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風太郎のPな日々 http://futaro1980.blog.fc2.com/

昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。

1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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2011/12/18

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  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 エンドロール

    津軽鉄道 芦野公園 1983年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 より先日、映画「インディジョーンズ」の新作を見た。 そのクライマックス、排気炎を吹き出すこれは大道具のハインケルをタイムスリップさせて、1939年のミュンヘンまで飛ばすはずが、とんだ手違いで紀元前214年の「シラクサの戦い」の最中に飛んでいってしまい、そこでアルキメデスに出会うという、一際ぶっとんだ展開ながら、3時間近く飽きさ...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 どこまでも

    名寄本線 撮影地不詳 1988年10月 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 より「あー、線路の真ん中で撮ってるぅ、いーけないんだぁー。」と、本物の警察より怖い「マナー警察」どもがわらわら湧いてきそうな写真だが、これは道路とクロスした踏切板上で撮っている。 だいたい北海道の山中など、線路脇はやたら強靭な枝を持つクマ笹や、蕗が生い茂る湿地帯、ヤブ蚊の群れなど、天然のバリケードに二重三重に守...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 出来

    五能線 驫木 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「津軽逍遥」より編集者が本を開くなり、「製本ちゃんとしてますよー、見開きページがちゃんと繋がってる」と。さすがに客車が左右ズレていたら様にならないし、それをピタリと合わせるのも職人の技なのだろう。本写真集は「糸かがり製本」という、見開きが思い切り開く製本加工をしているので、心置きなく開いて頂きたい。出版業界は長い歴史がある...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 降臨の日

    蒲原鉄道 大蒲原 1983年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「蒲原の里」より白い闇のように降り続く雪は、終日止むことはなかった。 線路も駅もみるみる雪の海に呑み込まれるようだ。それでも鉄道は止まらない。 大きなスノープローを付けた除雪機関車は雪煙をあげて往復し、前面を真っ白に化粧した電車は、遅れながらも必死に走り続けた。 大雪の日、鉄道ほど頼れるものはなかったからだ。さあ最高の「場...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「そで」の夏休み

    大井川鉄道 地名 1988年8月この細長いのは、「そで」の写真である。そう言われても何のことやらという方は多いだろうが、下の「本の構造図」を見て欲しい。一般に「表紙」と思われているのは、本写真集のようなハードカバー製本の場合、「カバー」であり、「表紙」とはカバーを剥がすと出て来る「地」のことだ。そして「そで」とは、「カバー」を巻き込んだ部分をさし、「前」と「後」があるが、これは「前そで」。本...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 津軽平野見開き3連発

    津軽鉄道 金木 1982年11月 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「津軽逍遥」より「バックスクリーン3連発」といえばバース・掛布・岡田だが、掛布のは「バックスクリーン寄りの左中間では?」などと突っ込めば、「3連発は3連発じゃ、辛気臭いこというなや、ボケ!」と返って来るだろう。 これは1985年か。本拠地甲子園、それも対巨人戦での伝説となれば、40年近く経っても色褪せないカタルシス。一...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 シャープネス

    鹿児島交通 永吉 1982年8月 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」より大型台風が迫っている。古びた気動車に冷房などついていない。 窓を開け放つ位が精一杯だ。次第に広がって来る暗雲の下、地表を覆う南国の熱気が淀んで沈殿したような日だった。Photoshopで写真をいじっている方ならよくご存じと思うが、「アンシャープマスク」という、ピントをシャープに見せるエフェクトがある。要は画像...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 北海道ワイド周遊券

    国鉄北海道ワイド周遊券B券 1981年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 よりA券・B券の二片制で東京から北海道内に入るまでA券を使い、道内及び帰り道、最大20日間B券を持ち続けることになる。失くしたら一巻の終わりだから一番大事なところにしまっていたはずだが、途中下車の度に取り出して、途中下車印を押してもらわなければいけないし、車内検札もあるから出し入れしているうちにヨレヨレにな...

  • 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 エピソード・ゼロ

    蒲原鉄道 七谷 1981年2月 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「故郷の駅」より冬の夕暮れは早や構内を包み、裸電球が蒼い雪面にセピアの灯りを落とす。ひとりぼっちの駅長の、長い夜が始まろうとしている。撮影は1981年2月、風太郎18歳。 写真集に掲載したうち、最初期の一枚。風太郎は写真に関して全く奥手だったので、高校生に至っても写真のシの字も知らなかったと言ってよい。初めて自分のカメラ...

  • 途切れた線路

    只見線 本名 2015年かつて只見線で、途切れた線路を目の当たりにした衝撃を思い出す。鋼鉄のレールは彼方まで続き、決して断たれることなどないという、多分に情緒的な幻想が、圧倒的な現実の前に崩れる瞬間でもあった。いや、跡形も無く剥がされていった多くの線路を見てきたはずなのに、今更な衝撃は、人間はかくも忘れ易いものという証しなのかもしれない。再び繋がった線路は幸せだ。 この国の山野に放置されたま...

  • 真夏の出発合図

    小湊鉄道 里見 2014年手旗が揺れるのは、梅雨明けの空。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村「ダッポウン ディロゥ ヤァマラー!(写真撮らせてー)」と言うとガハハと豪快に笑う、線路市場の大将の背後にあるのは、駅に隣接した刑務所の壁。壁のこちらと向こう、違い過ぎる世界はあれど、普通の庶民にとって縁のない場所だったはず。今、暗黒政治の牙城になっていなければ良いのだが。ミャ...

  • Project 「 写真集 旅のたまゆら 1981-1988 」 刷り出し立ち合い

    ドイツ・ハイデルベルグ社のオフセット印刷機は1台1億円するそうだが、5台並んでそれぞれが1版を担って5色印刷まで対応。「どうかいい絵が出ますように。」と、ゲルマン精密技術の塊に柏手を打ちたい気分。印刷所で「刷り出し立ち合い」。 印刷開始に伴い、本物の刷り上がり、その最初の一枚をこの目で確認するという儀式で、全ページについて刷り出しを確認し、必要とあらば微調整を加えるという、ワガママを聞いてもらった...

  • 蜩の声

    大井川鐡道 家山 2013年夏の陽もようやく傾いた。蜩の声と轍が響き合う。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村「ダッポウン ディロゥ ヤァマラー!(写真撮らせてー)」と言うとガハハと豪快に笑う、線路市場の大将の背後にあるのは、駅に隣接した刑務所の壁。壁のこちらと向こう、違い過ぎる世界はあれど、普通の庶民にとって縁のない場所だったはず。今、暗黒政治の牙城になっていなければ...

  • 線路市場の車両限界

    ミャンマー マダヤ線 タィーゼィ 2018年戦乱の続くミャンマーで社会の状況は大きく変化しているかもしれない。しかし庶民の日常生活そのものは変わりようが無いのだから、その逞しき生活力は健在であるはず。この線路市場を見ていて感心するのは、まさに車両限界ギリギリを意識した「片付け」をすることだ。時折車輪が商品を踏み潰すようだが。高速化改良が進んでいるヤンゴン環状線辺りでは、既に線路市場はほぼ消...

  • 真夏の記憶色

    只見線 大白川 2018年こういう絵柄の場合、全体の色調がG(グリーン)被りしている場合が多いが、あまり補正しようとは思わない。押し寄せるような夏の緑の只中で、それは記憶に刻まれた色に感じるからだ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村「ダッポウン ディロゥ ヤァマラー!(写真撮らせてー)」と言うとガハハと豪快に笑う、線路市場の大将の背後にあるのは、駅に隣接した刑務所の壁。...

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