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愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

ライフスタイルブログ / 生き方

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佐藤蓼丸
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東京都
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2013/03/06

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  • 不幸のメカニズム

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai 「都市と農村の性格の基本」より ■都市ー全エネルギーを外部から供給される存在。 都市での所得は基本的に、労働時間と比例するサラリーである。働けば働くほどサラリーはあがるが、困難さが加速度的に増して、すぐに限界に到達する。(労働時間と体力の限界にすぐにつきあたる) また、教育すればするほど賃金は増えるが、そのためにあらゆる時間が...

  • 化石燃料ジャンキー

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai 「現代の都市は化石燃料がなければ成立しない」より 遠隔地での大規模採掘。運搬手段での燃料使用と、供給インフラ。どれも都市で集中使用するためでなければ資本が集まらない。しかし構造的なエネルギー効率の悪さはどうしょうもない。地産地消ができないのである。 太陽エネルギーの利用効率で考えれば、化石燃料の使用はナンセンスとしかいえない...

  • 大都市は必ず廃墟になる

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 近代以前も、近代以降も、都市は人口を吸収することはできるが、吸収した人口を、再現することができていない。これは、都市の余裕のなさと、表面的なリスクの少なさによるものかもしれない。 農村部の余剰作物による余剰人員を吸収するが、吸収した後で子供二人以下の生活を送らせることしかできないのが都市ということである。 (なんとなく...

  • 着地のシナリオ

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より カーボンストーム時代は200年続いたので、それ以前のノウハウのかなりの部分が失われています。 そして、恒常時代を迎えるにあたって、新たな知識と技術を組み合わせる必要がありますが、カーボンストームで力まかせに封じ込めていたそれ以前の時代の矛盾(思想・インフラなど)をそのまま引きずっています。 このギャップと、そもそも予想され...

  • 巨大すぎるのに虚弱で不適切

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より あえていいますが、「今回」の問題の本質は、「巨大にしてしまった人口を、一時的なその場しのぎのエネルギーと解決方法で、巨大すぎるのに虚弱で不適切なインフラでささえている」ということです。 環境と環境に負担をかけない範囲の人口を、持続可能な永続的インフラで維持していれば、なにも問題はなかったはずなのです。 地下資源という一...

  • 人間ホイホイ

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 物流にも多大の資源が必要です。大量輸送、大量消費、大量廃棄は、どれも一時的には効率的ですが、これが成立するためにはどのような背景が必要か、少し考えれば恐ろしいものがあります。しかし、これがなければ大都市は成立し得ないのは明白です。 そして大量輸送は、大量に廃棄物を返却してリサイクルすることはできないので、一方的な資源の...

  • 人類は失敗した

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 世界各国の機密事項として、段階的に発生する破局のシナリオがすでに描かれて、突合せもなされて、手順を踏んで世界は「破局」させられていく。のかもしれません。 単純な人口拡大も経済発展も、もはやありません。アジアの勃興と隆盛の世紀など、絶対にやってこないでしょう。 すでに簡単に手に入る耕地も自然資源も地下資源も消費されつく...

  • 成長の限界

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 1972年にローマクラブより発表された「成長の限界」は、マルサスの人口論を再生させたものです。 有限の環境と資源の中で、消費が拡大していくとどうなるか、ある程度見通すに充分なシュミレーションです。こまかな部分は齟齬がありますし、さまざまな精度的問題があるものですが、それでも、少人数のスタッフと限られた予算で、民間でなされた調...

  • リュウの道

    石森章太郎 『リュウの道』 「週刊少年マガジン」1969年の第14号~ 1970年の第52号 ーーお前たち人類が、潜在脳の「扉」に最初に手をかけたのは、 情報文明時代(1970年代~1990年代)と呼ばれている「時」だったーー ーーそして「新思考時代」(2000年から・・・・) ーーこの二つの「時代」はまた、選抜の時代でもあった ーー「変体」する者と残される者との。 ーー洪水のように押しよせる情報の波を処理...

  • 1970年からやりなおし

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 男性。女性というラベルを用 いると、次のような懸念も出てきました。すなわち、新たな女性システムが 「女性」という言葉を続ける限り、 この概念はそれ相当の評価を受けられないという懸念です。確かに、女性というもの、その言葉、条件、名前に価値を認めていない人びとにとっては、そうしたことも言えるで...

  • 普遍的な生の法則

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 私が新たな女性システムと名づけたシステムは、生命を維持し、育むものです。しかし白人男性システムは非生命的で無変化的です。白人男性システムは女性に対してのみ破壊的なのではありません。 男性にも、動物、植物、地球全体にとっても破壊的で、宇宙にまでその破壊の危機を広げようとしています。白...

  • 同じ穴の狢

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 『女性の現実』を書いて以来私は、白人男性 システム、反応的女性システム、新たな女性システムのそれぞれについて、より明確な展望を持ち、相互の関係性を理解するようになりました。 今では、白人男性システムと反応的女性システムとは二つの別個のシステムではなく、同じシステムの二つの側面なのだと考...

  • 真実を拒絶する人たち

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 命名されていないものが、私たちにかなりの影響を及ぼすことがあります。しかし言葉を持たないために、私たちは直接それに対処することができません。そのいい例が 「身体的虐待(battering)です。 ここ二十年ほどで、やっと 「身体的虐待」という言葉は定着しました。ずっと以前からあったのに、 一般的な名...

  • 反応的日本システム

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より👇白人男性システムに連携する女性のシステムが、反応的女性システムです。このシステムは、女性が何を考え、感じ、行なわなければならないかを規定した、ステレオタイプのシステムです。 意図的にも非意図的にも、白人男性システムとその神話を支えるために、女性を規定しています。このシステムにおける基本的...

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