読者の皆様へこの度、gooblogの閉鎖に伴ひ、ブログを引越すことに致しました。この際、止めてしまはうかとも思ひましたが、備忘録として、あるいは頭の体操として継続してもいいのではと思ひ、続けることと致しました。年々、更新の頻度が少なくなつてゐるやうに感じますが、フェードアウトの傾向は続くだらうと思ひます。時々は覗いてみてください。引越し先は、こちらになります。ブログのお引越し
言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。
日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。
2025年5月
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2025年5月
「ブログリーダー」を活用して、言葉の救はれ――時代と文學さんをフォローしませんか?
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明日は大阪での仕事のため、早めに帰阪して万博公園に出かけた。人が多く、入口に至るまでが渋滞。公園駅の改札を出て左側の下りのスロープからすでに行列。こんな経験は初めて。しかし不思議に苛立つ気持ちは起きない。太陽の塔を眺めながらの牛歩と、隣の家内と不在の間の取り止めのない大阪での話を聞く時間とは、春の休日の過ごし方として大満足。持参したおにぎりとおかずとお茶を桜を見ながら食す。桜越しの太陽の塔の左後ろ姿はその時のもの。音に引き寄せられて行つて見た大道藝にしばし見入つた。ちょつと怪しいが自称22歳の青年のジャグリング藝は素晴らしかつた。しつかりお金を求めてゐた。それが良いと思つた。藝には金を払ふ。当然のことだらう。大道藝を軽く見てゐた自分の考へ入試気づかされた。写真を撮り忘れた。最後に日本庭園に初めて行つた。こ...今年の桜は万博公園
私という運命について(角川文庫し32-4)白石一文角川グループパブリッシング久しぶりに白石の本を読む。やはりいいなと思つた。入試の対策に追はれて面白くもない文章をこれでもかといふほど読み続けて来たが、春休みにやうやく読む楽しみを経験できた。1人の女性が主人公。職業人として活躍する女性である。恋愛を重ねていく中で、この人と結婚することになるだらうとよかんしながら、さまざまな出来事が起きて破談になる。時々に出会ふ友人や知人との会話には、気の利いた雑学やら箴言があつて、これが好きか嫌ひかで、きつと白石文学の評価が分かれるのであらう。私はそれが好きである。気の利いた会話を日常的に出来るかと言へば、それはほとんどない。したがつて、こんな小説の会話はリアルではないのかもしれない。しかし、さうであるからこそ日常には倫理...白石一文『私という運命について』を読む
映画ポスターコンクラーベ(2)キャンバスポスター印刷壁アート油彩画モダンホーム装飾誕生日ギ...【材料】キャンバス家内の実家の整理のために宮崎に来てゐる。最後の日は市内のホテルに宿を取り、観たい映画があればそれを観る。さういふことにしてゐる。といふのは、宮崎駅周辺の再開発で食事も映画も楽しめる場所が出来たからでもある。都会の生活に慣れてしまふとかういふ環境にむしろ親しみを感じる。田舎暮らしは私には向いてゐない。さて、今回はレイトショーで「教皇選挙」を観た。楽しみにしてゐた。映像も音楽も演出も2時間弱の時間が短すぎると感じさせるほど一体となつて観てゐる者を惹きつける。カソリックの伝統は、儀式と衣装と建築に凝縮されてゐるやうに思はれた。言葉の意味はよく分からないが、そこに2000年といふ時間の堆積を感じる重み...「教皇選挙」を観る
今号の紹介です。と言つてもこれで休刊。おそらく最後の号となる。一面に久しぶりに留守晴夫先生が書かれてゐる。その師松原正の全集を刊行し続けてゐる留守先生が最新刊『自衛隊よ旨を張れ』について書いてゐる。自衛隊を論じながら、日本人が如何に物事を自分の頭で考へないかを松原は書いてゐた。切り口鮮やかに血潮が飛び散るやうな怜悧な展開は、読者を選んだ。絶望的な思ひを抱き続けながら最期まで書き続けられた松原の精神を受け継がれた留守先生は、師への思ひを全集刊行といふ形で今も示し続けてゐる。四巻目となる本書は、松原だけが書いた、いや松原だけが書けた現代日本の剔抉の書である。対談3本と講演1本も収録されてゐると言ふ。是非とも手に入れたいと思ふ。留守先生は、今回永井荷風の『断腸亭日乗』から次の文章を引いてゐた。「帝都荒廃の光景哀...時事評論石川2025年3月20日(第851)号
今朝の読売新聞の一面の記事「再考デジタル教育検証中間報告下」の冒頭の一節である。読んでがつかりした。かういふ母語理解でデジタル教科書の検討がなされてゐるのかといふことを改めて知らされたからである。「祖国とは国語」とはシオランの言葉だつたと思ふが、国語には「かたち」と「意味」と「音」とがあつて、それらは受け継ぐべきものである。歴史的な変化のなかで徐々に変はつていくならそれは自然であるが、「コンピューターは横書き」だから「国語の教科書も横書きで」は本末転倒である。機械に国語を合はせるのではなく、国語に機械を合はせよと主張するのが、教育を審議する組織の在り様である。さういふ見識も理解もない人たちが集まつて方針を出すといふところが、笑止である。記事の後半、東京大学の酒井邦嘉氏(言語脳科学)のコメントが救ひであつた...「国語の教科書も横書きではいけないのかな」
昨日と今日と、年末に録画してあつたNHKの番組を見た。「映像の世紀バタフライエフェクト」シリーズの2本、「吉田茂占領下のワンマン宰相」と「戦後日本の設計者3人の宰相」とである。後者の3人には安倍晋三は入つてゐない。吉田、岸、そして田中角栄である。安倍晋三は岸邸で遊ぶ子供として登場してゐた。吉田は白洲次郎と共に戦後の方向性を決定づけた。経済生活が何より大事であるといふことである。そして、岸はそれに異論をぶつける。真の独立には憲法改正が必要だと主張したのである。こんな戦後史の基礎を今更書くのは、番組を見て現在の宰相との違ひを感じたからだ。今の宰相にはさういふ「やりたいこと」を微塵も感じない。そのことの落差が国力の劣化そのもののやうに思へる。穏やかに沈んでいく。とんでもない時代であるのに、それを感じることなく溶...吉田茂、岸信介、そして安倍晋三
美か義か〔日本人の再興〕新保祐司藤原書店久しぶりに考へながら読む本に出合つた。とは言つても本屋で吟味して手にしたものではない。著者である新保先生からお送りいただいたものである。そして、今じつくりと読み進めてゐる。美か、義か―—その選択に悩みながら生きてゐるといふ人を日常のなかで見かけることはない。そのほとんどは、損か、得かで生きてゐる人ばかりである。もちろん、さういふ私自身もさうであつてはいけないと自戒しつつ生きてゐるともりであつても、その実はたから見れば、「お前だつてさうだらう」と言はれるやうな生き方になつてゐよう。この言葉は、内村鑑三の言葉であるやうだ。そして「その選択は人生重大の問題である」と続いてゐると言ふ。さすが『後世への最大遺物』として「高尚なる人生」を生きた鑑三の言葉の重みを受け止める器が今...新保祐司『美か義か日本人の再興』を読む
今号の紹介です。なんと言つても今月号と来月号で「休刊」といふことを記さずにはゐられない。一面左上に掲げられた「編集の方針」には、次のことが書かれてゐる。一、国家目標の実現と確立一、日本の歴史と文化の正しい継承一、21世紀を拓く人間教育への転換一、国際的視野からの正論報道一、地域共同体(コミュニティ)精神の再確認「国家目標」といふ言葉自体を取り上げる政治家も総合雑誌も今では見かけないが、思ひ返せば1980年代まで共産主義の脅威が現実的だつた頃には、さういふ言葉が輝きを以て語られてゐた。しかし、「日本の歴史」も「正しい」といふ言葉も、なほかつ「継承すべきもの」として使はれることも、「人間教育」も「正論報道」といふ言葉も白々しく感じられるほど、私たちの生活から失はれてしまつた。コミュニティといふ言葉だけが賑やか...時事評論石川2025年2月20日(第849・50)号
ゆきてかへらぬ:田中陽造自選シナリオ集田中陽造国書刊行会ゆきてかへらぬ映画パンフレット監督根岸吉太郎出演広瀬すず、木戸大聖、岡田将生、田中俊介、トー...A4サイズKINO中原中也長谷川泰子小林秀雄この三人の物語が映画化されては観ないわけにはいかない。決して評判になるやうな映画でないだらうことは分かつてゐるが、田舎にゐると上演館まで行くのに車で一時間はかかつてしまふとは思はなかつた。しかし、見終はつて、いい映画だつたと素直に思へた。景色は昭和の初期を描いてゐるのだが、着る物も家の中の様子もどうにも綺麗すぎるのはたまに傷だが、2025年の現代に何もかもかつての姿を再現する必要もないだらう。それを言ふなら、誰もが現代の美形の役者が演じること自体を否定しなければならなくなつてしまふ。詩をつかまうとして生き急ぐ中...「ゆきてかへらぬ」を観る
藝術とは何か改版(中公文庫ふ7-5)福田恆存中央公論新社今年の大学入試も大詰め。2月25日26日の国公立大学の前期試験はその頂点である。そこで毎年この時期は、大学入試の過去問の演習をする。先日、京都大学の2023年の国語の問題をやつた。著者は福田恆存で、題材は『藝術とはなにか』である。その問三。「そのくらいなら、見せられるより見せる側にまわったほうがよっぽどおもしろい」(傍線部(3))のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(三行)ネットから解答を拾ふ。演劇が演技を見せるものに留まり、精神の可能性を問いかける観客の主体性を発揮できないならば、演じる側の方がものまねの快感を味わえる分楽しみが大きいから。(75)演劇で日常生活のものまねを見て楽しみを感じる程度のことであれば、鑑賞に主体性を欠くので、観劇するよ...理想的な演劇はあるのか
月刊WiLL(ウィル)2025年02月号[雑誌]ワックワックこの手の雑誌を手にすることはほとんどない。『諸君!』があつたころは毎号欠かさず見てゐたが、現在では『文藝春秋』も見ない(だいぶ傾向が変はつてしまつた)。今は『正論』『中央公論』『VOICE』ぐらゐ。本屋で見て気になれば購入するといふ程度である。これまでにも何度も書いてきたが、読みたい著述家がほとんどゐないからである。それでもこれらの雑誌が継続してゐるといふことは、読者の私の方が時代とズレてゐるといふことであらう。さういふことも事実としてあるだらう。しかし、その一方で今の著述家言論人で30年後にも読まれる文章を書いてゐる人はどれぐらゐゐるのだらうかといふ疑問もぬぐい切れない。それほどに時評的後付け評論が多いといふのが率直なところである。30年とは言...福田恆存の肉声『WILL』2025年2月号
ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群北川達夫日経BPマーケティング(日本経済新聞出版今の職場に著者のお一人北川達夫先生が定期的にお越しになつてゐる。非認知能力を開発するインストラクターとしてである。生徒を相手にレクチャーをされたり、スタッフを対象にセミナーを実施されたりしてゐて、お話する機会がある。北川先生がZ会と組まれて、宇宙飛行士の訓練の一環として開発されたコンピテンシー育成の手法を学校現場でも取り組めるやうに作り直したもので、大変興味深い。未だこちらの理解途上にあるものなので、質問しようにも質問自体が茫洋としてゐて、勿体ない時間を過ごしてゐる。先生が来られてゐる期間中に何とか実のある対話をとの思ひがあつて、この正月に読んだのが本書。対談相手の平田オリザ氏は著名な劇作家。言葉と行動とをめぐる...『ていねいなのに伝わらない『話せばわかる』症候群』を読む
少し体調が安定して来たので、外の空気を吸ひに万博公園まで行つて来た。変はらないものを見て、こちらの変化を自覚する。そんな逆定点観測にもつてこいなのが私にとつては太陽の塔である。今年は昭和100年といふ。この太陽の塔が建てられた(立つた)のが昭和45年。三島由紀夫の年齢は昭和の年号と一致するから、市ヶ谷の駐屯地で憤死したのがその年である。そして昭和100年の今年、再び大阪で万博が開かれる。夢洲の喧騒を遠くに眺めながら千里の丘の上から太陽の塔は立ち続けてゐる。令和7年の太陽の塔
年末から年始にかけて風邪をひき、正常に戻つてはぶり返す、これを繰り返してゐる。初めて病床(少し大袈裟だが)で新年を迎へた。今朝は熱は下がつたが、いつまでも寝てゐられるほどの倦怠感。かういふこともあるのだなと少し遠くから自分の寝姿を見てゐる。さて、昨年一年を振り返つて、最大の出来事は里子を迎へたといふことである。と言つても、臨時や緊急避難的な「預かり」である。児童相談所から、本当に突然連絡が来る。年齢も性別も事情も詳しくは知らされずに、とにかく「どうですか」といふ電話がかかつて来る。今回は2件とも運良く私も家内も時間が取れるタイミングだつたので受けた。しかし、緊急避難の時には下着も着替へもない、体一つで来るから、こちらはてんてこ舞ひ。食事も何を食べさせたら良いのかも還暦を過ぎたこちらには手に余る。がなんとか...里子来て大慌てなり秋深し昨年を振り返る
僥倖は突然訪れた。『福田恆存全集』の詳細な年譜を作成された佐藤松男先生より、十一月に突然シンポジストとして福田恆存没後三十周年記念のシンポジアムに参加してほしいとの依頼があつた。私としてはこれ以上ない快事であつた。あまり良いことのなかつた今年の最後の最後にかういふ出来事が訪れたことを静かに喜んだ。いつもさう思ふが、出会ひといふのは、そのことが起きる直前まで分からないといふことである。当たり前のことではあるが、この「待つ」時間こそが生きるといふことなのだと改めて思つた。さて、当日私がお話したのは、以下のレジュメの通りである。どんな観衆なのかも分からないので、それぞれの世代ごとの「讀まれ方」について概説した。年の瀬に、もしご関心があればお目通しください。拙ブログをこの一年お讀みくださりありがたうございました。...福田恆存の讀まれ方ーーシンポジアムのレジュメ
悠々鬱々(1975年)(現代の視界〈1〉)ふと目についた丸谷才一の本『悠々鬱々』を手にして読んだ。その中の評論2つが印象に残つた。1日本文学のなかの世界文学2実生活とは何か、実感とはなにか載せられた媒体は異なるものの書かれた時期ほぼ同じ。前者が『展望』昭和41年1月号、後者が『群像』昭和41年2月号である。したがつて、主旨には通じるものがある。それは何か。日本近代文学が手本としたのは、19世紀ヨーロッパ文学であり、私小説・自然主義文学こそが「純文学」であるといふ観念を作り出してしまつた。しかし、そもそも19世紀ヨーロッパ文学とはそれ以前の文学への反抗の表象であり、ヨーロッパの文学において異質なものであつた。それを手本としてしまつた日本の近代文学が生まれながらにして持つてしまつた性格は、当然ながら文学を痩せ...丸谷才一の評論2つ日本近代文学の隘路
将来我が家のリフォームするときのために、以前から見ることを約してゐた家内の友人宅を見に出かけた。寒い午前中だつた。それが悪かつたのか、陽射しはあるが、風のなかを15分ほど歩いた。なかなかにきれいな仕上がりに感動したが、どうにも寒かつた。どうして暖房を入れないのだらうかと思ふほど寒かつた。今思へば、そのときに既に風邪をひきかけだつたのだらう。お昼に近くなつたので友人宅を離れてさらに20分ほど歩いてショッピングモールに行き、コーヒーを飲んだが、一向に体は温まらない。食事をしようにも食欲はない。これはまずいと内心思ひながらどうしようもない。暖房のきいたその食事街で休憩すれば少しはよくなるだらうと思つたが、どうにもならず一時間ほどゐて電車に乗つて家に帰ることにした。電車は始発駅だつたので暖房も聞かず、ドアはすべて...友宅のリフォームを見る冬の風
今号の紹介です。年の瀬である。仕事納めとなり、やうやく冬休みを迎へた。読みたい本を選別し、ゆつくり本を読んだり映画を観たりしようと思ふ。寒い季節は外に出るのも躊躇されるので、友人や知人に会はうといふ気も年々減退してゐるやうに感じる。これはまずいなとは思ふ。しかし、その一方でさういふ気持ちの変化は自然なことなのだから、その自然に逆らうのもよくないのではと思つてしまふ。3面の照屋先生の論考にはたいへん刺戟を受けた。「非近代的なもの」を近代化にとつて「除去されるべき障害物」と見ることは、明らかに「非」である。そのことを何となく感じて「バイデン=ハリス」を拒否したのがアメリカの国民であり、「バイデン=ハリス」的な、非近代的なものに価値を見出せない流れを追つてゐるのが、現代日本の社会の流行であると言ふ。その端的な例...時事評論石川2024年12月20日(第848)号
今号の紹介です。先日、台湾に留学するのをお手伝ひする仕事をしてゐる若き青年にお会ひした。昨年に引き続き二回目で、札幌からやつて来られた。一時間半ほど話したが、じつに清々しい気分になる。かういふ気分になれる人は、あまり日本人にはゐないなといふ気がした。北海道大学に留学生としてやつて来て、修士号を取つたあと、今度は日本人で台湾に留学したいと思ふ人を支援したいといふやうになつたらしい。私が高校生なら台湾に留学してみたいなと思つた。日本人の欧米志向は、今もまだ強い。アメリカ経済に陰りが見えてインドを含めたアジアの世紀はすぐそこに来てゐるといふことを頭では分かつてゐるのに、やはりアメリカに留学したがる。そこには今も魅力があるからなのだらうが、アメリカに全振りせずとも留学希望者の三分の一の人間ぐらゐはアジアに行つても...時事評論石川2024年6月20日(第842)号
夜空にひらくいとうみくアリス館ネットで児童文学を探してゐて見つけた本である。読み終はつて、いい本に出合つたと感じてゐる。母に捨てられた少年が主人公。複雑な生ひ立ちが災ひしたのか、心が張り詰めるとつい手が出てしまふ。職場で嫌がらせを受けたことで、その職場の先輩を殴つてしまふ。傷害罪で訴へられて家庭裁判所に送られた。そこでの審判は、試験観察といふ処分になつた。そんな少年を迎へたのが花火制作の工場(正確には煙火店といふらしい)であつた。その家の主人もまた、複雑な経験を持つた人である。長男を無免許でバイクを運転してゐた少年にひき逃げされてゐたのだ。家族でスーパーに買ひ物に来た時に、車から奥さんが長男を下ろして少し目を離してゐた瞬間のことであつた。罪ある少年に息子を殺されたのに、罪ある少年を迎へ入れる試験観察の引き...いとうみく『夜空にひらく』を読む
大人のための公民教科書日本復興の希望を繋ぐために小山常実高木書房今日も本の紹介である。高木書房刊の新著である。著者は、新しい歴史教科書をつくる会の理事をされてゐる小山常実氏である。現代日本には数々のウソ話があると言ふ。その中でも特に問題なのが、次の五つ。1日本は侵略戦争を行い、数々の国際法違反を行った戦争犯罪国家である。2「日本国憲法」は憲法として有効に成立した。3「新皇室典範」は皇室典範として有効に成立した。4日本政府が発行している大量の国債は借金だから日本は財政破綻する。5人間活動により地球温暖化問題が生じている。そして、本来「公民」の教科書は、それらのウソ話を排し、日本人のあるべき姿を示すものである。それが著者の訴へである。全くその通りである。にもかかはらず、それは多くの人々に共有されてゐない。日本...『大人のための公民教科書』を読む
日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争戦争と革命の世界から見た昭和百年史細谷清高木書房版元の高木書房の斎藤信二さんから送られた書籍である。著者は、国際近現代研究家の細谷清氏である。知つて見ると、社会工学者の故目良浩一氏と共に「歴史の真実を求める世界連合会」を設立された方であつた。現代の戦争は、弾薬と戦闘によるものであるよりも前に、歴史観によつて行はれてゐる。現今のウクライナ戦争も、きな臭い台湾へのシナの戦略も、朝鮮半島の南北の対立も、いづれも歴史観闘争が水面下では繰り広げられてゐる。その暗渠は、日米戦争にもつながつてゐる。著者は「なぜ、どの様に、戦争は起きたのだろう」といふことを調べていくうちに、さう確信を得るやうになつた。米国が傍受解読した電報はルーズベルトによつて内容の変更が許可され、スターリ...『日本が闘ったスターリン・ルーズベルトの革命戦争』を推す
村田沙耶香と言へば『コンビニ人間』(2016年芥川賞)であるが、1979年生まれのこの作家(つまり、現在45歳)にとつて、『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)が今のところの代表作と言へるかもしれない。この2022年に書かれた『信仰』も、全く真実味を感じられない。「原価いくら」が口癖の主人公が、現実志向でブランド物や飲食店の値段のつけ方に違和感を抱きながら、友人が始めたカルトに惹かれていくといふのが筋立て。理性的な性格の持ち主が、一週回つて反理性に行きつくといふのは、人間の逆説としては面白いが、そこには「本当さ」がない。言葉遣ひの誤りと言つてもよい。つまり、これは「信仰」の物語ではなく、「詐欺」の物語であり、どう控へ目に言つても「信じる心」を弄んでゐる者の物語ぐらゐであつて、「信じて仰ぐ」といふ...村田沙耶香『信仰』を読む
昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほ賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またしばらくはか...『正論』の記事読みました。
昨日、仕事上のお付き合ひのある方が来校された。或る大学の広報をご担当の方である。一渡りご説明が終はつたところで、いきなり「先生、『正論』の記事拝読しましたよ」と話を始められた。そして、その内容についてのご感想を語つてくださつた。この仕事をしてゐて、かういふ機会に出会ふことは滅多にない。『正論』の読者であつたことも嬉しかつたし、拙論についても丁寧にお読みいただき、なほその主旨に賛同してくださつたことも嬉しかつた。著者と作問者と受験生の三幅対で成り立つ受験国語であるのに、共通テストは著者と作問者が同一であり、解釈を唯一に限定する神の立つといふことは問題であるといふ拙論の主旨にいたく共鳴してくださつてゐたのである。最近は楽しいことが世の中にも私の環境にも乏しいなかにあつて、たいへんありがたい僥倖であつた。またし...『正論』の記事読みました。
本を守ろうとする猫の話夏川草介小学館夏川草介2冊目。肝心の『神様のカルテ』を読まずに、搦め手からの夏川接近であるかなとも思ふ。還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた。現代文の授業的に、この「還暦を過ぎた読書中級者には、あまり引き寄せられるところはなかつた」を説明してお茶を濁す。①主語は何か。私である。つまり前田。なので私に「」はつけない。②要素に分解する。A「還暦を過ぎた」B「読書中級者」C「あまり引き寄せられるところはなかつた」と三分割する。③それぞれを具体化する。Aこの主人公は高校生であるが、それとははるかに年齢の異なる年配の人である。Bこれまでにその職業を通じて読書生活を人並み以上には過ごしてきた人である。Cここは動詞なので、④「なぜ」を突つ込むところ。「私にはそれなりの読...夏川草介『本を守ろうとする猫の話』
今号の紹介です。久しぶりに原稿を寄せた。政治について思ふところを書けとの依頼に、まづは川勝静岡県知事について書くしかないと思つた。それは氏の理不尽さではなく、手の平返しの県民への怒りである。川勝氏の言説は、もう学者時代から変はらない。早稲田大学を辞めた理由から始まつて、氏は自分の気に入らぬことがあれば駄々をこねるといふのは常套手段である。習ひ性と言つてもよい。それなら、県民はあんな失言で辞めさせるのではなく、氏の政策について評価を下すべきで、その評価を下さずに辞任に追ひ込んだといふことは、知事にとつてはむしろ「してやつたり」である。「リニア反対」については一貫して支持をされたといふ認識を持つたままの辞任会見はどこか誇らしげであつた。県民は、いつたい川勝知事の何を評価し、何故に支へてゐたのか、それが全く分か...時事評論石川2024年5月20日(第841)号
始まりの木(小学館文庫)夏川草介小学館夏川草介といふ作家の名前は以前から知つてゐた。『神様のカルテ』といふ作品は映画にもなり、それが人気のある原作に基づいてゐるといふことも何となくは知つてゐた。しかし、その映画も原作も見たり読んだりしようとは思はなかつた。主人公を演じてゐるのが櫻井翔といふあまり好きではない俳優だからかもしれないし、医療ドラマといふだけであまり気が乗らなかつたからかもしれない。理由は特にはないが、気が向かなかつたといふことである。では、なぜ今回この夏川の小説を読んだのか。これが良くも悪くも日本人的私の生き方であるが、知人に紹介されたからである。年若き青年二人から、夏川草介を愛読してゐると言はれ、では読んでみるかと重い腰を上げた次第である。読了第一号が、この『始まりの木』である。ずゐぶん批評...夏川草介『始まりの木』を読む
今日、岡本かの子の小説「蔦の門」を読んだ。滋味深い掌編である。かの子の実体験であらうか。「書き物」をする「私」は蔦の絡まる門のある家に住むことが多かつたやうだ。その家には年老いた女中がゐた。その女中は性格上の問題もあつて二度も離婚をし、身寄りとも仲たがひをしてゐて孤独である。ある日、その蔦を通りかかつた少女たちが切つて遊んでゐた。それを咎める女中と少女たち。犯人と思しき少女もまけじのやり取り、自分と似た性情を感じたのかその少女に怒りと共に親しみも感じることになる。いつしか蔦を切る遊びに関心が失せ、近寄らなくなる少女に寂しさも感じ始める。その少女はお茶屋の娘で、お茶を買ひにその店に行く。その少女もまた父母に先立たれ、伯母夫婦の養女になるかも知れず、気兼ねしながら生活してゐる境遇であることを知る。孤独が孤独を...年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山西行法師
これは面白かつた。けれど、内容が難しくて了解出来たかと訊かれれば、それは無理でしたとしか答へられない。観て損はないとは言へるけれども、もう一度観たいとは言へない。さういふ映画だつた。広島と長崎とが最後の方で言及されるが、確かに不快ではあつたが、戦争とはさういふものであらう。敗戦国の語る戦争観が正しい訳ではない。良心の呵責に悩む主人公にも、従つて同情もしない。科学者とはさういふものとの自覚があればその呵責は引き受けるべきものだらう。それと同じぐらゐの栄光も受けたはずである。3時間は確かに長いが、十分惹きつけられる時間であつた。オッペンハイマークリストファー・ノーランの映画制作現場ジェイダ・ユエンボーンデジタル「オッペンハイマー」を観る
見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋見えないドアと鶴の空(文春文庫)白石一文文藝春秋小説には珍しく「あとがき」が添えられてゐる。読み終へて、それを読むと、この小説が本当のデビュー作であると知つた。てつきり『一瞬の光』がそれだと思つてゐたので驚いた。最新作と言つても良いほどの完成度だと私には思はれたからだ。ある文学賞の佳作に入選したものの本になることはなく、鳴かず飛ばずの十数年を過ごしてゐたらしい。作家とは大変な職業なんだとつくづく思はれた。「あとがき」にはその他の作品への編集者たちの酷評が書かれてゐたが、私には理解できなかつた。世の中にはそんな名作ばかりがあるのだらうか。それが私の率直な感想である。もちろんそんなに読んでゐる訳ではないが!編集者た...白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む
家族のいる風景(福武文庫や401)八木義徳ベネッセコーポレーション久しぶりに八木義徳の本を手にした。大阪の家の本の整理をしてゐてふと目に留まつたのがその理由である。しばし、手を止めて読み始めてしまつた(これだから本の整理には時間がかかる!)。『家族のいる風景』の中の掌編、「春の死」である。この題名から大方の人が予想するものとは、いささか内容が違ふだらう。六十七歳になる作家と二十歳ほど年若い妻との会話から始まる。妻が子宮筋腫になり手術をすることになる。一方、病気と言へばぎつくり腰程度しかしたことがない「私」である。しかし、作家といふ仕事において必ずしも屈強であることが利点となるわけではないといふ(このあたり私小説作家の考へが滲み出てゐる。丸谷才一がこれを聞いたら激情するだらう。だから日本の小説は貧しいのだ、...八木義徳「春の死」を読む
車で10分ほど行つた所にある私のお気に入りの場所。4月8日は釈迦の生誕日、花まつり。桜の咲きやうには時空を超えた姿がある。それは死を予感さへする。ここがあそこであること。あそこがここであること。それを桜が伝へてゐるやうだ。花咲きけり
八月の御所グラウンド(文春e-book)万城目学文藝春秋久しぶりに万城目学の小説を読んだ。直近(第170回)の直木賞を受賞した作品だからである。受賞作は、「八月の御所グラウンド」だが、単行本にはもう一作「十二月の都大路上下(かけ)ル」も収められてゐる。後者は、毎年行はれてゐる全国高校駅伝の大会に取材したもので、私も以前勤めてゐた学校がこの常連出場校で、宝ヶ池辺りで応援したことが何度もあるので、懐かしく読んだ。ネタバレになるので詳細は止めるが、その都大路を走る高校生の横で見えるヒトには見える歴史的人物が絡んだ話である。受賞作の方は、同じく京都の大学のライバル関係のある教授二人が学部長選を争つてゐる。その前哨戦として「野球の対抗戦に勝て」といふ厳命を受けた彼(多聞)がその戦ひに挑む。彼に借金をしてゐたためその...万城目学『八月の御所グランド』を読む
先日、春休みを使つて岡山に遊んできた。初めて訪れた岡山は晴天に恵まれ、楽しい旅となつた。一日目は、岡山城と後楽園とを歩く。外国人の多さに驚いた。地方都市もすでに世界的な観光地になつてゐたといふことだ。平日に訪れるのはむしろ外国人の方が多いのかもしれない。宇喜多秀家、小早川秀家、池田光政と城主は変はつたが、いづれも著名な武士たちである。西国に睨みを利かすそれなりの人物でなければ治められなかつたといふことだらう。戦国の山城から、平野に城を構えた先駆けであつたといふことも、時代の変化を鋭敏に捉へた証である。ただそれだけに目の前に流れる旭川の氾濫を受け、治水には苦労もしてゐたやうだ。現在の城は近代建築になつてゐるが、形状の異形もその現れであるやうに感じられた。池田家は、途中から養子を迎へて家を守つてきたことにも驚...岡山に遊ぶ
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
2024年度京都大学入試現代国語に出題された文章は、次の通り。大問1(文理共通)奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』大問2(文系)高村光太郎「永遠の感覚」(理系)石原純『永遠への理想』大問1と今年度の東京大学の文科類に出題された文章との共通点については前回述べた。それは偶然の一致であるので、「奇跡」と評したが、京都大学大問2の共通性については意図したものであるので、「奇跡」ではない。もちろん、同じ主題で全く異なる筆者の文章を探し当てるといふのは、たいへんな労苦であるし、素晴らしいと思ふ。しかも、その主題が「造形芸術における永遠性」といふものであつてみれば、それは見事といふほかはない。18歳(あるいはそれ以上)の青年に、このやうな主題をぶつけるといふことは、さすが京都大学と思はせた。...造形藝術の永遠性とは何かー2024年度京都大学入試現代国語の文章
東京大学の2024年度入試の第四問(文科のみ出題)の設問(一)は「『ガラスは薄くなっていくが、障壁がなくなる日は決して来ない』とはどういうことか、説明せよ」となつてゐる。そして、京都大学の2024年度入試の大問1(文理共通問題)の問5は「『核心は近づいたかと思えはまた遠ざかる』のように筆者が言うのはなぜか、『祈り』の歌詞に触れつつ説明せよ」となつてゐる。「祈り」とは吟遊詩人ブラート・オクジャワの詩(沼野充義訳)で、第一段落に記されてゐるもの。神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく……東大京大とも、翻訳にまつはる話題である。異文化理解だとか他者理解だとか、あるいは多様性の尊重といふこがいかに難しいかといふことを、それとは明示しないけれども、...2024年度入試東京大学と京都大学の奇跡的な一致