chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • Estoy Loco por España(番外篇285)Obra, Jesus del Peso

    Obra,JesusdelPesoAlverlaobradeJesusenFaceBook,avecesesdifícildistinguirsisetratadeunaesculturaounapintura.¿Porqué?Quizáseaporquelas"formas"expresadassonencarnaciones,perotrasciendenlacorporeidad.Esunaabstracción,omejordicho,sehasublimadoenunconcepto.Es,poranalogía,unnúmeroprimo.Unnúmeroprimoesunnúmeroaisladoquesólopuededividirseporsímismoyporuno,peroelobj...EstoyLocoporEspaña(番外篇285)Obra,JesusdelPeso

  • マーティン・マクドナー監督「イニシェリン島の精霊」(★★★★★)

    マーティン・マクドナー監督「イニシェリン島の精霊」(★★★★★)(中州大洋スクリーン1、2023年01月30日)監督マーティン・マクドナー出演コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、バリー・コーガン、ケリー・コンドン打ちのめされる。希望しか存在しない絶望というものがある。一方、逆に、絶望が唯一の希望ということもある。この映画は、ふたつが交錯するのだが、私は、後者に強く揺さぶられた。希望しか存在しない絶望をコリン・ファレルが演じ、絶望しか存在しない希望をブレンダン・グリーソンを演じるのだが、映画のなかの年齢で言えば、ブレンダン・グリーソンに近いせいか、彼の絶望と希望(欲望といってもいい)に「チューニング・イン」してしまう。絶望のために、彼は、自分の指を切り落とすのだが、それしか希望を実現する方法がないから...マーティン・マクドナー監督「イニシェリン島の精霊」(★★★★★)

  • Estoy Loco por España(番外篇284)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPabloexposiciónenelmuseodelaDiputacióndeJaen.Andalucia(2020)¿Endóndeveselcuadro?¿Cuándolaves?¿Conquién?Esunapreguntamuyimportante.Silaluzyelairesondiferentes,laimpresióndelaimagencambiará.Tambiéndependedesilovessolooacompañado,ydeloquehabléis.EstaexposicióndeJesus,nolahevistoconmisporpiosojos,perosientoquehayalgodiferenteenlaatmósferadelosc...EstoyLocoporEspaña(番外篇284)Obra,JesusCoytoPablo

  • Estoy Loco por España(番外篇283)Obra, Belén Díaz Bustamante

    Obra,BelénDíazBustamanteEstaobradeBelénevocaunhexaedroregular.Lascolumnasdecadaladoconstituyenunhexaedroregular.Sinembargo,esunailusión.Lascolumnasnoestántodosalineados.Algunosdeellasseinterrumpenalamitad.Peroesto,asuvez,estimulamiimaginación.Lascolumnasquehayresaltanelhexaedroregular,quenoestá.Sifueraunhexaedroregularsindesconexiones,sinespaciosenblanco,...EstoyLocoporEspaña(番外篇283)Obra,BelénDíazBustamante

  • 三木清「人生論ノート」から「偽善について」

    「偽善」ということばは、どの国のことばでもありそうである。しかし、ことばがあるからといって、その意味がぴったりとあうとは限らない。きょうイタリアの18歳と読んだ「偽善について」は、そのことを考えさせられた。事前に書いた「偽善について」の作文で、そのことに気づいたので、ゆっくり読み始めた。書き出しの文章は、特にむずかしい問題を含んでいる。「人間は生れつき嘘吐きである」、とラ・ブリュエールはいった。「真理は単純であり、そして人間はけばけばしいことを、飾り立てることをを好む。真理は人間に属しない、それはいはば出来上って、そのあらゆる完全性において、天から来る。そして人間は自分自身の作品、作り事とお伽噺のほか愛しない。」三木清が訳した文章だと思うが、二回目に出てくる「そして」が複雑である。最初に出てくる「そして」...三木清「人生論ノート」から「偽善について」

  • 池田清子「時代はあった」、永田アオ「朝食」、木谷明「~眠れるソファ~」、徳永孝「あなたに届けられるなら」、青柳俊哉「細れ粒」

    池田清子「時代はあった」、永田アオ「朝食」、木谷明「~眠れるソファ~」、徳永孝「あなたに届けられるなら」、青柳俊哉「細れ粒」(朝日カルチャーセンター、2022年01月16日)受講生の作品。時代はあった池田清子地方のまち中に育った友達と山に分け入ったり兄妹で磯遊びをした思い出はないでも時代は、あったすきま風を知っている火吹き竹で火を吹いた近所の大人達がもちをついた火鉢の中でもちを焼いた裏庭ではチャボにみみずおちょうずの水はひしゃくか指先でチョンあんよポイ抱きしめたくなる、過去*「時代」「過去」ということばが観念的ではないか、という指摘があった。「観念的」という意味では「地方」「まち」も観念といえるだろう。「思い出」も観念かもしれないが、それは,いったん脇においておく。たしかに「時代」は観念なのだが、その観念...池田清子「時代はあった」、永田アオ「朝食」、木谷明「~眠れるソファ~」、徳永孝「あなたに届けられるなら」、青柳俊哉「細れ粒」

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(5)

    「テルモピュレ」。戦争での「正義」がテーマ。「連中は正義でひたむき」ということばが前半に出てくるが、後半に次の一行がある。けっきょくエフィアルテスのたぐいが出てきて、「たぐい」ということばが、とてもおもしろい。「そんなヤツとは同類ではない」という侮蔑、怒りのようなものが噴出している。もし彼が裏切り者ではないときは、「たぐい」ということばは不要だ。「正義」には「たぐい」というものはない。それは、「ひとつ」なのだ。それが「ひたむき」という意味でもある。だから「ひたむき」が「たぐい」の伏線にもなっている(予感させる)のだが、この呼応のなかには戦士との「一体感」がある。中井(カヴァフィス)は、歴史家ではなく、この詩のなかでひとりの戦士になっている。中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(5)

  • 中井久夫『アリアドネからの糸』

    中井久夫『アリアドネからの糸』(みすず書房、1997年08月08日発行)中井久夫『アリアドネからの糸』のなかに「ロールシャッハ・カードの美学と流れ」というエッセイがある。これは、とてもこわい文章である。最初に出会ったとき、こわくなって、最後まで読むことができなかった。中井がつかっていることばを借りていえば「悪夢」のような文章である。「悪夢」は、こうつかわれている。もし、ロールシャッハ・カードが別々の十枚ではなく、ブラウン管の画面にまず第一カードが映り、この第一カードが変形して第二カードになり、第二カードが変形して第三カードになり、以下同様に第十カードまでつづくならば、これは想像するだに怖ろしい。これこそ端的な悪夢である。われわれはなすすべもなく、ただおののいて眺めるか、あるいは逃げ出すしかない。(354、...中井久夫『アリアドネからの糸』

  • Estoy Loco por España(番外篇282)Obra, Antonio Pons

    Obra,AntonioPons“Laimmortalitatdelamemòria”LaobradeAntonioPonspararecordarlaliberacióndelcampodeconcentracióndeAuschwitz.Sepublicóel27deenero,décimoaniversariodelDíaInternacionalenRecuerdodelasVíctimasdelHolocausto.¿Eltramorectosigunificalosbarrotesqueencerrabanalosjudíos?¿Elsemicírculoesunaesposasoungrillete?¿Esunsímbolodetragedia?No.Eslafiguradeunjudíoq...EstoyLocoporEspaña(番外篇282)Obra,AntonioPons

  • 禿げ頭のピカソが

    禿げ頭のピカソが谷内修三禿げ頭のピカソが砂浜で絵を描いている半袖半ズボンから太った腹と同じ筋肉でできた太い輝きがはみ出る太い腕、太い腕で太い棒をつかむそれは太いペニスになって世界を獲得する強靱な円がかさなりぎょろりとした目が精液のように飛び出す太陽よりもまっすぐに突き刺さる頭には牛の角が生え禿げ頭なのに毛むくじゃらだ荒荒しくえぐられる砂の奥のきのうの温んだ水透明に乾いて駆け抜けるあしたの光砂はいつまでおぼえているだろうかどんな色よりも強い線になったその日永遠を拒絶するピカソを禿げ頭のピカソが

  • Estoy Loco por España(番外篇282)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens(unpoemainspiradoporlaobradeJoaquín.)Elhombrequepidiópasarlanocheporquesehabíaperdidomientrasleíaunlibro,secovertióenunaesculturaabstractaporlamañana.Lalámparaseguíaencendidaylaluzdelamañanainundabaelexterior,perosólounaesquinaseguíasiendodenoche.Ellibroestabacerradoysobrelamesa.Alsentarmeenlasilla,oílasvocesdeayer.Lavozeratanpequeñaque...EstoyLocoporEspaña(番外篇282)Obra,JoaquínLlorens

  • なんどう照子『白と黒』

    白と黒なんどう照子土曜美術社出版販売なんどう照子『白と黒』(土曜美術社出版販売、2022年06月05日発行)なんどう照子『白と黒』の「くじらの森」。足下ばかり見ている人生だった疲れすぎて夕方の空を久しぶりに見上げるとそこには風にちぎれる雲と一緒に空を泳ぐくじらが遊んでいた遠い山並みの向こうにはきっとあるのだろうくじらが帰っていく森がなぜ「くじら」なのか。わからない。しかし、それがいい。なんどうには「くじら」である必要があったのだ。「空をゆくイワナ」には、鳥に狙われて食べられ、空をゆくイワナが描かれる。なぜ「イワナ」なのか。それは、やはりわからない。だから、そこには「真実」がある。鳥とともに空になったわたしは安堵のうちにさよならを言った死者たちはいつもイワナだ空を飛んでいったイワナだこの詩では「イワナ」とと...なんどう照子『白と黒』

  • Estoy Loco por España(番外篇281)Obra, Belén Díaz Bustamante

    Obra,BelénDíazBustamanteEncuantovilaobradeBelénmequedédesconcertado.Hayunaextrañaperfección.Esconmovedor.Estáenmovimiento,buscandolaformamáshemosa.Peroestancompletaquesólosevebellezadesdetodoslosángulos.EssimilaracómoNastassjaKinskiesbelladesdetodoslosángulos.Mequedéaúnmásperplejocuandovilaobracolocadaalairelibre.¿Eslamismaobraquelaprimerafoto?¿Essólounac...EstoyLocoporEspaña(番外篇281)Obra,BelénDíazBustamante

  • 中井久夫訳・リッツオス「ペネロペの絶望」

    アリアドネからの糸中井久夫みすず書房中井久夫訳・リッツオス「ペネロペの絶望」(『アリアドネからの糸』みすず書房、1997年08月08日発行)リッツオス「ペネロペの絶望」を読むと、カヴァフィスとリッツォスの違いがよくわかる。彼の乞食の仮装が暖炉の弱い光で分からなかったわけではなかった。そうではなかった。はっきり証拠が見えた。膝頭の傷跡。筋肉質の身体。素早い目配り。ぞっとして壁に倚りかかり言い訳を考えた。自分の考えを漏らさないために答えを避ける暇がほしかった。あの男のために虚しく二十年を待ち、夢を見ていたのか?あのいとわしい異邦人、血塗れの髭の白い男のためだったのか?無言で椅子に倒れ、己の憧憬の骸を見る思いで床の求婚者たちの骸をとくと眺めてから「おかえりなさいまし」と言った。自分の声が遠くから聞こえ、ひとの声...中井久夫訳・リッツオス「ペネロペの絶望」

  • 朽葉充『聖域』

    聖域サンクチュアリ朽葉充澪標朽葉充『聖域』(澪標、2023年01月10日発行)朽葉充にとって『聖域』とは、ジャズと本とアルコールである。煙草、コーヒーも含まれるかもしれないが、何と言うか、これはある年代の「定型」である、と私は感じてしまう。その「定型」から、どれだけ逸脱して、ジャズ、本、アルコールそのものになれるか。反動のようにして、労働と大衆酒場(?=居酒屋の前進?)も書かれているのだが、それはそれで「定型」になってしまう。それがもっとも簡潔な形で「結晶」しているのが、「漂流」。JAZZは野良犬のように淋しい男のための音楽ビクター・レコードのロゴ・マークのように飼い馴らされた従順な犬ではなくゴミ箱をあさる犬でもなく一匹のやせこけた狼の末裔よお前俺よ!吠えることも忘れ牙をむくこともなくただ夜の街を今日も漂...朽葉充『聖域』

  • 永井亘『空間における殺人の再現』

    永井亘『空間における殺人の再現』(現代短歌社、2022年12月25日発行)永井亘『空間における殺人の再現』は歌集。巻頭の歌。ひそやかなざわめきが到着したらやさしい宇宙から降りてきたちょっと困った。何が「宇宙から降りてきた」のかわからない。「ひそやかなざわめき」か、あるいは「ひそやか」か「ざわめきか」。それとも「やさしい」か。もしかしたら「到着する」という動詞かもしれない。しかも、というか、そして、というか……。このわからなさが、どうもおもしろい。中途半端な感じが、とても新鮮だ。メリーゴーランドは破綻した馬を雇い不自然だがどこか微笑ましい(牧場が?)破綻して、遊園地に再雇用された馬?理想の場所じゃない。だから不自然?でも、生きているから、それでいい?どう読んでもいいんだろうなあ、と思う。そう思いながら読むの...永井亘『空間における殺人の再現』

  • 三木清「人生論ノート」から「仮説について」

    三木清「人生論ノート」の「仮説について」。仮説とは何か。「本当かどうかわからない説」というのが18歳のイタリア人の「定義」だった。ここから、「仮説」の反対のことばは何かを考える。どういうときに「仮説」ということばをつかうか。コペルニクスは、地動説を唱えた。最初は「仮説」(コペルニクスは、信じていたが)。それが「事実(真理)」になるまでに、どういうことがあったか。「論理」が正しいと「証明」できたとき、「仮説」が「事実/真理」になる、というようなことを雑談で話し合った後、本文のなかに出てくる「証明」ということばに注目するようにして読み進める。三木清の書いている「仮説」は科学的な「仮説」ではなく、「思想(まだ認められていない行動指針)」を「仮説」と呼ぶことで論を展開したもの。つまり、三木清は「仮説」とはどういう...三木清「人生論ノート」から「仮説について」

  • 郡宏暢「スタンプ」

    郡宏暢「スタンプ」(「アンエディテッド」、2022年12月31日発行)郡宏暢「スタン」プの一連目。郵便受けに落ちた手紙のあて所に尋ねあたりません、の青いスタンプになんでも見通せてしまう世界をすり抜けて人の消息だけが消えてしまうそんな濡れた髪が乾くまでの時間のような懐かしさを抱きかかえてわたしの差し出した手紙はわたしの手のひらへと湿り気を帯びた主語をたずさえて舞い戻る手紙がもどってきた。そこから、いろいろなことを考えていく詩なのだが、私は途中にぽつんと出てくる「そんな」という一行につまずいた。「そんな/濡れた髪が/乾くまでの時間のような懐かしさを抱きかかえて」というたとばの「配分」につまずいたというべきか。つまずきの最初が「そんな」という一行だったのだ。「濡れた髪が/乾くまでの時間のような懐かしさ」は比喩だ...郡宏暢「スタンプ」

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(4)

    中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(4)「窓」。幽閉されている。投獄されているのかもしれない。窓がないかと探し回る。一つ開いていたらすごい救いだ。「すごい」ということばをこういう具合につかいはじめたのはいつのころからだろう。私はいまでもどうにもなじめないのだが、中井は「すごく」ではなく「すごい」とつかっている。そこに「文法の破れ」というか、「口語」の卑近さを感じるのは私だけかどうかはわからないが、この「すごい」によって、投獄されている人が「生々しく」見えてくる。気取った人間、私とは別世界の人間という感じではなくなる。この詩の真骨頂は、このあとの意識の変化のスピードにある。今回の連載では、詩から引用するのは一行だけと決めているので、その急展開のおもしろさを紹介できないのだが、その「急」を予感させる(想像させ...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(4)

  • Estoy Loco por España(番外篇280)Obra, Luciano González Diaz

    Obra,LucianoGonzálezDiazLoquellamamiatencióndeestaobraeslaexageracióndelbrazoizquierdo.Losbrazoshumanosnosontangruesos.Sinembargo,almantenerelequilibrioenuntrapecioconelbrazoalrededordeestaforma,elbrazopuedesufrirtension.Laconcienciaestáenelhombroizquierdo.Porotrolado,nohayconcienciadelaspiernas.Así,lapiernaizquierdaesabsorbidaporladerechacomosinoexistier...EstoyLocoporEspaña(番外篇280)Obra,LucianoGonzálezDiaz

  • Estoy Loco por España(番外篇280)Obra, Picasso y.....

    Obra,Picassoy.....ピカソとその時代(ベルリン国立ベルクグリューン美術館展)を見た。私がいちばん気に入ったのが、「鶴」。ブロンズなのだが、もとはスコップやフォーク、ガス栓(?)などである。自転車のサドルとハンドルを組み合わせた牛の頭と同じように、そのあたりにあったものをパッと組み立てている。もちろんパッとというのは「比喩」。ほんとうは素早くではないかもしれない。しかし、ピカソのすべての作品がそうであるように、思いついたらその場ですぐに、という印象がある。スコップを見た瞬間に鶴の羽を思い出したのだろう。それをそのまま形にしていく。ここにはなんといっても造る喜びがあふれている。「踊るシノレス」と比較すると、そのスピード感が違う。「男と女」(手前は、ジャコメッティー)は、やはりスピード感があるが...EstoyLocoporEspaña(番外篇280)Obra,Picassoy.....

  • 「現代詩手帖」12月号(43)

    「現代詩手帖」12月号(43)(思潮社、2022年12月1日発行)三角みづ紀「幼いまま枝を広げて」。どうして星は光るのかどうして雨は降るのかどうしてお菓子のはいった缶は食べたら空っぽになるのかどうしてと問いつづけた小さい自分を忘れないままことばを丁寧に受けとめ、いとおしく触れて、疑いの眼で対峙しているわたしの日々この三連目は「ことばを丁寧に受けとめ」る、「(ことばに)いとおしく触れ」る、「(ことばと)疑いの眼で対峙している」と、「ことば」を補うと、互換性のない動詞に一貫性があらわれる。さらに、「(どうして)ことばを丁寧に受けとめ」る、「(どうして/ことばに)いとおしく触れ」る、「(どうして/ことばと)疑いの眼で対峙している」という具合に展開してみると、「わたしの日々」は「小さい自分(幼い自分)」のままなの...「現代詩手帖」12月号(43)

  • Estoy Loco por España(番外篇279)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensPuedequelaesculturanoconsistaenmirarelcolor.Sinembargo,alcontemplarestastresobrasdeJoaquín,medacuentadequeelcolortambiénesunaobradearte.Elazulcobaltounelastrespiezas.Sonobrasdistintas,peroestánconectadas.Meparecentresexpresionesdiferentesdeunamismaobra.Loquetodastienenencomún,ademásdelcolor,esqueestánformadasporsuperficiescurvas.Yestass...EstoyLocoporEspaña(番外篇279)Obra,JoaquínLlorens

  • 「現代詩手帖」12月号(42)

    「現代詩手帖」12月号(42)(思潮社、2022年12月1日発行)藤原安紀子「拙速どうぶ」。ムコウからあるいて眼うらからわたしもむかいトクトクとまたたくこの温かいはじぶんの地から手となり降られたえいえんにあるいてあるいてわかったようでわからない。「わかったようで」というのは「ムコウからあるいて/眼うらからわたしもむかい」を、私は、向こうから誰かが歩いてくる、それに対して私はその相手の方へ歩いていくと想像するからだ。そのとき、私の肉体のなかの変化。それを「眼のうら」から動く、肉体の内部から動くと想像できるからだ。「わかる」は「想像できる」。そして、「想像する」とは自分の肉体を他人の肉体に重ねること。単に足を動かして歩くのではなく、「歩く」はもっと肉体内部の運動、対象を見つめる「眼」の奥、瞼をつぶっても見える...「現代詩手帖」12月号(42)

  • 「現代詩手帖」12月号(41)

    「現代詩手帖」12月号(41)(思潮社、2022年12月1日発行)夏野雨「トーキョーウォータータクシー」。「言葉は水の脈みたいに、繋がっている。誰かと。」異母兄弟の兄と、父の遺骨を海に撒くために乗った「トーキョーウォータータクシー」で、兄がそんなことを言う。このことばが書きたかったのだろうと思うが、最初の方に出てくることばが、ここに書かれていることばとつながらない。岸壁沿いのマンションがささやかな生活の光を跳ね返す。ベランダでまどろむ洗濯物や植物たち。なぜ、つながらないか。「岸壁沿いの……」は、どこにも「事実」がないからだ。見かけは本当だが、それは「常套句」という嘘。まるで村上春樹の小説のように、私は読んでしまう。「岸壁沿いの……」で読む気力がなくなるのだが、読む気力がなくても最後まであっと言う間に読んで...「現代詩手帖」12月号(41)

  • Estoy Loco por España(番外篇278)Obra, Laura Iniesta

    Obra,LauraIniesta"Laparaulaarbre"200x200cm,técnicamixtasobretela,FUNDACIONVILACASAS,ColecciónprivadadeAntoniVilaCasas.LaobradeLaura.¿Cómolapintóella?¿Ocómola"escribió"?Sutrabajosiempremerecuerdaala書(caligrafía).Lasgruesaslíneasnegrassonimpresionantes.Encaligrafía(書)elpincelsemuevedearribaabajo,deizquierdaaderecha.¿Yenestaobra?Meparecequeescribió(opintó)de...EstoyLocoporEspaña(番外篇278)Obra,LauraIniesta

  • 「現代詩手帖」12月号(40)

    「現代詩手帖」12月号(40)(思潮社、2022年12月1日発行)高橋順子「哀悼・大泉史世」。いま大泉さんの声で「死ぬのっていいわよお」と聞こえてくる困っている大泉は充実した人生を生きた人だったんだなあ、と感じさせることばである。そう思わせるのは、なかなか大変なことだと感じる。「困っている」はうれしい、だろう。高橋は、こういうことを「自然」に書くことができる。高橋睦郎「老老行」。ひとは、どういうときに「老いた」と感じるのか。そして、どう生きようとするのか。(高橋は正字体で書いているが、新字体で引用する。)前立腺肥大予防に老いびとも自慰励めとぞ雨戸閉てきりやっぱり病気が気になる。病気は死につながるから、死が気になると言い直せるかもしれない。逆に、それは生への執着、どうやって生き続けるかということが気になるで...「現代詩手帖」12月号(40)

  • 「現代詩手帖」12月号(39)

    「現代詩手帖」12月号(39)(思潮社、2022年12月1日発行)齋藤恵美子「白点」。無数の、白点が埋めてあるひと、に似ているが、光、かもしれない--世界の剥製に触れているのか「無数の、白点が埋めてある」は断定。しかし、そのあとにつづくことばは、と書いて、私は迷う。推定、疑問であり、仮定である、といったんは書いてみるが、認識であると書き直そうとして、さらに悩む。「無数の、白点が埋めてある」は認識ではないのか。断定しているが、それは「事実」なのか。齋藤の間違い、「誤認」かもしれない。つまり。「ことば」しかないのである。ここにも、白点が施され打たれた水滴の、一つ一つが魂のように見えてしまう私は「魂」を見たことがないので、「魂のように見えてしまう」と書かれていても、何も想像できない。ほんとうに「魂のように見えた...「現代詩手帖」12月号(39)

  • 三木清「人生論ノート」の「感傷について」

    18歳のイタリア人と読む三木清。「感傷について」。これは、とてもむずかしかった。「感傷」と「感情」はどう違うか。この定義が、まずむずかしい。三木清の文章を読む前に書いた作文では「感傷」を「感情」とほとんど同じ意味でつかっていた。「感傷」にぴったりあうイタリア語はないようだ。遠回りになるが、まず季節の印象を聴いてみた。春はどんな気持ち?何をする?明るくなる。いちばん好き。夏は?夏休み。楽しい。秋は?落ち葉が散る。静か。秋も好き。冬は?寒いから、閉じこもる。感情には、どんなものがある?愛とか、憎しみとか、悲しみとか。激しい感情、激しい憎しみ、激しい怒り、激しい悲しみ。情熱的な愛情。活発に動くのが感情。感傷は、激しい感傷という言い方はしない。激しくない。静かな印象がある。だから、季節で言うと秋がいちばん感傷的な...三木清「人生論ノート」の「感傷について」

  • 「現代詩手帖」12月号(38)

    「現代詩手帖」12月号(38)(思潮社、2022年12月1日発行)唐作桂子「根も葉も」。どの詩にもあるのだろうけれど、この詩にも省略がある。あるいは欠落がある。その省略、欠落と、どう共振することができるか。中井久夫なら「チューニング・イン」ということばをつかうだろうなあ、と思いながら読んだ。根も葉もなくたっている私は「うわさ」を省略、あるいは欠落したことばとして読んだ。「うわさ」は自分自身の力で生まれてくるのではないが、生まれてしまったら「自立」してしまうところがある。そして、それは「チューニング・イン」を要求してくる。あるいは、人間は、それを要求されてしまう。そのまま、無傷でいることは、なかなかむずかしい。というようなことを書いたかどうか忘れたが、この詩は、私はとても好きである。ブログに感想を書いたこと...「現代詩手帖」12月号(38)

  • 青柳俊哉「野生のひかり」、永田アオ「夕陽」、杉惠美子「砂時計」ほか

    青柳俊哉「野生のひかり」、永田アオ「夕陽」、杉惠美子「砂時計」、池田清子「論理的」、木谷明「白写」、徳永孝「あなたに届けられるなら」(朝日カルチャーセンター、2022年12月19日)受講生の作品。野生のひかり青柳俊哉十二月の晦日に光のうすい野をさまよう藪に入りみずみずしいうらじろの大きな羽を袋いっぱいつめる雲にふれる赤松の葉と雲を降りて崖に荒ぶる竹の茎を地平に凍える蝋梅の灯りと霙を跳ねるゆずりはの房をふかふかの盥のようなバケツに束ねる野生のひかりで餅をつつみ頂きに天啓の蜜柑をのせて神をこしらえるなぜ十二月の晦日にひかりを集めて太陽のめぐりに心をあわすのか四連目「神をこしらえる」。この「こしらえる」が印象的だ。手元にあるものをあつめて「こしらえる」。それは無からの想像ではない。手元にあるものは、もしかすると...青柳俊哉「野生のひかり」、永田アオ「夕陽」、杉惠美子「砂時計」ほか

  • 「現代詩手帖」12月号(37)

    「現代詩手帖」12月号(37)(思潮社、2022年12月1日発行)石田瑞穂「流雪孤詩から」。長く雪夜に独りきりだと個の時間と外の時間が合流した感覚がおとずれておもわず孤独そのものに手紙を書きたくなってくるつまり。この詩は「孤独」そのものにむけて書かれた「手紙」ということになる。袈裟沢の森のシメシャラや岳樺水芽山桃の森美しい二行だ。他にも美しい描写が多い。雪の日の孤独は美しいものらしい。美しさとは……。瞳や指ではふれられないこころでしかふれられないしかし、私は、そういうものよりも肉体で触れるものが好きだ。カニエ・ナハ「三瓶笑理06.09.2022」は、耳の聞こえない人(三瓶笑理は、たぶん、そういう人)が、手話をとおしてプラネタリウムの解説を聞く。暗やみのなかとなりの席に座っている先生が、プラネタリウム解説員...「現代詩手帖」12月号(37)

  • Estoy Loco por España(番外篇277)Obra, Fidel Vidal Pérez

    Obra,FidelVidalPérezLoscuadrosdeFidelestáninundadosdeluztransparente.Laluzestáquietaeinmóvil.Laluzsevuelvedeuncolorencadalugarynosemueve.Ycadacolorintentavolveraserunaluz.Intentaconvertirseenluztransparente.Intentaconvertirseenelmundo.Avecesnosésiestoymirandolaluzoloscolores.Hayunaformaenelcuadro,perolaformasedescomponeencolores,yloscoloresdescompuestosse...EstoyLocoporEspaña(番外篇277)Obra,FidelVidalPérez

  • 「現代詩手帖」12月号(36)

    「現代詩手帖」12月号(36)(思潮社、2022年12月1日発行)舞城王太郎「JasonFourthroomから」。新幹線に飛び込み自殺した「女の子」が登場する。彼女のことを、こう書いている。彼女はわざとそんなふうに死んでみせたのだ、と。彼が困っていたことはわざと新幹線に撥ねられて130メートル飛んで無傷で死んでしまうような女の子が自分のことを好きになったことだった。「わざと」が二回登場する。谷川俊太郎の「わざわざ書く」を取り上げたとき、そしてこの連載を書き始めたとき、私はこの舞城の詩を知らなかった。知らないまま、「わざわざ」と「わざと」を比較しながらいろいろなことを考えた。そのなかに「自然」ということばもつかった。それが、こんなふうに出てくる。もしかして僕は今でも彼女のことが好きなんじゃないかと思うこと...「現代詩手帖」12月号(36)

  • 「現代詩手帖」12月号(35)

    「現代詩手帖」12月号(35)(思潮社、2022年12月1日発行)平川綾真智「■「donanobis」」。その最後の三行。[22:12#7#donsnobis][「」dona</a>「」nobis914328「595「43≠421.149845「43≠</a>「pacem41文字が見える。それを私は転写できる。だから、そこには何らかの「共有感覚(共有認識)」があるのだが、それを私は私のつかっている「日常語」では語りなおせない。べつに語りなおす必要はないし、理解する必要もない。それが平川の考えている詩なのだろう。それを平川が、だれかと「共有できる」と考えて書いたのか、「共有したくない」と考えて書いたのか、それも私は問題にしない。こういう「文字(記号)」を「わざと」書いているのか、「わざわざ」書いているのか。...「現代詩手帖」12月号(35)

  • 「現代詩手帖」12月号(34)

    「現代詩手帖」12月号(34)(思潮社、2022年12月1日発行)田中庸介「日本全国路面電車」。よく見るとおじさんとおばさんがくっついている枕の底面にある柄で判断する頭が大きいけれど花柄の方がおばさんで頭が小さいけれど渋いボーダー柄の方がおじさん私は、「おばあさん」「おじいさん」と読んでいた。でも、引用(転写)していて「おじさん」「おばさん」と気がついた。田中から見て「おじさん」「おばさん」というのは何歳くらいの人だろう。何歳くらいから見分けがつかなくなるのだろうか。急に、書きたいと思っていたことが、変わってしまった。「花柄」「ボーダー柄」で男女を区別しているが、この区別は、田中に見つめられている二人にも共通するものだろうか。「無意識」に共有されている何かが、この詩の、この部分では動いているのだが(そこに...「現代詩手帖」12月号(34)

  • Estoy Loco por España(番外篇276)Obra, Lu Gorrizt

    Obra,LuGorriztLaobradeLunotiene"tamaño".Sisólomiraslasfotosporinternet,nosabesla"tamaño".YnosólocuandosemiranenInternet.HevistosuobraensugaleríasysuestudiodeValencia,peronomesiento"tamaño".Quizáel"tamaño"sedeterminacuandolaobraseexponeenunasalaenalgúnlugar(oalguien).Seríamejordecirquelaobradeterminael"tamaño"delahabitación.Cuandoveosucuadroexpuestoenunaha...EstoyLocoporEspaña(番外篇276)Obra,LuGorrizt

  • 「現代詩手帖」12月号(33)

    「現代詩手帖」12月号(33)(思潮社、2022年12月1日発行)草野早苗「訪う者」。訪う者は烏瓜のランプを作りたいと言う森に行って烏瓜を集めもう私は何もいらないので烏瓜をくりぬいて小指より小さな蝋燭を立て訪う者の光を移して心優しい人々の家の前にひとつずつ置いた「もう私は何もいらないので」で、私は少しつまずいた。「何も」と「わざわざ」言ったのはなぜなんだろうか。「訪う者の光を移して」にもつまずいた。「心優しい人々の家」の「心優しい」にもつまずいた。「小指より小さな蝋燭を立て」の「小指より小さな」は「烏瓜のランプ」をつくったひとでないと言えないことばだろうと思って、こころが静かになった。私は、こんなふうに読み返してみた。訪う者は烏瓜のランプを作りたいと言う森に行って烏瓜を集めもう私はいらないので烏瓜をくりぬ...「現代詩手帖」12月号(33)

  • 「現代詩手帖」12月号(32)

    「現代詩手帖」12月号(32)(思潮社、2022年12月1日発行)粕谷栄一「天使」。それはそれは、本当に楽しいひとときだった。何もかも辛抱して生きていても、気の合う二人が、すべてを超越して、愉しく語り合うことが、この世で、未だできるのだ。「それはそれは」か。いいなあ、この繰り返し。「それは」の「向こう側」までいってしまいそうだ、というと変だけれど。きっと「超越」というのは、そう言うことだと思う。「それは」では不十分なのだ。北川朱実「草原と鯨」。モンゴル体験。遊牧民が影を指さし鯨の頭蓋が埋まっていると言うそのことばを北川がどう聞いたのか、よくわからない。粕谷の詩には「二人」が出てきた。一人ではできないことが、二人ではできた。北川が「遊牧民」に出会ったとき、北川は「二人」になっただろうか。「鯨の頭蓋が埋まって...「現代詩手帖」12月号(32)

  • 「現代詩手帖」12月号(31)

    「現代詩手帖」12月号(31)(思潮社、2022年12月1日発行)松本圭二「恋人たち」。癌宣告。そのとき、松本が悩んだのが「蔵書をどう処分すべきか」という問題。公共図書館にない本が我が家の私設図書館には多数ありそれらの価値はわかる人にしかわからない本の価値か。「本」の定義がむずかしい。古書店に売るのが手っ取り早いがおれは今の古書流通の世界には絶望しかないのだそんなものはどうせ端末上の買取相場だけの世界であって中古車のそれと同じなのだこの部分には「価値」のかわりに「相場」ということばが使われている。松本にとって「価値」は「相場」ではない。この「相場」に対立する概念として、松本は「絶対値段」ということばをつかっている。死ぬ前に、蔵書の一冊一冊に、松本が感じている「絶対値段」を書き込んでおく、という計画を立てて...「現代詩手帖」12月号(31)

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(3)

    中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(3)「大いなる拒絶をなせし者……」は、自分の信条にしたがって、「拒絶」を貫いたひとのことを描いている。それは絶対的に正しかった。しかし、この拒絶は下にひきおろし続ける、その者を、一生涯。「ひきおろし続ける」。「ひきおろす」がつづくわけではない。ある高みから低いところまで「ひきおろし続ける」のではなく、低いところに「ひきおろし」たあと、そこに留めおくのである。だれがひきおろされたのか。その「者」を見る。いつまで、その低いところにいるのか。「一生涯」である。「続ける」は「続く」にかわって、「一生涯続く」へとつながっていく。明確に書かれていない「続く」、それを隠した訳文が非常に強靱だ。これは「口語」ではなく、中井が持っている「文語」の強さと美しさである。この語順でなければなら...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(3)

  • 「現代詩手帖」12月号(30)

    「現代詩手帖」12月号(30)(思潮社、2022年12月1日発行)小野絵里華「湯屋へ行く」。山の中の露天風呂の、女たち。とはいうものの、描かれるのは「白いふくらはぎ」だけ。いや、その「白」だけと言ってもいいのかもしれない。湯場の中ではすべてのふくらはぎが白く見える。光の加減とか夜の深さとか午前中にどんな空気を食べたとか、そんなことでふくらはぎの白さは変わる。午前中に食べたものが「空気」ではなく、ほんとうの食べ物(料理)だったら、もっと生々しくなったと思う。ここが、この詩の唯一、私が残念だと感じるところ。せっかく「白」が変わるのだから、「空気」というような抽象に逃げてしまっては、「白」が単純な「透明」になってしまう。「湯気」のようなものになってしまう。「湯気」ではなく、手で触れることができるものであってほし...「現代詩手帖」12月号(30)

  • Estoy Loco por España(番外篇275)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablo"Lettresd'amouretdemal"serie.OleoCollagesobrepapelartesano70x50cm.2022¿EslaperspectivaolatridimensionalidaddelamemorialoqueJesúsestárepresentando?Mientrasescribo,lamentonopoderhablarmásqueconpalabras.Laspalabrasinvitaninevitablementeal"significado".Loshechossonmásque"significado(orden)",peroenelmomentoenqueseponenenpalabras,seconvierte...EstoyLocoporEspaña(番外篇275)Obra,JesusCoytoPablo

  • 「現代詩手帖」12月号(29)

    「現代詩手帖」12月号(29)(思潮社、2022年12月1日発行)安藤元雄「虚空の声」。そんなことを言わず我慢してくれないかもう長いことでもあるまいからそう言いかけて口籠ったが妻の耳には届いたかどうか詩に限らず、どんなことばにも「省略」がある。その省略を安藤は「口籠もった」と言っている。こころのなかでは言った。でも、声に出さなかった。しかし、声に出さなくても、親しい間柄なら、その「意味」は届いてしまう。安藤は、何と言ったのか。妻は死んでいる。(省略したが、一連目に書いてある。)その妻が夢の中で「悲しいわ」と訴える。それに対して、安藤は「そんなことを言わず我慢してくれないか/もう長いことでもあるまいから」と答えるのだが、これはことばを補えば、「私がそこへ行くまでには(私が死ぬまでには)、もうそんなに長いこと...「現代詩手帖」12月号(29)

  • Estoy Loco por España(番外篇274)Obra, Luis Serrano Pozuelo

    Obra,LuisSerranoPozueloLasfotodeLuis.Unedificiomodernoyunaantiguacalle.Unrincóndeunahabitaciónconluz.Nohaypersonasenningunadelasfotografías.Yestodalaimpresióndeque"lagentedesaparece".Enlasfotografíasdeedificios,hayunenormesilencioquetrasciendeeltamañodeledificio.Unsilencioquenopuedesercreadoporloshumanos.Unsilencioque,cuandoloperciboporprimeravez,noentien...EstoyLocoporEspaña(番外篇274)Obra,LuisSerranoPozuelo

  • 「現代詩手帖」12月号(28)

    「現代詩手帖」12月号(28)(思潮社、2022年12月1日発行)松本秀文「ゴジラ」。「ゴジラ以後に詩を書くことは茶番だ」「茶番」に傍点が振ってある。「わざわざ」か「わざと」か。同じように傍点が振ってあるのが、決して二度目などないのだそうか。でも、二度目どころか、何度でも繰り返してしまうのだ人間というものだ。それが証拠に、松本は傍点を振ることを繰り返している。そうではなくて、私が傍点に、二度、目を止めたということか。何とでも言える。「わざわざ」でも「わざと」でも。しかし、どんな「何度」でも、その瞬間は「一度」というか、「初めて」である。ひとつ、疑問。松本は、いつ「ゴジラ」見たのか。私は「ゴジラ」誕生の前年に生まれているので、見たのは、もちろんリバイバル上映が最初。すでに「二度」以上上映されているし、もしか...「現代詩手帖」12月号(28)

  • 「現代詩手帖」12月号(27)

    「現代詩手帖」12月号(27)(思潮社、2022年12月1日発行)南原充士「末子」。亀の甲にマッチ箱を載せお尻をくすぐる突然はじまる奇妙な描写。何のことかわからないが、わからなくていいと思う。南原の「過去」というか「肉体」である。どんな「過去」が「肉体」に刻まれているかは、読んでいけば少しずつわかるだろう。たぶん「自画像」だろう。「マッチ箱」というものを、最近見なくなったが(わが家にあるかどうか……)、何かの表徴である。亀もそうかもしれないが、亀が南原だとすると、マッチ箱は彼が背負わされている(と思っている)何かだろう。それは、こう言い直される。二番目の兄は父がちがうらしいがさとし君にはまだわからないしかしなあ。「さとし君」(「充士」は、さとし、と読む?)が何歳の設定なのかわからないが、こういうことって、...「現代詩手帖」12月号(27)

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(2)

    「祈り」は嵐に遭難した子供の帰りを待つ母を描いている。その最後の二行。母の待つ子の永久に還らぬを知るイコンはじっと聴いていた、哀しげに、荘重に--。「還らぬを知る」という引き締まった音が美しい。中井は、口語と文語をつかいわける。「還らぬを知る」は文語といえるかどうかはわからないが、少なくともいまの口語ではない。文語の特徴はスピードが速く、ことばの関係が緊密なことである。余分な思いがはいりこまない。「事実」が「真実」として浮かび上がる。ここでは「還らぬ」と「知る」のふたつの動詞が、絶対分離できないものとして動いている。その緊張のあとに、感情が、感覚が、解き放たれる。悲劇のカタルシス。最後の一行は、その直前のことばが「還らないことを知っている」という間延びした普通のことばだったら、痛切さが半減したと思う。中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(2)

  • 「現代詩手帖」12月号(26)

    「現代詩手帖」12月号(26)(思潮社、2022年12月1日発行)高田昭子「風の吹く日」。初夏の風が渡る街の交差点で信号が青に変わるのを待ちながら遠い草原を思っている人々の暮らしは馬の背にまたがり土埃をあげながら歩み続けてきた来歴に来歴をつなぎ続けその先にはいつもすこやかな赤児の産声が聴こえていた「遠い草原」の「遠い」がどれくらい遠いのかわからない。「来歴に来歴をつなぎ続け」から想像するに「時間的に遠い」のだと思うのだが。しかし、私はどんなに「時間」をたどってみても、私の知っている「暮らし」のなかには「馬の背にまたがり/土埃をあげながら歩み続けてきた」人がいないので、高田の書いていることが理解できない。この詩の最後は、「馬」ではなく「魂を運ぶ鳥」に変わるのだが、この「馬」と「鳥」の関係もわからない。最初か...「現代詩手帖」12月号(26)

  • Estoy Loco por España(番外篇273)Obra, Jesus del Peso

    Obra,JesusdelPesoVolando,flotandoenelaire.Comounagaviota.Sisemiradecerca,sevequeefectivamenteestáenelsuelo,peronomesientosupesoenabsoluto.Estáhechodehierro,peromeparecequevuelarectohaciaelcielo.Quierosubirmealacimaysentirelviento.Ah,loentiendo!Noesunaabstraccióndeunpájaro,sinounaformadelaligerezadelvientoquesienteunpájaro.Poreso,encuantoloveo,micuerposeal...EstoyLocoporEspaña(番外篇273)Obra,JesusdelPeso

  • Estoy Loco por España(番外篇272)Obra, Angel Jose Lafuente Jimenez

    Obra,AngelJoseLafuenteJimenezLaobradeAngel,comoladeJoaquín,nomeparecehechaamartillazos.Nomedalaimpresióndeestarforzadoaadoptarunaforma.Estaobrapuedehaberempezadocomountubo.Seablandóydeformóporeltérmicodefuego.Además,nosecalentabadesdeelexterior.Enelinteriordelhierroseproduceuntérmicointensoy,debidoaestetérmico,elhierrocomienzaafundirse.Elhierronosólosefun...EstoyLocoporEspaña(番外篇272)Obra,AngelJoseLafuenteJimenez

  • 読売新聞を読む(1)

    読売新聞を読む(1)2023年01月03日の読売新聞。「世界秩序の行方」という連載がはじまった。第一回は「バイオ」をめぐる問題をテーマにしている。中国がゲノムデータを世界中から蓄積していると書いた上で、こう作文をつづける。↓↓↓元米陸軍大佐で国防長官室部長を務めたジョン・ミルズ氏は、BGI(中国の遺伝子解析会社「華大基因」)などが集めたゲノムデータを中国軍と共有している可能性に触れ、「中国は特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出すことができるかもしれない。これは致命的な脅威だ」と指摘する。↑↑↑私は読んだ瞬間に、では、アメリカの会社(あるいは大学でもいいが)は、「集めたゲノムデータをアメリカ軍と共有している可能性」はないのか。「アメリカは特定の民族に限定した攻撃的なウイルスを作り出す」可能性はないの...読売新聞を読む(1)

  • 「現代詩手帖」12月号(25)

    「現代詩手帖」12月号(25)(思潮社、2022年12月1日発行)向坂くじら「詩がどこにもいなかった日」。詩がどこにもいなかった日を詩にするのだから、これは「わざと」である。詩のいないところに詩がある、という逆説の真理(?)が詩か。秋亜綺羅みたいだな、という感想が向坂に通じるかどうかわからないが、たとえば私は次の部分に秋亜綺羅を感じる。詩がどこにもいなかった日男が笑ったのは良かった窓のふちが濡れているのは良かった瓶が高いところから落ちるのは良かったこのまま永遠につづいていくとおもしろいと思う。でも、それでは秋亜綺羅になってしまうか。しかし、そうではなく秋亜綺羅でなくなってしまうためには、それをつづけなければならないのだが、向坂は、中途半端に「結論」へ逃げ込む。わたしは呼吸いくつかですぐに眠りに入ったそして...「現代詩手帖」12月号(25)

  • Estoy Loco por España(番外篇271)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensLaobradeJoaquínsiempretransmitelacalidezdesusmanos.Dalaimpresióndequelaobranosecreaconunmartilloounamáquina,sinoconlafuerzadelamano.Estavez,seañadiófuego.Elhierrocalentadoporelfuegoseablanda.Elhierroablandadosedoblatranquilamenteasuvoluntadytomaforma.Lasdosformasparecenquererabrazarse.UnodeellossepareceaJoaquín,queamatantoelhierroqueseh...EstoyLocoporEspaña(番外篇271)Obra,JoaquínLlorens

  • 「現代詩手帖」12月号(24)

    「現代詩手帖」12月号(24)(思潮社、2022年12月1日発行)川田絢音「わたしたちはなだれ込み」。水辺(海辺)だろうか。鳥の描写がつづく。そして、唐突に、終わりがやってくる。糞で白くなった崖がさらされて鳥にまだ声がありわたしたちはここよを交わしているとき切り抜けられなくなってわたしたちはなだれ込み戸板のように流れ去った逃げおくれて虹のかけらがころがっている「わたしたち」とは誰なのか。最初の「わたしたち」は鳥のように思える。あとの「わたしたち」は人間に思える。唐突に挿入される「戸板」ということば。「流れ去った」ということば。「戸板」には「のように」ということばがついている。「戸板」は比喩であるらしい。だが、私には「戸板」だけが比喩ではなく「現実」のように思える。「鳥」も現実の鳥かもしれないが「わたしたち...「現代詩手帖」12月号(24)

  • Estoy Loco por España(番外篇270)Obra, Fco Javier López Del Espino

    Obra,FcoJavierLópezDelEspinoEstaobradeFcoJavierpuedeseruntrabajoencurso.Sinembargo,esextremadamentebello.Escriboestoasumiendoqueesuntrabajoencurso,perotieneunabellezaabsolutaquesóloalgoinacabadopuedeposeer.Adiferenciadelasesculturasdemaderaomármol,lasdeplásticoseiniciandesdeelinterior.Loquehaydentrosedesbordapocoapocohaciaelexteriorytomaforma.Estemovimien...EstoyLocoporEspaña(番外篇270)Obra,FcoJavierLópezDelEspino

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(1)

    中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』は1985年11月25日にみすず書房から発行されている。少しずつ読み返していく。最初に読むのは、カヴァフィス。中井には『カヴァフィス全詩集』がある。(私が持っているのは、第二版で1991年4月25日発行。中井は推敲を重ねるひとなので、比較すると異動があるのだが、それについては触れない。「壁」。壁を作られた時に気づかなんだ私の迂闊さ。この一行に、中井の訳のおもしろさが凝縮している。「気づかなんだ」という素早い口語。「気がつかなかった」と比較するとわかるが、このスピードは、気づいたときの「瞬間」としか言いようのない時間を端的にあらわしている。「気づかなんだ」の前では、「瞬間」と呼んでさえ、まだ、まだるっこしいような感じがする。その口語と拮抗するかのような「迂闊さ」ということば。「...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(1)

  • 「現代詩手帖」12月号(23)

    「現代詩手帖」12月号(23)(思潮社、2022年12月1日発行)伊藤比呂美「Lookingfor鴎外から」。ベルリンでボダイジュの花を見る詩である。ボダイジュの花が咲き始めていた。ベルリンに来た当日、ちょっと歩きましょうと友人に誘われて、歩きながら「これがボダイジュ、鴎外も見た、ウインター・デン・リンデンですよ」と教えられた。すぐ忘れて、また目に留めて、また教えられた。やがて見分けるようになった。「ほら、花が咲いている」といわれて上を見た。「まだ匂いがしない」と友人はいったが、次の日になると「ほら、匂いがしてきた」といった。それでわたしは上を見た。何日か経つと匂いがあたりに充満した。そして花は爛熟した。もともと黄色い花がさらに黄ばんだ。その数日後には木の下が乾いた黄色い花殻で埋まった。(注、本文の鴎外は...「現代詩手帖」12月号(23)

  • Estoy Loco por España(番外篇269)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensLasesculturasdeJoaquínestánsiempreenmovimiento.Segúnelángulodevisión,laobracambiadeforma.Sielobjetoesuncilindro,esuncírculovistodesdearribayunrectángulovistodelado.Setratadeunteoremamatemáticoyfísico.Noocurrelomismoconelarte.Elartenotieneformafija.Seadmitecualquierforma.Aprovechandoesteprivilegio,todaobradeartetienederechoacambiardeform...EstoyLocoporEspaña(番外篇269)Obra,JoaquínLlorens

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さんをフォローしませんか?

ハンドル名
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)さん
ブログタイトル
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
フォロー
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用