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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

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  • 山田太一「今朝の秋」を観る

    山田太一原作笠智衆主演『今朝の秋』【NHKスクエア限定商品】笠智衆、倍賞美津子、樹木希林、杉村春子、山田太一(原作)NHKエンタープライズ今夏の映像視聴はハズレが多かつた。「ぼくのおじさん」(北杜夫原作)、「秋刀魚の秋」(小津安二郎)は、期待してゐたが、肩透かしだつた。それに対して「今朝の秋」は、素晴らしかつた。目の前に人はゐるけれども、独白調で語る台詞回しは小津安二郎に似てゐるけれども、山田の場合にはもう少し思想的である。言葉は気分の表明のやうに見えて、実はさうではなく、思想を構築するやうに、しかもレンガを積んでいくやうでもなく、ちやうど彫刻家が木材を削りながら造型を作り出してゐる装ひである。掘つては修正し、残しては掘る。その往還が1人の人物の台詞として描かれていく。それは見事であつた。もちろん、うまく...山田太一「今朝の秋」を観る

  • 今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

    「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策今井むつみ日経BP組織に属してゐる人であれば、必ず感じるだらうことが、この「何回説明しても伝わらない」といふ体験である。ましてや私の職業は教師といふことなのでなほさらである。認知科学の発達により、「理解」とはどういふことなのかはおおよそ明らかになつてゐる。今から40年ほど前に、ある論文の中で認知心理学やスキーマ(理解の枠組み)といふ言葉を読んで、なるほど「理解」とは、外部からの刺戟とそれについての反応といふ表面的な過程の奥に、前提となることがあるのだ。そして、そのスキーマを見据えて学習といふ行為を成立させることが必要だといふことを知つた。だから、それ以来私の教育観の中から「話せば伝はる」といふ図式は一掃されてゐる...今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読む

  • 多様性万能論を排す

    なぜ東大は男だらけなのか(集英社新書)矢口祐人集英社先日、東京大学の副学長の矢口祐人氏のお話を聞く機会があつた。『なぜ東大は男だらけなのか』の著者である。東大の女子学生は2割の壁を越えない。もちろん、他の大学も同じやうなもの。早稲田が少し女子学生が多いらしいが、日本の大学生には男子が多すぎるとのことだ。これは他国の大学からするとかなり特殊といふことのやうだ。もちろん、女子大学といふ世界にはあまり例のない大学が日本にはあるといふことも一因かもしれない。しかし、そもそも受験の段階で女子が少ないといふこともある。日本とスイスぐらゐらしい。大学進学者の男女比がその他の国では逆転してゐて、圧倒的に女子の方が多いといふのだ。かういふ話を聞いて、なるほどねといふ驚きがあつた。それで、日本でも女子学生を増やさなければとい...多様性万能論を排す

  • 内田樹『街場の成熟論』を読む

    街場の成熟論(文春e-book)内田樹文藝春秋久しぶりに内田樹の本を読んだ。十年ほど前はむさぼるやうに読んだが、その政治的発言が外れ続けるのを見てゐて違和感が強くなり、読むのを止めてしまつた。それがどういふ訳か、この夏に読む本の一冊として鞄に入れ久ぶりに読むことになつた。政治的見解の「ずれ」について、内田が弁明のやうなものを書いてゐた。「そもそも私にはどの政党の政策が『客観的に正しい』のかがわからない。外交や安全保障や経済について、私には政策の適否を判断できるほどの知識がない。知識経験豊かな専門家たちの意見が食い違うような論件について素人の私には判断がつくはずがない」(93頁)と。それなら普通は、政治的なコメントは寄せないといふのがマナーだらうが、内田は違ふ。本書にも安倍元首相の批判について何度も記してゐ...内田樹『街場の成熟論』を読む

  • 缺性といふこと

    缺性(欠性)とは聞きなれない言葉だと思ふ。缺如と言へば分かりやすいが、哲学用語はわざわざ言ひ古されてゐない言葉を用ゐて、言葉の意味をくつきりとさせようといふ意図があるやうに思はれる。その意味は「本来は持つてゐるべき性質を持つてゐない状態」といふ意味である。「中」とは上下左右前後などの「両端」の概念があるはずなのに、それを持たずに「中」だけがあるとすれば本来はをかしいはずだが、中しか存在しないと考へればそれは缺性的といふことになる。中の下に「華」をつけて、東西や南北に存在を認めないといふ政治姿勢の国があると言へば、その国は缺性的といふことになる。このことは、人に対しても同じである。自分の考へだけが正しいと考へ、他の人の考へは誤りであると断じる姿勢は、意見の対立は許されないといふことを示してをり、缺性的と言へ...缺性といふこと

  • 角田光代『方舟を燃やす』を讀む

    方舟を燃やす方舟を燃やすノーブランド品長編である。方舟とは旧約聖書に出てくるノアの物語から採られたものだ。それがどういふ意味か。タイトルに引き寄せられた。カバーの絵が私には現代藝術家の辰野多恵子の絵のやうに見えた。この絵の色合いと筆触が好みにあつてゐた。巻末を見ると津田周平といふ方の想定であるやうだが、オレンジ色の字に黒い不思議な形状が浮かび上つて見える。方舟を燃やす角田光代新潮社しかし、驚いたことに巻かれてゐる帯を読後の今初めて剥がしてみると、その黒い不思議な形状は猫が伸びをしてゐる姿だつた。読み終はつて「猫」の存在が最後の最後に印象付けられるが、さういふことだつたのかと知らされた。帯は外してみるものかは。私の子供の頃には、ノストラダムスの大予言が取りざたされ確か映画にもなつてゐた。1999年7月に地球...角田光代『方舟を燃やす』を讀む

  • 人生初の新幹線

    一昨日と昨日、栃木県に行つてゐた。自治医科大学が主催する説明会に参加するためだ。これまでに日光をはじめとして栃木に行つたことは何度かある。母方の出は栃木である。生前、戦時中の話になると栃木に疎開してゐたときの話題になつたから、たぶん親類がゐたのであらう。栃木には親近感はある。東京に住んでゐた頃に宮城や山形に出かけたことがあつたが、それらはいづれも自動車であつた。あるいはもつと昔、大学時代に仙台に出かけたときはまだ東北新幹線がない頃であつたから、特急列車で行つた記憶がある。そこでせつかくだから東北新幹線に乗つて栃木に行つてみようと思ひ立つた。しかし、それが失敗だつた。上野で人に会ふ約束があつたので、東北新幹線に上野から乗つたのだが、そのホームが何と地下の深いこと深いこと、驚いてしまつた。更に、列車が15分ほ...人生初の新幹線

  • 自治医科大に向かふ車中にて

    今日はこれから自治医科大学の説明会に向かふことになった。説明会自体は明日だが、天候不順が怖いので大事をとつて本日から移動することにした。大阪から東京への新幹線での移動は久しぶりのことで、その間何をしようと考へてゐたが、少し見ておきたい映像があつたので、それを見て過ごすことにした。実を言ふと今この文章も車中で書いてゐる。その映像を見終つたところで一息ついてこれを書いてゐる。これからの時間は、教へ子が書いた小説を読まうと思つてるる。職業作家のそれではないが、その腕は相当なものだと思つてゐる。なかなか切実なテーマを抱へてゐるもので、書かなければ生きていけないといふやうな種類のそれである。聞けばヘッセの小説に惹かれてゐると言ふ。こんな時代に、いやこんな時代だからだらうか。ヘッセを読まうといふ若者は貴重である。少な...自治医科大に向かふ車中にて

  • 不易流行といふこと

    先日の講演会で講演者の一人が、この言葉を引用し、芭蕉はこのやうに言つてゐるとして示したのが次の言葉である。「去来抄」にある。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」。そして、これを次のやうに現代語訳してゐた。「変わらない真理の中にも新しい変化を取り入れようという考え方です」と。国語の教員であるといふ方の、わづかこれだけの短い自分の言葉に矛盾があることに気付いてゐない。それに驚いてしまつた。「変わらない」と「変化」が両立するとはどういふことであるのか。芭蕉が言はんとしたところは、俳句には基本がありそれをおろそかにしてはいけない。ただし、その基本に忠実といふだけでは陳腐になつてしまふので新風を吹き込めといふことである。芭蕉が「去来抄」で述べたところを、真理自体が変化するかのやうに解釈して...不易流行といふこと

  • 生成AIで脅迫する教育学者

    昨日大手予備校が主催する教育セミナーに参加した。大阪難波の一流ホテルの大宴会場に相当な数の教員を集めての大集会であつた。いく人かの講師が話されてゐたが、どれも低調で残念だつた。この種のセミナーが成功するかどうかは主催者がどれだけ丁寧に講演者にセミナーの主旨を話し議論し講演の内容を鋭角的にできるかにかかつてゐる。さうでなければ、どこかで使つたパワーポイントの焼き直しかどこかに書いた文章の再現でしかないものになりがちである。昨日のもさういふ印象が強かつたが、それとは次元の異なる酷い公演があつた。それはもはや生成AIを使はない選択肢はないといふ内容であつた。それはその通りで全く異論はない。問題はその次の話を聞きたいのである。ところが30分の講演がそれだけであつた。しかも、脅迫的に話すのである。しかし当たり前の社...生成AIで脅迫する教育学者

  • 『ある男』を観る

    ある男(コルク)平野啓一郎コルク平野啓一郎の同名の小説は未読である。したがつて、この映画が原作通りであるのかどうかは分からない。あくまでも映画の感想である。宮崎県のある文房具屋に、スケッチブックを買ひに男がやつてくる。温泉旅館の次男坊といふことらしいが、兄と折り合ひが悪く故郷を離れ、この地にやつて来た。仕事は木を切り出す林業である。仕事の休みの日には風景画を描いてゐるらしい。そのために何度もこの文房具屋を訪れる。さうかうしてゐるうちに、文房具屋の女性と恋仲になり結婚。娘が生まれる。ところが、ある日木を切り出す仕事をしてゐる最中に不慮の事故で亡くなつてしまふ。話はここから急展開。葬儀にやつて来た男のお兄さんは遺影を見て、「これは弟ではない」と言ふ。ではいつたい誰なのか。文房具屋の女性は、じつは離婚歴があり、...『ある男』を観る

  • 片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

    プライドが高くて迷惑な人片田珠美PHP研究所どうしてこんな本を買つたのだらう。しかもこの暑い夏の昼間にどうして読んでゐるのだらう。そんなことを考へながら読んでしまつた。たぶん、さういふ人に出会ひ、困つてゐるからである。さう、私は困り果ててゐるのだ。できればさういふ人に出会はずに、かかはらずに、気持ちよく生きて行きたい。しかし、仕事も変はり立場も変はれば、彼らとの遭遇率は上昇していく。否応なしにである。電車が遅延したり、まずい食べ物屋に入つてしまつたりするのと同じである。家にじつとしてゐれば、さういふ「不幸」には遭遇することはないけれども、それでは生きていけない。現代社会とはさういふ社会なのである。いやいや人間とは「関係性」のなかに放り投げられてゐるのであるから、いつの時代もさうであつたのかもしれない。本書...片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

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