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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

1件〜100件

  • 石川淳「焼跡のイエス」を読む

    今週の金曜日、東京大学が主催してゐる「金曜講座」でこの作品を取り上げるといふので読んでみた。石川にイエスを題材としたいといふ思ひがあるのかどうか。そしてあるのなら、それはなにゆゑなのか。それを考へながら読んだが、何も感じなかつた。掌編であるからすぐに読める。昭和21年に発表された作品だ。不潔で飢えた少年をイエスに見立てたアナロジーに、切実さを感じなかつた。「金曜講座」を聴いて、何か変化があれば、また書かうと思ふ。一応、福田恆存の石川淳評を引いておく。「石川淳において解體に瀕した自我の建てなほしといふ近代的なこころみが、新しい小説概念の探求といふ線にそつておこなはれたのであるが、このもつとも近代的なしごとが、もつとも古めかしい封建的色彩を帯びるにいたつたといふことである。この作品は「古めかしい封建的な色彩を帯び」...石川淳「焼跡のイエス」を読む

  • ヘッセ『クヌルプ』を読む

    クヌルプ(新潮文庫)ヘッセ新潮社知り合ひのFacebookのタイムラインでこの本が紹介されてゐたので読んでみた。新潮文庫の新版で字も大きく160頁足らずの本であるが、正直すらすらと読めるものではなかつた。少年が初恋を抱いた年上の少女に裏切られたことから始まる漂泊の人生に共感が抱けぬままに、それでも読み続けたといつた感想である。しかし、この少年クヌルプが聖書を頼りに自分の生き方を尋ね歩く生き方は、『デミアン』や『車輪の下』に通じるもので、さういふ言葉に出会ふと上質なヨーロッパ人の生き方を感じることができた。「だが、ね、仕立屋さん、きみは聖書に注文をつけすぎるよ。何が真実であるか、いったい人生ってものはどういうふうにできているか。そういうことはめいめい自分で考えだすほかはないんだ。本から学ぶことはできない。これが僕...ヘッセ『クヌルプ』を読む

  • マスカレード(紫陽花)が届く

    昨日は母の日。大阪から愛知に戻ると、玄関にお花が届いてゐた。我が家には子がない。なので母の日に何かを贈つてくれるといふ習慣はなかつた。ところが、かつての同僚で今も家族同然のお付き合ひをしてゐる若き友人が家内を母親と思つていつからか花を贈つてくれるやうになつた。今数えてみると、すでに4鉢の花が我が家にあるのでもう5年になるやうだ。ありがたいことだと思つてゐる。饒舌であるがシャイで、私たちと彼との会話は常に弾んでゐるといふ訳ではないが、時に堰を切つたやうに話し始める時がある。それを聞いてゐるのが面白い。色々なことを感じてゐるやうでもあり、引き出しはたくさんあつてそこに言葉がしまつてあるのだが、私と彼とに間ではその引き出しが開くことはあまりない。その弾んでゐない会話だが、ずつと続いてゐる。愛知と大阪とで日頃は離れてゐ...マスカレード(紫陽花)が届く

  • 左翼は滅びない。 

    河上徹太郎の評論に「ユダと現代風景」といふ文章がある。重要な文章であるが、この文章だけでなく、そもそも河上徹太郎その人も既に現代の読者人からは忘れられてしまつた感がある。現代の劣化の一つの傍証ではあるまいか。さて、その中にかういふところがある。「雑多な薪をいくつか並べ、これでうまく燃え上がるだらうと火をつけて見ると、中で一本どうしても一緒に火がつかない木があることがある。見ると生だつたり、湿つてゐたりするのだが、さういふのは隣りと協調しないで、ひとりでくすぶつてゐるだけでなく、折角燃えようとする隣りを牽制する作用を持つてゐる。少し位置を変へて空気を通はせるが、周囲となじまない。業を煮やして私は思はず、『まるで左翼だ。』と呟いた。傍にゐた若い友人が、『なるほど。』と私の気持を分つてくれた。こんな独り言に属する放言...左翼は滅びない。

  • カール・レーヴィット『共同存在の現象学』の解説を読む。

    共同存在の現象学(岩波文庫)レーヴィット岩波書店先日も、カール・レーヴィットの『ヨーロッパのニヒリズム』について書いたが、今度は本格的な哲学論考でマールブルク大学の教授資格請求論文である。今回は、その解説を書いた熊野純彦氏の文章についてである。文庫にして75頁にもわたる「解説」は、素直に評伝と言つてよいもので、私にはとても理解しやすいものだつた。もちろん、倫理学的基礎付けだとか、存在と存在者との違ひであるとか、ハイデガーの『存在と時間』に内包する矛盾だとか、ハイデガーとその高弟であるレーヴィットとの本質的な違ひであるとかは、すべて極めて哲学的な思考そのものであるので、「分かつた」訳ではない。しかしながら、彼らが「ヨーロッパに対して」「仮借ない鋭敏さでじぶん自信とその国民を問いただす」やうに「ヨーロッパに対して向...カール・レーヴィット『共同存在の現象学』の解説を読む。

  • 姫路散策

    昨日は朝から姫路に行き、1日散策で過ごす。10年以上前、まだお城が工事中だつた頃両親が大阪に来てくれた時に、城が見たいと言つていゐた父の願ひで訪れて以来。2007年7月16日でした。城があの、真つ白い状態である時に来たかつたが、もはや普通の白鷺城で少し残念。だが、その威容は変はらず、美しかつた。以前の記憶とは違ひ、天守閣まで随分と遠く感じた。月並みながら城を巡る道のうねりに警備の巧みさを感じた。城を出て近くの文学館に足を伸ばした。出てから左手に回り、ちゃうど城の裏側をぐるりと弧を描いて歩くとたどり着いた。山田風太郎展をやつてゐたが、それには関心がない。姫路の歴史と、和辻哲郎に関心があり、何より館長が藤原正彦といふので行くことにした。この地にゆかりのある作家や詩人がこれほどゐるのかといふことに驚いた。やはり文化が...姫路散策

  • 韓国映画「8月のクリスマス」を観る

    先日観た「82年生まれ、キムジヨン」のいい感触から韓国映画が観たくなつてゐる。友人にそれとなくお薦めを訊いたが、ドラマなら知つてゐるがと言はれていくつか名前を挙げてもらつたが、20話もあるやうなドラマを観ようとは思へず、結局かつて観た映画を再度観ることにした。それが「8月のクリスマス」である。主演はハンソッキュ。監督はホンジノである。私が韓国に留学してゐたのが88年から89年なので、その直後に観たやうに思つてゐたが、全く違つてゐた。何と99年に日本公開といふから10年は経つてゐた。その10年間の韓国への感情の距離感を今は全く思ひ出せないが、好意的な思ひで韓国の文化、特に映画を観てゐたのだと思ふ。尤も冬のソナタやらは一度も観たことはない。ドラマはやはり長過ぎる。uさて、「8月のクリスマス」だが、今回10年以上ぶり...韓国映画「8月のクリスマス」を観る

  • 辻仁成『代筆屋』を読む。

    代筆屋(幻冬舎文庫)辻仁成幻冬舎手紙を代行するといふ仕事をする男が主人公。売れない小説家が生きるために選んだ仕事だが、それでも注文があれば誰のでも代行をするといふ訳ではなく、まづは話を聞いて、納得すれば書くやうにしてゐる。やはり小説家である。取材をしてゐるといふことであらう。なるほどこれは小説である。依頼する本人も宛名の人物も架空の話。もちろん、代筆屋自身も想像上の人物である。小説が生み出されるきつかけが手紙の代筆といふアイディアによつて生み出されたといふことのやうだ。後書きに、本書の元々の出版社である海竜社の編集者からの依頼が手紙であつたと記され、その編集者とのやり取りがこの小説の誕生のきつかけになつたとも書かれてゐた。手紙は宛名がある。ある特定の人に向かつて書かれるものだ。だから、それ以外の人が読むのは言は...辻仁成『代筆屋』を読む。

  • 最果タヒと優河と

    大阪に戻り、録画デッキに保存されてゐたドラマを観た。家内がどうしても観てほしいといふので観ることにしたが、渋滞にはまつて到着までに随分とかかつてしまつたので疲れてゐたせいで、途中で挫折。翌日、観ることができた。「妻、小学生になる」である。堤真一が父親、母親役には石田ゆり子。最後の2回しか録画されてゐないので、内容的には間違つてゐるかもしれない。死んでしまつた母親が、あまりにその死に苦しみ、ゾンビのやうな生を生きてゐることを心配して、ある小学生の少女の体を借りて戻つて来るといふお話。原作は漫画だけに荒唐無稽ではあるが、生きるとは肉体がある無しに関係なく貫くものであること。そしてその貫く力の源泉は愛であること。さういふことが人々の会話や仕草から伝はつてきた。そして媒体となつた小学生の少女の家族も同じであつた。その母...最果タヒと優河と

  • 語らひと語りと。

    先日、前任校の卒業生から名古屋に行くので会へないかとの連絡があつた。GWの初日初めて祝日なのでこちらも休みなのだらうと思つたにだらう。あいにく全寮制の学校は祝日は休みではなく、通常通りの授業。ただ、たまたま夕方から時間が取れたので出かけることにした。もう一人卒業生も加はつて楽しい語らひの時間を過ごした。30歳を過ぎた彼らが今何を感じて何を考へてゐるのか、話題は多岐に渡つたが、そこに耳を傾けた。あるときは饒舌にある話題では訥々と話す様子は10年以上前の彼らのそれとは違つてゐて、もはや若き友人と言つた方が相応しい姿であつた。会社やそこでの人間関係や業務知識を通じて、世界への通路を様々に拡げて行つたといふことである。もちろんそれらを通してそれだけ彼らが成長したといふことも意味してゐよう。そして、嬉しいやうな寂しいやう...語らひと語りと。

  • ドラマ「しずかちゃんとパパ」が面白い

    ドラマを観るのが息抜きの一つである。今期のドラマの随一(といふかこれ以外は見てゐない。あとは大河か。あらら2つともNHKだ)は、NHKBSの「しずかちゃんとパパ」である。初めから観てゐたわけではない。ほかの番組を観てゐるときに出てきた宣伝を観て一度観てみようと思つて観たのがきつかけだ。鶴瓶が好きなのと、吉岡里穂がいいし、「SUITスーツ」で観た中島裕翔がよかつたからである。もちろん、ドラマはまづは本。それが駄目ならいくら役者がよくてもいいものにはならない。この確信を揺るがす芝居やドラマに出会つたことはない。しかし、オリジナル作品の場合には、役者でドラマを選ぶほかはない。それで観たのが、一ヶ月ぐらゐ前だらうか。いいなと思ふほどでもなかつたが、悪くはないから観続けてゐた昨日、第7回「パパの深い海の底」が良かつた。そ...ドラマ「しずかちゃんとパパ」が面白い

  • 韓国映画『82年生まれ キムジヨン』を観る

    本当に久しぶりに韓国の映画を観た。とは言へ、映画館ではなくPRIMEVIDEOで観たので、家のテレビで観た。一人娘が生まれ、産後にありがちな物忘れに違ひないと思つてゐたが、夫は単にさういふことでもないと思ひ始める。何かと無理をさせたせいではないかと自分を苛(さいな)む夫は、自分の実家に正月に帰省すると長男の嫁として家族や一族の世話をしなければならなくなる妻のことを思つて「疲れてゐるから実家に帰りたくない」と妻に伝へる。しかし、妻は「長男が帰らなければ、それはきつと嫁が嫌がつてゐるからに違ひないと義母に思はれ、ひどいことになるから帰りませう」と語る。そして、実家に戻ると予想通り妻は酷使される(ここら辺りは韓国らしいなと思ひながら観てゐた。夫よ、しつかりしろ。いつまで母親の言ひなりなんだ!)。やうやくソウルに戻るか...韓国映画『82年生まれキムジヨン』を観る

  • 時事評論石川 2022年4月号(第816号)

    今号の紹介です。1面の「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)批判」には、驚いた。もう20年近く前に筆者の吉田好克氏が聞いた講演会での話。当時のアメリカでは肥満体型を「fat」と言つてはならず、「horizontallyhandicappd」つまり「水平方向に難あり」と言はなければならなかつたといふのだ。看護婦を看護師に言ふやうになつたし、ビジネスマンをビジネスパースンに、メリークリスマスはキリスト教に限るから一般にはハッピーホリデイと言へ、といふのは聞いたことはあるが、デブと言つてはいけないといふのには驚いた。政治的な正しさとは、つまりはハラスメント感情を抱く人からの攻撃への対処法として正しいのは何か、といふことであつて、その場合の「政治的」とは、「誰にも批判されない」といふことである。聖書が語る「神のも...時事評論石川2022年4月号(第816号)

  • 4月30日(土)宮崎で「ウイグルの人権問題を考へる講演会」を実施

    宮崎大学の元准教授の吉田好克先生よりご案内をいただきましたので、ご紹介致します。来たる4月30日(土)、宮崎市内で「ウイグルの人権問題を考へる講演会」を実施するとのこと。詳しくは、上のチラシをご高覧ください。現在は、ロシアのウクライナへの侵略に目を奪はれてゐますが、同じことが中国によつてウイグルでも行はれてゐます。多くの人に関心を持つていただきたい事柄です。お近くの方は、是非ともご参加ください。よろしくお願ひ致します。4月30日(土)宮崎で「ウイグルの人権問題を考へる講演会」を実施

  • 第109囘 國語講演會

    國語問題協議會主催の講演会が、5月21日(土)に東京都千代田区丸の内1-1国際ビルヂング8階の日本倶楽部で開催される。今回の講師は、当会常任理事の安田倫子氏と評論家の呉智英氏である。安田氏は「美しい國語」、呉氏は「祖國とは言葉である」といふ題でお話をしてくださる予定。時間は午後1時から3時45分まで。お話はそれぞれ一時間ほど。質疑応答もあり、その後4時からは茶話会を予定してゐる。コロナ禍以前は、軽食を取りながら懇親会があり、その後銀座に流れて二次会といふのが定番だつたが、最近はお茶とお菓子での茶話会になつた。呉氏とお話する絶好の機会なので、ご関心があればご参加ください。講演会の費用は、2,000円。茶話会は1,000円となつてゐる。参加申込・問合せは、chair@kokugomondaikyo.net場所は、守...第109囘國語講演會

  • ワクチン接種3回目

    モデルナ、モデルナと来て、3回目はファイザー。もはや打つ必要もあるまいと思ふが、長い物には巻かれて打つことを決めた。インフルエンザも打つてゐるのだから、特別抵抗感がある訳ではないが、ウクライナやフランスの大統領選挙の様子をテレビで見てゐると、誰一人マスクをしてをらず、日本のこの熱狂が異様に思へて、ワクチン接種に抵抗感が生まれてしまふ。それでも打つてしまふのだから、頽落した世人(ダス・マン)なのである。ワクチン接種3回目

  • 理想に逃げずに現実に流されずに

    どう生きてゐるか。どう生きて行きたいか。どう生きて来たか。私といふ存在は、さういふ時間のなかで、他者によつて、評価され、批判され、承認されてゐる。理想を抱きつつ、現実を諦めない。その時間はジリジリすることの連続だ。いつまで待ち続けられるか不安だ。いや恐怖である。桜の散る景色に酸つぱいものが込み上げて来る。理想に逃げずに現実に流されずに

  • 追悼 谷田貝常夫先生

    日本への遺言―福田恒存語録福田恒存文藝春秋國語問題協議會の谷田貝常夫先生が2月21日に享年90で亡くなられた。協議後の春の講演会の案内に同封されてゐた紙に、さりげなく書かれてゐた。厳しいところもあつて、関西事務局長を拝命してゐる中で開催した関西講演会ではピシャリと叱られることがあつた。最後にお会ひしたのは、昨年だつたか、一昨年だつたか、やはり協議會の講演会でのことだつた。お元気さうだつたが、久しぶりの再会に年月の流れを感じた。福田恆存先生の直弟子である谷田貝先生とは、福田恆存について語ることが多かつた。その中で今思ひ出すのは、「福田さんは、いい文章とは泣いてゐる文章だと言つてゐた」といふ言葉である。泣いてゐるとはどういふ意味かと尋ねたが、さう福田さんは言つてゐたといふことだよ、と仰るだけだつた。福田恆存と谷田貝...追悼谷田貝常夫先生

  • 宮本輝『約束の冬』を読む

    約束の冬上下巻セット文藝春秋5日間の春休みを満喫した。私にとつていい時間を過ごしたと感じるのには、本との出会ひが欠かせない。頁を繰る速度を惜しみ、故意にそれを中断できるやうな本との出会ひがあるときは、私にとつては最高の休みを過ごしてゐるといふときである。もちろん、それは滅多にあるわけはなく、大概はその本を探すだけに休みの日を消費してしまふ。この春休み、幸せな時間を証拠立ててゐたのは、宮本輝の『約束の冬』である。あらすぢを各必要を感じないので、ご関心があればネットで探つてほしい。何に引かれたのかは分からないが、登場人物たちのなかに不快になるやうな存在がゐないといふことがきつとこの物語の魅力であらうと思つてゐたが、この小説には珍しく「あとがき」があつて、そこに作者自身の作品への思ひが記されてゐた。小説にとつてこの「...宮本輝『約束の冬』を読む

  • 時事評論石川 2022年3月号(第815号)

    今号の紹介です。1面の「北潮」のキリスト教理解は、少々図式的過ぎる。キリスト教は一元論だから、現代の多元論的社会とは相いれないとは、適切ではない。そして、一元論ではない仏教や神道の方が現代社会に適合的といふのは買ひかぶりであらう。キリスト教は一元論であらうか。アダムとエバを造り、エデンの園には命の木と善悪知るの木を造り、ノアの箱舟にはすべての動物のつがひを入れたといふのは、二元的な世界観の表象である。そして、何より人間がゐて初めて神がゐるのである。人間は神の創造物であるとは言へ、その人間がゐなければ神も存在したことにはならない。その世界観が一元的であるはずはない。世界の正しい認識が大事であつて、一元論かどうかは本質ではない。そこには仏教も神道もキリスト教もない。正しく見てゐるかどうかであらう。さうであれば、キリ...時事評論石川2022年3月号(第815号)

  • 私たちに欠けてゐるもの、なのにそれに気づかないこと。

    ヨーロッパのニヒリズム(1974年)カルル・レーヴィット現在のウクライナの情勢を見てゐて、決定的に私たち日本人に欠けてゐるものを感じる。そして、その欠けてゐるといふことに気づいてもゐないやうに思はれる。そんなことを漠然と感じてゐたうら、つい先日カール・レーヴィット(カルル・レーヴィット)の『ヨーロッパのニヒリズム』を手にすることがあり、それを読んで考へることがあつた。もう何度も読み返してゐる本だが、こんな文章があるのに気が付いた。「ギリシャ人だけが、最初に生まれたヨーロッパ人として、ブルクハルトの言をかりるならば[四方八方を自由にながめまわすことのできる]「パノラマ式」の眼、世界と自己自身を観る客観的な即物的な眼差、比較し区別することができ、自己を他において認識する眼差を有していた。ギリシャ人の探検家や学者がは...私たちに欠けてゐるもの、なのにそれに気づかないこと。

  • 『学校の「当たり前」をやめてはいけない!』を読む

    学校の「当たり前」をやめてはいけない!:現場から疑う教育改革;ゲンバカラウタガウキョウイクカイカク哲二,諏訪現代書館教育実践家(元教師)で教育評論家でもある諏訪哲二氏の近著である。書名から分かるやうに、工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』を批判した書である。私は、工藤の当該書は読んでゐないが、『麹町中学校の型破り校長非常識な教え』といふ本は読んだ。そこから類推すると、当該書の中身は学校の当たり前として言はれてゐる「宿題」「中間・期末テスト」「頭髪・服装の校則」「固定担任制」、これらを止めたといふ内容であるだらう。そして、それぞれ理由が書かれてゐるのであらう。私が読んだ工藤著には、学校とは「人のせいにしない、主体的に課題解決に挑むことができる子。違いを尊重し、地道な対話を通して、合意形成をはかることが...『学校の「当たり前」をやめてはいけない!』を読む

  • 白石一文『ほかならぬ人へ』を読む。

    ほかならぬ人へ(祥伝社文庫)白石一文祥伝社最近読む小説は白石一文一択である。『一瞬の光』の印象がそれほど深く、余韻が残つてゐるからだ。本作は、直木賞受賞作である。二つの小説で成り立つてゐる。一つは青年の話。大事な女性との出会ひと別れが書かれてゐる。ここで終はるのかといふ終はり方が残念だつた。もつと先があるだらう。もう一つは、若き女性の話。結婚が決まつてゐるにも関はらず、別の男にひかれ関係を持ち続ける。そして、その男は結婚式の前日に姿を消していく。もつと早く別れればよいのにと思ふ。「愛の本質に挑む純粋な恋愛小説」と帯に書かれてゐるが、ふざけるなといふ感想しか抱かない。これは愛の本質でも純粋な恋愛小説でもない。もしこの評言を作者自身が使つたのだとしたら、それはひどいとしか言ひやうがない。ここにあるのは度し難い人間の...白石一文『ほかならぬ人へ』を読む。

  • 内田樹『複雑化の教育論』を読む

    複雑化の教育論(シリーズ・越境する教育)内田樹東洋館出版社久しぶりに内田樹の本を読んだ。政治を語らせると途端に左旋回するが、教育を語ると極めて正統な主張になる。そのちぐはぐさを知り、なほかつそのことにご本人がまつたく気づいてゐないところが面白くて、今でもときどき読みたくなる。自分の頭で考へる思想家だからこそ、独特のちぐはぐさが表れるのだらうかといふ気質に潜む問題を垣間見たやうな気がしてゐる。本書は、教育についての三つの講演をまとめたものである。読みやすいのはいつも通りだが、講演文が下敷きだからより一層読みやすい。とは言へ、その主張は独特で内田樹らしさは満載である。全体を要約することは私にはできないので、引用を二つして紹介に代へたい(タイトルの意味についてだけ言へば、成長とは人間を複雑化することであるといふこと。...内田樹『複雑化の教育論』を読む

  • ウクライナに祈りを!

    今、ウクライナが十字架につけられてゐる。ウクライナにあるチェルノブイリとはニガヨモギといふ意味である。新約聖書のでヨハネの黙示録の第8章10節にかうある。「第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのやうに燃えてゐるけど大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言ひ、水の三分の一が「苦よもぎ」のやうに苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ」これは原発事故の預言とも言はれるが、今の状態でもある。今まさに時代の変革期においてウクライナが苦しみに耐えてゐる。私たちに出来ることは祈ることであらう。それは誰にでも出来ることであるし、力を持つことである。ウクライナに祈りを!

  • 時事評論石川 2022年2月号(第813/14合併号)

    今号の紹介です。1面の「北潮」は必読。ジョージ・オーウェルの評論選『全体主義の誘惑』についてのコラム。「中国の習近平こそ、オーウェルのいう邪悪な聖者に最も近い人物といえる」とあり、それに同意する。ただ、私は彼が果たして「邪悪」であるのかどうか、それを認めてゐる人は彼を聖者とは言はないし、「聖者」であると認める人は彼を邪悪であるとは思はないのではないかといふ疑問がある。現在のウクライナ情勢も含め、世界は全体主義の誘惑に負けようとしてゐるやうに見える。それは米ソの冷戦時代のやうな明確なイデオロギーの誘惑ではなく、現状への不満の解決を一気に解決してくれる人なのではないかといふ期待が広がつてゐる。綺麗に色分けできるやうな対立と緊張で世界は引き裂かれてゐるのでなく、それぞれが期待してゐるものが違ひ、もしかしたらイデオロギ...時事評論石川2022年2月号(第813/14合併号)

  • 白石一文『僕のなかの壊れていない部分』を読む

    僕のなかの壊れていない部分(文春文庫)白石一文文藝春秋久しぶりに小説を読む。随分と時間がかかつたが、途中から少しづつペースが上がつていつた。面白いからなのかどうかは分からないが、文章がすーっと頭に入り始めた。白石氏の小説には、人生論がちりばめられてゐる。丸谷才一とは違ふけれども、哲学や文学の箴言が主人公の台詞として、あるいはその主人公に影響を与へる人物の台詞として語られるのである。それがうまく行つてゐたのが『一瞬の光』だが、本作は少々鼻につくことが多かつた。作者の中にその言葉が先にあつて、小説にそれを使はうといふ意識が読者に伝はつてしまつたやうに読めたからである。「作者の中にその言葉が先にある」のは当たり前のことで、「小説にそれを使はうといふ意識」があるのも当たり前のことであるが、それが読者に伝はるかどうかは小...白石一文『僕のなかの壊れていない部分』を読む

  • このところ本ばかり買つてゐる

    すごい勢ひで本を買つてゐる。昨日までの1週間に購入した本は、次の通り。『どう考えるか文明の懐疑・ニヒリズム』山内恭彦ほか1974年二玄社『マンガでわかる認知行動療法』大野比呂氏2020年池田書店『一億総ガキ社会』片田珠美2010年光文社新書『アランの幸福論』2007年ディスカヴァー『アステイオン095』2021年サントリー文化財団『コロナ後の世界を生きる』村上陽一郎編2020年岩波新書『寄宿生テルレスの混乱』ムージル2008年光文社古典新訳文庫『大論争!哲学バトル』畠山創2016年株式会社KADOKAWA『名作をいじる』阿部公彦2017年立東舎『ことばの危機』阿部公彦ほか2020年集英社新書『21世紀の道徳』ベンジャミン・クリッツァー2021年晶文社『デジタル馬鹿』ミシェル・デミュルジェ2021年花伝社古い本は...このところ本ばかり買つてゐる

  • 鷲田清一が選んだ福田恆存の言葉2

    鷲田清一が選んだ福田恆存の言葉2

  • 鷲田清一が選んだ福田恆存の言葉

    本日、朝日新聞に福田恆存の言葉が載つてゐたらしい。私は朝日を読まないが、友人が教へてくれた。考へたい言葉だつた。鷲田清一が選んだ福田恆存の言葉

  • 福田恆存の昭和43年元旦

    なぜ43年かといふと、そこには個人的な意味しかない。今朝、新聞を読んでゐていろいろと思考を巡らせてゐると、福田先生は私と同じ年に何を書かれてゐたかと思ひ立つて年表を繰つてゐると、それが昭和43年で、元旦の毎日新聞に「知識人とは何か」を書いてゐた。縮刷版でその日の新聞を見たことがあるが、一面全面にこの文章が載せられてゐるのである。当時の新聞の何と高尚なこと。それをどれぐらゐの人が読んだのかは分からないが、特別なことではなかつたのではないかと想像される。今さういふことをしようといふ新聞社の編集局員がゐるのかどうか分からないが、あるいは書かせたい人がゐるかどうかも分からない。そして何より、それを読みたいといふ読者がゐるかどうかも心もとない。言つてしまへば、新聞を読むといふ習慣すら、どうやら令和の時代には消失してしまつ...福田恆存の昭和43年元旦

  • 「朝の読書」への言ひがかり 工藤勇一氏の発言

    横浜の私立学校の校長をしてゐる工藤勇一氏がツィッターで、次のやうに書いてゐた。「読解力を伸ばすためには本を読めと言う。じゃあ、そもそも本を読むことが困難なディスレクシアの人たちは読解力が伸ばせないのか?そんなことはない!スピルバーグだってトムクルーズだって人並み外れた読解力をもっている。学校は朝読書で苦しめられている子どもたちがいることを忘れちゃいけない。」「読解力を伸ばす」ことと「ディスレクシア」への配慮を同じ土壌で論じてゐる。いちいち目くじらを立てる必要はないのかもしれないが、かういふ混同は教育論ではまま起きることがあるので、少し論じておかうと思ふ。「読解力を伸ばす」のは、学校教育としての全体目標である。その方法に朝の読書が適切かどうかを論じることは可能であるし、当然すべき事柄である。しかし、その議論のなか...「朝の読書」への言ひがかり工藤勇一氏の発言

  • 今日から共通テスト

    昨日の雪に不安があつたが、今日は快晴。受験生を送り出して1日目が始まつた。昨日まで入試つて緊張するんですか、なんて言つてゐた生徒が、今朝は聞いてもゐないのに「先生、緊張してます」などと言つてくるから、受験は一大事。それで人生は決まらないのに、決まるかのやうに思ひ込んでゐる。実はその緊張感自体が自分の心を鍛えてくれる。再起的である。歩くといふ動作も道が無ければ成り立たない。水の上は歩けないし、空も歩けない。人生の一大緊張感も受験が無いと成り立たない。近代の大仕掛けの再帰性を存分に味はつてこい!我が愛しの生徒たちよ。今日から共通テスト

  • 文学と論理は分けられない

    読売新聞の今日の社説は、正鵠を得てゐた。(引用はじめ)感受性の豊かな高校時代に優れた文学に触れることは、後の人生にも大きな影響を及ぼす。文学と実用的な文章を切り離す高校の国語改革には無理があると言わざるを得ない。高校は4月から、学習指導要領が新しくなる。現代文や古文、漢文を幅広く学ぶ必修の「国語総合」は、実用的な文章を扱う「現代の国語」と、文学や古典に特化した「言語文化」に再編される。文部科学省は、社会で役立つ国語力の育成を掲げ、「現代の国語」では原則、文学作品を扱わない方針を示していた。(引用終はり)この浅薄な国語観を糺す必要がある。現代の国語を、評論や実用的な文章に限定するとはどういふ了見か。ただ現実的には「文科省側は当初、教科書会社側には「『現代の国語』で文学を扱う余地はない」と説明していたとされる。しか...文学と論理は分けられない

  • 当面の課題を解決すれば問題が無くなるのか。

    物事には表層と深層とがある。現実に起きてゐることにもこの2つの側面がある。例えば、植木が枯れてしまつたとする。表層にある原因は、水をやらなかつたからである。だから、水をやればよい。これで問題の解決である。しかし、新しく買つて来た植木もしばらくして枯れてしまつた。今度は水をやつてゐたのにである。となると、今度を原因は何か。調べると今回は根腐れが原因だつた。つまりは水をやりすぎたのだ。ここに来て深層にある課題が明らかになる。即ち、水のやり方について分からないことが原因だつた。これで解決をした……はずであつたが、また新しい植木を買つて来るとしばらくして枯れてしまつたのである。世の中に起きる出来事とはかういふものであらう。しかし、とかく私たちは表層の解決を問題の根本解決と見がちである。だから、何かが起きると急に慌てだす...当面の課題を解決すれば問題が無くなるのか。

  • 引きこもりとシェアハウス

    内閣府によると「平成30年度調査の結果により、全国の満40歳から満64歳までの人口の1.45%に当たる61.3万人がひきこもり状態にあると推計された」と言ふ。一方、シェアハウスの件数はどれぐらゐあるのかと言へば、「一般社団法人日本シェアハウス連盟が発表した『シェアハウス市場調査2020年度版』によると、シェアハウスは全国に5104棟」。2021年には若干減つたといふことだが、2013年には2744棟といふから、7年間で2倍といふことになる。一棟に10名住んでゐるとして約5万人。引きこもりの12分の1とは言へ、同じ時代に引きこもる人と家をシェアしようといふ人とがゐるといふことは考へたいことである。私は、大学時代10名ほどの友人たちと同居してゐた。彼らは学部も学年も違ふ先輩後輩たちで、誘はれて生活を始めたのである。...引きこもりとシェアハウス

  • 現代の国体は、世俗的人本主義

    年は明けたが、時代は継続してゐる。「時代」などといふと曖昧であるが、「人々の作り出す空気」と言へば少しは具体的だらうか。自分は何のために働くか、何のために学ぶか。さう自問した時に、「自分のため」あるいはせいぜい「他者のため」としか答へられないのが「現代の私たちの作り出す空気」であらう。しかし、これが違ふ時代の人々は「国のため」と明言できた。そのことの時代錯誤をたぶん「現代の私たち」は冷笑するだらうが、果たしてさうか。少子化ひとつ取つて見ても、何らの解決策を見出すことなく、私たちの国は衰退をしていくであらう。人口減が人口ピラミッドの構造の縮小ではなく、いびつな形の造型を意味するのは、「自分のため」「他者のため」の帰結である。そこに外国人労働者を受け入れるといふ施策を打つたところで、日本人が日本国をどうするかを考へ...現代の国体は、世俗的人本主義

  • 令和壬寅(四年)2022年が明けました。

    本年も宜しくお願ひします。ブログの更新や『時事評論石川』『正論』の執筆も継続して行かうと思ふ。本業の教育も今年は学会に2つ入る予定で、評価(アセスメント)や見直し(リフレクション)について少し勉強してみるつもり。出来ることは多くはないと思ふけれども、期待されてゐることもあるやうに感じる。その期待の声と対話が出来る限り、黙々ってやり続けたい。令和壬寅(四年)2022年が明けました。

  • 今年の三冊(2021年版)

    今年もあまり本を読まなかつた。それで貧しい読書生活からの三冊なので、その程度のものとご了解いただきたい。1吉田修一『国宝』上下巻(朝日新聞社)2林房雄・三島由紀夫『対話・日本人論』(番町書房)3白石一文『一瞬の夏』(角川文庫)いづれも新刊ではない。小川榮太郎氏や吉田好克先生の新刊は読んだが、今年はそれらより上記の本が印象に残る。京大の先生がが書かれた『日本の教育はダメじゃない』も面白かつた。これは新刊なので、以上の三冊は番外とする。4小川榮太郎『國憂へて已マズ』(青林堂)5吉田好克『續・言問ふ葦』(高木書房)6小松光『日本の教育はダメじゃない』(ちくま新書)最初の三冊は、いづれも夏休みに読んだ。近年は夏休みに本を読むことが習慣になつてゐる。日頃は帰宅して食事を摂るともう睡魔との闘ひで読書も仕事も手につかない。読...今年の三冊(2021年版)

  • 時事評論石川 2021年12月号(第812号)

    今号の紹介です。1面の「令和三年『腹立ち三題噺』」は必読。今年といふ時代の問題点をくつきりと浮かびあげてゐる。世の中、知性主義や理性主義が浸透し、日本人はインテリの言葉に弱いが、左翼インテリといふ、いかにも冷静で岡目八目的なもの言ひのお説には殊に弱い。媚中派≒「科学的」思考≒人権派は、今年に限らず日本人を惑はすが(私は不快になるが)、今年ほどそれがはびこつたのも珍しい。ウイグル人虐殺への政府の黙殺、コロナ対応の非科学性、人権意識による皇室の伝統軽視、それらは日本のダメさ加減を否応もなく印象付ける結果となつた。何が正しいことなのか、それを迷ふのは当然のことだ。正解を生き続けることは私達にはできない。しかし、何が正しいことなのかといふことを問ひ続けることはできる。そして、それをしなければならない。絶えず迷ひつづける...時事評論石川2021年12月号(第812号)

  • 三たび『バッシング論』

    みたび『バッシング論』を引く。先崎氏は、小川榮太郎氏の文章についてかう書く。「文章には、全く『他者』が存在しない」「小川氏は論争しているつもりで、言葉を書きなぐったのかもしれない。しかしこれは論争でもなんでもない。」「自己の意見を相手に『説得』するための技量がありません。怒りを叩き付け、自分の感情を赤裸々に曝けだしているだけです。これでは文章の内容を読み込む前に、聞き手は文体から響いてくる罵声にまず驚かされ、暴力性に耳を塞いでしまうのではないですか。相手にたいする否定という病しか、聴き取れないからです。」「他者を否定し、溜飲をさげる雰囲気が、日本全体を雨雲のように覆いつくしている」と見る先崎氏の目に映る小川氏の論文は、その典型なのであらう。私は、当の小川氏の文章を読んでゐないから、その当否は言へない。しかし、そ...三たび『バッシング論』

  • もう少し『バッシング論』

    (承前)「辞書的基底」といふ言葉が頻繁に出てくる。まさに私たちが意味の分からない言葉に出会つたとき、辞書を頼りにその言葉の意味を知り、文の運用を試みるやうに、社会の価値に一定の共通理解があることを辞書的基底と先崎は名付けた。ところが今日のやうな情報化社会においては、その参照すべき辞書的基底がないといふのである。うまいことを言ふなといふ思ひと共に、「違和感」もあつた。意味は果たして辞書の中にあるのであらうか。先崎は一見保守的な思考の持ち主のやうに見えるが、実は縁遠いところにゐると感じたのである。天皇への親近感も何だか文化の本質は過去にあるといふ思考であつて、それは保守的に見えて実は過去主義といふやうな思考の持ち主に見えた。言葉は、人人の対話の中にあるのであつて、その人人とは過去の人と過去の人、過去の人と現在の人、...もう少し『バッシング論』

  • 『バッシング論』を読む

    バッシング論(新潮新書)先崎彰容新潮社先崎彰容氏の旧著であるが、読んでゐなかつたので読んでみた。これに先立つ『違和感の正体』よりは、やや読みにくかつたが、それはたぶん天皇を巡る言説だらう。平成の最後に先帝はご高齢を理由に譲位を望まれた。それに対して保守派も革新派も反対し、先崎氏は先帝のお心を無視した「饒舌だが心貧しい」言論であると一蹴する。ここに私は違和感があつた。辞めたければ辞めればいい、それが人間天皇のお気持ちであるとは、結局、日本は天皇の国といふことなのだらう。もちろん、天皇を戴く国であることは間違ひないことではあるが、その在位は生涯であるといふことが否定されれば天皇は職能であるといふことになる。体力的にきついといふのであれば、その職能部分は皇太子に担つていただけばよいのではないか。生きてあることが天皇で...『バッシング論』を読む

  • 時事評論石川 2021年11月号(第811号)

    今号の紹介です。1面の改革幻想批判は、まさにその通りといふしかない。「改革とは、諸外国の動向を真似て上から無理矢理日本社会に導入しようとすることの謂に他ならなかった」とは至言である。ただ大阪での「維新の会」の躍進と自民の大敗北は、「日本で衰退し続ける地域での『反動』」という解釈には異論がある。むしろ自民の自滅といふのが大阪に片足を踏み入れてゐる者としての実感である。吉村知事の功績に比べる実績が自民の政治家にはない。大阪人は、さういふ実利で判断してゐるだけである。良くも悪くも改革がいかなるイデオロギーに属してゐるかどうかを判断する感性には乏しい。それにしても、改革といふ名の扇動はいい加減にやめてもらひたい。権力闘争の大義名分に使はれてゐるばかりで実質的に成功した改革といふものはあるのだらうか。目指すなら改善、それ...時事評論石川2021年11月号(第811号)

  • ブックオフに願ふこと

    本を古書店で買ふことが多い。書店まで車で15分かけないと行けない場所に住んでゐる者としては新刊書はもつぱらAmazonだが、近年の出版事情では文庫も新書もすぐに品切れになつてしまふから、いさ読まうとすると古書店を頼ることが多い。そこで真つ先に見るのがブックオフのサイトである。検索も楽であるし、安価である。ところで、ブックオフで本を買つてもらつたことが何度かあるが、本の価値が分からないのであらう。出版年度で値段を決めてゐるのではないかと思ふほど買値を叩かれる。それでもそんなものかなと思ふこともあるので、私自身があまり価値を置かない本は送料無料で引き取つてくれるといふ利便性を考慮してブックオフで売ることにしてゐる。このことは、逆に言へばこちらが購入者になるときには安価で手に入れられるといふことでもある。したがつて、...ブックオフに願ふこと

  • 時事評論石川 2021年10月号(第810号)

    今号の紹介です。2面の「許しがたき罵詈雑言の横行」といふタイトルを見て、総裁選に対する立憲民主党の言ひがかりについて書いてゐるのかと思ひきや、河野太郎候補についての高市早苗応援団からのネガティブキャンペーンについてであつた。あまりそれらのことに詳しくはないが、確かに「贔屓の引き倒し」があつて大事な政治たる高市氏への要らぬ「警戒心」を醸成することになつてはならないだらう。「保守」といふ名がほとんど護符のやうに思つて使つてゐる輩に会ふと私も辟易する。保守は思想ではなく生き方なのだから、他者に対する攻撃に使ふといふことはあり得ない。西部邁が「真正保守思想」などといふことを言ひ始めてから、保守が思想になり、保守するために革新するなどといふほとんど虚言に近い言葉遣ひに中てられて、保守の活動家が現れてしまつたのである。左翼...時事評論石川2021年10月号(第810号)

  • 政府や医師会は、イベルメクチンをなぜ無視するのか。

    北里大学のウェブサイトには、大村智記念研究所の成果として、コロナの初期治療にイベルメクチンが効果的であるといふ論文が掲載されてゐる。そこには、世界で16か国が治療薬としてイベルメクチンを採用してゐることが示されてゐる。日本では、どうしてこの薬を承認しないのであらうか。もしそれが、特許が切れてゐる薬品であるから、それを使用すると薬品業界が儲からないからといふことであるならば、論外であるが、さうでないとすれば、どうして大規模な臨床実験を行はないのであらうか。今は感染者数が劇的に減少してゐる。しかし、感染者数が激増した時期に、「医療崩壊神話」を作り上げ、初期患者を自宅療養に追ひ込み人々を不安に陥れたのは、菅政権の最悪の選択であつた。初期患者こそ重症化しないために適切な治療を施すのが本当の医療崩壊を起こさない手立てであ...政府や医師会は、イベルメクチンをなぜ無視するのか。

  • 白石一文『この世の全部を敵に回して』を読む

    この世の全部を敵に回して(小学館文庫)白石一文小学館随分挑発的なタイトルだし、構成も変はつてゐる。本書は小説である。主人公の小説家には親友と呼べる友人がゐた。K***氏と書かれた人物である。その彼は突然心筋梗塞で亡くなる。その知らせを彼の妻から知らされたが、その折にK***氏が手記を書いてゐたと伝へられる。それを読んだ小説家は、どうしても現在の若い人に読んでもらいひたいと思ひ、知り合ひのゐる出版社(小学館と書かれてゐる。そして事実、この本は小学館から出てゐる。ノンフィクション仕立てのフィクションである)に申し込んで本として世に出すことになつた。それが本書である。内容については、生きるとはどういふことかが書かれてゐる。いきなり「私は子供たちのことも妻のことも愛していない」と書かれてゐるが、言葉は文字通り受け取れる...白石一文『この世の全部を敵に回して』を読む

  • 時事評論石川 808・809合併号(2021年8・9月号)

    今号の紹介です。3面に「国家には意思がなくてはならない」を寄せた。私自身にも、そして私が属する組織にも意思なるものはあるやうでない。流されて流されてゐるばかりである。それでも流されてゐるといふ意識がある限り、人も組織もそして国家も筋を通さうといふ力が働く。私が「国家には意思がなくてはならない」と書いたのは、更に言へば「流されてゐるといふ意識がなければならない」といふことである。2面の吉田先生が引いてゐた、対米開戦時の軍令部総長永野修身の「戦はずば亡国、戦ふも亡国、しかし戦はずして国が亡ぶのは、魂まで失つた真の亡国」と同じである。「流されてゐるといふ意識がなく流されてゐるのは、魂まで失つた真の亡国」であらう。1面の島田先生の言はまつたくその通りである。「バイデンがやつたのは撤退ではない。降伏だ」とのトランプ前大統...時事評論石川808・809合併号(2021年8・9月号)

  • 『ヒトラー 最期の12日間』を観る

    ヒトラー~最期の12日間~(字幕版)ブルーノ・ガンツ前々から観たいと思つてゐたが、先日NHKのBSで放送してゐたので録画を観た。台風が窓外に轟音を立ててゐるなか、溜まつた生徒の添削をし続けてゐたが、集中力も4時間が限界であと数枚残つたが、この際だから気分転換にと思つて観ることにした。もちろん、内容は周知のことであるし、描き振りも予習してゐたので知つてゐる。そして、疲れた気分を転換するものとして相応しいかと言へばさうではないことも承知してゐる。だけれども、やはり観ておきたいと思つた。日本人が作つた日本映画を日本人が観ては分からないことがあるだらう。あまりにもそれは自明なことであればあるほど、それにことさら視線が向かない。例へば、電話をかけてゐるシーンで相手に謝る時には思はず頭を下げてしまつたり、家に入るのに靴を脱...『ヒトラー最期の12日間』を観る

  • 白石一文『一瞬の光』を読む

    一瞬の光(角川文庫)白石一文角川書店初めて読む作家である。小川榮太郎氏が、Facebookで取り上げてゐたのを読んで興味を持ち、読んでみた。初めは苦手かもなと思つたが、途中から引き込まれた。最後には、読み終はるのが残念でわざと読む速度を落としたが、昨晩はついにその抵抗も効かず、寝る時間が一時間ほど遅れてしまつた。38歳の大企業のエリートの男は、最高実力者の派閥に属し、その人の身内同然の立場で社内で振る舞ひ、力を大いに発揮する。今は人事課長になつたその男が、ある日新卒者の面接で訪れた女の子と知り合ふ。その女の子には、どうやら複雑な家族関係が影を差してゐる。そんなところに引かれていく男は、しだいに会社での自分の仕事に違和感を持ち始める。そして、最高実力者であり、自分の後見人でもあつたはずの存在が大きな失態をしでかし...白石一文『一瞬の光』を読む

  • マスコミの反体制的気分

    マスコミは批判することに意義がある。それ以上でもそれ以下でもない。自分の考へを持たずに、不偏不党を掲げる組織は、言つてみれば、政府の意に反対することにのみに存在意義がある。問題は、さういふ構図を理解しないで、〇〇新聞に正義があるかのやうに信じ行動する大衆の側である。今日のコロナ禍の悲劇も、まさに大衆自身による大衆への攻撃であつて、それはオルテガの言ふ「大衆の反逆」である。自分で自分の首を絞めてゐる。しかし、同時に私たち人間は他責的にしないと自分が息苦しくなるので、為政者を攻撃する。そしてその為政者が中途半端に強いと格好の対象になる。今回、その的になつたのが菅義偉首相である。安倍前首相は、少々強すぎた。そして立憲の枝野や共産の志井では弱すぎて攻撃しようとも思はない。国民の溜飲を下げさせるのが現代社会の政治家の役目...マスコミの反体制的気分

  • 学校には「門」がある。

    教育と医学2021年7・8月号[雑誌]教育と医学の会慶應義塾大学出版会夏休みが終はり、全国的に二学期の授業が再開されてゐる。コロナ禍にあつて開始時期を遅らせる地域もあるとのことだが、果たしてそれは妥当か。ゼロコロナを求めれば、家にじつとしてゐるのがいいのだらう。政府も分科会もそれを求めてゐるやうだ。しかし、果たしてそれでいいのか。学校が閉じれば、その経験が児童生徒学生に伝はる。ことが起きた時には問題の解決を図るよりは問題を回避するのだなといふ感覚が、じわりと浸透する。しかし、それは不作為の伝播といふことである。パンデミックの状況下で、我が国はいち早くこの問題を解決して渦中にある国を救ひにいかうといふ声は皆無である。その意味では中国は凄い。文字通り凄い。解決と回避との懸隔は甚だ大きい。初期診療をなぜ全国の開業医に...学校には「門」がある。

  • 光明徧照十方世界 念仏衆生摂取不捨

    この夏は、父の納骨式があつた。四十九日の法要と併せて新盆の法事もしていただいた。久しぶりに西念寺を訪ねた。山梨の夏の涼しさが殊の外気持ちよく、法要の間境内には風が入り静かな時間が流れてゐた。祭壇の横の柱に刻まれてゐたのが、標題の言葉である。調べると「観無量寿経」の一節であると言ふ。「こうみょうへんじょうじっぽうせかいねんぶつしゅじょうせっしゅふしゃ」と読む。その意味は「阿弥陀様の慈悲の御心である光明は、いつもすべての世界を徧(あまね)く照らし、念仏を唱へる私たちを見捨てず、必ずお救ひくださる」といふ意味であると言ふ。かういふ意識によつてこの宇宙が作られてゐると考へることが、宗教の本質であらうと思つた(仏教のことなど何も知らない私がかういふことを書くことに何のためらひもないわけではないが、半可通なのはいつものこと...光明徧照十方世界念仏衆生摂取不捨

  • 児美川孝一郎『自分のミライの見つけ方』を読む

    自分のミライの見つけ方(いつか働くきみに伝えたい「やりたいこと探し」より大切なこと)児美川孝一郎旬報社そろそろ夏休みも終はるので、仕事のモードの本を読み始めてゐる。私は、今の学校でキャリアデザイン部といふところの取りまとめをしてゐる。柄にもないと自分でも思ふ。文学やら思想やらの本を読むことを専らにしながら、仕事では「キャリアデザイン」を生徒に向けてアドバイスするといふのは、違和感もある。ところが、この児美川先生の文章を読んでから、その考へが変はつた。氏の『キャリア教育のウソ』は名著である。全国の高校大学の先生方はお読みになられると良い。何が嘘か。就職は自分の夢の実現だといふ常識である。大学や高校の教員自身が、いまの仕事や研究内容を18歳で決めてゐるはずないのに、青年には「なりたい職業は何か」といふことを迫る。そ...児美川孝一郎『自分のミライの見つけ方』を読む

  • 『昔は面白かったな』を読む。

    昔は面白かったな回想の文壇交友録(新潮新書)石原慎太郎坂本忠雄新潮社石原慎太郎と坂本忠雄の対談集。雑誌『三田文学』の連載対談を本にまとめたもので、同じ話が何度も出てくるし、特に話題を深めるといふこともなく、新潮社の名編集長と呼ばれた坂本がもつと怜悧な視点で石原に挑むかと思つたがそれもない。文字通り、「昔は面白かつた」と言つてゐるだけだ。もつとも「昔は良かつたな」ではないところがミソ。文壇といふ、私たち一般人にはその名称しか分からない作家たちの社交の場の人間模様を描いてゐて、確かに「面白い」。小林秀雄の水上勉いじめはつとに有名だが、川端康成の三島嫌ひや、大江健三郎の石原称揚は、初めて知つたし、古いところでは、林房雄と高見順が大喧嘩したときに川端の一言で止んだといふのも、文章には現れない作家の表情がある。もちろん、...『昔は面白かったな』を読む。

  • 『昔は面白かったな』を読む。

    昔は面白かったな回想の文壇交友録(新潮新書)石原慎太郎坂本忠雄新潮社石原慎太郎と坂本忠雄の対談集。雑誌『三田文学』の連載対談を本にまとめたもので、同じ話が何度も出てくるし、特に話題を深めるといふこともなく、新潮社の名編集長と呼ばれた坂本がもつと怜悧な視点で石原に挑むかと思つたがそれもない。文字通り、「昔は面白かつた」と言つてゐるだけだ。もつとも「昔は良かつたな」ではないところがミソ。文壇といふ、私たち一般人にはその名称しか分からない作家たちの社交の場の人間模様を描いてゐて、確かに「面白い」。小林秀雄の水上勉いじめはつとに有名だが、川端康成の三島嫌ひや、大江健三郎の石原称揚は、初めて知つたし、古いところでは、林房雄と高見順が大喧嘩したときに川端の一言で止んだといふのも、文章には現れない作家の表情がある。もちろん、...『昔は面白かったな』を読む。

  • 太陽の塔に入りに行く。

    この夏休みに最後のイベント。太陽の塔の中に入る、だ。再生プロジェクトの始まる前に一度入つたことがある。埃をかぶつて、内部の中央にある生命の樹は錆びてゐた。赤い壁に驚き、初めて入つた雰囲気は廃墟のやうでも、あの頃の空気を閉じ込めたタイムカプセルのやうでもあつた。それが今日は、当時のパビリオンに入つたやうな高揚感があつた。音楽が流れてゐたので、「これは当時も流れてゐたのですか」と訊くと、「その通りです。黛敏郎の曲です」とのことであつた。いかにも前衛作曲家(ご本人は保守派の思想家でもあつたが)のやうな荘重な曲であつた。時代を感じるが、それが大阪万博の基調である。建物自体も重厚で、現代のやうな部品を組み立てるやうな軽い味はひとは異なつてゐる。写真で見る大阪万博は派手で明るいトーンであるが、実はさうでもなかつたやうに感じ...太陽の塔に入りに行く。

  • 隣に阪大が引越して来た!

    3月に大阪大学外国語学部が私の住んでゐるマンションの隣に引越して来ました。箕面市の公共施設も一緒に引越して来て、図書館が大変充実したものになつた。そちらは5月に開館したやうだが、先日初めて行つてみた。大学の図書館に入るの久しぶりだと思ふ(今思ひ出してみたら、6年ほど前に一橋大学の図書館を案内してもらつた時以来だ。リヴァイアサンの初版本を見せてもらつた!)ので、とても新鮮だつた。一般の閲覧者だから、閉架図書は見られないが、落ち着いた雰囲気がとても良かつた。これからは帰阪するたびに寄らうかとも思ふ。かういふ巡り合はせもあるんだな。このマンションに住み始めた15年ほど前には想像もしてゐなかつたから。隣に阪大が引越して来た!

  • 『日本の教育はダメじゃない』を読む

    日本の教育はダメじゃない――国際比較データで問いなおす(ちくま新書)小松光筑摩書房評論家の由紀草一先生が紹介してゐたので、読んでみた。今、どこで紹介していらしたのかフェイスブックやら、このブログやらを探してみたが、見つからない。ただ「これからの教育問題は、この本を読んでからにしてもらひたい」といふやうなことを書かれてゐたやうに思ふ。この本も夏休みに読む本として大阪に持つて来た。昨日の午後から読み始めて、先ほど読み終はつた。朝から読めば一日で読み終はる。内容は簡単ではない。目が覚めるやうな新しい観点があつて、そのたびに立ち止まつて熟考したくなる誘惑に負けなければ一気に読み通せる。それは著者二人の7、8年に及ぶ議論が十二分に説得力を持つたものへと発展したからであらうし、後書によれば編集者の力や草稿を読まれた苅谷剛彦...『日本の教育はダメじゃない』を読む

  • 8月15日の散歩

    しばらく雨が続いてゐるが、8月15日だけは晴れた。それで久しぶりに散歩に出かけた。と言つても電車を途中下車してからの散歩である。千里中央駅から2つ先に緑地公園駅がある。駿台予備校の大阪校があるところで、これまでにも何度となく研究会で出かけた。その日も予備校生らしき学生さんがお昼時だつたからかもしれないがうろうろしてゐた。お気に入りの洋食屋があるので、そこに寄つた。コロナ禍のせいもあるが、ランチの値段は2000円、それには驚いた。経営的に厳しいのであらう。ここのエビフライは美味しい。それからこれもお気に入りの古書店がある。なぜこんなところにと思ふが、マンションの一階二階をぶち抜いてゐて、もうこの書店のために造られたやうな建物である。もしからしたら、このマンションのオーナーがこの古書店なのかもしれない。前回来たのは...8月15日の散歩

  • 絲山秋子『御社のチャラ男』を読む。そして「きみはいい子」を思ふ。

    御社のチャラ男絲山秋子講談社タイトルが気になつて手に入れ、この夏休み鞄に入れて大阪に持つて来た。ある会社の部長を務める男が「チャラ男」と呼ばれてゐる。本人も自覚してゐるやうな自覚してゐないやうなである。仕事といふ仕事もしたこともなく、アメリカに自分探しの旅に出て、日本に戻つて来てからもぱつとしなかつたが、とある事件でその会社の社長の目に留まり、部長として招かれた。話は、その会社の社員がそのチャラ男にたいしてどう思ふかといふスタイルで一章づつ語るといふ展開である。もちろん、本人にも一章が当てられてゐる。初めはそれぞれの人間模様が独立して語られるが、しだいにある人からはさう見えてゐたが、さう見えてゐた人にはその人なりの理屈があつて、読んでゐるこちらはその会社の内情が分かるやうになる。それでゐて、一切引き込まれるとい...絲山秋子『御社のチャラ男』を読む。そして「きみはいい子」を思ふ。

  • 「きみはいい子」を観る、そして『国家の尊厳』を思ふ。

    きみはいい子高良健吾きみはいい子Blu-ray高良健吾ポニーキャニオン一度途中で挫折したけれど、そして今回も挫折しさうだつたけれど、なぜか最後まで観られた。新米の小学校教師がクラスで起きるさまざまな出来事に振り回される生活と、もう一つは夫が単身赴任のなかで小さな娘をどう愛してよいのか分からない葛藤を抱へる母親の生活とが描かれる。青年教師はとにかく子供の扱ひが下手である。映画であることが分かつてゐても、やはり感情移入して「共感性羞恥」を感じてしまふ。おしっこをもらしてしまふ生徒の保護者から「先生が授業中にトイレに行つてはいけないと言つたせいです」と言はれて、翌日「これからは授業中でもトイレに行つてもいいです」とクラスで話す。すると悪ガキたちが率先して授業中にトイレに行き出す。「どうしても行きたい人しか行かないだら...「きみはいい子」を観る、そして『国家の尊厳』を思ふ。

  • 先崎彰容『国家の尊厳』を読む

    国家の尊厳(新潮新書)先崎彰容新潮社このタイトルは、著者自身がつけたものなのだらうか。令和の日本の「国家」の在り方は、一人ひとりが人間の「尊厳」を取り戻すことにある、といふことをまとめると「国家の尊厳」になるといふことなのか。構への大きな評論で、40代の思想史家が書いた現代日本論である。基礎となる文献は、次の通り。・モイセス・ナイム『権力の終焉』・カール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』『政治的なものの概念』『政治神学』・フュステル・ド・クーランジュ『古代都市』・大田俊寛『グノーシス主義の思想――〈父〉というフィクション』・ジャン・スタロバンスキー『透明と障害――ルソーの世界』・マイケル・オークショット『増補版政治における合理主義』・山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』・ハンナ・アーレント『全体主義の起原...先崎彰容『国家の尊厳』を読む

  • 榎本博明『教育現場は困ってる』を読む

    教育現場は困ってる:薄っぺらな大人をつくる実学志向(平凡社新書)榎本博明平凡社平凡社新書が続くが、偶然である。じつは橳島氏の本を探してゐて偶然手にしたのがこの本で、やはり本は本屋で買ふのがいいと言ひたくなる。とは言へ、車で出かけないと本屋がない(歩けば小一時間かかつてしまふ)といふ状況にある私が住んでゐる地方では、ネットで本を買ふ状況は致し方ないことではある。だから、大阪に戻つて来て近所に本屋があるとかなり購買意欲が刺戟されてどんどん買つてしまふので、それはそれで困つたものだが。さて、本書の著者である榎本氏の本は初めて読むが、読んでゐて我が意を得たりといふ気持ちになることが多い。つまりは、今日の文科省の教育行政の間違ひだらけを指摘してくれてゐるのである。アクティブラーニングと言はれる対話型の授業では、深く思考す...榎本博明『教育現場は困ってる』を読む

  • 永井龍男の「青梅雨」

    青梅雨(新潮文庫)永井龍男新潮社先日読んだ小林秀雄と岡潔の対談『人間の建設』に、永井龍男の「青梅雨」が話題になつてゐた。そこで読んでみた。小林は、「この小説に感心した」と言つてゐた。「モウパッサンにもチエホフにもないもの」とまで言ふ。「心理描写もなければ、理屈も何も書いていない。しかし日本人にはわかるのです。」とまで話してゐる。それで改めて読んで見た。一家心中の話であるが、その夜の家族の会話である。新聞記事に出た実際の事件から想を得た永井のオリジナル作品であるが、死を覚悟すると言つた気配はどこにもない。しかし、経済的な苦境ゆゑの心中である。新聞記者への嫌味を書いてゐるところなど、社会批評的な味付けもあるが、小説家の関心は、たぶんそこにはない。心中といふものに覚悟なく身をゆだねてしまふといふ日本人の心性への親和性...永井龍男の「青梅雨」

  • 橳島次郎『先端医療と向き合う』を読む

    先端医療と向き合う:生老病死をめぐる問いかけ(945)(平凡社新書)次郎,〓島平凡社「ぬでしま」とお読みする。二か月ほど前だと思ふが、読売新聞が日曜日に連載してゐる「明日への考」で、この橳島氏のインタヴュー記事を読んだ。それがたいへんに面白く、簡単には結論を出さず考へつづけていくことの重要性を語つてゐた。それでこの方の本を是非とも読んでみたいと思つて見つけたのが本書である。この本もまつたく結論を出してゐない。「であらうか」「ではないだらうか」といふ疑問文が重ねられてゐるので、「先端医療」の最新知識をお手軽に得たいといふ動機の人には、不親切なものとして映るであらう。しかし、少なくとも将来医療に関はらうと思ふ人や、生殖医療にせよ安楽死にせよ身近な人がそれらに関はつた経験がある人には、とても大事な問題であると感じると...橳島次郎『先端医療と向き合う』を読む

  • 吉田修一『国宝』を読む

    国宝上青春篇吉田修一AudibleStudios国宝下花道篇吉田修一AudibleStudios四日ほどかけて読んだ。夏休みには長い本を読むといふことが義務でもなく、かと言つて快楽でもないがここしばらくの習慣になつてゐる。今年は『国宝』をと決めてゐた。本は選ぶまでが勝負で、昨年は私には珍しくアメリカの小説でドン・デローニの『ロスト・ワールド』だが、これはついに読み切れなかつた。今年は、吉田修一に長編だ。読み終はるのが惜しくなるほど引き付けられた。『悪人』『怒り』とは違ふ、吉田の別の世界を堪能した。極道の家に生まれながら、梨園に引き取られて、芸道の道を貫く。歌舞伎の世界はまつたく分からないけれども、吉田の描く舞台の景色は、そんな私にも絵が浮かんだ。「一つの道を極める」とは言葉にすれば簡単に言へてしまふことではある...吉田修一『国宝』を読む

  • 小林秀雄・岡潔『人間の建設』

    人間の建設(新潮文庫)岡潔新潮社岡潔がなぜか知らないけれども再評価されてゐる。私は数学はからつきしなので、多変数だとか解析などか函数論などいふのはまつたく分からないけれども(高校数学が得意だつたとして分かることではないとは思ふが)、岡潔の随筆を高校時代に読んでとても惹かれるものがあつた。最初に購入した全集はなんと『岡潔集』である。買つた本屋も覚えてゐる。『福田恆存全集』は同じく大学時代に配本が始まつたので、こちらが全巻揃ふ前に『岡潔集』を手にしてゐた。そんなことはともかく、岡潔の言ふことは今こそ読まれるべきである。しかし、それはいよいよそれが正しく評価される時代になつたからといふのではない。岡潔の主張と現代社会との間に絶望的な乖離があることを示してゐるからである。たぶん私の周囲の人間で、次の発言を真面目に受け取...小林秀雄・岡潔『人間の建設』

  • 山梨へ 納骨式

    今日は、父の49日の法要と納骨式で、富士吉田市の西念寺に出掛けた。5時間ぐらゐかかるかと思ひ6時には家を出たが、3時間半で到着。富士五湖道路と新東名が繋がつてゐたのが嬉しい誤算。だいぶ早く着いたので、散歩がてら通ちてゐた小学校に行つた。と言つても小学校一年生の一年だけだからそんなに深い思ひ出はない。しかも当時の建物は一つも残つてゐない。ただ記憶を頼つて歩いた通学路の、川、橋、道の曲がり具合には濃い懐かしさが込み上げて来た。グラウンドでは小学校低学年の子供たちが野球をやつてゐた。運動苦手な私は彼らの姿には重ならないが、冬のある寒い日、50年前の私がグラウンドで佇んでゐたその日の姿が思ひ出された。ここも私の故郷か。寺に戻つてしばし親族で談笑。悲しみはもうない。認知症になつた母もここにゐない。父の死をいちばん悲しむは...山梨へ納骨式

  • 『正論』2021年9月号に寄稿

    ㋇1日発売の『正論』9月号に寄稿した。タイトルは、「戦後最悪の国語改革ー読むことは情報処理にあらず」である。ある文部官僚は、一連の高大接続改革の惨状を「インパール作戦」と自称してゐたと聞いた。まつたく無責任極まりないが、まあさう言ふしかないほどの悲惨なのである。インパール作戦とは、兵站を無視した精神論優先の無謀な作戦で日本軍の死者は16万人に及んだといふ。指揮官の度し難い無知と裏腹の強い信念とがもたらした大東亜戦争の「罪」である。それと比すほどの「教育改革」の一連の結実がこの国語教科書の無惨である。詳細は、本稿に譲るが、文章読解が情報処理へと還元されることで、国語といふ名称の意味が蒸発してしまつた。国語は母語である。かつてシオランが、「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語である」...『正論』2021年9月号に寄稿

  • 時事評論石川 7月号(807号)

    今号の紹介です。1面に拙論。現在の様々な社会情勢を見て、それをコロナ脳=野党脳=他責脳の三位一体ととらへて批評したもの。その逆の科学的に、主体的に、自他共栄の道を探るといふ心性こそ、私たちが目指すものであるといふことを暗示した。感染者数だけでコロナ禍を考へる専門家といふ非科学者たち、与党の失点をことさらに論ふ無責任な野党政治家、何もかもお上のせいと考へて一向に成熟しない在日日本人。彼らはどうかしてゐる。その彼らは遠くにゐるのではなく、すぐ隣にゐる。テレビにも映されてゐるし、職場にもゐるし、ネット上にもたくさんゐる。かういふ事態はかなりまずい。そのうち中国の台湾侵攻でも始まつて挙句の果てには沖縄までが支配下になつてしまつても、それでもまだ対岸の火事と思つてゐさうである。「ゆでガエルの法則」の作用がもう始まつてゐる...時事評論石川7月号(807号)

  • 『雲をたがやす男』 栗本鋤雲を描いた戯曲

    雲をたがやす男(1977年)組織には、それを作り上げた男の営みと共に、それに始末をつけた男の営みもある。もちろん、前者は歴史に名を遺す。征夷大将軍を取り上げても、源頼朝、足利尊氏、そして徳川家康の名を挙げれば、それで十分だ。ところが、いづれの幕府も時代と共に古びて滅んできた。最後の将軍はゐたけれども、それが必ずしも「しんがり」を務めた訳ではあるまい。幸か不幸か徳川幕府の終幕は武士の時代の終焉とも重なり、そこには「しんがり」を務める人(人)が必要であつた。慶喜もさうであるし、勝海舟もさうである。天璋院篤姫もその一人であらう。そして勘定方の小栗上野介もさうであるし、慶喜の弟昭武の渡仏に同行した栗本鋤雲もまたさうである。小栗は日本に戻るが、大政奉還の知らせをパリで聞いたのは栗本である。幕府への援軍を打診するフランス政...『雲をたがやす男』栗本鋤雲を描いた戯曲

  • 改革といふ名のテロリズム

    文部科学省が推進してきた大学入試改革が、完全に頓挫した。共通テストは、英語外部検定の利用と、数学と国語の記述問題を断念することとなつた。さんざん振り回すだけ振り回して結果的には、さらにひどいものになつた。英語の四技能(聴く・読む・話す・書く)を目指すとしてゐたのが、二技能(聴く・読む)といふ従来型にとどまつたといふのではない。聴くが100点、読むが100点となり、従来の聴くが50点、読むが200点から、「読む」の比率を下げる結果となつた。大学生が必要とする英語力は本当に聴く力なのであらうか。読むことの方が大切であるといふのが私の実感である。国語には、実用性が求められるやうになつた。格調ある日本語の文章をじつくりと読ませるのではなく、誰が書いたか分からない架空の学校の校則やら、誰の記録したか分からない生徒のノート...改革といふ名のテロリズム

  • 読みたい本が山積み

    本が溜まつていく一方だ。意識と関心は自由だから、どこまでも広がつていくが、読む力と時間とは有限だから、読まない本が溜まつていく。帰宅して、本を読まうと思ふが、ほとんど広げることもなく、本をまたバッグに入れる。さうしてまた、職場でも読まれず、帰宅して眠気眼のなかに文字が泳ぐ日々。情けない。読みたい本が山積み

  • 父親の死

    書くか書くまいか迷つたが、私事の書き留めとして残しておかうと思ふ。先週の土曜日、六月十九日に父が92歳で亡くなつた。その週の初めにそろそろとケアマネジャーから知らせを受けてゐたので、重い空気を抱へながら一週間を送つてゐた。老人ホームでの看取りであり、コロナ禍もあつて出向いてもガラス越しに話すことしかできなかつた。大腿骨を骨折した昨年からは三カ月に一度経過観察のために通院の引率をしてゐたが、それが唯一共に過ごせる時間だつた。会ふ度に痩せていき、「飯がまずい」と嘆いてゐたが、それではと思ひ食べたいものを聞き、そのいくつかを準備したが、結局食べる量は少なかつた。携帯電話で「〇〇を送つてほしい」と言はれるので、早速買つて送ると、ケアマネジャーから丁重に送らないでほしいとの電話がある。「本人が食べたいと言つてゐるのですよ...父親の死

  • 時事評論石川 6月号(806号)

    今号の紹介です。3面の「ウイグル・ジェノサイド」の記事は一読してほしい記事だ。日本人の何気ない日常のスケッチから書き始めるが、そこにあつた感動と違和とが今日のこの問題への日本(人)の不徹底な対応への感想のもとにあることを示してくれる。それは何か。日本(人)の中国への配慮ゆゑの曖昧さにたいする憤りである。他人に優しいといふことは、他人の悪をも容認してしまふことになる。悪を言挙げすることへの遠慮は、結局は自己保身なのである。悪を行ふ者への非難を避ける心は、彼からの仕返しを恐れる気持ちの裏返しだ。そして結果的に覇権国家中国の勢力を助長することになる。そして我が国の立場を不安定にすることとなり、世界の不幸は拡大する。それでよいわけはない。1936年にトルキスタンの将軍ムヒデイ氏が来日した折「防共回廊」構築を図つたやうに...時事評論石川6月号(806号)

  • 時事評論石川 5月号(805号)

    今号の紹介です。1面は、中共の台湾侵攻があれば蔡英文総統は闘ふ意志があるといふもの。アメリカのジョン・アキリーノ太平洋艦隊司令官は、その時期を6年以内と見てゐるといふ。尖閣諸島は自国の領地であるといふ台湾に侵攻するなら、中共はまづ尖閣から攻めるのではないか、私はさう思ふ。3面は政治家大野伴睦の評伝の紹介。大野と言へば、新幹線を自分の選挙区である岐阜を通したいために、雪が降る関ヶ原を通すやうになつたといふことは書かれてゐるのかゐないのか。「義理を重んじた政治家」ではあらうが、「道理を引つ込めた政治家」でもあらう。そのことについても記事では書いて欲しかつた。留守先生はエリオットの『老政治家』の紹介。「自分をりつぱにみせようとする自分」との闘ひを描いた作品。大野の紹介ページにこれが載るといふのは皮肉が効いてゐる。どう...時事評論石川5月号(805号)

  • 散歩

    家に閉ぢこもつての読書もあまり得意ではない。本を読んでゐて思考が動き出すと、本を机の上に置いてしまふ。そして、思考が典拠を求めて本の頁を繰ることになる。この作業が結構億劫だが、自分の思ひ過ごしや独りよがりを点検するにはどうしても必要な作業だ。だから、私は本を読むのが遅い。そして三日目になり、今朝は散歩に出ることに決めた。明日は雨といふので、いまのうちに車を洗つて立体駐車場にしまつておかうと思ひ立ち、昼前に家を出た。一時間ほどでそれも済んだところで家内から電話があり、近くにゐるから昼食をいつものところでといふことになり、お気に入りの街中華に出向いた。ここの麻婆豆腐はまことに美味しい。花山椒といふのを初めて知つたのもこの麻婆豆腐である。大阪に帰る楽しみの一つである。今回も期待通りだつた。ただ、来るたびに値上がりして...散歩

  • 高等学校国語教科書の無惨

    国語教育混迷する改革(ちくま新書)紅野謙介筑摩書房平成30年に改訂された「高等学校学習指導要領」に基づいた国語の教科書が来年から使用される。まづは高校1年生を対象としたものからで、今高校には続々とその見本が届いてゐる。科目は、「現代の国語」と「言語文化」である。そして、来年の今頃には高校2年生3年生で使用する教科書「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」の見本が届けられる。ここには明らかに、現代文と古典といふ、時代区分を超えた分類を作りたいといふ思ひが示されてゐる。1年生の「言語文化」には小説や韻文が入り、2、3年生の「古典探究」には近現代の文語が入つてもよいとされてゐるからだ。文学と論理といふ二分法の「貧しい国語観」については、私も以前書いたし、多くの人が指摘してゐる。だから、ここでは触れない。しかし...高等学校国語教科書の無惨

  • 白洲正子『心に残る人々』を読む

    心に残る人々(講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)白洲正子講談社時事評論石川の最新号を読んでゐて、渋沢栄一のことが気になつてゐた。それで渋沢栄一のことを食後の団欒の時間に家内に話すと、話が膨らんだ。ヤクザが作つた武士社会(徳川)に「こんな社会はおかしいぜ」とイチャモンをつけたのが渋沢で、ところが別のヤクザ(薩長)が政権を取つたからそれに文句をつけようとしたら、そのヤクザからスカウトされて、結果的には政府になんかゐられるかといふことで、経済界に身を投じたのが渋沢だといふところに話が落ち着いた。二人の間で疑問になつたのが「西郷さんつてどういふ役割だつたんだらうね」といふことだつた。九州出身の家内も、そこに六年ゐた私も西郷びいきである。同じく薩摩つぽの大久保は能吏ではあるし、近代の礎を築いた者としての壮絶な生き方は同...白洲正子『心に残る人々』を読む

  • 時事評論石川 2021年4月号

    今号の紹介です。3面の渋沢栄一についての記事が面白かつた。明治の財界人と言へば、三菱の岩崎弥太郎が有名であるし、その後の日本の経済的発展を担つた財閥の創業者に比べれば、渋沢といふ存在の役割も意味もあまり明瞭ではなかつた。確かに、第一銀行創立など約500社の企業創立に関与したといふ偉業はまさに空前絶後と言つてよい。かつ『論語と算盤』といふ署名が象徴するやうに道徳と経済とを複眼的にとらへる人物が日本近代の勃興期に登場した意味は大きい。しかしながら、渋沢といふ名称を企業につけないことによつて、人々の意識からはその「偉業」が伝はらなくなつてしまつた。私もまたその一人であつて、これまであまり渋沢栄一といふ人物に関心がなかつた。それが大河ドラマで取り上げられることで、改めて脚光を浴びるといふのは慶賀すべきことである。今回の...時事評論石川2021年4月号

  • 小川榮太郎『國憂ヘテ已マズ』を読む。

    國憂ヘテ已マズ小川榮太郎青林堂小川氏は毀誉褒貶が激しい。それはつまり、物事をはつきり述べるからである。モーセが紅海を渡らうとすると海が二つに割れたといふ。その比喩で言へば、氏が言葉を発するとき世界が二つに切り裂かれるのである。それは大変大仰な比喩かもしれないが、このタイトルが示すやうに國を憂へて檄する姿は、モーセがイスラエルの民たちに十戒を伝へる姿に比してもあながち大仰とも言へまい。さらに「檄する」といふ言葉から連想すれば、三島由紀夫の畢生の檄文を思ひ出してもいいだらう。さう言へば、三島由紀夫は林房雄との対談でかう語つてゐた。「一般大衆に流行る本は書かない。それは、横に広がる量的なものである。かといって、質に逃げるのは、それは「文弱」であり、逃げである。そのとき、その横の広がりに対抗するものとして、「縦の量」が...小川榮太郎『國憂ヘテ已マズ』を読む。

  • 高島俊男氏の逝去を悼む

    本が好き、悪口言うのはもっと好き(ちくま文庫)俊男,高島筑摩書房お言葉ですが…(文春文庫)高島俊男文藝春秋シナ文学者でエッセイストの高島俊男氏が、今月5日に84歳で亡くなられた。「シナ」とは高島さんが使はれてゐた言葉で、あの大陸を表す地理的名称である。中国と書けば、中華民国か中華人民共和国しか表さない。隋も唐も宋も明も清も含めて、それらの国の文学を表現しようとした場合には「中国文学」と名付けることはできない。したがつて「シナ文学」である。「支那」が使へない(ワードでは変換ができなかったので「支配」と打つて「配」を消し、「那覇」と打つて「覇」を消した)やうなので、「シナ」と書いてゐる。このやうな話をとても読みやすい文章で綴つたのが『本が好き、悪口言うのはもっと好き』といふ最高のエッセイ集である。今調べたら出版され...高島俊男氏の逝去を悼む

  • 吉田好克先生の新著出来『続・言問ふ葦』

    続・言問ふ葦――「常識」を取り戻すために吉田好克高木書房「時事評論石川」の常連執筆者であり、今月まで宮崎大学の准教授をされてゐた吉田先生の新著が出た。前著の『言問ふ葦』に載せられなかつたものや、それ以後のものをまとめられたもので、その舌鋒は相変はらず鋭い。まづ取り上げられたのが、戦後の占領政策WGIP(戦争犯罪刷り込み政策)である。戦争の責任を一方的に日本人に着せ、その世界観を日本人に植え付けるあらゆる分野の計画である。もちろん、日本国憲法制定はその端緒であるから、吉田先生もその成立過程やそこに込められた誤つた認識について徹底的に批判する。そのことは文章だけでなく宮崎県内で30回以上講演をされたともいふ。素直な県民性だから、真実を聞けばなるほどと理解をしてくれる。まさに、教育が反日本人をつくり、教育がそれを正常...吉田好克先生の新著出来『続・言問ふ葦』

  • 時事評論石川 2021年3月号

    今号の紹介です。2面の小滝秀氏の中国分析が面白い。今、起きてゐること、そして今後起きること、1949年の中共誕生から70年間が的確に示されてゐる。特にウィグル民族へのジェノサイドには注意が必要だ。また毛沢東はそもそも地方独立論を掲げてゐたといふ指摘も初耳で、浅学非才を知らされた。3面の留守先生の名作紹介は、いつもながら読ませる。今回はエリオットの『寺院の殺人』。「生きながら死んでゐる」あるいは「うつろに生きてゐる」私たちには、キリスト教の神を信じる人々の「己が宿命を全うせんとする鞏固な決意を抱き」得ぬのかといふ留守先生の問ひは、異教の地である私たちへの深い問ひかけであるが、その問ひの声さへ届かないであらう。それほどに「うつろ」なのである。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000...時事評論石川2021年3月号

  • 「空母いぶき」を観る

    空母いぶき西島秀俊PRIMEVIDEOで無料で観られるやうになつたから、「空母いぶき」を観た。久しぶりの休日で、昼を外食し買物をしてきて、ゆつたりとした気分で夕方から見始めた。架空の共和国から我が邦の島が占拠されるところから話は始まる。偵察に行つた戦闘機は撃墜。2名の死者が出る。しかし、政府は動かない。防衛出動を出す事態とは認定しないのである。ただし、自衛隊は出動し、空母いぶきを中心とした自衛艦隊が島に急行する。そのうちに敵国からの攻撃が始まる。敵にも死者が出る。が、一気に敵を倒すことはしない。攻撃は、戦闘艦を轟沈させることよりも戦力を封じ込めるものに限られる。なぜか。「我が国は二度と戦争をしないことを誓つた」からだ。佐藤浩市演じる総理大臣は、極めて優柔不断でよく言へば内省的な振る舞ひであるが、その台詞だけは語...「空母いぶき」を観る

  • 『ヴィゴーツキー心理学』を読む

    ヴィゴーツキー心理学完全読本―「最近接発達の領域」と「内言」の概念を読み解く中村和夫新読書社一般にはヴィゴツキーと日本語では表記されるが、この著者中村和夫氏は「ヴィゴーツキー」と書く。ロシア語はまつたく分からない私にはどちらが原音に近いのかどうか分からないが、ヴィゴツキーが言ひやすい。学会名もこちらである。それはともかく、この本はブックレット形式で非常に薄い(全体で98頁)が、とても分かりやすい。ヴィゴツキーの全体像を明らかにすることはいい意味で断念されてをり、タイトルのように「心理学」のみに焦点を当ててゐる。中でも「内言」といふ独特の術語の説明を中心にしてゐる。これがとても分かりやすかつた。人間には言葉にして口から出る前に、心のうちに漠然としてゐて、「非文法的で、主語や説明後が省略された、ほとんど述語の連鎖で...『ヴィゴーツキー心理学』を読む

  • 時事評論石川 2021年3月号

    今号の紹介です。一面は、拙論である。今思へば、タイトルは「揚げ足取りの国民とご機嫌取りの政治家と」の方が良かつたか。テレビをつければ、コロナ禍の話ばかり。それも政府の批判ばかり。一向に医療の状況が改善しないのは、政府の無策より医療従事者の怠慢であると思ふ。特にあの医師会の連中である。感染症の2類相当を5類に変更せよと医師会が言はぬかぎり、政府が変更をすれば批判の放火は政府に集中する。もちろん、政策実行は政治の決断である。政治家にその覚悟がないことを悲しむが、さうであれば二次的な手段としては医師が決断すべきである。「医師会に所属する民間医が地域内の医療を分担するので、コロナ患者を受け入れる病院は名乗り出てください」と宣言し、それを行へばよい。そして、その時にはロビー活動を行つて感染症患者を受け入れる病院には厚く手...時事評論石川2021年3月号

  • 『医療につける薬』を読む

    医療につける薬:内田樹・鷲田清一に聞く(筑摩選書)岩田健太郎筑摩書房タイトルからすると、医療界に対する指弾のやうにも思へる。確かに、代表筆者の岩田健太郎氏は現役の医師である。神戸大学大学院医学研究科で感染学を専門とする医学研究者でもある。コロナ禍の中、ダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んだ医師と言つた方が分かりやすいかもしれない。しかし、氏が対談相手に選んだ鷲田清一、内田樹両氏は共に思弁家だから、医療に限つての話題ではない。ひろく人間学、世間学、日本社会論と広範にわたつてゐる。それがたいへんに面白かつた。休日一日この読書に当てたが、とても興奮した一日だつた。話が多岐にわたるので、まとめることはしない。箴言の連続といふことで、私が付箋を貼つた数は、ちやうど30。きらきらと思考を刺戟してくれた。かういふ読書は久しぶ...『医療につける薬』を読む

  • 逆説といふこと

    「逆説」の説明をした。一見間違つてゐるやうに見えるが、じつは真実を突いてゐる状態、またはその表現、と定義した。例へば、「急がば回れ」である。この言葉には起源があつて、元は歌である。連歌師の宗長の詠んだ「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」(諸説あり)であるといふ。武士が京都に行くときに、現在の草津市にあつた矢橋の渡し船を利用して琵琶湖を渡るよりも、現在の大津市にある瀬田唐橋を利用した方が着実であり、結果的には目的地に早く到着するといふことを意味したものであるさうだ。それはともかく、「では、同じやうなことわざを一つ挙げてみよ」と言ふと、生徒の手が止まつてしまふ。「紺野の白袴」だとか、「雨降つて地固まる」だとか、思ひ思ひのことわざを書いてみせるが、「?」がついてしまふ。こんなことは以前ならなかつたが、...逆説といふこと

  • 鈴木孝夫氏の逝去を悼む

    今朝の読売新聞で、言語学者の鈴木孝夫氏のご逝去を知つた。94歳といふから大往生であるが、喪失感はそれとは関係がない。英語教育について、全国民に4技能(読む書く話す聞く)を課すことの無意味を強く主張され、大事にすべきは日本語であることを熱弁される英語学者は貴重である。どうして、これほど英語教育に文部科学省は熱心であるのか。当の大臣は果たして英語が堪能であるのか私は寡聞にして知らないが、自分ができないことを全国民に課すといふことには、もう少し慎重であつて良い。もちろん、英語を勉強したいと言ふ人にやるなと言ふのもをかしいが、やりたいくないといふ人にやれといふのには、しつかりとした見識を開陳すべきであらう。これまた私は寡聞にして聞いたことがない。言はれのは、これからはグローバル社会だから、といふ極めて貧しい社会観でしか...鈴木孝夫氏の逝去を悼む

  • 山崎正和、最後の評論集『哲学漫想』

    哲学漫想(単行本)山崎正和中央公論新社何度もブログで触れてきたが、昨年8月19日に山崎正和が亡くなつた。『アステイオン』でその特集号が編まれ、この度最後の評論集が出版された。単行本未収録であつたものをまとめたものであり、私は「毎日新聞」は読まないでその書評が載つてゐたのは嬉しかつた。山崎の書評は要を得た内容でありすぎて、実際に紹介された本を読むとそれほどでもなく、失敗することが多い。それは山崎の評論のスタイルそのままで、ある対象が持つてゐる意味を少々牽強付会に自説の強化に用ゐてしまふところがある。「買ひかぶり」と言つてよいやうな印象がある。否定するよりは肯定することを、といふのが批評のあるべき姿だといふのが山崎の信念であらう。だから、自分にも強くそれを戒めて対象を褒めることにしてゐたやうだ。晩年に、産経新聞の「...山崎正和、最後の評論集『哲学漫想』

  • 福田恆存の『明智光秀』

    今日は、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回。主筋とは違ふ、架空の人物を当てて都合よく話を合はせていく場面には閉口するが、光秀と信長、そして秀吉といふ三者の関係の色合ひがしだいに濃くなつていくにしたがつて、日曜日の夜の楽しみになつてきてゐた。例年なら、十二月の初旬には最終回を迎へてゐるのに、今期はコロナ禍の影響で二月七日が最終回。終はりは本能寺の変と決まつてゐるので、ハラハラするわけではないけれども、主君を裏切る謀反人の台詞と動きとを味はつてみたい。ところで、福田恆存にも『明智光秀』といふ戯曲がある。妖婆によつて語られる未来の姿に引き摺られるやうにして、光秀は死出の道を歩き始める。何やらマクベスのやうでもあるが、じつに巧みに信長、秀吉、そして光秀の関係を描いてゐる。「自作解説」には、専ら八世松本幸四郎のため...福田恆存の『明智光秀』

  • 広告の二元論  石岡瑛子

    岩井克人氏の「広告の形而上学」を授業で扱つてゐる。短いものだが、とても面白い。経済学者だからマルクスを引いて「ライオンやウサギがゐる中に『動物』がゐるやうなもの」といふ比喩で貨幣の特徴を説明する。つまり具体的な側面と抽象的な側面を貨幣は持つてゐるといふのだ。つまり、貨幣はそれ自体「需要(欲求と考へばよい)の対象」であると同時に「価値の尺度」であるといふことだ。そして、広告とはその貨幣と同じであると述べる。つまり、広告はそれ自体商品でもあるし、商品の媒介でもあるといふのである。広告は商品であるといふことがまづ難しいらしい。昨日、たまたまテレビを見てゐたら、アートディレクターの石岡瑛子のことを取り上げてゐた。前田美波里を起用した資生堂のポスターと言へば、私たちの世代なら見たことはあるだらう。そのポスターには、「太陽...広告の二元論石岡瑛子

  • 野田宣雄氏の逝去を悼む

    いま新聞を読んでゐて野田宣雄氏のご逝去を知つた。一つ前の記事に書いた「私の読書遍歴」の中で大事な人を忘れてゐた。近代ドイツ史との比較で日本の政治や思想について語るのは西尾幹二氏と同じであるが、近代は西洋化であるといふ認識があつたやうに記憶するが、文章から受ける印象が西尾氏とはだいぶん違つてゐた。『諸君!』などに文章を寄せてゐた時にはリアルタイムで読んでゐたが、今世紀に入つてからはあまり文章をお見掛けしなくなつた。しかし、今も私の書棚には『歴史の危機』や『文明衝突時代の指導者』などが並んでゐる。何度も読んだのは『二十世紀をどう見るか』である。12月29日老衰で死去。享年87。ご冥福をお祈り申し上げる。二十世紀をどう見るか(文春新書)野田宣雄文藝春秋文明衝突時代の政治と宗教野田宣雄PHP研究所歴史の危機野田宣雄文藝...野田宣雄氏の逝去を悼む

  • 西尾幹二を久しぶりに読む。

    西部邁、山崎正和が亡くなり、保守派言論人の重鎮として健在なのは西尾幹二である。少し年齢が下なのは佐伯啓思だが、論争的な方ではないので文章は緻密なのかもしれないが、私はあまり魅力を感じない。論争的と言へば、江藤淳もだいぶん前に亡くなつた。その弟子のやうな存在である福田和也も今はあまり書いてゐない。更に思ひ出したが、そのお友達であつた坪内祐三も昨年だつたか亡くなつた。私の読書遍歴のなかで、多くを占めてゐた批評家たちが次々と鬼籍に入られていく。さびしい。そんな中、西尾の存在はやはり大きい。氏のウェブサイトの年始の挨拶は、アメリカ大統領選のことが書かれてゐた。選挙の疑惑は明確なのに、そのまま次期大統領が決まつてしまふことに危機を感じてゐるやうであつた。そこには、「米国は今や法治国家ではない」とまで書かれてゐる。ポストト...西尾幹二を久しぶりに読む。

  • 『日本独立』を観る

    日本独立今月4日に今年初めての映画鑑賞。近所にも映画館があるが、あまり観たいものが見つからない。歩いていける所に二か所ある映画館はいづれも109シネマズで同じ系列。スクリーンの数に違ひはあるもの、中身は似たり寄つたり。ならば、少し足を伸ばして梅田の劇場を探すと、この映画が見つかつた。この映画の存在はまつたく知らなかつた。主演(白洲次郎役)も浅野忠信。その妻(白洲正子)役は宮沢りえ。吉田茂は小林薫、と一流どころ。幣原喜重郎(石橋蓮司)内閣の閣僚である健保草案を作つた松本烝治国務相には柄本明まで当てられてゐる。それで、こんな扱ひとはどういふ訳なのだらうか。もちろん、答へは分かつてゐる。流行らないからである。今月4日だから、もう仕事初めの人はゐるだらう。でも電車の人は平日の午前にしては少なかつた。映画館も混んでゐると...『日本独立』を観る

  • 令和辛丑(2021)年 元旦

    謹賀新年大阪は寒気強くも快晴。新聞を買ひに朝一番にコンビニへ。誰もゐない店頭で今年最初の会話。「おいくらですか」。じつに平凡なスタートである。若水や拭ふ手のひら武者震ひ浪人生を数十人抱へ、二週間後には現役生と共に共通テストに臨む。一週間後には私自身の学校の入試。正月とはそんな季節なので緊張もある。でも、嫌ではない。節目といふものの持つ心地よさを年ごとに感じてゐる。皆様にとつて佳き一年になりますやうに。令和辛丑(2021)年元旦

  • 言葉の力が弱い

    今年一年を振り返つて昨日は個人的なことを書いたが、今日は大柄な視点で書いてみる。今年はなんと言つてもコロナ禍の一年であつた。欧米と比べればあまりの罹患者の少なさにも関はらず、その上を下への大騒ぎは極めて「日本的」で、それが印象に残る。あのアベノマスクはその象徴だらう。安倍総理だけがそれをしてゐた風景と記者会見でのあの不細工な姿とは、そのまま世界の中の日本の絵であり、日本人のありのままの鏡像である。その連想で言へば、志村けんや岡江久美子は大東亜戦争の末期に海に散つた特攻の戦士の姿と重なる。もちろん、彼らの意思によるものではないが、その命の散り方には凡百の平民である私たちにはない覚悟のやうなものを感じる。死して警告を発する姿なのである。かつて松原正先生が岸信介から聞いた話としてよく話されてゐたのが、「戦後の政治家は...言葉の力が弱い

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