chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
フォロー
住所
魚沼市
出身
魚沼市
ブログ村参加

2012/03/02

arrow_drop_down
  • 花を見て満足し下山

    六万騎山の山頂、城址から我が家の方向を見る。遠く、鳥屋が峰や守門岳がまだ雪に覆われて白く見えます。山頂で四人並んで記念撮影をして下山開始。最盛期には大勢の登山者で賑わうのですが、遅めの時刻だったせいか少ない。下りは息が上がることもなく、楽しい会話を交わしつつの下山。相変わらず植物の種類は多くて、時折立ち止まってスベルベが説明しました。山の上でお握りでも食べようかとも相談したが、結論はこの食堂。八海山酒造が運営する「魚沼の里」の中にある食堂で「社員食堂」とあるが誰でも利用可能。メンバー三人が選んだのは同じで、八海定食の魚でした。鰆のフライはあっさりとして、タルタルソースとのマッチングも最高でした。こうして、素晴らしい早春の六万騎山、カタクリの花の美しさを満喫。でも、皆さん、六万騎山のカタクリは明日、明後日の...花を見て満足し下山

  • カタクリは七分咲き

    カタクリの最初の群生地は登山口から数分の位置。手入れされてきれいな斜面は一面のカタクリですが惜しむべきか満開にはもう少し。元々は杉林のようですが、細い木は植えられたばかりの桜かな。写真を撮っているうちに、連れの女性三人は先に登りだしていました。登山口は二カ所あり、周回できるコースです。下の風景が見え始める。登りに選んだコースは一気に標高を上げる、ガイドでは30分の時間とされている。左手の雲がかかった山は家族でも登った懐かしい巻機山です。そして、その尾根続きに見える右手の雪が少し残っている山は坂戸山です。(続く)カタクリは七分咲き

  • 春の花を求めて六万騎山へ

    花の便りを待ちかねて、六万騎山に登ることになった。スベルベママの友人二人を誘い、4人での山行は晴天に恵まれて最高のハイキング。登山口には何台もの車があり、混雑を避けてすぐ近くのコンビニに駐車。登山口を登り始めると、すぐに雪割草に出会う。これは自生ではなくて植えたもの。雪割草も一種類ではなくて何種類かある。人為的に植えたものだとは言え、消滅もせず毎年目を楽しませてくれます。コバイモと言う地味な植物の花です。紫色の雪割草とカタクリが隣り合わせ。七分、いや八分咲きかな。待望のカタクリは満開とは言えない状態。何台もの車の登山者はグループで、すでに下山済み。思ったよりも静かな六万騎山です。(続く)春の花を求めて六万騎山へ

  • 春が早い

    気温の高い日が続き、雪消えが早くなっている。下の畑には黒い消雪促進剤を撒いたのでしたが、雪を掘ってみると20cm有るか無いかというところ。雪消えが遅い年は、雪の下で腐ってしまう事さえある玉ネギ。今年のこの雪の消え方だったら、問題は無いでしょう。春を待っていた玉ねぎはこれで伸び出します。トウ菜と言う早春に伸びる茎葉を食べる菜は二種類。五月菜と川流れ菜の二種類が植えてあるが、ネズミに食べられた形跡もなくこちらも順調。昨年たくさんの実を付けてくれたプラムです。生り年、裏年が有ったりするが、今年も花芽は多い。お礼肥えの堆肥が効いたかな。雪囲いをしていたブルーベリーも囲っていた藁縄を切りほどきました。こちらも花芽がたくさん着いています。実が付き始めたらネットで小鳥から守りましょうか。まとまって雪が降ることが多くて、...春が早い

  • 驚異の蝶「アサギマダラ」

    旧湯之谷村在住の姉が来宅した際に、このアーティチョークに停まる蝶の写真を見せた。自慢するつもりで、このアゲハチョウを見せたのだったが、反対にもっと驚く写真を見せられた。それは、湯之谷の家の庭先で撮られたという写真。なんと、フジバカマと言う花に停まるアサギマダラの姿がしっかりと捉えられているではないか。アサギマダラの生態はまだ謎に満ちた部分が多い。生まれるのは、関東以西であり、その理由は幼虫の餌となるキジョランと言う植物の分布によるらしい。しかし、驚かれるのはその生態。旅をする蝶として知られるが驚くのはその飛翔距離。研究者たちは捕まえてマーキングと言う方法で、羽に印をつけて再び放つという。孵化して成虫の蝶になってからは4~5か月の命だと言うが、その短い間に長い距離を旅する。一日で200キロ、そして最長距離は...驚異の蝶「アサギマダラ」

  • 海幸彦山幸彦

    玄関のチャイムが鳴り、急いで出ると懐かしいお顔。スベルベ言うところの海幸彦の来訪。出雲崎の友人夫婦が、大きな獲れたてのカレイを届けに来てくださったのでした。お茶にお誘いしたけれども、用が出来てすぐに帰宅しなければならないと言われる。あわてて、山幸彦のスベルベは塩漬けのワラビをたくさんお持ち帰り頂きました。丁寧に内臓を抜き、卵はしっかりと残してしかも、キッチンペーパーが詰められています。余分な汁を垂らさないようにと言うお気遣い。もう切り身にするだけになって届いたのでした。一枚のカレイを大ぶりな切り身三枚に切って、大きな平鍋で煮付けに。二匹頂きましたから、合計で6枚の切り身が出来ました。美味しい匂いが立ち込めます。中ぶりの四角の皿からははみ出さんばかりの大きな切り身。土佐の安芸市から妹が久しぶりに来宅していて...海幸彦山幸彦

  • 遊びをせんとて生まれけむ

    鰍獲りの写真を見ていて思い出したが、釣りも好きでしたね。夏の暑い日の夕方など、こうして涼みがてら魚野川で釣りをしたものです。一枚目は若き日のスベルベですが、こちらは一緒に行ったスベルベママです。もちろん、中越地震、新潟福島豪雨の前で、川も荒れていず水も今よりもきれいでした。寺泊に遊びに行った際の釣りのシーンです。コマセ籠の下に見えるのは、アジか小さなサバでしょうね。亡父の年齢は今のスベルベと同じくらいでしょう。娘たちの姿から見ると40年ほども前の事の様です。寺泊港の岸壁のようです。元々は釣りの好きな父と息子で、一緒に鯉釣りなどもしていました。家族そろってこんな遊びが好きでした。父親も良く働く人でしたが釣りが唯一の息抜き。亡父は器用で、昔、見たことがあると言うだけで「せみ凧」も再現したりしました。かなりの年...遊びをせんとて生まれけむ

  • 鰍酒

    先日、川魚の「鰍(かじか)」を頂きました。既に焼いてある鰍で、ビニール袋入りでした。さて、これをどうするかと言うと・・・。燗酒、「鰍酒」の材料になるのです。本当は獲れたてを塩焼きにした、熱々の焼き鰍で作ると美味しいのですがね。この鰍酒を頂いた日の夕食メニューは鍋でした。寄せ鍋風ですね。牡蠣と鱈が主役かな。ニンジンはピーラーで薄く削ぎ切りです。好奇心旺盛と言うか、食べ物に関心が強いというか真冬でも鰍獲りに。ここは我が家から近い、魚野川ですね。スベルベ夫婦が写っているって誰が写したのかな。普通の鰍漁は二人一組で、一人が鰍を追い、一人がそれを網で獲る。この場合はスベルベママの足元に唐鍬がみえるから、一人で網の先の石を起こしたのかな。それにしても、若いねー。今のスベルベなんてまるで別人だから公開しますよ。今は、こ...鰍酒

  • 風船一揆の思い出

    えっちら、おっちらとアリさんじゃ無いけれど、お年寄りの行列だー。目指すは小千谷市時水(ときみず)の城山です。人はなぜ山に登るのか・・・。この城山に登ったのには確たる目的がありました。この日は小千谷市で開催される大イベント、風船一揆を山の上から見ようというのです。全国から集まった熱気球グループが次々とそらに気球を上げ始めます。良いですよね、基本、熱気球って風任せの飛行。どこへ行くか分からないってね。熱気球を上げる会場は雪に覆われた水田。何処へでも会場設定が出来るって雪国は便利ですねー。これは、10年以上も前の風船一揆の光景でした。ここ何年かは御多分に漏れず、コロナ禍などの理由で開催されていませんでした。今年は久しぶりに熱気球も空に舞い上がったようです。過去には同時に行われた、ライトプレーンのデモ飛行で墜落事...風船一揆の思い出

  • 只見線への回送列車と急な山

    農家組合員への配達物を配っていて、山を撮ろうと思ったら列車が通過。只見線への回送列車ですね。昔は小出駅構内で燃料給油が出来たが、今は長岡まで行かないとできない。そのために、毎日給油をするために長岡まで往復しています。空車ですがね。冬期間は落雪の恐れがあるなんて理由で、大白川~只見間が運休していましたが、今日から再開です。回送列車が写せたのは偶然の事。実は山の写真を撮りたかった。分かり難いが、雪崩止柵の左側の少し上、山肌が現れ消え残る雪のちょっぴり残っている場所が旧炭鉱の跡。炭鉱とは言っても、亜炭と言う石炭になる前の物質が掘られた跡だという。明治だか大正時代だと思うが、物好きが何か所かで亜炭の採掘を試みたらしいのです。平地にはまだ数10センチの雪が残っているが、急斜面はご覧の通り。斜度がきつくて、雪が溜まら...只見線への回送列車と急な山

  • 新聞投稿「見るのも切ない生乳廃棄 」

    見るのも切ない生乳廃棄繰り返し報じられ、その映像を見るたびに切なく、考えさせられる。それは生乳の廃棄というニュースだ。酪農農家は過去にも色々な事情で振り回され、廃業の危機に瀕してきた。近隣でも、一時期は夏季の育成牧場さえ開かれて、何人もの人たちが酪農事業に従事していた。しかし、一人また一人と廃業し牛舎の取り壊しが続いている。過去と今回の酪農の危機は事情も違うが、生乳を流して廃棄するニュースは見るに忍びない。後継を志したが、毎年続く赤字状態の経営に、諦めざるを得なかったという話さえ合った。当然だろう、利益を見込めない仕事を継ぐという事は勝利の見えない戦争に参加するようなものですから。酪農に限らず、我が国の農業政策はどうしてこんなに貧しいのだろう。食糧自給率の低さは識者に指摘され続けているが、改善の兆しはない...新聞投稿「見るのも切ない生乳廃棄」

  • カラスにも春が来た

    冬季除雪パートの打ち上げという事で、近くの越後川口温泉に一泊。朝風呂を浴びて、布団に横になり窓の外を見るとカラスが見えた。これはJR東日本信濃川発電所から東京の山手線用の電源になります。こんな細い電線で、山手線の電車全てを動かしいるなんて不思議ですね。目ざといスベルベが見つけたのはカラスの巣でした。こんなことが子供のころから大好きで、誰よりも早く鳥たちの巣を見つけていましたよ。周囲を警戒しているようにも見えるが、下からは丸見えの巣です。頭が良いようでも、そこはカラス。天敵にも見つからないと思っているのかな。この越後川口温泉のホテルサンローラはまことに見晴らしがよい。左手からの流れは魚野川。その上方に見えるのが信濃川でここが合流点になります。ゆっくりのんびりと過ごした、仕事の打ち上げでした。朗報がありました...カラスにも春が来た

  • 恋から愛へ

    「恋から愛へ」って誰が思いついたのかなー。ま、素敵なキャッチフレーズですが。小出から会津若松へと続く、JR只見線への愛すべき言葉、キャッチフレーズですね。その只見線の写真で知られる星賢考さんの講演会に昨日出席。とつとつとお話しされますが、彼は「一年に300日只見線を撮る男」としても有名です。星さんの写真は世界中で興味を持たれ、いまや国際的存在です。彼の写真がインバウンド効果さえ生み出し、撮影ポイントには外人の姿が多いとか。ドキュメンタリー映画にさえなっています。その映画タイトルは「霧幻鉄道」です。只見川の川霧の美しさからのタイトルです。講演会終了後は、主催者が準備した懇親会へと移行しました。奥会津「金山町」からは、星さんを含めて6名の皆さんがいらっしゃっていて、大盛会。飲むほどに酔うほどに大盛り上がり。お...恋から愛へ

  • 素晴らしい本に出合いました。

    友人が、余っているからと、一冊を本を持ってきた。有難く頂いたが、「聞いたことの無い筆者で、大したことは無かろう」と思っていた。しかし、読み始めたら一気に惹きつけられ、帯に紹介してある通りの事態に。本当に、泣いたり笑ったりで、一気に読み、そしてスベルベママに渡すとスベルベと同じ反応。子供時代の親との関係から、現在の広い人脈、お付き合いの中からの話。圧倒的な人生が詰まっています。やはり、文章・本って原体験の重さ、濃さが反映します。中越地震の震央に近い、我が家からもそんなに遠くは無いところでお生まれになっている。その後、長岡に移り住み大きな仏具店の役員をして活躍。この文章は長岡新聞と言う地方紙に寄稿した物らしい。編集者がおられるのですね。そして、題字、挿絵イラストも名前を知られた方で色々な方が協力されているのも...素晴らしい本に出合いました。

  • 春はあけぼの

    明るくなり始め、新聞を取りに表に出ると、雪の表面が硬い。スベルベママに声を掛けて、朝食前に散歩に出ることにした。太陽が顔をのぞかせる少し前です。一日雨の日をはさんだけれど、こんな晴れの日々が続きます。雪の上を自由にどこまでも歩ける「凍み渡り」です。でも人影は全くありません。魚野川の堤防に着きました。私たちの陰に驚いた、カモたちガーガーと文句を言いながら飛び立ちます。帰りはぐるりと回り、魚野川の支流「大沢川」を越え、国道を横断。余りゆっくりしていると、陽の光を浴びて雪の表面が柔らかくなってきます。山にも朝日が当たり始めました。それにしても凄い地形ですよね。なだらかな尾根の向こうは、深い谷になっています。スベルベが転落事故を起こしたところです。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎわすこしあかりて、むらさ...春はあけぼの

  • 春が来たぞと鳴く鳥たち

    何日も晴れた日が続きます。ホームから駅前広場を見ると、車の屋根が見える。左の雪の山は、駅前広場の雪を除雪し、ロータリー除雪車で飛ばして出来た雪の山です。昨日15日で、昨年12月15日から続けてきた駅ホーム除雪のパートも終了。吹雪の日も、大量降雪があった日も上客の安全確保のために続けた除雪も終わったのでした。少し見えにくいかな。跨線橋の窓から山際を見ると動物の足跡が点々と。結果的には例年よりも総降雪量は少なくて、タヌキなどの動物たちも過ごしやすかったのかも知れません。昨年は右手の急斜面に、緑の草を求めるカモシカが見えたが今年は来ない。どこか別の急斜面で、早く土が出て生え始めた草を食べているのかも知れません。毎朝、トビとカラスが大騒ぎして争いを始める場所です。左から3本目の杉の木の上に、トビが巣作りを始めてい...春が来たぞと鳴く鳥たち

  • バーと孫のワッフル

    古い鋳物製のワッフルの型があり、久々の出番でした。娘たちが幼いころに使ったものですが、今度は孫のための出番です。しばらく使ってなかったので、中々油がなじまないらしい。何回か焼いているうちに、なじんで溶いた粉も着かなくなってきた様子。この文字が良いですね。上から、衛生・ワッフル・滋養って読むのかな。焼き上がり、くるりと丸めてからが孫の出番。慎重にクリームを入れますが、時々味見をした証拠が口周りに見えました。ほーら、熱々の美味しい手作りワッフルが完成です。久しぶりのワッフル作り、孫には初体験のケーキ作りも面白かったようです。おーい、みんなでお茶にしましょう。こたつの上には孫の幼稚園の誕生祝。お茶は皆でティーパックの紅茶です。間もなく孫は5歳の誕生日。幼稚園では誕生会も終わったそうです。スベルベママは昔から、食...バーと孫のワッフル

  • 連載289「コンポスト」(2終わり)

    若き日いつしか過ぎてスベルベもスベルベママも遊び心満点の時代。って今も同じか。コンポスト(2終わり)他にもサービスしたけれど、その一つが魚野川での魚釣り。夕方、日暮れのタイミングを待って「毛鉤釣り」に誘ったのです。夕暮れのタイミングさえ合えば、簡単にはハヤなどの小魚が初心者にもいくらでも釣れるものだから、歓声が上がる。釣った魚は持ち帰り、料理して食べました。川魚って結構生臭いものだが、腹を割き内臓を取り出すことまで教え、釣ったばかりの小魚は唐揚げとなって彼女たちの健康な食欲の前に無事に完食されて成仏と言う流れに。こんなことから、田舎の暮らしと都会の暮らしの違いが浮き彫りになった思い。良いとか悪いとか、簡単に断ずることができないことではある。しかし、あらためて田舎暮らしの良さも実感することができたような、娘...連載289「コンポスト」(2終わり)

  • 連載289「コンポスト」(その1)

    コンポスト(その1)「あのー、中を見させてもらっても良いですか」の言葉に驚いた。娘の専門学校の友達が何人もして我が家を訪れて泊って帰った思い出に残る日のことだ。専門学校の同級生は広い地域から集まり、しかも前歴は多彩にわたり、新卒者から四年制大学の卒業生、そして社会人として働いていた入学性も少なくなかった。さすがに分別に富んだ友人たちだったが、そこは若さ。遠く見えた広域農道の景色の良い高原道路に、数人の友人、もちろん若い女性たちを残さずオートバイの後ろに乗せて往復するというサービスをできたのは、父の私もまだ若かったという事か。都会から田舎の家庭を訪れた彼女たちは何もかも珍しく、そして感動を覚えるような暮らしでもあったようだ。その驚きの一つが冒頭の言葉。生ごみさえ燃えるごみとして処理している都会育ちには、純粋...連載289「コンポスト」(その1)

  • 松の山の自然を食べる会の思い出(1)

    食糧危機について書きましたが、昆虫食のように極端に走る必要も無いのではないか。参考に以前参加した「松の山の自然を食べる会」の内容を紹介しましょう。まず、メニューです。山菜、自然食が多いのですが、もちろん地元産の野菜も使われています。41と言う番号も見えますが、各分野ごとに番号は振られているから、種類はもっと増えます。これらの自然食品が、ビュッフェスタイルでテーブル一杯に並ぶ。スベルベが得意とする、山芋のトロロ汁も。伝統的なゼンマイの煮ものですが、豪華に根曲竹の竹の子も入っています。なお、手前のわら製品は地元で「つとっこ」と呼ばれているとの説明でした。宴会や御呼ばれなどで食べきれず、残った料理はこうして持ち帰ったのだったとか。食物残渣など出さずに食べきるという事も生活の知恵だったのではないかと思います。この...松の山の自然を食べる会の思い出(1)

  • 世界で最初に飢えるのは・・・

    新聞の下部にあった宣伝に興味を持ち、その本を取り寄せた。センセーショナルな題名ですが「世界で最初に飢えるのは日本」という題名の本。筆者は東大農学部で学び、農水省勤務の後、東大大学院で教授をされている。お名前は鈴木宣弘さんで、その後10日に発売された文藝春秋の特集でも中心となって発言されている。話題作り、ベストセラー狙いなのでは決してありません。スベルベが今まで感じていたことがまとめられ、世界における日本の位置づけがよくわかる。コロナ禍に端を発し、ロシアのウクライナ侵略が拍車をかけている。こんな緊急事態になって、果たして我が国日本は耐えられるのだろうか。ご存じでしょうが、我が国の食料自給率は37%。別の見方では10%とも言われる。G7の諸外国と比べても、こんな食料的に貧しい国家はありませんね。絶望的です。政...世界で最初に飢えるのは・・・

  • 神崎与五郎?

    生湯葉にわさびを付けて頂きます。豆腐類はここ10年以上、軽トラによる訪問販売を利用していて、これもそこから入手。湯豆腐です。洒落た湯豆腐専用の鍋などなく、小鍋で温めて一つずつ。出汁を取った昆布ももったいないから食べるし、冷凍の食用菊も載せてある。小皿に夫婦それぞれに盛り付けてあった野菜を主としたおつまみ。ウインナーソーセージと豚肉が茹でられて添えられていました。先日、寺泊に出かけた際には大きな真鱈を一匹買ってありまし。その鱈は切り身にして味噌漬けにもしていましたが、それを焼き魚で食べます。さて、テーブルの上に役者は揃いました。次は主役の登場です。寺泊の曲げ物作りの職人、足立さんから頂いた燗酒用の日本酒が残っていました。湯呑ほどの大きさの利き酒用のぐい吞みと、ニコチャンマークの利き酒用ぐい吞みが並ぶ。驚くな...神崎与五郎?

  • 米搗き!

    便利と言えば便利な時代になったものです。我が家から1キロちょっとのところにいわゆるコイン精米機があり、そこに行ってきました。百円硬貨3枚で、30キロの米を精米できます。そして、ボタンで精米度合いも選べるようになっている優れもの。我が家はいつも七分搗き。一度、五分搗きにしてみたら、さすがに色も黒く玄米に近い感じで以降七分に。七分でも胚芽が完全に残り、米の栄養価は損なわれないようです。七分が我が家の標準。標準とか、クリーンを選ぶと酒米かと思うような真っ白な状態に。好みでしょうが、これでは胚芽に含まれる栄養素なんてゼロになってしまいます。お金を投入すると、米の投入口のシャッターが開き30キロの袋を開けて入れる。間もなく精米が自動的に開始されて、下に米の袋を装着して精米された米を受けます。10分くらいで終わるのか...米搗き!

  • 牡丹鍋!

    先日午後、ガールフレンドから「猪肉食べる~?」なんて電話。もちろん断る理由もなく二つ返事で頂きます。そして早速夕食準備です。ネットでイノシシ鍋のレシピを引き、さっと目を通して準備です。ほとんどの材料は揃っているから簡単です。野菜は白菜、ネギと我が家野菜がメーン。数日前に射止められたばかりだという猪肉をたっぷりと載せます。仕留めた猟師さんはベテランで、捕獲直後の処理、血抜きもされていて臭みも無い。ネットで見たレシピは、弱火で煮るとありました。野菜に火を通してからの方が良かったようです。一緒に煮たから火が通り過ぎの感も。火を通し過ぎたのが原因か少し硬かった。でも、ジビエですからね。硬くても噛み締めていると滋味が口中に広がります。こちらは余計だったかな。食事後のスイーツ「シルクスイート」の焼き芋。熱々の牡丹鍋に...牡丹鍋!

  • 春の朝に凍み渡りを楽しむ

    春の訪れを知らせるかのように、ここ何日か快晴の日々です。こんな快晴の日は、放射冷却現象で冷え込み、雪の表面が硬く凍る「凍み渡り」が楽しめます。スベルベママは関東生まれの関東育ち、言わば「田舎の無い」女性と知り合った。そんな雪を全く知らない友達に、雪国の快適な遊びを経験させたいと、誘ったのです。その女性は、事情があって義母をお世話するためにこちらに来たらしい。二人で楽しそうに話を交わしながら歩きます。ただし、汗はたっぷりと書いたらしいですが。遠く尾根が連なる山は巻機山です。我が家の畑のある上の原地域も、沢を挟んだ向こうの平ら牛ヶ首にも人影は無い。雪の表面は雪の粒子が凍り、ダイヤモンドをまき散らしたかのよう。「ダイヤモンドダスト」です。前日はこちらの河岸段丘でできた畑と、越後三山の間の堀之内遊歩道を夕方に歩い...春の朝に凍み渡りを楽しむ

  • 春の鯛を食べる

    孫と人形劇観劇の帰りにスーパーに立ち寄り鯛を買う。一匹物を指定して、柵取りにし、アラもすべてパックに詰めてもらった。娘家族も呼んでの夕食になり、鯛はスベルベが担当。4本の柵から、まずは一本取りだして刺身包丁で引きます。今回も刺身とカルパッチョで食べようという算段です。カルパッチョは先日テレビの料理番組で見た「大原千鶴」さんのレシピを真似、キウイとレモンを使う。鯛とキウイとレモンを交互に重ねて盛り付けます。レモンは国産で、良く洗って皮ごと薄切りにして、鯛と一緒に食べるつもり。最後に載せた玉ネギは余計でしたね。しかも、あまり薄切りでない。オリーブオイルと酢を合わせ、少量の塩コショウで味を調えて掛けます。大根のつまも作らず、敷いたのは玉ネギの薄切り。アラ汁と、アラ煮は翌日用に回し、後はスベルベママの野菜の煮物で...春の鯛を食べる

  • 快晴の堀之内遊歩道(カメラを換えて-3)

    カメラを換えたとはいえ、同じ風景でゴメンナサイ。ズームレンズなので、風景をアップしたりダウンしたり。徐々に色の変わる越後三山をご覧ください。越後駒ケ岳をアップしてみました。日本百名山にも選ばれています。だいぶ日は傾き、日没も目前に迫ってきました。四人いた夕日の見物者も、男性二人は下山し残ったのはスベルベと女性の二人のみが残る。ここまでくると日の沈み方も早く、あっという間に太陽は山のかなたに沈みました。話は変わりますが、昨日は待望のカメラが到着。サイズが一段アップしたのでまた趣向の違う写真が撮れそうです。(続く)快晴の堀之内遊歩道(カメラを換えて-3)

  • 孫が大興奮の人形劇

    スベルベママが主催者側の友人に頼まれて、人形劇を見に行くことに。丁度良いタイミングというか、娘は一人で買い物したいと言うので、孫の子守を兼ねて行く。13時半の開演で、受付は13時から。それよりもまた早く到着。スベルベママは友人にあいさつをして、義理をすます。孫は時間を持て余し気味。「まだー、まだー」としきりに聞くが、時計を見せつつ待たせました。待ちに待った開演です。小さな子供たちは前に敷物がありそこに座って見物です。我が家の孫は、ジー・バーの傍が良いとみんなの後ろの椅子席。前の子供たちも元気が良かったが、最も大きな笑い声の主は我が孫でした。劇中では「ブブーのブー!」なんて大声をあげながら走る豚さんが気に入った。終わって、人形遣いの劇団員と人形が握手してくれるという事で、孫は豚さんに一目散。観劇中も孫の隣り...孫が大興奮の人形劇

  • 足立茂久商店の工房

    ご自宅の玄関前には、貫禄十分な看板が出ていました。工房はこのご自宅とは国道を挟んだ反対側の山際にあります。山と海の間です。貴重なそして伝統的な手仕事の工房にお邪魔できるなんて思っていませんでした。ところが、御主人足立さんは、何事も無いようにごく自然に招き入れてくださいました。そして、そこは職人さん。手を休めずに仕事をしながらの会話です。初対面とは思えないような話の弾み方で、このお仕事ばかりではなく米農家だとも知りました。特殊な鉋で木を薄い輪切りに仕上げていきます。用途、種別で大きさも異なるのですね。そして、径のわずかに違う曲げ物を重ね合わせたり。重ねて滑り落ちるようでは役に立たない。こうして四角の棒で叩き込みます。職人の慣れた芸、技術は流れるようによどみなく進みます。こうして出来上がるのですね。なお、当然...足立茂久商店の工房

  • 快晴の堀之内遊歩道(カメラを換えて-2)

    やや、蛇足気味になりましたが、カメラを換えての風景をもう一度。ニコンF1は今回は望遠は持参せず標準レンズのみの撮影。マイクロフォーサーズの限界かなー。フルサイズにする前に、APS-Cサイズかなー。2019年発売のカメラ関係誌を何度も読み返し、悩んでいます。多くのカメラマンの解説があるけれど、「小さく撮って大きく伸ばす」なんて言葉も。説得力もあるけれど、やはりフルサイズにも憧れに似た気持ちがあります。当分悩みを楽しみましょうか。サイズによって、画角がかなり違ったり、専門的に言う「ボケ」の表現も違う。第一、価格も違いますからね。最後のカメラと思って奮発するか、控えて様子を見るかですね。(続く)快晴の堀之内遊歩道(カメラを換えて-2)

  • 快晴の堀之内遊歩道(サンセット-2)

    魚沼市を囲む低山にも夕暮れが迫ります。上権現堂山から唐松山、そして毛猛山と福島県境方面も夕陽に染まりだしました。今年の雪の少なさが分かるワンショット。手前の山々も急斜面の雪は滑り落ち、地肌が出ている。山菜も早くなりそうです。大平から振り返って石碑方面を見る。ピークの杉の木の陰に石碑はあります。その向こうは我が家の山の畑方面が見えます。半袖Tシャツの男性も、今日はこれでここが三回目と言う男性も先に下山。もっとも遅く到着した女性と二人で、沈み始めた太陽を眺めたりカメラに収めたり。見る機会の少ない冬の日没、夕暮れです。こうなると、陽が沈むのは早く宵闇が迫る雰囲気もしてきました。(続く)快晴の堀之内遊歩道(サンセット-2)

  • 快晴の堀之内遊歩道(サンセット)

    山頂でもある、石碑にはとどまらず先を急ぐ。石碑から次のピーク、大平に行くまでの尾根は雪が落ち始めて危なく見える。先に行った登山者はTシャツ一枚の軽装だったから寒いでしょうね。それでも、彼も夕暮れの越後三山「紅ハナコ」が見るのが目的らしくて下山はしない。大平に到着すると、越後三山が眼前に広がる。ここ大平には同級生でもあり、山友達でもあった友人の慰霊碑を兼ねた方位盤がある。ようやく日没の雰囲気になってきました。慰霊碑は彼が越後三山縦走中に中の岳と八海山の間の鞍部から転落死したことから作られた。夕暮れの太陽が越後三山を照らし始めます。快晴過ぎるのか思ったような発色をしない。もっと赤かったり、ピンクだったりすることも有るのですが。(続く)快晴の堀之内遊歩道(サンセット)

  • 快晴の遊歩道(カメラを換えて-1)

    カメラをコンデジから、センサーはマイクロフォーサーズと小さいがミラーレス一眼に。センサーは小さいけれど、やはりコンデジと比べると映像はシャープになるように思えます。晴れ渡り、日没を待つばかりの旧堀之内町中心部を望みます。広いように思えても全体的には、山に囲まれた盆地なのだとよくわかります。まだ、日没の気配も感じられず、白く輝く越後三山です。越後駒ケ岳だけをアップしてみます。右上のピーク、杉林の左に小さく見えるのは半袖で登った男性の姿。尾根の日影が出来始めているから、それから太陽の位置が分かります。夕焼けを待つ男性の一人は、寒さしのぎだと言いながら、歩き回っていました。(続く)快晴の遊歩道(カメラを換えて-1)

  • 快晴の堀之内遊歩道(その2)

    夕焼けの越後三山を見たいと思ったのだがまだ日は高い。スベルベママは夕食の準備もあり、ゆっくりはできない。そんな時にスベルベママに着電で一人引き返すことに。出会いの鐘の手前からは一人で登ることになった。そこで、下りの登山者と話をしていた一人の先客は先行するが早い、早い。頂上ほぼ同じ高さのピークですが、尾根道は雪が溶けてかなり危うい。崩れ始めた斜面の雪の上には、動物の足跡も見えます。雪が落ちる前のものかなー。振り返り風景を見る。遠方の中央は守門岳です。日本一と言われる大雪庇で有名なのですが、今年は出来ているのだろうか。二人の登山者が下ってきました。本格的にワカン(かんじき)で足元を固めて見える。やがて、ピークの頂上付近ですれ違ったが、女性に「紅ハナコ見物ですか」と問われた。そうか、越後三山の名前を憶えやすく、...快晴の堀之内遊歩道(その2)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、スベルべさんをフォローしませんか?

ハンドル名
スベルべさん
ブログタイトル
畑に吹く風
フォロー
畑に吹く風

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用