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愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

ライフスタイルブログ / 生き方

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佐藤蓼丸
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2013/03/06

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  • 自分無くしの神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 第二の神話は、白人男性システムは議論の余地なく秀れている、というものです。このシステムに従わない者は議論の余地なく劣っていることになります。これは矛盾した神話です。 白人男性システムが唯 一のシステムであるならば、 いったい何に対して優越するというのでしょう。そもそもこのシステムのルール...

  • 既得権の神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 前著『女性の現実』でつちかわれたアイデアの中から、この本『嗜癖する社会』が生まれました。それらのアイデアをここで簡単に振り返ってみましょう。『女性の現実』で、私は三つのシステムを提唱しました。白人男性システム(white male system)、新たな女性システム(emerging female system)、反応的女性シ...

  • 変化への長い道のり

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 回復に際して必要な仕事にも取り組まねばなりません。それは、リビング・プロセス(生存過程)システムと名づけた新しいシステムヘ移行していくまでの、長い長い道のりなのです。 嗜癖者が回復に向かうようになるためには「底つき」 の体験が必要です。私たちの社会もその時期にさしかかっていると思います...

  • 客観性という神話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 社会が嗜癖という病気に罹っているという認識こそが、今日直面している諸問題に対する他の解釈や対処法が見逃していたものです。ほとんどのものは、特定の関心や分野にだけ焦点を当てています。それは私たちの断片的な社会においてはごくあたり前のことですが、こうした視野の狭さは嗜癖者の特徴でもあるのです...

  • 病人の自覚

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 第二に、すべてではないにしても、そのほとんどは、問題のほんの一部分しか扱っていません。問題の各部分をつなぎ合わせ、問題の全貌に取り組んだ研究はまだありません。 実際のところ、問題の全貌を把握し、少なくともそれが何かを知った上で記述している人は、一人もいないのではないでしょうか。 この...

  • 驚異的な堕落

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 私たちの社会は驚異的な速度で堕落しています。巨額の汚職や財政破綻などのニュースが私たちの日常生活 の一部になっています。テレビのニュースや新聞を通じて幼児ポルノの組織に子供が誘拐されるのを恐れたり、かかりつけの医者が患者を誘惑した話を耳にしたりします。 酸性雨と公害によって地球は破壊さ...

  • The Circle Game

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 私たちの過去は疲労と死に満ちているが、その一方で、私たちはつねにうっとりするような思想をいだいてきた。悲しみだけでなく、何かに驚いたり心を打たれたりする経験をしてきた。しばしの間、悲しみは罪悪感から解き放たれ、喜びは不安から解放される。 神話におけるように、永遠性が時間の中に入ってくるとき、私たちはふいに人間の意識の意味を悟る。 このようにシーシュポ...

  • 人間の生の意味

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 それだけでなく、シーシュポスはその作業の途中で、夜明け前の空に浮かぶバラ色の雲に気づいただろうし、転がり落ちる岩を追って山を下るとき、胸にあたる涼しい風を心地よく受け止めただろうし、好きな詩の一節を思 い出したかもしれない。彼はきっと、無意味な世界に意味をあたえてくれる神話のことを考えたに違いない。 シーシュポスにはそうしたことが可能だったに違いない。...

  • 庭師キング

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 シーシュポスは、死さえも否定しようとした創造的人間である。彼はけっしてあきらめることなく、よりよい生を創造することに全身全霊をささげる。彼は、絶望にもめげずに前進をつづける英雄の原型である。 絶望に立ち向かうそうした能力が人間になかったら、ベートーヴェン、 レンブラント、ミケランジェロ、ダンテ、ゲーテなど、文化史上の偉人たちは、ひとりとして生まれなかっ...

  • シーシュポスの神話

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 その絶望の瞬間から、新しいが永遠に古いこの神話、絶望的なように見える状況にふさわしい唯一の神話、すなわちシーシュポスの神話が生まれる。 この神話はアメリカン・ドリームと真っ向から対立しており、進歩を否定し、どこへも到達することなく、永遠の単調な労苦と汗のなかで毎日同じ行為が反復されるように見える。 だが、それだけではこの神話の決定的な意味を見落として...

  • 先へ先へと後退して行く

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 何百万という他のアメリカ人たちと同じく、「ギャツビーは緑色の光を信じていた」。だが、ニックは知っている。この 「狂躁的な未来は、ぼくたちの進む前を、年々、先へ先へと後退して行く」 のだということを。「それはあのときはぼくらの手をすり抜けて逃げて行った。 でも、それは問題ではない。明日はもっと速く走り、両腕をもっと先まで伸ばしてやろう。そして、ある美しい朝...

  • 夜空の下の共和国の原野

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ニックは東部を離れて故郷に帰ることにする。だが、出発する前、ギャツビーの屋敷の最後の華やかな日々が脳裏に焼きついて、なかなか忘れられない。 「ぼくの耳にはまだ、音楽や笑い声が、絶えずかすかに聞こえた。ある夜、ぼくは現実の車の音を耳にし、そのヘッドライトが玄関先でとまるのを目にした。でもぼくは詮索しなかった。たぶん今まで世界の果てにでもいて、パーティーが...

  • アメリカン・ドリームの崩壊

    ギャツビーの葬式の後、フィッツジェラルドはニックの口を借りて、彼自身がアメリカという国をどう見ているかについて思いをめぐらしている。彼の思索の中では、ギャツビーの悲劇は、アメリカの神話の喪失、すなわちアメリカン・ドリームの崩壊とぴったり重なり合う。ニックは、高校時代にクリスマス休暇になると中西部へ帰省したことを思い出す。 シカゴ駅で旧友たちと合流し、ウィスコンシン州を鉄道で旅する。彼ら若者たちは...

  • 私たちの目指した神話

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 まさかこの神は、カーネギーや、 ロック・フェラーや、ホイットニーの顔をしてはいないだろう。 いや実際、その神には顔などない。その神はひとりの無名な男で、ドブネズミ色のスーツを着ている。鏡に映った 「広告マン」の姿である。その男にとっては、自分が何を信じているかなどということはどうでもいい。 そもそも信仰などというものとは無縁だ。彼の頭にあるのはただひとつ...

  • アメリカン・スタイルの神

    ロロ・メイ「自分さがしの神話」読売新聞社 ジョージ・ウィルスンが神の目として崇拝している、このT・J・エクルバーグ博士の巨大な目は、マイカリスが指摘したように、広告である。その目的は眼鏡を売ることだ。その巨大な看板は、どこかの眼科医が商売繁盛を狙って立てたものである。 商業主義――ポケットに銀貨をジャラジャラさせて売ったり買ったりすること―― が、神の役割を分捕ってしまったのだ。広告、すなわち商...

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