京に向う東海道は「草津追分け」を左に曲がる。そこは会社・事務所、商店や食事処に、アパートやマンションが渾然と建ち並ぶ繁華な通りである。余広くない道ながら多くの車が行き交い、地元の人のみならず観光と思える人の群れも見られる賑やかな道だ。東海道の旧宿場町というよりは、華やかな商店街筋の様相である。「近江路や秋の草つはなのみして花咲くのべぞ何処ともなき覧富士記」公民館前に、「尭孝(ぎょうこう)法師歌碑」が立っている。「将軍のお供で、富士を見に行く途中、秋の近江路を草津まで来たが、草津とは名ばかり、草花が美しい野辺を想像していただけに心寂しい思いがする」との意味らしい。斜め先に「田中中七左衛門本陣」、別名「木屋本陣」(当主が材木商を営んでいた)が残り、草津宿本陣として有料で一般公開されている。敷地は4727平方メ...草津宿本陣(東海道歩き旅・近江の国)