自身の青春時代急行車両と言えばキハ58系とこの交直流急行車両の475系(455系)初めてビッフェなるものを利用したのもこの形式だった2014年文月有間川国鉄原風景2
狂電関人撮影の新旧写真を徒然なるままにアップ。中心は鉄道のある風景と車両の話。
小学校4年ぐらいから始めた鉄道写真趣味で約40年。途中結婚子育てで数年休んだもののデジタル一眼レフ購入後所謂バリ鐡に復活し今日に至る。現役SL世代最終組だが写真は少しだけでその後、電機を丁寧に撮り続けてきたためハンドルネームは、ENTHUSIAST OF ELECTRICLOCOの意で「狂電関人」に。
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冬の京都滞在中に雪が積もった冬枯れの桜に雪の花が咲いて嗚呼春や恋しや2012年如月嵐電鳴滝~宇多野大雪災害にお見舞い申し上げます冬の桜並木
日の出頃の一瞬の時間山も電車も美しく色付く2014年如月東北本線蒲須坂べっぴんタイム
雪少なげなある冬夜明け前の驫木駅に一番列車が近づく2013年如月五能線驫木一番列車
ブルトレ末期新たに専用機が誂えられて青一色に金帯の歴代最も美しい編成を組んだ2014年睦月東北本線蕨ザ・ブルートレイン
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広いヤードに貨車が行ったり来たりこの長閑さには飽きが来ない2013年師走川崎貨物光るレール
視覚も聴覚も臭覚もぐっと盛り上がる旅情のひととき2013年睦月上野駅13番線高まる旅情
カラカラに乾いた季節風と高い青空の下貨物が行く2011年如月東浦和冬晴れ
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トライXを増感して手持ちで駅を出ていくあかつきを撮る雨に濡れた夜汽車の光景は艶めかしく輝く1978年水無月博多駅雨の旅路
これも1978年か香椎操車場で早朝から忙しなく行ったり来たりEL2両にDE10の三重単1978年?香椎操車場ヤードの三重単
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蒸機ほどじゃなかったけど電機もお召牽引機になると色々化粧した九州でもED76の55号機はお召機に選ばれて本務の後も暫くその化粧塗装が残っていた連結機開放棒が銀色でちょっと誇らしげに見えた1978?年鹿児島本線NikonF2photomicSB薄化粧の機関車
一日遅れのアップで高校の頃鉄道雑誌の付録についてきたダイヤグラムで調べ交換駅居組で撮った上りまつかぜと下りはまかぜ1977年師走山陰本線居組かぜとかぜ82系回顧
塗りやカットアウトじゃなくちゃんとエンブレム然と切り抜き文字で特急車両は威厳に満ちていた1976年キハ82まつかぜ博多駅OLYMPUSPenF栄光のJNR
まだまだ連絡船の時代連絡船待合室は一晩中開放で暖もとれたこの日は確か夜行列車で着いた日だったか暫く青森駅で発着列車を撮ったED75700の独壇場だった奥羽本線荷物車も50系になった晩年の一枚1983年?早春青森駅NikonF2photomicSB雪の青森駅
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新幹線が金沢まで延伸するまで今からたった11年前北陸本線に有った国鉄風景485系北越が通過する有間川駅戦後にできた駅だからか趣のある駅舎は三セクの今も変わらず2014年文月有間川駅国鉄原風景
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マイ三都物語最終日は京都朝お気に入りの妙心寺塔頭で庭園が有名な退蔵院へ枯山水で心の洗濯をし梅小路の蒸機に会いに行く特別展示はC581号機のお召装備かつて都におわした天皇へ思いを馳せお気に入りの急客機三銃士に挨拶をしてだんだん帰りの新幹線の時間が気になりだしたので少しづつ駅に近づきながらも真夏の京風情に触れたく燃える百日紅鮮やかな永観堂を覗く京の栄華を宮さまと宗教に求めつつかつての栄光を静かに佇む蒸機に感じた上品な京都歩きとなった2009年葉月妙心寺退蔵院梅小路永観堂OLYMPUSE30マイ三都物語京都編
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亡き愛妻との旅の思い出新盆が近いせいか遠のきつつあった彼女との思い出が最近走馬灯のように頭を駆け抜けるお互いに旅好きだったし中でも古都散策は何度も出かけている古い町並みが好きな電関人に付き合ってあちこち歩き回るのに甘い食べものの褒美さえあれば黙って付き合ってくれた或る意味古色豊かな大和なでしこだった古い街に佇む彼女は端正とれた奈良の街にしっくりなじんでいたちょっとおのろけ2009年葉月奈良にてOLYMPUSE300奈良の端正
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大正時代に入るや否や完成している二代目日光駅は厳密に言うと明治建築となるのかもしれないが峻工時代を優先することにする世界遺産の玄関駅として日光線終着駅である当駅は東照宮の影でひっそりと存在するが立ち寄り観光地として十二分の価値があるこの国が近代建築様式を取り入れてまだよちよち歩きの時代の生き証人としての当駅を少し覗いてみる時代が時代なだけに天皇陛下お立ち寄り駅つまり御料列車着発駅であった当駅に備わる建築技術は時代における粋を集めているといえるだろうそして当駅最大の特徴である貴賓室所謂陛下がご休憩なされた場所人物がいないと物寂しいがまさか宮様に登場いただけるわけもなく役不足ではあるやもしれないが旅の途中一緒に訪れた亡き愛妻をモデルにして2008年葉月日光線日光駅OLYMPUSE300大正建築の粋日光駅
武蔵野線秋ヶ瀬橋に防風壁が敷設される前そこは電関人にとって恰好の撮影地で修行場でもあった梅雨晴れの朝草いきれたつ秋ヶ瀬に現れたのは国鉄コンビのロクゴーP型とコキ50000花形から地味な貨物仕業へ牽くもの変われどシンプルイズベストの無駄の無い均整のとれたサイドビューは特急機の気品を保ったままだ2007年文月武蔵野線西浦和~北朝霞EF65506OLYMPUSE300思い出草いきれの秋ヶ瀬に立つロクゴーP
えち鉄妙高はねうまラインから激しい雷雨に打たれながら長野市内入り長野の師匠との晩餐前にお手軽撮影地にて国鉄型を二つも頂けることに先ずはしなの鉄道北しなの線から国鉄湘南色に戻された115系そして真打は一日一往復になった北長野貨物の返しで宵闇迫る頃始発北長野からのそのそと出ていくこの後近くのファミレスで暫し師匠と歓談ののち下道夜行で18号から254号線経由で無事帰埼した駆け足による1600キロ撮影記に一旦筆を置く2024年水無月北長野~長野NikonD51600キロ旅記の終わりに~国鉄型二題
まだ富山県内にいる頃長野の師匠から妙高はねうまラインにスカ色を纏った編成が14時台の運用に入るとの情報があり昼食後相変わらず雷雲がまとわりつく北信五岳を気にしつつ関山界隈でロケハンして待つことにしたちょっと下草が気になるけど水田を前景に置けるポイントで待つこと暫し妙高の頭上雷雲が取れた頃それは現れたまさに切妻の車体にスカ色は下駄電と言われた旧型国電チックな出で立ちだ2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン関山NikonD5ヤマスカの下駄電?現る
現役大学受験に失敗した春傷心旅行として山陰ショートトリップへこれから始まる浪人生活は果たして1年間だけで済むか?漕ぎだす新たな人生の厳しさが身に染みるそんな荒々しさと半面一緒に傷心を分かち合ってくれるような涙雨に煙る餘部旧橋梁を足早に下っていくはまかぜ1980年3月山陰本線鎧~餘部NikonF2photomicSBwithKR追想涙雨の餘部
富山は上市から直江津経由で妙高高原へ上がってきたが妙高から黒姫にかけて怪しい黒雲がかかり冷たい風も吹き出すそんな片貝の圃場に到着陽はまだ差しているが時折冷たい風に乗ってぽつりぽつりと雨粒がフロントガラスを叩き遠雷も鳴り出す始末直に来る列車を片付けて即撤収と決めて暫し何とか日差しの中で初夏の片貝を往く高原列車を撮影撮影後はとりあえず妙高高原の物産センターで十割蕎麦で昼飯2024年水無月越後ときめき鉄道妙高はねうまライン二本松NikonD5風雲急の片貝圃場
長野の師匠の影響もあって鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番美しいその姿がクリアに見えた時自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる1981年弥生?山陰本線米子~伯耆大山NikonF2photomicSBコダカラーⅡ追想微笑む大山
早朝の富山湾越しの剣岳のリベンジ兼ねて富山地鉄上市に出てより近くに剣岳を置くことに昼近くまで陽が上がると剣岳山頂付近に雲が沸きはじめ気をもみながら3本ほど撮影田植え前の水が入った一枚の田圃に逆さ剣を入れた寄りのアングルで大根ばばぁこと自社発注の原色車。2024年水無月富山地鉄上市NikonD5二つの剣とだいこんばばぁ
旅の報告記事連載中だが駆け足で通り抜けた山陰西部への思いは何といってもその海の色であろうコバルトブルーとエメラルドグリーンの間を絶妙に取った山陰ブルー電関人にとってそれは永遠の撮影テーマのひとつ1981年霜月山陰本線田儀NikonphotomicSBWithEktacrome追想山陰ブルー
水無月の湿潤な時期には悪条件だが昨晩の夕立後一旦冷えた大気の中日の出前立山連峰の山並みはしっかり確認できているしかし日が昇るとみるみると大気の視認性が悪くなり富山湾越しの立山連峰はかすかに見えるか否か送り込みも含め数本の列車でチャレンジした2024年水無月氷見線雨晴~越中国分NikonD5※元データをアンダーで撮影してPSにて調整富山湾越しの剣岳
万葉線の専用軌道区間を撮りたくてここ中伏木の駅に陣取る港湾地区にあって港の施設工場倉庫などとモザイクのように住宅が点在しているようやく傾き始めた初夏の高い太陽を背負って低床車が駅にやって来たこの時間帯の乗客は下校する学生が中心である2024年水無月万葉線中伏木駅NikonD5中伏木暮色
こちらも初めて訪れる勝山永平寺線名前に惹かれて観音町を目指す禅寺永平寺の門前に広がる町並みは質素ながらちゃんと行儀がいい人口が減っていく中で街が荒れることなく丹精された町並みは気持ちがいい2024年水無月えちぜん鉄道勝山永平寺線観音町NikonD5行儀正しい門前町
長大な山陰本線を実質1日で駆け抜け初見参の京丹後鉄道へ同鉄道で一番有名な撮影地由良川の橋梁に山の尾根から雲が滝のように流れ下る気象現象を横目に風が強い河畔に構える定期列車を合間を縫ってつい先日まで高山本線で活躍していたキハ85が中間車なしの2両で送り込み回送で橋梁を渡ってきた2024年神無月京丹後鉄道由良川橋梁NikonD5ベリーショートなキハ85
2泊目に選んだ道の駅は餘部橋梁真下の道の駅あまるべ此処へのアクセスは一般道が土砂崩れにより不通で山陰近畿自動車道余部インター経由のアプローチのみちょうど現地入りしたのは空が赤くなり始めたころだった橋梁をやや引きにしてそしてもう一本撮ったのちにいよいよ三脚を据えて橋の下より天空を仰ぐ角度で北斗七星を真ん中に見てそこを流れ星のようなヨンマルの光跡が横切る2024年水無月山陰本線餘部~鎧NikonD5星降る餘部