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降りていくブログ https://kurahate22.hatenablog.com/

生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。

生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。

ヨネ
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住所
北区
出身
新居浜市
ブログ村参加

2014/09/24

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  • 「負」を受けいれるために 「内面」の問題化から構造の問題化へ

    心はなかなかに負を受け入れられない。負を内面において受け入れることは、社会的に謝罪することだったり、罰を引き受けること、公的な場において自分の振る舞いを統制することとはまた別のことだ。根本的な問題の改善には社会的な「責任」の全うと内面における受け入れの両方が必要だろう。 物語のなかで悪いことをするのは狼や狐のようなものだったりする。が、物語で書かれていることは人間のことであるので、それが狼だろうが狐だろうが非生物であろうが関係なく、人間のリアリティについて書かれている。 物語は人間のリアリティを人間の心が受け入られる次元にして経験させ、自身への受け入れを可能にする媒体でもある。そこで受け入れが…

  • 個人の変容と社会環境の更新は同時的ではないのか

    話しあいの場があり、あらためて考えたことを。 個人の内面が変わっても社会の仕組みが変わらなければ何も変わらないのではという意見がでる。あるグループや組織のなかで、マイノリティの占める割合を多めに固定するといったような海外のアファーマティブ・アクションの事例が紹介される。そう考えるならば次の発想としてはとにかく仕組みを変えるために社会システムに働きかけていく力をため、運動をやっていくということになるだろう。 その考えにはもちろん一理あると思う。しかし、その社会システムに働きかけるに足る力を獲得していこうとするとき、結局は大きな力が重要なのだという結論に行き着かないだろうかと思う。 社会を変える大…

  • 意味と無意味

    SNSで下記のブログが紹介されていた。siusiu.hatenablog.jp 筆者は「天国のゲーム」の条件として「忙しさを感じること」と「受動的であること」を挙げている。 「天国のゲーム」には条件があります。 それはプレイ中に「忙しさを感じること」。忙しいときは時間が早く経過するでしょう? ここ天国では退屈を感じないように忙しいゲームが推奨されています。それに「忙しさを感じるゲームは良いゲームの証である」と誰かが言っていたのを聞いたことはないですか? 求められる条件の2つ目は、「受動的であること」です。 もうウンザリでしょう? 何かをやりなさい 何を? それは自分で考えてください、みたいな話…

  • 「見捨てられた」個々人ができること

    テレメンタリー「私がやらない限り〜性暴力を止める〜」の感想を『「観客席」から降りて』ブログに寄稿させてもらいました。 pirosmanihanaco.hatenablog.com ドキュメンタリー番組 テレメンタリー2020【土曜放送】 - 本編 - 私がやらない限り〜性暴力を止める〜 【ABEMAビデオ】見逃した番組や話題のニュースが無料で視聴可能 べてぶくろ性暴力事件は告発後、半年以上がたった今もまともな向き合いがされていません。べてぶくろは「当事者研究」を使って、事件を被害者の心のうちにおさめさせ、そのまま済ませようとしました。そして告発後も時間が経って世間がこの事件をこのまま忘れる…

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