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  • Estoy loco por espana(番外篇267)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensT.Hierro(azulcobalto)53x33x20M.NHayunmovimientocuriosoenestaobra.Lasdospiezasdehierrosehanmovidoantesdetransformarsedeestaforma.Yseguiránmoviéndose.Elmomentocomo"proceso"esestaforma.Porutilizarunaanalogía,elmovimientoescomocuandodosbailarinessaltanyalcanzansucúspide.Enelvértice,elmovimientosedetieneporunmomento.Peroesunaquietudquenoseal...Estoylocoporespana(番外篇267)Obra,JoaquínLlorens

  • 「現代詩手帖」12月号(22)

    「現代詩手帖」12月号(22)(思潮社、2022年12月1日発行)四元康祐「手相」。この線はトルコを追われたアルメニア人の死の行進の跡手相には、そのひとの歴史が刻まれるのか。「手相占い」は、そういうことを根拠におこなわれるのだろう。さて。四元は、だれの「手相」を見ているのか。「だれ」ではなく「時代(現代)」の手相であると四元は答えるかもしれない。頭のいいひとは、それで納得するだろうが、私は納得できない。もし「時代の手相」であるなら、アルメニア人を追い出したトルコのひとの手相と合わせてみないといけない、というようなことを言うのではない。そのニュースを知ったとき、四元の「手相」にどんな傷が残ったのか。それを見せてもらいたい。いや、その傷跡(手相)というのがこの詩である、と、また頭のいいひとが答えているのが聞こ...「現代詩手帖」12月号(22)

  • 「現代詩手帖」12月号(21)

    「現代詩手帖」12月号(21)(思潮社、2022年12月1日発行)峯澤典子「ひとりあるき」いっしょに生まれるはずだった兄弟を思うとき、夢を(たぶん、同じ夢を)見る。その夢が作品の中心。この夢を見はじめた夜いらい、わたしのすべての感情は、あなたから切り離されたつまさきの重い痺れをくぐってから、息のそとに出てゆくようになりました。「息のそと」は「息の外」か。「息の外」へ出て行くとどうなるのか。わからないが、自分の「いのち」をはなれて動く感じがある。新しい息を手に入れることができるか、息以外の何かを手に入れることができるか。わからないけれど、わからないからこそ印象に残る。宮尾節子「牛乳岳」を読むと、「息の外へ出る」とは、こういうことかもしれないと、ふと思う。脈絡もなく。ただ、突然に。「冷やしたぬき」なんて看板見...「現代詩手帖」12月号(21)

  • Estoy loco por espana(番外篇267)Obra, Calo Carratalá y Lu Gorrizt

    Obra,CaloCarratalá(arriba)yLuGorriztDerepentemeacordédeltrabajodeCaloCarratayLuGorrizt.EstabaleyendounensayodeHisaoNakai.Nakaivivióenunapensióncuandoeraestudiante.Elproblemaeraqueteníaquepasarporeldormitoriodelaparejaprincipalcuandoibaaorinarporlanoche.EstahistoriaesdifícildeentenderenelJapónmoderno,yloseríaaúnmásenEuropa.Lascasasjaponesasantiguasnotienen...Estoylocoporespana(番外篇267)Obra,CaloCarrataláyLuGorrizt

  • Estoy loco por espana(番外篇265)Obra, Angel Castaño y Antonio Pons

    Obra,AngelCastañoyAntonioPonsAngelCastañofotografíalaobradeAntonioPons.EslaobradeAntonio,peronoessuobra.¿Porqué?PorqueesunaexpresióndeltrabajodeAntonioqueyonuncapudoverconmispropiosojos;esalgoqueÁngelvio,yalfotografiarlo,asíyopudoverporprimeravez.SiemprehevistoeltrabajodeAntonioentérminosde"sofistocada".Ángelleañade"fino"y"delicado".Antonioutilizadiversos...Estoylocoporespana(番外篇265)Obra,AngelCastañoyAntonioPons

  • 「現代詩手帖」12月号(20)

    「現代詩手帖」12月号(20)(思潮社、2022年12月1日発行)北原千代「オルガンの日」。古くなったが、壊れてしまったとは言えないオルガン。指をあずけるとすぐにうたう通いなれたこみちだからうたはじぶんでうたってしまうよしろう、かつき、なみ、うららあなたたちは知らないでしょうあのころわたしは作曲家だったたった一度きりのうたを千より多く知っていた「一度」と「千」の比較。それが美しい。「百」だと足りない。つまらない、「一万」だと多すぎる。「一」はだれでも体験できる。「千」はかなりむずかしい。「千」を発見するまでに「よしろう、かつき、なみ、うらら」の四人が必要だったのだろう。四人によって「千」は「必然」になった。それは「うたはじぶんでうたってしまう」と重なる。「自然」が「必然」。この「自然」から「必然」への移行...「現代詩手帖」12月号(20)

  • Estoy loco por espana(番外篇265)Obra, Fco Javier López Del Espino

    Obra,FcoJavierLópezDelEspinoRetrato.Esnaturalqueelretratotengaunairetridimensional,peroestecuadrodeFcoJaviermesorprende.Esunaformaextrañadedecirquemeparecemástridimensionalquetridimensionalreal,peroeldesnivelesabrumador.Escomosiunafuerzainteriordelcuerpoestuvieraapuntodeatravesarlasuperficiedelacarayemerger.Silotococonlamano,lasprotuberanciassemoveránpara...Estoylocoporespana(番外篇265)Obra,FcoJavierLópezDelEspino

  • 「現代詩手帖」12月号(19)

    「現代詩手帖」12月号(19)(思潮社、2022年12月1日発行)石毛拓郎「夢か、」。すでにブログで感想を書いた。どう書いたかは、もう忘れた。忘れるために書くのだから、それでいいと思っている。読むたびに違ったことを書きたい。できるなら前に書いたことと反対のことがいいと思うが、思い通りにいくとは限らない。きょうは、次の部分を引用してみる。何が書けるか。夢か、尾道の親不孝通りで、林芙美子の父が----汽車に乗っていきゃア、東京まで、沈黙っちょっても行けるんぞ。娘は、心配顔で訊く----東京から先の方は行けんか?父は、東京行きを制するように----夷(エビス)が住んどるけに、女子供は行けぬ。「東京行きを制するように」は、誰のことばだろうか。石毛は、この連を林芙美子「風琴と魚の町」を参照にして書いている(と、注に...「現代詩手帖」12月号(19)

  • Estoy loco por espana(番外篇264)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensTresanillosdemovimientoentrelazados.Ysombras.Pero¿hastaquépuntoesesculturas?¿Dóndeempiezalasombra?Sicambialaposicióndelaluz,tambiéncambialaformadelasombra.¿Peroesverdad?¿Estálasombradeterminadaporlaforma?¿Lostresanillosdehierronocambiandeformasegúnlasombra?Alverlasombraquecambialibrementesegúnlaposicióndelaluz,¿existeeldeseodetransforma...Estoylocoporespana(番外篇264)Obra,JoaquínLlorens

  • 「現代詩手帖」12月号(18)

    「現代詩手帖」12月号(18)(思潮社、2022年12月1日発行)川満信一「在るものの不安」。いのち、地上の、地下の、空中の命滔々と流れる無限の大河休むことのない動詞よ重さを想えば地球を背負うように瞑想すれば炎の色に躍動するもの私は困ってしまった。「休むことのない動詞よ」とあるが、「動詞」が見つからない。いや、「流れる」「休む」「想う」「背負う」「瞑想する」「躍動する」と存在する(在る)が、「動いている」が感じられない。「地球を背負う」とあるが、それが「重い/重さ」に結びつかない。「瞑想する」から「躍動する」への変化は、ほんとうならブラックホールが爆発するようなものだが、まったく「躍動する」が感じられない。そこに「在る」のは「動詞」と名付けられた「名詞」のような感じがする。これは、「わざと」?躍動するいの...「現代詩手帖」12月号(18)

  • 中井久夫『記憶の肖像』(2)

    中井久夫はカヴァフィス、リッツォスだけではなく、他のギリシャ詩人も訳している。そのことを「ギリシャ詩に狂う」に書いている。そのなかで、こういう文章がある。エリティスの詩のなかの「風」について触れている。舞い、ひるがえり、一瞬停止し、どっと駆け出す風のリズムがあった。あ、これは私が中井久夫の「訳詩」から感じ取ったものだ。「狂ったザクロの木」一部をエッセイのなかで紹介しながら、こう書いている。歌い出しは「南の風が白い中庭から中庭へと笛の音をたてて/円天井のアーチを吹き抜けている。おお、あれが狂ったザクロの木か、/光の中で跳ね、しつこい風に揺すられながら、果の実りに満ちた笑いを/あたりにふりまいているのは?/おお、あれが狂ったザクロの木か、/今朝生まれた葉の群とともにそよぎながら、勝利にふるえて高くすべての旗を...中井久夫『記憶の肖像』(2)

  • 「現代詩手帖」12月号(17)

    「現代詩手帖」12月号(17)(思潮社、2022年12月1日発行)山田裕彦「遠雷」。言葉でなく口を噤んで白紙の上で泡立つもの「言葉」と「口を噤む」の対比が「白紙」と「泡立つ」と言い直される。そこに強い緊張がある。その最終連は、あれから娘は二十九になり病む日にどもるわたしはいまだ吃音空白をどもり続けている「どもる」と「吃音」。動詞と名詞。繰り返さずにはいられないものがある。それが最初の連と最後の連の間で、それこそ「吃音」のように、聞き取りにくいがゆえに、聞かなければならない切迫感で展開される。引用はしなかったが、「五歳の娘」と「あれから娘は二十九になり」から、その「切迫感」のなかには二十四年間がある。だが、時間とは、物理的なものであって物理的ではない。ある人の二十四年間はとても長いが、山田の二十四年間は吃音...「現代詩手帖」12月号(17)

  • 中井久夫『記憶の肖像』

    中井久夫『記憶の肖像』(みすず書房、2019年10月21日発行)思い立って中井久夫を読み返している。みすずから「中井久夫集」が出ているが、あえて、単行本を開いた。私が持っている本のカバー写真は、裏焼きである。中井がドイツで撮ったものだが、車が左側通行している。中井自身が、わざわざ手紙で写真が裏焼きだと教えてくれた。黙っていれば、たぶん、私は気がつかなかっただろう。中井はきっと知っていることを黙ったままにしておくことができない人間なのだと思う。誰に対しても非常に誠実なのだと思う。そして、それはときどき奇妙な「はにかみ」のような形であらわれるときがある。「N氏の手紙」というエッセイがある。西脇順三郎と手紙をやりとりしたときのことを書いている。その最後の部分。私の友人に、未見の人の写真も一たび目に触れれば記憶に...中井久夫『記憶の肖像』

  • 「現代詩手帖」12月号(16)

    「現代詩手帖」12月号(16)(思潮社、2022年12月1日発行)平鹿由希子「集真藍忌考」。あづさいいみこう、とルビが振ってある。「集真藍」が「あづ(じ)さい」。本当の藍色を集めた花、ということか。音が漢字のなかで意味になるのか、音を漢字の意味が破壊するのか。どちらかわからないが、平鹿は、「わざわざ」こんな書き方をしている。私は「わざと」違う読み方をする。私は、漢字に破壊されても破壊されても、よみがえってくる音、音がよみがえってる部分が好きだ。たとえば、水は火をけす魂鎮め相生醒める浮気者の心根のよに七変化「あなたは冷たいあなたは冷たい」憂き言の葉は萼の四片の咎じゃない「あいおい」「あだびと」「あなた」「あなた」。繰り返される「あ」が「あじさい」を呼ぶ。「がく」「とが」の逆さしり取りみたいな感じの響きが、「...「現代詩手帖」12月号(16)

  • なぜ、いま?(読売新聞記事の書き方、読み方)

    2022年12月24日の読売新聞(西部版・14版)の一面。↓↓↓「特定秘密」漏えいか/防衛省海自1佐処分へ/OB依頼複数隊員通し(見出し)海上自衛隊の1等海佐が、安全保障に関わる機密情報にあたる「特定秘密」を外部に漏えいした疑いがあることが、政府関係者への取材でわかった。防衛省は近く1佐を懲戒処分にする方針だ。特定秘密の漏えいが発覚するのは初めて。政府関係者によると、海自OBが、知人の現役隊員に接触し、複数の隊員を経て1佐の元に依頼が届き、漏えいにつながったという。↑↑↑「政府関係者への取材でわかった」と書いてあることからわかるように、これは防衛省の発表ではない。「特ダネ」である。どうして、わかったのだろうか、というよりも、私は「いつ」わかったのだろうか、ということの方に関心がある。きょうの、ふつうの新聞...なぜ、いま?(読売新聞記事の書き方、読み方)

  • 「現代詩手帖」12月号(15)

    「現代詩手帖」12月号(15)(思潮社、2022年12月1日発行)多和田葉子「きっと来る」。一度ひらいてしまったらもう取り返しがつかない散るまでに闇に戻れないこの「に」は何だろう。「散るまで闇に戻れない」ではなく「散るまでに闇に戻れない」。「散る前に」闇に戻りたいのだろうか。「散らないかぎり」闇に戻れないということを強調しているのか。詩は、ひらいてしまって大丈夫なの?汚れやすく傷つきやすい白を寒気にさらけだして枝に咲くとはじまっていた。桜の花を描いているように見えた。ほかの花よりも早く咲いてしまった、桜。しかし、桜ではないかもしれない。開花ではないかもしれない。どこかに、ロシアのウクライナ侵攻の、取り返しのなさが隠れていないか。一度、武器が火を噴いたら(開戦したら)、取り返しがつかない。何もかもが破壊され...「現代詩手帖」12月号(15)

  • 「現代詩手帖」12月号(14)

    「現代詩手帖」12月号(14)(思潮社、2022年12月1日発行)新井啓子「クラウドボウ」。故郷へ帰るとき、こんな描写。峠のさきに海岸線がある背骨のような稜線は起き上がり波打ち折れ曲がってつづきその末にするどく海原に突き出た(細長い岬昔ちちははが巡った「昔ちちははが巡った」という一行が、それまでの描写を新井個人の視点から、両親の、さらにその祖先の視点(記憶)に変える。「細長い岬」だけが「両親のことば」かもしれないが、その岬を見て「細長い岬」をまるではじめて見るかのように発見するとき、そのことばにたどりつくまでに動いたことば、「峠のさきに海岸線がある」から「海原に突き出た」が、「両親のことば」になる。「歴史/記録/記憶」になる。それは、単にことばではなく、そのことばをたどる「肉体」になるということだ。だから...「現代詩手帖」12月号(14)

  • Estoy loco por espana(番外篇263)Obra, Jose Abel

    Obra,JoseAbelSeleccionadoenelXXICertamenCulturalVirgendelasViñas2022,conmiobra"BrumasenLondres"FelizEneldiqueseco150x100MixtaconfuegosobretablaElnegrodeJoséAbeltiene"memoria".Másbienseríamejordecir"récord".Unacosaexiste.Coneltiempo,pierdesuformainicialyseconvierteenotracosa.Aunquesehayaconvertidoenotracosa,algopermaneceenella.Cuandohablamosde"memoria",hab...Estoylocoporespana(番外篇263)Obra,JoseAbel

  • 「現代詩手帖」12月号(13)

    「現代詩手帖」12月号(13)(思潮社、2022年12月1日発行)山崎佳代子「旅は終わらない」。一連目、耳なれぬ国々の言葉たちが通りすがりの町にあふれ重い足音と混ざりあい音楽となっていった人の列はとぎれず長旅の叙事詩に終わりはない意味よりも、音よりも、一字ずつ減っていく連の形に目がとまる。そのために何が書いてあったか、印象に残らない。一字ずつの増減は、他の連でも繰り返されるから、これは山崎の狙いである。この形が崩れたら、その乱れが印象に残る。それが三連目。この夢のなかへ曇りガラスのむこうから知らない男と女の声がとどくやっと心が安らいできた、と女だが、何一つ、解決したわけではない、と男突然、「ドラマ」になるのである。これは「わざと」である。そして、この「わざと」は一瞬だから、いい。青木風香「お前風俗行くなよ...「現代詩手帖」12月号(13)

  • 「現代詩手帖」12月号(12)

    福田拓也「垂直の聖地」は、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のようなものかと書くとジョイスのファンが怒るか、喜ぶか。日々割れたレターの字づらから覗く日の火刈り蚊蛾焼苦る染みことばは「表記」からどれだけ自由になれるか。ジョイスのこころみがどんなものかを理解できるほど私は英語を知らない。福田の書いている部分についてなら言える。「火刈り蚊蛾焼苦る染み」には、火に飛びこんできて死んでしまう蛾の苦しみが隠れているが、こういう常套句を「連想定型」のままの漢字をあてはめてみてもおもしろくないだろうなあ。「苦しみ」を「喜び」の漢字で、「官能の愉悦」を「苦しみ」の漢字で書かないことには、「わざと」にはならないし、「わざわざ」に発展しない。。福田の詩には、ときどきルビがある。私は引用するとき省略したが、「当て字」をルビつき...「現代詩手帖」12月号(12)

  • Estoy loco por espana(番外篇262)Obra, Jesus del Peso

    Obra,JesusdelPeso¿EslaesculturadeJesúsdelaizquierdaunacombinacióndepartesquesehandesprendidodelcuadrodeladerecha?¿Oesalrevés?¿Elcuadrodeladerechaestáformadoporpartesquesehanescapadodelaesculturadelaizquierda?Lasformasnosesolapanexactamente.Perosisecombinanbienlasdosobras,seconviertenenUNA.Tengoelimpulsodeintentarunirlos.Enrealidad,estonoesposible.Peroenun...Estoylocoporespana(番外篇262)Obra,JesusdelPeso

  • 「現代詩手帖」12月号(11)

    「現代詩手帖」12月号(11)(思潮社、2022年12月1日発行)岸田将幸「無題(ラブソング)」。悲しいからこれ以上何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだからこの二行目の書き方は「わざと」である。二行に分けた方がリズム的に読みやすい。しかし、それをあえて二行にせずに一行にしている。そして、それを「わざと」一行にしたとき、不思議なことが起きる。もし、あえて二行してみると、何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだからなのか何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだからなのか、わからなくなる。どちらでもないのだ。二行にしてしまったら、リズムは読みやすくなるが、それは「単なる「音」のリズムである。「音のリズム」を優先させたとき、「意味の連続のリズム」がくずれてしまう。「生」はどちらにつながることばなの...「現代詩手帖」12月号(11)

  • Estoy loco por espana(番外篇261)Obra, Xose Gomez Rivada

    Obra,XoseGomezRivadaTitulo_FalsoProfeta,TecnicaMixta,SobrePasspartue,35x30ElrostrorepresentadosporXoseesfeo.Yhermoso.Reformuladoparaajustarsealtítulo,"FalsoProfeta"esalavezfeoyhermoso.Lafalsaprofecíatraicionaalagente.Poresoesfeo.Perolo"falso"eshermosoporquenosmuestranuestrosdeseos.Nadiepiensaquesuspropiosdeseosseanfeos.Sipiensamosquesonfeos,nopodemosdesea...Estoylocoporespana(番外篇261)Obra,XoseGomezRivada

  • 「現代詩手帖」12月号(10)

    「現代詩手帖」12月号(10)(思潮社、2022年12月1日発行)朝吹亮二「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」。イチゴ木イチゴ黒スグリ(グーズベリーだね)揺らす七月の朝(グーズベリーだね)は、「わざと」だね。「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」とたたみかけるリズムは、そのままつづけてもいいのだが、つづけるのはかなり緊張をともなう。そのリズムを一旦断ち切る。断ち切るといっても、完全にではなく、ふっと息抜きみたいな感じで。「だね」という口語の響きが効果的だ。朝吹は、この「わざと」を強調しない。繰り返さない。そこが、いいところだ。池井昌樹「放鳥譚」。ある朝を境に、見知らぬ鳥が部屋に飛びこんでくる。未知の、未見の小禽。それは私自身が私を覗き込むような瞳で凝と私を視たのだ。これは、私なら「わざと」書くが、池井は「わざと」は書か...「現代詩手帖」12月号(10)

  • 村上春樹の日本語

    きょうアメリカ人と読んだ「1Q84」のなかに、次の文章がある。(青豆は)ろくでもない三軒茶屋あたりで、首都高速道路三号線のわけのわからない非常階段をひとりで降りている。しみったれた蜘蛛の巣をはらい、馬鹿げたベランダの汚れたゴムの木を眺めながら。「ろくでもない」「わけのわからない」「しみったれた」「馬鹿げた」を辞書で調べたがよくわからない、という。「しみったれた」は「ケチ」としか載っていなかったらしい。私がした説明は、「それは英語で言えば全部FUCKになる」。日本語は、いわゆる放送禁止にあたるようなことばは少ないが、そのかわり様々な言い換えをしている。だから、上記の文章、「ろくでもない」「わけのわからない」「しみったれた」「馬鹿げた」を入れ替えても「意味」は通じてしまう。こんなぐあい。「しみったれた」三軒茶...村上春樹の日本語

  • 三木清「人生論ノート」から「秩序について」

    イタリア人青年と読む三木清。「秩序について」は、散らかった書斎から、外的秩序と内的秩序の違いから書き始める。途中から、経済、物理、国家(体制)を経て、最後の一段落は「人格とは秩序である。」という短い文章ではじまる。この「人格とは秩序である。」にことばを補うと、どういうことばが考えられるか。私の質問は、かなり抽象的な質問なのだが。彼は「人格とは心の秩序である」と、ほとんど即座に答えた。びっくりしてしまった。同じように即答できる日本の高校生が何人いるだろうか。50人にひとりくらいかもしれない。選択問題なら、答えを選べるが、自分でぜんぶ考えないといけない。途中に「今日流行の新秩序論」ということばがあって、これは三木清が生きた時代を知らないと説明がむずかしいのだが(私は歴史が苦手で説明に困るのだが)、彼は東条英機...三木清「人生論ノート」から「秩序について」

  • Estoy loco por espana(番外篇260)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensCuandolapersonaconsiguealgo,hayunacosaquedebehacer.Abrirlosbrazos.Aunqueperderaquelloaloquehatenido.Habíamásenesapalabra,yhabíaunapalabraantesdeesapalabra.Lasoítodas,perosemelasolvidé.Losbrazospermanecíanabiertos.Losojospermanecíanabiertoshacialolejos.Labocatambiénestabaabierta,gritandoensilenciopalabrasquenodebíanpronunciarseenvozalta....Estoylocoporespana(番外篇260)Obra,JoaquínLlorens

  • 「現代詩手帖」12月号(9)

    「現代詩手帖」12月号(9)(思潮社、2022年12月1日発行)関口隆雄「ごはんつぶ」には、「ある老夫婦の会話」という副題がついている。ふたりとも死んだのか生きているのか、ご飯を食べたのか食べていないのか、よくわからない(よくおぼえていない)というやりとりをしている。わたしゃこのごろいきているのかしんでいるのかわからなくなりましたよばあさんあんたはもうしんでいますよそうですかいつしんだんですかねきのうしんだんですよきのうですかよくおぼえていないですねこまりましたねこれは、「わざわざ」「わざと」書いているとも言えるし、「わざと」「わざわざ」書いているとも言えるが、私は「わざわざ」「わざと」書いていると読んだ。どう違うのか。どうも違わない。「わざわざ」書き始めたら、それが「わざと」を含みながら広がっていき、「...「現代詩手帖」12月号(9)

  • 「防衛の視座」の視座(読売新聞記事の書き方、読み方)

    2022年12月18日の読売新聞(西部版・14版)で「防衛の視座」という「作文」連載がはじまった。「安保3文書閣議決定」を受けての、「勤勉」な作文だ。きのう、↓↓↓防衛研究所の高橋杉雄・防衛政策研究室長は「抑止が破られる可能性を低くし、均衡を保つには、日米の足し算が必要だ。米国の足らざる部分をいかに日本が埋められるかが鍵を握る」と語る。↑↑↑という記事があることを紹介した。ポイントは「米国の足らざる部分をいかに日本が埋められるか」。アメリカが補完するのではなく、日本がアメリカを補完する。これが「集団的自衛権」の本質。連載の一回目は「「戦える自衛隊」へ脱皮」という見出し。この見出しには、「どこで」戦うかが書いてない。日本で?違う。「外国で」(国外で)である。そして、この国外で戦うことを、あるときは「集団的自...「防衛の視座」の視座(読売新聞記事の書き方、読み方)

  • 斎藤茂吉『万葉秀歌』(17)

    斎藤茂吉『万葉秀歌』(17)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)矢釣山木立も見えず降り乱る雪に驟く朝たぬしも柿本人麿雪を描写する「矢釣山木立も見えず降り乱る」が、とてもいい。山はかすかに見えるが木立は見えない。雪が降り乱れる。もっと激しくなると、山も見えない。雪だけが見える。そのなかで馬に乗って走る。私は馬に乗ったことがないが、楽しいだろうなあ、と思う。「うくつくあしたたぬしも」は、肉体が熱くなるような響きを持った音である。馬の体と、乗っている人間の体が一体になって熱くなる感じ。もののふの八十うぢ河の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも柿本人麿音がとてもまっすぐ。現代短歌にはない響きだなあ、と思う。「矢釣山木立も見えず降り乱る」と違って、何も描写していないような前半部分がおもしろい。「八十う...斎藤茂吉『万葉秀歌』(17)

  • 「現代詩手帖」12月号(8)

    「現代詩手帖」12月号(8)(思潮社、2022年12月1日発行)山田兼二「病室のクリスマス・キャロル」。山田は、つい先日死んだ。この詩を書いたときは、生きている。あたりまえだが。入院中に書いた詩だ。その最終連。職員が数人開け放した扉の外を往来しているがだれも近づいてこない呼ぶこともできないどこからか鐘の音が聞こえてくるクリスマス・キャロルが遠ざかって一年が去っていく遠く遠く明後日の方へ「クリスマス・キャロルが遠ざかって」行く、と詩を終わらせることもできる。ふつうは、そう終わるかもしれない。しかし、山田は一年が去っていく遠く遠く明後日の方へと書き足している。この一行が、非常に重い。「明後日の方」と、時間的に「未来」であることが、さらに重い。山田は、この一行を、力をふりしぼって、「わざわざ」書いたのである。こ...「現代詩手帖」12月号(8)

  • 閣議決定でいいのか(読売新聞記事の書き方、読み方)

    2022年12月17日の読売新聞(西部版・14版)は、安保3文書、税制改正一色の紙面。あ、戦争がはじまった、と私は震えてしまった。書きたいことが多すぎて、とても書き切れない。少しだけ書く。(番号は私がつけた)↓↓↓「反撃能力」保有明記/安保3文書閣議決定/戦後政策を転換(見出し)①政府は16日、今後10年程度の外交・防衛政策の指針となる「国家安全保障戦略」などの3文書を閣議決定した。②自衛目的で敵のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」の保有を明記し、戦後の安保政策を転換した。③中国の台頭などで揺らぐ国際秩序を守るため、防衛費と関係費を合わせて2027年度に現在の国内総生産(GDP)比2%とし、防衛力を抜本的に強化する。↑↑↑私が一番問題にしたいのは、①「閣議決定」である。安倍以来、いろいろなことが「...閣議決定でいいのか(読売新聞記事の書き方、読み方)

  • 池田清子「白」、青柳俊哉「モナリザ」、杉惠美子「クリスマス」、木谷明「葉音」、徳永孝「招待状」

    池田清子「白」、青柳俊哉「モナリザ」、杉惠美子「クリスマス」、木谷明「葉音」、徳永孝「招待状」(朝日カルチャーセンター、2022年12月05日)受講生のひとりが西脇順三郎の詩を持ってきた。まず、それを読んで、そのあとみんなの作品に西脇に通じるものがあるか(似たことばづかいがあるか)、あるとすればどれか、ということから語り始めた。秋2西脇順三郎生垣のさんざしの秋の中にあごをさして居眠る乞食の頭をよこぎるむらさきの夢はミローの庭の断面に黒く流れる注ミロージョアン・ミロ20世紀のスペインの画家。シュルレアリスム。西脇順三郎1894年(明治27年)-1982年(昭和57年)詩人、英文学者。第二次世界大戦前のモダニズム、ダダイスム、シュルレアリスム運動の中心人物。出典禮記1967年(昭和42年)西脇を初めて読む受講...池田清子「白」、青柳俊哉「モナリザ」、杉惠美子「クリスマス」、木谷明「葉音」、徳永孝「招待状」

  • 「現代詩手帖」12月号(7)

    「現代詩手帖」12月号(7)(思潮社、2022年12月1日発行)蜆シモーヌ「乙女」。あたしとてもきのこになりたいこの二行は、小学生が「ぼくはきょうりゅうになりたい」と書くのに似ている。違うのは、そのあとだ。きのこになるまでの途方もないみちのりにいつかなりたい森のしめりけのひふのうえをかしこくかしこく微分してひくくひらたくへりくだるきのこの実をむすぶあのやり方がとてもすき「きのこ」そのものよりも、「みちのり」、言い換えると「過程」になりたい。これはこどもには思いつかない。しかも、その過程は「途方もない」のである。長いのか、変化に富んでいるのか。それが「森のしめりけの」以下につづいていく。こういうことは「わざと」書いているのだが、その「わざと」はていねいなので、「わざわざ」になる。ほかの行はなくてもいいなあ。...「現代詩手帖」12月号(7)

  • 「現代詩手帖」12月号(6)

    「現代詩手帖」12月号(6)(思潮社、2022年12月1日発行)福間健二「フミちゃんの眠らない夜」は、「後注」がついいてる。二十三歳のフミちゃん、金子文子(一九〇三-一九二六)の没年を意識して。そこから書きはじめて、金子みすゞ(一九〇三-一九三〇)をひっぱりだして終わることになるとは思っていなかった。文子とみすゞ、同年生まれで、文子の方が少し上。これは「わざと」書いたのか、「わざわざ」書いたのか。「わざわざ」と私は思った。私はふたりの生まれた年も死んだとしも知らないが、そういう読者は多いだろう。その読者のために「わざわざ」書いてくれているのである。福間は、親切な人なのだろう。いまは、親切は親切とはいわずに、「おせっかい」というかもしれないなあ。詩のなかに、キス、やたらにするもんじゃない。いまはとくに。ほら...「現代詩手帖」12月号(6)

  • Estoy loco por espana(番外篇259)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorens¿Sabes?Loquemiraba,loquepensaba,mientrasdabavueltasalrededordetuescultura.Telodirésóloati.Delante,detrás,derecha,izquierda.Cadavezquecambiodeposición,cambialaformadetuobra.Pero,¿sabes?Lasombraenlaparedyenelsuelosiguensiendolamisma.Avecesdoylaespaldaalaobraparacomprobarlasombra.¿Quéesunasombra?¿Porquénocambiadeforma?¿Acasolasombraqueemer...Estoylocoporespana(番外篇259)Obra,JoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇258)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPabloLas2orillas"Seriepictografias100x100cm.quésemueve?yate?olas?viento?luz?gente?color?sonido?tiempo?memoria?sifueraunpoeta.....conquépalabraempiezascuandoescribesunpoema?Estoylocoporespana(番外篇258)Obra,JesusCoytoPablo

  • 現代詩手帖」12月号(5)

    「現代詩手帖」12月号(5)(思潮社、2022年12月1日発行)奥野埜乃「(とつとつと…」。書き出しから、私には、何が書いてあるのかわからない。とつとつとシグナルを送る凹んだ臍のうえにわたしの指がなめらかな波紋を広げたとき、彼女は水面から、深く、深く、いつもの姿勢で沈んでいっている最中だった。そう、いつもならわたしをハグするためのこと、彼女は陽が差し込まなくなる水底へとゆっくりゆっくり降りていく。何がわからないかといって、「わたし」のいる位置である。「わたし」は水底にいる。「彼女」は、水底にいる「わたし」とハグするために水中に降りていくということか。そうであるなら、「わたし」から見れば「沈んでくる」「降りてくる」だろう。「沈んでいく」「降りていく」というかぎりは、私は水の外にいる。それでは「ハグ」できない...現代詩手帖」12月号(5)

  • Estoy loco por espana(番外篇257)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablo"Encompañíadelalluvia"Seriepictografiasallaporel2010,200x200cmLapalabraescritasiguiendolaluzdelamañanaenundíalluviosorecuerdaelcuadrodeunhombrecaminandobajolalluvia.Lapalabraescritasiguiendolaluzdelamañanaeneldíalluviosoestárelacionadaconunsueñoenelqueintentabarecordarunrecuerdoquenopodíarememorar.Enelsueño,llueveyelhombrecaminabajolal...Estoylocoporespana(番外篇257)Obra,JesusCoytoPablo

  • Estoy loco por espana(番外篇256)Obra, Angel Jose Lafuente Jimenez

    Obra,AngelJoseLafuenteJimenezLaobradeÁngelJoséLafuenteJiménez,estaobratienecurvaturanaturalysuave.Estacurvaturatienelalibertaddeuncuerpohumanovivo.Silatococoneldedo,¿noempezaráamoverse?Nocambiasimplementedeformacuandosepresionaconlosdedos.Cambiadeformainvitandoalmovimientodelosdedos.Escomounapartedelcuerpodeunamujerhermosa.Tieneunaflexibilidadqueinvitaato...Estoylocoporespana(番外篇256)Obra,AngelJoseLafuenteJimenez

  • 「現代詩手帖」12月号(4)

    「現代詩手帖」12月号(4)(思潮社、2022年12月1日発行)井坂洋子「秋の廊下」。夢からさめて九歳父母の寝室のドアの前で少しためらい小声で母を呼ぶ九歳ともなれば、なんでもわかるからね。大人の会話の中身は。そして、聞きかじった会話から、耳年増の子どもが想像することは、ほとんど正確である。たぶん、本能が教えてくれるから、間違えようがないのだ。ということを井坂が書いているかどうかは、問題ではなく、私はそういうことを考えたということ。ここに書いてあることは、現実か、記憶のなかで「変形」したものかわからないが、私は意識のなかで変形した記憶だろうと思って読んだ。途中は端折って、最後の連。ドアの前で少しためらい透き通っていく腰のあたりの背骨のとがり遠い時間が曲がってきそうなところを何度も何度も撫でているいいなあ、こ...「現代詩手帖」12月号(4)

  • 「現代詩手帖」12月号(3)

    「現代詩手帖」12月号(3)(思潮社、2022年12月1日発行)たかとう匡子「夜毎の夢」。ひとびとがスマホ片手にわめいているアドレスがいつのまにか全部消えたつながるものが何もない「スマホ」も「アドレス」も、「いま」どこででも語られることばである。昔は存在しなかった。その「日常のことば」が詩のなかにあらわれる。これは「わざわざ」書いたものなのか。無意識に書いたものなのか。「わざわざ」書いたものと読みたい。つまり、いままで詩に書かれていなかったから、新しいことばとして書いた、と。しかし、その書き方は、私には「わざわざ」には感じられない。だから、四つ辻の角の100円ショップのおりたシャターに凭れてという「わざわざ」書いたと思われる一行まで、もしかしたら無意識に書いたのかもしれないと感じ、興味を持ち続けて読むこと...「現代詩手帖」12月号(3)

  • 三木清「人生論ノート」から「健康について」

    「健康について」は、とても難解である。健康の対極にあるのは何か。不健康=病気。人間はだれでも病気が嫌い。病気の延長線上にある死も嫌い。さらに健康には、肉体の健康のほかに精神の健康という問題もある。三木清は肉体の健康(病気)についても語っているが、途中から重心が精神の健康へとうつっていく。これを、どう説明するか。私はずいぶん考え込んだ。しかし。取り越し苦労だった。イタリアの青年は、三木清を読む前に同じテーマの作文を書くのだが、その作文が、健康の問題を、中国の不老不死を求めた皇帝に結びつけ、人間は必ず死ぬ、大切なのは肉体の健康ではなく精神の健康であると論を展開し、ことば(哲学)は死なないと書く。求めるべきは肉体の「不死」ではなく精神の「不死」であると結論する。三木清の文書を先に読んだとしても、彼のような作文を...三木清「人生論ノート」から「健康について」

  • 「現代詩手帖」12月号(2)

    「現代詩手帖」12月号(2)(思潮社、2022年12月1日発行)倉橋健一「さらば、小箱よ」。ツバメ印で長いあいだしたしまれてきた徳用マッチが時勢に押されてついになくなるという噂を聞く前の日のこと「噂を聞く前の日」が「わざわざ」だね。「噂を聞く前の日」は、存在するようで、存在しない。特定できない、という意味である。あるいは「意識」のなかにしかない、と言い換えればいいか。だから、これからはじまるのは「意識の劇」なのである。そして、この意識というものも「わざわざ」書かないと存在しないものであり、書けば存在してしまうというものでもない。ほら。朝焼け一羽の火の鳥がひとりの天使(えんじぇる)をくわえるとと書いたあと(もっとも天使を見たというのは)私のまったくの主観でと書く。「主観」ということばで、存在するかもしれない...「現代詩手帖」12月号(2)

  • 「現代詩手帖」12月号(1)

    「現代詩手帖」12月号(1)(思潮社、2022年12月1日発行)2022年は(まだ20日間残っているが)、あまり詩を読まなかった。私のことばと、詩を書いているひとのことばが、あまりにもかけ離れてしまって、「わざわざ」詩を読む必要はないなあと感じるようになった。ちょっと思いなおして書いてみようかな、と考えたのは谷川俊太郎の詩に出会ったからだ。「わざわざ書く」。一連目は、こうはじまっている。物でも人の生き方でも美しいなと思うと一呼吸おいてこれでいいのかと思うのはなぜだろうどこにも悪が見えないと不安になるほんの少しでも醜いものが隠れていないと本当でないような気がするうーん。「本当でないような気がする」のなら、それこそなぜこんなことを「わざわざ書く」のか。たぶん、「わざわざ」書くことが詩なのだ。言い換えると「わざ...「現代詩手帖」12月号(1)

  • Estoy loco por espana(番外篇255)Obra, Luciano González Diaz

    Obra,LucianoGonzálezDiazPequeñaesculturadeLuciano.Colgantequecuelgadeunacorreadecuero.Tieneunacalidezmisteriosa.Losdetalles,omásbienlaspartessalientes,sondoradosybrillantes.Parececomosielóxidosehubieradesprendidoporfriccióndebidoaloscontinuostoquesconlamano.Inclusodespuésderealizarlaobra,éstasiguecambiandocadavezquesetocaconlamano.Laformaensínocambiaporqu...Estoylocoporespana(番外篇255)Obra,LucianoGonzálezDiaz

  • Estoy loco por espana(番外篇254)Obra, Antonio Pons

    Obra,AntonioPonsUnaspectodelaculturajaponesaesel"wabi-sabi".Estoesdifícildedefinir.Sientowabi-sabi,peronopuedoexplicarloconotraspalabras.Cuandoencuentreconwabi-sabi,sólopuedodecirqueaquhaywabi-sabi.EnestaobradeAntonio,sientowabi-sabi.Lasensacióndelamaderaviejaeswabi-sabi.Lequedaun"mínimo"devidademadera.Es"mínima",peromedalasensacióndealgo"infinito",oenest...Estoylocoporespana(番外篇254)Obra,AntonioPons

  • Estoy loco por espana(番外篇253)Obra, Joaquín Llorens

    Estoylocoporespana(番外篇253)Obra,JoaquínLlorens2022年12月6日(火曜日)Obra,JoaquínLlorensT.Hierro75x34x18Navidad2022EsteseráelbeléndeJoaquínpara2020.IgualquelosjaponeseshacenadornosdeAñoNuevotodoslosaños,Joaquínhacebelentodoslosaños.Larepeticióntieneunpodermisterioso.Loquecambiaconlarepeticiónyloquenocambiaconlarepetición.Laformayeltamañodelostrestriánguloscambian....Estoylocoporespana(番外篇253)Obra,JoaquínLlorens

  • Estoy loco por espana(番外篇252)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablo"Larazóndelaconsciencia"1990Lapalabra"joven"mevinoalamenteencuantoviestecuadro.SinohubieraconocidolaobrarecientedeJesús,quizánohabríaprestadoatenciónaestecuadro.Estecuadroestállenade"juventud"y"limpieza".Ypor"juventud"y"limpieza"quierodecir"espiritualidad".Aquíhay"pureza".Enlajuventud,elcuerpo(eldeseo)sedesboca.Enoposiciónaesto,elespír...Estoylocoporespana(番外篇252)Obra,JesusCoytoPablo

  • 江里昭彦「風さえも共犯者となり船が岸を去るのを助けた」

    江里昭彦「風さえも共犯者となり船が岸を去るのを助けた」(「左庭」51、2022年11月25日発行)江里昭彦「風さえも共犯者となり船が岸を去るのを助けた」は俳句である。しかし、古典的な俳句ではない。出航やわが血液も唄いだす正面に長患いの城がある「古典的ではない」と書いたが、「古典的」かもしれない。いまそのものを感じさせることばがない。確固としたイメージがある。響きが鍛えられている。こういう俳句について感想を書くのはむずかしい。「意味」を語り直してみてもはじまらない。呪詛として岬でひらく十指かな「血液」「長患い」「呪詛」とつづけば、闘病している人間を思う。「血液」が、古い病気といっていいのかどうか分からないが「結核」を連想させる。結核患者が病棟を抜け出して、岬で風に吹かれている。吐血したとき、血を受け止めた手...江里昭彦「風さえも共犯者となり船が岸を去るのを助けた」

  • 坂多瑩子「スースーする」、長嶋南子「なにやってんのよ」

    坂多瑩子「スースーする」、長嶋南子「なにやってんのよ」(「天国飲屋」2、2022年11月26日発行)坂多瑩子「スースーする」は何を書いているか。いつだったか夜ふけ鏡をみると母が死んでいたよく似た顔だうんざりだもう死んで一〇年は経っている一緒につれていかれたあたしも死んで一〇年背中のどこかがスースーする母親に食べられたとこメロンパンが三個ポッカリ入る大きさちょっと哀しい日常が凝縮されてあたしを食べた母をあたしはいつか書くはずだったとファミレスで女友だちにいいああ友は夢のような美少女だったおかあさん死ぬのはいいけど美少女のあたしをつれていって残りかすみたいなあたしを残していったねそのせいであたしの書くものはいつも消しゴムの消しカスでいっぱいいつだったか夜ふけ鏡ににっこり笑ってやった母親が死んだ。十年になる。と...坂多瑩子「スースーする」、長嶋南子「なにやってんのよ」

  • オドレイ・ディワン監督「あのこと」(★★★)

    オドレイ・ディワン監督「あのこと」(★★★)(2022年12月03日、KBCシネマ、スクリーン2)監督オドレイ・ディワン出演アナマリア・バルトロメイノーベル文学賞受賞作家アニー・エルノーの小説が原作。主役の女性が1940年生まれという設定だから、1960年ごろのフランスが描かれていることになる。アメリカを揺るがしている中絶問題がテーマなのだが、フランスはそれをどんなふうに解決したのか、問題を克服したのか。しかし、映画は、これをフランスの問題、あるいは国家の問題としては描いていない。ひとりの女性がどう向き合ったか、そのとき社会が(男が)どう対応したか、それに対して主人公がどう反応したかに焦点を絞って描いている。だから。この映画の特徴は、視線が拡散していかないところにある。情報量が少ないわけではないのだが、す...オドレイ・ディワン監督「あのこと」(★★★)

  • Estoy loco por espana(番外篇251)Obra, Calo Carratalá

    Obra,CaloCarratalá¿QuépeintaCalo?Eseltamañodelespacio.Sóloveounespaciotremendamenteenorme.Nohaynadamásqueluz,yesinterminable.Laluzempujatodoalolejos,nosésieselhorizontedemarodetierra.Yluegohayunespaciofrentealcampusquenoserepresenta,peroqueesaúnmásgrandeyllenodeluzqueesainmensidad.Calopintalasiluetadeunhombreenprimerplano.Sinembargo,elprimerplanoesunprime...Estoylocoporespana(番外篇251)Obra,CaloCarratalá

  • 杉惠美子「小春日和」、徳永孝「雲の橋」、青柳俊哉「フィルター」、永田アオ「スポーツバッグ」、木谷明「十一月の挨拶」

    杉惠美子「小春日和」、徳永孝「雲の橋」、青柳俊哉「フィルター」、永田アオ「スポーツバッグ」、木谷明「十一月の挨拶」(朝日カルチャーセンター、2022年11月21日)受講生の作品。小春日和杉惠美子やわらかなものはみどり児の手やわらかなものは秋の陽だまりやわらかなものは明日を待つこころ視線を少し遠くに向けて次の季節を予感しようと思う待ってみようと思う少しバランスが取れてきそうな気がする心を拡げることが出来たら違う時間が流れそうな気がするどの行が好き?そこから詩に近づいていくことにした。「待ってみようと思う」。最後につながる行。待つことが大切。問題があっても、待っていれば解決する。「違う時間が流れそうな気がする」。少しずつ気持ちが外へ動いていく。それが違う時間、違う世界につながる。「やわらかいもの」の繰り返しの...杉惠美子「小春日和」、徳永孝「雲の橋」、青柳俊哉「フィルター」、永田アオ「スポーツバッグ」、木谷明「十一月の挨拶」

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