。つまりは、物質といふものを、表象に還元してしまふ観念論も、我々の中に表象を生み出しつつも当の表象とはまつたく本性の異なるものだとする実在論とは、共に誤りであるといふ考へある。それは端的に「『もの』と『表象』の中間に位置する存在なのである」。私は、いまこのベルグソンの物質観を問題にしてゐるのではない(もちろん、その考へに異論があるわけではないが)。ではなく、二元論といふのは、かういふ使ひ方が正しいといふことが言ひたいのである。ところが、新聞に出てくる知識人たちの文章や、テレビに出てくるコメンテーターの中には、これを「物質か表象(精神)...誤解される「二元論」
モナドの領域(新潮文庫)筒井康隆新潮社今年最初の小説。じつを言ふと年末から読み始めてゐたが、年始になつて仕事が始まり、それをまとめる余裕がなくなり、今日になつてしまつた。読み終へて十日ほど経つので、もうまとめるといふ気力もない。ただ面白かつたといふ思ひである。「モナド」とは、空間を構成する単位を表す概念のやうだが、それ自体は構成要素を持たないものであるといふ。しかし、素粒子が原子を作るやうに、素粒子同士が関係を持つやうなものであるのに対し、モナドは一切の関係を持たない独立的なものであるとされてゐる。この世界はそのモナドの領域である。ところが、現代、別のモナドとの重なりが起きてしまつた。その証拠がある事件である。この小説の冒頭に書かれたバラバラ殺人事件が、その「重なり」の証拠であつた。もちろん、読者はそんな...筒井康隆『モナドの領域』を読む。
正月の談議(承前)吉本隆明は福田恆存のことを書かなかつた。このことをずつと不思議に思つてゐた。大学時代に、そのことについて先輩と議論したこともあつたが、両者については何も知ることはできなかつた。ところが、神道氏がかう言つた。「別冊宝島の『保守反動思想家に学ぶ本』に吉本は福田の訳した『アポカリプス論』を読んで影響を受けたと書かれてゐた。」この本は、1985年に出たMOOKで、私も読んでゐた。が、それは記憶になかつた。そこで、愛知に戻つて来て、書棚の奥から今日やうやく探し当てた。すると149頁にかうあつた。呉智英の言葉である。「福田はだから、吉本にも影響を与えているわけですよ。吉本の『マチウ書試論』ってのは明らかに今言った『アポカリプス論』に触発されて出てきたもんだから。」すると、真宗門徒氏は、吉本の『マチウ...正月の談議から――吉本隆明の福田恆存からの影響
良寛と言へば、一般には江戸後期の僧侶のことが知られてゐる。吉本隆明や水上勉の著作にもあるほどで、俳人・漢詩人としても知られてゐる。今、調べると辞世の句は「うらをみせおもてを見せてちるもみじ」であつたと言ふ。一昨日の宗教談議の中で、鎌倉時代の既存仏教は、いはゆる「末法の時代」に何をしてゐたのだらうかといふ疑問が湧いた。そこでふと口に出て来たのが「良寛といふ僧侶がゐたやうな気がする」とつぶやいたが、記憶も曖昧で確かなことは言へなかつた。そこで今朝調べてみると、確かに鎌倉時代に「良寛」といふ人物がゐた。その方はむしろ「忍性」と言ふ名で知られる人で、(鎌倉の)極楽寺忍性と言はれてゐる。真言宗とも律宗とも異なる真言律宗と呼ばれる宗派である。貧民やハンセン病の患者の救済を目指して活躍してゐた。ちなみに言へば、大阪の四...二人の良寛
正月とお盆と、長い休みの時の最大の楽しみは、気の置けない友人二人との語らひである。昨日も、その時間を楽しんだ。初詣の話から始まり、それぞれのこの期間に出会つた人の話や読んだ本の話を語り始めた。いつものこの調子であるが、昨日は「信じるといふこと」について話が至つた。宗教や信仰といふ漢語では、私が感じた印象とは違ふやうにも感じる。それはやはり「信じるといふこと」がふさわしいやうに思ふ。神道と真宗と無教会とそれぞれの立場からの発言は、何が正しくて何が間違つてゐるといふ理性的な追究ではない。人間とは何かといふことについて(それはたぶんに日本人とは何かといふことになるのであるが)のそれぞれが思ふところを率直に語るなかで、気づきや問ひがつぎつぎに生まれてくる。その感覚が日常では味はふことのない喜びである。これだけ書く...宗教談議とその逸脱
昨日のこと。散歩がてら買ひ物に出た。薬を一つと、久しぶりに使つたプリンターのインクがないことに気づいたのでそれを買ひに出た。夕飯は何にしようかと家内と話してゐるとパンが食べたいといふことになつて、スーパーにも寄つた。イオン系のスーパーなのでwaonで支払つた。いくら入つてゐるのかも分からないし、購入した物がいくらになるのかも分からない。ところが、レジを過ぎてレシートを見ると、残金はきつちり5,000円だつた。現在消費税は8%。物の値段も10円単位ではなくなつてゐる。計算してもこんなことは起きないだらうと思ふ。何とも気持ちの良い出来事だつた。こんなところで運を使つてしまふなんてとは一瞬思つたが、まづは気持ちの良い買ひ物に小さな喜びを記しておきたい。快事ひとつ
privateの対義語は、もちろんpuvlicである。私的と公的といふ感じで捉へてゐるのが一般的な日本人の感覚である。ところが、イギリスの私立学校を「puvlicschool」と言ふのはなぜ?と訊くと一瞬黙つてしまふ人が多い。日本人の感覚で言へば「privateschool」といふことになるからである。つまり、この両者の英語的感覚は、公私といふ日本語の感覚とは異なつてゐるといふことである。もちろん、英語にも「privateschool」と呼ばれる私立学校は存在するし、その方が数は多い。しかし、イートンやハローのやうな伝統的な私立学校はprivateschoolと呼ばれてゐる。では、このprivateといふ言葉の意味はそもそも何か。稲垣良典によれば、privationといふ名詞を見れば分かると言ふ。つまり、...privateといふこと
国語といふ教科の中の現代文といふ科目は、文化的な伝統を伝へ、自から文章を読めるやうになるための技術的訓練といふ側面は弱く、現代を彩る問題意識はどこにあるかといふ課題提示と悪文をいかに読み取るかといふ技術的訓練の側面が強い。悪文といふのは致し方ない面があつて現代日本語を母語とする日本語人を相手に授業をするのであるから、誰が読んでも明解に意味が分かるやうな達意の文章が課題文になることは少ない。つまりは、誰が読んでも一読ではあまり意味が分からないやうな文章を読み解くといふことが必要になるわけだ。さて、昨今私が気になつてゐて、今年の授業の中で随分手こずつたのが「再帰性」といふ概念である。社会学者のベックが有名だが、中世社会を変革して近代化を成し遂げた社会(封建社会を打破して資本主義社会にしたり、専制政治に終止符を...再帰的といふこと
神とは何か哲学としてのキリスト教(講談社現代新書)稲垣良典講談社追悼の意味を込めて、今年最後の書評はやはりこの書である。本年1月15日に93歳で亡くなられた、トマス=アクィナス研究の第一人者である。私は、福田恆存が見たトマス=アクィナス像でしか、この中世の代表的神学者を知らなかつたから、その評価はあまり高いとは言へないものだつた。つまり、神とは背後から感じるものであつて、それを正視し表現することから神は神でなくなつたといふのが福田恆存の中世理解であつた。もちろん、その代表者がトマスであるから、勢ひ福田はトマスの神学を謬見もしくは誤解と見てゐたわけだ。しかしながら、私たちに理性や悟性といふ知性があるからには、神とは何かを問ふことは知的誠実そのものであり、言つてみれば知性とは真の根源たる神(もちろん、真に限ら...稲垣良典『神とは何か哲学としてのキリスト教』