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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

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  • 時事評論石川 2024年10月20日(第846)号

    今号の紹介です。やうやく涼しい季節がやつてきた。一昨日、エアコンが壊れた。運よくといふのだらうか。苦しまずに残暑を送ることができた。四面コラムの「死刑制度」についての議論は、たいへん面白かつた。日本はもちろん死刑存置国である。それに対して世界の潮流は死刑廃止論だといふ人がゐる。果たしてさうだらうか。以前、テレビで竹田恒泰氏が語つてゐたが、フランスでは凶悪犯罪者で警察に対して発砲したり、人質を殺害しさうだったりしたときには、その場で射殺する権利があると言ふ。さういふ国で死刑制度がないといふのは分かる。しかし、それもなく、殺人者の人権だけを論ふ日本の死刑廃止論には私は与せない。「冤罪に苦しむのは死刑囚だけではない」から死刑制度は維持するといふのは理屈にもなつてゐないが、死刑制度の存置に異存はない。ご関心があり...時事評論石川2024年10月20日(第846)号

  • 平和について

    NHKの朝のドラマは、たいがい終戦記念日を取り上げる。あたかもそれを抜かしてはいけないといふコードがあるかのやうである。そして、そのトーンはいつも「二度と戦争は起こしてはいけない」といふものである。そのことについて異論はない。しかし、である。いつもそれは「戦争を起こしたことへの糾弾」と「戦争は平和の敵であるといふ確信」に貫かれてゐる。そこに私は「いい気なものだな」といふ残念な思ひを抱く。これが日本人の多くの人が抱く「平和観」だとすれば、疎外感すら感じるのである。第一に、朝ドラ的平和観が間違つてゐるのは、「私は戦争を起こすことはない」といふ自信の根拠の薄弱さである。第二に、「戦争は平和の敵である」といふ思考の根拠の貧弱さである。戦争といふものが起きてゐる理由を、今日のロシアやハマスの例で考へれば分かりやすい...平和について

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