日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。
1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。
青梅鉄道公園 ED161 2023年8月石灰石輸送華やかりし頃の青梅線、ED16の三並びとか深夜に撮ってた奴もいたなあと、遠い目。微妙にジャンルが違ってそういうものに関心が無かったけれど、今振り返ればもっともっと首を突っ込んでおけばと思うところもある。石灰石は都市をコンクリートジャングルに変える重要資源だったし、奥多摩の山間に響き渡った轟音は、時代を創る音でもあったわけだ。 青梅鉄道公園 9608 大学...
東野鉄道キハ503 1/80 13mm栃木にあった東野鉄道は1968年の廃止だから風太郎が知る由もなく、高井薫平さんとか先達が残された写真で偲ぶばかり。北関東の平野部を淡々と走る地味な鉄道だったようだが、国鉄払い下げから自社発注車、可愛らしい小型ボールドウィンがマッチ箱を牽いたりしていて、車両的にはこれ程面白い鉄道もない。模型を1両また1両と制作しているうちに、おんやぁ、結構な東野ワールドが出来たじゃん...
釧網本線 北浜 1984年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「故郷の駅」より印刷所での刷り出し序盤、オフセット印刷機から吐き出された「刷り」を見て、思わず目を見張ったのがこの写真。潰れ・飛びに関してそれぞれギリギリのところで止め、滑らかなグラデーションの再現は、正直「印刷の限界」を覚悟していた先入観を覆すものだった。 「下手なオリジナルプリントより上。」の評も素直に頷けた。本書のアー...
根室本線 糸魚沢 2012年標茶町・厚岸町で乳牛60頭以上を襲ったというヒグマ、「OSO18」が遂に射殺されたそうだ。数年間にわたり誰も姿を見たことがないのに、犠牲ばかりが積み上がるというのは恨み千万な相手だったろうが、その神出鬼没振りは、正にアイヌが崇めた「山の神」の化身とも思える。出没地点をプロットしていくと、かの有名な糸魚沢~厚岸間がそっくり入るというのも怖い。ご存じの通り、駐車場に車を停め...
磐越西線 上野尻 2015年写真集発刊という一大イベントがあって、風太郎にとっては暑いというより熱い夏になった。無我夢中のままに気付くのも遅れたが、それでも朝夕の涼しさはどこか夏の終りも感じる。鉄は熱いうちに打ての仕掛かりイベントも控え、多忙は続くもそろそろ巡る季節を愛でる余裕も欲しくなり。「書泉グランデ」の平積みが1/3位に減っているのを確認。早く買わないと売り切れちゃうぞー。その脇にある...
写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 記憶を刻むもの
山陰本線 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「エピローグ 記憶を刻むもの」より子供たちの目の前にあるはずの線路は、来た道であり、行く道でもある。*今は原野に還った北海道の奥地の駅でさえ、学生服の大群がホームを埋めた1960年代の写真は、どこか別の国の風景を見るようだ。この国がごく短い期間に体験し、鉄道が象徴的に映した驚く程の時代の変化を、写真は記録し後に伝えた。*時は流れ、僕は1980...
島原鉄道 加津佐(長崎県加津佐町 現南島原市) 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」より海の民の魂は水平線の彼方から舟でやってきて、波に消えるをもって送りとするのだろうか。波の盆。 ひと夏が、終わろうとしている。ちょうどお盆明けの時期だったし、佇まいからしてお盆の送り迎えに関係しているのは疑いないと思っていたけれど。キャプションを考えていてハタと思ったのは、こ...
蒲原鉄道 大蒲原 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「蒲原の里」よりまだ雪は残っている。 しかし雲の切れ間から覗く陽はどこか暖かく、雪に閉ざされた季節の終りも感じさせるのだった。頻繁に往復する除雪列車がダイヤに入るため、閉塞区間を臨時に設ける必要があり、冬季に限って詰める駅長の仕事も終わりが近い。待ちわびた春の足音が聞こえる。発売から早や2週間。 SNSに飛び交う皆様のご感...
島原鉄道 布津 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」よりホームには飼い犬が寝そべり、ニワトリが闊歩している。駅と自宅はひとつだった。 猛暑の昼下がり、「駅長」は扉を開け放ち、ダボシャツ一枚で書類を捲る。 写真をお願いすると盛んに照れた。業務委託化は1964年というから、結構長い歴史が駅に独特な表情を与えていた。1985年にプレハブの新駅舎に建て替えられたとある。 後にその駅舎...
蒲原鉄道 七谷 1985年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「蒲原の里」よりまだ上越新幹線も無かった頃。蒲原鉄道を訪ねるための足は、夜行急行「佐渡」だった。 佐渡7号は上野23:20発、接続駅の信越本線加茂へは4:42着。無論座席車で中途半端な乗車時間でもあり、あまり眠れた記憶が無い。 深夜の上越国境辺りで165系電車の窓から伝わる冷気はよく覚えている。まだ眠りについている、夜明け前の加茂の町を...
赤谷線 東赤谷 1984年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「最後の日々」より新発田から飯豊の山懐に向かって細々と伸びていた赤谷線は、典型的な鉱山鉄道である。日本では珍しく鉄鉱石を産した赤谷鉱山は、特に戦時中の製鉄需要を受けてフル稼働、赤谷線が最も賑わった時代かもしれない。そもそも赤谷の地名自体が酸化した鉄の色から来るもの。 東赤谷駅は珍しいスイッチバック式終着駅で、構内の隅に建つ鉱...
写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 夜更けの乗り換えホーム
歌志内線 砂川 1988年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「最北紀行」より1988年3月の青函トンネル開通・青函連絡船廃止を目前にして「海峡浪漫きっぷ」なる周遊券が発売された。まあ最後の連絡船を楽しんで下さいという趣旨。なんと北海道までの往路は寝台特急に乗れた。 そして復路は鉄道ばかりでなく、飛行機で帰るというオプション付き。その分お値段も高かった。 券面金額24,800円ながら、これは復路の...
高千穂線 吾味 1988年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」よりJR化後まだ間もない高千穂線。 キハ20がDMHのアイドリングを響かせ、交換駅では駅長がタブレット交換する、「国鉄」がまだそのままに残っていた。いや敢えて手を付けなかったのだろう。 この数か月後には第三セクター「高千穂鉄道」に譲渡されるのだから。真夏の緑に覆われた山というのは、モノクロだと意外にコントラストがつかな...
天北線 1988年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「プロローグ」より写真集の冒頭近く、重要な位置を占める一枚。「この写真はこういう軽い扱いじゃないんだって。」と、企画段階のちゃぶ台返しも今となっては思い出。手前の新聞男は繰り返す日常にどこか疲れた大人の象徴で、窓辺の青年は旅に純粋に向かい合っていた自分自身、と思っていたのだが。「それは作者にしか分からないって。」「新聞男しか見な...
吉祥寺 「街々書林」吉祥寺は中道通りの一角に、風太郎の先輩が脱サラして開いた個人書店がある。海外渡航歴31ヶ国、特に香港は78回行った、何と廃止前の日中線にも乗った、という稀代の旅人にして紀行作家でもある方なので、キャッチフレーズは「旅する本屋」。 店主厳選の旅の本に特化し、旅好き相手にコミュニケーション&コンサルティング販売の本屋さんである。ならば当然でしょと拙写真集を扱ってもらうことになり、本...
写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 コダモノクローム
天北線 曲渕 1988年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「記憶を刻むもの」より爽やかに晴れ渡った、秋の一日が終わろうとしている。西の空は息を飲むように美しいグラデーションになった。 深紅から橙、黄色が紫に溶け、その上は濃い群青色に。紅を灯す腕木信号機の向こうに、上弦の月が昇った。 天北線廃止まであと6か月。そりゃあ撮るわな、「カラー」で。タネを明かすと、この写真の原...
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日南線 大堂津 2025年6月名勝七つ岩を眼下に。今はマリンスポーツのメッカと知る。南九州梅雨入りは何処へやら、蒼い夏が満ちている。オーシャンビューでリゾートはリゾートだがビジネスホテル然とした安宿は、広島カープの毎年のキャンプの定宿と知る。その質素はさすが市民球団! しかしどうも貧弱なレストランでプロ野球選手の腹は持つのかと心配になる。まあヨソの球団の心配をしている場合でもないが。Copyright...
日南線 大堂津 2025年5月薩摩半島に居過ぎた感もあるので宮崎・日南海岸に移動。ひと月って随分長いようだけれど、広い九州を細かく巡るには短か過ぎるよなあと言うのが実感だ。 贅沢と言えば贅沢過ぎる話だけど。日南線沿線も細かく見ればいいところはあるのだろうけど、駆け足で先を急げばやっぱり此処に行き着く。南国の海は早や真夏の光。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
知覧特攻平和会館 2025年5月 再び九州。 加世田から程近いところに「知覧」がある。武家屋敷のお庭は綺麗だし、住人がそこで普通に暮らしているというのが良い。問題はもうひとつの「名所」、知覧特攻平和会館だ。内容を見聞きするたびに一言も二言も申し上げたいところがあって今回も敬遠していたのだが、見もしないでものを言うのもどうかと思って。まあ想像した通りだ。「特攻隊員の手紙」は全て軍による検閲済みの...
2021年のクーデターから事実上の内戦状態にある同国。 追い打ちをかけるように今年3月に発生したマグニチュード7.7の大地震により、多数の犠牲が報じられますが、紛争地故、正確な犠牲者数すら判明しないという惨状です。また国軍は避難民の頭上に爆弾の雨を降らすという非道も伝えられます。国連によれば戦災と併せ避難民は600万人に及ぶとされ、早急な人道支援が必要とされています。 一般社団法人 日本ビルマ救援センター 提供...
長良川鉄道 深戸 2025年4月「九州」はまだまだ終わりませんが、この辺で閑話休題。話題のChatGPT、「ジブリっぽくして。」 やってみた。何というか、物凄くそれらしい出来。ホームが消されちゃって、女が男に代わったりしてるけど、それこそが絵として相応しいというAI様のさじ加減なのだろう。著作権がどうなんだという議論があるようだが、「ジブリ化」というボタンがサイト上に設置されているわけでもなく、あくま...
鹿児島交通 枕崎線 干河駅跡 2025年5月干河駅跡はただの草原に変わっていた。 一筋の道がホーム擁壁のラインだったらしい。写真集を拡げて確認する。撮影位置はここで間違いなかろう。 タイムトラベルではないが、「その現場」に立つたびに不思議な気持ちになる。 その時ここで何を考えてたのだろう、とか。隣地に住むご婦人が通りかかって、駅の跡を見に来たのかね、と言う。 そういう連中は珍しくないらしい。い...
鹿児島交通 枕崎線 加世田駅跡 2025年5月一大ターミナルだった加世田駅跡は広大なバスターミナルに変わっている。蒸気機関車にディーゼル機関車、かつて鉄道ありきのモニュメントが並ぶ。この瓦屋根はどこか見覚えがあると思ったが、多分ビンゴだろう。 セーラー服の、上。 鹿児島交通 枕崎線 加世田 1982年あの猛暑の日の、喉の渇きがリアルに蘇る。 白く乾いた構内通路と、微かに漂う機械油の匂い。「...
昨日発売の「旅と鉄道」8月号、フォト&エッセイ「旅のたまゆら1981-1988」連載第6回は「蝉時雨の駅」です。真夏を迎えた蒲原鉄道七谷駅。 駅まで歩くのが当たり前だった時代、そして大勢の人々が炎天下に駅を目指したあの頃。開け放たれた待合室に降って来るのは、夏草の匂いと騒がしい蝉時雨。上下列車がやって来て、ひととき賑わう駅の情景を、写真が呼び起こす記憶の糸を手繰って描きました。夜行って何の夜行よというご時世...
鹿児島交通 枕崎線 永吉駅跡 2025年5月廃線跡は一部がサイクリングコースになっていた。 そして吉利駅や永吉駅はホームが保存されている。最末期の此処はホームも線路も夏草が伸び放題、駅舎はボロボロに朽ち果て、既に打ち捨てられた空気に満ちていたから、楚々と芝生が貼られ、公園的に整備されたそこはどこか白々しさも覚える。それもまた、あの生きていた鉄道が手の届かぬ遠い過去になったという証なのだろう。あ...
鹿児島交通枕崎線廃線跡 永吉 2025年5月路線が長い割に意外に「決め」になる場所がなかった鹿児島交通。吉利~永吉間の永吉川に架かるプレートガーターは数少ないそれだったかもしれない。いや、だから誰でも撮る場所だった。 アングルに苦しむ。手前の石橋も渋く、これを前景とするのもあったろうが、それでは石橋の写真になってしまいそうで。 しかも完全逆光。南九州の炎天下、クラクラしながらの逡巡が昨日の事の...
鹿児島県 吹上浜 2025年5月薩摩半島と言えば、鹿児島交通鉄道線だろう。 いや現地では最後まで「南薩線」と呼んでいたという。鹿児島本線伊集院から指宿枕崎線枕崎まで49.6kmは決して短くはないローカル私鉄だった。いい時代もあったはず。 しかし高度成長期を迎え、「北海道の産炭地並みの」沿線人口急減に見舞われ、廃止が取り沙汰される。しかし鹿児島の名門企業、岩崎財閥の経営が災いしたか、その度に沿線の廃止反...
吹上温泉 中島温泉旅館 2025年5月旅の時間を鹿児島に巻き戻しましょう。予約するときから「ウチは普通の旅館じゃなくて古い自炊湯治宿ですから。」「仕切りは障子1枚ですから。」云々の注釈多し。値段も値段だし、これは剛の者とは思ったが、なんだかんだでこのご時世である、それなりのソーシャライズがあるものと思ったが。薩摩半島は東シナ海に面した、吹上浜に程近い古い温泉場である。これは来ましたね。物凄い...
日南線 大堂津 2025年6月この天気のくせにトップライトに近い光線のせいか、モノトーンの感じになっているのが逆に面白いかと思っている。既に真夏の光のなかで。 此処に走ってたかと、タラコの白日夢。南九州梅雨入り宣言は何処へ行ったかと快晴。 更に北上すればまた快晴。フロントガラス越し、健康的に日焼けして帰って来ました。 後を追いかけるように九州は大荒れ、本物の梅雨入りを迎えたようですね。30泊31日、う...
指宿枕崎線 松ヶ浦 2025年5月銭湯に富士山、指宿枕崎に開聞岳。借景と言うには主張が強すぎて。このカーブは誰かが謀ったか。 松ヶ浦そして駅がある。やってくるのは「ネコバス」ではありません。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
指宿枕崎線 頴娃 2025年5月この旅が始まったばかりの5月半ば、南九州に例年より半月も早い梅雨入り宣言は、そんなに行いが悪かったかと頭を抱えたものだが、まあ何とか宣言なんて水物だからね。 いやそれでもなかなかスッキリ抜けがいい空にならない。今日ばかりは奇跡のように夏空が広がった。言うのも面倒臭いけど、ホーム端にある踏切からですよ。Copyright © 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほん...
指宿枕崎線 西大山 2025年5月 此処まで来たら此処で撮りますわね。どんなに映えようと、大型観光バスが到着しようと、日本語が聞こえなくとも、彼らの普段通りはこうして存在しているのです。映え狙いがホテルで朝飯食ってる頃がシャッターチャンス。 あっ一人いたか。今日はまた、これ以上ない開聞日和だ。 西大山遅々と進まぬ記事はやっと此処に到達しましたが、東京を出てから28日目の現在は別府。 いよいよ九...
桜島島内 黒神町 奈良原一高さんの「人間の土地」に黒神村として収録されているのを見て以来、一度足を運んでみたかった場所。桜島の島内、もちろん火口から至近の距離にある。 常時大量の火山灰が降り、時に火山弾が飛ぶ。井戸の掘りようがないのか、飲み水さえ天水に頼るしかない。 奈良原さんが捉えた「人間が生きる極限の土地」の記録は異様な迫力を持って忘れ難かった。今も残る鳥居を埋めた火山灰は約2mの深さがあると...
肥薩線 大隅横川 2025年5月「用の美」。駅とは使われてこそじゃないのか。観光客に媚びないから、特別に扱われていないから、その土地の日々と共にある。地元成人式の集合写真が20年分位掲げられている。 20年前と比べ1~2割は減っていようか。でもその程度だ。故郷も、駅も、まだ呼吸を続けている。暮れなずむ駅前でカメラを構えていると、「どっから来たの?」とゆらゆらやって来たおじさん。東京からと言うと、ひえ...
肥薩線 大隅横川 2025年5月ご近所の嘉例川がチヤホヤされ過ぎて、という判官贔屓でもないが、「大隅横川」を強く推さずにはいられない。駅がほぼ原形を留めているという意味では嘉例川と同等、その堂々たる佇まいも同等、しかし何より地域のおらが駅として立派に機能しているという点で比較にならない程、響く。バックグラウンドとしての駅の立地が、嘉例川より遥かに賑わいを保っているのが大きいのだろう。利用客は高...
肥薩線 中福良 2025年5月ここらでバリ鉄。別に嫌いじゃあないんですよ。 ゆったりと弧を描く線路に、風景に奥行きを出す光線があって、ひたすら奇をてらうことを目標にしたような車両、風景を汚す奇天烈ラッピングが無ければ。川線があって山線があって、ここは何線と言うんだろ。山線の続き?いずれにしても壊滅した肥薩線、唯一の生き残り区間は日陰者にここで光を当てたのかもしれない。土地勘ゼロ、あてどなく車を走...
大井川鐡道 家山 2021年床下のコンプレッサーも止まった発車前、ホームを打つ雨音に耳を澄ます。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
前にも書いたが風太郎は一匹狼というか、自分勝手な人間なので、折角の和を乱すような気がして、グループの一員になって皆で写真を撮りに行ったり、合同写真展とかに関わることは基本的に無い。いきおいその界隈における知人はかなり少ない。それでも目立つ形で前に出ると、思わぬ方まで情報が届くものだ。受付でカードに記されるご芳名を見ていて、ああっと驚くことが結構ある。只見線写真の名著「望郷只見線」の中心メンバーの一...
大井川鐡道 崎平 2018年 そぼ降る雨中のタチアオイ。茎の下の方から開花して、上まで咲き登ると梅雨の終りと聞く。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
退院の朝手術室というところが、あれほど冷え冷えと室温を落としている場所とは思わなかった。手術着1枚しか着ていない風のナースは冷え性にならないのかしらと思ったり、他人事状態のうちに皆でエイヤと幅50cm位しかないのではという手術台に載せ替えられる。真上にいわゆる手術室のライト、両側から見下ろすドクター達。これはいい絵だねえ。縦位置ウルトラワイドで決まりだな。スマホカメラでいいから腹の上に置かせてくれ...
とんだ不注意で外傷事故にあい、1ヶ月ほど入院加療になってしまいました。復活の日をどうかお待ち頂ければ幸せです。風太郎 拝...
只見線 入広瀬 2018年この駅で下車する高校生たちが、ほぼ全部の乗客だった。道筋に残っているのは、あとひと駅。たった一人の為に、列車は闇に沈む山峡へ。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
ご来展者から素敵なフォトブックを頂いた。タイトルは「PORT RAIL」。 車内に駅に線路際に、人々の素敵なポートレートを集めている。作者は川井聡さん。風太郎の3歳先輩で、多岐にわたるジャンルで活躍されているプロ作家だ。見れば見る程、コレどうやって撮ったんですかと驚くばかりなのだが、全て声掛けし、許可を得て撮っているという。それでも意識させない自然な表情の捉え方は素晴らしい。 無論相手と対峙する作者の人柄の為...
もう40年前に全盛を極めた鉄道趣味サークル「日本レイルファンクラブ」というのがあって、風太郎も誘われて末席を汚していた。関東・関西に二拠点があったと言えば大規模集団のように見えるが、会員数は100名に達することは無かったと思う。更にコアな集団に限れば30名以下に絞られ、写真展に合宿、各種イベント等々、関東・関西仲良く交流していた。学生、社会人、属性は様々で、ほとんどが20代前半、30代などジジイと呼ばれてい...
今般の写真展においては鉄道写真はもちろん、ジャンルを超えたプロ作家をはじめ、伝説的なアマチュア作家、そして無名の写真愛好家に至るまで、心に響く交流を持つことが出来た。 そこで感じたことを「余聞」として適宜書き綴っていきたいと思う。1976年創刊、以来1983年春号をもって休刊の告知があるから7年の命だったことになる。「鉄道グラフ雑誌」の触れ込みで、「蒸気機関車を失ったあとの鉄道写真」のクオリティを、孤軍奮闘...
島原鉄道 大三東 2016年天狗が通ったあと、実は長い長い歳月が流れていたのです。いろいろなものが変わりました。 変わらないのは、この空と海。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...
「こういう大空間に自分の写真を置いて眺める機会は人生に何度も無いぞ。」とは成程と頷いてきたけれど、今回は「自分の写真を眺める」時間はおよそ無かったなー、というのが実感。正味10日間のご来展者は延べ1000人というところ。 それが多いか少ないか以前に、ご来展者とのコミュニケーションがこれまでの個展と比べ異次元に多く、深かった。他人の写真展を見に行った時に、作者在廊なら何らかの感想を述べて帰るのが、タダで見...
日中線 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)現代に生き残っているローカル線よりよほど乗っているのは皮肉と言う他ない。「葬式鉄」は一人もいなかった。廃止の日まであと二か月。 GWを挟んで長きに及んだ展示は、13日(月)でいよいよ千秋楽を迎えます。 15時まで。写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 2024年4月25日(木)~5月13日(月) ※ 4月30日(火)~5月8日(木)...
島原鉄道 大三東 1982年ご来展者によれば。この時代を象徴する一枚なのだそうだ。まず「足だけ」も含め子供が3人も写っていること。地方に子供達が目立った1980年代を人口構成に鑑みれば、戦後日本に巨大なマスを形成した「団塊世代」(1947~49年生まれと定義づければ)が33歳から40歳だったということだ。「団塊二世」である。そして第一次産業専従とは言わずとも、団塊世代が地方に定住した「三世代同居」が当然の...
蒲原鉄道 大蒲原 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)降って、止んで、また降って。越後の長い冬に伸びる、ひと筋の道。今回の写真展の開催告知において、「写真系紙メディア」は冷たかったなーと思う。現在の「二大誌」と思っている「CAPA」はたった一行、タイトルと期間のみ。「フォトコン」に至っては完全スルー。「銀塩フイルムの」ときた時点でお呼びじゃないのかな。かつて写真誌の権威と言えば...
五能線 大戸瀬 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)「この写真のピントはわざと雪に合わせたのか。」と聞かれれば、そんなことは言いっこなしと写真に書いてあるだろう、と開き直るしかない。「こういう写真を見るとさ、ここに写っている人たちは今何処でどうしているんだろうと思うんだよな。」と述懐されれば、撮影技術を越えたところにある意図は伝わったかと思う。女子高生風が持った茶封筒...
宗谷本線 音威子府 1984年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示)上りの利尻は0時前に音威子府に着く。ここで降りた目的は下りの利尻を撮ることと、その後4:20発の天北線の始発で浜頓別、興浜北線に向かうこと。怪訝そうに待合室を覗き込んだ駅員が、何を了解したか無言で引っ込むのは、決して珍しくはないお客だったからかもしれない。それからの長い時間をどう過ごしたのか、今となっては思い出...
磐越西線 豊美 1985年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)「たまゆら」って何?とはよく聞かれるが、古代の「勾玉」同士が触れ合う微かな響き、ひいては音が出るその「瞬間」のイメージ。仏教用語でいうところの「刹那」(指をひとはじきする間を65刹那とする、「極めて短い時間」の念。1/75秒に相当するとも。)に近いかもしれない。(旅先での)魂の揺らぎでもあろうという解釈も付...
「人間とは何か。写真に聞いてみよう。」か。GWのギャラリーは皆写真撮りに行っちゃうから枯れると、OMさんも閉めちゃうわけだが、富士フイルムさんはまた凄いのをぷっこんできたな。人物ポートレート20世紀の遺産だそうだ。 隣ではアンセル・アダムスかあ。「ポートレート」はチャーチルからアインシュタイン、ヘミングウェイから市井の名もなき人まで。機材は現代とは比べようもないはずなのに、そのライティングの妙以前に...
風間克美さんは風太郎より20歳近く年上の大先輩なのだが、写真に関して共感するところ多く、先日も拙写真展にご来展、お会いしたばかりだ。その風間さんの新刊が出た。 1960年代の地方私鉄の情景を捉えた珠玉の写真集。風太郎はその頃、やっと生まれてせいぜい幼稚園児という時代だから、もはや口惜しさも感じない異次元のワールドである。これは氏の独特なカメラアイなのだが、ほば全部の写真が標準レンズクラスで撮られている。...
同和鉱業 小坂鉄道 雪沢温泉 1983年 (写真展 「旅のたまゆら 1981-1988」 展示・写真集未収録)フルサイズVSハイレゾフォーサーズの勝敗は、両者を並べている訳ではないし勝負はつきそうにない。しかし破綻しているという評は聞かれないし、むしろ35mmトライXからここまで伸びるのかという驚きをよく聞くから、ハイレゾフォーサーズのチャレンジ、まずは成功と思っている。時代の栄華を秘めた「小坂鉱山」から、...