大阪駅からは、福知山線方面列車も忘れてはいけませんね。1970年当時には、優等列車の多くはDC化されていました。大阪駅発 5時37分 普通出雲市行721列車 終着19時30分 7時30分 普通福知山行735列車 終着11時39分 8時32分 普通篠山口行443列車 終
大手私鉄を中心にゆったり鉄道を見つめます。撮り鉄乗り鉄歩き鉄?暖かい目でご覧ください。
タイトルの由来 レールは鉄道全般、KQは京急沿線で生まれ育った私の 鉄道趣味の原点です。
近鉄西大寺駅から京都線に乗り換え、京都方面に向かいます。途中で観光特急「あをによし」を撮影する予定です。京都交通局1000系急行国際会館行に乗車中。特急退避のため新祝園駅に停車。 新祝園駅の隣にJR学研都市線の祝園駅が見えます。「ほうその」と読み、中々の難読
布施駅から乗車したのは、阪神1000系の急行奈良行で駅を出ると同時に新生駒トンネル(3,494m)にはいります。阪神電鉄の路線図。 阪神の路線図には自社線のほか、近鉄難波線、奈良線、山陽電鉄線が描かれていますね。 トンネルを抜け生駒駅でけいはんな線、生駒線に接続
東前方の山々に向かってまっすぐ伸びる近鉄奈良線。東花園駅を過ぎ左手に花園車庫が見えます。あおぞらⅡが並んでいました。 近鉄奈良線の見どころはなんといっても瓢箪山駅から石切駅にかけて生駒山地を駆け上がる車窓ですね。大阪の街が一望。石切神社の鳥居でしょうか
隣の布施駅にやってきました。大阪線から奈良線に乗り換えます。近鉄の布施駅は2重構造で2階が大阪線、3階が奈良線、それぞれ島式ホーム1面で退避線があり4線となっています。何気に巨大な駅ですね。特急が通過してゆきます。暗い大阪線ホームとは対照的な奈良線ホーム
そろそろお目当ての列車がやってくる時刻です。それは、2022年に登場した大阪、京都、奈良を結ぶ阪京奈観光特急「あをによし」乗車は諦め、撮影だけでもと考えていました。やってきましたね、あれ?何か一緒に並んでますね。「あをによし」19200系と「かぎろひ」15400系の
最近、近鉄は新造、改造を含め魅力的な特急車両を生んでいますが、事通勤車両に至っては、21シリーズがすでに20年選手で、初期VVVF車の漸くリニューアルが漸く始まりました。今年は久々の新型通勤車両がデビューしますが、まだまだ抵抗制御の50年選手が活躍しています。(
鶴橋駅の次の駅今里駅で複々線をゆく列車を楽しみます。左が大阪線上り上本町行、右が奈良線上り阪神直通。 この場所で撮影するのは6年振りくらいか?赤い伊勢志摩ライナー23000系奇数編成。 つづく
大阪線高安行の普通列車がやってきました。鶴橋駅は方向別の島式ホームですが、次の今里駅は相対式となり、自分の目指す中ホームに行くには大阪線普通しかありません。1422Fリニューアル編成。 ラッキーにも後ろはさっき出会ったリニューアル編成でした。車内の意匠も今風
今回近鉄線を訪れた目的は、80000系「ひのとり」と一昨年登場した阪奈京観光特急「あをによし」19200系を動画に収めることです。「あをによし」の通過時間にはまだ余裕があるので、ここ鶴橋駅で粘ってみます。「ならしか」トレイン1026系1027F。「ならしか」トレインは1027
近鉄鶴橋駅はJR大阪環状線と立体交差で接続しています。大阪環状線は京橋駅で京阪線、新今宮駅で南海電鉄、西九条駅で阪神電鉄、弁天橋駅で大阪メトロと同じように接続していますが、上を取っているのは鶴橋駅のみです。(地下線、軌道線を除く)方向別複々線(大阪線上本
近鉄鶴橋駅のホームにやってきました。大阪線、奈良線の列車はひっきりなしに発着しています。アーバンライナーnext 21020系大阪なんば行 アーバンライナーは近鉄特急の華、名阪甲特急に長く君臨していましたが最新型「ひのとり」赤い80000系にその座を譲り、名阪乙特急
鶴橋駅の乗降客数はJR大阪環状線が約13万人(乗車人員×2)、近鉄線が約12万人、大阪メトロ千日前線が約2.5万人です。 JR各線の通勤路線化によるシュア割れはあるにせよ、昭和の時代約22万人を誇っていた近鉄鶴橋駅を思うと、ちょっとショックですね。乗換改札ではなく、
大阪駅の大屋根を見ると、関西の鉄道に対する価値観がうらやましくなります。JR京都駅、阪急梅田駅、南海なんば駅、大阪メトロ淀屋橋駅のホーム、阪急宝塚駅改札前の大階段、阪神香櫨園駅のレトロ調の駅舎等々。 逆に駅に無駄な(?)お金をかけない関東の鉄道、いや掛け
最近更新が滞ることが多く申し訳ありません。 ええ、気を取り直して、新大阪駅の新幹線エリアから在来線エリアに入り、大阪方面のホームを探します。まず心に銘ずることは「エスカレーターは右に立て」です。本来エスカレーター上は歩いてはいけないので右も左もないので
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大阪駅からは、福知山線方面列車も忘れてはいけませんね。1970年当時には、優等列車の多くはDC化されていました。大阪駅発 5時37分 普通出雲市行721列車 終着19時30分 7時30分 普通福知山行735列車 終着11時39分 8時32分 普通篠山口行443列車 終
当時、大阪駅新大阪駅京都駅始発の山陽本線方面客車列車のダイヤは、大阪駅9時00分発 普通広島行 325列車 終着17時00分大阪駅13時15分発 普通宇野行 621列車
東海道本線京都~大阪間と思われます。EF61形牽引の客車列車。 上の写真の編成は、九州方面寝台急行列車「日南」と思われます。しかし、始発は大阪駅20時09分なので回送列車と思われます。 1970年初頭、大阪駅、新大阪駅、京都駅始発の山陽九州方面、山陰方面、北陸方面
山陰本線のSL運転が1971年に終了した次の年に訪れた時の撮影です。DF50形の牽引でした。 現在は観光列車が走る山陰本線旧線にあった旧保津峡駅です。保津川の急流を挟んだ谷あいの駅で、ほかに建物はなくいわゆる秘境駅の一つでした。列車がいない間は、水の音と鳥のさえ
年末の品川駅は、帰省客で溢れる上野駅の混雑分散を目的に、臨時ホーム7番~10番線ホームを活用し、一部の東北、上信越方面の臨時列車の始発駅となっていました。EF56形電気機関車が蒸気を上げて、発車を持っています。 普段は品川駅では見かけないEF56形、EF57形が客車を
上野口の客車急行のグリーン車は、当時ほとんどオハ61系改造のスロ62形でしたが、東京口の方はスロ54形やオロ10形という生え抜きが活躍していたように思います。急行「紀伊」に連結されたオロ10形。スハネ30形普通寝台車も結構見られました。
夜の品川駅には、多くの下り定期夜行急行が停車しました。19時30分発 33列車 急行「出雲」浜田行 AB寝台、全指定、食堂車20時04分発 35列車 寝台急行「瀬戸」1号 宇野行 AB寝台、グ指定、ビュッフェ20時14分発 37列車 寝台急行「安芸」広島行 AB寝台、食堂車
東京駅と宇高連絡線の乗換駅宇野駅を結んでいた夜行急行「瀬戸」寝台特急「サンライズ瀬戸」のルーツといえるでしょうか?写真は上り寝台急行「瀬戸」2号です。オシ16形ビュッフェ車は6号車。 3号車~5号車、7号車~12号車がB寝台。1号車はスロ54形グリーン車、編成唯一の
夜行で東海道本線を上ってきた急行列車が、終着を前に停車する品川駅。上り夜行急行「銀河」1号、102列車、13号車スハフ43形。 大阪駅21時30分発、東京駅7時03分着大阪駅方 郵便車、B寝、A寝個、A寝、B寝(4~8号車)普指(9~13号車)さすが東海道線の花形急行、全指定
1970年代東海道本線には多くの寝台客車列車が運転されていました。朝の品川駅には、急行は停車しましたが特急(ブルートレイン)は通過しました。5番線を通過する20系固定客車編成のブルートレイン特急「あさかぜ」2号です 「あさかぜ」下り1号、上り2号は全車両東京~博
1963年に登場し、一時は約700両を誇った東武鉄道8000系ですが後期車も車齢が40~50年、現在はアーバンパークライン以外では、支線や地方ローカルに甘んじています。その中で、復刻塗装で亀戸線や大師線で運行されていた8577編成の「ありがとう」イベントが2025年7月に催さ
盛大なピンボケですみません。夕方、AEで被写界深度が浅い中、急なピント合わせが間に合わず・・・・・急行「きたぐに」 真新しいDD51形の牽引された青森駅11時51分発急行「きたぐに」はグリーン車と食堂車を連結した8両+郵便車の編成です。オロ62が最後尾1号車。 酒田駅
夕方の酒田駅南方で、客車の入れ替えが行われていました。3月になり、日も大分伸びて6時過ぎまで粘れました。D51-28号機(酒)オハフ61+オハ61+オハフ61ヤードに戻っていきました。 つづく
羽越本線秋田行普通837列車です。先頭のD51形のテンダー車が見えます。 木製の背もたれに、車内スピーカー、木枠の広告枠。米坂線の分岐駅坂町駅にて。貨物列車が退避中。D51形初期型「ナメクジ」でした。 つづく
信越本線と羽越本線が乗り入れる新潟県の鉄道の要衝地新津駅です。現在は総合車両製作所新津事業所の所在地として有名ですね。羽越本線の始発列車、普通秋田行837列車。 当時、羽越本線新津発着のSL牽引客車列車は1日3~4往復で、牽引機はC57形かD51形でした。戦後、木造
名古屋行の普通832列車がD51形に引かれて発車。煙突に集煙装置を取り付けた山岳線ならではのD51形402号機。D51-402号機(中津川)は、現在飯田市に静態保存されているようです。 832列車は約5時間かけて200㎞弱を走り、名古屋駅には18時52分に到着します。
中央東線と中央西線を分ける塩尻駅。現在は両線とも松本方面に向かっていますが移転前の当時は両線がスルーで繋がっていて、松本方面には西線と分岐する配線となっていました。発車を待つD51牽引の松本発名古屋行832列車。 当時、西線名古屋方面と、松本、長野方面はスイ
おそらく甲府行と思われる普通列車。オハ二61形荷物合造車を連結していました。ウインドシル、ヘッダーが省略されたオハ35形客車です。 当時、中央東線の普通客車列車は、下り方面は、新宿駅6時15分発長野行421列車同12時37分発長野行423列車、同23時55分発長野行425列車
中央本線に客車列車が走っていた頃の辰野駅です。まだ牽引機関車が貨物用のEF13形で、客車用の蒸気発生器も電源もない為冬場は暖房車を連結していました。辰野駅に入線する甲府行普通客車列車。(6月15日修正)EF13形電気機関車の次位に暖房車マヌ34形がいます。 蒸気を発
当時、東北本線、上信越線方面の普通客車列車が数本停車していました。EF58形牽引の上り普通列車。 郡山や仙台、直江津、長野、果ては青森まで乗換無しで行けたわけで今考えるとすごい時代でした。 つづく
1970年の時刻表を見ると、長野駅に出入りする普通列車は客車列車が主流でした。信越本線は電化されていましたが、篠ノ井線は非電化でした。クハ68形(70系に混ざって連結されていました) 1975年になると、ほとんどが電車化されて70系、80系が活躍していました。こちらは
再び、長野駅です。寺社風の旧本屋をバックに、発車を待つ331列車。 「山男」の愛称を持つEF62重連が牽引するのは、普通331列車。長野始発の新潟行、走行距離は約200㎞、所要時間は6時間余りです。EF62形の特徴、3+3の軸配置が魅力的でした。
確か、長野駅近くで撮れた写真です。旧形D型電気機関車とC11の廃車体。 電気機関車は、元伊那電気鉄道のED26形でしょうか?C11形もプレートが外されペンキで車番が書かれていました。 つづく
1977年当時の信越本線の普通列車は電化によって、客車列車から70系+戦前型や80系の電車に替わっていました。クハ68023号車、関西で活躍した42系クロハ58形の改造車です。窓配置がカオス! 軽井沢駅にて早朝、長野に向かう70系普通列車の車
信越本線が、本来の路線を保っていた1970年代。2両組で、横軽補機を務めていた「山男」EF63形。 軽井沢駅にて この頃は、どちらかというと観光に傾いていた時期(汗)でした。なので「これだけかい!」と、今は本当に悔
1977年の信州旅行の時に寄った長野駅です。スカ色クハ68形(?)後ろは70系です。 スノープローを装着していますが、季節は夏です。軽井沢から乗車した普通列車だと思います。 つづく
伊豆急行といえば、多くの人が「リゾート21」2100系を思い浮かべると思いますが、登場当時、あまりにも豪華な普通列車に目を奪われたものですね。2100系R1編成 6両編成の時の写真です。全5編成製造された内、R1、R2編成は、足回りを100系から流用していました。憧れの展
観光鉄道としてなじみ深い伊豆急行には、電気機関車も在籍していました。1963年に国鉄(現JR)から譲り受けたED2511号機です。有蓋貨車1両を牽引する姿が可愛い、ED2511号機。後ろに、183系特急「あまぎ」車両が留置中ですね。 ED2511号機は、1944年製造の国鉄ED30形で、
伊豆急行線はJR伊東線の終点伊東駅から伊豆急下田駅までですが、列車は、伊東線の起点熱海駅~伊豆急下田駅間を通して運転されます。伊豆高原駅にて 前2両は1000系で冷房完備の転換クロスシート車で、後ろ4両が100系です。100系の車内。 ロングシートにも、灰皿がありま
1961年(昭和36年)12月に静岡県の伊豆半島の東海岸に開通した伊豆急行。伊東駅~下田駅間約45㎞で、元々国鉄の未成線で、国鉄は1938年に伊東まで開業して以来、工事が進みませんでした。 そこで、国際的な観光資源として東急が名乗りを上げ1959年の免許を取得、建設
現在は、みなとみらい地区の遊歩道となっている旧貨物線を走りました。赤レンガ倉庫の脇を行く臨時列車。 つづく
昭和55年(1980年)横浜港開港120周年を記念して、現在のみなとみらい地区で運行されたSL列車がありました。C58 1号機まだ一帯は、工場地帯でした。 1980年6月中旬、列車は高島線東横浜~山下ふ頭間をはしりました。 つづく
E71形は、大正11年アメリカWH社製ED10形で、東海道線等で使われ1962年旧国鉄から譲渡されました。場所は保谷駅でしょうか? 現在は、横瀬で旧番ED10 2号機に戻され静態保存されています。他にE11形、E21形、E61形が在籍、西武の旧形電気機関車は戦後1980年代まで活躍
E51形は元国鉄ED12形で、大正12年スイスBBC社製。1,400㎜の動輪が特徴ですが、写真ではわかりません。(汗)池袋駅で、入替作業中のE51形。 現在は、E52号機が横瀬に静態保存されています。 つづく
かつて、貨物輸送が盛んだった西武鉄道には、数々の貴重なELが在籍していました。E41形42号機 E41形は、旧青梅鉄道の英国イングリッシュエレクトリック社製輸入機で4両が在籍していました。買収で国鉄1010形となり、そのまま譲渡されたのがE41、E42で出力は127×4kw。ED36
1977年、田園都市線は新玉川線に直通運転を開始します。(田・玉線時代)つきみ野行の8621編成、前から3両目はクハ8000形です。 このころは、新造された田園都市線用8500系に8000系改造車を挟んだ6両編成が多くみられました。 その後、続々入線する8500系車両に入れ替わ
昭和40年代に製造され田園都市線に投入された支線用東急7200系。その内、デハ7200号車とクハ7500号車の2両は東急では異端のアルミ試作車でした。以前の子供の国線の記事と前後してしまいましたね。(汗)大井町駅に停車中のクハ7500他。 重量は驚異の17.9tだったとか。長
東急田園都市線に新玉川線直通以前の1973年、新製投入された8000系5次車。宮前平~鷺沼間を行く8047F4両編成。 18m車ばかりの田園都市線に投入された20m車8043~8051Fは、冷房編成で、デハ8100は8000系列唯一の2パンタでした。(後に編成替えで1パン化)
田園都市線鷺沼駅に隣接する東京メトロ半蔵門線鷺沼検車区、ここはかつて田園都市線(大井町起点時代)の車庫でした。17m、18m車で溢れる鷺沼検車区。6000系や緑の旧形車もいます。 つづく
最近、京急電鉄で運転されているラッピング列車を2つ。「鈴木敏夫とジブリ展」ラッピング列車 1201編成の側面に「千と千尋の神隠し」の千尋とカオナシがラッピンッグされています。2024年4月29日(日・祝)~6月15日(土)まで運行されています。「ハッピーターントレイン