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言葉の救はれ――時代と文學さんのプロフィール

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日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

ブログタイトル
言葉の救はれ??時代と文學
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/logos6516
ブログ紹介文
言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。
更新頻度(1年)

31回 / 365日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2014/10/06

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言葉の救はれ――時代と文學さん
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言葉の救はれ??時代と文學

言葉の救はれ――時代と文學さんの新着記事

1件〜30件

  • 時事評論石川 2月号(789・790合併号)

    「時事評論石川」2月号のお知らせ。世の中、「武漢肺炎」一色である(この名称を使ふべきといふ浅野氏の論考はその通り。四日市ぜんそく、水俣病など、地名で病名をつけることはをかしくないはず)。何が嫌つて、この下手なサッカーチームのやうに、ボールがあるところにニュースが集中することである。大事なことは、いくらでもある。中国の南シナ海の支配や日本の土地の購入問題も、それから習近平の国賓待遇問題もある(二面の吉田先生の論考を参照)。児童虐待防止法の改正も、ロシアのスパイの問題も、大学入試改革だつてまだ終はつてゐないし、消費税の引き下げだつてこれからでも検討すべきである。さういふいろいろな大問題が吹つ飛んで、公衆衛生に電波ジャックされてゐる事態は、愚かとしか言ひやうがない。国会は国会で、まだ桜を見る会のことをやつてゐる。いい...時事評論石川2月号(789・790合併号)

  • いよいよ読書会始まりました。

    だいぶん以前に、生徒向けに読書会をするといふことを書いた。そしてメンバーも決まり、本の選定を生徒としてゐたが、結局開催できなかつた。夕方の時間ならいつでも取れると思つたのだが、案外メンバー全員が揃ふ時間が取れず、長期休みが入り、学年が変はり、といふ変化の中で消えてしまつた。それでといふ訳ではないが、昨年の後半に教員同士での読書会をやることを決めた。本は『科学の社会史』で、それはすぐに読み終はつた。科学の社会史──ルネサンスから20世紀まで(ちくま学芸文庫)古川安年末に同僚と話をしてゐると、「あの本で読書会をしてもあまり盛り上がらないと思ふので、別の本にしませう」といふことになり、年始に決めたのが『教育の理念を象るー教育の知識論序説』だ。教育の理念を象る―教育の知識論序説(越境ブックレット)田中智志筆者は、早稲田...いよいよ読書会始まりました。

  • 二人の追悼

    二人の人物が相次いで亡くなつた。かつてはよく読んでゐた二人であつたが、今は読まなくなつてしまつた。一人は、坪内祐三氏である。まだ若い。福田恆存の最後の門下生と言つてもよいだらう。ただ、根本的なところで福田とは違ふ考への持ち主であつた。福田恆存の没後のシンポジウムで「歴史的仮名遣ひはコスプレだ」と発言したとき、私はその場にゐた。ああ、かういふことを言ふ人であるか、と実に残念な気がした。軽みのある私にはとてもまねのできない読みやすい文章を書かれる人であつたが、その軽みは重しを失つた軽さであつたか。早稲田大学の文学部には、かういふ人が多い。私の思ひこみをさらに強化してくれた人だつた。あの発言以来、読むことは少なくなつた。右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。坪内祐三もう一人は、アメリカの文芸評論家のジョージ・...二人の追悼

  • 『正論』2月号に寄稿

    昨日、文部科学省から共通テストの概要が発表された。国語は80分のまま、数学ⅠAは70分といふことになった。が、まだ不明のこともある。一年を切つたこの期に新情報を出し、しかもそれが不十分であるにもかかはらず、当初の予定通り行ふといふのは、もはや意地になつてゐるといふことだらう。これまでの経緯とそこにある問題を民主党政権に遡つて書いたのが拙稿である。ご高覧いただければ幸ひです。正論2020年3月号(特集中国人権弾圧絶望の慟哭)Amazon.co.jpによる詳細はこちら:https://www.amazon.co.jp/dp/B083TMYV8Q/ref=cm_sw_em_r_mt_awdb_HHLmEb19MMRZ9『正論』2月号に寄稿

  • 石が出来た。

    どうやらまた石が出来たらしい。あの苦しみがやつて来る。不穏な鈍痛が脇腹にある。困つた。石が出来た。

  • 『人を伸ばす力』

    小テストの意味を考へてゐる。範囲を区切つて小テストを行ひ、ある期間が過ぎたらそれまでのところを総ざらひするためのテストを行ふ。小テストで本当に力がついてゐれば、そのまとめテストでも高得点が望める、と期待するが、実際さうはうまくは行かない。では、小テストをする意味とはどこにあるのか。「(短期記憶に強い)学生を激励するためである」といふことだらうか。入学してからの学習内容の修得状況を把握するには、卒業直前に一発勝負のテストをすればいい。これが理想である。実際、上級学校の入学試験とは、それをしてゐる。しかし、それではまずからうといふことで(3年間通つてゐて、その卒業テストに合格できなければもう一度三年間をやり直すのかといふことになつてしまふ)、学年に区切り、学期に区切り、さらにその学期を二つに区切つたのである。それが...『人を伸ばす力』

  • 『北の十字架』

    先日、タデウシ・ルジェヴィッチの「おちる」といふ詩について書いた。その出典が分からいないと記したが、その後それが『北の十字架』といふ詩集として出版され、「おちる」の全文が載つてゐることが分かつた。訳者は、米川和夫である。米川和夫は、米川正夫の四男で、兄哲夫(ロシア文学者・ロシア史家)、弟良夫(イタリア文学者)ともに外国語文学の翻訳を残してゐる。父正夫は言はずと知れたドストエフスキーの翻訳家で、個人訳全集も出版してゐる。ドストエフスキーと言へば近年は亀山郁夫の訳が評判であるが、米山正夫、原卓也、江川卓といふそれぞれの訳も現役であることは間違ひない。ロシア文学は今もなほ、いろいろな訳読むことができる。それにたいしてポーランド文学は、あまりなじみがない。1905年にヘンリク・シェンキェヴィチがノーベル文学賞を受賞して...『北の十字架』

  • 『良き社会のための経済学』

    良き社会のための経済学村井章子日本経済新聞出版社正月に会つた若き友人に教へてもらつた本である。「今、何を読んでゐるか」と訊くと、おもむろに鞄からこの大部の書を出した。タイトルに驚いた。かういふ本があることも知らなかつたし、さういふ本をその青年が読んでゐることも分からなかつた。男子三日会はずば刮目して見よの通り自分の迂闊を恥じた。ざつと内容を説明してもらひ、フランス人でありアメリカのMITで博士号をとりながら再びフランスに帰つて経済を講ずる学者だと聞いた。ノーベル経済学賞はアメリカ人かイギリス人と思つてゐたが、かういふ学者がゐることを知つた。新自由主義やら古典派経済学やら、経済は物事を単純化して捉へ過ぎる。そしてその結果、社会を破壊するといふやうにしか考へてゐなかつたが、その考へが修正されるかもしれない。理論や技...『良き社会のための経済学』

  • タデウシ・ルジェヴィッチ Tadeusz Róewicz

    市村弘正の『小さなものの諸形態』のエッセイの中で、ルジェビッチの「落ちる」が引用されてゐるのを読み、とても興味が沸いた。  おちながらわれわれは庭をつくりおちながら子供をそだておちならが古典をよみおちながら形容詞を消し 落ちていく現代文明のなかで、私たちは日常を過ごしていく。しかし、その認識があれば、まだしもそれがなければますます私たちの社会は落ちて行くことになる。行くところまで行くしかないとしても、そこには何かがあるだらうか。そんな不安が静かに沈潜してく。それが現代であらうか。透明な停滞とかつて山崎正和が書いてゐたが、落ちていくことが明瞭に記憶されながら何をして良いか分からない。それは何が起きてゐるのか分からない不透明な不安よりももしかしたら強い不安なのかもしれない。ルジェビッチの詩が読みたくて探したが、今出...タデウシ・ルジェヴィッチTadeuszRóewicz

  • 2020年が明けました。

    年末から、芦田宏直氏の『シラバス論』を読んでゐる。シラバス論:大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について芦田宏直晶文社先生の研究室にお邪魔するたびにうかがつてゐたことがまとめられてゐて、とても頭が整理される。その要諦は、シラバスによる授業の質の維持と学生の修得の向上である。アクティブラーニングとは教員の手抜きにほかならない。90分の授業(講義)をするためにどれぐらゐの準備が必要か。それをしないで学生にわいわいやらせることを「アクティブ」と称する欺瞞を常々仰つてゐた。私も内心さう思つてゐたが、やはり授業は教員の力が必要だと改めて思はされた。田辺元は、講義日の二日前から面会謝絶だつたと言ふ。それぐらゐ授業の準備をしてゐたといふことだ。恐るべし。しかし、中等教育で「面会謝絶」にしたら、即刻訓戒処分だらう。だ...2020年が明けました。

  • 横軸に交る縦軸が見えない

    今日は大晦日。一年を振り返つて、さて今年の一冊は何にしようと考へたが読んだ本の名前が思ひ浮かばない。なに、本の名前が思ひ浮かばないといふよりは、あつさり本を読まなかつたといふ方が正解であらう。貧困な読書生活であつた。積み上げた本はいくらもあるが、読みかぢつたり眺め見たりするだけのこと。小説数冊と評論数冊。今年は大掃除もせずに、添削や原稿書きと知人との面会とにここ数日を過ごしてゐる。日頃はできないことを長い休みを掴つてできるのはありがたい。頭を休めるためにふと手にしたのが『問ひ質したき事ども』である。福田恆存の最後の著作だとおもふ。かういふ本が「頭をやすめるために手にするのか」と疑問を持たれるかもしれないが、私にとつては頭の栄養素。日常生活の消耗戦に臨むには、かういふ本が必要だ。目に入つたのは、渡部昇一をくさした...横軸に交る縦軸が見えない

  • 「時事評論石川」2019年12月号

    「時事評論石川」12月号(788号)のお知らせ。ブログの更新が滞つてゐる。ひとへに忙しいからである。そしてやはり体力の衰えも否めない。帰宅して夕食をとるともう何もできない。それでも仕事の続きは「しなければならない」ので「する」のだから、もはや体力でもなく気力なのか。時間→体力→気力と何かのせいにして更新遅滞の理由を語るのは、やはりをろかなるべし。さて今月号は、一面の中国資本による北海道の土地買収の問題である。北海道だけではない、対馬も同じ状況だらう。国防の意識がなく、所有者個人の意思に任される外国人への土地売買の状況は喫緊の課題である。国会での議論を願ふ。二面で論じられるのは、神戸市の小学校での教師間いじめの実態である。なるほど日教組の問題だつたのかと感じる。品性下劣な者たちがイデオロギーで武装して、その下劣な...「時事評論石川」2019年12月号

  • 『ひらく』第二号出来

    先日、京都で佐伯啓思先生と友人と共にお会ひした。三時間ほどの歓談であつたが、じつに豊かな時間であつた。その折に発売日よりも少しだけ早く本を拝見することができた。今回も中身は充実してゐて、本の厚みも前号より厚い。建築家、俳優、作家、科学者、若き研究者などなど、執筆者の幅は広い。その折の話題にも出たが、最近の月刊誌はあまりにも政策論議や、現状へのコメントが多くて面白くない。かつての月刊誌が果たしてゐた、本質論や文明論の極めて高質な文章による「啓蒙」の側面がすつかり抜け落ちてゐる。そんな時に、飢えた読者が求めてゐるものは何かとの思ひから創刊されたのがこの『ひらく』である。当初は「啓く」も「HIRAKU」も題字としては考へられてゐたとのことだが、この『ひらく』に落ち着いたらしい。知られざる藝術家(今号は彫刻家)の紹介も...『ひらく』第二号出来

  • 時事評論石川 2019年11月号

    「時事評論石川」11月号(787号号)のお知らせ。西洋と日本は違ふのだ。さういふことをかつて松原正は書いてゐた。そして今日、そのお弟子である留守先生がそのことを言ひ続けてゐる。今回の『常長』は木下杢太郎の作品であるが、それを取り上げた留守先生のお考へでもある。かういふことを言ひ続けることの意味を、果たしてどれだけの人が分かるだらうか。今はグローバリズムといふことがさも当たり前のやうに言はれる。確かに英語帝国主義は激しく滲透してきてゐる。しかし、たとへさうであつても、日本と西洋は違ふといふことに変はりない。私たち日本人にとつては西洋は異国であり、異文化であり、分からないことは存在し続けるのだ。さういふことを自覚しなければならない。ただ私はそれでも価値は一つであると思つてゐる。富士山ののぼり口は山梨側にも静岡側にも...時事評論石川2019年11月号

  • 時事評論 786号

    「時事評論石川」10月号のお知らせ。台風15号、そして19号の被害を受けた方々にお見舞ひを申し上げます。日常がじつに薄皮のやうな幸運の上に成り立つてゐるといふことをつくづくと感じます。テレビでみる映像がきつと明日の自分のことであるだらうと思はれるほど、天災の訪れに恐れおののいてゐます。『クライテリオン』といふ雑誌が安倍政権を批判してゐる。何を今さらといふ感じもするが、批判をしないよりはいい。教育政策は最初から一貫してダメダメダメであり、具体的な「改革」がいよいよ再来年の春から始まつてしまふ。中曽根内閣の臨教審のやうに、外面だけ整へて屋台骨を打ち壊す教育の「改革」は、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。しかし、さうやつて国は滅んでいくのだよと心の中のつぶやきもすぐに聞こえてくるのだから、やりきれない。諦めながら行...時事評論786号

  • 「アルキメデスの大戦」を観る

    小説アルキメデスの大戦(講談社文庫)三田紀房講談社今夏は映画を一本だけ観た。時間はあつたが、観たいと思ふ映画がこれだけだつた。夏休みは子供映画が多いのだと改めて思ふ。戦艦大和がなぜ造られなぜ沈められたのかといふことが描かれてゐる。時代錯誤の発想と、組織防衛の論理とがそれを招いたといふ結論は、今日にも通じる日本社会の構造的欠陥であらう。さういふことをフィクションとCGとを通じて描かれるのである。その意味では新しいことは何もない。戦艦大和が轟沈するシーンから始まるのは監督のお手柄なのか原作の妙策なのかは分からないが、十二分に引き付けられた。大和が日本社会の象徴であると思へば、身につまされるやうな現実が私の周りにいくつもある。どうやつたら苦しまないで死ねるだらうかと考へながらそのシーンを観てゐた。なんて馬鹿なものを作...「アルキメデスの大戦」を観る

  • 『騎士団長殺し』を讀む。

    騎士団長殺し第1部:顕れるイデア編(上)(新潮文庫)村上春樹新潮社騎士団長殺し第1部:顕れるイデア編(下)(新潮文庫)村上春樹新潮社騎士団長殺し第2部:遷ろうメタファー編(上)(新潮文庫)村上春樹新潮社騎士団長殺し第2部:遷ろうメタファー編(下)(新潮文庫)村上春樹新潮社村上春樹の作品を久しぶりに讀んだ。イギリスのイートンに短期留学してゐた生徒が日本に戻つて来ると、「文学部に行きたい」と言ひ出した。その生徒とは進路について話をしたことがなかつたが、イートンの様子を教へてくれないかと尋ねたところ、喜んで話をしてくれた。2時間ほど話をしてゐるうちに進学の話題になり、当地の文学の授業がたいへんに面白かつたといふことがあるらしい。海外の大学も考へてゐるといふことだが、「日本の文学部の授業が君の関心と合ふかどうかは疑問だ...『騎士団長殺し』を讀む。

  • 『ひらく』創刊

    今日は、雑誌の紹介。ひらく(1)佐伯啓思,佐伯啓思エイアンドエフ夏休みに会つた友人から、「佐伯啓思先生(京大)が雑誌を出すことになつたけど、知つてゐるか」と訊かれ、「知らない」といふと、詳しく教へてくれたのがこの雑誌である。どうやら『表現者』の後継誌『クライテリオン』とはちよつと趣きが違ふらしい。どう違ふかはどちらにもあまり詳しくないので分からないが、藤井聡さんも京大だし、佐伯先生も京大だし、なんだか穏当ではない。もちろん知識人には有りがちなことではあるので、論壇の隆盛に両者とも貢献していただければ読者としては歓迎である。本屋を探して見たが置いてあるところはなかつた。そこでネットで購入。台風の日に到着したので濡れてしまつてはゐないかと心配したが、それもなかつた(注文してから上本町のジュンク堂に行くと、そこにはあ...『ひらく』創刊

  • 『科学の社会史』を讀む。

    科学の社会史(ちくま学芸文庫)古川安筑摩書房九月から先輩の教員と読書会を開くことにした。「会」と言つても二人だから、まあいつもと同じやうな食事を交えた雑談となるだらうが、それでも一冊の本を巡つての雑談は、これまでとは異なる談議にはなるだらうと予感してゐる。そこで、宿題として出されたのが本書である。どうやらその先輩は「科学としての地理学」といふことについての本を出すらしく、この一年ほど「科学」といふ言葉に執してゐる。科学とは、もちろんscienceの和訳であるが、「科」といふ言葉が的確に意味するやうに「分ける」といふことの学問である。「しな」とは漢字で書くと、科、品、階となる。階段状になつてゐる状態を表すと考へると分かりやすい。品川といふ地名や信濃川といふ名称も、川の両側が段丘になつてゐたのではないかと想像される...『科学の社会史』を讀む。

  • 冲方丁『麒麟児』を讀む

    麒麟児冲方丁KADOKAWA私としてはたいへんに珍しく歴史小説を讀んだ。冲方は『光圀伝』『天地明察』で知られる作家である。家内の方がファンでこの本も既に読んでゐた。きつかけは教へ子から冲方の新著が出ましたけど読んだかとの問ひ合はせがあつたことによる。勝海舟と西郷隆盛といふ二人の麒麟児の話だから、これまでにもいろいろなメディアで讀んだり見たりしてきた。どちらの側に立つかで、あるいは佐幕か勤皇かでも描き方は変はるだらうが、傑物であることに変はりはない。江藤淳のやうに若いころは勝の立場に傾倒し、晩年は西郷に心を寄せるやうになるといふ変化も、やはりこの人物たちが当代一流の文藝評論家をしても年齢に応じてその見方を変へざるを得ないほどの魅力を内包してゐるといふことであらう。さう言へば福田恆存はこの二人をどう見てゐるのか、今...冲方丁『麒麟児』を讀む

  • 表現の自由は休み休み言へ

    この暑さに人々から飽きられたか、やうやく愛知県の美術展論争が下火になつてきた。あの慰安婦像を展示することの「自由」を公権力が奪つてよいかが論じられた。それに対して「憲法が保障してゐる自由には制限がある」との趣旨から反論してゐる人がゐた。、前者が大村愛知県知事で、後者が河村名古屋市長である。このムラムラ論争、まことにはつまらなかつた。憲法解釈を論じるほどの事柄ではないからだ。そもそもどなたかが発言してゐたやうに、あの慰安婦像は美術作品であるのかどうか、それが甚だ疑問である。人を不快にさせるから美術品ではないといふのではない。ピカソの絵でも十二分に不快である、さういふ人もゐる。モネの絵にしてもゴッホの絵にしても快であると断言できる人が圧倒的に多いといふわけではなからう。しかし、それらの作品があらゆる文脈を持たずに作...表現の自由は休み休み言へ

  • 教育セミナー参加で上京す

    二日間東京で教育関連のセミナーに参加した。話題は多岐に渡ってゐて、就職、大学教育、高大接続、探求型学習、進路指導、キャリア教育、図書館活用、地域連繋といふのが大まかな内容。SDGs「SustainableDevelopmentGoals(持続可能な開発目標)」やら、グローバル教育やら、今どきの話題はどの発表からも聴こえて、正直言って食傷気味であつた。発表される先生方はどの方も頑張ってゐるのだが、時々その方がつぶやくぼやきに少し快さがあつた。ひとつだけ例を挙げれば「全てが上手く行つてゐるわけではありません」といふそのつぶやきが謙遜によるエクスキューズなのであれば単なる嫌味だが、さうではないやうに思ふ。学びが変はりました、といふ言葉にどこか嘘があることを生徒も教師も知つてゐるから、ほどほどにやらうといふブレーキが学...教育セミナー参加で上京す

  • 時事評論石川 783号

    「時事評論石川」7月号のお知らせ。やうやく梅雨が明けて夏本番。起き掛けに窓を開けても気持ち良い風は入らず、生ぬるい、どこか埃つぽい空気である。夏は暑くなくてはいけないが、エアコンに慣れた生活感覚からはそこに疎ましささへ感じてしまふ。勝手なものだ。仕事もやうやく目途が立ち、まもなく夏休みに入れさうだ。とは言へ、中身がないのに外に放出することばかりの毎日だつたから、少しは「補給」を試みなければと思ふ。とは言へ、休みになると途端に意識も弛緩してしまひ、本を読むペースも落ち、一つのことに集中する気力も停滞してしまふ。これが能力といふものなのかもしれない。人の成長とは難しいものである。教育を取り巻く環境の変化、それは文科省による日本の教育の破壊が原因であるのだが、その一つを見ても今日の政治的な課題は大きい。端的に言へば「...時事評論石川783号

  • 本のない世界では戦争は起きない

    七、八年ぐらゐ前に書いた文章である。最近感じるのは本を読む世代は、四十歳代が最後ではないか、といふことである。もちろん、大型書店はどこも活況だし、ネットでの書籍販売も好調だと聞く。図書館はどこも人で溢れてゐる。それどころか、人気作家有川浩は、図書館を舞台に『図書館戦争』といふ作品を書き、相当な売れ行きだ。さらに今年は映画の続編が公開され、今もロングランが続いてゐる。これまでにもアニメもテレビで放映されてゐたし、コミック化もされてゐた。本の大切さを過激に主張する本書の人気ぶりは、人々の読書欲の強さを意味してはゐよう。が、それが果たして戦争を起こすほどのものかどうか疑問がある。もちろん野暮な突つ込みを承知での言ではあるが。名著『戦争は無くならない』で著者の松原正は、人が正義を求める限り戦争は無くならないと言ひ切つた...本のない世界では戦争は起きない

  • やはり「待つ」しかない時代

    今から8年前の2011年の2月に、次のやうな文章を書いた。時事評論石川に掲載していただいたが、その感慨は一層深い。何もかも結論が出ずに、消しゴムで字を書いてゐるやうな時代である。しかし、それはいつしか訪れるだらう本物の時代が来るまでは仕方なく過ごさねばならない時代である。私たちの責任のすべてはそこにある。保守にしても守るべきものがすでにない。革新にしても改めるべきものがない。何もかもが「人ぞれぞれ」の時代には、共有すべきものが見つからない。壊してしまつたのだから仕方ない。しかも、その破壊は「創造的破壊」などとうそぶいて行はれ、破壊してゐる意識すらもない。壊された時代に出来ることは、ひたすら「待つ」ことだけである。「いつまで待てるかな」「待つ」しかないではないか――代用の近代の終り文藝批評家前田嘉則この十年の間に...やはり「待つ」しかない時代

  • 『教育幻想』を読む。

    教育幻想クールティーチャー宣言(ちくまプリマー新書)菅野仁筑摩書房本は読んでゐないわけではないが、最近はブログに書く心のゆとりも時間もないので、読んだ本について書くこともない。いや、やはり読書量は減つてゐるかな。雑誌や新聞の記事を読んだり、国語も問題集や大学入試の過去問題を解いてゐたりして、断片的な読書が続いてゐる。継続して分厚い小説を読んでゐるが、いつ読み終はるか分からない。さう言へば、この本も入試問題に取り上げられてゐた抜粋がとても印象に残つたので読んでみることにした。それも今の職場の状況がよくないから、「教育」に変な「幻想」を持ち込むなよといふ思ひが引き寄せたのかもしれない。さう言へば、最近手にしたり購入したりする本はほとんど「教育もの」である。作者の菅野仁さんは、1960年生まれだから私より少し上の人。...『教育幻想』を読む。

  • 一か月の休みがあれば

    昨日、あるセミナーに参加した。教員や教育行政の公務員たちが集まつて学びを深めようといふ主旨で、初めて参加したが面白かつた。かういふセミナーに来る人は、普段は知らないがその場では「善人」になつてしまふからちょつと気が引ける。「本音で話しませう」と言はれても、とてもとても本音でなんて話せない。初対面で本音で話されたら、こちらも引いてしまふ。だから、当然こちらも本音でなんて話せない。お互ひに値踏みしながら少しづつ話せる深度を深めていくといふのが作法である。4時間ほどのセミナーなので、多少「きれいごと」で終はつてしまつたところもあるが、結構面白いものだつた。一つ得た収穫は、非認知能力と呼ばれる資質が学びには大切だといふ知見だつた。お恥づかしいが、さういふ言葉を知らなかつた。「認知能力」の開発や「メタ認知」といふことは学...一か月の休みがあれば

  • 悲観と楽観と

    ものごとを悲観的に見れば、炊事の際にコップが割れるのも不吉な予感として考えられるし、誰かが私を呪つてゐるとも感じられる。ところがその逆に何事も楽観的に捉へれば、将来私に起きるはずだつた事故の代はりにコップが割れてくれたとも感じられる。すべてはものの見方次第とも言へる。確かに悲観が悲劇を招き、楽観が幸福を招くこともあるだらう。拙い私の人生でもさういふ局面があつたことは事実である。事前の思ひが結果の大勢を決めるのだとは、ささやかな人生訓ですらある。しかし、それだけで人生の、あるいは社会の真実に突き当たるといふのも暴論であらう。最悪を想定してこそ、悲劇は免れるといふこともあるであらうし、目の前の障碍はどう見ても楽観視できない事態であつても、見えない未来に希望を見つめて現実を乗り越えることが人間にとつて大切だといふこと...悲観と楽観と

  • 画家・郷倉和子の言葉

    昨年暮れに近くの美術館で郷倉和子の絵画を観た。私は、それほど惹かれたわけではないが、隣で見てゐた家内が彼女の言葉に引き寄せられてメモをしてきてゐた。今日になつて、そのメモが出てきたので、引き写すことにする。長生きをしますと、若い時に出来たことが出来なくなることがたくさんあります。出来なくなることを嘆くのではなく、異なる角度から自分を眺めることで、今まで見えなかったものが見えてくることもあります。それは歳を重ねたからこその賜と考えると、長生きするのも悪くないと思えてきます。生きる喜びを描くことは、感謝を描くことであると近頃思えるようになりました。94歳の時の言葉のやうだ。先日、私の両親も老人ホームに入ることになり、そのホームに行つた。90歳の母はほぼ寝たきり。三カ月ほど入院してゐたが、もう出られないのではないかと...画家・郷倉和子の言葉

  • 「時事評論石川」4月号

    「時事評論石川」4月号のお知らせ。本紙の発行所は、石川県の金沢市にある。だからといふ訳ではないが、先日、学生時代以来だから35年ぶりに金沢を訪れた。その頃の記憶はまつたくないから、初めて訪れたやうな印象である。滞在時間は数時間だから、今回の記憶ももう数年後には残つてゐないからもしれない。ただ21世紀現代美術館の活気には驚いた。平日の、しかも地方の美術館、さらに現代美術の展示に、これほどの人がゐるといふのは驚きである。金沢畏るべし。今月号の内容は次の通り。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●☆☆☆官房長官記者会見騒動偉いもんだね!?東京新聞記者さん悪意に満ち、尊大で未熟、粗雑ジャーナリスト伊藤要●歯止めなき『反日』いつからそし...「時事評論石川」4月号

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