バスや鉄道のことそして生活のこと 遊びに旅行に暮らしに見たまま思ったままに。
JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅、東海道の歩き旅を中心に生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。
京阪牧野駅の西側にある淀川河川敷の牧野パークゴルフ場は、その最南端が丁度御殿山駅の西辺りなる。両駅間は直線で2㎞程離れている。 プレーは行って帰ってだから、ゴルフも随分と歩く競技だと、改めて思い知らされる。 ゴルフをしなくなってもう三十数年経つだけに最近の状況は良く知らないが、近頃では乗用カートの利用も多いらしいから、昔ほどは歩かないのかも知れない。 御殿山駅から南に600m程進んで、旧「京阪国道」、今日の「府道13号京都守口線」とは磯島の交差点で別れるが、その角右手に「枚方なぎさ高校」が有った。枚方西高校と磯島西高校が再編により統合され、平成16(2002)年4月に誕生した普通科総合選択制の…
黄金野一丁目で京阪本線の踏切を越え、旧道は三栗地区に入っていく。旧道沿いは住宅街で、多くは最近作られた今風の住宅や、多層階のマンション、集合住宅などが建ち並んでいる。そんな中に旧家の重厚な造りの日本家屋も若干見られるものの、左程古い建物ではなさそうだ。 浄土宗の・清傳寺を右に見て進むと、広い道と交差する三栗交差点でそれを越える。この道は現在では「府道13号京都守口線」と呼ばれているが、嘗ては「京阪国道」と呼ばれた幹線道路で、越えるとここには僅かばかり旧道が残されていた。その先牛丼店のところで先程越えてきた府道に合流すると、ここからは暫く交通量の多い道の歩道をひたすら歩く事になる。 左から京阪本…
旧道は左折して駅手前の踏切を越え、そのまま穂谷川に沿って220m程進み、右折して明治橋を渡って川の西側へ出て直ぐ左折、川に沿って南に向かう。 一方踏切を越え直ぐに右折して、牧野さくら橋を越えると右手が京阪牧野駅で、駅前はロータリーになっている。 駅前のロータリーは、近年再開発で整備されたものらしく、バス乗場になっている。京阪バスが乗り入れていて、枚方や摂南大学キャンパスに行くバスが出ているようだ。その駅前ロータリーの外れに明治39(1906)年の銘がある「前島街道」道標が立っていた。 これは京街道と高槻、西国街道を結ぶ前島街道への追分けに建つ道標である。牧野駅から西の淀川に向かうと、幅180間…
左は鉄道の敷地とを隔てるフェンス、右は車道とを区別する安全柵に挟まれた府道の歩道は、街路樹もなく木陰のない単調な堤防の一本道である。道路を横断して河川敷への立ち寄りも出来ず、休憩するところすらない。いい加減辟易しかけた頃、ようやく「樋之上北」の交差点手前で淀川の堤と別れ「樋之上」の信号の先で斜め左の細い住宅街の道に入っていく。 これが本来の旧道らしいが、道は200m足らずで船橋川に突き当たる。左程大きな川ではなさそうで、護岸が整備され用水路化された川底に流れは僅かだ。嘗てはここに土橋でも架けられていたのであろうか?それとも徒で渡っていたのか?今は行き止まりで下流方向に迂回する。 右折して堤防を…
正面に「くずはモール」を見て、手前で右折してガードを潜る。行く手は淀川で、河川敷にはゴルフ場が広がり、プレーに訪れた人達のものか、沢山の車が駐められている。 丁度樟葉駅の裏側に回り込んだようで、左手にホームが見えている。ここからは京阪本線に沿って、ひたすらフェンスで囲われた堤防上の道を歩く事になる。 ところで、楠葉(樟葉)の「楠」も「樟」も、何れも「くすのき」の事である。「くすのき」を広辞苑で調べると『【樟・楠】(クスは「臭し」と同源か。「楠は南国から渡来した木の意」クスノキ科の常緑喬木。』とある。 町と「くすのき」には特別な関わりなさそうで、枚方市のシンボル木は「柳」らしい。HPによると「柳…
「くずは」は、大阪市北端の枚方市に位置する、京阪樟葉駅周辺の地域の呼称だ。当地は「楠葉」や「樟葉」、「くずは」と表記されている。調べると町名は「楠葉」、京阪本線の駅名には「樟葉」が使われている。 警察署や交番、消防署、郵便局、公園等は「楠葉」で、小学校は「北小」「西小」「南小」共に「樟葉」と表記するが、中学校になると「楠葉西中」となる。中にはどっち付かずのひらがな表記もあり、駅前の商業施設は「くずはモール」、大規模開発された住宅団地は、「くずはローズタウン」、関西医科大学は「くずは病院」と言い、ゴルフ場も「くずはゴルフリンクス」だ。 この「くずは」は、古事記や日本書紀にも出てくる程古く、由緒あ…
枚方市の最北端、京都府八幡市の男山丘陵と淀川に挟まれたこの平地部は、嘗ては田んぼばかりの地であったらしい。 男山の多くが住宅団地として開発され、周辺地域が市街化区域へ編入されたのに合わせて、当地で土地区画整理事業が実施された。幹線道路が通され、この楠葉台場跡もその一環として史跡公園として整備された。 京都大阪の中間に位置しベッドタウンとして、京阪本線の沿線にあり、地域の交通利便性の向上と、歴史を活かした魅力ある市街地の形成を図ろうとする計画で、平成30(2018)年9月に竣工した。その記念の石碑が道脇に建てられている。 一般に旧道は、その後の宅地開発や道路の造成・拡幅・改修、川に沿う道なら河道…
府道の京都守口線を300m程行くと、左側に広大な緑地があり、隅に「楠葉台場跡(くずはだいばあと)」の案内板が立っていた。国指定史跡で、跡地を樟葉台場史跡跡公園として整備した場所だ。 台場とは江戸幕府が築造した大砲を備えた要塞のこと。説明によると、幕末期「開国を求める異国船が突如、大阪湾に現われたことから、大阪湾に近い京都(朝廷)の警備強化の一環で、淀川を遡ろうとする異国船からの防備」のため築かれたと言う。 場所は八幡市の男山の西に位置し、西側には淀川が流れている。当時の敷地は現代の公園から西にも拡がり、府道や京阪の軌道敷を越え、淀川の岸辺までをしめていた。「水堀を備えた西洋の築城方式である稜堡…
売春防止法の施行(昭和32年4月1日、公布は前年の5月24日)により、翌年赤線が廃止と成り嘗ての花街から賑わいの火が消えた。多くの娼妓や芸妓を抱えた八幡市橋本中ノ町の「橋本遊廓街」が最盛期の頃は、京阪線の橋本駅は夜が更けるほどに乗客が増え、終電ともなると大層な混雑を見せたと言われている。 旧遊廓の町並を後に、小金川の町を抜け府道の手前で左に折れ、京阪線の線路を越える。左奥が橋本駅で、かつて駅前には百人以上収容できる歌舞練場があったらしいが、廃止後は老朽が進み、近年駅前の再開発で解体し取り壊されたという。 広々とした道が右に大きくカーブすると左手に「八幡市橋本公民館」が建っている。八幡は京都・大…
近年「海の復権」をテーマに、三年に一度、瀬戸内海の2つの港と12の島を会場に、現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」が開かれている。 今日ではテレビや雑誌等でも取り上げられ、広く海外にも知られるようになり、期間中のみならず、会期後も会場となった島などに多くの観光客が訪れる様になった。 港会場は宇野港と高松港周辺で、12の島というのは直島、 豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島と、春のみ開催の沙弥島、秋のみ開催の本島、高見島、粟島、伊吹島である。何れも岡山と香川の沖合、瀬戸内海に浮ぶ小島で、宇野港とはフェリーで結ばれている。 「美しい自然と人間が交錯し、交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し…
JR宇野線、宇高航路、宇野の町までを疲弊した姿に変えてしまった瀬戸大橋は、昭和63(1988)年4月10日に華々しく開通して以来、35年以上が経過した。 上部は瀬戸中央自動車道が、下部には本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が走り、将来は新幹線の敷設を見据えた橋だ。 フェリーが1時間掛けていた海峡部は、新たに運行を始めたJR四国の快速マリンライナーなら僅か数分を要するだけだ。岡山と高松間は1時間余りに短縮された。 嘗て岡山市内から旭川を下っていた時代は、数時間を要していた。その後の国鉄宇野線と宇高連絡船の開通で所要時間が半減された。橋の開通はそれ以来の大革新となっていた。 橋が開通した初年度、鉄道利…
玉野市電廃線跡を歩き終え、「すこやかセンター」に立ち寄り、そこから地域循環シーバス(運賃一律100円)に乗り、宇野駅前の一つ手前、旭橋通り停留所で降り、宇野港近くまで戻ってきた。 この辺りには昔四国に渡る折、フェリー待ちで何度も訪れている。当時は雑然とした町並で、その印象が残っていたが、今では大型の商業施設が立地し、海岸には小公園が造られ小綺麗な町並で、往時とは随分と変わってしまっている。 嘗て連絡船とフェリーが華やかなりし頃、専用駐車場に入りきらない乗船待ちの乗用車やトラックが、道路まで溢れかえっていた時代が有った。 掛けっぱなしのエンジン音で辺りは騒然とし、手持ち無沙汰の貨物輸送のドライバ…
玉野市電は、岡山方面への延長案も考えていたらしい。宇野を出て広潟、田井、十禅寺、大藪、後閑と辿り、この先進路を児島半島に取る。福浦、波知、八浜、見石、碁石、松尾、甲浦からは児島湖の締め切り堤防の上を通り、岡山港、藤田、福田、青江、奥田を経て岡山に到る全長22.2㎞の路線である。 地図を見ると良く分かるが、当時の宇野線は干拓される前の児島湾の海岸線をなぞるように、妹尾と八浜の間は「逆コの字」型に大きな弧を描くように線路が敷かれている。 玉野市電の岡山延伸計画は、児島半島経由で、児島湾の締め切り堤防上を真っ直ぐ北上しょうとする直線的なもので、宇野線よりも大幅な時間短縮が期待されていた。 一方、玉野…
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