山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
JR東日本の相模線は神奈川県茅ケ崎駅と橋本駅を結ぶ路線です。平成初期に全線電化されるまで、キハ35系等が走っていました。晩年は首都圏色(朱色)からクリームに青帯の地域色を纏っていました。相武台下駅付近を行くキハ11+キハ35+キハ36。 上の写真の道路は、今は拡
三浦海岸駅に停車中の快速特急品川行二代目600形です。種別幕があるのに、種別板を掲げているおおらかさがいいですね。 4両化が行われた頃の613編成です。この時、前照灯がセミシールドビームからシールドビームに変わり、方向幕、種別幕が設置されました。また、パンタグ
浦賀駅ホームに留置中の旧1000形。 街中を疾走する印象の京急らしくないのどかな風景といえますね。浦賀駅に入線するデハ409編成普通列車。 折返しは、文庫行になりました。正面窓に取り付けるタイプの方向幕は、京急の十八番でした。 つづく
京急本線の終点、浦賀駅付近です。 造船の町、港町の駅であるのに、まるで山間の雰囲気を漂わせているところがこの浦賀駅の魅力です。 頭端式で、かつては2面3線の趣のある終着駅でした。金沢文庫行の普通列車。 品川発逗子海岸行普通を補完する本線普通列車で、上の写
1988年頃の横須賀中央駅です。創立90周年記念ラッピングの2000形が見えます。入線する2000形快速特急品川行。 つづく
ある休日、新横浜止まりの目黒線急行で同駅に到着すると通常折返しは中線に入るところ、この日は1番線に入線しました。中線には、西高島平行急行が停車中で、4番線には目黒線の相鉄線直通西高島平行(?)がいました。折返し回送になりました。なんと、3線全部目黒線急行
先日乗車した京急1500形の、優先席を見ると床にその表示が張られていました。 何か、腰かけている人に読ませる向きなんですね。最近よくある優先席スペースいっぱいに表示されているタイプは、「ここには入るなよ」というイメージに対し、こちらは、対象の人が来たら「換
金沢検車区付近で見かけた、普通に見えるけどレアな編成です。1073編成と元非貫通初期車の6両編成です。 一見当たり前のように見えますが、1000形は普通運用では通常4両編成でした。また1000形は6両固定、6両+2両、4両+4両で都営線直通および快速特急運用に就いていました
京急品川駅付近連続立体交差事業の目玉工事ともいえる、八ツ山橋梁架け替えですが仮設トラスに続き本設トラスの全容が見えてきました。 前回1月初めでは、まだごく一部でしたが現在は、巨大なトラス鋼体が組みあがっていました。 右の仮設トラスと仮接合され、JR線上に押
金沢検車区続きです。801-1編成オリジナルスタイル。 本線3両編成普通列車は、寂しすぎます(笑)801-1編成は、側窓が熱線吸収ガラスでカーテンを廃止、また見た目は鏡のようでした。室内は寒色系一辺倒の京急車両の中で、暖色系を採用していました。後に、802-1編成と固
金沢検車区にいた気になるクロスシート車両を、横から。デハ616号車 東急/東洋 M2車は、一部を除き分散式クーラーを搭載。デハ615号車 東急/東洋 M1車は集中式クーラーを搭載。サハ2045号車 川重 集団見合い型シートがわかります。 つづ
金沢検車区付近から。二代目600形快特久里浜行、正面窓で銀色に光っているのは日除けのフィルムです。ヒートポンプ式冷房車(パンタの無い車両) 川車/三菱製の編成633Fと637Fは、M2社の屋根に冷房機がありません。その634、636、638、640号車は、小田急3100形と同じヒー
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山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年代初頭、尾久客車区には多くの客車の姿がありました。奥からピカピカの12系、旧型グリーン車、10系寝台車等。見えづらいですが、オシ35形がいます。 品川もそうでしたが、車庫は鉄道ファンにとっては宝箱のようなものでした。 つづく
東北本線最初の停車駅尾久駅、読みは「オク」ですが、よくありがちな現象で、地元ではこの辺りを「オグ」というようです。東北本線の夜行急行列車が通過。 終着駅を控え、車内は身支度を整えた乗客がデッキにあつまっているのでしょうね?左の留置線は尾久客車区で、広大
当時の団体用客車列車ですが、残念ながら列車は不明です。オールスロ62形っぽい、クーラーにリクライニングシートの豪華な団体列車。所謂「お座敷」客車です。 オハ61系改造のお座敷客車で1両のみ、団体用として定期列車に増結されたレア車両です。のちにお座敷車両はグリ
1977年当時の信越本線の普通列車は電化によって、客車列車から70系+戦前型や80系の電車に替わっていました。クハ68023号車、関西で活躍した42系クロハ58形の改造車です。窓配置がカオス! 軽井沢駅にて早朝、長野に向かう70系普通列車の車
信越本線が、本来の路線を保っていた1970年代。2両組で、横軽補機を務めていた「山男」EF63形。 軽井沢駅にて この頃は、どちらかというと観光に傾いていた時期(汗)でした。なので「これだけかい!」と、今は本当に悔
1977年の信州旅行の時に寄った長野駅です。スカ色クハ68形(?)後ろは70系です。 スノープローを装着していますが、季節は夏です。軽井沢から乗車した普通列車だと思います。 つづく
伊豆急行といえば、多くの人が「リゾート21」2100系を思い浮かべると思いますが、登場当時、あまりにも豪華な普通列車に目を奪われたものですね。2100系R1編成 6両編成の時の写真です。全5編成製造された内、R1、R2編成は、足回りを100系から流用していました。憧れの展
観光鉄道としてなじみ深い伊豆急行には、電気機関車も在籍していました。1963年に国鉄(現JR)から譲り受けたED2511号機です。有蓋貨車1両を牽引する姿が可愛い、ED2511号機。後ろに、183系特急「あまぎ」車両が留置中ですね。 ED2511号機は、1944年製造の国鉄ED30形で、
伊豆急行線はJR伊東線の終点伊東駅から伊豆急下田駅までですが、列車は、伊東線の起点熱海駅~伊豆急下田駅間を通して運転されます。伊豆高原駅にて 前2両は1000系で冷房完備の転換クロスシート車で、後ろ4両が100系です。100系の車内。 ロングシートにも、灰皿がありま
1961年(昭和36年)12月に静岡県の伊豆半島の東海岸に開通した伊豆急行。伊東駅~下田駅間約45㎞で、元々国鉄の未成線で、国鉄は1938年に伊東まで開業して以来、工事が進みませんでした。 そこで、国際的な観光資源として東急が名乗りを上げ1959年の免許を取得、建設
現在は、みなとみらい地区の遊歩道となっている旧貨物線を走りました。赤レンガ倉庫の脇を行く臨時列車。 つづく
昭和55年(1980年)横浜港開港120周年を記念して、現在のみなとみらい地区で運行されたSL列車がありました。C58 1号機まだ一帯は、工場地帯でした。 1980年6月中旬、列車は高島線東横浜~山下ふ頭間をはしりました。 つづく
E71形は、大正11年アメリカWH社製ED10形で、東海道線等で使われ1962年旧国鉄から譲渡されました。場所は保谷駅でしょうか? 現在は、横瀬で旧番ED10 2号機に戻され静態保存されています。他にE11形、E21形、E61形が在籍、西武の旧形電気機関車は戦後1980年代まで活躍
E51形は元国鉄ED12形で、大正12年スイスBBC社製。1,400㎜の動輪が特徴ですが、写真ではわかりません。(汗)池袋駅で、入替作業中のE51形。 現在は、E52号機が横瀬に静態保存されています。 つづく
かつて、貨物輸送が盛んだった西武鉄道には、数々の貴重なELが在籍していました。E41形42号機 E41形は、旧青梅鉄道の英国イングリッシュエレクトリック社製輸入機で4両が在籍していました。買収で国鉄1010形となり、そのまま譲渡されたのがE41、E42で出力は127×4kw。ED36
1977年、田園都市線は新玉川線に直通運転を開始します。(田・玉線時代)つきみ野行の8621編成、前から3両目はクハ8000形です。 このころは、新造された田園都市線用8500系に8000系改造車を挟んだ6両編成が多くみられました。 その後、続々入線する8500系車両に入れ替わ
昭和40年代に製造され田園都市線に投入された支線用東急7200系。その内、デハ7200号車とクハ7500号車の2両は東急では異端のアルミ試作車でした。以前の子供の国線の記事と前後してしまいましたね。(汗)大井町駅に停車中のクハ7500他。 重量は驚異の17.9tだったとか。長
東急田園都市線に新玉川線直通以前の1973年、新製投入された8000系5次車。宮前平~鷺沼間を行く8047F4両編成。 18m車ばかりの田園都市線に投入された20m車8043~8051Fは、冷房編成で、デハ8100は8000系列唯一の2パンタでした。(後に編成替えで1パン化)
田園都市線鷺沼駅に隣接する東京メトロ半蔵門線鷺沼検車区、ここはかつて田園都市線(大井町起点時代)の車庫でした。17m、18m車で溢れる鷺沼検車区。6000系や緑の旧形車もいます。 つづく
最近、京急電鉄で運転されているラッピング列車を2つ。「鈴木敏夫とジブリ展」ラッピング列車 1201編成の側面に「千と千尋の神隠し」の千尋とカオナシがラッピンッグされています。2024年4月29日(日・祝)~6月15日(土)まで運行されています。「ハッピーターントレイン
京急と台湾観光局による台湾観光特別ラッピング列車「ビビビビ!台湾」号を2024年6月7日から運転を開始しました。品川駅ホームにて、式典が行われたようです。1025Fが使用されました。各扉に、「台湾」の絵文字 がラッピングされています。 2016年のブルースカイトレイ
JR横浜線と東急田園都市線が接続する長津田駅から出ている「こどもの国線」 こどもの国線は、東急電鉄の路線ではありません。みなとみらい線と同じ「横浜高速鉄道」の路線で、東急は運営を行っています。 写真の車両は7200系ですが、幕板にコルゲートがない唯一のアルミ
東急田園都市線(現大井町線)大井町駅にて。梶ヶ谷行の5017ほか4両編成(?) 廃車後各地の鉄道で、第二の人生を送った東急青ガエル5000系ですが、写真のデハ5017号車は、デハ5018号車とともに昭和61年上田交通に譲渡されモハ5003とクハ5053になりました。