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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

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  • 時事評論石川 2024年3月20日(第839)号

    今号の紹介です。先月号に引き続き留守晴夫先生の論稿が掲載された。喜ばれる読者も多いだらう。『再び、戦争は無くならない』とある。戦争といふ局面では、「人間の中身が丸見えになる。善人はより善い人になり、悪人はさらに悪くなる」といふのは、今般のウクライナ戦争を取材した番組の中で、あるウクライナ人医師が語つてゐた言葉だと言ふ。であれば、戦争をやれない日本人は、道徳的な問ひに突き付けられる機会を失つてゐるのであるから、堕落してゐるに違ひない。留守先生は、師匠の松原正の言葉を引用して論稿を閉じる。まさに、自分自身を振り返つて見ても、戦争に立ち会つたときに、どういふ振る舞ひをするであらうかと自問すれば、「善人」になれるとは断言しがたい。さらに「悪人になる」とも断言しがたい。かういふ態度こそがきつと不道徳的といふのであら...時事評論石川2024年3月20日(第839)号

  • 白石一文『我が産声を聞きに』を読む

    我が産声を聞きに(講談社文庫)白石一文講談社昨年の5月にコロナ禍は終息し、さまざまな規制は解除された。2020年4月7日だつただらうか、緊急事態宣言が出て以来、丸3年の間のあの閉ざされた空気を小説家はどう書いたのか、白石のこの小説で初めてそれを読むことができた。主人公の名香子は結婚を目前にして唐突に全く唐突に婚約者に破談を告げられる。その裏切りとも思へる試練を経て、名香子は上京して別の男性と結婚した。女の子が生まれその子供も成人していよいよ2人の生活が始まるといふ段になつて、夫から突然離婚を切り出される。言葉だけではない。その話をしたまま、夫は別の女性の元に行つてしまふ。傷心に暮れる名香子は故郷の明石に帰る。その途中、婚約者であつた男性と会つて、ある重大な事実を知らされる。そして、再び東京に戻つて来る。現...白石一文『我が産声を聞きに』を読む

  • 『正論』2024年4月号に寄稿

    月刊正論2024年04月号[雑誌]正論編集部日本工業新聞社今、書店に並んでゐる『正論』4月号に、「国語の『混乱』をごまかすな」を書いた。年末に、「今度、言葉についての特集を組むことになつたから、是非書いてほしい」との依頼を受けた。30分ほど、それについてどんな意図なのか、あるいは私が今何を考へてゐるのかといふことについて話し合つた。国語の混乱といふワードがその時に出てきたかどうかは分からない。ただ、年明け早々にある「全国大学入学共通テスト」については触れてほしいとのことだつたので、「分かりました」と答へ、その電話を切つた。実はこの年始は、金沢に旅行に行くことにしてゐた。11月に日帰りで金沢に出かけることがあり、今度は家族で来ようと決めてゐたからである。しかし、何だか気が進まないところもあつて、予定がすつぽ...『正論』2024年4月号に寄稿

  • 還暦を通り越してや春を待つ

    令和6年の2月が明日で終はる。今月60歳になり還暦を迎へたが、特別な感慨もなくどうしようもない停滞の中を苦々しい顔をしないで(他人様からはいつも笑つてゐますねと言はれる)過ごしてゐる。今の願望は早く定年を迎へたいといふことである。恥づかしいことであるが、偽ることでもあるまい。その原因の一つはデジタル社会の生きづらさである。ワードを使つて文章を書くのは当り前。エクセルを使つて表計算するのは当たり前。そこら辺りはまだいい。楽々清算やら、teamsやら、その他さまざまなソフトやアプリを駆使してデジタル社会は人間にその仕様に馴れるやうに求めて来る。現代の人間疎外である。デジタルデバイド(デジタルによる格差)を取り上げる若者はゐない。何が多様性だ。そんな言葉の薄つぺらさは、この一事で分からう。技術上達者が生きやすい...還暦を通り越してや春を待つ

  • 時事評論石川 2024年2月20日(第837/38)号

    今号の紹介です。久し振りの留守晴夫先生の論稿が掲載。喜ばれる読者も多いだらう。留守先生の師匠でもある松原正の名著『戦争は無くならない』と同じタイトルで寄稿された。今号ではその前半が載せられてゐる。近著メルヴィルの『詐欺師ー仮面芝居の物語―』についてから書き起こされてゐる。人に「心」がある限り、つまりは「悪と悲惨」とを解決しようとする良心がある限り、この世から戦争が無くなることはないといふ主旨である。次号も楽しみにしたい。一面にある共産党のカネについての話は面白かつた。共産党の昨年の総収入は190億円といふから驚く。しかもその収入のほとんどが「赤旗」の購読料といふのから驚きである。政党助成金を受取つてゐない共産党の資金源である。それが今たいへんなことになつてゐるといふのだ。購読者の漸減と、配達の負担である。...時事評論石川2024年2月20日(第837/38)号

  • 草の芽に降りし光や微かなる

    草の芽に降りし光や微かなる

  • 白石一文『快挙』を読む

    快挙(新潮文庫)白石一文新潮社写真家を目指すが、その能力に限界を感じ、ホテルマンなどのアルバイトで生活を送る俊彦。彼は小料理店を営む2歳年上のみすみと一緒になつた。小説を書き始めた俊彦が小説家として世に出ることを勧め、支へてくれてゐた。小説を書きながらも、あと一歩のところでそれが世に出ない。筆力の限界と共に、担当し俊彦の文才を買つてくれてゐた編集者の急逝といふ不遇もあつた。それでも長い忍耐の時期を過ごしながら出会つた人との繋がりでノンフィクションの本が出、10万部を越すベストセラーになる。不遇の中で腐りかけながらも、俊彦を支へてくれたみすみの存在が切ない。彼女は決して聖女ではなく、愛に迷つてもゐるが、傷ついた心を決して他人のせいにはしない女性であつた。俊彦は『快挙』といふ小説をそれぞれ別の作品として2度書...白石一文『快挙』を読む

  • 花咲く冬もある

    今年は暖冬だと言はれたが、寒い日はあつてそんな時はやはり寒い。特に当地は埋立地で、本来は海の上、雨の次の日は不思議に風が強い。それはここに来るまで経験したことのないほどの風の強さで、1年に何度も台風が来てゐるやうに感じる。もちろん建物は鉄筋コンクリート建てだから壊れることはないが、サッシは築17年も経つとどうやら隙間が開いて来るやうでガタガタと揺れる。夜中に何度か起きたことがあるが、海の上だものなと思ふと腹も立たない。それよりは快晴の日の景色の解放感の方が優つてゐる。さて、そんな今年の冬だが、不思議に薔薇が咲いた。5月に咲き、秋に咲き、冬に咲いた。これは初めてのこと。これが暖冬のせいなのかは分からないが、嬉しい出来事である。ベランダにオレンジ色の薔薇に引き寄せられ寒い外に出て行つた。冬に咲く花の強さや席を...花咲く冬もある

  • 福田恆存の講演が本に

    今月、文春新書から、福田恆存の講演が文章になって出版される。新潮社から刊行されてゐたカセット文庫が、新潮新書ではなく文藝春秋から出るのは不思議な感じを受けますが、読者としてどちらでもよく、刊行されることを素直に喜びたい。何度も聴いたものなのだが、活字になれば、また違つた発見があるかもしれない。福田恆存の言葉処世術から宗教まで(文春新書)福田恆存文藝春秋福田恒存講演日本の近代化とその自立1(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存講演第2集理想の名に値するもの(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恒存講演3近代日本文学について;シエイクスピア劇の魅力(新潮カセット講演)福田恆存新潮社福田恆存の講演が本に

  • 白石一文『草にすわる』を読む

    草にすわる(文春文庫)白石一文文藝春秋今日も白石文学を楽しんでゐる。今作は短編集。5篇の作品が編まれてゐる。中では「砂の城」を推す。「若い矢田が、世を恐れ、人を恐れ、そして自らの無知を深く恐れながら、必死で文学と格闘していった」「彼の文学は、無神論者が血眼になって神を求めているような、いわば見苦しい徒労だね」「要するに矢田は人間関係の距離を上手くはかることのできぬ男であり、それは彼の生まれついた一大欠落だった」ここに記された作家矢田泰治とは、白石一文のことなのかどうか、あるいは父親で直木賞作家の白石一郎のことなのかは分からない。そんなことはもちろんどうでも良いことだが、かういふことを書き留めることのできる白石一文の日本人評を、私は得難い観察眼として嬉しく思ふのである。言葉はそれを感じるものにしかかたちを与...白石一文『草にすわる』を読む

  • 「PERFECT DAYS 」(役所広司主演)を観る

    今年最初の映画。紛れもない日本映画だけれど、やはりどこか違和感がある。主役が夜眠る夢がモノクロで、不穏な音楽にうなされてゐるやうな印象を受ける。しかし朝起きた彼は不機嫌でもなく、昨日と同じやうに朝の作業をこなして仕事に行く。渋谷辺りの公衆トイレを清掃するのが彼の仕事。寡黙に丁寧に仕事をこなす。昼休憩に寄る神社の境内ではサンドウィッチを食べる。木漏れ日を見ては笑顔になる。ピントをわざと合はせず偶然の妙に委ねてフィルムカメラでその木漏れ日を撮る。もう何年も続けてゐる。帰宅して銭湯に行き、帰りがけに一杯やつて家に帰つて本を読む。眠たくなつたらそのまま眠る。その1日の固定された生活から弾き飛ばされたやうな心情や考へが汚物のやうに夢に滲み出て来る。しかし夢は見れば終はる。あたかも浄化されたかのやう。だから、朝になれ...「PERFECTDAYS」(役所広司主演)を観る

  • 2024年の太陽の塔 高所恐怖症の鳥はゐるのか

    冬休み最後の1日となつた。太陽の塔を見に行かうと思ひ立ち、昼食をとつた後に出かけた。歩いて行かうかと思つたが、2時間ほどの歩行に膝がどう反応するのかを考へるとやめた方が賢明だと思ひ直してモノレールで出かけた。公園を訪ねる人は思ひのほか少なかつた。温かい冬の一日に公園での散歩はもつてこいだが、やはり初詣が優先ではあらう。太陽の塔には神事につながるものは何もないからである。思はず拝みたくなる威風と清潔とはあるけれども、岡本太郎といふ藝術家が創り出した意匠である。しばらく眺めてゐると頭部の辺りにカラスが飛んでゐるのに気がついた。これまで何度も見てきた姿であるが、珍しい光景だつた。以前、このブログに書いたかもしれないが、太陽の塔について旧約聖書のノアの話に触れたことがあつたと思ふ。簡単に言へば、ノアの家族たちは大...2024年の太陽の塔高所恐怖症の鳥はゐるのか

  • 住吉大社に参る

    奈良の春日大社にお参りするつもりだつたが、急遽予定を変更して住吉大社に詣でた。大阪府民でゐたころから一度も出かけたことがなかつた。場所も何となくあの辺りといふ認識しかなく、調べてみると南海本線にその名も「住吉大社」といふ駅があつた。場所は駅前。1月2日の午後。結構な人盛りであつた。天気は快晴。初めて参る宮の雰囲気は独特。第一、第二、第三宮は縦直列.第三宮の横に第四宮が建つてゐる。配置について住吉大社の説明によれば、「大海原をゆく船団のよう」であり、「古代の祭祀形態をよく伝える貴重な存在」とのこと。その点について全く知らない私には、さういふものかと思ふしかないが、独特さは感じた。遣隋使が派遣された地であるとの案内板を読むと、まさに「大海原をゆく」といふ表現が相応しいと感じられた。目の前に阪堺線の路面電車も走...住吉大社に参る

  • 東浩紀『訂正する力』を読む

    訂正する力(朝日新書)東浩紀朝日新聞出版デリダの研究者だけに、本書が伝へてゐる「訂正」とは「脱構築」といふことである。この言葉、哲学の専門用語なので日常的に使はれる言葉としては「再解釈」といふのが適切であらう。しかし、「再解釈する力」では面白くないので、敢へて人人が違和感を抱きやすい「訂正」といふ言葉で気を引かせる(異化)といふ戦略なのだらう。東は、「修正」と「訂正」は違ふと本書のなかで何度も書いてゐるが、それは「歴史修正主義」といふ悪評高い言ひ方があつて、それへの差別化を意図したものである。歴史修正主義とは、特定の側面のみの誇張や政治的な意図を持つた歴史の書き換へのことを言ふが、例へばホロコーストの否定や矮小化である。このことの当否は、ここでは問題にしないが、読者の私としては、この言葉の選択に意味を感じ...東浩紀『訂正する力』を読む

  • 初日浴び晴晴とせり富士の山

    今朝の富士山です。ただし戴き物。初日浴び晴晴とせり富士の山

  • 携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

    今年を振り返つてみれば、まづは8月に母が94歳で亡くなつたことだらう。最後の十年ぐらゐは寝てすごすことが多かつたし、認知症も進んでゐた。何よりコロナの感染を防ぐためといふことで、施設では玄関先で5分ほどの会話しか許されなかつた。いつも「元気でね。また来るからね」と言ふばかりで、会話といふほどのものでもなく別れる。3時間かけて行き、3時間かけて帰る。それを繰り返した数年であつた。施設には感謝してゐる。それ以前は、実家は伊豆にあるので地震があれば心配し、床下に浸水する地域なので豪雨があれば心配してゐた。父は週に2日のごみ捨てがだんだんしんどくなつて来たと行つてゐたが、それを聞いて施設に入つてはどうかと話し、両親共に施設に入つてもらふことになつた。「飯がまずい」とこぼしてゐたが、その父も3年前に亡くなり、しばら...携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

  • メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

    詐欺師ー假面芝居の物語ハーマン・メルヴィル圭書房留守先生の新訳によるメルヴィルの『詐欺師』が出来した。アメリカ文学は、私にとつてあまり馴染みのないものであるが、留守先生の新訳が出るたびに、それらを通じて知るやうになつてきた。これまでは同じくメルヴィルの『ビリー・バッド』『バートルビー/ベニト・セン』、ロバート・ベン・ウォーレンの『南北戦争の遺産』である。そして、今回『モービー・ディック(白鯨)』に次ぐ傑作と言はれる『詐欺師』である。まづは、その訳者解説を読んだ。しばらく体調を崩されてゐた留守先生が書かれた現代批評として、それは読まねばならないものだからである。それは、『詐欺師』そのものの解説であるのはもちろんであるが、メルヴィルの作品の本質の解明であり、当時と現代アメリカの批評であり、それはそのまま近代か...メルヴィル『詐欺師』ー假面芝居の物語ー留守晴夫先生の新訳出来

  • 『ゴリラ裁判の日』を読む

    ゴリラ裁判の日須藤古都離講談社このブログの長年の読者であれば(そんな奇特な人はゐるんか?)、私の読書傾向が分かるだらうから、このタイトルを見て「どういふこと?」と違和感を抱くのではないか。確かに私でもこの種の本を自ら選んだりはしない。そもそもこれは書店で言ふとどの棚に置いてあるのかさへ見当がつかない。中身を読んだ今なら、これは小説であるから「現代文学」の棚に置かれてゐることは分かる。さういふ自分では決して手にしない本を読んでみたのである。それは若き友人からのお届け物だからである。講談社に就職したその若き友人がどうやら担当してゐる作家らしい。須藤古都離さんといふ作家で、この作品で第64回メフィスト賞を受賞したらしい。情けないことに、私にはそのメフィスト賞といふ文学賞も知らなかつた。なんと64回も続いてゐると...『ゴリラ裁判の日』を読む

  • 哀悼 平岡英信先生

    12月16日(土)平岡英信先生がご逝去された。94歳。何度も死を乗り越えて来られたが、「私に使命があるなら神さんが生かしてくれる」とおつしやつてゐらしたが、遂にこの日が来てしまつた。私の母も今年同じく94歳で亡くなつた。父も、そして翻訳家で批評家の松原正先生も同じく皆昭和4年生まれである。平岡先生とのご縁は、福田恆存とのつながりである。『私の幸福論』の文庫版の後書に書かれてゐるが、平岡先生が福田恆存を招き、清風学園の教職員を前に語つた講演が下敷きになつてゐる。このことが福田恆存と平岡先生との最初のお付き合ひかどうかは分からないが、大阪に来られる度に、平岡先生は福田恆存との交流を深められてゐた。その後現代演劇協会の理事にもなられ、福田恆存の御子息である逸さんが大阪に来られる時も、お会ひになつてゐた。私も一度...哀悼平岡英信先生

  • 時事評論石川 2023年12月20日(第836)号

    今号の紹介です。年末恒例の吉田好克先生の「腹立ち三大噺」。今回は岸田、岸田、岸田である。岸田首相への批判、怒り、憤りである。結論は、女性宰相を願ふとのことで、高市早苗さんを推してゐるのだらうが、私も将来的には女性宰相が良いと思ふが、これほど劣化した政治の中で、嫉妬と劣情とが渦巻く男性政治家に女性宰相を支へようとする気概のある人がゐるかどうかは不安である。残念が駄が、岸田の後がよくなる保証は全くない中では、この人をうまく支援した方が良いのではないかと思ふ。その意味では、国民の志向や心意気が問はれてゐるのである。こんな奴に任せてられるかとの本音を隠し持ちながら、「先生、いかがですか、こんな風にされては」と言へる保守支援者が多く出て来るかどうかが勝負どころである。私は、まづはこの方に教育について直言したい。さて...時事評論石川2023年12月20日(第836)号

  • 白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

    白石一文の本を読んでゐると心が整理されていくのを感じる。ある小説がいいか悪いかは、読む人ぞれぞれであらうが、私にはこの「心の整理」といふ基準が最もしつくりとくる。むしろそれは小説に限らない。批評も歌や俳句もさうだらうと思ふ。それがいいか悪いか、この際それは問はないことにする。私にとつて読書とは私のために読むものであるからだ。本作は、一見すると白石の実話にもとづく随筆のやうにも感じた。自伝的作品となつてゐるが、「私」といふ第一人称で書かれてゐるフィクションといふよりも、小説といふスタイルを借りたノンフィクションといふ感じがする。三島由紀夫が自伝を書くのに『仮面の告白』と名付けたやうに(その味はひはまつたく異なるが)、白石が「野々村保古」といふ人物を借りて告白してゐるやうに思へた。だから、小説としては氏の他の...白石一文『君がいないと小説は書けない』を読む

  • 時事評論石川 2023年11月20日(第835)号

    今号の紹介です。性的マイノリティへの理解増進法を巡る自民党の迷走ぶりを的確に批判した一面の島田洋一氏の論考に賛同する。性は身体に基づく、これが倫理である。自身の性と身体とに違和感を表明することも倫理的行為である。そして、その苦悩を他者が理解しようとすることもまた倫理である。しかし、性同一性障碍者が性別変更を求めた際には「生殖腺」の切除を求めたことは違憲であるとした最高裁の判決は不当である。性自認を当該個人の「心理」だけを根拠としては、過去と現在と未来との当該個人の心理さへ不安定であるのに、ましてや他者には想像できない個人の内部に対して当該者の性別の判断など到底不可能だ。困りましたね。四年前までは合憲とされてゐた判断が、たつた四年で違憲になるとは。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2...時事評論石川2023年11月20日(第835)号

  • 河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

    こころと脳の対話(新潮文庫)隼雄,河合新潮社臨床心理学者と脳科学者との対談のやうであるが、実際には後者による前者へのインタビューといふ形式である。脳についての実践家と科学者と言つてもいいだらうか。ただ、注意が必要なのは、共に分からないことを巡つてアプローチの仕方が異なつてゐるといふだけで、実践と科学とが相容れないものであるといふわけではない。まさに「分からない」といふことを大切にしてゐるといふスタイルは、2人の共通点である。河合の言葉を拾ふ。「全体をアプリシェイト(味わう)することが大事であって、インタープリット(解釈)する必要はない」「ここで大事なのは、『ここまで行った』「あそこまで行った」というのは科学的、論理的にうまいこといったんやない。それは、先生とその子との関係性で行われていた、ということなんで...河合隼雄・茂木健一郎『こころと脳の対話』を読む

  • ポケットに一年前のマスクあり

    急に寒くなつた。ついこの間まで、夏用のスーツを着てゐたが、先日冬のジャケットを出して着、ポケットに手を突つ込むと何やら入つてゐた。慌てて取り出すとそれは一年前に使つたままのマスクであつた。それを見ると一気に一年前が思ひ出された。まだまだ感染症の2類対策に追はれてゐた昨年の冬。暖房をかけながら窓を開け、休み時間ごとに窓を開け放ち、「寒い」「寒い」と叫ぶ生徒らを見て見ぬふりをして教卓に戻ると、既に窓は誰かの手によつて閉められてゐた。やれやれとの思ひが込み上げて「それでも窓は開けないと」と独り言ちて授業を始めた。そんな時間を、くしやくしやになつたマスクの残骸が記録してゐるやうだつた。彼らはもう卒業してゐない。どうしてゐるだらうか。ポケットに一年前のマスクあり

  • 橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

    世界はなぜ地獄になるのか(小学館新書)橘玲小学館なんと不愉快な書名であるか。それなのにそれを読んだ私がゐる。この著者の本は何冊か読んだが、読者を絶望的な気分にさせる力がある。それなのに読ませる。それが筆力なのであらう。頭がよく、論点が綺麗に整理されてゐて、術語を駆使して問題の根本を抉り出してゐる(やうだ)。しかし、謙遜ではなしに頭の悪い私には途中でなんのことやらさつぱり分からなくなる。だから10月8日に購入しその日に読み始めたはずだが、1ヶ月以上かかつてしまつた。話題が次々に変はつていく書き方も好きではない。しかし、最後まで読んでみた。何も解決法は書かれてゐない。しかし、納得できたことがあつた。それは特に中途半端に金持ちで教養があると自分で思つてゐる連中がひどくこの世界を呪つてゐて、自分より幸福さうに見え...橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』

  • 白石一文『道』を読む

    道(小学館文庫し12-2)白石一文小学館いい小説に出会ふ時間は幸福だ。さういふ小説に出会ふ確率を求めるとどうしても贔屓の作家が出来てしまふ。それは服にしても、食事にしても、同じことが言へて、「失敗したくない」といふ思ふが強くなるといふのが、畢竟するに「老い」といふことなのだらう。偶然を頼りにひたすら読み散らかすといふ読書生活をした時期もわづかにあるが、私は同じ作家を読む。それも気に入れば何度も同じ作品を読む。といふのがどうやら私の読書生活の傾向らしい。それで、白石一文の文庫になつたばかりの小説を読んだ。デビュー作『一瞬の光』を読んでから、贔屓の作家になつてゐる。文庫にして700頁もある。しかし、読み終へるのが残念でたまらなかつた。あらすぢは、ニコラ・ド・スタールの「道」といふ絵(文庫の表紙にはその絵があし...白石一文『道』を読む

  • 信頼する批評家――森本あんり

    聖霊の舌ウィリアム・タバニー平凡社森本氏は、神学者で東京女子大学学長である。以前、国際基督教大学の副学長をされてゐた。内田樹の『反知性主義』の言葉づかひは誤りではないかと思つてゐたところ、森本氏がアメリカの文化的背景から、その誤りをズバリと指摘してゐたのを読んで(内田氏の言を直接論つてゐたわけではない)、非常に勉強になつた。反知性主義とは「反-知性主義」なのであつて、「反知性-主義」ではない。前者は知性(理性)だけに信憑を置くと危険ですよといふことであり、後者は「知性にたいする批判」を専らにすべきだといふことである。有り体に言へば、後者は「知性なんていらないよ」「感情や情念が第一だ」といふ考へ方である。内田樹は、安倍晋三批判をするに際して、後者の意味で「反知性主義」と名付けてゐたが、やはりそれは誤りである...信頼する批評家――森本あんり

  • 時事評論石川 2023年10月20日(第834)号

    今号の紹介です。何と言つても圧倒的に面白いのが2面の照屋氏の論考。英国の詩人マシュー・アーノルドから引いて、アナーキーへの漂流への危機から「従属関係と慣習の考えを重視し、これを人間の道から排除していなかった英国の封建制を評価」すべしと述べるのに、刮目させられた。照屋氏は、近著にジョージ・オーウェルの翻訳があるが、英国文学者ならではの指摘である。マシューについては全く知らなつたが、調べると私が大学時代にお世話になつた英文学の先生が翻訳されてゐた。ラフカディオ・ハーンの研究者とばかり思つてゐたので先生のお宅にまで伺つてハーンの話はうかがつたが、今にして思へば先生の研究について調べてからうかがふべきだつたと反省するばかり。マシューについて関心を持つた。ただ照屋氏がかう書いてゐるについては正直疑問がある。「デジタ...時事評論石川2023年10月20日(第834)号

  • 「沈黙の艦隊」を観る

    映画『沈黙の艦隊』冒頭11分46秒大沢たかお新装版沈黙の艦隊(1)(KCデラックスモーニング)かわぐちかいじ講談社面白かつた。潜水艦とはどういふ船なのかの説明を台詞に織り交ぜながら、話を展開していくのは上手いと思つた。これ以上「説明」が長くなれば話が途切れてしまひさうだが、そのギリギリのところを絶妙に攻めてゐて、なるほどと思ひながら話の理解を深めてくれた。原作にはない話の挿入は、主人公の艦長(大沢たかお)とその下で副長をしてゐた別の艦の艦長(玉木宏)の対立を描くには必要不可欠なのだらう。ただ、独立国やまととしての活躍を描く時間が削がれてしまつたやうにも思ふ。これは少なくとも全3話の第1話といふ印象が強い。原作を換骨奪胎して2時間強で描いた手腕は素晴らしいと思ふが、やまとに翻弄される日本政府とそれと対抗する...「沈黙の艦隊」を観る

  • 「本ってどこで買えるのですか」

    ついにここまで来たか。そんなことを感じた。新潮社のPR雑誌『波』の2023年10月号に掲載された群ようこによる、沢木耕太郎『夢ノ町本通りブック・エッセイ』の書評の一節である。ある記者が、高校生を取材をしてゐた折に、一人の男子高校生がした質問だと言ふ。本屋といふ存在を知らない、とはにはかには信じがたいが、まんざら嘘でもあるまいから、極めて特殊な例とは言へ、ついにさういふところまで来たのであらう。街の本屋は消え、ショッピングセンターの本屋は雑誌や漫画や売れ筋の文庫や新刊本のみ。専門書を扱ふのは、人口30万人以上の中核都市にあるかないかであらう。スマホのみを情報源とする「一人の男子高校生」には、本とは教科書や副教材や学校の図書館にある物、といふ認識なのだらう。私は別に憂いてはゐない。文化の格差もまた後期近代には...「本ってどこで買えるのですか」

  • 『夢なし先生の進路指導』を読む

    夢なし先生の進路指導(1)(ビッグコミックス)笠原真樹小学館中等教育を担ふ中学校高等学校には分掌といふ教員の役割分担がある。生徒達には「生徒指導部の先生」といふのはイメージしやすからうが、教務部や進路指導部といふのはなかなか分かりづらい仕事の割り振りであらう。かく言ふ私も分掌といふ言葉を教員になるまでは知らなかつた。教員といふのは、教科を教へる仕事がもちろん第一であるが、学校が組織であり、教育が教科の伝達と完全にイコールでないと知るならば、やはり教員の仕事にはそれ以外のことがあるのは当然である。しかも、それは言はば教科を教へる仕事を支へる根つこのやうなものであり、見えない仕事でむしろあるべきとさへ思へる。カリキュラムの熟成やライフキャリアを考へる資質を養ふことは、縁の下の力持ちである。私の所属してゐる分掌...『夢なし先生の進路指導』を読む

  • 時事評論石川 2023年9月20日(第832・33)号

    今号の紹介です。一面に記事を書かせていただいた。安倍元総理への思ひを書いてほしいとの依頼であつた。今年のゴールデンウィークに、安倍氏が銃弾に倒れた場所に行つてみた。そこはすでに道路になつてをり、その脇には芝生の小さな公園が出来てゐて、そこに高校生と思しき若者が飲み物を片手に寝そべつて談笑してゐた。道路の脇で寝そべるといふのも私の感覚とは大いに異なるが、その場所がどういふ場所かを知つてゐながらの行為であつてみれば、個人の感覚の相違を越えて、どうにも整理をつけようがないほどの悲しみが湧いてきた。冷静になつて考へてみれば、なるほどこれが今の私たちの国のマジョリティーの感覚であり、東大法学部の教授をはじめ安倍批判のインテリゲンチャ―の思潮である。これは言はば、「日本の自殺」なのである。民主主義とは、かういふやうに...時事評論石川2023年9月20日(第832・33)号

  • 『沈黙の艦隊』を読む。

    沈黙の艦隊全16巻セット講談社漫画文庫かわぐちかいじ講談社『怪物』を観に行つたときだつただらうか。本編の開始の前の予告の上映のときに、『沈黙の艦隊』が映画化されることを知つた。昔から海の映像は苦手で、恐怖が先立つ上に、潜水艦の映像であるともつと怖さがまさるかもしれないとの不安もあるが、この映画は観たいとの思ひがあつて、急いで漫画の文庫コミック16巻を取り寄せて夏休みに一日一巻づつ読んだ。漫画といふものを読むといふ習慣がこれまでになかつたので、始めは苦労した。コマ割りがどのやうに続くのか分からないし、老眼には文庫版のふきだし内の文字は読みづらい。しかも、日米で開発した原子力潜水艦が独立国を宣言するといふ想定が果たしてどの程度リアリティがあるのかも分からない。その上、主人公の艦長がこれまたあまりにも見事に指揮...『沈黙の艦隊』を読む。

  • 西尾幹二氏の新著

    月刊『正論』8月号に西尾幹二氏の近況が載つてゐた。保守言論人の重鎮として、私としては今もその発言を聞きたい人の中の数少ない中のお一人である。西部邁、山崎正和、松原正、渡部昇一、石原慎太郎、江藤淳、野田宣雄、勝田吉太郎、かつては森のやうに密にして奥深い豊かさを、ささやかな私の読書生活にも十二分に感じさせてくれる方々が生きて存在してくれてゐたが、今はこの西尾幹二氏と加地信行氏、そして長谷川三千子氏のお三方のみである。もちろん、その他にも優れた批評家はゐるだらうが、もうかつての青年時代のやうには読むことはできない。その西尾氏が筆を執ることも随分少なくなつた。ブログの記事によれば、「ガン研究会有明病院で大手術が行われたのは2017年3月31日でした。あれから六年の歳月が流れました。ガンは克服されましたが、体重を1...西尾幹二氏の新著

  • 2013年の終戦記念日

    宮崎にゐる。義父の一周忌法要を無事終へて、ほつと一息。ただし、お盆と重なつたので、迎へ火、送り火をお墓と自宅前とで行ふ。それから家の前には新盆の家だけが提灯を灯しておくといふ習慣がある。すべてはお寺の指示で、A4用紙3枚にわたつて書かれた段取りにしたがつて行はれる。曹洞宗の檀家が全てこのやうに行つてゐるのか、あるいはこのお寺だけが行つてゐるのかは定かではない。しかし、もう何十年も、葬式を出した時にはかうしてゐるのだと言ふし、お盆の行事もまたこのやうにしてゐたと家内は言ふ。かういふ慣習が何によつて維持され信じられてゐるのか、私はひとへに住職の仏様への帰依にあると予感するが、残念ながらそれは感じられなかつた。ここでは書けないが、新盆の読経に来られた時に実に残念な言葉を残して次の檀家に行かれた時、本当に情けない...2013年の終戦記念日

  • 近況

    母親の葬儀も無事に終はつた。家族で通夜を過ごした。父親の時と同じ葬儀場なので、勝手が分かり不安も和らいだ。祖父母の時には家で葬儀を行なつてゐたから、わづか一世代でこんなにも葬儀の有り様が変はつてしまふものかとの思ひもあつた。一世代の変化といふことを言へば、母方の祖父が亡くなつたのは50年も前である。一世代とは30年をいふのであらうが、祖父母と父母との世代間の差がいちばん大きいのであらう。戦後の高度経済成長が食料を豊かにし、衛生状態を向上させた。寿命の変化が最も著しい時期である。それに引き換へ、私と両親との間はせいぜい30年である。母の通夜はもつとしめやかにしたいと思つたが、誰もしんみりとした様子はなかつた。懐かしい話題には事欠かないが、どれも笑ひ声と共に語られるから深夜まで楽しい時間となつた。半分悔しい思...近況

  • 白石一文『不自由な心』を読む。

    不自由な心(角川文庫)白石一文KADOKAWA久しぶりに白石の小説を読んだ。中年男性の家族の心理風景、会社内の人間関係、いつもながらの展開ながら、その渦中にある主人公の思考の道筋はいつも異なる。哲学的、宗教的と言つてもよい。そのことば、言葉、コトバが私には得難い時間の訪れのやうに感じられる。そこに予想外の分析があるから、知的な刺戟を受けるのだ。「人というのは集団となって、その集団にために働き貢献するような理屈を構築しながら、集団の中にあってこそ限りなく利己的に振る舞えるのだ。」なるほどと思ふ。白石一文『不自由な心』を読む。

  • 今朝方の母死にたまふ蝉静か

    昭和4年生。享年94。ありがたし。合掌。今朝方の母死にたまふ蝉静か

  • 『沈黙の艦隊』を読み始める

    ずゐぶん前に読んで見ようと思ひ、まとめて全16巻を購入したが、もともと漫画を読むといふ習慣をついぞ持つたことがないので、最初の1巻で挫折して数年経つた。ところが、何かの映画を観た時の宣伝で、この秋に実写版が放映されると知り、これを機に読んでみようと思ひ立ち、今毎日1巻づつ読んでゐる。今日で6巻終はり、今から7巻目。いいペースである。目標を超えるペースで読めてゐる。潜水艦の運航についてのさまざまな用語も分からないし、軍事的な知識も持ち合はせてゐないので、正確な理解はハナから捨ててゐる。それでもたんたんと読み進めて行かうと思つてゐる。しかし、一つだけ思ふのは、潜水艦1隻で「独立国家」を宣言できるのかどうか。国民は艦員、領土が潜水艦、国是として軍事目的に徹するなどといふことが、思考実験としてでも成立するのかどう...『沈黙の艦隊』を読み始める

  • 小学生は面白い。

    30%の幸せ―内海隆一郎作品集内海隆一郎メディアパル久しぶりに仕事で小学生相手に国語の授業をした。題材は何でもよいといふので、内海隆一郎の「芋ようかん」といふ小説を読むことにした。話は単純で、老夫婦がやつてゐた老舗の和菓子屋が舞台。初代のおじいさんが亡くなり、息子の代になつた。おばあさんは、芋ようかんつくりに精を出してゐたので、そのままつくり続けるつもりでゐた。しかし、ある日息子から「そんな利益の少なく、売棚の幅ばつかり取るやうな芋ようかんなんか止めて、大手のお菓子製造会社がつくつた出来合ひを並べた方が、今日日のお客のニーズにあつてゐる。しかも利益が大きい。だから、もう芋ようかんつくりはしないでいいよ」(この台詞はそのままではない)と言はれ、しぶしぶ諦めることになつた(もちろん、内心は腹が立つてゐる)。そ...小学生は面白い。

  • 久保征章『魂のみがきかた9つの道標』

    魂のみがきかた人生を好転させる魂向上の9つの道標久保征章高木書房高木書房の斎藤信二社長からご恵贈いただいた。私には不似合ひな書ではあるが、かういふ面もあるといふことは臆さず記しておかうと思ふ。著者は医師である。命を対象としてゐるうちに、身体的な生命と平行する別の生命があるといふことを感じたのであらう。魂とはさういふ意味である。そして、その魂の成長を見つめる人の身体的な生命は健康にも幸福にもなつていくといふことである。何となくさうだらうなと思つてゐたことを、いくつもの症例や体験を通じて、久保医師は感じたのである。魂を磨くといふことの例としては、筆者が推奨する神社へ行くこと。そしてその神社での祈り方が挙げられてゐる。これには大きな気づきを与へられた。「参拝したら、拝殿の前で、無事に参拝できたことをの感謝を申し...久保征章『魂のみがきかた9つの道標』

  • 福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡 その2

    文學界(2023年7月号)(特集甦る福田恆存)文學界文藝春秋(引用を続ける)「常識である以上、背に腹は変へられない事態がくれば、いつでもそんな基準は捨てさります。自由といへば自由、放縦といへば放縦、しかし、かういふ混乱状態に、一般の民衆は『これは都合のいゝことだ』といつてゐるとは思へません。一見、罪の意識の欠如の裏で、何かものたりないものを感じてゐるのです。一種の空虚感といつてもいゝでせう。それは悪いことをしても、もう叱つてくれなくなつた老父を見て感じる若者の心細さみたいなものではないでせうか。」私たちの「現実」には、「混乱」しかない。しかし、その「混乱」は心理的なものであるので、外見を観るだけではそれが「混乱」であるやうには見えない。外国人が見た現実は、私たち日本人が見た現実とは異なるのである。伝統に根...福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡その2

  • 福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡

    『文學界』7月号を読んでゐる。昭和30年に、二人は書簡を送りあつてゐる。福田恆存のご次男の逸氏が、これからそれを公刊するやうで、その一部がこの度掲載された。これがすこぶる面白い。意外だつたのが、福田恆存は助動詞「やうだ」を「ようだ」と書いてゐること。そして以前から知られてゐたが、漢字は決して繁体字にこだはつてゐないといふことである。これをもつて言行不一致や、『私の国語教室』の主張を裏切つてゐるといふのは早計である。前者については間違ひは誰にもあるし、後者については日常的には画数の少ない字を書くといふことに過ぎない。仮名は発音記号ではないといふことや、漢字はその歴史性を踏まへよといふ主張にはいささかも傷はつかない。さて、本文であるが、これが非常に面白い。「過去の日本には、クリスト教的な絶対唯一神もなければ、...福田恆存とドナルド・キーンとの往復書簡

  • 時事評論石川 2023年7月20日(第831)号

    今号の紹介です。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●アメリカの本音朝鮮半島は「危険な状態」のままで良いならば拉致被害者救出は拓殖大学海外事情研究所所長特定失踪者問題調査会代表荒木和博●コラム北潮(『鶴見俊輔混沌の哲学』)●台湾の危機は日本の危機ノンフィクション作家小滝透●教育隨想宮内庁広報室に課せられた重い課題(勝)●長期戦見込まれるウクライナ戦争エスカレートする可能性はあるか?史家山本昌弘●コラム眼光LGBT法の致命的錯誤(慶)●コラム核心的な歴史認識問題(紫)「戦争屋」「死の商人」の言い分(石壁)怪物、だーれだ?(星)雑駁にして杜撰な法律(梓弓)●問ひ合せ電話076-264-1119ファックス076-231-7009北国銀...時事評論石川2023年7月20日(第831)号

  • 平山周吉「昭和54年の福田恆存と、1979年の坪内祐三青年」

    文學界(2023年7月号)(特集甦る福田恆存)文學界文藝春秋引き続き、『文學界』の福田恆存特集を読んでゐる。もう次の号が発売され、書店からはこの号は消えてゐるのに、少しづつ読み進めてゐる。余談になるが、この欄では何度も「5冊並行読書」といふことを書いてゐるが、今はその5冊ともが遅読を極め、机の上に積み重ねられたままだつたり、カバンの中に入つたままだつたり、本棚から取り出されたままといつた状況である。そのことに不満やストレスを感じてゐるが、読まないよりはましとの思ひが、この読書スタイルを形作つてしまつたのである。読み散らかしといふ、読書スタイルの「崩れ」が、新種の読書スタイルを「形作る」とは、いかにも言ひ訳のやうだが、案外私らしい気もしてゐる。10年経つたあとで今を振り返つた時に、「何一つ身につかなかつた」...平山周吉「昭和54年の福田恆存と、1979年の坪内祐三青年」

  • 下西風澄「演技する精神へ」福田恆存論

    これからの福田恆存論は、全て第三世代のものである。浜崎洋介はその筆頭だらうが、それよりも若い書き手による福田恆存論は初めて読んだ。そして大変真直ぐで頭が整理される逸品だつた。「しもにし・かぜと」とお読みする。1986年生。哲学がご専門の文藝評論家と言つてよいだらうか。「いま私たちが、劇作家であることで成立する思想家、福田恆存を読むことの意味は、どこにあるのだろうか」で始まる論は、『人間・この劇的なるもの』といふ福田の主著に対する真直ぐな問ひかけである。そして、個と全体とを同時に見つめて振る舞ふ福田の論じ方を演戯として捉へる視点は、強く同意する。その上で、下西はさらにかう問ふ。「絶対的なる神なき日本において、しかも『自然』という全体性が失われた近代以降の日本において、『全体』なるものはいかに倫理として機能す...下西風澄「演技する精神へ」福田恆存論

  • 中島岳志と浜崎洋介との対談「神なき世界をどう生きるか」

    先にも紹介した通り『文學界』7月号(2023年)では福田恆存の特集をしてゐる。そこでは中島・浜崎両氏の対談が載つてゐる。今日は久しぶりの夕方までの時間がお休みだつたので、読んでみた。これがじつに面白かつた。私の分類では、福田恆存読者の第三世代に該当する両者は、純粋にテクスト理解に基礎を置いてゐる。それだけにテキストの理解は厳密である。したがつて、参考になることが非常に多かつた。福田恆存自身は全集には収録しなかつたが、重要な作品に『否定の精神』があるが、浜崎はそこから次のやうな解釈を試みる。「福田が摑み取った結論が、『反省』によって自己を意味づけることはできないということでした。自己を反省していった先で、その自己を支えるものまでを反省してしまえば、自己は全体性の外へと出てしまい、その存在を支えるものは消えて...中島岳志と浜崎洋介との対談「神なき世界をどう生きるか」

  • 時事評論石川 2023年6月20日(第830)号

    今号の紹介です。一面の記事にある黒ベタ白抜きの見出しに驚いた。「全体主義への道」をひた走つてゐるやうに、筆者には見えるといふのだ。そのきつかけは、岸田首相に爆発物を投げ込んだ木村某と、昨年7月8日に安倍元総理を暗殺した山上徹也の犯行における動機の内容を知つたことにあると言ふ。彼らの心理の分析にはアイザイア・バーリンの「自由」論が援用されるが、この辺りは記事を読んでもらふしかない。自由の履き違へとはその通りであると思ふが、それが全体主義への道の表象であるといふのは、もう少し詳しい説明がほしい。消極的自由を求めた結果、積極的自由にからめとられ、それらが全体主義をもたらす権力を巨大化させるといふ逆説は、きはめて深い人間心理をとらへたものである。それゆゑに、過程の詳細な分析を知りたいのである。ご関心がありましたら...時事評論石川2023年6月20日(第830)号

  • 太陽の塔のポスター

    太陽の塔のポスター

  • おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけり

    父の三回忌で山梨県富士吉田市の西念寺に参る。御住職のお経は今日も素晴らしかった。称名念仏南無阿弥陀仏御法話では一遍上人の御言葉を語られた。おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけりここに示された孤独は近代人の孤独とは違ふだらうが、衆生を救ふ一人の聖者はひたすらそれだけを求めて行つたから、その速度に人はついて行けなかつただらう。全国を遊行された一人の修行僧の行路にはもちろん人人が集つてゐたのだけれども。先日書いたイエスの孤独ともやはり違ふ。神の悲しみには至れない、私たちの知り得ぬ地平をイエスは歩いてゐたのである。一遍上人の調べには力強さがあるが、イエスの絶唱には自得による満足感はない。神へのどうしやうもない申し訳なさが滲み出てゐるやうに感じられる。一人の男がこんなにも弱くなつてしまふのかといふ無念...おのづから相会ふ時も別れても一人はいつも一人なりけり

  • 『文學界』7月号で福田恆存小特集

    『文學界』2023年7月号で、福田恆存の小特集が組まれてゐる。当地では手に入らないので予約した。読後に何か感想があれば書くことにする。https://amzn.to/3WT5iiN『文學界』7月号で福田恆存小特集

  • 片山杜秀の福田恆存観

    株式会社文藝春秋のウェブマガジンに「本の話」といふものがある。そこに大分以前に出た『人間の生き方、ものの考え方』といふ福田恆存の講演集をまとめた本についての記事がある。その中に片山の次のやうな言葉がある。「私などは、福田恆存を読んで、実際に書いてあるとおりに考えているとは思わないんですね。彼の中で貫徹しているのは、結局人間は不完全で弱く、悪から離れられず、間違う存在だということです。だから、いわば“葛藤絶対主義者”で、常に正解はなくて、ああ言えばこう言うを永遠に続けていく。彼の本質は演劇人なんです。」「実際に書いてあるとおりに考えているとは思わない」と断言できる根拠は何も示されてゐないので、まさに「思つた」だけであるが、そんな思ひだけを書かれてもと私は「思ふ」。私は「実際に書いてあるとおり」だと考へてゐる...片山杜秀の福田恆存観

  • 十字架についたイエスは幸福か

    私淑してゐた稲垣良典は、講演のなかで「人間としてこれ以上ない悲惨な死に方である十字架についた時、イエスは果たして幸せだつただらうか」と問うてゐる。深い問ひだと思ふ。思はずはつとして聞き入つてしまつた。イエスの最後の言葉は「わが神、わが神、なにゆゑわたしをお見捨てになられるのですか」であつた。かういふ嘆きの言葉を残す心情は、明らかに絶望であり、悲嘆である。それが通常の理解である。あらうことか、キリスト者の中にも「それは人間イエスの弱さである」とさへ言ふ者もゐるやうだ。それに対して神学者の中には、これは旧約聖書の詩編22編の冒頭であるから、その冒頭の一節をイエスが言ふことで、22編全体を意味したことは明らかで、それを述べたダビデの結論は、22編最後の一節「主がなされたその救ひを後に生まれる民にのべ伝へるでせう...十字架についたイエスは幸福か

  • 時事評論石川 2023年5月20日(第829)号

    今号の紹介です。国防にせよ教育にせよ、大事なことは何も決められないままどうでもよいことだけが決められて行かうとしてゐる。今号の紙面に出てくる話題は、その「どうでもよいこと」を「とんでもないこと」に変えて、「決定的な大問題」にしようとする事柄である。さういふ輩を退治する執筆者の怒りを感じてほしい。私もその怒りを共有するが、それに加筆する余裕も能力もない。ただひたすら応援するばかりだ。そして憂色が濃くなるばかりである。ご関心がありましたら御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●拉致で安倍元首相が闘った「有力者」たち足を引っ張るだけのお荷物YKK救う会副会長福井県立大学名誉教授島田洋一●コラム北潮(バジョット『イギリス国制論』)●島田雅彦左翼知識人の典型言...時事評論石川2023年5月20日(第829)号

  • 榎本博明『伸びる子どもは〇〇がすごい』を読む。

    伸びる子どもは○○がすごい(日経プレミアシリーズ)榎本博明日本経済新聞出版もう30年以上前のことである。かつて叱つたことのある生徒から数年後にその時のことを思ひ出して「先生に嫌はれてゐるとずつと思つてゐました」と言はれたことがある。さうして過去のことを私に話してくれたといふことは嫌はれてゐたわけではないといふことを分かつてそうくれてゐるといふことではあるが、叱る=嫌ふといふ図式はかなりの生徒に共有されてゐる心理なのだと思つた。私はあまり叱られたことのない少年だつたが、叱られるのは嫌はられてゐるからだといふやうには考へたこともなかつた。したがつて、さういふ子供に出会つたときにはおどろきであつた。以来、私は初めに「叱ることはあるが、それは君たちへの嫌悪の感情からしてゐるわけではない」といふことを言ふことにして...榎本博明『伸びる子どもは〇〇がすごい』を読む。

  • 原田マハ『本日は、お日柄もよく』で映画を撮るとしたら

    本日は、お日柄もよく(徳間文庫)原田マハ徳間書店ゴールデンウィーク中に読めた本は、この一冊のみ。毎日外に出て「遊ぶ」ことを自分に課すやうにしてゐたから、それで満足。教へ子の披露宴にも出席した時期とも重なつて、いい本を読んだと思つてゐる。この本は、家内に勧められたものだ。そこで読後に、「もしこの本で映画を撮るとしたら、役者は誰がいい?」といふ話になつた。それで考へた私の案を書いて、読後の感想に代へる。それにしても知つてゐる役者があまりにも少ないといふのが、感想である。(話は、OLの「二ノ宮こと葉」が、思ひを寄せてゐた幼馴染の厚志の披露宴に出た折に、感動的なスピーチに出会ふところから始まる。その話し手が久遠久美(くおん・くみ)。スピーチライターでもある久遠に弟子入り。ライバルとなる和田日間足(かまたり)とのか...原田マハ『本日は、お日柄もよく』で映画を撮るとしたら

  • 安倍元総理終焉之地の現在

    大阪から愛知に戻るに当たつて奈良を経由して行くことにした。昨年の七月八日の事件後、あの場所はどうなつてゐるのか気になつたからである。すでに道路が作られ、その場所は跡形もない。少し離れた歩道側に花壇が設置されてゐた。道路の反対側には人工芝が引き詰められてゐて、高校生十人ほどが寝そべつてゐた。排気ガスの舞ふこんな場所に寝そべつてゐること自体に違和感があるが、この場所がどういふ場所であるかといふことなど全く考へずに、以前からの計画通りに道路づくりを進めた国土交通省や県庁の見識への違和感からすれば大したことはない。子供は知らないのである。慰霊の精神も行政への検証もである。七・八事件についての奈良県の姿勢は徹頭徹尾誤つてゐる。花壇を設置して終はりである。あれだけが当初の設計とは違ふことなのであらう。世俗的な民主主義...安倍元総理終焉之地の現在

  • 休みの最後は「太陽の塔」

    2025年に大阪で再び万博が開かれる。先日会つた友人に「どう、大阪は盛り上がつてる?」と訊いたが、あまり色よい返事は返つてこなかつた。夢洲といふところは大阪人の意識に上る場所ではないし、北や南の生活圏とは離れてゐる。もちろん、1970年当時の千里がどの程度人々の意識に上つてゐたのかは分からないが、それでも新しい住宅地として開かれ、希望と夢ある場所として注目されてゐた場所であつた。それに比べると海上の埋立地の夢洲は、文字通り陸地に住む住民からは彼方の場所にある。それでも開催されれば、市内の小中高校生は社会科見学の場所として連れて行かれ、それなりに盛り上がるのではないか、といふのがその友人の見立てである。それはさておき、連休最後はやはり太陽の塔のある万博公園に行かなくてはといふ思ひがあつて行つて来た。子供の日...休みの最後は「太陽の塔」

  • 大阪城公園に遊ぶ

    森ノ宮で友人と会ひ、昼食を共にしたあと、時間があつたので久しぶりに大阪城公園を散策した。植木市あり、餃子フェスあり、野外音楽堂ではスピーカーから大きな歌声ありと、これまでにない人の数に、コロナが明けた喜びを人々が満喫してゐる風を感じた。外国人の多さもこの連休には殊の外強く感じてゐる。世界のなかで私たちは生きてゐる。皮肉にもコロナといふ感染症を通じて、そのことを感じるやうになつたのである。大阪城天守閣の横に昨年末「海洋堂フィギュアミュージアムミライザ大阪城」がオープンしたといふことを知り、覗いてみることにした。と言つても入場はせず、売店でフィギュアを見ただけである。私が関心があるのは太陽の塔かんれんと仏像だけなので、それ以外のフィギュアを見るために入場料800円を出す気にはなれなかつた(ごめんなさい)。それ...大阪城公園に遊ぶ

  • 廉価の『民主主義』に驚く

    民主主義―古代と現代(講談社学術文庫)フィンリー,M.講談社今日は、一日ゆつくりと過ごす。午前中は読書と『親鸞展』についてブログに書き、昼は近くのグルメバーガーショップでハンバーガーを食す。大阪に帰ることの喜びの一つは、ここのハンバーガーとフライドポテトを食すことにある。そして、もう一つはこれも近所の中華料理店で麻婆豆腐を食べることである。私は麻婆豆腐はこの店以外では食べない。そもそも好きではないからだが、ここだけは別。うまい。それはともかく、満腹になつた腹ごなしに散歩がてらショッピングモールに行つた。かなり大きな無印良品の店が出来てゐるから一度見てみてほしいといふ家内の言葉で、どこの無印も同じだらうと気乗りしないで出かけたが、思はぬ収穫があつた。それが、この無印のお店には古本のコーナーがあつて何の気なし...廉価の『民主主義』に驚く

  • 京都散策ー「親鸞展」を楽しむ

    親鸞展生涯とゆかりの名宝公式図録昨日は、夕方に浪人生を激励するために京都に行くことになつてゐた。その時間に間に合ふやうに行けばよいのだが、せつかくだから京都を歩かうと思つて調べてゐると、京都国立博物館で「親鸞展」が開かれてゐた。さう言へば、春先にすでに真宗の門徒でもある友人からそのことを知らされてゐた。改めて、その封書を見てみると丁寧にパンフレットも同封されてゐた。すつかり忘れてゐたことに我ながら驚いたが、仕方ない。お詫びがてら、その友人に何か予習していくことはあるかと尋ねると、直観を信じて見ればよいと言はれた。その友人もつい先日の日曜日に出かけたところといふので、その他いろいろと教へていただいた。昨日は、じつにいい天気だつた。京都駅から歩いて20分ほど。道すがらのすし屋で少し早いお昼をとつて、いさ親鸞展...京都散策ー「親鸞展」を楽しむ

  • 岡田尊司『子どもが自立できる教育』を読む

    子どもが自立できる教育(小学館文庫)岡田尊司小学館生徒を育てるにはどうすればよいか。そればかりを考へてゐる。育てるにはまづ学力をつけるといふことがある。もちろん、その場合の「学力」とは何かといふ問題もある。それについては、中等教育では教科書が検定によつて決められてゐるのであるから、その教科書が理解できるかといふところを基準にしてゐる。次に「理解できる」とはどういふことなのかといふ問題もある。それについては、定められた試験において60点を取れるといふことを基準にしてゐる。しかし、学力が付き、理解ができれば、生徒は育つたといふことになるのか。学力=教養=幸福といふ図式はすでに過去のものである。私の身の回りにも高学歴の方はたくさんゐるが、彼らの言動を見る限り、かなり不自由な生活をしてゐることが分かる。この場合の...岡田尊司『子どもが自立できる教育』を読む

  • 映画『素晴らしかな、人生』を見る

    素晴らしきかな、人生(字幕版)ウィル・スミス久しぶりの休日。車の点検に遠出し、買ひ物をしてきた夕方。特に予定もないこの時間が好きだ。日が伸びてきたおかげて、夕方と言つても外は明るい。そんな時に、更にいい映画に出会ふとさらに幸福感に満たされる。出会ひは偶然の力であるから、うまく行かない時もある。しかし、今日はうまく行つたやうだ。洋画をあまり観ないが、今日たまたまprimevideoで観たのが、「素晴らしかな、人生」である。訳者もウィル・スミス以外は知らない。不思議な話ではある。六歳の娘を重い病で失つた男が、「出会ひ」を通じてその悲しみを受け入れていくといふのが物語である。しかし、その男は娘の死を受け入れられない。病んでゐることを心配する同僚たちが、秘策を練る。それが功を奏するのであるが、その同僚たちの秘策も...映画『素晴らしかな、人生』を見る

  • 読書会の難しさ

    先日、ある読書会に参加した。4年ほど前にも参加したことがあるが、どんな風に進めていくのかもすっかり忘れてゐたのでしばらくは様子を見てゐた。テーマとなつた本について順々に感想を述べてゐるやうだつた。それはまあ普通に答へて、一巡し終はつたところで、何か仰りたいことがある方は御自由にといふので、少しのべさせてもらつた。すると70歳ほどの常連らしきお方が、「そんな事を発表者に訊いて時間をかけてここで話し合ふ意味があるか」と言つて来た。話し合ふ意味とはどういふ意味なのか、私には全く分からなかつた。意味なんかないと言へばない。そもそも読書会にいやいや読書自体に意味があるのかどうかも分からない。意味がなければ何もしないといふのが私には暴言のやうに思へた。何のことはない。その御仁は自分の話がしたいといふことに過ぎないとい...読書会の難しさ

  • スマホと老婦人

    先日スマホの料金プランの見直しに行つた。コロナが明けて再び出張が増えると、スマホを使ふ機会が増えると見込んでのことだ。結果的にはこのままでいいといふことになり、疑問に思ひながらもそのままにしておいた。それはそれで終はりなのだが、店先で気になる場面に遭遇した。それが老婦人と店員さんとのやりとりである。八十を過ぎた彼女がスマホを契約したいといふことで来店したやうだつた。「知らないうちに解約されてゐて困つてゐる」とのことだつた。しかし八十歳を越えた人の契約には家族の同意が必要で、家族に電話をかけて欲しいと言はれてゐた。それで電話をかけたのだが、娘さんは「これから出かけるところなので今晩家でね」といふことになつたらしい。なぜこんなに詳しく知つてしまつたのかと言へば、とにかく耳が遠いその御婦人相手に店員さんの声は店...スマホと老婦人

  • 時事評論石川 2023年3月20日(第827)号

    今号の紹介です。国会の議論のくだらなさは、昨日今日のことではないが、最近のものは最早「くだらない」ではすまされないほどの酷さである。小西議員の議論は、附き合ひきれない。だから、ここでも細かいことには触れないが、根拠も示さずに憶測で言ひがかりをつけるのはいい加減にせよ。それから杉尾議員の高市氏への批難も全く当たらない。それに対して「信じないなら質問しないでいただきたい」は私には正論に思ふが、如何。議論とは「よりよきもの」を巡つて交はされるところに意義があるだが、自分は絶対正しく相手は絶対間違つてゐるといふ決めつけで交はされるのは最早議論ではない。折伏である。自分と他者とが共に真実に至らうと努力するから議論が成り立つのだ。他者不信=自己絶対化なのだから、さういふ図式の中では議論は成立しない。高市氏は正しい。発...時事評論石川2023年3月20日(第827)号

  • 土屋陽介『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』を読む

    子供のための哲学教室、といふものにとても興味がある。もう50年も前のこと、自分自身の子供時代を振り返ると、私は考へるといふことが生きるといふことだと感じてゐたのだらうと想像される。何となく格好いい表現だが、実態はさうではない。哲学の作法も分からないから理屈つぽい少年といふことでしかない。「屁理屈屋さん」といふ言葉を「格好いい表現」とは思はないだらうから、まさにさういふ存在だつた。それでも小学5,6年生の担任の先生は、さういふ私を妙に可愛がつてくれて、すべての生徒と交換日記をやつてくださる先生だつたので、私の面倒くさい「屁理屈」にもていねいに付き合つてくださつてゐた。そのノートは今もどこかにあるやうな気もするが、今の自分はそんな屁理屈屋はうんざりだから、見返したくはない。なぜこんな思ひ出話を書いたかと言へば...土屋陽介『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』を読む

  • 2023年 京都大学の国語入試問題は福田恆存

    今年の京大の現代文の1番は、福田恆存の『藝術とはなにか』からの出題だつた。試験が終はつた直後の昼休みに「先生、見ますか?」と受験生に言はれたが、試験は振り返つちやダメだと常日頃言つてゐた手前、「やめとく」と伝へて話題を切り替へたが、内心は見たくてたまらなかつた。そして、今朝やうやく予備校のウェブサイトで確かめた。なんと福田先生の文章だつた。昨日それを知つてしまつたら思はず解説してしまつてゐたかもしれないので、見ないことにして正解だつた。さて、文章に引かれた傍線部は次の通り。(1)ドラマは《為されるもの》であります(2)この呼吸は映画では不可能です(3)そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい(4)教養とはそういう自我の堆積にほかなりません(5)現代では、藝術の創造や鑑賞のい...2023年京都大学の国語入試問題は福田恆存

  • 時事評論石川 2023年2月20日(第825/826)号

    今号の紹介です。今年最初の号。一年間といふ月日が、これほど変化をもたらした年といふのも珍しいことを感じる紙面構成である。昨年のまさに今、ウクライナへの侵略が始まつた。昨年の今頃は防衛予算の拡大についてなど政治的なタブーであつた。そして何より安倍首相が暗殺されることなど意想外中の意想外であつた。そして、それに伴つて宗教が社会の大ごとになつたのも何を言つてゐるのか分からない出来事であつた。しかし、である。世の中は変はつてゐない。今朝のテレビはパンダの移送が話題のほとんどであつた。上野のシャンシャン、和歌山のメイヒン、確かにそれは時の話題ではあらう。しかし、これだけか。人々の熱意の方向が私には分からない。大事な変化は大きすぎて見えない。今更ながらそれを感じる。「ユダ」の時代の到来を二面に掲載していただいた。左翼...時事評論石川2023年2月20日(第825/826)号

  • 怒りの鎮め方

    正しきことと良きことの区別ができない人がゐる。正しきことがいつでも良きことかどうか、一度考へるべきである。子供が何か過ちをした。それを叱る。それは正しきことである。しかし、叱つたからと言つて直ちに子供が良き子になるわけではない。だから、時間の猶予を与へなければならない。その時に、以前に輪をかけて叱り、怒鳴り、圧力をかけても、つまりは正しきことを幾重にも重ねても、それは良きことにはならない。裏木戸の戸を開けておけと古くから言はれるやうに、正しきことで子を追ひ込むことは良きことではない。むしろ悪しきことである。良きこと悪しきこと、正しきことと過つこと。かうした区別が大切である。これとは直接に関係ないが、アランは次のやうに書いてゐる。「ひどく腹を立ててゐる人間は、ひどく感動的な、いきいきと照らしだされた悲劇を、...怒りの鎮め方

  • やれやれと思ひ深々早や節分

    受験生を抱へた身に去来する思ひそのまま。それは同時にこちらの老化でもある。昔は違つてゐたよな。やれやれと思ひ深々早や節分

  • 創業の迂遠

    まづは戯言を一つ。タイトルに「ソウギョウノウエン」と打ち込んだら、「操業農園」と出てきた。びつくりしたが、次の瞬間笑つてしまつた。操業農園では意味が分からない。蘭学事始(講談社学術文庫)杉田玄白講談社閑話休題。杉田玄白の『蘭学事始』には次のやうな箇所がある。「浮華の輩、雷同して従事せしも多かれども、創業の迂遠なるに倦(う)みて廃するもの少なからざりし」。(訳)浮かれて華やかなことが好きな人は、付和雷同して『解体新書』の翻訳に従事した者も多かったけれども、新しいことを始める時の回りくどくて面倒なことに飽き飽きして辞める者も少なくなかつた。今、仕事をしてゐてさういふことを感じてゐる。創立されて間もなく二十年になる学校に勤めてゐるが、この間のことを思ふと、まさに「創業の迂遠」なるを感じる。これに負けてしまひさう...創業の迂遠

  • 誤解される「二元論」

    ベルグソンの『物質と記憶』の第七版の序には「自分の立場ははつきり二元論だ」と書かれてゐる。そして、それは常識的な立場であるのに、哲学者からは理解されず評判が悪いとも書いてゐる。つまりは、物質といふものを、表象に還元してしまふ観念論も、我々の中に表象を生み出しつつも当の表象とはまつたく本性の異なるものだとする実在論とは、共に誤りであるといふ考へある。それは端的に「『もの』と『表象』の中間に位置する存在なのである」。私は、いまこのベルグソンの物質観を問題にしてゐるのではない(もちろん、その考へに異論があるわけではないが)。ではなく、二元論といふのは、かういふ使ひ方が正しいといふことが言ひたいのである。ところが、新聞に出てくる知識人たちの文章や、テレビに出てくるコメンテーターの中には、これを「物質か表象(精神)...誤解される「二元論」

  • 筒井康隆『モナドの領域』を読む。

    モナドの領域(新潮文庫)筒井康隆新潮社今年最初の小説。じつを言ふと年末から読み始めてゐたが、年始になつて仕事が始まり、それをまとめる余裕がなくなり、今日になつてしまつた。読み終へて十日ほど経つので、もうまとめるといふ気力もない。ただ面白かつたといふ思ひである。「モナド」とは、空間を構成する単位を表す概念のやうだが、それ自体は構成要素を持たないものであるといふ。しかし、素粒子が原子を作るやうに、素粒子同士が関係を持つやうなものであるのに対し、モナドは一切の関係を持たない独立的なものであるとされてゐる。この世界はそのモナドの領域である。ところが、現代、別のモナドとの重なりが起きてしまつた。その証拠がある事件である。この小説の冒頭に書かれたバラバラ殺人事件が、その「重なり」の証拠であつた。もちろん、読者はそんな...筒井康隆『モナドの領域』を読む。

  • 正月の談議から――吉本隆明の福田恆存からの影響

    正月の談議(承前)吉本隆明は福田恆存のことを書かなかつた。このことをずつと不思議に思つてゐた。大学時代に、そのことについて先輩と議論したこともあつたが、両者については何も知ることはできなかつた。ところが、神道氏がかう言つた。「別冊宝島の『保守反動思想家に学ぶ本』に吉本は福田の訳した『アポカリプス論』を読んで影響を受けたと書かれてゐた。」この本は、1985年に出たMOOKで、私も読んでゐた。が、それは記憶になかつた。そこで、愛知に戻つて来て、書棚の奥から今日やうやく探し当てた。すると149頁にかうあつた。呉智英の言葉である。「福田はだから、吉本にも影響を与えているわけですよ。吉本の『マチウ書試論』ってのは明らかに今言った『アポカリプス論』に触発されて出てきたもんだから。」すると、真宗門徒氏は、吉本の『マチウ...正月の談議から――吉本隆明の福田恆存からの影響

  • 二人の良寛

    良寛と言へば、一般には江戸後期の僧侶のことが知られてゐる。吉本隆明や水上勉の著作にもあるほどで、俳人・漢詩人としても知られてゐる。今、調べると辞世の句は「うらをみせおもてを見せてちるもみじ」であつたと言ふ。一昨日の宗教談議の中で、鎌倉時代の既存仏教は、いはゆる「末法の時代」に何をしてゐたのだらうかといふ疑問が湧いた。そこでふと口に出て来たのが「良寛といふ僧侶がゐたやうな気がする」とつぶやいたが、記憶も曖昧で確かなことは言へなかつた。そこで今朝調べてみると、確かに鎌倉時代に「良寛」といふ人物がゐた。その方はむしろ「忍性」と言ふ名で知られる人で、(鎌倉の)極楽寺忍性と言はれてゐる。真言宗とも律宗とも異なる真言律宗と呼ばれる宗派である。貧民やハンセン病の患者の救済を目指して活躍してゐた。ちなみに言へば、大阪の四...二人の良寛

  • 宗教談議とその逸脱

    正月とお盆と、長い休みの時の最大の楽しみは、気の置けない友人二人との語らひである。昨日も、その時間を楽しんだ。初詣の話から始まり、それぞれのこの期間に出会つた人の話や読んだ本の話を語り始めた。いつものこの調子であるが、昨日は「信じるといふこと」について話が至つた。宗教や信仰といふ漢語では、私が感じた印象とは違ふやうにも感じる。それはやはり「信じるといふこと」がふさわしいやうに思ふ。神道と真宗と無教会とそれぞれの立場からの発言は、何が正しくて何が間違つてゐるといふ理性的な追究ではない。人間とは何かといふことについて(それはたぶんに日本人とは何かといふことになるのであるが)のそれぞれが思ふところを率直に語るなかで、気づきや問ひがつぎつぎに生まれてくる。その感覚が日常では味はふことのない喜びである。これだけ書く...宗教談議とその逸脱

  • 快事ひとつ

    昨日のこと。散歩がてら買ひ物に出た。薬を一つと、久しぶりに使つたプリンターのインクがないことに気づいたのでそれを買ひに出た。夕飯は何にしようかと家内と話してゐるとパンが食べたいといふことになつて、スーパーにも寄つた。イオン系のスーパーなのでwaonで支払つた。いくら入つてゐるのかも分からないし、購入した物がいくらになるのかも分からない。ところが、レジを過ぎてレシートを見ると、残金はきつちり5,000円だつた。現在消費税は8%。物の値段も10円単位ではなくなつてゐる。計算してもこんなことは起きないだらうと思ふ。何とも気持ちの良い出来事だつた。こんなところで運を使つてしまふなんてとは一瞬思つたが、まづは気持ちの良い買ひ物に小さな喜びを記しておきたい。快事ひとつ

  • privateといふこと

    privateの対義語は、もちろんpuvlicである。私的と公的といふ感じで捉へてゐるのが一般的な日本人の感覚である。ところが、イギリスの私立学校を「puvlicschool」と言ふのはなぜ?と訊くと一瞬黙つてしまふ人が多い。日本人の感覚で言へば「privateschool」といふことになるからである。つまり、この両者の英語的感覚は、公私といふ日本語の感覚とは異なつてゐるといふことである。もちろん、英語にも「privateschool」と呼ばれる私立学校は存在するし、その方が数は多い。しかし、イートンやハローのやうな伝統的な私立学校はprivateschoolと呼ばれてゐる。では、このprivateといふ言葉の意味はそもそも何か。稲垣良典によれば、privationといふ名詞を見れば分かると言ふ。つまり、...privateといふこと

  • 再帰的といふこと

    国語といふ教科の中の現代文といふ科目は、文化的な伝統を伝へ、自から文章を読めるやうになるための技術的訓練といふ側面は弱く、現代を彩る問題意識はどこにあるかといふ課題提示と悪文をいかに読み取るかといふ技術的訓練の側面が強い。悪文といふのは致し方ない面があつて現代日本語を母語とする日本語人を相手に授業をするのであるから、誰が読んでも明解に意味が分かるやうな達意の文章が課題文になることは少ない。つまりは、誰が読んでも一読ではあまり意味が分からないやうな文章を読み解くといふことが必要になるわけだ。さて、昨今私が気になつてゐて、今年の授業の中で随分手こずつたのが「再帰性」といふ概念である。社会学者のベックが有名だが、中世社会を変革して近代化を成し遂げた社会(封建社会を打破して資本主義社会にしたり、専制政治に終止符を...再帰的といふこと

  • 稲垣良典『神とは何か 哲学としてのキリスト教』

    神とは何か哲学としてのキリスト教(講談社現代新書)稲垣良典講談社追悼の意味を込めて、今年最後の書評はやはりこの書である。本年1月15日に93歳で亡くなられた、トマス=アクィナス研究の第一人者である。私は、福田恆存が見たトマス=アクィナス像でしか、この中世の代表的神学者を知らなかつたから、その評価はあまり高いとは言へないものだつた。つまり、神とは背後から感じるものであつて、それを正視し表現することから神は神でなくなつたといふのが福田恆存の中世理解であつた。もちろん、その代表者がトマスであるから、勢ひ福田はトマスの神学を謬見もしくは誤解と見てゐたわけだ。しかしながら、私たちに理性や悟性といふ知性があるからには、神とは何かを問ふことは知的誠実そのものであり、言つてみれば知性とは真の根源たる神(もちろん、真に限ら...稲垣良典『神とは何か哲学としてのキリスト教』

  • 志水宏吉『学力格差を克服する』を読む

    学力格差を克服する(ちくま新書)宏吉,志水筑摩書房今年は、学力をどのやうにして伸ばすかといふことについて考へた。もちろん、その際に重要になるのが「評価」である。学力が伸びたかどうかは、結局「評価」の問題に尽きる。つまりは、学力とは何かといふことを曖昧にしたまま、学力が伸びたかどうかといふ判断もできない。学力といふことの内実も、いかに伸ばすかといふ手段の実際も、この「評価」の問題なのである。今年一年間で読んだ本の中で、今後とも読み続けるべき書が、この『学力格差を克服する』といふ書である。著者は、大阪大学の大学院教授であつた志水宏吉氏である。本書に出会ふまで私は知らなかつたが(今思へば、苅谷剛彦氏の「関西調査」の関連でお名前が出来てきたかもしれない)、やはり先達がゐればもう少し早く知ることができたのにと悔やま...志水宏吉『学力格差を克服する』を読む

  • 橘玲『バカと無知』を読む

    バカと無知―人間、この不都合な生きもの―(新潮新書)言ってはいけない橘玲新潮社前回紹介した『バカを治す』の著者適菜収氏的に言へば、B層の人々が今日信じ込んでゐる「正義」の嘘を暴いた書である。ご存じ『言ってはいけない』の著者による第三弾。バカは無知とは違ふ。自分のことをバカとは気づかないのがバカで、「自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信をもつようになる。まさに『バカにつける薬はない』のだ」。つまり、原理的にバカは自分のことをバカと認識できないので、知らないでバカなことをしたり、信じたりしてゐるのはバカではなく、無知である。となると、この本の著者も私自身も自分自身が信じてゐることを間...橘玲『バカと無知』を読む

  • 適菜収『バカを治す』を読む

    バカを治す(フォレスト2545新書)適菜収フォレスト出版今日が仕事納め。大阪に戻る途中で名古屋の予備校に通ふ浪人生に会つて激励をし、帰阪する。車中で読んだのが本書。哲学者適菜氏の言ひたい放題の社会評論。はじめに書かれてゐたのが、本書の目的。これを明示するのがこの方のいいところ。これが嫌なら読まなければ良い。本は読みたい人のためにある。「本書の目的は、バカを批判することではありません。もっと言えば、バカを批判しても無駄です。バカは『バカの世界』の住人です。住んでいる『世界』が違うので、共通語がない。」その通りだと思ふ。そして、続けて「それよりも、バカの本質をつかむことにより、自分の内部に存在する『バカ』を克服することが大切です。」その通りだと再び思ふ。そして、そのためには、ゲーテやニーチェを読むことだといふ...適菜収『バカを治す』を読む

  • 歩くといふこと

    「生きてゐる目的つて何ですか」。ドキリとするが、そんな質問をされたことがある。その生徒には、その時その必要があつて尋ねてきたのであらうが、さうやすやすと答へられるものではない。何がきつかけで、どうしてさういふ心境になつたのか、あるいはどこまで深刻な事態があつてさう訊いてきたのかは、尋ねられた瞬間には分からなかつた。だから、簡単には答へずに、「今日の放課後は時間があるか」と訊いてみた。掃除も終はつて、教室に残つてゐるやうにこつそり伝へて、他の生徒が帰るまで机の位置を整へたり、掃除のやり残しがないかを点検したりして彼と二人になるまで自然に過ごした。まだ夕方の日差しが明るい時間だつた。机を挟んで横に坐り、「どうした」とだけ言葉をかけた。何かがあつたのだらうが、それが何かは自分でも分からないのだらう。当たり前のこ...歩くといふこと

  • 深田 匠『安倍晋三元総理 追悼論』出来

    安倍晋三元総理追悼論-日本を取り戻し世界を導いた稀代の名宰相に捧ぐ-深田匠高木書房高木書房の斎藤信二社長よりお送りいただいた。斎藤さんが、案内書にかう書かれてゐた。「安倍元総理が暗殺された後、マスコミや左派野党がテロリストの思惑通りにテロ目的の完遂に『協力』し、いわゆる『魔女狩り』に狂奔して延々と統一教会と保守政治家の取るに足らない些細な接点を大げさに騒ぎ立て、テロリストをまるで『被害者』であるかのように擁護し、殺害された被害者である安倍氏を『加害者』の自業自得であるかのように貶める悪質な印象操作が執拗に行われています。」私もまたこの認識と同じである。今年起きたマスコミの報道は「テロ」であり、それに同調して視聴率やテロリスト擁護者の口車に載せられた大衆は共犯者である。かつて評論家の適菜収が明らかにしたとこ...深田匠『安倍晋三元総理追悼論』出来

  • 時事評論石川 2022年12月20日(第824)号

    今号の紹介です。今年最後の号だけあつて、一年を振り返る記事が多い。やはりと言ふべきであるが、安倍元首相の暗殺については多くの論者が触れてゐる。特に警察の怠慢、話題が別のところに行つてしまつたこと、マスメディアの劣化、自民党のお粗末さ、国民の衆愚化、それらは共通してゐる。頷けることばかりで、それだけに現在の惨状に思ひやられる。一面の吉田先生の「三題噺」はここ何年か続いてゐるが、年末の恒例として面白く読ませていただいた。痛快である。二面の照屋先生の指摘は、その通りである。独裁者は現れる時代は暗黒である。しかし、それは他責的な衆愚と化した国民が呼び寄せるものでもある。つまり、共産主義の暗黒化は当然として、民主主義の暗黒化は責任逃避の国民が招き寄せるものである。三面の小滝氏の論は、現状を的確に指摘してくれてゐる。...時事評論石川2022年12月20日(第824)号

  • 渡辺望 著『西部邁 「非行保守」の思想家』を読む

    西部邁の評伝の2冊目である。気鋭の批評家である著書は二冊目。面白く読んだ。短いカットを重ねて、読者の心に映像を描き出すやうな手法のやうに思へた。4章41節からなる本書は、非行保守ともいふべき、二律背反の中の平衡術を自らに課し、自己矛盾を一身に体現した西部邁といふ人物を著者ならではの筆遣ひで著したものであつた。断節の重なりでしか切り結べない映像もあるだらうが、長回しで描く西部邁も読んでみたい。山崎正和が鴎外を論じたやうな西部像である。読者にとつてはそれはオマージュであらうが、徹底的な否定であらうがかまはない。20世紀から21世紀にかけて、守るべきものが蒸発していく日本において、保守主義をいや真正の保守主義を掲げた男の非情な生涯を、しかも氏はそれを笑顔で過ごさうとしてゐたが故に一層悲哀のある生涯を描く必要があ...渡辺望著『西部邁「非行保守」の思想家』を読む

  • 時事評論石川 令和4年11月号(823号)

    今号の紹介です。今号で何より印象に残るのは、2面の荒木氏の言葉である。安倍晋三元総理の暗殺の後、マスコミはとんでもない方向に報道を導いてゐる。「警察からすれば統一教会で騒いでくれることによって警備の決定的なミスで元総理の暗殺を許したというとてつもない責任から世論の目をそらすこともできる」。まさにこの通りである。あの暗殺事件は、警察の大失態であり、そのことにこそ批判の矢は放たれるべきである。そして、山上の動機は一体何だつたのか。あの手製の銃は殺傷能力があるのかである。新聞もテレビもすべて山上に、そしてそれを利用する左翼弁護団にジャックされてしまつた。このことを正面切つて言ふジャーナリストはゐない。3面の伊藤氏は「国民の心は立憲民主党から離れている」と書いてゐるが、果たして「離れている」のだらうか。もともと近...時事評論石川令和4年11月号(823号)

  • 昭和45(1970)年の福田恆存

    昭和45年の『歴史と人物』11月号に福田恆存は「乃木将軍は軍神か愚将か」(のちに「乃木将軍と旅順攻略戦」と改題)を載せた。もちろん、それは司馬遼太郎の『殉死』と福岡徹の『軍神』を批判したものである。福田はかう書いてゐる。「なるほど歴史には因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を捉へる事は出来ない。歴史に附合へば附合ふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける線を設定する事が不可能になる。しかも、点と点とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるのであらう。が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はづしりと音を立てて流れ、運命の重味が吾々に感じられるであらう。合鍵を以て矛盾を解決した歴史...昭和45(1970)年の福田恆存

  • 左翼は今もゐる

    イデオロギーの終焉とは、ダニエル・ベルの言葉だつたらうか。脱工業化社会においては、個人の趣向(=これを価値観だと考へるからをかしなことになつたのだが。それはまた別の話)が重視されるやうになり、もはやイデオロギーの出る幕はないといふことになつた。確かに学生運動は無くなつたし、経済学部や史学科からマルクス主義は一掃された。だが、共産党は国会議員を有してゐるし、革命の意思を明言してゐる(これは反社会的団体ではないのか?)。生協は市民社会に浸透してゐる(これつて関係を立たなくていいのか?彼らの資金源になつてゐるのでは?)。立憲民主党は、護憲といふ名のイデオロギー政党であるし、その心は社会主義的全体主義である。現代でもインテリは反体制派であることを存在根拠としてゐる。一昨日もある雑誌編集者から電話をもらひ、1時間以...左翼は今もゐる

  • 時事評論石川 2022年10月(822)号

    今号の紹介です。世のマスコミの変更振りは、ここに来てひどいものとなつてゐる。左翼が勢ひづいてゐるといふ構図である。きつかけは7・8事件であるが、そのことの解明はどこかに行つてしまひ、安倍憎し、保守憎しのルサンチマンの炎が日本の言論を焼き尽くしてゐる。3年後に訪れる冷静な振り返りは、きつとさう記録するであらう。それほどにひどい。そんな中で本紙だけは、そのことを暗示してゐる。現状は、世界的には第三次大戦前夜であり、国内的には左翼の跳梁跋扈であり、「個人主義をうまく利用した全体主義」と「個人を相対化する共同体主義」とが対立してゐるのである。個人、国家、世界でこの世界観の対立を、明確に示してゐるのが、今号の主題のやうに読み取れた。もちろん、それは意図的に組まれたといふのではなく、執筆者の主張が見事に編集者に編まれ...時事評論石川2022年10月(822)号

  • いよいよソフトファシズムの時代へ

    岸田首相の言説がいよいよ怪しくなつてきた。検討使と揶揄されてゐるうちは、良くも悪くも「変化」を来たさない。静かな後退は、それはもちろん政治的には悪であるが、それでも時間に余裕があるから、そのうちに次世代が育つ可能性があつた。与党の衆議員がいまどれぐらゐゐるのか知らないが、大臣に指名されるやうな人物でもほとんど見知らぬ人ばかりであるから、まつたく知らない人ばかり。その中には多少はまともな人もゐるだらうから、三年後の衆議員選挙の時には頭角を現してくる方もゐるだらうと期待を、しかしかすかな期待を寄せてゐた。しかし、それまで宗教法人の解散請求には民法の不法行為は該当しないと言つてゐたのに、旧統一教会への批判が高まるにつれて、次の日には突然「該当する」と答弁を変更してしまつた。大衆迎合主義に見えるこの変更には、何か...いよいよソフトファシズムの時代へ

  • 實朝の歌

    歌に救はれ、歌によつて生きられた人が實朝だらう。大海の磯のとどろに寄する濤割れて砕けて裂けて散るかもこの一首で實朝は永遠を生きることが出来た。もちろん殺害されなければ、もつと多くの名歌を残せただらうが、永遠は先の一首で摑み得た。この激しい波濤の様を實朝自身に重ねて詠むのが常識であるが、それとは別に彼の眼に映つたありのままの姿だと今は思ふ。彼を預言者にする必要はないからである。これほどに波濤の荒々しさを、リアリズムで描いた才はもはや中世を超えてしまつてゐるやうにさへ思はれた。それがどうしても可能であつたのかは分からない。が、實朝はそれを成し遂げたといふことだけが大事なことである。歌の力はかういふ才によつて磨き続けたれてゐる。實朝の歌

  • 久しぶりの九州

    昨日深夜に義父が亡くなり、急遽帰宮することになつた。随分と久しぶりだ。義父の弔ひでの帰郷は仕方ないとは言へ、心の準備なく帰るのはやはり落ち着かないものである。父を失つた娘としてはどのやうな思ひで車中を過ごしたであらうか。義父は娘を待つて逝つてくれた。そんなことをあれこれと思ひつつ、列車に乗り込んだ。日豊線は本線であるが、単線である。駅で待ち合はせることが多く、進みは遅い。この感覚も本当に久しぶりである。緊張して神経がささくれだつてゐるやうに感じる。曇り空に、沈痛な思ひは滞つてゐる。久しぶりの九州

  • 『勉強できる子は○○がすごい』を読む

    メタ認知についての非常にわかりやすい書である。非認知能力といふ言葉を学んだのが、5年前である。そして職場で伝へ保護者にも伝へて、社会的にも「認知」されてくるやうになつて一気に浸透して来たそれはそれで大変良いことで、学力をつけるにはコンピテンシーの要素が重要だといふことは当然と言へば当然のことである。が、ここに来て非認知能力といふのはやはり認知能力なのではないかといふ思ひも出て来た。忍耐力はともかく批判的能力(クリティカルシンキング)といふのは認知領域であることは間違ひない。したがつて、学力とは別の能力とは、メタ認知が出来る力とした方がいいやうに思ふ。本書はそのガイドとしては最適である。一般書なので出典が明らかでないのが残念だが、それはネットで調べれば良い。関心のある方はどうぞお読みください。勉強できる子は...『勉強できる子は○○がすごい』を読む

  • 投票率と世論調査

    選挙において投票率の低さが問題になつてゐる。50%そこそこでも投票に行かない国民は問題にされない。その一方、世論調査は大変な影響力を持つてゐる。この2つを考へれば、世論とは怠惰な人民の気分表明に過ぎない。特に後者が国民の意思だといふ見解に政治家が負けてゐる。国民主権といふのであれば、主権者は絶対に腐敗する。権力が絶対であればその権力者も絶対に腐敗する。その時、その権力者を批判するのは誰か。それが政治家である。「主権者よ、あなた方は間違つてゐますよ」と。政治家が選良と呼ばれる所以はそこにあると思ふが、如何。投票率と世論調査

  • 国葬儀の挙行を思ふ

    元首相の痛恨の死を国を挙げて弔ふことに反対する人がゐる。私にはその理由が全く分からない。しかし、式は厳粛に行はれた。これが輿論である。弔意に刃を向ける人は恥を知るべし。国葬儀の挙行を思ふ

  • 医療と国葬儀とをめぐるメディアのダブルスタンダード

    胃腸炎による発熱で、ここのところ伏せつてゐる。病院に行けばコロナを疑はれ、検査に待たされ、陰性が分かつて診察をしてもらつた。詳しく調べたいなら大きな病院へと言はれたが、それはさうでせうが、何となく腑に落ちない。血液検査だけしておきませうと言はれたが、結局何も分からないのだらう。抗生剤と整腸剤を処方してもらつたがここからが傑作。薬局には直接行かず車で待てとのことであつた。陰性なのにである。薬局の人から携帯に連絡があつたので、その理由を伺ふとコロナの検査をした人は一様に局内に入れないとのこと。それを少しだけ腐すと返答に窮してゐた。医療従事者自身が、検査を信じず、科学的根拠のない気分で動いてゐるのである。こんなことは、この地域のこの病院だけで行はれてゐる醜態と思ひたいが多分違ふだらう。法律的根拠がないことを咎め...医療と国葬儀とをめぐるメディアのダブルスタンダード

  • 時事評論石川 2022年9月号(第820・21合併号)

    今号の紹介です。久しぶりに投稿した。あまりの日本の現状の悲惨さに打ちひしがれてゐたところで、中澤編集長から何でもいいから書いてくれと言はれ、思ひのたけを書いたのが本稿である。「日本は病んでゐる」この言葉に尽きる。本来の姿ではないと思ひたい。けれどそれは無理なのかもしれない。宿痾と書けば難しいので、持病と書いた。日本人の持病が顕在化してゐる。どんどんその持病は悪化してゐる。しかも、そのことに気づいてゐる気配はない。むしろ、「悪化を食ひ止める運動」=「正常化運動」の旗手として先頭を切つてゐる輩こそが、持病の象徴になつてゐる。そして彼らに信を置いてゐる大衆。彼らは傾向として全体主義に親和性が強い。個の独立を遠ざけ、日本の独立を阻止しようとする。その主張は我が国の周辺に存在する全体主義国家を利することに通じてゐる...時事評論石川2022年9月号(第820・21合併号)

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