chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
多次元飛行船 https://suesuo.blog.fc2.com/

愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

佐藤蓼丸
フォロー
住所
未設定
出身
東京都
ブログ村参加

2013/03/06

  • 価値の創造

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 どのような学問においても、まず単純なことから始めることに、みなさんは慣れています。 けれども、労働そのものは、国民経済的な関連において、何ら定義されません。ある人が薪を割るか、太った人が自転車を漕いで痩せるか、 いずれにせよ、薪を割る人も自転車を漕ぐ人も、同量の労働をするに違いありません。 たとえばマルクス (1818~1883年)は、そのような労働を考察して、「労...

  • 価値とは何か

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 動物経済を見渡すと、「動物経済にとって価値を創造するものは、ただ自然そのものである」と、言えます。まなざしを人間、つまり国民経済に向けると、そこには出発点としての自然価値があります。しかし、人々が自分や近親者だけでなく、他人同士気遣うようになると、労働が発生します。 自然産品を自家用とするにとどまらず、それを他者と交換しようとするときに必要とされるのが、「対自...

  • 絶えず動いているもの

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 通常の経済学には、国民経済全体を生み出す三つの要素が示されいます。「自然・労働・資本」の三つです。たしかに、「国民経済のプ ロセスを追っていくと、その経過のなかには〈自然〉に由来するもの、人間の〈労働〉によって達成されるもの、〈資本〉によ って企てられ、仕上げられるものが見出される」と、言うことができます。 しかし、自然・労働・資本を単に羅列して考察すると、国...

  • 人々は複雑を嫌う

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 わたしは約四十五年前に、ある家族を訪れたことがあります。そこで、ある絵を見せられました。その絵は三十年間、床の上に放置されていました。だれも、その絵に気づかなかったのです。部屋の片隅に放置されていた二十年の間、《経済プロセス》から見て、その絵には何の価値もありませんでした。 ところが、「その絵には三万グルデンの価値がある」ということがわかったのです。当時 の三...

  • あるのは変化だけ

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 「今日、本当に経済活動を把握しようとするなら、″自然のなかへ下降する領域と、資本のなかへ上昇する領域との中間に経済活動がある″と、見なくてはならない。この二つの領域の中間に、本来の経済活動として把握すべきものがある」と、言わなくてはなりません。 しかし、「経済学を学問全体のなかで正しい位置に据えるための概念」など、人々が持ったことは、 一度もありませんでした。「...

  • ロスチャイルド家

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 国民経済ではなく、 スズメたちの経済、ツバメたちの経済を考えてみてください。それも一種 の経済です。しかし、動物界の経済は人間界の域に達することはありません。 ハムスター経済など、「動物資本主義」について語ることもできますが、「動物経済」の本質は、「自然は産品を提供し、個々の動物は、ただそれを受け取る」という点に尽きます。人間は動物的経済 のなかを突き進んできました...

  • 現象全体の把握

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 最も重要なのは、大戦後の経済の結果が現われる前に、まず社会有機体三分節化の思想をできるだけ多くの人々に伝えることでした。社会有機体三分節化の思想を唱えはじめたとき、今日のような為替相場の状態はまだ生じていませんでした。当時、社会有機体三分節化の思想が理解されていたなら、今日のような為替相場の困難な状況は生じていなかったでしょう。 人々は、「ものごとを実際的に理...

  • 問題を解決できなかった

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 最も重要なことは、単に思考だけでなく経済全体において、「イギリス経済対中部ヨーロッパ経済」という、根本的な対立が生じたことです。どのように経済活動が展開されたかは、この対立に基づいています。 この西ヨーロッパと中部ヨーロッパの対立なしには、十九世紀から二十世紀への経済の発展は考えられません。それは、「どのように商品を製造し、販売するか」の相違・対立でした。イギ...

  • 意識的に改革された

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 もっとも、この「変化」には、さらにほかの要素も結びついています。「イギリスでは、工業化への移行が無意識の内になされた。その移行は、自然のできごとのようになされたのだ」。 ドイツにおいては、 一八三〇年代まで中世的だった。ドイツは農業国だった。しかし、外的な経済状況が依然中世的なかたちで推移しているあいだに、人間の思考は根本的に変化した」と、言うことができます...

  • 国民経済学の誕生

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 国民経済学の誕生――イギリスとドイツ まず、きょうは序論のようなことを話し、あすから、現代人が直面している国民経済学、社会経済学についての全体像を明らかにしていきたいと思います。 今日の経済学は、近代の産物です。かつての経済状態に比べ、近代の諸民族の経済活動が非常 に〈複雑〉になったとき、経済学は誕生したのです。この講座は、おもに経済学を専攻している学生を対...

  • 市民の強化と再活性化

    代償の 「激情」は生活のない無力な人生の結果であり、必然の結果である。人間が無力でなくなってはじめて、人間は破壊者やサディストでなくなり、人間が生に興味をもちうる状態だけが、人間の過去から現在にいたる歴史を恥ずかしめたその種の衝動をなくすことができる。➡ エーリッヒ・フロム ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 彼らにしてみれば、生産性の上で十分な「成果」さえ上っているなら、私た...

  • 仁慈寛大な 「学校教師」

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 知的専門職の共同体経験といえばふつう地域共同体におけるものではないから、彼らの市民的義務の感覚は都市や町へと向けられてはいな い。彼らの世界観はコスモポリタン的なものであるが、それは高等教育によって形成されたものであり、よく似た他者とのネットワークの中で維持されている。 すなわち、彼らはよく似た訓練を受けてよく似た技術を身につけた者どうし...

  • 行政の集中化

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 初期のころに職業的行政官の手による国家計画の立案を提唱した者たちのねらいは、脆弱な中央政府のもとでの急速な工業化と都市化がもたらした混乱に秩序をもたらすことにあった。 彼らは、主として中産階級のプロテスタントに属する二〇世紀初期の改革者、プログレッシヴ(革新主義)として知られる者たちである。階級間の争い、移民をめぐる緊張、企業工業経済発...

  • 管理的専制

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ トクヴィルは、近代社会が自由の喪失へ向かうとすれば、その道筋の一つと なるのが「管理的専制」 ―― ときに彼はこれを「民主的専制」という逆説的用語で呼んでいる―― の出現であろうと考えた。 彼の定義によれば、管理的専制とは「秩序だった、穏和にして平和的なる奴隷制度」といったものである。「それが外面的に自由の形態を取ることは、ふつう考えられる以上...

  • 専門的合理性

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 大規模な社会をどう理解したらよいものか。すでに見てきように、人々にと って受け入れやすいイメージは、社会は概ね平等な者どうしが集まって公平に競争する市場のようなものだ、というものである。それは、コンセンサス型の自発的共同体 のイメージと対 になって道徳的なバランスを取っている。 だが、いかにこのモデルが広く受け入れられていとはいえ、 これが...

  • 見えない複雑さ

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ もし個人主義文化が真の文化的・社会的な相違に対処することが困難だとしたら、それが大規模な非人格的組織や制度に対処するのはさらに困難である。政治家は、複雑な問題を人格や道徳のせいにしてしまう誘惑につねにさらされている。 マス・メディァは、政治家の政策的な立場よりも彼らのカリスマ性や政治家どうしの闘争劇のほうによほど関心を寄せている。複雑な...

  • 中産階級的囚われ

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 同じ集団のメンバーであるセシリア・ダウティーは、たいへん広いヴィジョンをもっているにもかかわらず、自分の仕事は基本的に「サンタモニカの地域共同体を支えてより良いものにしていく」ことだと言っている。 ウェインにとっても、セシリアにとっても、地域共同体からの手応えこそが彼らの政治的コミットメントを支えるものなのである。また、彼らは共同体を自...

  • 中産階級的温情主義

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 市民精神をもった知的専門職であるエリナー・マックリ ンは、行政学の学位をもっており、国家規模の社会・経済についての理解はハワードやマイクよりも深い。 しかし彼女もまた理想化された小さな町に強い郷愁を抱いている。彼女は、サフォークがふたたび昔風のニューイングランドの町に戻って、人々が 「愛国的な昔風の価値観」にもとづきながら共に協調して働け...

  • 道徳主義的なレトリックの罠

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ サフォークのタウン・ファーザーであるハワード・ニュートンにとって、小さな町という理想は多少薄まっているとはいえなお生き続けており、そこには護るべき何ものかがある。ハワードによれば、地域共同体の生活におけるモーレスは、他者への顧慮や同情心を育てるばかりではない。自尊心を満足させることに対する強い欲求や、仕事の成功を測る尺度もまたこれによって...

  • 健康的な政治の模索

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 個人主義的政治観は、そもそもどうして利害の対立が生じたのかを説明することはほとんどできない。 地域、職業集団、人種、宗教集団、性にもとづく利害の違いが実際どのようにして生じているのか、またこれらの集団は自分たちの意志を通すためなぜひどく不揃 いな力を傾けて競わなければならないのか、一般的に理解できる説明はない。 どうやら利害の政治の世界...

  • 一種やるせない気分

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ もちろん、個人主義的な成功追求に内在する自己利益への専心といったものと、共同体の喜びや公共 の事柄への参加の喜びを得るために必要な他者への気遣いといったものとの間にバランスを保つことは、けっして容易なことではない。 アメリカには、人々がもっとも心を開いたときそれに形と方向性とを与えるいくつかの理念の伝統が生きてきたのだが、これらの理念は経...

  • 表現主義的理想と現実

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ たとえばハワード・ニュートンが、自分の町に住む援助を必要としている人々をロータリー・クラブを通じて助けることの喜びについて語るときはどうか。そのさい、彼はアメリカの小都市では経営者が成功した人生を送るには、あらゆる実際的な目的からいって、何かそういった「奉仕クラブ」に参加しないわけにはいかないのだという事実については、全然考えに入れていな...

  • 罠にかけられたような気持ち

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 仕事もうまくこなし、市民としても分なく暮らすというのは次第に難しくなってきているのだ。社会的なコミ ットメントの気持ちを失った理由を、地域共同体をはなれて、銀行の高度な部署の仕事につくよう圧力を受けていることに帰す一方で、ジムはまたしばし考えたのち、「それにはおせっかいな政府のせいもあるかもしれませんね」と言う。 「政府はおせっかいな母親...

  • キャリアという圧力

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 「地域のために働こうという意欲を少々なくしてしまいましてね」。40代に入ろうという現在、ジムはこう感じている。彼の心境が変わったのは、ひとつには大学院に入りなおして銀行学の修士号を取ってはどうかと上司から提案があったためである。「それは私のキャリアにとても役立つはずです。今の私はぬくぬくと太って幸せに甘んじています。 近ごろじゃ仕事は楽...

  • 心の習慣

    ロバート・N・ベラー「心の習慣」アメリカ個人主義のゆくえ 南カリフォルニアのある銀行の支配人、ジム・ライチャートは、YMCA地方支部のためにボランティアで基金集 めをしたときのことを振り返って、それは「ほんとうに喜ばしい気持ちでやったものでした――成功にもつながりましたしね」と言う。 〈成功〉と〈喜び〉とが絡み合う人生― 彼の語るこのテーマは、彼の生活において職場での成功と地域共同体への参加の喜びと...

  • 自由貿易について

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 自由貿易は、化石燃料依存経済の最終形態として、外部からの略奪物資をとめどなく都市にも農村にももたらす。 そして、すべてを不当競争にさらして、小規模生産者を圧倒・倒産させ、いわば「国ごと消費都市」にして、事実上屈服させ、間接的に化石エネルギーの奴隷にしてしまう。 そのため、資源産出国でなければ、その国の人口を減らす効果...

  • 貿易は国を亡ぼす

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より エネルギーの上限があり、それが環境に影響がなく、しかも環境に負荷をあたえない範囲の貿易なら問題はないが・・農産物のようなローテク商品でも貿易品として略奪・輸送されれば輸出輸入どちらの土地も荒廃させ、持続性をなくしてしまう。 だから、答えははっきりしている。のです。 貿易品は、消費者の目にみえないところで、略奪された品...

  • 農村

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より エネルギーを土地で受け止めて、分配する。基本的に所得は土地の広さに比例する。労働時間ではない。そのため、利用可能エネルギー内であれば、人口の再生産が確実に行える。 しかし、外部から略奪した低コストのエネルギーとの競争にさらされれば、自立エネルギーとそのエネルギーが支える経済と生活は当然崩壊する。 だからグローバル経済...

  • 不幸のメカニズム

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai 「都市と農村の性格の基本」より ■都市ー全エネルギーを外部から供給される存在。 都市での所得は基本的に、労働時間と比例するサラリーである。働けば働くほどサラリーはあがるが、困難さが加速度的に増して、すぐに限界に到達する。(労働時間と体力の限界にすぐにつきあたる) また、教育すればするほど賃金は増えるが、そのためにあらゆる時間が...

  • 化石燃料ジャンキー

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai 「現代の都市は化石燃料がなければ成立しない」より 遠隔地での大規模採掘。運搬手段での燃料使用と、供給インフラ。どれも都市で集中使用するためでなければ資本が集まらない。しかし構造的なエネルギー効率の悪さはどうしょうもない。地産地消ができないのである。 太陽エネルギーの利用効率で考えれば、化石燃料の使用はナンセンスとしかいえない...

  • 大都市は必ず廃墟になる

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 近代以前も、近代以降も、都市は人口を吸収することはできるが、吸収した人口を、再現することができていない。これは、都市の余裕のなさと、表面的なリスクの少なさによるものかもしれない。 農村部の余剰作物による余剰人員を吸収するが、吸収した後で子供二人以下の生活を送らせることしかできないのが都市ということである。 (なんとなく...

  • 着地のシナリオ

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より カーボンストーム時代は200年続いたので、それ以前のノウハウのかなりの部分が失われています。 そして、恒常時代を迎えるにあたって、新たな知識と技術を組み合わせる必要がありますが、カーボンストームで力まかせに封じ込めていたそれ以前の時代の矛盾(思想・インフラなど)をそのまま引きずっています。 このギャップと、そもそも予想され...

  • 巨大すぎるのに虚弱で不適切

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より あえていいますが、「今回」の問題の本質は、「巨大にしてしまった人口を、一時的なその場しのぎのエネルギーと解決方法で、巨大すぎるのに虚弱で不適切なインフラでささえている」ということです。 環境と環境に負担をかけない範囲の人口を、持続可能な永続的インフラで維持していれば、なにも問題はなかったはずなのです。 地下資源という一...

  • 人間ホイホイ

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 物流にも多大の資源が必要です。大量輸送、大量消費、大量廃棄は、どれも一時的には効率的ですが、これが成立するためにはどのような背景が必要か、少し考えれば恐ろしいものがあります。しかし、これがなければ大都市は成立し得ないのは明白です。 そして大量輸送は、大量に廃棄物を返却してリサイクルすることはできないので、一方的な資源の...

  • 人類は失敗した

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 世界各国の機密事項として、段階的に発生する破局のシナリオがすでに描かれて、突合せもなされて、手順を踏んで世界は「破局」させられていく。のかもしれません。 単純な人口拡大も経済発展も、もはやありません。アジアの勃興と隆盛の世紀など、絶対にやってこないでしょう。 すでに簡単に手に入る耕地も自然資源も地下資源も消費されつく...

  • 成長の限界

    千年のうち In Millennium 余命一年から千年を考える Toshikazu Sakurai より 1972年にローマクラブより発表された「成長の限界」は、マルサスの人口論を再生させたものです。 有限の環境と資源の中で、消費が拡大していくとどうなるか、ある程度見通すに充分なシュミレーションです。こまかな部分は齟齬がありますし、さまざまな精度的問題があるものですが、それでも、少人数のスタッフと限られた予算で、民間でなされた調...

  • リュウの道

    石森章太郎 『リュウの道』 「週刊少年マガジン」1969年の第14号~ 1970年の第52号 ーーお前たち人類が、潜在脳の「扉」に最初に手をかけたのは、 情報文明時代(1970年代~1990年代)と呼ばれている「時」だったーー ーーそして「新思考時代」(2000年から・・・・) ーーこの二つの「時代」はまた、選抜の時代でもあった ーー「変体」する者と残される者との。 ーー洪水のように押しよせる情報の波を処理...

  • 1970年からやりなおし

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 男性。女性というラベルを用 いると、次のような懸念も出てきました。すなわち、新たな女性システムが 「女性」という言葉を続ける限り、 この概念はそれ相当の評価を受けられないという懸念です。確かに、女性というもの、その言葉、条件、名前に価値を認めていない人びとにとっては、そうしたことも言えるで...

  • 普遍的な生の法則

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 私が新たな女性システムと名づけたシステムは、生命を維持し、育むものです。しかし白人男性システムは非生命的で無変化的です。白人男性システムは女性に対してのみ破壊的なのではありません。 男性にも、動物、植物、地球全体にとっても破壊的で、宇宙にまでその破壊の危機を広げようとしています。白...

  • 同じ穴の狢

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 『女性の現実』を書いて以来私は、白人男性 システム、反応的女性システム、新たな女性システムのそれぞれについて、より明確な展望を持ち、相互の関係性を理解するようになりました。 今では、白人男性システムと反応的女性システムとは二つの別個のシステムではなく、同じシステムの二つの側面なのだと考...

  • 真実を拒絶する人たち

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 命名されていないものが、私たちにかなりの影響を及ぼすことがあります。しかし言葉を持たないために、私たちは直接それに対処することができません。そのいい例が 「身体的虐待(battering)です。 ここ二十年ほどで、やっと 「身体的虐待」という言葉は定着しました。ずっと以前からあったのに、 一般的な名...

  • 反応的日本システム

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より👇白人男性システムに連携する女性のシステムが、反応的女性システムです。このシステムは、女性が何を考え、感じ、行なわなければならないかを規定した、ステレオタイプのシステムです。 意図的にも非意図的にも、白人男性システムとその神話を支えるために、女性を規定しています。このシステムにおける基本的...

  • 自分無くしの神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 第二の神話は、白人男性システムは議論の余地なく秀れている、というものです。このシステムに従わない者は議論の余地なく劣っていることになります。これは矛盾した神話です。 白人男性システムが唯 一のシステムであるならば、 いったい何に対して優越するというのでしょう。そもそもこのシステムのルール...

  • 既得権の神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 前著『女性の現実』でつちかわれたアイデアの中から、この本『嗜癖する社会』が生まれました。それらのアイデアをここで簡単に振り返ってみましょう。『女性の現実』で、私は三つのシステムを提唱しました。白人男性システム(white male system)、新たな女性システム(emerging female system)、反応的女性シ...

  • 変化への長い道のり

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 回復に際して必要な仕事にも取り組まねばなりません。それは、リビング・プロセス(生存過程)システムと名づけた新しいシステムヘ移行していくまでの、長い長い道のりなのです。 嗜癖者が回復に向かうようになるためには「底つき」 の体験が必要です。私たちの社会もその時期にさしかかっていると思います...

  • 客観性という神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 社会が嗜癖という病気に罹っているという認識こそが、今日直面している諸問題に対する他の解釈や対処法が見逃していたものです。ほとんどのものは、特定の関心や分野にだけ焦点を当てています。それは私たちの断片的な社会においてはごくあたり前のことですが、こうした視野の狭さは嗜癖者の特徴でもあるのです...

  • 病人の自覚

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 第二に、すべてではないにしても、そのほとんどは、問題のほんの一部分しか扱っていません。問題の各部分をつなぎ合わせ、問題の全貌に取り組んだ研究はまだありません。 実際のところ、問題の全貌を把握し、少なくともそれが何かを知った上で記述している人は、一人もいないのではないでしょうか。 この...

  • 驚異的な堕落

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 私たちの社会は驚異的な速度で堕落しています。巨額の汚職や財政破綻などのニュースが私たちの日常生活 の一部になっています。テレビのニュースや新聞を通じて幼児ポルノの組織に子供が誘拐されるのを恐れたり、かかりつけの医者が患者を誘惑した話を耳にしたりします。 酸性雨と公害によって地球は破壊さ...

  • The Circle Game

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 私たちの過去は疲労と死に満ちているが、その一方で、私たちはつねにうっとりするような思想をいだいてきた。悲しみだけでなく、何かに驚いたり心を打たれたりする経験をしてきた。しばしの間、悲しみは罪悪感から解き放たれ、喜びは不安から解放される。 神話におけるように、永遠性が時間の中に入ってくるとき、私たちはふいに人間の意識の意味を悟る。 このようにシーシュポ...

  • 人間の生の意味

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 それだけでなく、シーシュポスはその作業の途中で、夜明け前の空に浮かぶバラ色の雲に気づいただろうし、転がり落ちる岩を追って山を下るとき、胸にあたる涼しい風を心地よく受け止めただろうし、好きな詩の一節を思 い出したかもしれない。彼はきっと、無意味な世界に意味をあたえてくれる神話のことを考えたに違いない。 シーシュポスにはそうしたことが可能だったに違いない。...

  • 庭師キング

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 シーシュポスは、死さえも否定しようとした創造的人間である。彼はけっしてあきらめることなく、よりよい生を創造することに全身全霊をささげる。彼は、絶望にもめげずに前進をつづける英雄の原型である。 絶望に立ち向かうそうした能力が人間になかったら、ベートーヴェン、 レンブラント、ミケランジェロ、ダンテ、ゲーテなど、文化史上の偉人たちは、ひとりとして生まれなかっ...

  • シーシュポスの神話

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 その絶望の瞬間から、新しいが永遠に古いこの神話、絶望的なように見える状況にふさわしい唯一の神話、すなわちシーシュポスの神話が生まれる。 この神話はアメリカン・ドリームと真っ向から対立しており、進歩を否定し、どこへも到達することなく、永遠の単調な労苦と汗のなかで毎日同じ行為が反復されるように見える。 だが、それだけではこの神話の決定的な意味を見落として...

  • 先へ先へと後退して行く

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 何百万という他のアメリカ人たちと同じく、「ギャツビーは緑色の光を信じていた」。だが、ニックは知っている。この 「狂躁的な未来は、ぼくたちの進む前を、年々、先へ先へと後退して行く」 のだということを。「それはあのときはぼくらの手をすり抜けて逃げて行った。 でも、それは問題ではない。明日はもっと速く走り、両腕をもっと先まで伸ばしてやろう。そして、ある美しい朝...

  • 夜空の下の共和国の原野

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ニックは東部を離れて故郷に帰ることにする。だが、出発する前、ギャツビーの屋敷の最後の華やかな日々が脳裏に焼きついて、なかなか忘れられない。 「ぼくの耳にはまだ、音楽や笑い声が、絶えずかすかに聞こえた。ある夜、ぼくは現実の車の音を耳にし、そのヘッドライトが玄関先でとまるのを目にした。でもぼくは詮索しなかった。たぶん今まで世界の果てにでもいて、パーティーが...

  • アメリカン・ドリームの崩壊

    ギャツビーの葬式の後、フィッツジェラルドはニックの口を借りて、彼自身がアメリカという国をどう見ているかについて思いをめぐらしている。彼の思索の中では、ギャツビーの悲劇は、アメリカの神話の喪失、すなわちアメリカン・ドリームの崩壊とぴったり重なり合う。ニックは、高校時代にクリスマス休暇になると中西部へ帰省したことを思い出す。 シカゴ駅で旧友たちと合流し、ウィスコンシン州を鉄道で旅する。彼ら若者たちは...

  • 私たちの目指した神話

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 まさかこの神は、カーネギーや、 ロック・フェラーや、ホイットニーの顔をしてはいないだろう。 いや実際、その神には顔などない。その神はひとりの無名な男で、ドブネズミ色のスーツを着ている。鏡に映った 「広告マン」の姿である。その男にとっては、自分が何を信じているかなどということはどうでもいい。 そもそも信仰などというものとは無縁だ。彼の頭にあるのはただひとつ...

  • アメリカン・スタイルの神

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ジョージ・ウィルスンが神の目として崇拝している、このT・J・エクルバーグ博士の巨大な目は、マイカリスが指摘したように、広告である。その目的は眼鏡を売ることだ。その巨大な看板は、どこかの眼科医が商売繁盛を狙って立てたものである。 商業主義――ポケットに銀貨をジャラジャラさせて売ったり買ったりすること―― が、神の役割を分捕ってしまったのだ。広告、すなわち商...

  • 写真と現実の混同

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ジャズ・エイジには郷愁的・自己憐憫的な側面があった。人びとは自分が見捨てられていると感じ、あらゆる東縛にたいして猛然と反発した。そうした風潮はフィッツジェラルド自身の自己憐憫にもあらわれている。 (ヘミングウェイはそのことをフィッツジェラルドにわからせようとした。彼はフィッツジェラルドに宛てた手紙に、「ぼくたちはみんなだまされていたんだ。ぼくたちは悲劇...

  • アメリカン・ドリームの埋葬

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 このとき、一人の人間が埋葬されただけではない。もっと重要なことは、アメリカン・ドリームが埋葬されたということである。アメリカの中心的な神話がその墓に埋められたのである。 墓を取り囲む集団に、一人だけ異色の男が混じっている。奇妙なことに、かつてギャツビーの屋敷のパーティーで泥酔していた男が葬式にやってきたのだ。彼は叫ぶように言う。 「なんてこった。以前...

  • 孤独の権化

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ニック自身も、ニューヨークを歩き回りながら、そこに漂っている孤独感を敏感に察知する。「ぼくは時折り孤独感に付きまとわれ、またその孤独感を他人の中に、そう、夜の、そして人生の、もっとも胸踊る瞬間をむなしく浪費している、たそがれどきの会社員たちの中に、感じた」。プラザ・ホテルでの大騒ぎの後、ニックはふとその日が自分の誕生日だったことに気づく。 三十歳。これ...

  • 1920年代の罪と地獄

    神官ラオコーンは、トロイア戦争の際、トロイアの木馬をイーリオス市内に運び込もうとする市民たちをいさめたが、この行為はアテーナーの怒りを買った。アテーナーはラオコーンの両目を潰し、さらに海に潜む2頭の蛇の怪物を使ってラオコーンを襲わせた。ラオコーンは子供たちと一緒にいたが、子供たちは2人とも怪物に食われてしまった。➡出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ロロ・メイ「自分さがしの神話」読...

  • サウンド・オブ・サイレンス

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 繰り返されるこの夢は――フィッツジェラルドの想像力が生んだ夢だから、彼自身の夢と見なしてもいいだろう――フィッツジェラルド自身の強迫的な、したがって不安に満ちた、泥酔と喧嘩に光をあてる。 この夢が語っているのは、彼には自分の家がない、ということだ。彼には永遠に家がなく、いつまでも孤独でありつづける。だが、それだけでなく、彼は思いやりのない男たちに運ばれてい...

  • 思いやりの欠如

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ジャズ・エイジにあったのは、そして今、私たちの孤独感の背後にあるのは、他人にたいする思いやりの欠如である。フィッツジェラルドの同時代人たちはこう考えていた―― 他人への思いやりは、われわれの自由や、勝手気ままに荷物をまとめて別の街へ移る自由を脅かす、と。 具体的に言えば、ギャツビーの夢は、人びとの思いやりのなさという岩にぶつかって沈没したのである。それを...

  • 航跡に浮かぶ汚い塵芥

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ニックは悟る―― 真の腐敗は、ギャツビーを軽蔑する人びとの心に、とくにトムの心にあるのだ、と。ギャツビーの高潔さは、あえて夢を見、その夢に忠実でありつづけたことである。マートル・ウィルソンを蜘いた車を運転していたのは自分ではなくデイジーであると告白することなど、彼は考えもしなかった。 ニックは言う―― 間違っていたのはギャツビーではなく、「航跡に浮かぶ汚い塵...

  • 高潔さと純粋性

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 目もくらまんばかりの豪邸も、絢爛豪華なパーティーも、湯水のようにあふれ流れる酒も、オーケストラから流れ出るジャズ音楽も、夏の夜に火に集まる蛾のような大勢の招待客も、みんな金で買える。 だが、それもこれもみんなデイジーを引きつけるためだ。そして自分の神話に忠実だったギャツビーはその点でも成功する。実際にデイジーがやってきて、しだいにギャツビーが心に描 い...

  • 十一番目の戒律

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 彼のほとんど字の読めない父親は、シカゴの新聞で息子の死亡記事を見て、ノース・ダコタからやってくる。彼は柩に横たわる息子を見て悲嘆にくれるが、ギャツビーの屋敷のいたるところに、息子の大成功の証をみとめて、その悲嘆を克服する。 「あいつの前途は洋々たるものでした。・・・・・生きていたら、偉い男になったでしょう。ジェイムズ・J・ヒル マン〔アメリカの鉄道王〕みたい...

  • 「約束の土地」神話

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ギャツビーは、作品の中に頻繁にあらわれる「緑色の光」という強力なアメリカ神話を無条件に信じている。その緑色の光は、デイジーの住む岸壁の端にあり、まるでギャツビーを手招きしているように見える。 ある晩、ニックははじめて隣人の姿を見るが、そのときギャツビーは屋敷前の芝生に立って、海峡の反対側に見える緑色の光の方に、あこがれるように手を差し伸べていた。 「彼...

  • 希望を見つけ出す非凡な才能

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 軍に入隊したギャツビーは、ルイヴィルで、大富豪の一人娘デイジーに恋した。春、ライラックの花の下で、二人は愛を誓った。彼らは戦争が終わるまで待つという約束をかわしたが、ギャツビーはデイジーを信用してはいなかった。 デイジーは、自分自身の意見をもたず、個性もなく、なんでも他人に合わせ、ダンスや贅沢な暮らしに目がない。ヨーロッパで軍務に服していたギャツビーは...

  • 人間の本性の弱点と腐敗

    ■ホレイショー・アルジャー アルジャーの作品の多くは、「ボロ着から富へ」の物語と形容される。その内容は、落ちぶれた少年達であっても、努力・勇気・決断などを通じて富と成功のアメリカンドリームを実現させることができるということを描いている。「金ぴか時代」のアメリカン・ドリームが形を成した時代、アルジャーの作品は社会の縁で生活していた多くの若者達に、輝かしい未来への希望を与えた。➡出典: フリー百科事典『ウ...

  • 自分を作り直す旅

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』☟■プロテウスー予言の能力を持つが、その力を使う事を好まないため、プロテウスの予言を聞くためには、捕まえて無理矢理聞き出さねばならない。しかし、他の物に変身する能力をも有するため、捕まえること自体が至難の技である。ドン・リチャード・リソ著「性格のタイプ」春秋社☟■通常の状態 一芸術家で空想的で、人生に対して夢想的に審美的な適応をし、個人的な感情をなにか...

  • 永遠の感覚

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社フィッツジ ェラルドはその生涯のある時点で、アルコールと遊蕩から足を洗い、孤独の中で、その輝かしい想像カーー後にエドナ・セントヴィンセント・ミレーはそれを「老婦人 のもつ大きなダイヤモンド」と形容した―― を注ぎ込み、自分の偉大な才能にふさわしい作品を書き上げることに没頭した。彼は編集者マックスウェル・パーキンスにそう約束したのだった。彼が創造したギ ャツビーと同...

  • 偉大なるギャツビー

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 このジャズ・エイジに、アメリカの土台となっていた神話が崩壊していくさまを記録し、それがもたらす結果を予見した、ある芸術作品が生まれた。スコット・フィッツジェラルドの古典的小説『偉大なるギャツビー』である。フィッツジェラルドは誰よりもましてジャズ・エイジの代弁者と見なされている。 彼はその均整のとれたしなやかな体と素晴らしく豊かな想像力の中に、この狂乱の...

  • フロンティア仮説

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ジャズ・エイジには、自分自身を含めて あらゆるものを「売る」ことにたいする興味が急速に高まった。雇い主や、恋人や、新しく母親になりそうな人に、自分をいかに売り込むか、について書かれた本が続々と出版された。 どうして自分自身を売るのは良くて、街角で自分の体を売るのは悪いのか、その点に関する明確な根拠はなかった。 大成功したニューヨークの広告業界、ブルー...

  • ギャツビーとアメリカン・ドリーム

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 かつて彼の生活は混乱し、紛糾していた。 だが、いったんある出発点まで戻り、全体を ゆっくりとやり直すことができれば、混乱をもたらしたものが何であったかを突き止めることができるだろう。➡ スコット・フィッツジェラルド 『偉大なるギ ャツビー』 一九一八年に第一次世界大戦が終わった後、アメリカには行き場のないエネルギーがあふれていた。それまでは誰もが、戦争に参加...

  • 悲痛な叫び

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ■はじめに 私は精神分析療法をおこなっている開業医である。その私の見るところ、現代の精神療法が直面している問題は、詰まるところ、現代人の誰もが神話を求めているということである。考えてみれば、精神分析が生まれ、そして発展してきたのは、何よりも西洋社会が神話をほとんど失ってしまったからである。 フロイトも、彼と袂を分かった精神療法家たちも、はっきりと言って...

  • 信念対ご都合主義

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 たとえば昔は自然石の上に柱を立てましたが、もちろん石の上は平らではな いので柱の下を石 に合わせて削らなければなりません。そのとき、竹ひごがたくさん並んだような道具でオサと いうものがあり、それを石の上に置いて石の上面のかたちをそれにとるわけです。竹ひごが動かないように固定しておいて、それに合わせて柱の下を削るのです。 今の大工にオ...

  • 期待通りのプロは少ない

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 互いに、互いの分野というものを暗黙のうちに決めて口を出さないようにしています。設計者と大工、設計者と施主、大工と施主の間に常に一本のラインが引かれています。そのラインは素人はこれから先は知らなくていいというラインで、いや知らないほうがいいというラインかもしれません。 そこに住宅メーカーや業者が関係してくればもっと複雑で、左官屋や水道屋...

  • 注文の出来ない注文住宅

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 二百年もつ家づくりの出発点は新建材の家の徹底的な分析からです。ここに私が新建材で家をつくることで悩み考えた最初の計画を紹介します。 外壁は防火サイディングで、特徴は材そのものがある程度の強度を持ち、下地が不要で仕上げも不要なため、人件費が安くなるということ。モルタルのようにひび割れもなく、多少はすきまから通気もします。メンテナンスフリ...

  • やめるには勇気が必要

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 私もスタートは一般的な道を歩んだ一人です。モデルハウスを見に行き、住宅の雑誌を買 い、間取りや、壁や床の材料、窓の位置や形、屋根の材料や形など何か月も考えて、設計も終わり、確認申請も済み、いざ着工というときに、その家を建てることをやめてしまいました。 もちろん設計料や確認申請にかかったお金は支払ってやめたのです。まわりの人は 「もったい...

  • 見えないコスト

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 「ローコストで家を建てたいのですが。」「あなたの土地は擁壁が高いでしょう。材料をこの土地に入れるのにお金がかかります。上にも道があるから、そこから人間が運ぶか、正面からクレーンという方法もありますが、高さがあるから大きなクレーンでないと駄目です。それから、擁壁を1メートルくらい高くして土止めをしなければならないでしょう。それから塀をする...

  • なぜ二百年なのか

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 現代の建築のあり方がいやでいやで仕方なかった私に、一つだけ好感のもてる世界がありました。それはログキャビン(丸太小屋)を自作するアマチュアのビルダーたちの世界です。よし私も自作しよう。そう考えて勉強にとり組んだときもありました。ログキャビンだけでなくドーム ハウス、ツーバイフォー(2×4)、ブロック、在来工法など、いろいろな方法で自作して...

  • 業界のための家づくり

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 私は物を疑ってきました。大きさ・材質・工法・コスト.....など。「家とは何か」という問いに、「家とは物である」と答えます。しかし、ただの物ではありません。集合体であり、複雑なので疑うには大変な時間と労力がかかります。 各部位を単体で考えれば答えはでても、それが組合せになると、また一から考えなければいけないことがよくありました。だからとい...

  • 必要以上のものを所有するという悪

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 家を建てるにあたって一年以上悩みつづけたのも、所有することの意義、所有することの善悪―― これが最初から最後まで貫かれたテーマであり、結局最後に、やはり家など所有するべきではなかったと答えざるを得なくなったのです。 私は家を持って多くの人に誤解されたように思います。そして進路も、少し誤ってしまったように思います。 必要以上のものを所有...

  • 夢の実現と信念の実現

    伊藤勝「二百年もつ家がほしい・私のいえづくり奮戦記」彰国社 ■はじめに この本は現在の住宅建築のあり方に満足できずに悪戦苦闘した、まったく個人的な記録です。人によっては、あまり考えずに家を建ててしまう人もいるでしょう。またカタログを集めたり、本を読 んだりして勉強してから建 てる人も少なくないでしょう。それでも建てた九〇パーセント以上の人が失敗したと思っているといいます。それほど家を建てることは...

  • ありふれた奇跡

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 そうしてこそはじめて、自然っていうものは、どういう営みをしているのか。どういうドラ マが行われているのか、ということもわかってくる。田圃の中に、薬をかけたら、そういうものは一ぺんに死滅します。 おどろいたことには、そのクモなんかもですが、私が一度、かまどの灰をふるくら いならさしつかえないだろうと思って、かまどの灰をふったことがあるんです。そうすると、...

  • シャーロットのおくりもの

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 さらに言えば、クモなんかでも、この田圃には四種類も五種類もいる。その中での、あるクモな んかは、まるで飛行機のようにクモの糸に乗って、飛散していくやつがある。これは、年によると、稲株を刈った翌朝なんかに行ってみますと、前日までは何ともなかったのに、一晩のうちにですね、もう、絹糸を張ったように、クモの巣が一面に張られている。そしてそれが朝露にくっついて、...

  • 三竦みの四つ巴

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 何故、自然というものを知ることができないか。自分たちが知っている自然とは何かといえば、自然そのものの本体を知っているのではなくて、自分の頭で勝手に解釈した自然というものを、自然と思っているにすぎないんだ、と。もしくは、植物学的な植物、つまり、これはイネ科の稲である。これは柑橘類のうちのミカンである。マツ科の松である、ということを知っているのでしかない、...

  • イワンのバカ

    権力欲の権化であるセミョーンと金銭欲の象徴のようなタラースは小悪魔たちに酷い目に合わされるが、ばかのイワンだけは、いくら悪魔が痛めても屈服せず、小悪魔たちを捕まえてしまう。イワンが小悪魔を逃がしてやるとき、「イエス様がお前にお恵みをくださるように」と言ったので、それ以来、小悪魔は地中深く入り、二度と出てこなかった。 ➡トルストイ「イワンのバカ」あらすじ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia...

  • 一歩進んで二歩下がる

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 しかし、現在の試験場の機構、あるいは大学の機構、研究方法からいえば、当然そういうことになるわけでして、まあ、じれったい話ですが、いろんな点で慎重、慎重というブレーキがかかってくる。 とはいえ、とにかく、一歩ずつは、具体化の方向に近づいているのは確かなんで す。今年(昭和五十年頃)ようやく、近畿大学の農学部が「自然農法」のプロジェクトチームを造り、各教...

  • 生命のない秩序

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 たとえば、高知県の病虫の専門家の桐谷さんなどが来て、この田圃はウンカの消毒をしないのに、なぜウンカが少ないんだろうか、というような調査をした。虫 の棲息状態とか密度、天敵と害虫との関係、クモの発生率なんかを調べると、試験場で消毒した田圃の発生密度と、ほとんど同じである。 消毒もしないこの田圃の害虫の発生密度が、いろんな薬を使って一生懸命消毒した田圃と...

  • 木を見て森を見ず

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 私の自然農法というものは、三十年前にすでに一般に紹介されているし、それからも研究されている。そして、八、九年前にはもう、技術者の間では、これはまちがいではない、これでいいんだ、というお墨付が出ていたんです。出てはいたが、さらにその骨組の上に、着物が着せられるというか。 化粧をするというか、商品化するために、けっこう時間がかかるみたいですね。その着物と...

  • ターニングポイント

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 学者が自然を離れれば離れるほど、遠心的に離れていくほど、求心的な作用が働 いて、自然に帰りたくなる。原点に帰りたくなる。科学に対する猜疑も強くなる。 これが現在の、私の所へやってくるような気運をつくり出 している一つの原因だろうと思います。 ところが、作用と反作用、遠心力と求心力というのは、実は二つのように見えて、一つなんです。 ここに来る連中は、原...

  • 原点とか中心

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 この自然農法が、全く科学否定の農法で、非科学的農法だと いうけれども、よく調べてみると、最も科学的な農法じゃないかと、びっくりして帰っていく大学の先生もいる。 自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。実を言 いますと、この米麦不耕起直播なんていうのは、もう...

  • 最先端の農法

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 この数年の間に、私の自然農法に興味を持つ人が非常に増えてきました。そして、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌でもさかんにとりあげられるようになりました。 私はただ、人間は何も知っているのではない、ということを確かめ裏付けたいために、こうして百姓をやってきたにすぎなかった。 ところが、今考えてみますと、世の中というのは、全くそれと反対の方向に、猛烈な勢いで進ん...

  • 下手な考え休むに似たり

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 それからの三十五年、私はもう、全くのただの百姓で、現在まできたわけなんです。その間、一冊の本を読むわけでもなし、外へ出て人と交際するでもない、ある意味で言いますと、まるっきり時代 おくれの人間になってしまいました。だが 、その三十五年の間に、私はただひとすじに、何もしない農法を目ざした。ああしなくてもいいのじゃないか、こうしなくてもいいのじゃないか、とい...

  • 農薬も肥料もいらない

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 人間革命というのは、この、わら一本からでも起こせる。と私は信じております。このわら、見かけは、きわめて軽くて小さい。こんなわら一本から革命が起こせるというと、普通、いかにも奇妙に思われがちですが、実は、このわら一本の革命というか。わら一本の重さというか。一物一事が何であるかを、私はあるとき知ったんです。 そのときから、私の一生は、ある意味で狂ってしま...

  • 働きもせず紡ぎもしない

    ...

  • 物質志向から生命志向へ

    福岡正信「自然農法・わら一本の革命」春秋社 より ■序にかえて 地球的規模での砂漠化 、緑の喪失が深刻化している中で、かつて風光明媚を謳われた日本列島の緑も、今 、急速に枯渇しようとしている。 しかし、それを憂うる者はあっても緑の喪失を惹起した根本原因を追究し撃破する者はいない。ただ結果のみを憂い、環境保護の視点から緑の保護対策をとなえる程度では、とうてい地上の緑を復活させることはできない。 飛...

  • 群盲象を評す

    私たちの社会は驚異的な速度で堕落しています。巨額の汚職や財政破綻などのニュースが私たちの日常生活の一部になっています。テレビのニュースや新聞を通じて幼児ポ ルノの組織に子供が誘拐されるのを恐れたり、かかりつけの医者が患者を誘惑した話を耳にしたりします。 酸性雨と公害によって地球は破壊され、核戦争による破滅が今にも起こりそうです。飢餓と戦争は地上に蔓延しています。この社会において、私たちは何らの行...

  • 古代の世界観

    ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則・21世紀文明観の基礎」祥伝社 ☟ 本書の主眼は前章で繰り返し述べたとおり、「エントロピーの法則」の導入による「新しい世界観」の確立を要請するとともに、それによって招来されるであろう「新しい社会」の概念を規定しようというものである。 しかし、まだ見ぬ世界をあらかじめ先見する仕事は、まことに困難をきわめる。そして、こういった仕事をするにあたって、人間に与えら...

ブログリーダー」を活用して、佐藤蓼丸さんをフォローしませんか?

ハンドル名
佐藤蓼丸さん
ブログタイトル
多次元飛行船
フォロー
多次元飛行船

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用