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2010/08/09

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  • 第3586日目 〈今日は昨日の続き、明日は今日の続き。その影に埋もれる無くなりつつある生活の古典について。〉

    年齢を重ねると、新しい年を迎える、もう今年も今日で終わりだ、という実感は薄れてゆく。今日は昨日の続きであり、明日は今日の続きである。 若い頃はそんな風には思いませんでした。12月31日は12月30日の翌日という意味しか持たず、01月01日は12月31日の翌日でしかない。ただ年が改まるから……今年から来年へ、去年から今年へ……、なんとなく区切りになっているだけのこと。とはいえ、地元の神社に参詣して、おせちを食べて、年賀状を見て、等々正月にやるべきことは当然やりますけれどね。 子供時代のように祖父母の家に親戚一同が集まることがあれば、大晦日やお正月の意識も多少はされて胸も弾むのだろうけれど、そんな年来の習慣を継続できている<家>が果たしてどれだけあるのでしょう。晦日──30日に仏壇から位牌や写真をおろして綺麗にし、神棚をおろして神宮や氏神のお札を新しくして注連縄をさげて、台所の竈神の..

  • 第3585日目 〈近世怪談、試訳。〉

    摂州大阪に、富裕で知られる男があった。妻ある身でありながら別の女を深く想い、体を重ねること幾度もあったので、女が子を宿すのは当然の帰結といえた。 それを知って黙っていられぬのが、男の妻だ。夫が家を空けた時、妻はかねてからの計略を実行に移した。不倫相手を呼び寄せて、狭い部屋に押しこめたのである。然る後、下僕数人を使って不倫相手の大きくなった腹に真っ赤になって湯気を立てる焼き鏝をあてて、肉をただれさせ、肉を溶かし、腸が見える程になった。不倫相手はもはや虫の息である。そんな不倫相手を母親のところへ返すため、男の妻は駕籠を呼んで追い返した。実家に到着して駕籠を降りると不倫相手はそのまま息絶えた。 母親は嘆いた。大いに嘆いた。自分でもそれとわからぬまま遠近を彷徨い歩き、諸々の神社に詣で、喚き泣き叫んだ。物の怪が憑いたかのようにあちこち飛び跳ね回った。そうして、「わが子の仇を取ってください」..

  • 第3584日目 〈時間をかけてじっくり取り組みたい本、蘇峰の次はカレルを。〉

    時間をかけてじっくり取り組むに足る本、というのはあると思う。読み急ぐことなく腰を据えて一行一節、一言一句を読み落とすことなく、不明点があれば労を惜しまず文献を繙いて、自分を高めつつ怯むことなく対峙する本──そんな本は必ず、ある。読書人であれば、そうした本を必ず持っている。 いまは御多分に洩れず蘇峰『近世日本国民史』だが、それ以前には『古事記』があり、『論語』があり、『聖書』があった。メモやノートを取る或いは論文を書くのと密接に関わった本だ。後者はともかく前者に則していえば、メモやノートが必要になる程、挑み甲斐のある/読み甲斐のある本なのだった。 然り、時間をかけてじっくり取り組むに足る本はある。いまは『近世日本国民史』だけれど、それが終わったら次は是非、積年の宿願を果たすという意味もこめて、今度こそカレル『人間 この未知なるもの』に挑戦したい。近年刊行された(訳者の教え子によって..

  • 第3583日目 〈イギリスの歴史が複雑怪奇に映るのは、自分だけか?〉

    荒俣宏編『平井呈一 生涯とその作品』にある。晩年の平井はディケンズ作品の翻訳に備えて、海外から多量のディケンズ研究書を購入した、と。 妙にその記述が心に残っている。シェイクスピア読書に向けた研究書や註釈書を買い集めているからだ。書店で「これは!」と思う本を見附けて、こちらの背の丈に合うものであれば、懐具合と置き場所を考慮した上で購う。 そうやって集まってきた和書洋書は、並べてみればそろそろ1メートル半にもなろうか。全部を最初から最後まで読んだわけでは無論ないけれど、必要と思うたページに貼った付箋や、間に挟んだ紙片のせいで満艦飾の様相を呈している。 いちばん賑やかなのは英国史の本2冊だ。シェイクスピア時代の英国史と、作品の背景となった時代の英国史。これを通読していると、シェイクスピアは英国史の良き入門書のように思えてくる。シェイクスピアを読むことは英国の歴史を繙くことだ。「時代..

  • 第3582日目 〈誤ちを正す。〉

    表題、過ちを正す、とは、どうやらこれまで長いこと勘違いしていた記憶を正しくする、の謂である。いうなれば、誰も待望していない、わたくしも想像していなかった第3577日目の姉妹篇であり、第3576日目から出典に疑いありそれゆえ論旨不明のため最終的に削除したる部分の、発展的補足である。 チューニングの話なのだ。 『近世日本国民史』のどの巻を繙いてもツマラヌ本を読まされている意識は微塵もない、たとい斯様に思う一巻に当たったとしても本の内容と自分の間でチューニングが済めばいつしか面白く、夢中になって読んでしまうのだろう──なる意味の文章を一度は書いたが、前述の理由で最終的にチューニングの箇所はバッサリと、削り落としたのである。 ──と、ここからが表題につながる本題。 当該箇所を削る前に帰宅後、チューニングの話を確かめんと山村修『増補 遅読のすすめ』(ちくま文庫 2011/10)を読..

  • 第3581日目 〈肉筆浮世絵コレクター、今西菊松氏の夢。〉

    商店街にあったO書店で立ち読みして、後日神保町のS書店でようやく見附けて購入したのが、長山靖生『コレクターシップ 「集める」ことの叡智と冒険』である(JICC 1994/04)。鳥類学者や美術品コレクター、博物学者たちのコレクション形成や「集めた」蒐集品からどのような業績が生まれていったか、沢山の先人の足跡を羅列・紹介した1冊だ。 O書店はバブル崩壊から程なくして店終いした。『コレクターシップ』はおそらく新刊として入荷したのだろう。棚にささったままの本を偶々手にして、夢中になって立ち読みしたのは1992年の秋頃でなかったか。その1992年といえばわたくしはまだ学生で、必要なテキストや研究書を爪に火を灯すようにしてすこしずつ買い集めていた時期である。そんなわたくしが『コレクターシップ』を読んで最も共鳴し、そのコレクターシップに感銘を受け、すこぶる崇敬の念さえ抱いたのが、肉筆浮世絵コレク..

  • 第3580日目 〈「ヤコブの手紙」第3章に自分への戒めの言葉を読む。〉

    昨日はクリスマス・イヴということもあって、久しぶりに聖書を話題にしました。続きを企むわけではありませんが今日は“当日”でもありますので、再た聖書のお話をすることに致します。同じく新約聖書から、〈公同書簡〉の1つ、「ヤコブの手紙」を。 ヤコブはイエスの縁者、兄弟で、原始キリスト教会の指導者。62年にエルサレムの城壁から突き落とされて殉教した、と伝えられる人です。そのヤコブが、「離散している十二部族の人たち」(ヤコ1:1)へ宛てて書いた、とされるのが、「ヤコブの手紙」であります。「とされる」というのは聖書によくあることで、ヤコブに仮託して後代のキリスト者が書いた手紙、という意味で、執筆年代は80年頃ともされます。実際の執筆者が誰であるか、ここで詮索したり想像したりはしません。 しかし、手紙の宛先である「離散している十二部族の人たち」とは、誰をいうのか? フランシスコ会訳聖書の傍註に拠..

  • 第3579日目 〈「ルカ伝」の「灯し火の喩え話」について。〉

    風呂あがりに「♪ハイホー、ハイホー♪」と7人の小人の歌をうたっていたら、奥方様に「どうかしちゃった?」とおでこごっつんこされたみくらさんさんかです。ハイホーではなく、”Hojotoho! Heiaha!”にすれば良かったな、と反省しつつ、それでは、と今日の話に移ることにして、── 新約聖書を読んでいると、心のどこかにずっと残り続けている一節、というのが幾つもあります。正確に覚えているとかではなく、福音書でイエスはあんな喩え話をしていたな、パウロ書簡に信仰と義の話があった、公同書簡に正しいことを為すがゆえに苦しむてふ文言があった、黙示録に大淫婦が裁かれるエピソードがあった、なんてレヴェルですが、そんな具合にずっと心の片隅にあるか、深い底へ沈んでいたのが、なにかの折にすーっ、と表面に浮かびあがってくる一節や挿話があります。新約聖書を読んだことのある人であれば、誰しも同じような経験を持..

  • 第3578日目 〈Better Days, for My Mother, My Wife, My Daughter.〉

    正当な理由と正当とは言い難い権利を行使して、明日から年末年始の休みに突入する。不動産会社勤務時代には及ばないけれど、それでも世間よりは数日早い休み始めである。ただ今年は正月三が日明けまで仕事とは完全に無縁でいられるのが、不動産会社時代といちばん異なる点か。 世間と較べれば1週間程早く休みに突入するわけだけれど、クリスマスも大晦日も正月も、大掃除も年始の仕度もなにもかも、母と奥方様と、そうして初めてクリスマスと正月を経験する娘と、迎えられるのが嬉しい。「昨日の続きとしての今日」以外の何物でもない祭日と催日を過ごしてきたけれど、ずっと宙ぶらりんの付き合いであった奥方様を正式に妻として迎えた昨年からは、やはり祭日と催日の意味合いはそれまでとは異なってきた。そうして入籍からちょうど10ヶ月後に産声をあげてわれらの所へ来てくれた子どものいる今年は、その祭日と催日の意味合いも、だいぶ世間並みにな..

  • 第3577日目 〈トイレ読書への疑問、ひとまず疑問氷解す。〉

    昨日のエッセイには省いた記述があった。山村修(狐)『遅読のすすめ』にある一節だったが、記憶にあるものと実際のそれが異なり、そのまま引用等してもエッセイには馴染まぬと判断、省いたのだ。 件の一節を調べるため、正味5分程、手前に積み重なる文庫の山を切り崩し、『遅読のすすめ』を取り出した。結果は上述した通り。 が、そのまま棚に戻してふたたび文庫の山で閉ざすのも気が引ける。為、そのまま今日の数10分を、それを読むのに費やした──すると、偶然開いたページに、時々意識に上っては消えていった疑問の答えが書かれていたのである。 トイレ読書についてつれづれ想い巡らすときは決まって、籠もるたびにカントを読み続けて数年後に完読した人物のあったことを思う。そうして、それは誰であったか、本当にカントであったか、と小首を傾げ、誰の何という本で読んだか思い出せぬことに溜め息する。 答えは期待していない..

  • 第3576日目 〈蘇峰「赤穂義士篇」メモ、お披露目手筈のこと。〉

    昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏の随筆にある。谷崎潤一郎が文化勲章を受賞した際のことだ。式後、会食の席での志賀直哉と吉田茂の会話が契機となり、中央公論社が『細雪』を昭和天皇に献上した。ご多忙中でも陛下がすこしずつ読み進めている様子が、栞の位置で分かった。──と(記憶で書いているので、事実関係に誤りがあったらご寛恕の程願う)。 『近世日本国民史』「赤穂義士篇」をゆっくりと(否、のんべんだらりと)読み進めているのは、何度もここで話題とし、一部の読者諸兄には耳タコ状態であろうとお詫び申し上げる。正直な話、読まぬ日が何日も、何週間も続くと、「もう読むの止めようかな」と思うこと、無きにしも非ずで、幾度斯く思うたやら。 しかし、──途中で抛つ程ツマラヌ代物を読んでいるわけでも、引用されている史料や蘇峰の漢文調の文章に辟易したり理解読解に悩まされているわけでも無し。 前者については赤穂義..

  • 第3575日目 〈明日の骨子。〉

    まず以て詫びを。然る後に功無しを告げる。悔いてしあらむ事を低頭して述べ、復活に向けて自ずから準備したる事皆々無駄となりしを涙声で云ふ。 明日の御方の御求め、署名に非ず提案なりし事を畏ミ畏ミお祈り致し居り候。而してその祈り叶はざる際は斬首を請ひ願ひ出る者也。 ex;ミッドウェー海戦に於けるアメリカ海軍の諜報戦。◆

  • 第3574日目 〈一筆啓上、過去に仕事した人たちへの言葉。〉

    久しくお会いしておりませんが、ご健勝と存じます。先達ての宴席での拙事、ご依頼を承けて下記の如く改めてお話申しあげます。宮様に於かれましてはお胸内にお仕舞いくだされば幸甚と存じます。 その席では湿っぽい話となりました。然れど重ねて申しあげます通り、あれは拙の偽らざる本心となります。 知る方はもはやこの世に僅かの数となりましたが、せめてと思うは新電力での一年を共にしてなかはらと一緒に仕事をした各々が選んだ道で幸せになり、また選んだ夢で大成してほしい、と心底より願う者であります。 一緒に仕事した各々には此方の気持など伝わりますまい。誤解と偏見と思込と嘲笑と愚蔑の外にかれらが何を思い抱き、心に残しましょうぞ。 斯様に有りと雖も致し方無しと思う我確かに裡に在り、否めぬが誠の所と云わざるを得ませぬ。致し方なし。払拭の手立て幾許ぞ有りと申せども講じれば却って泥沼、更なる誹謗を招くのみと..

  • 第3573日目 〈なかなか読み終えぬ書物に寄せる悲歌。〉

    果たして我はいつ、蘇峰を読み終わるや。 嘆息である。 なぜかうも赤穂義士に拘泥するや。 咨。 まぁ、そんなこというても赤穂義士の物語、史伝、映画も講談も面白いですよね。 うん、これはまさしく古き良き日本人の魂の古里。◆

  • 第3572日目 〈読書用の手帳を買おう。〉

    つらつらと「今年読んだ本のなかでベストといえるのは、なんだったかなぁ」と考えこんで、気附けばモレスキンに著者名と書名を列記していました。 まだ2週間以上も残っているのにこんな作業を始める自分ですが、ぼんやり正月以後の読書を振り返り、帰宅しては部屋の本また本を眺めて、はて? と思う。 ──おれは今年、どの本を読んだんだ? 由々しき事態の発生であります。もはや自分が今年、どの本を読んだのか覚えていないなんて!? 咨、元より貧弱と心得てはいたが、斯くも記憶力が減退していようとは……。 という冗談はさておき、顧みても今年読んだか昨年読んだか、すぐに思い出せぬは事実なり。むろんすべての本に対してそうなのではなく、一部の本についてのみなので、誤解なさらぬようお願い申しあげます。 この現象、昨年末あたりから読み続けている遠藤周作と藤沢周平に顕著だったのですが、帰宅して抜き書きノート..

  • 第3571日目 〈年末が近くなると、SKE48〈パレオはエメラルド〉が聴きたくなる。〉

    捜し物はなんですか? 見附けにくいものですか? と或るブツを捜索中の脳内で、斉藤由貴の名曲のフレーズがエンドレスで再生されていました。捜し物はCDです。見附けにくいといえば見附けにくいです。だって……本だらけで、どこにCDがあるのかさえ分からんからさ。 いや、ホント、どこにあるんやろ。──と、自分で自分にツッコんだ途端、発見できました。あった、あった。懐かしいな、このジャケット。そうそう、劇場版を持っていんだっけ。なんだか年末になると聴きたくなるんですよねぇ。たぶん、年末恒例のあの番組の刷込効果でしょう。 SKE48〈パレオはエメラルド〉ですが、この時期になるとふとした弾みでエンドレス再生される。困ったものです。この事態を平和裡に解決するためには、聴くしかない。気が済むまで、拒絶反応が出るまで。……そういえば、それゆゑに50回くらい聴き返したっけ。いや、マジで。 紅白歌合戦に..

  • 第3570日目 〈Twitterを使うと使うまいと。〉

    1週間程前から試験的に、Twitterの更新通知をしないようにしています。何年も通知を流すように設定していたので、試験運用とはいえアクセス数に支障が出ないか、いま以上に閲覧者数が減ったりしないか、など不安でした。 が、ここ1週間の、1日に於けるアクセス数や最新記事の閲読数を検めてみたところ、さしたる変化の見受けられないことが判明。意外でもあり、ショックでもありました。ならばここ数年のTwitter利用はなんであったのか、と。 顧みればブログ開設から数年は、Twitterの更新通知を利用していなかった。敢えていうなら原点回帰、かもしれません(そんなご大層なことでもないか)。──Twitterからの新たな読者は殆ど固定せず、従来の読者諸兄についてはTwitterでの更新通知なぞまるで関係なかった。 為、今後しばらくの間、Twitterの更新通知の利用は控えて、試験運用を継続するこ..

  • 第3569日目 〈今日12月14日は、赤穂義士討ち入りの日です。〉

    細かな暦の問題はさておくにしても今日、12月14日は赤穂義士の吉良邸討ち入り日。それにあわせて『近世日本国民史』の再読を始めたわけでは、ない。というよりも、すっかり意識の外だった。過去に読んだ章のメモを書いていて、ああそうか明日か、と思い至った程。 しかしですね、最後まで忠を尽くして最期に切腹して果てた四十七士を世間はとかく讃美し、討ち入り決行の直前までの間に脱盟した者らに不忠の輩と世間が白い眼を向けるてふ風潮には、なんだかなぁ……、と考えこんでしまいます。 忠を尽くした者らは本懐達成で満足であったろう。が、脱盟組にも言い分はある筈だ。むろん、臆病風に吹かれて逃げ出した者もあれば、義の板挟みになって煩悶した末背反を決めた者もあっただろう。事情は人それぞれ、それを本懐達成の満足に酔い痴れて自分たちと行を共にしなかった衆を、不忠だの臆病だのと罵る権利があろう筈はない。 徳富蘇峰『..

  • 第3568日目 〈歴史書を読む楽しみが復活した。〉

    読書感想文こそまだ書いていないが『恋愛名歌集』を読了したことで、ようやく途中で終わっていた本の続きに取り掛かれる。外出の際はリュックに入れたりお伴にしていたのが、いつしかずっと机の上へ置きっぱなしになり、ちら、と目をそちらへやるたび胸のどこかがチクリと痛むのを感じていた1冊。 事情や動機がどうあれ、通勤時に読む本が、タイミングよく無くなったのは、大仰にいえば慶賀である。だってこれで心おきなく、読むのを途中で止めていた歴史書に戻れるんだから。正直にいうとこの2ヶ月ばかり、その本を開いたことはただの1度もない。 為、すんなりと本のなかの世界に戻ってゆけるか、すこぶる不安でならなかった。けれども──行きの電車のなか、昼休憩の際、進むページはわずかだけれど、赤穂義士の討ち入り事後の記録へ没頭できたのだ。吉良邸周辺の屋敷や援助者たちの動向が史料を通じて、殺伐としたオフィスの一角に、人の揺ら..

  • 第3567日目 〈有隣堂ランドマークプラザ店のこと。〉

    書棚の整理をしているとなつかしい本や雑誌に再会すること多く、その度手が止まってしばし懐旧の想いに浸りながらページを繰ってしまうのは、「畜本家あるある」かもしれません。 今日も今日とて雑誌やムックなど大判書籍を詰めこんだ棚を点検していたら、1994(平成6)年7月発行の雑誌『Executive』が挟まっているのを見附けた。薄手の雑誌のせいであまり自己主張することなくひっそりとそこに在り続けた。巻頭のワイド特集は「本の大冒険」。 塀のなかの読書を振り返る安部譲二や書評家井家上隆幸の読書術、猪狩春男や内藤陳のオススメ本などの記事が埋まるが、或る意味で出色なのは冒頭、石垣島を舞台にした荒俣宏の「耽・溺・読・書 本を10冊ぶら下げて野生の島・石垣へ」だ。 なぜ? 取りあげられるのは南洋の航海記やフィールドワークのレポート、海生生物の本など荒俣らしいセレクトで、その意味ではさして目新しい..

  • 第3566日目 〈安息日にすることのお知らせ。〉

    なんだか突然やる気が萎んでしまったのであります。 萩原朔太郎『恋愛名歌集』と相前後して伊藤昌哉『自民党戦国史』上下を読了、奥方様が娘を連れて昨夜から実家へ帰省中なのを良いことに終日録り溜めた映画を観て、橘外男のホラー小説集『蒲団』を縁側で日向ぼっこしながら読み耽るという、久々の贅沢な時間を過ごしていたらすっかり精神が弛緩しきってしまい、ブログになにを書くということも考えられぬまま夜を迎え、1時間ばかり考えあぐねて端緒になるものさえ見附からなかったので、この際久しぶりの安息日を設けることを決め、いまこんなお知らせの文章を認めているのであります。 明日からは(たぶん)これまで通りに更新してゆきますので、どうぞ宜しくお願い致します。 だけど、娘も奥方様もいないとわが家はこんなに淋しくて、満たされぬ空気に覆われるのか……。◆

  • 第3565日目 〈もうすぐ読み終わります。やっと読み終わります。──朔太郎『恋愛名歌集』のこと。〉

    断続的に読み進めてきた萩原朔太郎『恋愛名歌集』もようやく読了のメドが立った。ようやく? とかいうな。そう、ようやく、なのだ。読もうと思うても読まない日の方が多かったからなぁ。これだから在宅勤務って奴は……。怨み言はさておき。 残すは「新古今和歌集」から選歌して朔太郎が評言を付したパートのみ。これを明日明後日(今日と明日、ですか)で読み、かつメモも作成しなくてはならぬ。(昨今のわたくしには)かなりの強行スケジュールとなるが、仕方ない、怠惰のツケが回ってきたに過ぎない話。 それにしても、良かった、と思うのは、著者の希望を素直に汲んで、序言・解題一般のあとは選歌のパートをすっ飛ばして、総論に進んだこと。これを先に読んでほしい、とはけっして根拠なき著者の願いではなかった。 朔太郎の『古今集』、六代歌集、『新古今集』への態度は総論を読んでおかないと、はっきりとは摑めない。八代集から選ん..

  • 第3564日目 〈この3週間で、こんなCDを買ったり聴いたりした──たとえば、フリッチャイの《第九》など。〉

    けっして調子づいたわけではない。そんな風にしてハメを外したら、あとで手痛いシッペ返しが来るのがわかっているから。 この前、すこしずつ日々の生活のなかに音楽を聴く時間が戻ってきたことへの感謝を、ここに綴った。ノー・イヤフォン、ノー・ライフな点に違いはないが、聴く時間がほんのちょっとずつ延びてきていることと、反動のように襲ってくる耳鳴りが耐え難い程大きくなってそれが幾日も続くことは減少を一途をたどっていることが、違いといえばいえようか。 それが証拠に、というわけではないけれど、この3週間で購入したCD(いずれもDisc Unionにて)は5枚に及ぶ。──すくないな。往時の1/10だ。その代わり、購入した1枚、1枚にじっくり耳を傾け、何度も繰り返して聴くようになった。なんだか原点回帰した気分です。 10日程前か、YouTubeでフリッチャイ=ベルリン・フィル他の《第九》第4楽章を聴..

  • 第3563日目 〈鬼も許してくれる時期になったので、来年の話をしてみます。〉

    炬燵に潜ってミカンを食べるこそ至福の時期、到来。娘の笑顔と奥方様のしあわせと母の安寧をそばに見ながら、こうしてブログを書いているのも至福ではありますが、こちらはミカンや炬燵とちがって通年のことだから。 さて、それはともかく。 来年の話をしても鬼が笑わぬ時期にもなったので、ちょっとしてみたいと思います。けっして話題が尽きて苦し紛れの文章じゃあ、ありません(きりっ)。 自筆原稿のままながら近世文学にまつわるエッセイが3〜4編、発表済みの小説の続編が2編(完成済み。短編と掌編)、それぞれあるので、2023年中にお披露目したく考えています。もっとも小説は私的事情により今月のうちに分載を始めるかも。その可能性がある、ということです。 近世怪談翻訳帖は既に先日お話しした内容で変更はありません。秋成や庭鐘の小説の現代語訳は……第3549日目を読み返してみましたが、お話していなかったよう..

  • 第3562日目 〈ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』を読みました。〉

    エイブラハム・リンカーンを作ったのは、信仰と読書、母の愛情であった。ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』(吉田英里子・訳 小牧者出版 2010/02)を読むと、そう強く感ぜられることである。 合衆国大統領は就任式の際、誰でもかならず聖書に手を置いて宣誓し、自ら選んだ聖書の文言を基にした就任演説を行ってきた(トランプでさえ!)。初代大統領ワシントンから現在の第46代大統領バイデンまで、1人の例外なく。 歴代大統領のうちでも特に信仰が篤く、どんな場合でも祈りを欠かすことなく神に畏れ仕えた大統領に、第16代大統領リンカーンがいる。 リンカーンの在任中に勃発した大きな出来事といえば、奴隷制度存続の是非を巡って国が二分された南北戦争を措いて他にない。それはリンカーンの就任からたった1カ月後のことだった。 南北戦争は、奴隷制度によって大きな利益を得て..

  • 第3561日目 〈過去のニュースを一定の期間置いて(寝かせて)新聞を読み返す/スクラップする。〉

    新聞記事をスクラップしていると、だんだん自分が気になる分野の傾向が見えてくる。それと同種の発言を著書のなかでしていたのは、さて、池上彰であったか、松林薫であったか、それともまったく別か。 エビデンスはこの際不問とするにしても、スクラップを続けていると自分がふだん気にかけている情報がどのようなものか判別がついてくる、というのは至言であると思います。 初めのうちはちょっとでも気になる記事が載っていると、バッサバッサと切り抜いてゆくが、「続けてゆく」とはいい換えればその分、スクラップするための時間と労力を要すということ。それを毎日でなくても定期的に、そうね、1週間に1度、なんて風にやってご覧。面倒臭くなって、スクラップ自体を止めてしまうか(勿体ない!)、立ち止まって自分の興味や嗜好を冷静に顧みて、スクラップという作業と並行して記事の吟味を始めて徹底するか、いずれかになるのではないか、と..

  • 第3560日目 〈黄金の1カ月を使って、みくらさんさんかはなにを読んだか?〉

    黄金の1カ月をどれだけ満喫できたか、と訊かれると、甚だ心許ない返答をせざるを得ぬ。怠けて過ごしたわけでは、ない。普段より読書に徹する時間は多かった、と記憶する。 もっとも家のこと、家族のこと、仕事のこと、諸々やりながらの読書ゆゑ、本人だけがそう思うだけで、俯瞰すればけっしてそんなことはなかったかもしれないけれど。 顧みるとこの間の読書は、大きく3つの柱を持っていたように思う。 1つは、萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みながら、モレスキンにメモをして。 2つは、聖書及びそれにまつわる諸書を、ふしぎと敬虔な気持になりながら。 3つは、上に含まれない雑書の類を読み散らして、部屋の片隅に積みあげて。 ──2つ目の柱はその成果の一斑として、『ハイデルベルク信仰問答』の拙い読書感想文に発展した。昨日までは寝る前の時間、ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカー..

  • 第3559日目 〈【実話怪談】アパートの隣人。〉

    付き合いのある不動産会社の人から聞いた話である。 管理しているアパートの住人Nさんから或る日、こんな話が出たそうだ。Nさんはそのアパートが新築のときに入居した、20代後半のSEである。 日頃からふしぎな出来事とはまるで縁がなく、そうした事象に遭遇したことさえいちどもなかった。学生時代、事故物件に2年程住まったことがあるが、その間いちども心霊現象の類を経験したことがないという。 そんなNさんが件のアパートで暮らし始めて3年が経った、或る秋の夜である。 時刻は、おあつらえ向きに丑三つ刻だった。 Nさんは目を覚ました。便意を催したのである。秋、というても冬の気配が日一日と強く感じられるようになっていた頃だ。トイレには行きたい。でも、あたたかい布団から出るのはなかなか勇気が要った。 が──もはや限界だった。Nさんは思い切って布団から出、足の裏にフローリングの冷たさを感じな..

  • 第3558日目 〈『万葉集』へのアプローチ──マロニエ通りの学校に於ける個人史の”if”。〉3/3

    斯様にマロニエ通りの学校で『万葉集』を中心に講じた加藤守雄だが、その正式な後任が阿部先生だった。そうしてその点にこそ、阿部先生に講義で『万葉集』を取りあげることを考えさせ、断念させた理由が隠されているのではないか。 阿部先生は『万葉集』を文学として読もうとしていた。あくまで「鑑賞」を旨とする講義を考えていた。即ち、前任者加藤とは全く別の──或る意味では本来の──アプローチを採るつもりだった。『古事記』の講義でもそうだったが、先生は奈良朝文学に塗りこめられた当時の日本人の習俗に、あまり研究者的意味での関心はお持ちでなかった様子だ。必要なレヴェルで民俗学の領域に属する内容を説明することはあるが、それを出発点に柳田國男や宮本常一、芳賀日出男、折口などなど先人の如くそのルーツや類縁を辿ったお話をされることはなかった、と記憶する。先人、には当然加藤も含まれる。 マロニエ通りの学校の国文科は..

  • 第3557日目 〈『万葉集』へのアプローチ──マロニエ通りの学校に於ける個人史の”if”。〉2/3

    その加藤守雄はマロニエ通りの学校で、何年にもわたって『万葉集』を講じた。但しその講義は文学としての『万葉集』というよりは、民俗学の方面からのアプローチがメインだったようだ。『加藤守雄著作集』を企図する以前に、その学問を知りたい、その文章を読みたい、の一念から一夏三田の図書館に籠もって論文やエッセイの掲載誌をコピーしまくり読みまくり、秋から師走に掛けてはマロニエ通りの学校、國學院大學折口博士記念古代研究所では資料の借覧とコピーをいただき、知る人の話を伺うこともできた。 そうして手許に集まった加藤の文章の1つに、マロニエ通りの学校の履修要項がある、これはたしか、事務の中村さんの手を患わせたのではなかったか。これを読んでいると、上代文学の時間は『万葉集』を講読し、ゼミでは民俗学を主体にしていたようである。試みに、1983年度の履修要項から加藤が担当した3つの講義内容を引いてみよう。曰く──..

  • 第3556日目 〈『万葉集』へのアプローチ──マロニエ通りの学校に於ける個人史の”if”。〉1/3

    『恋愛名歌集』を読みながら自分と『万葉集』の相性の悪さを嘆いた。ここに選ばれてある好きな短歌をきっかけに、幾らかなりとも改善の兆しが芽生えれば良いな、と希望した。 それはやがて軌道を変えて、1つの仮定に、個人史の ”if” へ至った──学生時代、『万葉集』の講義を履修することができていれば未来は、即ち〈現在〉はどのようになっていたろうか、という個人史の ”if” 。それも三田ではなく、マロニエ通りの学校で。 入学した年、日本文学演習・奈良朝の講義は年間を通して休講だった。担当の阿部先生が体調不良のためである。 前年度のうちに先生側からその旨連絡があったにもかかわらず。代理を立てることなく年間休講になった。にわかには信じがたい話だけれど、単純に代打が見附からず、やむなく……というところだったのだろう。そのあたりの事情を先生ご本人から伺ったことはない。事務の中村さんや本多先生、主..

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