庭のバラの蕾が、次々に花を咲かせ、バラの花を楽しめる季節になりました。原産地は北半球の熱帯~亜熱帯です。分布は日本全国です。花期は5月~6月、9月~10月です。用途は切り花、鉢植え、庭植えです。花言葉は「深い愛情、嫉妬」と紹介されています。今日は庭のバラの蕾とバラの花とハナニラの花を紹介致します。1.バラの蕾とバラの花(1)バラの蕾(2)バラの花2.庭に咲いているハナニラの花庭のバラの蕾とバラの花とハナニラの花♪
1.神の王国の良いたよりの真理・聖書の紹介 2.花々と風景写真 3.俳句 4.時代の変化
イエス・キリストの伝道の主要なテーマは「神の王国の良いたより」でした(ルカ4:43;8:1)。ですからイエスの真の追随者はいつでもどこでも神の王国の良いたよりの真理を徹底的に証しします(マタイ24:14;28:19,20.使徒28:23)。「神の王国の良いたより」に勝る良いたよりはどこにもありません。加えて聖書からの日々の生活に役立つ「目立った言葉」や趣味の花々、風景の写真、俳句を紹介致します。
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庭のバラの蕾が、次々に花を咲かせ、バラの花を楽しめる季節になりました。原産地は北半球の熱帯~亜熱帯です。分布は日本全国です。花期は5月~6月、9月~10月です。用途は切り花、鉢植え、庭植えです。花言葉は「深い愛情、嫉妬」と紹介されています。今日は庭のバラの蕾とバラの花とハナニラの花を紹介致します。1.バラの蕾とバラの花(1)バラの蕾(2)バラの花2.庭に咲いているハナニラの花庭のバラの蕾とバラの花とハナニラの花♪
私が4,5歳の時の記憶ですが、夏の雨上がりの日父に連れられてキュウリ畑にキュウリ取りに行きました。キュウリ畑の畝と畝の間には枝木が敷かれていて、キュウリを取るためにその枝木を踏んで畑に入ると、マムシの大群がシュルシュルと、隣の小川に走り、里山に上って逃げました。びっくり仰天で、父としばらく道に逃げて様子を見ていましたが、マムシの大群は全部逃げたと思い、再び枝木を踏んでキュウリ畑に入ると、再び数十匹のマムシの大群が逃げ始めました。その時、父は気を取り直し、持っていた天秤棒で、逃げるマムシの頭を叩き十匹位捕らえました。この出来事を地域の古老に伝えると、古老が私に「将来良いことが沢山起きる」、と言って慰めてくださいました。以来、蛇を見ると恐ろしく、蛇が大嫌いになりました。その後はマムシの大群に出遭うことはありま...4,5歳の頃に、マムシ(ハメと呼ばれていた毒蛇)の大群に出遭った記憶!
聖書には、タマルを辱めたアムノンは、辱めたタマルを外に出し、鍵を掛けると、タマルは頭に灰をかぶり、上等の長い衣服を引き裂き、泣きながら去っていった、ことが記されていました。続いて、聖書には兄のアブサロムがタマルに言った言葉が次のように記されています。「兄のアブサロムが彼女(タマル)に言った。「一緒にいたの(辱めを与えたの)はアムノン兄さんだったのか。いいか、タマル、黙っていなさい。彼はあなたの兄だ。このことを気に病まなくていい」。それでタマルは兄アブサロムの家に住み、人と会わないようにした。ダビデ王は一部始終を聞き、非常に怒ったが、アムノンを責めるようなことはしなかった。長男であるアムノンを愛していたからである。アブサロムはアムノンに何も言わなかった。妹タマルを辱めたアムノンを憎んでいた。」(サムエル第二...兄のアブサロムがタマルに、辱めを受けたことを「黙っていなさい」と言った♪
第二次世界大戦も終わり次第に落ち着きを取り戻し平穏な日々が続くようになりました。しかし、食糧難が続くようになり、当時中年のおばさんは大風呂敷に反物を入れて背中に担ぎ、家から家を訪問販売をされていました。また自転車にトロ箱を積み、魚を売りに来られるおばさんもいました。そうした訪問販売人が来られると祖母や両親は家に招き入れ、食事をさせて親切にする姿を思い起こします。祖母や両親は、早くから家は柿やみかんを栽培しており、収穫にいくと、「振り返ってみてはならない。取り残しは恵まれないひとたちのものだから・・・」と、教えられたものです。稲も「仮の残し」を振り返らないように、教えられました。また、祖母は畳裏の「こも編み」を畳屋さんに依頼され、「こも編み」が日課で、私はそのお手伝いもしていました。するとご褒美に飴玉をいた...4歳頃から7歳頃までの記憶♪
聖書には、アムノンは病気を装い、美しいタマルを家に呼び、お菓子作りをさせ、力ずくで彼女を犯し辱しめたことが記されていました。引き続き聖書はアムノンについて次のように記録しています。「アムノンは若い従者を呼んで言った。「この女(タマル)をここから外に出し、鍵を掛けておけ」。(タマルは特別な長い服を着ていた。それは、処女である王の娘たちが着る服だった。)。従者は彼女(タマル)を外に連れ出し、鍵を掛けた。タマルは頭に灰をかぶり(頭に灰をかぶる行為は身を清めの行為)、着ていた上等の長い服を引き裂いた。手を頭に置いて歩き、泣きながら去っていった。」(サムエル第二13:17~19)。アムノンはタマルを犯し、家から外に追い出し、鍵を掛けさせました。タマルは頭に灰をかぶり、汚された身を清めています。タマルは、上等の長い服...アムノンは若い従者に、「この女(タマル)を外に出し、鍵を掛けておけ」と指示した!
我が家の庭では紫カタバミの花が奇麗に咲いています。特別、手入れをしませんが、とても元気な花で毎年咲きます。若葉と花は食用になるそうですが、食べたことはありません。山野草図鑑では花期は6月~9月と紹介されていますが我が家では写真のように咲いています。原産地は南アメリカ原産で、日本には江戸時代に観賞用として輸入されたようです。現在では野原や空き地、畑地や庭に広く分散し野生化しています。1.庭に咲いている紫カタバミの花2.庭に咲いている黄色のカタバミの花庭に咲いている紫カタバミの花と黄色のカタバミの花♪
昭和21年の私が4歳の時に生じた南海地震の記憶が鮮明に残っています。とても大きな地震で、地震が発生すると父が私を抱きかかえ踏み段から土間に下りようとしましたが、揺れが激しく父が土間になかなか下りることができなかったのを記憶しています。揺れが収まり、玄関の引き戸を開き、父は私をたき抱えたまま庭に出ましたら、屋根瓦が多数落ちて割れていたのも覚えています。後に祖母や両親から聞いた話では、我が家は集落の高台にあったのですが、津波が我が家の下の地域から奧高串まで来た、と言っていて、津波の用心も肝心と言っていたのを思い起こします。最近こちらではM6.6の大地震があり、津波こそ来ませんでしたがあちこちで被害が生じています。我が家も棟瓦の修理が必要ですが、業者の方の手が不足しているようで、いつ修理をして頂けるかめどが立ち...4歳の時(昭和21年)の南海大地震の記憶!
聖書には、アムノンが病気のふりをし、ダビデ王が見舞いに来ると、美しいタマルを食事の用意に遣わしてくださるように頼んだ結果、ダビデ王は人を遣わしタマルがアムノンの食事の用意をするためにアムノンの家に訪れたことが記されていました。さてアムノンの悪い企みはどのような結果を招くでしょうか。聖書は次のように記録しています。「アムノンはタマルに言った。「食事を寝室で食べられるよう持ってきてくれないか」。タマルは作った菓子を寝室にいる兄アムノンの所に持っていった。すると、アムノンはタマルをつかまえて言った。「妹よ、さあ、私と寝ておくれ」。彼女(タマル)は言った。「いけません、お兄さま!私を辱めないでください。イスラエルではそのようなことをしてはならないのです。そんなひどいことをしないでさい。(性的な)辱しめを受けたら私...アムノンは美しいタマルを、力づくで犯し、辱めた後、「出ていけ!」と怒鳴った!
私がまだ3歳の時の記憶ですが、終戦を迎え松山市に衛生兵として徴兵されていた父が、「広島にピカドンが落ちた!」と言って帰って来ました。私はまだ「ピカドン」とは何かを知りませんでした。恐らく父も「ピカドン」とは何かを知らず、周りでそのように言われていたのを聞いて、伝えてくれたのだと思います。私が父の言った「ピカドン」の意味を知ったのは小学5,6年生になった時、学校から引率され、戦争の記録映画を観に言った時でした。中学1年になると社会科で学びました。記録映画では広島に原爆が投下され、焼け野が原になり、橋のたもとに熱で蒸発した人の影が残っている映像や多くの被爆死した人々の表現のしようのない屍の記憶が、今でも消えないで残っています。それはそれは恐ろしい光景でした。戦争の歴史の中で最も悲惨で野蛮な原爆が用いられたので...終戦を迎え、父は松山から「広島にピカドンが落ちた!」と言って帰って来た!
庭にバイカウツギの木が2本あり、今年も花を咲かせてきました。バイカウツギの花は新緑に映える白色の美しい花です。原産地は日本です。分布は本州、四国、九州です。花期は5月~6月です。用途は鉢植え、庭木です。花言葉は「仮面」と紹介されています。今日は庭に咲いているバイカウツギの花と花トラの尾の花と黄色のアヤメの花を紹介致します。1.バイカウツギの花(ほのかに梅の香りがします)2.庭に咲いている花トラの尾3.庭に咲いている黄色のアヤメの花庭に咲いているバイカウツギの花と花トラの尾と黄色のアヤメの花♪
聖書にはダビデの子アムノンがダビデの子アブサロムの美しい妹タマルに恋をし、思い煩うようになり、利口なエホナダブが、アムノンに「ベッドに横になり、病気のふりをしなさい」と伝え、何をすべきかを教えた、ことが記されていました。事態はどのように進展するでしょうか。聖書は、次のように記しています。「そこでアムノンは横になって病気のふりをした。(ダビデ)王が見舞いにやって来たので、王に言った。「妹のタマルがここに来るようにして頂けませんか。タマルが私の目の前で菓子を2っ焼くようにしてください。それを出してもらったら、食べます」。それでダビデは人を遣わし、家にいるタマルこう伝えさせた。「アムノン兄さんの家に行って、食事を作ってあげてほしい」。タマルが兄アムノンの家に行くと、アムノンは横になって(病気のふりをして)いた。...アムノンは横になって病気のふりをし、アブサロムの妹タマルを食事に遣わすように依頼した♪
お隣の庭に芍薬の花が奇麗に咲いています。この花は美しい女性の立ち居振る舞いに例えられる花です。美しい女性の立ち居振る舞いを表す言葉に、「立てば芍薬、座ればボタン」という言葉があります。この花の原産地は中国、朝鮮半島です。用途は切り花、鉢植え、花壇、薬用です。花言葉は「優美」と紹介されています。今日は芍薬の花とヒルサキツキミソウの花とネギ坊主を紹介致します。1.芍薬の花2.お隣の庭のヒルサキツキミソウの花2.近くの畑のネギ坊主芍薬の花とヒルサキツキミソウの花とネギ坊主♪
聖書にはダビデ王は、民を連れ出し、石切り、鉄の刃物や鉄のおのを使ったきつい仕事をさせたことが記されていました。これは王として住民の福祉に反する行為でした。引き続き聖書には次の内容が記録されています。「ダビデの子アブサロムにはタマルという美しい妹がいた。ダビデの子アブノンはタマルに恋をした。アムノンは妹タマルのことで思い悩み、具合いが悪くなるほどだった。彼女は処女で、アムノンは彼女に何もできそうになかったからである。アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子で、エホナダブという名の友人がいた。エホナダブは利口な人だった。エホナダブは言った。「王の子であるあなたが、どうして毎朝そんなに思い悩んでいるのですか。話してくれませんか」。アムノンは言った。「タマルに恋をしているのです。私の弟アブサロムの妹です。」。エホナダ...ダビデの子アブサロムにはタマルという美しい妹がいた♪
私が3歳の時に、第二次世界大戦の終戦の前に宇和島大空襲がありました。その大空襲の時、私は父親に抱かれて、100m位離れあ所にある「金堀山(かねほりやま)」と呼ばれていた防空壕があり、そこに逃げ込む姿を覚えています。その防空壕に逃げて行く道から街が真っ赤に焼けている様子が鮮明に残っています。防空壕内は地域の方々が非難してきており、赤ちゃんの鳴き声がしていました。すると誰かが「赤ちゃんを泣かすな!B29に聞こえる!」と怒鳴っていたのも覚えています・・・我が家には街に住む親族が疎開してきて住んでいましたが、空襲警報が鳴ると、親族は真っ先に裸電球の傘に光が外に漏れないようにする専用のカバーをかけ、新しく作った家族用の防空壕に逃げて、B29が飛び去るのを見ていたのも記憶に残っています。街に住んでいた父親の姉は焼夷弾...3歳の時の第二次世界大戦中の宇和島大空襲の記憶♪
聖書には、ヨアブは戦いで功績を残しましたが、ダビデの功績となるように謙遜に対処したことが記されていました。引き続き聖書にはダビデ王について次のように記されています。「それでダビデは全軍を集めてラバに行き、戦って攻め落とした。そしてマルカム(偶像)の頭から冠を取った。それは34キロの金でできた冠で宝石が付いており、ダビデの頭に置かれた。ダビデは都市から非常に多くの物を奪った。また、都市にいた民を連れ出して、石切り、鉄の刃物や鉄のおのを使う仕事、(重労働の)れんが作りを行わせた。アンモン人の全ての町に対してそのようにした。やがてダビデと兵士たち皆はエルサレムに帰った。」(サムエル第二12:29~31)。上の聖句に記されている通り、ダビデ王は主さ34キロの宝石の付いた金の冠をマルカムの頭から取って自分の頭に置い...ダビデはマルカムの頭から金34キロでできた宝石の付いた冠を取り、頭に置いた♪
私の母に関する記憶で一番古いものは、第二次世界大戦中の2歳の時のものです。80年前の母の思い出です。丁度綿雪がちらちら舞っていて、農業用の池の傍の傍を母親に背おられている状況でした。綿雪が時々顔に舞い落ち、「防空頭巾」をかぶっていたのも覚えています。「防空頭巾」は母の手作りで、木綿の布に2cm位の綿を入れて作られ、とても暖かでした。母に背おられていたので、綿雪の舞う中、母の白いうなじが目の前にあり、今も鮮明に覚えています。母の実家に行くと今も当時の農業用の池が残っておりそこを通ると、母に背おられてそこを通っていた記憶がよみがえります。皆様方の母親に関する一番最初の思い出はどのような思い出でしょうか。1.下の写真はパンフラワーの先生に頂いたパンフラワーの作品です。私が2歳の時の母の思い出♪
聖書には、ダビデ王は妻のバテ・シバを慰めたことが記されていました。やがてバテ・シバに男の子が生まれ、ソロモンと名付けられたことも記録されていました。このソロモンは後に「賢王ソロモン」として知られるようになった人です。引き続き聖書には次の興味深い内容が記されています。「ヨアブはアンモン人の王のラバを攻め続け、攻略した。ヨアブは使者たちをダビデに送り、こう伝えさせた。「ラバを攻め、水の都市を攻略しました。残りの兵士を集めて年に向かって陣営を張り、攻め落してください。さもないと、私が都市を攻め落とすことになり、私の功績になってしまいいます」。(サムエル第二12:26~28)。上の聖句に記されている通り、ヨアブは使者たちをダビデ王に送り、自分が水の都市を攻め落とすなら自分の功績になってしまうので、ダビデ王が残りの...ヨアブが使者たちを送り伝えさせた言葉;ヨアブは自分の功績を求めなかった♪
宇和島市の道の駅・きさいや広場には屋外ステージがあり、テーブルや椅子が沢山並べられています。買い物客の方や外国からの観光客の方々も休んでおられます。私も出荷後に時間がある時は休み、知り合いの方々と話しに花を咲かせます。すると鳩たちが餌を求めてヨチヨチ歩いて足元にやって来るのでとても可愛いです。与える餌を持っていないと、そばを離れて行きます。今日は宇和島市の道の駅・きさいや広場の鳩たちと庭に咲いている山吹と胡蝶蘭とリンゴの花を紹介致します。1.きさいや広場の鳩たち2.まだ元気に庭で咲いている山吹の花3.卓上の胡蝶蘭3.庭に咲いているリンゴの花宇和島市の道の駅・きさいや広場の鳩たちと庭に咲いている山吹と胡蝶蘭とリンゴの花♪
聖書には、ナタンがダビデに伝えた通り、ダビデの子供は病気になり7日目に死んだことが記されていました。引き続き聖書はダビデについて次のように記しています。「ダビデは、家来たちが(自分の子供が死んだことについて)ひそかに話し合っているのを見て、子供が死んだことを悟った。そして家来たちに、「あの子は死んだのですか」と言った。家来たちは、「お亡くなりになりました」と答えた。するとダビデは床(ゆか)から起き上がり、体を洗って油を塗り、着替え、エホバの家に行ってひれ伏した。その後、自分の家に行って食べ物を用意させ、食べた。家来たちはダビデに尋ねた。「「どうしてそのようになさるのですか。おお子さまが生きていた時は断食して泣いておられたのに、亡くなられるとすぐに起き上がって食事をなさいました」。ダビデは答えた。「あの子は...ダビデは、家来たちがひそかに話し合っているのを見て、子供が死んだことを悟った♪
ツツジの花は子供の頃から馴染み深い花です。この花は種類が多く800種以上あるそうです。原産地は日本、朝鮮、台湾です。花期は4月~6月です。用途は鉢植え、庭植え、垣根、盆栽です。花言葉は「節制」と紹介されています。今日は庭に咲いているツツジの花とお隣の庭のアヤメの花を紹介致します。1.庭に咲いているツツジの花2.お隣の庭のアヤメの花庭に咲いているツツジの花とお隣の庭のアヤメの花♪
ある医院の庭に大輪のクレマチスの花が奇麗に咲いていました。このクレマチスの花は、古くから愛好家が多いようです。花の名前の由来は、つる性から、ギリシャ語の「巻きひげ」によるそうです。原産地は日本、中国です。花期は4月~6月です。用途は花壇、鉢植え、庭植えです。花言葉は「許されぬ恋」と紹介されています。私なら花言葉は、「初夏の風」と付けたいです。今日はクレマチスの花と早くも咲いているハイビスカスの花とハナニラの花を紹介致します。1.クレマチスの花2.かかりつけの医院の庭に早くも咲いている「ハイビスカスの花」3.庭に咲いているハナニラの花クレマチスの花と早くも咲いているハイビスカスの花とハナニラの花♪
祭司であるエレアザルの子ピネハスとイスラエルの各部族の長10人が、ルペン族とガド族、マナセ族の半分の所に来て、「私たちの間に定住してください。エホバに反逆してはなりません。私たちの神エホバの祭壇のほかに自分たちで祭壇を作らないでください」と、諭したことが記されていました。引き続き聖書には次のように記されています。「ルペン族とガド族、マナセ族の半分は、イスラエルの数千人を率いる長たちにこう伝えた。「神の中の神、エホバ!神の中の神、エホバ!その方が知っており、イスラエルも知るでしょう。もし私たちがエホバに反逆し不忠実なら、今日私たちを容赦しないでください。もしエホバに従うのをやめて、全焼の捧げ物や穀物の捧げ物や供食の犠牲を捧げるために、自分たちで祭壇を作ったのであれば、エホバに処罰されます。でも、そうしたのは...ルペン族とガド族、マナセ族の半分がイスラエル軍の長たちに言った言葉♪
2日は好天に恵まれたので16時を過ぎてから宇和島市の石応、小池方面の5月の沿岸の風景を写真を撮りに行きました。沿岸はリアス式海岸でかつ小さな島々が点在しており実に美しい湾の風景です。石応海岸の近くでは市内で働くカンボジア、インドネシアの方々にもお目にかかりました。今日は宇和島市石応、小池方面の5月の沿岸の風景と豆の木の花を紹介致します。1.宇和島市石応、小池方面の5月の沿岸の風景(1)石応の美しい砂浜(地元の人たちが造った人口の砂浜だそうです。右側の山の上に源氏に敗れた平家の姫様が殺害された悲話の残るお堂があります)(2)石応に行く途中から見る九島(3)石応に行く途中から見る堂ケ崎(壇ノ浦で敗れた平家の姫様が殺害された悲話の残る所で、山の上に姫様の殺害されたお堂があります。この写真の向こう側が美しい砂浜で...宇和島市石応(こくぼ)、小池方面の5月の沿岸の風景と豆の木の花♪
ヨシュアはルベン族とガド族、マナセ族の半分が所有地に戻る時、ヨルダン川の傍に目を引くような大きな祭壇を築いたことを記しています。彼らが大きな祭壇を作ったことに対して、ピネハスとイスラエルの各部族の10人の言ったことを、ヨシュアは次の様に書き記しています。「「エホバの民全員はこう言っています。「イスラエルの神(エホバ)に対してしたこの不忠実な行いはどういうことでしょうか。皆さんは今日、エホバに従うのをやめ、自分たちで祭壇を作ってエホバに反逆しました。ペオルでの過ちでは足りないのですか。エホバの民に災厄が降り掛かったとはいえ、私たちは今その過ちから清められていません。今日、皆さんはエホバに従うのをやめようとしています。皆さんがエホバに反逆するなら、神(エホバ)は明日イスラエルの民全体に対して憤ります。皆さんが...ヨシュアが記した「エホバの民全員はこう言っています」と述べた内容♪
1日は好天に恵まれ私の母校である高光(たかみつ)小学校を訪ねてみました。高光小学校は児童数40名位の小さな小学校(私が小学生時代は200~220人位)ですが、生徒たちは元気よく挨拶をしてくれ、とても礼儀正しいです。私の小学生当時は高光村で、中学を卒業した年に宇和島市に合併し、宇和島市になりました。当時の小学校の校舎は木造でしたが、今は明るいオレンジ色の鉄筋コンクリートの立派な小学校です。今日は宇和島市高光小学校と泉山中腹にある宇和島市上光満の風景とサクランボの実を紹介致します。1.宇和島市高光小学校(1)校舎全景(2)校訓と良い教え(3)玄関を入ると廊下の壁に掲示されている素敵な詩(4)校庭にあるトーテンポール(5)トウテンポールで遊ぶ生徒たち(6)校庭のブランコで1人で遊ぶ生徒さん(7)校庭から見える泉...宇和島市高光小学校と泉山中腹にある宇和島市上光満の風景とサクランボの実♪
聖書には、ヨシュアがルベン族とガド族、マナセ族の半分にたくさんの富と多くの家畜、銀、金、銅、鉄、大量の衣服を持って帰るようにと、寛大に与える精神を示したことが記されていました。引き続き聖書には次のように記されています。「こうして、ルベン族とガド族、マナセ族の半分は他のイスラエル人のもとから、カナン地方のシロから出発した。ギレアデの土地へ、モーセを通して与えられたエホバの指示で住むようになった所有地へ戻るためだった。ルベン族とガド族、マナセ族の半分は、カナン地方のヨルダン川の付近に来た時、ヨルダン川のそばに祭壇を作った。目を引くような大きな祭壇だった。その後。他のイスラエル人は、「ルベン族とガド族、マナセ族の半分が、カナン地方の境界、ヨルダン地方のイスラエル人の側に祭壇を作った」と伝え聞いた。そのことを聞く...イスラエルのルベン族とガド族、マナセ族の半分は所有地に戻るためにシロを出発した♪
近くの道辺の畑に愛好家の方がナデシコとビオラの花をお世話をされ、道行く人が楽しめるようにしてくださっています。ナデシコとビオラの花が長く咲いていて今が満開で盛りです。活躍した女子サッカーの「ナデシコ・ジャパン」の名前を覚えていらっしゃる方も多いと思います。ナデシコの原産地は地中海沿岸、アジア、南アフリカです。ナデシコの花期は4月~6月です。用途は切り花、鉢植え、花壇です。花言葉は「才色兼備」と紹介されています。今日は満開のナデシコとビオラの花とシロツメ草の花を紹介致します。1.満開のナデシコとビオラの花2.近くの畑に咲いているシロツメ草の花満開のナデシコとビオラの花とシロツメ草の花♪
ヨシュアはレビ族が相続した町は全部で48の町とその放牧地だったことを細かく記録していました。これは神エホバのお考えに基づくものですが、現在の不動産の管理もこうした神エホバのお考えに基づくものに違いありません。引き続き聖書にはヨシュアがルベン族とガド族、マナセ族の半分を呼んで伝えた内容が次のように記されています。「ヨシュアはルベン族とガド族、マナセ族の半分を呼んで、こう言った。「皆さんは、エホバの奉仕者モーセが命じた全てのことを行いました。私が命じた全てのことに従いました。今日までずっと、皆さんは兄弟たちを見捨てず、エホバ神のおきてを守ってきました。エホバ神は、約束通り皆さんの兄弟たちが安心して住めるようにしてくださいました。それで、自分たちの天幕に、エホバの奉仕者モーセがヨルダン川の向こう側で皆さんに与え...ヨシュアがルベン族とガド族、マナセ族の半分を呼んで伝えた内容♪
29日は小雨の降る日でしたが、小雨の中で庭のヤマボウシの花が一杯咲き、爽やかな雰囲気を醸し出していました。例年になくヤマボウシの木の梢まで咲いています。帰郷した時、この花木を、あるお家の庭で見かけて、植木屋さんに頼み庭に植えて頂きました。植えて20年近く経ちましたが、程よい大きさで庭木に最適です。ただ、夏の日など十分に水やりを続ける世話の必要な庭木です。今日は一杯咲いた爽やかなヤマボウシの花と霧立つ鬼が城山を紹介致します。1.一杯咲いたヤマボウシの花2.雨の止んだ直後に霧立つ鬼が城山(我が家の前から見える風景)一杯咲いた爽やかなヤマボウシの花と霧立つ鬼が城山♪
ヨシュアが記したイスラエル人の各部族の土地の相続の詳細な記録は、人類にとって土地がとても重要であることを教えています。今日も土地の取得はとても重要で登記簿で管理されています。あなたも土地を所有していらっしゃるでしょうか。引き続き聖書にはレビ族の残りのメラリ氏族の相続した土地の記録が次のように記されています。「メラリ氏族、レビ族の残りが(相続地)を得たのは、ゼブルン族から、ヨクネアムとその牧草地、カルタとその牧草地、ディムなとその牧草地、ナハラルとその牧草地。4っの町。ルベン族から、べツェルとその牧草地、ヤハツとその牧草地、ケデモトとその牧草地、メファアトとその牧草地。4っの町。ガド族から、人を殺した者のための避難の町すなわちギレアデのラモトとその牧草地、マハナイムとその牧草地、ヘシュボンとその牧草地、ヤゼ...レビ族の残りのメラリ氏族が相続した土地の記録♪
庭の梅香ウツギの花木が次々と白い花を咲かせ甘い梅の香りを放っています。切り花にしても甘い梅の香りが豊かで、甘くて爽やかな気持ちにしてくれます。花々は私たち人間の生活に潤い、喜び、希望、慰め、力、勇気、心の余裕、知恵等々の愛を惜しみなく注いでくれています。人間は不完全ですから様々な試練や困難、また病気に直面することもありますが、そのような時は、じっくりと花々を観察されることをお勧め致します。今日は庭で満開の梅香ウツギの花と沢山実ったプラムの実を紹介致します。1.満開の梅香ウツギの花2.庭で沢山実ったプラムの実。今までは2,3個しか実を結ばなかったのですが、今年は木全体に写真のような実を沢山結びました。色付き食べ頃になるのが楽しみです。庭で満開の梅香ウツギの花と沢山実ったプラムの実♪
ヨシュアはレビ族の各氏族が相続した土地を詳述しています。聖書の記録を読むと、ヨシュアはどうしてこのような正確な記録を残すことができたのかと驚く方がいらっしゃるかも知れませんが、聖書の記録は全て神エホバが聖霊の導きによって書くことを命じたもので、それゆえ、聖書筆者は正確に書き記すことができました。引き続き聖書には、レビ族のゲルション氏族が相続した土地が次のように記録されています。「レビ族のゲルション氏族が(相続地として)得たのは、マナセ族の半分から、人を殺した者のための避難の町すなわちバシャンのゴランとその放牧地、ベエシュテラとその牧草地。2っの町。イッサカル続から、キションとその牧草地、ダべラトとその牧草地、ヤルㇺトとその牧草地、ヤルㇺトとその牧草地、エン・ガニㇺとその牧草地。4っの町。アシェル続から、ミ...レビ族のゲルション氏族が相続した土地の記録♪
本日妻と共に好物の宇和島市特産の「じゃこ天」を亀井かまぼこ店に買いにい行きました。買い物を終えて帰ろうとしたところに、お店の女将が丁度お帰りになられ、妻と共に写真に納まりました。亀井かまぼこ店の女将は宇和島市の「ベッピンクラブ」の役員で底抜けに明るく、お顔が輝き、いつも笑みに溢れています。宇和島市の特産のかまぼことじゃこ天は特に美味しく、かまぼこやじゃこ天はお酒の肴にも最適です。晩酌を楽しまれるお方にお勧め致します。今日は宇和島市の亀井かまぼこの女将と宇和島市の商店街を紹介致します。1.亀井かまぼこ店の女将(女将の右側は妻です)2.宇和島市の商店街の風景(買い物客の姿が特に少ないです)(1)ふくい真珠店の柘植の花。小さな花ですが可憐な花です。(2)布地店の可愛いワンちゃん(3)商店街の「きさいやロード入り...宇和島市の亀井かまぼこの女将と宇和島市の商店街の風景♪
ヨシュアが記録したイスラエル人の各部族の相続地の記録は読むのに根気が求められます。引き続きヨシュアはレビ族のうち、残りのコハト氏族に、くじによってエフライム族から与えられた相続地について次のように記しています。「レビ族のうち、残りのコハト氏族に、くじによってエフライム族から町が与えられた。人を殺した者のための避難の町すなわちエフライムの山地にあるシェケムとその牧草地、ゲゼルとその牧草地、キブツ゚ァイムとその牧草地、べト・ホロンとその牧草地。4っの町。ダン族から、エルテケとその牧草地、ギべトンとその牧草地、アヤロンとその牧草地、ガト・リモンとその牧草地。4っの町。マナセ族の半分から、タアナクとその牧草地、ガト・リモンとその牧草地。2っの町。残りのコハト氏族が得た町とその牧草地は全部で10だった。」(ヨシュア...ヨシュアが記した残りのコハト氏族にくじによって与えられた土地の記録♪
御近所の庭に鉢植えのクレマチスの花が奇麗に咲いています。この花は大輪で愛好家も多いようです。クレマチスは400以上の種類があるようです。原産地は日本、中国です。花期は4月~6月です。用途は花壇、鉢植え、庭植えです。花言葉は「許されぬ恋」と紹介されています。私なら「完全な絆の愛」と花言葉を付けたいです。今日はクレマチスの花とハゴロモジャスミンを紹介致します。1.クレマチスの花2.庭に咲いているハゴロモジャスミンの花クレマチスの花とハゴロモジャスミンの花
ヨシュアはイスラエル人が相続することおになった土地と境界線を詳述していますので、読むのに根気がいります。引き続きイスラエル人が相続した土地について次のように記されています。「ユダ族とシメオン族から、以下で名前を挙げる町を与え、それはレビ族のコハト氏族のうちアロンの氏族に与えられた。最初のくじが当たったからである。ユダの山地のキルヤト・アルバ(アルバはアナクの父)つまりヘブロンと周囲の牧草地が与えられた。ただし、その町の野原と周りの集落はエフネの子カレブに所有地として与えられた。祭司アロンの子孫に与えられたのは、人を殺した者のための避難の町すなわちヘブロンとその牧草地、リブナとその牧草地、ヤティルとその牧草地、エシュテモアとその牧草地、ホロンとその牧草地、デビルとその牧草地、アインとその牧草地、ユダとその牧...祭司アロンの子孫に与えられた土地は、避難の町とその牧草地♪
お訪ねしたお家の駐車場横に小雨の中奇麗にアヤメが咲いていました。花図鑑では花期は5月~6月と紹介されていますがこちらでは早くも写真のように満開です。アヤメの花は特に小雨の中で風情が豊かです。原産地は地中海沿岸、中央アジアです。用途は切り花、花壇です。花言葉は「恋のメロディ」と紹介されています。今日は小雨の中のアヤメの花と里山の満開の藤の花と椿の花を紹介致します。1.小雨の中のアヤメの花2.近くの里尾山の満開の藤の花3.にわにまだ咲いている椿の花小雨の中のアヤメの花と里山の満開の藤の花と椿の花♪
聖書にはイスラエル人全てと外国人居住者のための町が定められたことが記されていました。引き続きレビ族の家長たちがイスラエルの部族の家長たちの所に来て、シロで話した、ことが次のように記されています。「レビ族の家長たちが、祭司エレアザルとヌンの子ヨシュアとイスラエルの部族の家長たちの所に来て、カナン地方のシロで話した。「エホバは、住む町と家畜のための放牧地が私たちに与えられるようにとモーセを通して命じました」。イスラエル人はエホバの指示通り、自分たちの土地の中から以下の町とその牧草地をレビ族に与えた。コハト氏族のためにくじが出た。レビ族のうち祭司アロンの氏族に、ユダ族、シメオン族、ベニヤミン続から、13の町がくじによって与えられた。残りのコハト氏族のために、エフライム族、ダン族、マナセ族の半分から、10の町が割...レビ族の家長たちがイスラエルの部族の家長たちの所に来て、シロで話した♪
お隣の庭に早くもヒルサキツキミソウの花が満開になっています。月見草は夕方に花を開きますが、この花は名前の通りに昼間に咲いています。この花の原産地は南北アメリカです。花期は7月~9月と花図鑑では紹介されていますが、こちらでは写真のように満開です。用途は鉢植え、花壇です。花言葉は「魅力的」と紹介されています。今日は満開のヒルサキツキミソウの花とネギ坊主を紹介致します。1.満開のヒルサキツキミソウの花2.近くの畑のネギ坊主。都会暮らしの方はネギ坊主を見る機会がないかも知れません。ネギ坊主から沢山の種が採れます。満開のヒルサキツキミソウの花とネギ坊主♪
イスラエル人が相続する土地の7番目のくじが、ダン族の氏族にでて、その土地と境界線が詳述されていました。引き続き神エホバがヨシュアに言った内容が次の通り聖書に記されています。「エホバはヨシュアに言った。「イスラエル人にこう告げなさい。「私(神エホバ)がモーセを通して話した避難の町を自分たちのために選びなさい。意図せずにまた誤って人を殺した者がそこに逃げるためである。そこは復讐者からの避難所となる。その者は避難の町の1っに逃げ、町の門の入り口に立ち、そこの長老たちに事情を話さなければならない。長老たちはその者を町に受け入れて場所を与え、その者は彼らと共に住む。復讐者が追いかけて来ても、その者を引き渡してはならない。誤って仲間を殺したのであって、以前から憎んでいたのではないからである。その者は、民の前で裁かれる...神エホバがヨシアに言った内容;意図せずに人を殺した者の避難都市♪