山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
福岡県筑豊地方の中心地直方市の玄関口「直方駅」です。若松行の普通列車 4番線ホームに停車中の列車は、筑豊本線直方始発7時03分若松行。若松着は7時55分、24.8kmで50分余りの行程、朝の通勤列車です。とはいえ、ゆったりした風景ですね。 つ
山陽本線姫路駅姫新線ホームに、郵便、荷物扱いの普通列車が停車中。1両目がキハユニ26形合造車で、手荷物業務中ですね。 地上駅時代、国宝「姫路城」と対峙する駅本屋改札正面1番線の姫新線乗り場、列車は、山陽本線下り方向に出発します。 一方、播但線乗り場は反対側
大阪駅に乗り入れていた福知山線気動車列車です。キロハ26形合造車改造のキハ26形300番台305号車。 もとグリーン席は転換クロスシートのままでした。完成したばかりの阪急梅田新駅と、大阪駅を結ぶ歩道橋が見えます。 上の写真、奥にキハ26形300番台がかろうじて確認でき
山陰本線の旧線時代の保津峡駅です。保津川と山の斜面に挟まれた山間の交換可能駅で、周囲は緑の山に囲まれていました。駅前は吊り橋で対岸の道路と結ばれていました。京都方面からやってきた沢山の観光客で賑わいを見せる保津峡駅。 対向列車は、おそらく浜坂駅始発4時44
極寒の1月の辰野駅。窓ガラスが曇り、外を見る為に手でこすっていた様子。 上り急行「アルプス」5号は、糸魚川駅8時10分発(糸魚川~南小谷間普通)のディーゼル急行。小淵沢駅で小海線からの急行「八ヶ岳」を併結、新宿着15時49分。キロ58 5 勾配線用のグリーン車です
飯山線の飯山駅だと思います。キハ55系の旧塗装車(急行色) つづく
旧駅時代の塩尻駅にやってきた気動車急行「赤倉」堂々の12両編成。轟音が構内に響き渡ります。 名古屋始発11時00分、新潟着19時34分、基本10両編成。塩尻駅で向きを変え、松本方面に向かいます。旧駅は、中央東線と西線が真っすぐ繋がっていて、東線から松本方面に乗入れ
野辺山駅の次の駅「信濃川上」駅。交換する上り列車と下り貨物列車(?)がいます。 右の貨物ホームには、山のように袋が積まれていますね。信濃川上駅の名の由来は、東側に千曲川が流れている為でしょうか?千曲川は、日本最長の信濃川の上流、長野県内の呼び名で、この
日本一標高の高い駅小海線野辺山駅付近です。八ヶ岳高原を行くキハ52形他普通3両編成。 キハ52形は、勾配線用の2エンジン(DMH17)180㎰×2の両運車です。普通列車は、小渕沢~小諸間79.8㎞を約3時間弱で走りました。 つづく
中央本線と小海線の分岐駅、小淵沢駅。小海線ホームに停車中の循環急行「のべやま」 小海線には、急行「アルプス」に併結して小海線を往復する急行「八ヶ岳」と長野始発着で信越本線時計周りの急行「のべやま」、中央本線半時計周りの急行「すわ」が運転されていました。
八高線が長く非電化区間だった八王子駅では首都圏のナンバーワン通勤路線で常に混雑する中央線ホームととなり合わせの八高線ホーム。こちらはひっそりとしていていかにもローカル線の雰囲気が対照的でおもしろかったのですが、現在は中央線上りホームとなり面影はありませ
1978年の金沢駅はまだ地平駅時代で、能登方面の七尾線乗り場は0A、0B番線でした。 右は、急行「能登路」6号309D 金沢駅14時09分発輪島行、珠洲行、蛸島行。この列車は途中穴水駅で分割、急行珠洲行4409D16時02分発、急行輪島行309D16時04分発、普通蛸島行431D16時23分
酒田駅0番線ホーム、陸羽西線方面乗り場です。行先案内板に山形行や上野行の文字も見え、優等列車の発着が行われていました。陸羽西線普通17時26分発新庄行、幌やスノープローに雪が残っています。 上の写真のキハ22形はキハ20系寒地用車両で、デッキ式の乗降口に小さな二
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山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年代初頭、尾久客車区には多くの客車の姿がありました。奥からピカピカの12系、旧型グリーン車、10系寝台車等。見えづらいですが、オシ35形がいます。 品川もそうでしたが、車庫は鉄道ファンにとっては宝箱のようなものでした。 つづく
東北本線最初の停車駅尾久駅、読みは「オク」ですが、よくありがちな現象で、地元ではこの辺りを「オグ」というようです。東北本線の夜行急行列車が通過。 終着駅を控え、車内は身支度を整えた乗客がデッキにあつまっているのでしょうね?左の留置線は尾久客車区で、広大
当時の団体用客車列車ですが、残念ながら列車は不明です。オールスロ62形っぽい、クーラーにリクライニングシートの豪華な団体列車。所謂「お座敷」客車です。 オハ61系改造のお座敷客車で1両のみ、団体用として定期列車に増結されたレア車両です。のちにお座敷車両はグリ
1977年当時の信越本線の普通列車は電化によって、客車列車から70系+戦前型や80系の電車に替わっていました。クハ68023号車、関西で活躍した42系クロハ58形の改造車です。窓配置がカオス! 軽井沢駅にて早朝、長野に向かう70系普通列車の車
信越本線が、本来の路線を保っていた1970年代。2両組で、横軽補機を務めていた「山男」EF63形。 軽井沢駅にて この頃は、どちらかというと観光に傾いていた時期(汗)でした。なので「これだけかい!」と、今は本当に悔
1977年の信州旅行の時に寄った長野駅です。スカ色クハ68形(?)後ろは70系です。 スノープローを装着していますが、季節は夏です。軽井沢から乗車した普通列車だと思います。 つづく
伊豆急行といえば、多くの人が「リゾート21」2100系を思い浮かべると思いますが、登場当時、あまりにも豪華な普通列車に目を奪われたものですね。2100系R1編成 6両編成の時の写真です。全5編成製造された内、R1、R2編成は、足回りを100系から流用していました。憧れの展
観光鉄道としてなじみ深い伊豆急行には、電気機関車も在籍していました。1963年に国鉄(現JR)から譲り受けたED2511号機です。有蓋貨車1両を牽引する姿が可愛い、ED2511号機。後ろに、183系特急「あまぎ」車両が留置中ですね。 ED2511号機は、1944年製造の国鉄ED30形で、
伊豆急行線はJR伊東線の終点伊東駅から伊豆急下田駅までですが、列車は、伊東線の起点熱海駅~伊豆急下田駅間を通して運転されます。伊豆高原駅にて 前2両は1000系で冷房完備の転換クロスシート車で、後ろ4両が100系です。100系の車内。 ロングシートにも、灰皿がありま
1961年(昭和36年)12月に静岡県の伊豆半島の東海岸に開通した伊豆急行。伊東駅~下田駅間約45㎞で、元々国鉄の未成線で、国鉄は1938年に伊東まで開業して以来、工事が進みませんでした。 そこで、国際的な観光資源として東急が名乗りを上げ1959年の免許を取得、建設
現在は、みなとみらい地区の遊歩道となっている旧貨物線を走りました。赤レンガ倉庫の脇を行く臨時列車。 つづく
昭和55年(1980年)横浜港開港120周年を記念して、現在のみなとみらい地区で運行されたSL列車がありました。C58 1号機まだ一帯は、工場地帯でした。 1980年6月中旬、列車は高島線東横浜~山下ふ頭間をはしりました。 つづく
E71形は、大正11年アメリカWH社製ED10形で、東海道線等で使われ1962年旧国鉄から譲渡されました。場所は保谷駅でしょうか? 現在は、横瀬で旧番ED10 2号機に戻され静態保存されています。他にE11形、E21形、E61形が在籍、西武の旧形電気機関車は戦後1980年代まで活躍
E51形は元国鉄ED12形で、大正12年スイスBBC社製。1,400㎜の動輪が特徴ですが、写真ではわかりません。(汗)池袋駅で、入替作業中のE51形。 現在は、E52号機が横瀬に静態保存されています。 つづく
かつて、貨物輸送が盛んだった西武鉄道には、数々の貴重なELが在籍していました。E41形42号機 E41形は、旧青梅鉄道の英国イングリッシュエレクトリック社製輸入機で4両が在籍していました。買収で国鉄1010形となり、そのまま譲渡されたのがE41、E42で出力は127×4kw。ED36
1977年、田園都市線は新玉川線に直通運転を開始します。(田・玉線時代)つきみ野行の8621編成、前から3両目はクハ8000形です。 このころは、新造された田園都市線用8500系に8000系改造車を挟んだ6両編成が多くみられました。 その後、続々入線する8500系車両に入れ替わ
昭和40年代に製造され田園都市線に投入された支線用東急7200系。その内、デハ7200号車とクハ7500号車の2両は東急では異端のアルミ試作車でした。以前の子供の国線の記事と前後してしまいましたね。(汗)大井町駅に停車中のクハ7500他。 重量は驚異の17.9tだったとか。長
東急田園都市線に新玉川線直通以前の1973年、新製投入された8000系5次車。宮前平~鷺沼間を行く8047F4両編成。 18m車ばかりの田園都市線に投入された20m車8043~8051Fは、冷房編成で、デハ8100は8000系列唯一の2パンタでした。(後に編成替えで1パン化)
田園都市線鷺沼駅に隣接する東京メトロ半蔵門線鷺沼検車区、ここはかつて田園都市線(大井町起点時代)の車庫でした。17m、18m車で溢れる鷺沼検車区。6000系や緑の旧形車もいます。 つづく
最近、京急電鉄で運転されているラッピング列車を2つ。「鈴木敏夫とジブリ展」ラッピング列車 1201編成の側面に「千と千尋の神隠し」の千尋とカオナシがラッピンッグされています。2024年4月29日(日・祝)~6月15日(土)まで運行されています。「ハッピーターントレイン
京急と台湾観光局による台湾観光特別ラッピング列車「ビビビビ!台湾」号を2024年6月7日から運転を開始しました。品川駅ホームにて、式典が行われたようです。1025Fが使用されました。各扉に、「台湾」の絵文字 がラッピングされています。 2016年のブルースカイトレイ
JR横浜線と東急田園都市線が接続する長津田駅から出ている「こどもの国線」 こどもの国線は、東急電鉄の路線ではありません。みなとみらい線と同じ「横浜高速鉄道」の路線で、東急は運営を行っています。 写真の車両は7200系ですが、幕板にコルゲートがない唯一のアルミ
東急田園都市線(現大井町線)大井町駅にて。梶ヶ谷行の5017ほか4両編成(?) 廃車後各地の鉄道で、第二の人生を送った東急青ガエル5000系ですが、写真のデハ5017号車は、デハ5018号車とともに昭和61年上田交通に譲渡されモハ5003とクハ5053になりました。