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2010/08/09

1件〜100件

  • 読みたい人は読めば良い。

    遺稿管理人を相応の人格者が務めてくれたら、嬉しいと思うのです。◆

  • 第3413日目 〈Waiting for her to return, ──更新の無期限中断のお知らせ。〉

     当面の間、私事によりブログ更新を中断します。  週1更新への変更でもなく、「無期限中断」なので、次の更新がいつか不明です。  家族のために時間を割きたいので、ご寛恕願う次第です。  Eternal regret to those who pry. ◆

  • 第3412日目 〈翻訳のこと、生意気にも。〉

     洋の東西を問わず、言葉の如何を問わず、翻訳とは難しい作業である。それを実感しながら続けていた「浅茅が宿」現代語訳の筆を今日擱いた。5月12日から始めた記録があるから足掛け2週間、筆を執らなかった日もあるので実質11日間の作業だった。  這々の体で第一稿の筆を擱いた、という感が強い。息も絶え絶え、青色吐息。いまのわたくしの偽りなき姿である。昔取った杵柄の喩えどおり、学生時代とその後ウン十年の蓄積のお陰か、古語辞典も文法書も思った程には開くことなかったけれど、或る程度までは原文に沿った現代語訳になったろう、という自負はある。が、その自負が危ない。  何十遍読んでいようと、翻訳と通常の読書はまったく異なる行為である。翻訳に読み流し、思い違いは御法度だ。誠、翻訳とは窮極の読書である、とはよういうたものじゃ。それは精読を否応なく要求する読書なのである。言葉の一つ一つと文法を正確に読み解き、援用..

  • 第3411日目 〈「行く道を阻むものはすべて排除せよ。そこに私情を混ぜるな」〉

     検査はまだまだ続くけれど、取り敢えず自分がいま為すべきが見定まった。  今日は日記とそれに添付してある、または関連する写真の整理と破棄を済ませたところ。1年近くモバイル端末とPCのなかにあり、各々のHDの容量を無駄に喰っていた日記と写真だ。  むろん終活に非ず。  ──すっきりした気分。後ろ髪引かれる部分は多々あるが、進むためには仕方がない。「行く道を阻むものはすべて排除せよ。そこに私情を混ぜるな」とは誰の訓えだったろう。(以下、大幅削除)  件の日記も写真も、残しておくのは恥以外の何物でもない。おまけに、もう忘れている相手に迷惑をかけるだけだ。  禍根を残したくない。幸せに影を落とすべからず。ただそれだけのこと。  ……あれ、これはやっぱり、終活?  まぁ、片附けを早くから始めるに越したことはないね。◆

  • 第3410日目 〈死神よ。明日から、君と僕とでレースをしよう。〉

     目の疲れも手伝って1日に短編1編を読むのが最適解となっているこの頃、思うように短編集を読み進められないことに溜め息を吐いている。  この遅さ、読む姿勢(体勢)や周囲の照光具合などに由来するかもしれないが、以前程に集中力が続かなくなっていることもあって案外、これがいちばん肉体的にも精神的にも負担をかけないペースなのかもしれない。同じ理由から、「浅茅が宿」の現代語訳もなかなか進んでいないのである。  ──(大幅削除)なにがなにやら分からない。現実味がまるでない。まだ決まったわけではないとはいえ。余命宣告かぁ……。死んだあとまで迷惑をかけ、悲しみと怒りの涙を流させるとは、なんと薄情者じゃ、親不孝者じゃ、わたくしは。  せめていま読んでいる短編集は読了し、「浅茅が宿」現代語訳は決定稿まで完了させたいね。  さて、死神よ、明日から君と僕とでレースをしよう。どちらが先に本懐を達成するか。追い..

  • 第3409日目 〈英国某州の怪談実話パンフレットを発掘して。〉

     捜索の結果、件の古典文法書は見附かったこと、既に過日の話題とした。今日はそのオマケである。  ガタゴト、ガタゴト、日中騒々しく音を立て、時に積みあげていた本が崩れて連鎖反応でドミノ倒しが発声した。復旧作業のためダンボール箱の開梱と捜索は一時中断の事有りと雖も、再開して行方不明の本を新たに見出す喜びあらば中断の愚痴は水へ流そう。  殊新たに見出したのが、数こそ極めて少ないながら英語の書物の翻訳の、実質的出発点(この前にビアースの「モクソンの人形」があった)となった英国Leicestershireの怪談実話パンフレットとレスター市の地図、2冊ともなれば尚更。  誰しも経験があろう、単語の下に和意を書き入れ、余白に文法の補足や試訳で、パンフレットのページも満艦飾である。いやぁ、懐かしい。載るは全22編。1エピソード1ページが主なので、日本語へ移してもそう分量はない。400字詰め原稿用紙に..

  • 第3408日目 〈電車のなかで、勅撰和歌集を読んでいた頃のこと。〉

     絶讃就職浪人中だった1994年の頃、月1回の神保町通いと週2,3回の母校訪問は欠かさなかった。母校がお茶の水にある以上、必然的に神保町へ出ることありと雖も、主目的が違うから、と言い訳して。  母校を訪ねても就職絡みのそれではなく、先生方のお話を伺う、或いは相談する、が主目的であったことで薄々お察しかもしれないが、ホント、どこまで一般企業への就職に真面目に取り組んでいたんだろうな。でも、あくまで当時、仕事にしたく思うていたのは、研究者だったから……。そのくせ、演劇コースの人から紹介されて俳優座の演出助手の面接には出掛けたけれど。  お茶の水と横浜の往復の電車のなかで読書は欠かせぬ習慣だった。ミステリ小説や怪奇小説にウツツを抜かしていた筈だけれど、なにを読んでいたのか、かなり時間をかけないと思い出せない。より一層鮮明に覚えているのは車中、一心不乱に岩波文庫から出ていた(及び、タイミングよ..

  • 第3407日目 〈石原慎太郎の小説を読んでいました。〉

     逝去に伴い時間を見附けて石原慎太郎の短編をちょこちょこ読んでいた。こんなにまとめて石原文学に接する時間を持ったのは、正直にいえば学生時代以来のことだった。  読後感? 未だ鮮烈で熱量を放つ作品である、と回答しよう。石原慎太郎の小説といえば昭和30(1955)年の「太陽の季節」に始まるが、ここに代表される初期作品群が群を抜いて読み応えあり、なかば暴力的ともいえるような吸引力と魅力を放っている。時代が下るにつれて、まぁそのあたりは飛び飛びに読んでいるので「なにをか況んや」なのだが、パッ、としたものは目に見えて減っていったようである。『弟』や『天才』などはもう涸れきった、出がらし茶を飲まされているような気分である。ベストセラーになったのは単に題材ゆえだったのか、と思えてならない。  小説に関しては初期作品群だけでいいかな。中後期の作物に関しては幾つかを摘まめばそれで良い。中後期に関しては政..

  • 第3406日目 〈ブロンテから、ショーターを経てワイズへ。そうして再びブロンテへ。〉

     高2の夏休み、雨降りが続く田舎で何日かを過ごした。お盆前の数日、祖母宅に泊まったのだ。そう、しとしとと小雨糠雨の続いた夏だった。歯科医の祖母の手伝いや話し相手、お墓の掃除等々用事のないときは殆どの時間、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』を読んで過ごした。田舎での初日の夜、祖母に連れられて外食した帰り、タクシー待ちの間に足を踏み入れた小さな本屋さんで購入した集英社文庫、永山玲二訳である。初めてのブロンテ文学でもあった。  その直前、図書館から1冊のブロンテ伝を借りて、旅行先まで持っていって読破していた。中村佐喜子『ブロンテ物語』(1988/02 三月書房)がそれだ──旅先で紛失したら、どうするつもりだったんでしょうね?──。中村の訳書には旺文社文庫版『嵐が丘』があり、角川文庫版『赤毛のアン』シリーズや『若草物語』シリーズ、『あしながおじさん』などもある。  『ブロンテ物語』は後日、自分用に横浜..

  • 第3405日目 〈荒俣さん、紀田さん、保土ヶ谷区尾上町、ってどこ!?〉

     荒俣宏『平井程一 その生涯と作品』感想は既に短いものを別に書いているのでそれに譲り、本稿はそこから切り出した疑問を、分量を拡大させて一稿と成すものである。たぶんわたくしが横浜市民でなければスルーしていたに相違ない疑問である──然り、読み始めて早々に引っ掛かりを感じてしまうた箇所が、本書にはあったのだ。その一節をまずは引用する。曰く、──  慶應義塾維持会加入者の報告にも、明治三十五年の三月六日から四月五日の間に、預金一口加入者として、「神奈川県保土ヶ谷 谷口喜作君」の名がある。この「保土ヶ谷」という地名は現在の神奈川県横浜市の保土ヶ谷区尾上町を指す。横浜の中心部である尾上町は単に「横浜」と記している例が多い。(P24) ──と。  谷口喜作は平井父、初代喜作をいう。「横浜の中心部である尾上町」とは中区尾上町だろう──まさか保土ヶ谷を指して「横浜の中心部」と曰う御仁もあるまい..

  • 第3404日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉4/4

     「他郷に住みて」の吉田ふみは、平井と起居を共にした人である。短いものながら、「土地の文化人と付き合うより漁師や農家の人達の話を聞くほうがよっぽどたのしい」(P414)といい、「子供好きな平井のところへは、近所の子供たちがよく遊びに来て、にぎやかだった」(P413)など、仕事を離れた平井の等身大の日常を伝えて余りある。  地にしっかりと足を着けて地域の人々との付き合いをとても大切にしていたわけだが、「よく遊びに来ていた子供たちは、それぞれ店の主になって、今一人暮らしの私に親しく声をかけてくれる」(P413)のはけっして平井1人の人柄などではなく、吉田自身の人柄にも起因するところであったろう。こうした縁が巡り巡って最終的に平井の遺品が原稿共々神奈川近代文学館に納められ、また、吉田の最晩年の生活を支えることになったのは至極当然、そうして極めて幸福なものであった、と感じるのである。  それだ..

  • 第3403日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉3/4

     3篇のうちで完成度の高さで最も優れているのが、「顔のない男」である。英国怪奇小説の匠たちの作劇術を自家薬籠のもとし、更に換骨奪胎して昇華してみせた、そうした面で「真夜中の檻」に肩を並べる作品である。もっといえば、本篇は平井の創作小説のうちで、「エイプリル・フール」と相和すジェントル・ゴースト・ストーリーの佳品といえるだろう。  ストーリーは、いまはもうない東京晴海は国際展示場での全日本自動車ショー(後の東京モーターショー)の場面から始まる、敷地中央のプロムナードも含めてわたくしには懐かしい景色だ──同じ思いを抱かれる方もあろう──。子供時分の「宇宙博」が最初だが、その後はコミケ初参加(一般)まで晴海とは縁がなかった。  そんなコミケ会場の雰囲気や光景──入場待ちの熱気や人いきれ、入場時と会場整理のてんやわんやぶり──を思い出してみると、昭和30年代に設定された「顔のない男」で描かれた..

  • 第3402日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉2/4

     戦後すぐの翻訳活動で目を引くのはワイルドとサッカレーの作品集である。本書にはサッカレエ『歌姫物語』解説が再録された。  平井のサッカレーといえば岩波文庫に入る『床屋コックスの日記・馬丁粋語録』(1951/04)が最もポピュラーだが、戦後間もない時分には森書房から『サッカレエ・諷刺・滑稽小説選』全6巻8冊の企画があった。『小説選』のラインナップは本書446ページに載るが、『歌姫物語』はこのうちの1巻で、唯一の刊行物らしい、とのこと。  『歌姫物語』は未見未読ながら前述の岩波文庫や改造社から出た『おけら紳士録』(昭和24/1949年)を読むと、そのやや古風で軽みと意気が調和した訳文のせいもあるのか、サッカレーと平井の親和性は八雲に次いで高く感じられる(由良君美もそう感じた一人のようで「最後の江戸文人の面影」並びに「回想の平井呈一」に発言がある。誰しも感じるところは同じか。いずれも『風狂 ..

  • 第3401日目 〈荒俣宏『平井呈一 その生涯と作品』を読みました。〉1/4

     小泉八雲を握翫鍾愛して代表的著作を個人訳したに留まらず、若いときは自由律俳句を提唱した俳人、河東碧梧桐の門に入り、また佐藤春夫や永井荷風に師事し、流転を経て迎えた戦後は怪奇小説の翻訳と研究の泰斗として斯界をリードした最後の江戸前文人、平井呈一(本名;程一)の、特に前半生はずっと暁闇のなかにあった。  それを此度、最後の門弟たる荒俣宏が関係者への聞き取りや埋没した資料の発掘てふ地道な作業を通して、出生前から歿時までの事績を掘り起こし、のみならず歿後の顕彰に至るまでの計約120年をここに取り纏めた。労作、とはこのような1冊のために準備された言葉である、とつくづく思う。  【年譜】というと基本的に2つの方向へ大別される。1つは丹念に地道に史的事実を諸史資料から拾って確定した年月日順に羅列してゆく方向へ。いちばんポピュラーなのは歴史の教科書の巻末に載る年表だろう。最もストレートかつ無味乾燥と..

  • 第3400日目 〈捜すのをやめようとしたとき、見つかることはよくある話ですね。〉

     すごく良いタイミングで……と思う。またまた片附けの話、が、それも今日が最終日。  発掘した、発見した。全身から力が抜けた、もうこれで捜索せずとも済むのだ。達成感を味わった、懐かしさに胸が熱くなった。  然り、例の古典の文法書が、廊下に積まれた小山を崩しながら最後に開けたダンボール箱からひょっくら顔を出したのだ。永野護『PLASTIC STYLE』と『MAJESTIC STAND』にサンドウィッチされているとは、流石のわたくしにも想定外であった、と告白しておきたい。  火事の片附けが間に合わなくなったのか。或いは気力が削がれていたためか。取るものも取りあえず片っ端からダンボール箱へ放りこみ、時間ができたらゆっくり(清掃も含めて)中身を確認しよう、とか考えていたのかもしれぬ。如何せん20年近く前の話だから、なんともいえぬが。  斯様なことはあったと雖も捜し物は見附かった。いま、それは..

  • 第3399日目 〈また見附けちゃった、また発掘しちゃった。〉

     諦めきれぬ古典文法書、飽きることなく捜索中。──今日は廊下のダンボール箱数箱を開梱、中身を徹底捜索したよ。  そうしたらさ、また見附けちゃったんだ、また発掘しちゃったんだ。処分を免れ、そこにあることもわかっていたけれど、実際に手にしたのは何年振りか、って文庫の群れをね。うん、それは岡本綺堂と久生十蘭の文庫だったんだ。  綺堂は高校時代から読み継ぎ読み継ぎしてきたが、いまは読むことを中断しているせいで買ってもさっと目を通したあとダンボール箱行きになったものが、ずいぶんと溜まってしまった。十蘭については岩波文庫の短編集2冊と河出文庫の数冊、現代教養文庫から出ていた『魔都』以外はどうしたわけか手着かずで、ダンボール箱の住人になってしまっている。  なんだか悲しいね。なんだか虚しいね。なんだか苦しいね。中途半端な読書の形跡を見せつけられると。咨、もうマジでイヤんなっちゃう。  とりあえず..

  • 第3398日目 〈”いま”必要な本を発掘しました。〉

     未だ文法書を捜索中。  もうタイムリミットかもしれない。捜索打ち切り、見切りをつける、といい換えてもよかろう。どうして見附からない? 隔靴掻痒、とはこのようなときに使う言葉か。  が、捜索の目的は達成できぬと雖もその途次、様々な、思うてもみなかったような発掘品に出合う体験を幾度もしたことで、わずかながら溜飲を下げることができているのも事実。  きっかけは、隙間から筺の上端が覗いていた新潮日本古典集成『雨月物語・癇癖談』だった。折しも「浅茅が宿」現代語訳を進めているところだったから、これは一種の共鳴事案かも。その下にケネディ元米大統領暗殺レポートの翻訳書が埋まっているとは、流石に思わなかったけれど。  既に所有しているとはつゆ思わず(=忘れていた)新たに古書店のサイトで購入検討していた本が、造り付け書棚のいちばん下の段から見附かったのは、幾らでもお話しできる数々の体験談の頂点を飾る..

  • 第3397日目 〈物持ちがいい男の話。〉

     また片附けの話。  かねて予告の通り、床からにょっきり生えて増殖する一方のダンボール山脈を引っ繰り返した。例によって例の如く、件の文法書はなかった。  代わりにずいぶんとむかしに書いた履歴書の書き損じや面接を受けた企業のパンフレット、求人雑誌の広告ページなど、目も背けたくなる負の遺産があとからあとから出てきて、困った。  娘がぐっすりお昼寝中だったこともあり、奥方様がすこしの時間、手伝ってくれた(しかしうちの子、よく寝るな……)。それを待っていたかのように上から3つ目のダンボール箱から出てきたものがある。有楽町の某催事場で行われていたイヴェント各種のスタッフ資料である。  資料というても公演名の細目、公演情報、タイムテーブル、当日スタッフの配置など記載されたA4片面のプリントに過ぎぬが、スタッフ参加した日の資料はぜんぶ残っていた(序に申せば、2008年GWのLFJAJホールCで行..

  • 第3396日目 〈ただいま捜索中!〉

     出掛けたいのに出掛けられない。家内のことゆえにではなく、捜し物が出て来ないためだ。昨日は造り付けの書架、今日はその反対にある本棚、どれだけ捜し回っても見附からぬ。  では明日は──床からにょっきり生えていくつもの山を作っているダンボール山脈の攻略を試みよう。ここにもなければ……処分した、ということになるのだが、そんなことはあるまい。  学生時代に先生から頂戴してその日からずっと机上にあり、その後も何度か見掛けた覚えのある本だからだ。要するに、思い出も思い入れも、序にいえば実績も、たっぷりある1冊なのである。  代替品は幾らでもこの世に出回っているし、正直なところ、贅沢さえいわなければ辞書の付録でもなんとか間に合うのだが、手に馴染み目に馴染み使い勝手の良い捜索中の1冊があるに越したことはない。  この1冊があれば、鬼に金棒なんだけれどなぁ。──とは、いま現物が手許にないことと、かつ..

  • 第3395日目 〈と或る人生への疑問。〉

     東京駅の改札でよく似た人に会った。その麗しき容に時間が刻まれた様子はなかった。  傍らの、中学生ぐらいと見える男児は子供か。12歳と仮定すれば24歳で母となった。  新卒入社した会社を2年ぐらいで退職したか。寿だったのか、出産を契機としたのか。  とまれ、いまの生活に満足し、家庭円満で、幸せでいてくれるなら本望です。◆

  • 第3394日目 〈葛飾郡真間郷の夫婦の物語を現代語訳したい。〉

     春らしい日もないまま梅雨入りしそうな感のある5月であります。「片岡に露みちて、/揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」とブラウニングが謳った春は、いずこに? それでも今日は朝、駅へ着く前に青空を見、虹を──彩雲を見た。思わず写真に撮った。  大型有給を満喫中、と優雅にいえればいいけれど、実体は然に非ず。昨日から腹の調子が思わしくないのだ。むろん、飲み過ぎでも食べ過ぎでも、コロナ感染でもない。……否、食べ過ぎはあるかな。  とまれ、具合が悪く、巣鴨詣から帰宅後は宵刻まで横になっていたのである。……ダチョウ倶楽部上島竜兵急逝のニュースを脇に聞きながらね。惜しい芸人を亡くしたなぁ。高校生の頃から見ていて年齢もそう離れていないと思うのに、こうやって若死にされてしまうとわが前途も不安になってしまう、というのが正直なところ。関係者の方々には失礼と承知し..

  • 第3393日目 〈2つの報告。〉

     たびたび、書いていた、と報告している荒俣宏・編『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社)の感想文を数日後にお披露目致しますが、諸般の事情あり4日に分けて投稿しております。予めお伝えしてご容赦とご理解を求める仕儀でございます。  もう1つ報告したいのは、此度晴れて吉川英治『新編 忠臣蔵』上下巻を読了し、1日の間を置いて縄田一男・編『忠臣蔵傑作集』という旺文社文庫から出ていたアンソロジーに着手したことであります。  赤穂義士の事件を、当代の実力ある作家たちの短編で松の廊下の刀傷沙汰から義士たちの切腹までを時系列で再現した1冊であります。はじめましての作家もあり、お馴染みの作家もあり、でまたそれぞれの切り口を楽しむ意味でも本書を読むことにワクワクを抑えきれぬのであります。  それではみな様、お休みなさい。◆

  • 第3392日目 〈静夜思。〉

     〈眠られぬ夜〉は辛い。  この世に不眠症の人のあることを思えば、事情・支障あり寝の浅く頻繁に目覚めてしまう人のあることを思えば、──辛い、というのは贅沢な愚痴であろう。  されど〈眠られぬ夜〉は辛いもの。時間が異様に長く感じてならぬもの。さっき床に就いたと思い、夢を見るぐらいの時間は寝ていたろう、と時計へ目をやれば実際は30分ぐらいしか経っておらず、しかも実際は寝てもいなかった、とわかる瞬間程、嗟嘆したくなることもない。そんなときは余計に時間の流れるのが遅く感じられて、しかも睡魔の訪れは遠いもの。  が、しかし、そんな眠られぬ夜にこそ己の来し方を思い、人生を整理し、己を見つめ直す時間に充てよう。夜更けゆえ堂々回りしてドツボに嵌まり却って寝られぬこともあろうけれど、普段気忙しく動いて自分を見つめる時間も割けぬ生活を送っているならば、この時間を静かに活用するに如くはない。  眠られぬ..

  • 第3391日目 〈眠れぬ夜、吉川忠臣蔵を読んで過ごすこと。〉

     5月の連休にあった独り時間を殆どすべて荒俣宏の労作の感想文に費やしたこともあり、この間は該書と参考文献以外に本を読むことが皆無というてよかった。感想文もどうにか仕上げたあとはひたすらグウタラして過ごし、録画していた映画を観たり、家族と同じ時間を過ごすことを楽しんだ。そのせいではないだろうが、日付が変わって時計の針が午前2時を優に越しても眠気が訪れない。  やれやれ、である。様々な思い出や企みが千切れ千切れに脳裏をかすめてゆく。幸いとそれにより心騒ぐことはなかったけれど、とにもかくにも眠くならないその事実は変わらない。まさしく、いやはやなんとも、である。なんだかなぁ、である。  眠られぬ夜のためにできることはなにか? 否、なにもない。  ──いや、1つだけあったな、と、むくり、と起きあがって独り言ちた。この連休中、まるでページを進められなかった小説を読もう! そうだ、そうだ、この静寂..

  • 第3390日目 〈喫茶店は知的生活/生産の良きパートナー。〉

     喫茶店での会話が知的生活の活性化に有効である、と説いたのは渡部昇一であった。外国から新しい雑誌が届くとそれを持って近所の喫茶店に出掛けてともかくも1冊を読了してしまう、ゆえに読み残しはない、といったのも、渡部昇一である。また、小田島雄志は喫茶店を主たる仕事場にして、シェイクスピア全戯曲の翻訳を完成させた。  渡部、小田島の喫茶店のエピソードは、『知的生活の方法』正続(渡部 ※1)と『書斎の王様』(小田島 ※2)に載る。この3冊を10代後半から20歳ぐらいで読み、繰り返し繰り返し読んだ。その結果、喫茶店にこもって数時間を読書や執筆に費やす自分が出来上がる──常態化したのは30代からだけれど。  しかしどうして喫茶店は、斯様な知的生活(生産)に欠くべからざるパートナーであるのだろう。イギリス発祥のカフェ文化の歴史にもかかわるところになろうから詳細は省くが、とどのつまり、適度なる非日常とそ..

  • 第3389日目 〈弱音、本音。〉

     今日、というのは2022年05月06日ですがその夕刻、荒俣宏・編/紀田順一郎・監修〈松籟社〉の感想文への朱筆入れが終わりました。冗談でいうてたら、本当に連休を全部使っての作業になってしまった。しかし、なにはともあれ終わったのだ。  然り、終わったのです。出来映えはどれだけ悪かろうが、100の未完成品よりも1つの完成品、なのです。これから第一稿を複製して、そこに朱筆を反映させて、お披露目できる状態にまで仕上げましょう。あと、Ⅰ週間ぐらいかかるかな。  そろそろ図書館で借りた百物語怪談の本にも目を通したい。露伴や百閒の薄ら寒い話も読みたい。シェイクスピア読書の準備も始めたい。『ラブライブ!スーパースター!!』関係の文章も第2期開始前に片附けてしまいたい。なによりも、藤沢周平の時代小説を読めるようになりたい。──こんなささやかな希望さえ実現できぬ程、わたくしはいま生きづらさを感じているので..

  • 第3388日目 〈スマホを替え、メアドを変えたこと。〉

     一念発起して、という程のことではないかもしれないが懸念事項であったことを1つ、今日(昨日ですか)片附けてきました。約2年前の春、それまで使っていたiPhone6sが故障して(どうしたわけか或る朝突然、ディスプレイの照明が点かなくなったのだ)すぐに代替機が必要になったので、当座をしのげれば良かったこともありすぐさまAppleに電話して、iPhone8を購入した。  キャリアでないとよぅ分からん設定もあったので、駅近のショップへ出掛けたものの店員の不手際で今度はキャリアメールが使えなくなり、フリーメールの設定をせざるを得なくなった。それがこの約2年間、公式告知していた当方の携帯アドレスだ。良き人にも悪しき者にも、晴の人にも褻の者にも、この2年でなにかしらの関わりを持った人には教えているアドレスである。  以上、マクラ、というか、経緯の報告。  懸念事項は2つ;1つはiPhone8の放棄..

  • 第3387日目 〈貯えがあって、よかった。〉

     昨日の荒俣宏の本の感想文に連休中はかかりっきりで、新しいブログ原稿を書く機会が殆どなかった。それでも毎日定時に更新できたのは、「エズラ記(ラテン語)」の原稿を大車輪で完成させ、そのまま約2週間分のエッセイを書き溜め、予約投稿することができたから。  折節思うことではあるが、cloudに富を積むことの効用とは精神衛生上のみならず、こうした不測の事態に遭っても気を逸らすことなく、目前の作業に集中できることにあるのかもしれない。  そうしてこの原稿を書いている現在、本稿を含めてまだ数日分の貯蓄があるので、あと3日は感想文の朱筆入れに集中できそうだ。それから第二稿の作成、更なる推敲になるけれど、まだ余裕はある。集中しよう。◆

  • 第3386日目 〈ブツブツぼやく。──読書感想文、進捗記録。〉

     【前口上】  荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社)の感想文をPagesに入力中。その進捗状況を記録してゆきます。進捗状況というより「ぼやき」とか「愚痴」かも。  印刷した余白に書きこんだことも、記録、という名目で残しておきます。  一、 【小説】のパートをPagesで入力しているが、われながら冗長と感じる。ここはかなり刈りこむ必要があるかもしれない。  二、  あのー、平井呈一の感想文ですが、Pagesでいま8ページ目。文字数にして10,000字を突破したんですけどぉ。あともうちょっとで終わるとはいえ、流石になんだか色々な意味で疲れてきた。  第二稿完成後は印刷して赤ペン片手に溜め息吐きながら、推敲作業→第三稿の作成です。予定通りお披露目できるのかなぁ? 2022年04月30日 20時44分  三、  平井呈一の感想文は、書評でもなければ感想文でも..

  • 第3385日目 〈鬼が腹を抱えて笑うだろう話。〉

     今年はもう予定が詰まっているから、うん、来年の話になるね。それも「できればそうしたい」だから、実際はさて、どうなることやら。  そう、シェイクスピア読書の話なのだ。来年は先頃からぼんやり考えていた、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲を1-2カ月に1作のペースで読んでゆこうかな、と。  主なるテキストを選ばねばならない。聖書のときは新共同訳一択で悩むこともなかったけれど、今度も白水uブックスの小田島雄志訳、一択である。手許に全作が揃って、過去にこれを読んできて馴染みがあるからだ。いろいろ翻訳に関していわれているようですが、わたくしにはやはりこれがいちばん肌に合うのです。  但し他のシェイクスピアの翻訳にご退場願うわけではない。就中3人目の個人全訳者、松岡和子(ちくま文庫)は副テキストとして侍らせることになるだろう。シェイクスピアを読んだ最初である新潮文庫の福田有恒訳も同様に侍らせて、適..

  • 第3384日目 〈横浜に残る吉川英治の痕跡。〉

     20代中葉のいつであったか。当時、八王子市に住んで鮮魚店を営んでいた叔父夫婦の家に泊まり、奥多摩へ連れていってもらったことがある。そのとき訪れて記憶に鮮やかに残っているのが、多摩川向こう岸の吉川英治記念館であった。  祖父の遺した蔵書のなかに『新・平家物語』があったとはいえ、わたくしが実際に吉川英治を読むようになったのは『新編 忠臣蔵』が最初である。つまり、いま。横浜ゆかりの作家と雖もどうしたわけか敬遠していたのだ。  わたくしの前に新潮社の〈新潮日本文学アルバム〉の第29巻、『吉川英治』がある(1985/08)。図書館の5階でいま、この本を開いている。偶々目にして手にし、開いたページには、まだ再開発の始まっていない現在のみなとみらい地区を撮ったカラー写真が載っていた。  中央に日本丸が浮揚係留されている。あたりにいまを彷彿させる建物は片鱗だになく、そも人影がない。地面には雨の跡が..

  • 第3383日目 〈ホームシックを支えた鏡花の小説。〉

     すっかりタイトルを忘れていた鏡花の小説がある。伊豆半島を巡って江浦や沼津が登場する小説だ。  偶々入ったブックオフで東雅夫編『妖怪文藝』全3巻(小学館文庫 2005/9-11)を見附けて懐かしさからすぐに手が伸び、順番に目次を開いていった。  1冊なら2年に1回ぐらいは見掛けるが全3巻揃いとなると実店舗で見ること稀で、わたくし自身こう書きながら倩思い返して全巻揃いを見たのはおそらく15〜16年ぶりか、と唖然としてしまうている。旧東海道脇の如何にもな古本屋の棚にそこそこなお値段でひっそりと飾られていたが、翌日仕事帰りに立ち寄ったら誰かが買ったあとらしくもう置いていなかった。  まぁ、そんな思い出もあっての懐かしさでね、と話を戻して。  第3巻「魑魅魍魎列島」の目次を開いたら、鏡花の名前が真っ先に飛びこんできた。当該ページを開いて1ページ読んですぐに、「これだっ!」と内心叫び──次の..

  • 第3382日目 〈或る読書感想文の進捗状況について。〉

     もう4日程、荒俣宏『平井呈一 生涯とその作品』(松籟社 2021/05)の感想文を書くのに励んでいる。いま頃? とかいわないでほしい。何度も書き倦ねて放り出して、を繰り返してようやく端緒を摑み、現在執筆中なのであるから。──昨日から全体の下書きに取り掛かったけれど、それもやっと1/2になるかならぬかの地点に、いまはいる。  これというのも途中、平井の創作集『真夜中の檻』に目を通したり、私家版『平井呈一句集』や河東碧梧桐の岩波文庫版句集を繙き、また雑誌掲載されたままの平井の文芸評論や近松秋江の作品を併読していたがゆえの手間取りである。まぁ、これをもっと具体的に、卑属にいえば、道草を食っていたのである。そうしてそれは御多分に洩れず、非常に楽しい時間でもあった……。  然り、この道草はとても楽しかった。今日夕刻(04月26日17時35分)、外は、激しく横嬲りの雨が止むこと知らず降っており、..

  • 第3381日目 〈H.P.ラヴクラフト「読書の指針」を読みました。〉

     高校2年の冬休みであったか。いまはもうない伊勢佐木モールの古書店で人生初めての「全集」と名の付く揃い本を買った。お小遣いとお年玉を貯めての購入で、当時の売価は18,000円であった、と記憶する(竹下内閣による消費税3%導入前)。『定本 ラヴクラフト全集』全10巻11冊がそれだ。  既にHPLの洗礼は受けており、創元推理文庫の全集は既刊分すべて読んでしまったか、最後の1冊を読み進めている時分であったろう。どれだけの影響を被ったか、ここでは語らぬとしても、そのHPLに全集がある、それがいま自分の前にある──店頭に並んだのは夏頃だったか、毎週日曜日にその古本屋へ行くたびまだ売れていないことを確かめて安堵し、焦燥に駆られもし、落ち着かぬ秋と年末を過ごしてようやっとそれを購ったときの感動と興奮! いまに至るもそのときの感情を上書きする全集との出会いを経験したことは、ない。  いちばん夢中になっ..

  • 第3380日目 〈記憶力の減退に悩む。〉

     芥川龍之介に、そぼ降る時雨を避けて書店へ駆けこみ洋書を愛で……という短歌があった。いまの自分と同じだ。降り始めた雨を避けようと地下街へ駆けこみ、寒さに震える体を温めたく目に付いたカフェへ席を取った。湯気立ちのぼるコーヒーがとても美味い。  すこしく落ち着いた後に、芥川の短歌を思い出しのである。が、内容は覚えていても肝心の三十一文字が思い出せない。時間を掛ければ可能だろうが、パッ、とすぐに口の端に上らぬようでは無意味じゃ。  どうやら視力だけではなく記憶力まで低下したらしい。百人一首すべてや『論語』の一節など覚えるともなく覚えられて、必要あらば文献に頼ることなくほぼ正確に誦せもしたのが……。  そこでゲームをしてみた。どれだけ覚えていて、それを引っ張り出せるか、のゲームである。いま飲んでいるコーヒー一杯の値段は? ストリート・ピアノで奏でられているピアノ曲の作曲者とタイトルは? 1年..

  • 第3379日目 〈目薬を使い始めたこと、白内障かもしれないこと。〉

     今年に入ってから目薬を使うようになった。左目が妙に痛み、水で洗ってもなにをしてもその痛み、一向やわらがぬため意を決して目薬のお世話になることを決めた次第である。  一昨年の春の頃だったか、地元の総合病院眼科にて目の痛みを訴えて目薬をいただいたことがあったけれど、当時の症状はもう覚えていない。覚えているのは目薬を差してもなかなか眼球に落ちてくれず困ったことぐらいだ。ついでにいえば今回もその「困ったこと」は解消できていない。  とまれ、目薬を購入して日常的に使用するようになったのである。此度は処方されたそれではなく、ドラッグストアで購入したものだ。……いやしかし、どうして目薬なる医薬部外品がこうも棚にたくさん、並んでいるのか……。  目が痛い、というのは角膜や水晶体がどうこうではなく、調べてみたらその外側にある外眼筋とかの痛みであるように感じられる。眼科の診療を受けたわけではないので所..

  • 第3378日目 〈こんな夢を見た(その11):This is Mine,〉

     われらは操を立てたに過ぎぬ。他へ与することを潔しとしなかっただけのことだ。侵入者を力持て排除することになんの後ろめたさを感じ、また世人はなどてそれを非道の行いとせしや。  かの日に記した夢には続きがある。正しく「続き」というてよいか迷うが、他の日に見た夢とはいえ舞台を同じうする点で「続き」というのは、ゆめ間違ってはいないだろう。  重ねていうが、別の日の夢である。われらは薄暗く、空気の湿った、果て知らぬ上階まで吹き抜けがある廃業したショッピング・モールにいる。今度は広場に坐りこんでいるのではない。吹き抜けに面して各階にあつらえられた回廊を歩いている。後ろには、子ら。  階上へ延びる棒状の、青白い灯が消えかけている。広場を見おろすと真ん中あたりに水溜まりができていた。ポツン、ポツン、と滴がしたたり落ちるたび、水面に波紋の広がるのが見える。  階段らしきものを登った覚えはない。が、わ..

  • 第3377日目 〈咨、困ったことに次の本がありませんよ、モナミ。〉

     なんということか……休憩時間はたっぷり残っているのに、読み終わってしまったのです。まだページはあるから、と油断して控えの本も用意していない。これはモナミ、由々しきことですよ。  咨、違いますよ、君。帰る前に本屋さんへ寄って新しいものを買えばいい、という単純な話ではないのです。だって読了した本というのは上下巻の小説で、しかも上巻だったのですからね。  続きがどうなるのか、どのように展開してゆくのか、気になって気になってなりませんよ。なぜって読み終えた小説(上巻)というのは吉川英治『新編 忠臣蔵』だったんですからね。歴史の本や映画・ドラマで事件のタイムラインを承知しているとはいえ、吉川英治描く忠臣蔵はまた格別ですからね。不慮(?)の中断が殊に堪えるのですよ。  傍訓の一周忌を赤穂で済ませた内蔵助が伏見で旧臣と偶会し、花街へ連れ行かんとする場面で上巻は終わりました。向かった先でこの「昼行..

  • 第3376日目 〈こんな夢を見た(その10):おぐゆーさんとの会話〜現実への帰還。〉

     こんな夢を明け方に見た。違う時間の世界のようだった。  小糠雨が前夜から降り続いている。薄暗いビルのなかにある円形の広場にいた。頭上はどこまでも吹き抜けだ。青白い人工の灯が棒状になって、途切れ途切れに吹き抜けの上部まで続いていた。人影が蠢いている。皆なにやら忙しく立ち動いている様子だ。  広場に店の看板と出入り口が面している。店内の照明が落とされているから、おそらく営業時間が終わっているのだろう。看板の電飾だけが辛うじて灯っている。そうしてわれらのいる広場は濡れている。空気も湿っていた。が、われらの体はどこも濡れていない。  われら? 然り、他に彼女がそこにいる。かつて「おぐゆーさん」と呼んでいた女性だ。そのまま働きに行けるような服装であった。なぜか2人して広場にしゃがみこんでいる。わたくしは胡坐、彼女は脚を横に揃えて投げ出して。手を伸ばさずとも、互いの息が届くぐらい近かった。 ..

  • 第3375日目 〈橘崑崙『北越奇談』から、幽霊船に遭った船頭の話を紹介します。〉

     わたくしにはいま、本ブログにてシリーズと云うべきものがあるそうです。  1つはヒルティに代表される「〜の言葉」、1つは「こんな夢を見た」  1つは「モルチャックが行く!」、もう1つは「YouTubeで懐かしの洋楽を視聴しよう!」  そうしてもう1つが、「近世怪談翻訳録」(仮題)であります。  むろんここに読書感想文などは含めない。あくまで折に触れ、気の向くままに筆を執るものであります。  話を戻して上掲、いずれも断続的に、本当に書くネタなくしては書き得ぬ類のもの。ゆえに何年も間があいて或る日唐突に1篇がお披露目と相成ることが専らなので。  今日(いつの”今日”じゃら)図書館で、分厚い本にはさまれて最下段へ仕舞われていた、200ページちょっとの新書版の1冊を見附けて読み耽り、借りてきました。著者は崑崙橘茂世(モヨ、と種彦の序文にフリガナがある)、書題云『北越奇談』。──鈴木牧之..

  • 第3374日目 〈永井荷風「元八まん」を読みました。〉

     永井荷風に「元八まん」という随筆がある。それを教えられたのは御多聞に洩れず平井呈一の文章であった。典拠を確かめるために該書を引っ張り出そうとしたが、あいにくダンボール箱の山の後ろの本棚にそれはあって出してくることができない。ただその文章が牧神社版『アーサー・マッケン作品集成』のどの巻かの解説であったのはまちがいない。創元推理文庫の『恐怖』でたしかめると、その文章は第2巻『三人の詐欺師』所収「赤い手」解説の一節であった。  かいつまんで申せばマッケン文学の特質の1つとして、世紀末ロンドンを隈なく歩きまわり、目にする風俗を捉えた一種の都市綺譚、の趣を呈すところがある。それが平井翁をして荷風の『濹東綺譚』や『日和下駄』、そうして「元八まん」などを想起させる、というのだ。思い出してみればわたくしが荷風散人の文学へ一歩足を踏み入れ、断続的ながら今日まで読み続けてきているのはこうした指摘に導かれて..

  • 第3373日目 〈東雅夫・編『文藝怪談実話』を読みました。〉

     『新耳袋』が導火線役を果たした今日の怪談実話ブームは日本各地に埋もれる怪談奇談口承の発掘を活発化させ、いまでは沈静の様子を見せているようだ──というのは見せかけで実際のところは深化と熟成の段階に差しかかっており、と同時に〈温故知新〉の風潮も顕在化してきているようである。  その風潮の好例が戦前まで文学・芸術・学問に携わる面々を主な出席者として頻繁に行われたという【百物語】や【怪談会】、或いは【怪異体験】の記録の掘り起こしではあるまいか。その音頭を取っているのが斯界にこの人ありと呼ばれるアンソロジスト、東雅夫だ。その氏が編纂した怪談実話アンソロジーとして特に名を挙げたいのが、『日本怪奇実話集 亡者会』と『文藝怪談実話』の2冊である。今回は後者の感想文を以下に稿す。  本書『文藝怪談実話』(ちくま文庫 2008/07)は、明治大正昭和三代の文豪たちの心霊随筆にサンドウィッチされて開陳され..

  • 第3372日目 〈ヒルティの言葉を、悪役を演じる心の支えとして。〉

     いつもながらの私事を話させてください。  ──  このたびわたくしはふたたび、手酷い裏切り役を演じました。事実を伝えられぬ歯がゆさが残るとはいえ、正直なところを申せば悔いはまったくありません。あらかじめ周到な用意の下に準備された新規部署への道筋を付けるためには必要な通過儀礼だったのだ、と思うことにします。  ヒルティの言葉を引用して、きっと碌でもない老年期を過ごすに相違ない自分への慰めとし、いまは決起するための燃料投下としよう。曰く、──  神の怒りはとけ──戸は開かれた──  あわれな魂は解き放たれた。  わたしの前途にはかぎりない希望と  奇跡にみちた時とがある。 ──と。ヒルティ『眠られぬ夜のために 第一部』九月一日の条(P248 草間平作/大和邦太郎・訳 1973/05)より。◆ 眠られぬ夜のために 1 (岩波文庫)出版社/メーカー: 岩波書店発..

  • 第3371日目 〈いまは04月11日。5月中旬までの原稿を完成させておきたいなぁ。〉

     「エズラ記(ラテン語)」再読ノートは全章完成させたあとで、ブログへの予約投稿を済ませました。そのためか、なんだか気持ちにゆとりが生まれたのです。  本稿は04月11日に書いておりますが、お披露目は2週間後ぐらいになっている筈。「エズ・ラ」最終章がお披露目される頃には、5月中旬あたりまでの分の原稿を書きあげ、同じように予約投稿を完了できるようにいま、スキマ時間を縫って執筆に励んでおります。  文章を書きあげるためにはまず書き始めよ。書いたものはそれずべて貯えとし、然る後は天に富を積め、ならぬ、cloudに富を積め。──至言ではありませんか、と自画自賛。◆

  • 第3370日目 〈これからも書いてゆけるもの、もう書くことはできないもの。〉

     これからはいままで書こうと企んで(望んで)放置していたものを、資料を蒐めて検討し、メモを取り、書いては直しを繰り返して一編の文章を完成させてゆきたい、と思います。ずっと机上に辞書類と並んで置いてある『新潮日本美術文庫6 岩佐又兵衛』(新潮社 1997/03)を目繰っていて、そんな心を固めました。又兵衛絵画との出会いやド嵌まりぶりについては後日に、また。  もう書くことは不可能であろうジャンルやテーマもあるけれど、それでも少しずつ、残滓の如く澱の底へあり続けてふとした拍子にそれあることを意識する事柄に関しては、ゆっくりした歩みになろうとも一編一編、重ねて最終的に相応の量になることを期待したいのです。顧みるまでもなくそれが自分の生きた、唯一の証しとなるがために。  ちなみに書くことを諦めているテーマとは、H.P.Lovecraft論であります──10代の終わりからのテーマですが、いまのわ..

  • 第3369日目 〈YouTubeで懐かしい洋楽を視聴しよう!(その6)〜GO-GO'S"Vacation"〉

     GO-GO'Sからどの曲にするかと悩んだが、最初に聴いたアルバムの1曲目を飾るこの曲を選んだ。既に第3354日目ベリンダ・カーライルの回で簡単に触れたけれど、これを聴いたのは1990年代前半、都内のと或る区役所の視聴覚室から殆ど傷のないLPを借りて貸出期間1週間、たっぷり聴き耽った。  改めて書いておくと、1982年発表の2ndアルバム《Vacation》の1曲目を飾ったのが、今回の〈Vacation〉だ。これのオフィシャルMVがあるとは知らなかった。洋楽番組で観ていたかもしれないが、残念ながら当然の如く記憶にない。当時アメリカ在住だった親戚からの情報があと数年早ければ、ベリンダ・カーライルに気附いたと同じタイミングでGO-GO’Sにも関心を向けられたのかもしれないが……。  動いているGO-GO’S時代のベリンダを観たとき──スッゲーぽっちゃりさんだったことに吃驚!! まぁGO-G..

  • 第3368日目 〈エズラ記(ラテン語)第16章;〈エズラの哀歌〉、〈終末への主の僕の準備〉with「エズ・ラ」読了のご挨拶。〉

     エズラ記(ラテン語)第16章、「付録の諸預言」2/2です。  「付録の諸預言」2/2  エズ・ラ16:1-35〈エズラの哀歌〉  おお、アジアばかりか、バビロンもエジプトもシリアも、総じて不幸だ。神なる主の怒りがお前たちに突きつけられる。それから逃れる術はない。この災いが取り消されることも、また。  「見よ、飢えの打撃が襲って来る。その苦しみは鞭のようだ。それは戒めのための懲らしめ。それにもかかわらず、人々は不正を改めず、これらの懲らしめにもかかわらず、その懲らしめを永久に思い起こすことはない。」(エズ・ラ16:20-21)  平穏が訪れたかのような時が来る。が、それこそ始まりなのだ。飢えが多くの人々を苦しめて死なせ、剣が残った人たちを狩って屠る。自分以外に誰か生き残った者はいないだろうか、と捜すのは無駄なこと。町は滅び、地は荒廃の一途を辿ってゆくばかり。  エズ・ラ..

  • 第3367日目 〈エズラ記(ラテン語)第15章:〈近づく災難〉、〈恐るべき幻〉&〈アジアに対して〉with悪党との縁切りなった歓喜の日に綴る希望と栄光の歌。〉

     エズラ記第15章、「付録の諸預言」1/2、「第6エズラ記」の最初です。  「付録の諸預言」1/2  エズ・ラ15:1-28〈近づく災難〉  主がいった。  わたしが送りこんだ預言の言葉を民へ伝えなさい。その言葉を記録させなさい。預言の言葉は真実で、信頼できるものだから。  これからあなたは多くの、あなたをよく思わぬ衆から嫌がらせをされ、誹謗中傷を受け、痛めつけられるだろう。が、恐れるな。揺らぐな。かれらは不敬虔ゆえに滅びる。盗人を赦さない。仲間外れを赦さない。嘘つきを赦さない。わたしは、断じて連衆を赦さない。ゆえに滅ぼす、かならず。  わたしはかれらを赦さない。談じて、赦したりはしない。かれらの不正は既に行き着くところまで来ているから。「彼らが行う不敬虔に対して、わたしはもう黙ってはいない。わたしは、彼らの不正なふるまいを忍耐しないだろう。見よ、潔白で正しい者の血が、わた..

  • 第3366日目 〈エズラ記(ラテン語)第14章;〈序文〉、〈啓示の記録について〉with生前の誹り、死後の誉れはわが本懐。〉

     エズラ記(ラテン語)第14章、「第七の幻」です。  第七の幻  エズ・ラ14:1-17〈序文〉  3日が経った。灌木の茂みで炎が燃え盛っている。そのなかから私を呼ばわる声がした。はい、私はここにおります。そう返事した。  主がいった。曰く、──  私はかつてモーセに民のための戒めとふしぎな御業と、時の終わりと時の秘密を明かした。その際、公にして構わぬ言葉と秘匿しておくべき言葉を分けて与えた。モーセは民に別れを告げるとき、公にして構わぬ言葉(のみ)をかれらへ伝えた。  あなたも、あなたが見た夢、幻とその説きあかしを心へ留めておくように。わたしが示すことを書き留め、或るものは公にし、或るものは限られた相手にのみ読ませるように。  あなたは人々のなかからひときわ高くあげられる。時の終わりまで、あなたと同じように民のなかから一段高くあげられた人々と、わたしの子と、一緒に暮らす。..

  • 第3365日目 〈エズラ記(ラテン語)第13章;〈海から昇る人〉、〈幻の説明〉他with夢野久作「悪魔祈祷書」が最初だった。〉

     エズラ記(ラテン語)第13章、「第六の幻」です。  「第六の幻」  エズ・ラ13:1-13〈海から昇る人〉  7日目の夜であった。私はこんな夢を見た、──  嵐によって海は荒れている。その海のなかから、天の霊と共に人が現れた。かれに見つめられた者は皆、震えあがった。かれの声を聞いた者は皆、蠟のように熔けた。  多くの者が習合してかれに戦いを挑んだ。かれは武器も武具も持たずにかれらを撃破した。口からは火の流れのようなものを、唇からは炎の息を、舌からは稲妻の嵐を発した。それは混じりあって、かれに戦いを挑んだ者は皆、焼き滅ぼされた。灰の粉と煙の匂いだけがあとに残った。  そのあと、様々な表情を面に浮かべた人々が、かれの許へやって来た。山から降りてきたかれが、その人たち平和な群衆を招いたのである。  私はそら恐ろしくなって、いと高き方に祈った。曰く、──  エズ・ラ13:..

  • 第3364日目 〈エズラ記(ラテン語)第10章2/2-第12章;〈鷲の幻〉他with趣味の怪談読み。〉

     エズラ記(ラテン語)第10章2/2、第11章、第12章、「第五の幻」です。  エズ・ラ10:60-12:3 1/2〈鷲の幻〉  2日目の夜である。こんな夢を見た、──  1羽の荒鷲が海から昇ってきて、瞬く間に全地をその翼の支配下に置いた。鷲には頭が3つあって微動だにせず、うち真ん中の頭は他にくらべて一際大きかったのである。また、羽の生えた翼が12,あった。その鷲が翼の下に全地を支配したのである。  「わたしは、天の下のものすべてが、鷲に従っている有様を見た。だれも、地上にある被造物のうち一つとしてこれに逆らうものがなかった。」(エズ・ラ11:6)  見ていると、右側から順番に羽が起きあがってきて、それぞれ全地を支配していった。1つの羽が消え失せるとすぐに次の羽が起きあがり、次々に地上の主権を行使していった。12枚の羽が消えたらば、羽と羽の間に生えた小さな逆毛の、8枚の羽がそ..

  • 第3363日目 〈エズラ記(ラテン語)第9章2/2&第10章1/2;〈エズラの祈り〉他猫は嫌いだ、あっち行け。〉

     エズラ記(ラテン語)第9章2/2と第10章1/2、「第四の幻」です。  第四の幻  エズ・ラ9:26-9:37〈エズラの祈り〉  天使に命じられた通り、私は、まだ人の手が入ったことのない野原へ行き、花を食べて7日を過ごした。7日目の夜、心がまた騒いだので、いと高き方へ祈って曰く、──  われらが祖先がエジプトを出てカナン目指して荒れ野を彷徨っているとき、主よ、あなたはかれらの前に御姿を現しました。そうして律法をお授けになった。  が、律法を受け取ったわれらの多くは滅びた。それを守ることがなかったからです。  その一方で律法それ自体は滅びることなく今日まで伝えられてきました。なぜか。当たり前です。それはあなたの律法なのですから。  「律法は滅びることなく、その栄光を保ち続けるのです。」(エズ・ラ9:37) ──と。  エズ・ラ9:38-10:24〈泣く女の幻〉 ..

  • 第3362日目 〈エズラ記(ラテン語)第7章2/2-第9章1/2;〈代願の不可能なこと〉他withBrand new days, (つぶやき・なう)〉

     エズラ記(ラテン語)第7章2/2、第8章並びに第9章1/2、「第三の幻」2/2です。  エズ・ラ7:102-115〈代願の不可能なこと〉  私は問うた、代願は可能か、と。  裁きの日、その日のために義人は、不敬虔な者たちのために執り成しをすることができるでしょか。かれらに代わって、かれらが救われる道が用意されるよう祈り、願うことはできるでしょうか。  天使が答えてそれに曰く、否、と。  誰かが誰かのために赦しを請うことは、けっしてできない。誰もが己の不正な行い、正しい行いの責任を持たねばならぬからだ。  私は問うた。  モーセ以来預言者や為政者は皆、自分のためではなく、他の者たちのために祈ってきました。「滅びる者がはびこり、不正が増し加わっている今、義人たちが不敬虔な人たちのため祈っているのに、どうしてあの裁きの日には、それができないのでしょうか。」(エズ・ラ7:111..

  • 第3361日目 〈エズラ記(ラテン語)第6章2/2、第7章1/2;〈エズラの問い──創造の意図と現実との開き〉他withあなたといっしょに暮らす夢を見た。〉

     エズラ記(ラテン語)第6章2/2と第7章1/2、「第三の幻」1/2です。  第三の幻  エズ・ラ6:35-59〈エズラの問い──創造の意図と現実との開き〉  7日の断食が終わって8日目の夜、私は問いかけた。  神よ、あなたは7日にわたって天地を想像し、闇と光を分け、陸と海を分け、生物を造り、人間を創造した。いずれもあなたが選んだ民のため、という。  ならばどうして取るに足りぬ存在であるはずの諸国民にあなたの民の命運を握らせたのか。われらはこの世を相続することはできないのでしょうか。こんな状況が果たしていつまで続くのでしょう。  エズ・ラ7:1-44〈天使の答え──裁きと相応の報い〉  以前と同じように天使ウリエルが現れて、こういった。  この世の出入り口は狭く、険しく、悲しみにあふれ、労苦の満ちたものである。が、大いなる世の入口は広く、安全だ。生きている者はこの狭..

  • 第3360日目 〈エズラ記(ラテン語)第5章;〈終末のしるし〉、〈エズラの問い──選びと苦悩について〉他with140字で宇宙を作り出すのは難しい。〉

     エズラ記(ラテン語)第5章と第6章1/2、「第一の幻」3/3及び「第二の幻」です。  エズ・ラ5:1-13〈終末のしるし〉  その日が来たら、と天使がいった。  その日が来たら、人々の心は恐怖に囚われ、真実は隠され、不義が全地にはびこる。お前が見る国々はいまでこそ世界の覇者の地位にあるが、やがて乱れて町は廃墟となり、終いにはその国土は荒れ野となる。  しかし、神がお許しになりお前が生き永らえられるならば、その3日後に天変地異が起こるのを見るだろう。誰も望まぬ者が支配者となり、口を開いた深淵から炎が湧きあがる。身重の女はこの世のものならざるを生み、人々はいがみあって殺しあう。星は軌道を外れてゆく。分別は隠れる、知性は姿をくらます。何人もそれを探し出せない。  「人々は望んでも得られず、働いても道は整えられない。」(エズ・ラ5:12)  いまのお前に見せられるのはここまでだ。..

  • 第3359日目 〈エズラ記(ラテン語)第4章:〈天使の答え〉、〈人の思いと神の計画〉with労働とはなおざりにするべからざる<義>である。〉

     エズラ記(ラテン語)第4章、「第一の幻」2/3です。  エズ・ラ4:1-21〈天使の答え〉  この世の罪についてのわが問いに答えたのは、天使ウリエル(神の前に仕える4大天使の1人)であった。  天使が曰く、これから3つの譬えを、お前の前に提示する。1つでも解き明かせたら、お前が見たい道を示そう。邪な心についても教えよう。これが譬えである、──  炎の重さを量れ。  風の大きさを測れ  過ぎ去った歳月を取り戻せ。  ──どうだ、お前が解き明かせる譬えはあるか。  頭を振るよりなかった。それは無理です、と私は答える。斯様なことが人間に出来ましょうか。   それを聞いて天使がいった。曰く、──  「あなたは、生涯自分にかかわりをもつ事柄さえ知ることができないのだ。それなのにどうしてあなたの力量で、いと高き方の道を理解できよう。腐敗した世にさえ恐れおののく者が、どうして不..

  • 第3358日目 〈エズラ記(ラテン語)第3章;〈第一の幻〉、〈エズラの問い──この世の罪について〉withはっきりいう、続編を──〉

     エズラ記(ラテン語)第3章、「第一の幻」1/3です。  「第4エズラ記」  エズ・ラ:1-2〈第一の幻〉  都が陥落して30年が経った頃、エズラこと私サラティエルは独りしバビロンに在った。胸騒ぎに怯える夜、種々の思いが心のなかを通ってゆく。シオンは荒廃し、バビロンは繁栄している。  エズ・ラ3:3-36〈エズラの問い──この世の罪について〉  私はおそるおそる主なる神に問いかけた。曰く、──  自らに形を擬してアダムを作り、それに命を吹きこみ、あなたは人間を作った。アダムはあなたの掟を破り、楽園を追放されて、人間は罪を負う者、罪を犯す存在となった。  あなたは地上に増えすぎた人間を、義人ノアとかれの家族を残して他は洪水の犠牲とした。ノアの系譜から幾人かの義人現ると雖も人々は変わることなく罪を犯し、重ね、あなたを顧みることもなくなった。  やがてあなたはアブラハムを..

  • 第3357日目 〈エズラ記(ラテン語)第2章;〈エズラへの主の言葉〉2/2、〈ホレブの山のエズラ〉&〈シオンの山のエズラ〉with言葉は災いも招くのだから。〉

     エズラ記(ラテン語)第2章です。  エズ・ラ2:1-32〈エズラへの主の言葉〉2/2  斯様な次第でわたしはわたしの民を捨てる。かれらを生んだ母の嘆きを聞け。喜び持てかれらを育てたにもかかわらずかれらを悲痛と悲嘆のなかに失う母の嘆きを聞け。  お前エズラは証言せよ。かれらが父の契約に背き、母を悲痛の極みへ追いこんだことを。かれらはそれゆえ異邦人のなかに散らされる。  エズラよ、わたしの民に告げなさい。わたしはイスラエルに与えた栄光を、イスラエルに与えるはずだった王国を、用意しておいた永遠の幕屋を、わが民から取りあげ、わたしの言葉に聞き従う者たちに与える、と。  わたしの言葉に聞き従って生きる者はそのとき、命の木が薫らせる香油の香りに包まれ、労苦から切り離されて生きる。かれらのなかにはわたしの名が刻まれている。それゆえかれらは死して後よみがえる。   捨てると決めたわが民よ..

  • 第3356日目 〈エズラ記(ラテン語)第1章;〈エズラの略歴〉、〈エズラへの主の言葉〉1/2with吉川忠臣蔵、読書再開。〉

     エズラ記(ラテン語)第1章です。  「第5エズラ記」  エズ・ラ1:1-3〈エズラの略歴〉  預言者エズラはアロンの家系に列なる祭司である。ペルシア王アルタクセルクセス王の御代、エズラはメディア人の地で捕囚となっていた。  エズ・ラ1:4-40  わたしはイスラエルの民の主である。わたしはエズラを預言者に立てて、わたしの言葉を預ける。エズラよ、行って民に伝えよ。即ち、──  お前たちは先祖よりも多くの罪を犯し、わたしを忘れた。異民族の神を崇め、献げ物をささげ、わたしの目に悪と映る行いにばかり耽ってわたしを顧みようとしなかった。エズラよ、行ってわが民に災いを投げつけよ。わたしに律法にかれらが従おうとしなかったからだ。  わたしはお前たちに、エジプトを脱出する算段を授けた。割れた海を逃れて荒れ野に入り、飢えれば水と食べ物を与え、カナンへの途を示した。しかしお前たちはわた..

  • 第3355日目 〈「エズラ記(ラテン語)」前夜〉

     旧約聖書外典とされながらカトリックでは第二正典と扱われず、プロテスタントでも退けられている「エズラ記(ラテン語)」(以下、「エズ・ラ」)でありますが、ギリシア語訳からラテン語に重訳された本書は長く中世のカトリック教会では読まれてきた書物でありました。「正典とは認めていないけれどそれに準ずる書物」という受け取られ方だったようです。  今日では新共同訳と聖書協会共同訳に「続編」の1冊として読むことのできる「エズ・ラ」ですが、これを取りあげた研究書や概説書は数多あれど所謂註解書の類を持たぬことが、余り読まれていない最大の理由なのかな、と思います。依拠するに足るのが此度の再読テキストに採用した『旧約聖書続編 新共同訳 スタディ版』(以下、『スタディ版』)だけとあっては読者層の広がりは到底望み得ぬことではあるまいか、などと心配になってしまいます。  前置きはこのぐらいにして、それでは「エズ・ラ..

  • 第3354日目 〈YouTubeで懐かしの洋楽を視聴しよう!(その5)〜ベリンダ・カーライル”輝きのままで(Leave A Light On)”〉

     毎週のようにTVKの洋楽番組を観ていた。お小遣いもアルバイト代もたかがしれている高校生にとって、EPもLPも吟味に吟味を重ねたうえで購入するものであったから、『SONY MUSIC TV』や『ミュージックトマト』、テレ朝『ベストヒットU.S.A』は海彼の未知のアーティストを知る限られた手段であった。勿論、FM放送は除いている。本稿はあくまで映像のお話なのだ。  1989年である(らしい)。ボンヤリ観ていた『SONY MUSIC TV』で1人の女性アーティストの新曲MVが流れた。釘付けになった。耳が、ではない、目が、である。本稿は。ずっと活動していた人であったが未知未聴、未見の人であった。名前をベリンダ・カーライル、という。かつてGO-GO’Sでヴォーカルを務めた女性。  そのとき流れたのは「Leave A Light On」。ソロに転進して3枚目のアルバム、《Runaway Hors..

  • 第3353日目 〈田中河内介は最強クラスの怪談ですね。〉

     言葉の由来が気になって、手持ちの辞書を総動員し、図書館へ籠もって調べる時期が、その昔あった。為、『氷菓』千反田える嬢の台詞でお気に入りの1つが「ところで『キナ臭い』の「きな」ってなんでしょうね?」なのだ、というても、ああ成る程、と納得してもらえるように思う。  ……まこと、好奇心は知識を獲得する原動力だ。時に人の憎しみを誘い、怨恨の連鎖に巻きこまれることありと雖も、好奇心は人を駆り立てる。田中河内介から寺田屋騒動に興味を持ったらば、教科書や用語辞典を繙き概略を得、関心あらば根掘り葉掘り調べてもよろしかろう。  が、その作業をしていてどうあっても、田中河内介に帰り着くならば、……これはもうやはり、河内介の祟りがまるで関係ない人にまで及んでいるンじゃぁないか、と不気味な想像が働く。  語っても聞いても祟られる、とは『残穢』の一節と記憶するが、わたくしは田中河内介の話を読んでいるといつも..

  • 第3352日目 〈初代円朝『怪談乳房榎』が読める。〉

     怪談落語の雄といえば、六代目三遊亭圓生である。三遊亭、つまり三遊派は初代三遊亭圓生を祖として今日まで錚々たる実力者をいつの世代にも輩出した、文化年間から令和まで続く名派。此度ご紹介する初代三遊亭円朝は六代目圓生から遡ること60年以上前にお江戸は湯島で産声をあげた。  三遊亭円朝は従来の人情噺のみならず、自身創作の筆を執って高座へ掛けた人。創作落語で最も有名かつ代名詞なのが怪談噺、つまり『真景累ヶ淵』、『怪談牡丹灯籠』と『怪談乳房榎』だ。  名作ゆえにこの3作、これまで何回となく各出版社から活字本が出版されてきた。ちかごろも2018/平成30年06月と07月、角川ソフィア文庫で刊行された。これ以前には岩波文庫で『牡丹灯籠』を除く2作が読めた。筑摩叢書の『円朝怪談集』では『怪談牡丹灯籠』と『怪談乳房榎』が収められていた(筑摩叢書87 筑摩書房 1967/08)。  学生時代に古本屋で購..

  • 第3351日目 〈未来を模索しよう。〉

     旧約聖書「箴言」にある、「働くものの渇望が、自分のために働く」(16:26)と。渇きを癒やすために人は働く。  好い言葉ではないか。企業側には願っても見ぬ人材あらわる、だ。目的はどうあれ、目の前に好物をぶら下げられたら、それを手に入れるため仕事に励むのは当然だろう。が、それは世情はどうあれ相応に安定した人生を送れる環境にある人ならば、てふ前提あってのこと。  昨日04月05日、ウクライナ避難民が政府専用機で到着した。テレヴィに映るかれらの顔には、安堵と疲労と不安が混じりあった色が浮かんでいる。言葉も習慣も異なるかれらが、兎角この、その実排他的で保守的な国でどう生きてゆくのか。  来日しても日々の糧は自分で得なくてはならないのだ。先の「箴言」はこう続く、「彼の口が、彼を駆り立てるからだ」と。食べるために働く、生きるために働く、という意味だ。  IS、過激派組織”イスラミック・ステイ..

  • 第3350日目 〈好奇心を失わない。〉

     知らなかったことを知る、調べて己のなかに蓄える。それが喜びの一つだ。  旧約聖書続編の読書に触発されたローマ帝国史ヘの関心。秋成の交友関係に名前を残す江戸文芸、学芸の才人たちの生涯と作品、その作風。  専らこの点にいま学ぶこと、知ること、蓄えること、の愉悦を感じている。  仕事の帰りに本屋で塩野七生の文庫を買った。帰宅して秋成交遊録の旧稿へ目を通した。わからぬこと、知らぬこと、納得ゆかぬ点、幾つもある。メモを取り、調べて知らなかったことを知り、蓄えて、一本の稿と成す。  大田南畝と秋成の間にあった清冽な交流録(新稿)はそうやって成る一本。お披露目できるはずだ。◆

  • 第3349日目 〈「読了」ツイートを本ブログに転載してゆきます。〉

     Twitterでは能う限り報告している「読了」報告。ブログには殆ど反映されぬ報告でもある。わたくしの意識ではあくまでTwitterはブログの補助ツールだ。されどTwitterで報告してもブログに反映されること、極めて僅か。  そんな不備解消を主目的に今後、本ブログでもTwitterで行った読了報告を転載してゆく。これまでドストエフスキーの短編でしか行ったことのない転載を、暫時実施してゆく。但し後日感想文となって昇華されたものはその限りでない。写真の転載も行わぬ。  また予めお断りしておくと、これは手抜きではない。統合、である。──これまで自分が書いてきた一切合財を本ブログに集約、最終的に統合してゆく、という。  明日以後、気儘に上記作業へ着手してゆくので、どうぞ宜しく。◆

  • 第3348日目 〈資料再蒐集収集の溜め息。(つうやき・なう)〉

     落ち着かぬ気持ちを宥めんと柏木如亭の詩集を読む。詩に詠われた地名から連想が働き、幕臣・国学者の詠歌へ至る。  斯くして一編のエッセイ、プロット成るも地名辞典、人物辞典、書物総目録の架蔵せざるに気附いて手痛さを覚える。  執筆のため好学のため神保町再訪予定。仕事の合間の資料再蒐集である。◆ 柏木如亭詩集 1 (東洋文庫0882)出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2020/09/30メディア: Kindle版 柏木如亭詩集 2 (東洋文庫0883)出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2020/09/30メディア: Kindle版 江戸漢詩選 ((下)) (岩波文庫 黄 285-2)出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2021/03/15メディア: 文庫

  • 第3347日目 〈連れ添ってくれる奥方様と、もうすぐ生まれてくる娘へ。〉

     いちねん前のブログ原稿を点検していて、ああもう1年が経ったのか、と感慨を深うせざるを得ませんでした。  エイプリル・フールのジョーク記事のつもりがやはり土壌はあったせいで間もなく現実となり、あの場にはびこっていたすべての淫悪、下人から遁れおおせて、いまは春の陽光のなかで過去を精算、切り棄てて得た代償──恩恵に身も心も浸してささやかな幸せを甘受できている。そうしていまは、お姫さまのお出ましを緊張しつつ待っています。  正直なところ、彼女はわたくしには過ぎたる存在であります。日常を共に営む盟友として、わずらわしくも務めねばならぬ世事に対する戦友として、仕事の疎ましさや憂鬱の愚痴を聞いてくれる慈母として、書き物のインスピレーションを与えてくれる女神として、およそ奥方様に優る女性があろうとは思えない。  生者のうちで1人だけ匹敵し得るのがいたけれど、自らの愚を白昼曝してわが人生から退場..

  • 第3346日目 〈日本語聖書・英訳聖書の各書物表記一覧。〉

     整理を兼ねて今日は聖書各巻の日本語書名に並べて、英語の表記を書き留めておきます。日本語書名は新共同訳に準じます。()内の表記は別称であります。 旧約聖書 Old Testament(Old Testament canon) 〈律法〉Torah、〈五書〉Pentateuch 創世記 Genesis 出エジプト記 Exodus レビ記 Leviticus 民数記 Numbers 申命記 Deuteronomy ヨシュア記 Joshua 士師記 Judges ルツ記 Ruth サムエル記・上 1 Samuel サムエル記・下 2 Samuel 列王記・上 1 Kings 列王記・下 2 Kings 歴代誌・上 1 Chronicles 歴代誌・下 2 Chronicles エズラ記 Ezra(1 Ezra) ネヘミヤ記 Nehemiah(2 Ezra..

  • 第3345日目 〈コールセンター業界へどっぷり浸かった10年間で体得したこと。〉

     役者さんと営業マン、コールセンターのオペレーターは似ている、という話をしたことがあります。また、コールセンターのオペレーターは探偵でもある、と。誰に? 馴染みのクラブのお嬢さんに。  こういうわけなのです。  与えられた役を演じる、素の自分ではない<誰か>を演じる。これが役者さんのお仕事です。営業マンも然り。自社製品を、自社取扱いサービスを売りこむためにかれらは仮面をかぶる。表情と声に磨きをかけ、相手の心理をたくみに操って成果へ結びつける。  これは、コールセンターのオペレーターにも当てはまることなのです。ただ、こちらの場合は顔の表情や身振り手振り、その場の空気というか相手との距離感に頼ることが難しい職種です。そのためにコールセンターの研修では必ずというてよいぐらい、「声の表情」と「受電中/待機中の姿勢」について口ウルサク指導されるわけです。  「受電中/待機中の姿勢」については..

  • 第3344日目 特別編 〈事後報告。〉

    呑んだくれてたったいま、帰宅したのだ。 関内から自宅まで約50分、たいしたことないな。 それにしても生物の帰巣本能の凄まじきよ。◆

  • 第3344日目 〈報告;「エズラ記(ラテン語)」原稿完成、第1回聖書読書完了。〉

     昨日20時21分を以て「エズラ記(ラテン語)」を、〈前夜〉を含めたPagesへの入力をすべて完了しました。やっと……!!  一部で「そこしか読んでいない」といわれる最後のエッセイはまだ書いていない。予約投稿直前に書くのが、昨年「一マカ」からの慣例になったかな。  とりあえず「エズラ記(ラテン語)」再読は、終わり。  嗚呼、ようやく本当の意味で、聖書読書が完了した。サンキー・サイ。  2回目の聖書読書がいつからになるか不明だけれど、今度はスタイルを変えて進めてゆくのも一興か、と思うているのであります。◆

  • 第3343日目 〈庄司浅水『私の聖書コレクション』を読みました。〉

     書物研究家、ノンフィクション作家として足跡を残した庄司浅水の、それ以外の顔をわたくしは知らない。本書で初めて知った次第である。  庄司は「1冊の本を選べ、と訊かれたら躊躇いなく「聖書」を選ぶ」という。浅水文庫に収まった聖書コレクションから、珍品稀品にまずは類する一品を選んで紹介したのが『私の聖書コレクション』(浅水文庫 1981/06 製本は奢灞都館の出版物を引き受けていた神戸・須川製本所である)だ。婚約の前年、奥方様から誕生日プレゼントに頂戴した1冊である。  〈大聖書展〉の簡易目録が挟みこまれている。神戸三ノ宮そごう新館を会場に開催された〈大聖書展〉(1981年6月)には、浅水コレクションからも出品された由。本書はおそらく、この展覧会にあわせて作成されたのだろう。限定500部。  浅水文庫の聖書コレクションは、他のキリスト教関係文献と共に立教大学へ収蔵されていると聞く。本書には..

  • 第3342日目 〈三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』を読みました。〉

     発売日に購入していながら「エズラ記(ラテン語)」再読ノートを優先させたため、読むのが数日遅れたいまになってしまった。まぁ、これでも最速の部類ですけれどね、わたくしには。  ──三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』を昨日午前、読了した。  めでたく栞子さんと大輔くんが結ばれて、智恵子さんとの確執も一応のピリオドが付けられて幕を閉じた第1部完結から5年。2人の間に生まれた一人娘、扉子がメインキャラクター(の1人)となって開幕した第2部も、本巻で早くも第3巻となる(巻数表示は第1部が算用数字であったのに対して第2部はローマ数字を採用)。或る意味で第1部以上に、これまでのどの巻よりもどす黒さの目立つ1巻となった。  今度の『ビブリア』は藤沢市の百貨店でむかしから開催されている古書市が主舞台。古書店の孫が相続するはずの蔵書約1000冊を頑なに処分するといって譲らない古書..

  • 第3341日目 〈昨日したこと、今日すること。〉

     行動記録は以下の通り、──  ○昨日(2022年03月27日)したこと。  01;午前中、「エズラ記(ラテン語)」再読ノート全章分をPageへ入力終了。厳密にいえば〈前夜〉が残っているが、今週中には第一稿を仕上げられるだろう。告知済みスケジュールに変更はない。  02;昼過ぎ以後、買ったままな小説を読み、録り溜めた映画を観る。  03;小説、『ビブリア古書堂の事件手帖Ⅲ 〜扉子と虚ろな夢〜』(メディアワークス文庫 2022/03)を読み始め。未だ第1章ながらいつものゆったりとした、居心地の良い空気に満たされた物語空間を懐かしく思いながら、安堵。今日、仕事から帰ってきたら続きを読もう。  04;午睡、夢→巨大な放水路を跨ぐ橋の歩道から。流れ落ちた水塊が水煙をあげて落ちる様を眺める。わたくし;そこから子供の転落死を目撃したことがある。その子供はわが娘らしい。橋の向こうの中層マン..

  • 第3340日目 〈栄光の記憶の欠片を拾い集めるようにして、わたくしは祈る。──ルカ伝「放蕩息子の帰還」に触発されて、〉

     部屋の片附けの際中に本を落とした。文庫サイズのフランシスコ会訳新約聖書。奥付には1989年06月改訂16刷とある。まだ「イエズス」と表記されていた時代。これは婚約者が没して1年に満たない夏、自分の意思で購入した初めての聖書だ。背表紙の金の箔押しは火事で燻されて、見る影もないけれど、まだ手許にある──開くことは殆どなくなったけれど。  拾いあげて偶然開いたのがルカ伝「放蕩息子」のページ。腰をおろして読んだ。知己の家族を想いながら。もう修復不可能な亀裂の入った、或る家族のことを想うて嗟嘆し、涙腺がどうになりそうなのを堪えながら。  放蕩息子のエピソードが好きだ。この喩え話を喩え話でなく、親が子を想う気持ちとは、を考えさせられる格好の題材であると知ったのは、まだそうむかしのことではない。  放蕩の末に財産を使い果たし、尾羽打ち枯らした姿で帰ってきた息子を迎え入れる父親の気持ちが、よくわか..

  • 第3339日目 〈遠藤周作と文化学院、断章・備忘。〉

     エッセイの仕込みのため、遠藤周作と文化学院の関わりを調べている。  遠藤周作は1954/昭和29年04月から文化学院の講師を務めた。年譜に照らし合わせれば遠藤の文化学院着任は、第33回芥川賞受賞作となる「白い人」発表前年のこと。  後年の教え子、山﨑博久に拠れば担当はフランス文学であった由。着任当初から仏文のみであったか、仏語も受け持っていたか、当時の講義目録が手許に揃っていないため未詳である。  エネルギッシュな講義であったらしい。講義に遅れて教室へ入ってきた学生には「出ていけっ!」と一喝したともいう。現在の料理研究家、平野レミが経験者である(『ド・レミの唄』P25-27 中央公論社 1976/05)。されども遠藤の気さくな人柄と談論風発な講義は遠藤が教壇を去ってだいぶ経ったあとまで、当時を知る教員や事務員たちの話題となっていたことを付記しておく。教え子たちが遠藤を囲む会を20年..

  • 第3338日目 〈こんな夢を見た(その9):〈グリーン版〉世界文学全集第2期と第3期のこと。〉

     河出書房からそのむかし、出ていた世界文学全集がある。いわゆる〈グリーン版〉と呼ばれる、全100巻の全集だ。河出書房、であり現在の、河出書房新社、ではない。  3期に分けられて刊行されたため、その編集方針の一貫性の欠如が指摘されているらしい。が、愛読した側にそんなことは余り関係ないのだ。  祖父が遺した第1期の欠落書目を埋めることが、20代のわたくしが古書店を渉猟する目的の1つだった。それは果たされ、満足した。  集めたあとは読むことが優先事項だ。が、問題は全部を読み終えたあとで、第2期、第3期に出された本は手許に殆どなく、かつては同じように古本屋の店頭で転がっていたのにそちらの蒐集へ意識が向くことも殆どなかった。手許に、読む本はなくなった。  では、と腰をあげて古書店・新古書店、ネット・オークション、ネット販売のサイト、等々覗いてみても最早それは品薄で、なかなか出物と呼ぶべきはな..

  • 第3337日目 〈Liella! 2nd LoveLive!, 於大阪城ホール。行ってきます!!〉

     Liella!の2nd LoveLive!、結ヶ丘ガールズバンド(軽音部!!)といっしょに06月04日と05日、大阪城ホールにて。YouTubeにて告知動画、視聴可能。  ……ちょうど業務の引き継ぎでその頃は大阪にいるな。奥方様と生後2カ月の娘と母には申し訳ないけれど、仕事にかこつけて参戦するか。  耳が心配だけれど、たぶん最初で最後のLiella!ライヴだろうから、心ゆくまで愉しんでくる!◆

  • 第3336日目 〈アニガサキまで、あと10日。〉

     公式ツイートがTLに流れてくる。気持ちが弾む。『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期スタートのカウントダウン、放送開始は来月04月02日から。  あと12日、あと11日、あと10日……。来週27日は直前スペシャルも。新キャラクターが登場して、新たな展開を見せてゆくアニガサキまで、あと10日。特番までは、あと5日。  公式ツイートをTLで見るたび煽られて、訳もわからずときめいてくる、妖しい気分になってくる。なんだろう、この、抑え難いざわめきは。  HDDの容量はたっぷり空けた。どんと来い。◆

  • 第3335日目 〈伊那の土地柄と井月と。〉

     生まれた土地、育った地域、暮らす環境が人にどのような作用を及ぼすのか。長じてどのような影響を与えてゆくのか。とても興味がある。上伊那の俳人、井月はどうか。  北村哲雄『俳人井月』(岩波現代全書 2015/03)に拠れば井月が定住した<南信>、つまり諏訪、上伊那、下伊那の人間気質について曰く、諏訪は生活風土の厳しさゆえ言葉も気性も荒い、上伊那は温暖な気候と天竜川沿いに開けた耕地の恩恵を受けてか人間が丸くのんびりしていて真面目である、下伊那は三州街道(伊那街道)から静岡や名古屋、関西圏の文化が入りこんで言葉も気質も他にくらべて柔らかい、と。  井月の出自は未詳だが、30代の頃から伊那を寝床とし、そこに根をおろした。句集を読んでいるとかれの俳諧は、芭蕉のように彫琢を重ねたというよりも、口から自然と零れ出てそのまま形を留めた日常句、と呼ぶ方がはるかに実像に近かろう。のんびりとした里の景観、人..

  • 第3334日目 〈『新 もういちど読む山川世界史』で世界史の学び直しをしています。〉

     世界史の知識がわたくしには欠落している。聖書を読み始めてそう痛感した。中高のテスト範囲になるような事柄──四大文明の発生とかコロンブスのアメリカ大陸発見とか、ローマ帝国が最終的に東と西に分裂した、とかね──は覚えていても、まずそれを整理できていない。イコール、必要なときにその知識を取り出すことができない、ということ。  アカンなぁ、と思い思いしつつ、これまで学び直しの機会を設けることはなかった。イギリスやヴェトナムの歴史の本は、文化史や言語史にまで手を出し何冊となく読み耽り、聖書を読み始めてからは古代オリエント史やローマ史を参考文献に開くことも多くなったのに、である。地域ごとの歴史は或る程度まで把握しても俯瞰した世界史となると、途端に時系列が怪しくなり、事件や出来事についても輪郭さえおぼつかなくなる、という為体なのだ。  幸いにして、いまは春。雪は解け、ヒバリ囀り梅の花開いて、心地良..

  • 第3333日目 〈旧約聖書続編の面白さを、これからも伝えてゆきたい〉

     旧約聖書続編の面白さ、正典(旧新約聖書)に負けず劣らずの内容の幅広さ、そこで語られる<はなし>の深さ、思わず笑ってしまったり、もの侘しくなったり、感動してしまうような書物や場面のあることを、どうやって伝えればいいだろう?  やはりブログで地道に話してゆく他ないか。逸話・挿話の紹介、些細な記述から生まれる疑問、1つの記述の背景となる歴史、などなど……。これまでと同じく気附いたことを書き留め、文章としてゆくのを繰り返すよりないか。  余りにも──旧約聖書続編にかんして内容紹介、読書の助けとなる本は余りにもすくない。榊原康夫、土岐健治、秦剛平、各氏の著作だけが補助教材となり得るも、あくまで旧約聖書続編として新共同訳聖書(現在は、聖書協会共同訳も、か)に収まる書物、或いは旧約外典・偽典として括られる各書物の概説が中心で、内容の一々へ詳細に立ち入ったものでは残念ながら、ない。  となると、い..

  • 第3332日目 〈迷いは吹っ切れた。〉

     ずっと迷っていた。  未来の可能性の様々を、結婚によって奥方様から奪ってしまったのではないか、と。本人へ訊くことは流石にできず、そのまま悶々と、胸中の障りとなってその慚愧の想いは燻り続けていた。  が、いまは情勢が百八十度、変わってしまった。ロシアのウクライナ侵攻である。激しさは増す一方だ。在職していたら果たして帰国できていたかどうか……。  もう迷いはない。彼女の選択に間違いはなかった。  不謹慎かもしれないが、いま隣で、間もなく出産予定の大きなお腹を撫でながら本を読んでいる奥方様を見て、安堵に胸を撫でおろしている、というのが本当である。◆

  • 第3331日目 〈3月の地震は、他の月の地震よりもゾッとさせられる。〉

     あ、来るな。かすかな地響きが遠くからやって来る。する内、揺れが大きくなり、シャッターが小さな金属音を立てて揺れ、家屋の骨組みが軋んで元に戻ろうとする音が地唸りの向こうに聞こえてくる。本の山が傾ぐが、絶妙なバランスで崩壊する一歩手前で踏み留まっている。  否応なく11年前を思い出す。どうしてここばかり……という住民の声が新聞で紹介されていた。皆が同じことを思うている。どうして、どうして、と。  2022/令和4年03月16日(水)23時36分頃。震源地、福島県沖。マグニチュード7.4、最大震度6強。東松島市と仙台市はそれぞれ震度6弱、震度5強。神奈川県西部;震度4。  揺れは一旦収まり、すぐあとに本震が来た。これは長い時間揺れて、幅も大きかった。関西でも小さいけれど体感できた、という。緊急地震速報は2度とも鳴らなかった。やばいね。  翌朝。朝刊を読み、ニュースを見、夕刊を読む。東北..

  • 第3330日目 〈「エズラ記(ラテン語)」再読、終了の報告。〉

     「エズラ記(ラテン語)」再読が昨日昼を以て全章、完了した。場所は、所縁あるスターバックス某店。──いまの気持ちは、安堵。否。脱力状態が正しいか。  第5章以後は未だモレスキンのノートのなかにある。明日は1日休んで聖書のことなぞ考えず過ごそう。明後日からPagesに順次入力、感想を清書して、という作業に取り掛かろう。或る意味でこれがいちばんの憂鬱事であり、いちばんの難所だな。  が、中途半端のままで終わらせるよりは今後の推敲が、どれだけ果てなきものになろうとも完成させていあるだけでまったく事態は変わってくる。もっとも、初稿があがっているからこその怠惰も考えられよう。まだ気を緩めることはできない。  とはいえ先日お話ししたお披露目開始のスケジュールは、延期などしなくて済みそうである。まずはホッ、と一息。  どうにか全章を読了し得たいま、旧約聖書続編に収まる諸書でもこの「エズラ記(ラテ..

  • 第3329日目 〈パウロの福音伝道の原動力になったもの。〉

     執念が実ったから、歴史が動いた。パウロがユダヤからローマへ福音を宣べ伝える辛苦の旅に挫折することがなかったから、<ユダヤ教ナザレ派>の福音は帝国の中枢へ入りこんで<キリスト教>へ成長してゆき、やがて皇帝の認可の下、世界へ伝播してゆく足掛かりを得た。  ──初期キリスト教の発展の歴史を極めて大雑把に述べれば、こんな風になると思います。  この発展の歴史の、扇の要というべきはパウロの、キリストを一心に求め敬う信仰の揺るぎなさ、狡猾さと妥協ぶりに求められましょう。「使徒言行録」を繙いても、エルサレムの使徒集団との対立と妥協、伝道旅行で立ち寄った地での迫害(無理解)とその地の人たちの改宗、ローマ行きの機会が得られるまで牢獄で過ごしたあたりなど、その片鱗が窺えると思います。  最初パウロはサウロとしてユダヤ教ナザレ派を迫害する側にあった(ステファノ殉教の場にも、かれはいた)。それがゆえにダマ..

  • 第3328日目 〈旅はまだまだ終わらない。〉

     未だ以てペテロ殉教について調べの付かぬ点がある。古来伝えられるところでは使徒ペテロはローマで逆さ十字架の刑に処せられた、という。逆さ十字架の刑を望んだのは、「師イエスと同じ方法で処刑されるに自分は値しない」とペテロ自身の申告があったから。  成る程、と思い、ペテロへ関心を向けるようになっていちばんに調べたのは、この処刑にまつわるエピソードだった。  その頃は参考文献と呼ぶべきものも然程架蔵していないし、図書館で繙くのも旧新約聖書及び続編の註解書や概説書、成立史や時代背景を語った本が精々で。そのなかに偶さかペテロ殉教の記述を見出しても、上述エピソードが出典、典拠の記載なく紹介されるばかり。研究者への道を歩みかけたことのある身には片手落ちにしか映らぬ処置だ。これでは納得がいかないのである。  当時に比べれば参考文献と呼んでよかろう本もすこしずつ手許に揃って来、図書館や書店で神学や聖者列..

  • 第3327日目 〈「エズラ記(ラテン語)」再読書ノートのお披露目について。〉

     お知らせ;04月11日(月)もしくは12日(火)の午前02時から、〈「エズラ記(ラテン語)」〈前夜〉〉を以て同書再読書ノートのお披露目を開始する。現時点で第9章1/2までのノートが終わり、中間点を超えて先の見通しがだいぶはっきりとした。このあたりが本書最大の難所であった、と個人的には感じているが、果たしてどうだろうか。  今後は1日1章の原則でノートを執って然る後Pagesへ入力、本文を改訂しつつメモ状態の感想を仕上げたあと余白のエッセイを綴る。これを繰り返してゆき、全章のノートが終えたあと〈前夜〉を執筆。あとはお披露目を待つのみ、となる。余裕を相当に持たせての上記日程ゆえ、2日3日の余裕は生まれるだろう。そう信じたい。  前回は途中で音をあげて、しかし中途で放り出すことも出来なかったため、手に余る本書を結構乱暴な手段で終わらせた。全文を引いてノートの労を省き、感想を書き連ねて諒とし..

  • 第3326日目 〈もういちど観たい海外ドラマは、これ!〉

     スカパー! の番組表を眺めていて、「これはっ!」と思うてチャンネルを選んだらエンドロールが流れていた。こんな経験が何度もある。  『Xファイル 完全版』が直近の経験となるが……これはまぁ、見逃しても良かったか。だって字幕だもん。やはりわれらの世代に『Xファイル』はテレビ朝日版の吹替しかあり得ない。風間杜夫のモルダー捜査官と戸田恵子のスカリー捜査官でなくてはならぬ。というわけでWOWOW、スターチャンネル、もしくはスーパードラマTV! のいずれかに『Xファイル』全話完全放送をお願いしたい。  これを機会に(もういちど)観たい海外ドラマを考えた。倩考えた。そうして、納得のリストができあがった。以下、──  01;シャーロック・ホームズの冒険;NHK綜合初放送版。放送時間の都合でカットされた場面ありのヴァージョン、でもある。吹替保管版は馴れぬうちは「興醒め」の一言。  02;特攻野郎A..

  • 第3325日目 〈交通費に頼ってはいけない。〉

     通勤時間5分、移動手段;徒歩。「恵まれているなぁ!」と叫ぶ同僚もあるが、こちらにしてみれば「なにをか況んや」である。電車に乗りたい、ではない。本が読めない、でもない。あれ、逆? まぁ、いいか。されどまったく「なにをか況んや」なのだ。  ギリギリまで家にいられる、という利点こそあれ、公休日に買い物などで出掛けた際、上司同僚部下等々に出喰わすとなっては、いったいなんの休日か。  交通費が支給されないのも痛いよね。残業代同様、やがて確実になくなる会社支給の1つでもあるこれをわたくしは、不労所得として扱うことにしている。金融機関に預けっぱなしとなる収入──いい換えれば、「実際にはあるけれど、ないものとして考える」支給額の一部、ということだ。  賞与がない分、本多博士式に雑所得として考えるようにしている1つが、この交通費である。というか交通費(や残業代)を考慮に入れた支給総額に基づいた生活設..

  • 第3324日目 〈公共交通機関を使わない通勤の、唯一の恩恵。〉

     昨日の話の続き。  これまで通勤電車を読書のためのスペース、そのための時間、と捉えてきたから本を読むことが出来た。その、公共交通機関を用いた通勤時間がなくなってしまったことで、読書する時間が著しく減り、消化する数も減った、というのが昨日の要約である。  ただこれには唯一の恩恵というものがあった。当初は気附かなかったが最近になって「そういえば」と思うようになったのだ。それが、目の疲れの軽減、である。  寄る年波には勝てない、というとなんだか敗残者めいて厭だが、このところ根を詰めて本や資料を読んだり、或いはすこし長い時間書き物をしていると、どうにも視界がぼやけてならない。痛くなってくる場合もある。  目がそんな状態になると、文字はかすれて輪郭もはっきりしなくなる。殊最近は「エズ・ラ」を読んでいる関係で、引用や感想などで「節」を記そうと確認すると、小さく印刷された数字がすぐに読み取れな..

  • 第3323日目 〈読書リズムを狂わせるに十分すぎる通勤環境。〉

     読書がまったく捗らなくなった。何年かに一度の由々しき事態到来、である。新調したばかりの布製ブックカバーに収まるのは、吉川英治『新編忠臣蔵』上巻である。読めない本、というのも、これ、なのだ。  吉川英治といえばかつて令名を馳せた歴史時代小説の巨星、ページタナーとしてはジャンル最上位の人。この人の小説を読み止してそのままなんて、正気の沙汰ではない。いい過ぎだろうか。否、そうは思わぬ。ほぼ等しい、というが譲歩の限界だ。  読めなくなった原因はわかっている。公共の交通機関を使っての通勤時間がなくなったためだ。そのために、鞄へひそませた文庫を開くことがなくなってしまった。通勤時間5分、移動経路;徒歩。これはねえ、モナミ、読書リズムを狂わせるにじゅうぶんですよ。昼休憩は家に帰ってご飯食べているしね。  次のコールセンターの現場は、電車を使って片道30分ぐらいの場所にしてもらおう。本を読めないの..

  • 第3322日目 〈こんな付箋のことなんて、すっかり忘れていた──折口信夫と信州の本。〉

     間もなくやって来るお嬢さんのための家内の片附けを休められない。殆ど作業は終わっているとはいえ、小さな所が気になりだすと自分で修繕している。知る業者さんを呼んでも構わぬがお金がかかる。些少な箇所のためにわざわざ足をお運びいただく必要もあるまい。  むかし取った杵柄、ともいう。不動産会社に就職したての頃に内覧や引渡し前の小さな修繕を、建設会社の現場監督さんに教わりながらやっていて良かった、といまになって初めて本心から思う。作業中の姿をまだ中学生の奥方様に見られたときは、心なしか恥ずかしかったけれどね。  閑話休題。作業の手を休めて溢れる本をどうにかしようと部屋へ行き(作業中にまた本が届いた!)、片附けを始めようと最初に手にした本が悪かった。芸能学会・編『折口信夫の世界』(岩崎美術社 1992/07)と今井武志・著/信濃毎日新聞社・編『折口信夫と信濃』(信濃毎日新聞社 1973/10)てふ..

  • 第3321日目 〈Everything is everything, But you're missing.〉

     あの日の夕暮れを覚えている。  夕暮れのなかの光景を覚えている。  いちばん大切なものを置き去りにしてきた。  置き去りにしたせいでいまも彷徨っている。  ぜんぶ揃っているのに、あなただけがいない。  あなたがいないのに、ぜんぶ揃っている。◆

  • 第3320日目 〈まだ命ある間に、近世怪談の現代語訳集をまとめたい。〉

     近頃のえげつないホラー小説と称すものはどうにもムシが好かんので、このジャンルの読書は自ずと実話怪談に転換するか、過去の作物へ向かうことになる。実話怪談はいま隆盛を極めておりますが、むしろ何度目かのブームを迎えて沈静化しつつある時期、と現在を考えてよかろうと思います。だからこそ、いまの群雄割拠から然るべき作家、作品だけが生き残ってゆく熾烈な時代を、これから迎えてゆくことでありましょう。  30代のとき川崎の古本屋で平井呈一編・訳『屍衣の花嫁』を入手して以来これを貪り読むばかりでなく、当時話題になって映像化もされた『新耳袋』を買ったり同僚から借りたりして夢中になって享受した覚えがあります。たぶんそこが発火点になって、いま実話怪談を読んでいる。  小説についていえば学生時代に『怪奇小説傑作集』全5巻を皮切りに神保町と高田馬場の古本屋を講義をサボってほっつき歩き、むかしの『ミステリ・マガジン..

  • 第3319日目 〈この世界が許してくれる間は、あなたと一緒にいたいのです。〉

     もう臨月を迎える奥方様。新米パパは不安でならない。バツイチ子あり、ならこの不安、幾らか軽減されるのだろうが、これまで血を継ぐ者を持ったことがないのだ。  とはいうてもこの新米パパの不安、とは、初めて子供を持つ父親が等しく抱える不安をいうのではない。不安というよりも、無念という方が正確かもしれぬ。わたくしは恐らくこの子が成人するまで、否、高校卒業の年齢までさえ生きていられないのだろう。花嫁姿を見ること、孫を抱くこと、いずれも夢のまた夢。根拠なき感傷的な話ではない。  老いてから子供を持つものではない。世間の父親が普通に甘受できる、子供の成長を見守ることが、わたくしには許されていないようである。公王陛下ではないが、まさしく、老いてから子供を持つものではない。そこには淋しさと悲しみしか存在しないのだ。とはいえ、──  その日が来るまで、父は君のそばにいよう。あなたが育ってゆく姿を見られる..

  • 第3318日目 〈「エズラ記(ラテン語)」は、どうノートしたら良いだろう?〉

     最近思うところあって藤沢周平も立川文庫も脇に置いて、荒俣宏『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』と『平井呈一 生涯とその作品』を読み耽っている。「エズラ記(ラテン語)」の再読ノートが早くも暗礁に乗りあげてしまったのが原因だ。  両者に関係が? 見かけの上ではなにも、ない。ただ、内容のノートを記すにあたってどのように書けばいいかな、どう書けばすっきりするかな、どんな文体ならわかりやすくなるかな、と思案に暮れだしたらド壺に嵌まりこんで、二進も三進もいかなくなったのだ。  昨夜も遅い時間まで、詰まってしまった章;第4章を睨みつけるようにして、読んでいた。シャープペンで書きこみしたり、フリクションボールで喩え話を囲ってみたりしてね。  内容はさすがに整理ができてきた(併せて手許の参考文献が殆ど役に立たないことも判明した)。あとは、エズラ/サラティエルと天使ウリエルの神学問答を、どう書けばすっきり..

  • 第3317日目 〈アポリクファ附き英訳聖書を買いますよ。〉

     独り語り、問はず語りをさせていただきます。  ようやく「エズラ記(ラテン語)」の再読を始めたことを、既に本ブログでも、またTwitterでも、一部の人たちには直接お伝えしておりますが、此度読み始めてからずっと心の片隅にあって、なかなか払拭し切れていない悩み、があります。アポリクファ附きの英訳聖書を買うか否か。  「アポリクファ」を馴染みある日本語に置き換えれば、「旧約聖書続編」。「外典」、「第二正典」の意味でもある。最初に聖書を読み始めたときからアポリクファはあって当然の存在でしたので、外国語訳の聖書も手許に置くならまずはアポリクファ附き、と決めておったのです。  いや、既に外国語訳聖書というのは持っているのですが、いずれも自分の意思で所有したものではなく、プレゼントであったり拾い物であったり、というのが実際のところ。手許に置くなら云々とは自分の意思で購入を決めて折に触れ繙く聖書、..

  • 第3316日目 〈いまや講談本を読みこなす能力すらなき人が増えたのか。〉

     『用心棒日月抄』から横道にそれた赤穂義士への興味は未だ立川文庫『大石内蔵助』で留まっている。読み倦ねているのでは、ない。面白いからこそ、なのだ。  むかしの講談本ゆえ読み初め当初はなかなか入りこんでゆけなかった。しかし、それはけっきょく「馴れ」と「忍耐」の問題であって、或る程度まで進んだらば途端に氷解する話であった。  すべての物語にはやがて終わりが来る。しかも歴史上有名な事件を取り扱った物語が為主要な経緯も顛末もすべてわかっている。それでも、面白い、読み進めるのが勿体なく感じるのは、偏に子供が与えられたお菓子を食べ惜しむが如くこれを読んでいるからに他ならない。  本書は最近の日本語読解力・書く能力を根本的に欠いたSNS依存の厨房が造作なく読み解けるような類の話では残念ながらないだろう。そもいまや忠臣蔵と赤穂義士もしくは赤穂浪士がまったく別物と思うている人もある程だ(中学高校の日本..

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