簾満月のバスの助手席
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ハンドル名
修ちゃんさん
ブログタイトル
簾満月のバスの助手席
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ブログ紹介文
バスや鉄道のことそして生活のこと 遊びに旅行に暮らしに見たまま思ったままに。
自由文
JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅、東海道の歩き旅を中心に生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。
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  • 大井川鐵道井川線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    因みに現在では、このアプト式鉄道は静岡県の大井川鐵道井川線(千頭駅~井川駅)のアプトいちしろ駅から長島ダム駅間で実際に営業運転が行われている。「南アルプスあぷとライン」と呼ばれるこの路線は、昭和29年に中部電力がダム建設のために開通させた専用軌道がその前身である。赤色に塗られ白いラインの入った可愛らしいミニ列車(トロッコ列車)は、ここから南アルプスの懐深く入り込むが、出発点の千頭駅の標高は300mで、終点の井川駅が700mだから、25㎞余りの間に400mほど登ることになる。沿線途中の長島ダムの建設で、井川線の線路の一部が水没するため、その内の4.8㎞が付け替えられた。その折アプトいちしろ駅から、次の長島ダム駅の間1.5㎞が1000mにつき90mも上がる日本一の急勾配区間と成った。この勾配を上り下りするために、レ...大井川鐵道井川線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 碓氷新線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    1万数千人の人力と最新の技術を駆使した碓氷新線の工事で使用された資材は、れんが1800万個、セメント1万7500タル、松丸太や杉丸太等が六万本、他にも切石や砂などが東京や群馬、長野、新潟など広い範囲からから運ばれたと言い、こんな難工事ながら1年6ヶ月で完成させている。こうして運用の始まった碓氷峠のアプト式鉄道ではあったが、昭和も半ばになると時代の趨勢には合わず、このボトルネック的な特殊区間の改善策の検討は急務であった。様々な案が検討された結果、補助機関車を使用した通常の運転方式で複線化と決められ、昭和36(1961)年に工事に着工し、その2年後にアプト式線路の北側に新線が開通した。これにより信越本線のアプト式鉄道は完全に撤退となり、70年余の歴史は幕を閉じることになった。これに合わせ機関車も新たに開発され、EF...碓氷新線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • アプト式鉄道(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    「碓氷峠鉄道文化むら」の主なテーマは、碓氷峠を越える鉄道の建設と運行時間短縮との戦いの歴史である。昔から碓氷峠は交通の要衝であると同時に、鉄道の敷設にとっては、66.7パーミルもある急勾配が最大の難関で、それをどう克服するのかが命題となっていた。普通の機関車ではとても上れない峠とされていて、様々な検討がされた結果、当時ドイツで採用されていた急傾斜でも運行が可能なアプト式鉄道が採用される事になった。アプト式鉄道とは、線路の間に一本歯のレール(ラックレール)を取り付け、機関車の下に付けた歯車(ピニオン)の動輪とかみ合わせて走る方式の鉄道のことで、「むら」を入るとすぐの右側にはそのラックレールが敷設展示されていてその横には勾配を示す鉄道標識もあり、実感することが出来る。明治25(1892)年にドイツからC型アプト式機...アプト式鉄道(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 碓氷峠鉄道文化むら(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    横川の駅を出て、軽井沢行きのJRバスの停留所を通り、先に進むと「碓氷鉄道文化むら」の煉瓦造りのゲートが見えてくる。そこに至る道路には、嘗て使われた線路がそのまま埋め込まれていて、ここが広大な鉄道の施設であったことが解る。ここは平成11(1999)年にオープンした施設で、元々は横川駅横川運転区があった地に、その施設を生かしながら建てられたものだ。鉄道の歴史や、仕組みを伝える博物館と言う要素を含み、どちらかと言えば見て、触れて、体験できる、子供向けの学習・遊戯施設のようだが、勿論大人も楽しめる。券売所を抜けると目の前には煉瓦造りのアーチ橋を模したゲートが見える。その上には園内を一周(800m)する子供向けの蒸気機関車「あぷとくん」のレールが敷設されている。広い園内の少し高くなった奥にはミニSLが走るコースも有り、途...碓氷峠鉄道文化むら(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 峠を控えた駅(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    信越本線の最大の難所は66.7パーミルの峠越で、ここではアプト式と言う方式が採用されていた。横川駅のホームには使われたレールや、アプト式の模型も飾られている。碓氷峠を控えた横川駅の名物は、「峠の釜めし」が知られている。改札脇のホームの片隅には、その看板を掲げた立ち食いのそば屋が今も営業を続けている。その「おぎのや」は駅開業と時を同じくして創業し、おにぎり弁当の販売を始めたのが始まりだ。「峠の釜めし」が発売されるのは昭和33(1958)年のことで、益子焼の一人用釜に入れられた斬新なアイディアが受け、人気を得たという。駅では碓氷峠越えのため補機の連結や切り離しが行われ、長時間停車することも有り、そんな時間を利用した乗客の多くが購入していたという。峠越の鉄道が廃止された今日では、その代役はバスが務めていて鉄道の客一旦...峠を控えた駅(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 終着駅・横川(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    高崎を出た信越本線は大きくカーブして上越線や新幹線と分かれ、北高崎に停車後市街地を抜け、少しずつ高度を稼ぎながら次第に山岳地帯に向かう。右手にはいつの間にか碓氷川が寄り添い、その向こうには旧国道18号線も流れている筈だが、車窓からは余り見通すことは出来ない。安中や磯部などは、駅周辺に比較的多くの住宅や大きな工場も見られるが、ここを過ぎる辺りから、人家は少なくなり車窓は緑の雑木林や田畑に変わる。すると尖った岩峰の、荒々しい山塊が車窓に付き纏い目を楽しませてくれる。地図で確かめると祟台山や金鶏山・相馬岳のように思えるが、これらが上毛三山の一つ、妙義山を構成する山々であろうか。高崎からは30分ほど、それらが次第に左間近に迫ってくると終点の横川に到着である。官設鉄道が、高崎からこの駅の間に開設された明治18(1885)...終着駅・横川(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 信越本線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

    本来は群馬県の高崎から、途中長野や直江津を経て新潟県の新潟までの250.3㎞を70駅で結ぶ路線である。それは本州の中央を東西に貫く日本の大幹線で、首都圏と信州・上越を結ぶ路線であった。そんな路線が分断されたのは、北陸新幹線の開業時である。まず沿線の最大の難所の碓氷峠を越える横川と軽井沢間が廃止され、ジェイアールバス関東の路線に置き換えられ、更に軽井沢と篠ノ井間は、第三セクター「しなの鉄道」の路線に業務移管された。分断の試練はこれで終わることもなく、北陸新幹線が長野から先金沢まで延伸されると、長野と妙高高原の間は「しなの鉄道」に、妙高高原と直江津の間は「えちごトキメキ鉄道」に移管された。結果、路線は三つに分断された。幸い直江津と新潟の間は136.3㎞が残り、今でも日本海に沿った本州を縦断する幹線の一部を形成し、特...信越本線(JR乗り潰しの旅・信越本線)

  • 旅先での声掛け(JR乗り潰しの旅)

    巷で流行の「自撮り棒」ではあるが、その使う理由を訪ねたアンケートによると、「人に頼むのが面倒だから」、「好みのアングルで撮ってもらえないから」と言うのが多いそうだ。確かにこれを使えば、いろいろな場面で撮影の幅は広がり、制約は無くなるのかも知れない。一人旅ではよく人様にお願いして写真を撮ってもらう。「後ろにお城が入るように・・」、「この看板をいれて・・」などと、厚かましくもアングルに注文まで添えてお願いすることもあるが、これで嫌な顔をされた記憶はない。時にはこちらから「撮りましょうか?」と声掛けをするなんてことも少なからず有る。こうした旅先では他人様への僅かばかりの心配りが、その後「どちらから来られたのですか?」、「これからどちらへ?」などと、初対面ながらの会話に発展し、「おいしい店や」「見どころ」の情報など、思...旅先での声掛け(JR乗り潰しの旅)

  • 禁止の動き(JR乗り潰しの旅)

    流行り始めると当然そこには、新たな問題も生じてくる。当初は棒の先にスマホを取り付け、セルフタイマーで自身を取るための撮影補助具で有った「自撮り棒」ではあるが、近頃は手元のリモコンで、シャッターボタンをコントロール出来る高級品なども出揃っているらしく、こうなるとその便利品を使うシーンは格段に増えてくる。しかし普及すればするほど、やはりその使用シーンでのマナーが問題になるのは世の常で、近頃では人混みなどでの使用で接触するなど、思わぬトラブルも起こっているらしい。こんな状況にいち早く反応したのがJR西日本である。人混みで棒が他の乗客に当り、誤って25000ボルトの高圧電線にでも触れたら(近づいて放電と言う心配もある)大変なことに成る。こんなことから、北陸新幹線の開業に沸く沿線の金沢、新高岡、富山、黒部宇奈月温泉、糸魚...禁止の動き(JR乗り潰しの旅)

  • 自撮り棒(JR乗り潰しの旅)

    近頃では観光地での「食べ歩き」が物議を交わしているようだが、旅先のトラブルと言えば、もう一つ気になるものがある。人の集まる繁華街や観光地で最近よく目にする、「自撮り棒」である。1メートルほどの金属製の棒で、先端に自身のスマホを取り付け、自分自身を撮影するときに使う写真撮影補助具のことだ。これを使えば自分自身だけではなく、大勢の集合写真や、広く大きく取り入れた背景に自身の姿をおさめた写真を自身で撮ることが出来る。一寸したブームになっているらしく、カメラ屋さん、ホームセンターや家電量販店などには色々なものが並べられている。随分前の事、出始めの頃町中のベンチに座る制服姿の二人の女子高生が使っているのを、目にしたのが初めてである。二人が顔を寄せ合って、棒の先端を見ながらにっこり笑っている珍しい光景に出くわしたので思わず...自撮り棒(JR乗り潰しの旅)

  • 食べ歩き(JR乗り潰しの旅・川越線)

    川越は歩いて町を巡る人が多い観光地だという。その為なのか、お土産や食べ物・名産品などを商う店が、表通りは勿論、細い路地などにも結構多く立地している。中にはテイクアウトして食べやすいようなパッケージに入れて、その一押し商品を店先で提供する店も少なくなく、そういったお店を巡るのも、この川越の町歩きの一つの楽しみ方になっている。そんな店舗の中には有名店なのか、群れた人の塊が出来、長蛇の列をなしているところもあり、お目当ての商品を気長に並んで待っている。そうしてようやく手に入れ、嬉しそうに手にしながらつつき合って、文字通り食べながら歩く家族連れやカップル、外国人観光客等の姿を良く目にする。元々はその町の店を訪ね店内で食事をし、次は又違う店舗で違う味を楽しみ、そんな店舗巡りを繰り返すのが「食べ歩く楽しみ」だったような気が...食べ歩き(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 川越まつり会館(JR乗り潰しの旅・川越線)

    川越に来てどうしても見て触れておきたいものの一つに「川越まつり」がある。江戸の影響を強く受けてこの地の根付き発展を遂げた祭りは、国の重要無形民俗文化財となると同時に平成28年12月にはユネスコの向かい文化遺産にも登録された。今から370年ほど前、時の川越藩城主が地元の氷川神社に、祭礼用具を寄進し祭礼を奨励し、それを受けた氏子による御輿を渡御したのがその始まりとされている。その後町民が屋台を造り披露したことから、次第に祭りの主役が山車に置き換わり、各町が競って発展させ、今日に見る絢爛豪華なものに育て上げたそうだ。この川越の山車の最大の特徴は、二層構造になった「あんどん(鉾)」とそこに飾られる山車毎に設けられたテーマ所縁の人形にあるそうだ。一番上層には人形が飾られていて、それは二層目にすっぽりと収まり、それはそのま...川越まつり会館(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 時の鐘(JR乗り潰しの旅・川越線)

    とにかく人の多さに驚かされる。どこに行っても人、人、人・・・。駅前にも、ここまで乗ってきた乗り合いバスにも人は多かったが、ここに来て更に人口密度は高まっている。広い通りにも、狭い路地も、テイクアウトの店先も食事処も、どこもかしこも人が群れて溢れている。菓子屋横町も例外ではない。石畳の道に20軒ほどのお菓子屋さんなどが立ち並ぶ狭い通りは、まるでお祭りの縁日のような人出である。素朴な懐かしい安らぎなど感じられる風情では無い。店を覗こうにも店先ではじかれて入れない。人気のスイーツの店先には長い行列が出来ている。通りも人が多く思うように歩けず、その石畳も見えないほどの混みようだ。その人波のピークは、この町のシンボルとも言える「時の鐘」の有る辺りだ。人混みに車が錯綜し、まるで終始が付かない様子だ。これが日常的な光景なら、...時の鐘(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 蔵づくりの町並み(JR乗り潰しの旅・川越線)

    そんな川越の中心的な観光地の一つが、駅から続くクレアモールや大正浪漫夢通りを抜けると広がる「蔵づくりの町並み(一番街)」である。その美しい町並は、「重要伝統的建造物群保存地区」や「美しい日本の歴史的風土100選」に指定されている。この日「小江戸巡回バス・喜多院先回りコース」に乗車し、蔵の街で降車してやってきた。どっしりと重みのある黒瓦葺きの屋根にどっかと跨ぐ鬼瓦、落ち着きのある黒漆喰の壁、分の厚い観音開きの窓の扉、窓に嵌められた格子、屋根庇に乗る歴史を重ねた店の看板、玄関先に架かる暖簾などなど。まるでタイムスリップをしてしまったかのような趣のある商家が立ち並ぶ様に圧倒される。江戸時代になり、城下町が整備され、向かいあった家並みが形成されるようになると、度重なる大火の対策として、幕府が燃えにくい瓦葺き漆喰塗り込め...蔵づくりの町並み(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 小江戸の巡回(JR乗り潰しの旅・川越線)

    川越の町歩きは、大きくは三つのゾーンに分けられるそうだ。一つは、観光パンフレットなどでもお馴染みの、町を代表するスポットの「蔵づくりの町並・一番街」で、二つ目がこの町の発展の基となった「川越城本丸御殿」「博物館・美術館」「氷川神社」のある辺り、そして最後が「喜多院」や「熊野神社」「東照宮」「成田山」等が集まるゾーンだ。町巡りには、「小江戸巡回バス」の利用が良さそうだ。これは駅の西口発着で、町中の有名な観光名所を結んで走る路線バスで一乗車200円である。一日乗り降り自由なフリー乗車券(500円)も用意されている。フリー券には協賛店での特典が受けられるサービスも付いているので、二回乗ればほぼ元は取れるからお得である。バスはレトロな小型ボンネット型で、車内では名所案内もあるので、観光遊覧バス感覚で利用できる。時間が無...小江戸の巡回(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 小江戸・川越(JR乗り潰しの旅・川越線)

    埼玉県の南西部、武蔵野台地の北東端に位置する川越市は、人口35万人余で埼玉県ではさいたま、川口に次いで第三の規模である。都心から30キロメートルの首都圏の一躍を担う、ベッドタウンとしても発展を続ける町という。武蔵の国川越は、江戸時代になると有力大名が支配する幕府の北の要として、又川越藩のその城下町として栄えてきた。町は江戸から或は領内の各所から、物資や農産・特産品の集散地として、当時は主に川越街道を使った陸運や、新河岸川の舟運の要衝としてその繁栄の歴史を支えてきたという。その為江戸との交流も厚く、文化や芸術に江戸情緒を色濃く写す町となり、時にその勢いは江戸を凌ぐもので有ったという。そんな町には城跡を始め、神社仏閣や商家など歴史的な建造物も多く残り、今日「小江戸(こえど)」と呼ばれる観光地となっている。舟運から鉄...小江戸・川越(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 川を越える(JR乗り潰しの旅・川越線)

    大宮駅で高崎線を降り、川越線に乗り換える。目指すは川越駅である。電車は地下の駅を出てやがて地上に出ると、鉄道博物館を左に見る先で本線と分かれ、進路を大きく西に取る。いつもの事ながら、JR東日本の多くの電車がベンチシートなのがつまらない。初めて乗る路線では車窓が気になるが、窓に背を向けて座るので、外を見ることが出来ない。立ち客も多いので、座ると正面の車窓を隠されてしまうし、写真も撮れない。首都圏の電車に乗ると写真が極端に少なくなる。都会の人はお疲れなのか眠っている人が多い。スマホを見るのに忙しいのか、景色は見飽きているのか、車窓を見つめる人は殆どいない。多くの人を運ぶのだから仕方が無いとは言え、長編成なのだから、一両ぐらいクロスシートを入れてくれれば良いのにと何時も思う。さいたま市街地(旧大宮市)の広がりは指扇駅...川を越える(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 川越線(JR乗り潰しの旅・川越線)

    埼玉県の大宮駅と同県の高麗川駅(こまがわ)の間30.6㎞を、10駅で結ぶのが川越線である。その歴史は比較的新しく、昭和15(1940)年、国策の軍需鉄道として全線が一度に開通している。その後平成21(2009)年に西大宮駅が日進と指扇間に新設される以外は、駅の増減も路線の変更も行われず、開業当時の姿をとどめている路線でもある。とは言え、埼京線の開業に合わせ電化されて、川越と新宿を結ぶ電車が頻繁に走り始めると通勤路線として大きな発展を遂げる事になる。今では東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転が行われ、通勤快速が走り、池袋を始め新宿・渋谷、お台場などへ乗り換え無しでアクセス出来るようになっている。首都圏とを結ぶ路線らしく、午前4時台に始発が有り、反対に首都圏から戻る電車は、午前0時を過ぎて到着する電車も少なくない...川越線(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 乗換駅(JR乗り潰しの旅・川越線)

    駅での乗り換えは、いつもの事ながら気を遣う。大きな駅ならば時刻表の乗り換え案内を参考にすることが出来るが、そこに記載が無い駅では、この乗り換え時間で乗り継ぎが大丈夫だろうかといつも心配が付きまとう。とは言え、それらの多くは取り越し苦労で、行ってみると接続が行われている場合も多く、案外スムーズだったりもする。到着したホームの向かい側に、その先に乗り継ぐ列車が待っていてくれるのが一番ありがたい。地下通路を抜け、或は跨線橋を渡って違うホームに向かうにしても、地方の駅ならよほどのことが無い限り5分程度の余裕があれば乗り換えは出来る。しかし、都会の大きな駅となるとそんなに簡単ではない。特に不慣れな駅で、幾つもの路線が乗り入れ、何本もホームがあるとなるとまず目的の路線のホームを見極めるのが大変だ。他の路線を跨ぎ、総合乗り入...乗換駅(JR乗り潰しの旅・川越線)

  • 海自カレー(海上自衛隊呉基地見学記)

    海上自衛隊の艦船が、一度その任務に就くと長い航海に成ってしまう。そんな最中の隊員達の数少ない楽しみの一つが三度の食事だと言う。その性か自衛隊の中での食費は、海上自衛隊が一番高いのだそうだ。毎日変化の乏しい海ばかりを目にしているのだから、解るような気がする。しかし楽しみな食事を重ねていても、次第に隊員の曜日感覚がずれてしまうのだそうだ。それを忘れないようにするために、毎週金曜日の昼に振る舞われたのがカレーである。呉基地に所属する艦艇等では、それぞれの艦が独自のレシピを持っていると言われている。そのことは、その数だけ多彩なカレーがあると言うことだ。呉の町ではそこに着目し、各店が艦毎のカレーの味を忠実に再現し、艦長や調理長のお墨付きを得て、市民が気軽に食べられるように商品化した。呉の町ではこうした「海自カレー」が評判...海自カレー(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 潜水艦・あきしお(海上自衛隊呉基地見学記)

    海上自衛隊の広報施設・呉資料館、愛称「てつのくじら館」の最大の目玉は、なんと言っても平成16(2004)年まで実戦配備されていた「ゆうしお型潜水艦・あさしお」の内部見学である。本物実物の潜水艦が展示されるのは、国内ではここが最初の試みらしい。資料館の建屋の前に据えられた全長76.2m、幅9.9m、重さ2250tの潜水艦の内部へは各階の展示室を辿り、3階のスペースを抜け、そこに設けられたブリッジを渡る事になる。流石に現役潜水艦「みちしお」で体験した、ハッチから垂直梯子を使って乗艦とはいかないので、ここでは見学用に開けられた入口から入艦となる。75名が乗り組んだという館内は狭く、通路は人一人がやっと通れる程の幅しかない。その両側にある艦長室(艦内唯一の個室)や士官室、トイレやシャワー室、キッチンなどが公開されていて...潜水艦・あきしお(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 鉄のくじら館(海上自衛隊呉基地見学記)

    「大和ミュージアム」とは道路を隔てた目の前にあり、一際目を引くグレーと赤に塗り分けられた巨大な潜水艦が据えられ、来場者を出迎えているのが海上自衛隊呉資料館である。愛称は「てつのくじら館」と言い、潜水艦をくじらに見立ててのことだ。施設は呉市の重要な観光資源の一つとなっているが、目的はあくまでも海上自衛隊への理解の促進と、地域との共生に貢献することだという。開館は平成19(2007)年4月5日と言うから、「大和ミュージアム」より遅れること2年になる。民間の施設とは異なるので、観覧料の必要が無いのはありがたい。無料とは言え、簡易な施設ではなく、三階建ての立派な建屋を構えている。その建屋の前に据えられた巨大な「てつのくじら」の下が館エントランスへのアプローチとなっていて、そこを通り抜け入館することになる。中はすぐに展示...鉄のくじら館(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 軍艦とラムネ(海上自衛隊呉基地見学記)

    呉のドッグで建造された「戦艦大和」には、ラムネの製造機が積み込まれていたという。(NHK歴史秘話ヒストリア2019/3)近頃ではこのラムネはなかなか目にすることが出来ないが、時々観光地などでは、その土地ならではの物を、店先で冷やしているのを目にする事もある。ガラス製の胴の一部が絞られた瓶に詰められていて、炭酸ガスで押し上げられたビー玉が栓の役割を果たしている。飲むときは専用の栓抜きで、ビー玉を押し下げるのだが、この時下手をすると多くが吹きこぼれてしまうので、すかさず口でそれを押さえる技術のいる不思議な飲み物である。海軍の最新鋭の軍艦の中では、このラムネが重宝されたと言うからその庶民感覚が面白い。鹿児島沖で沈没した「戦艦大和」は、戦後何度も海底探査が行われ、今日ではその沈没地点が特定されている。艦尾のスクリューや...軍艦とラムネ(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 戦艦大和(海上自衛隊呉基地見学記)

    昭和16(1941)年12月8日、日本は真珠湾を攻撃し太平洋戦争に突入した。その開戦直後、呉のドッグで極秘裏のプロジェクトで建造された「戦艦大和」が就役した。初陣は半年後で、アメリカを打ち崩し、戦争を早期に終結したいとの思惑を持ったミッドウエー島への侵攻であった。「大和」には高度な給排水の技術が搭載されていた。一部の船体が打ち抜かれ、海水が浸水しても、反対側に即座に給水する事でバランスを保つ技術らしく、「大和」が浮沈艦と言われた所以である。しかしそんな艦もその4年後の昭和20(1945)年4月7日、沖縄での特攻作戦に向かう途中、米艦載機動部隊の300機にも及ぶ猛烈な攻撃を受ける事になる。戦いの開始から凡そ2時間、不沈と言われた「戦艦大和」は、鹿児島の坊の岬沖で沈没、3,300名以上の乗組員が艦と運命を共にしてい...戦艦大和(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 極秘プロジェクト(海上自衛隊呉基地見学記)

    「大和ミュージアム」に入館して初めて目にするのが、広い吹き抜けの「大和のひろば」に置かれた「10分の1戦艦大和」の模型で全長は26.3mも有る。思わず「ワー凄い」と声が漏れてしまう程の迫力で迫ってくる。ひろばを取り囲む壁際には、見学用のデッキが設けられていて、模型の全体像を上から俯瞰することも出来るので、その全貌が良く解る。世界でも最大級の規模を誇った「戦艦大和」は、昭和16(1941)年、この地で極秘裏のプロジェクトにより建造された。当時既に造船の町として知られた呉の町には、数千人にも及ぶ造船技術者が全国から参集していて、プロジェクトにはその中からも選りすぐられた1000人ほどの職人が集められたという。海軍は建造期間を4年10ヶ月と言う、無茶な要求を突きつけてきた。1930年代頃よりアメリカとの戦争がより現実...極秘プロジェクト(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 軍港・呉(海上自衛隊呉基地見学記)

    明治を迎える迄の呉の町は、鰯漁の舟が浮かぶ小さな漁村で、瀬戸内の島々に包み込むように隠された波穏やかな湊が有り、人口も少なく背後に山を控えた広大な荒れ地の広がる寒村であったと言う。時の新政府は、欧米列強に対峙する国力を求め、富国強兵を進める中で鎮守府の設置を検討することになる。鎮守府とは、海軍の基地を維持管理する場所で、近代海軍にはなくてはならない最高の機関である。当時は長崎がその有力な候補地であったようだ。しかし外洋に程近いその地では防御上問題があるとされ、そこで俄に注目されたのが、瀬戸内海である。3000もの島々が浮かぶ内海は、海の迷路のようで、守るにも攻めるにも易いと言われたからだ。多くの場所が検討された結果その中から湊を瀬戸内の島々が包み隠す呉が選ばれた。広大な空き地があることも決め手となったようだ。そ...軍港・呉(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 大和ミュージアム(海上自衛隊呉基地見学記)

    「大和ミュージアム」に入館すると左手にショップが有り、右手のチケット売り場の前を通り抜け、右奥の左手に広がる常設展示コーナーに進む。そこで最初に目にするのが、館の最大の売りである「10分の1戦艦大和」の展示だ。2階と3階を抜いた吹き抜けの展示スペースの中央に、威風堂々と据えられている。模型ながら全長26.3mはかなりでかい。実物はこの十倍と言う「戦艦大和の」大きさは、流石に大きすぎてなかなか実感としては掴めないが、こんな巨大な鉄の塊の軍艦が海に浮かぶことが何とも不思議に思えてくる。「戦艦大和」の設計図は殆ど現存していないという。その為この模型は、様々な資料や証言に基づいて造られたそうで、今でも新たな発見があるとそのたびに修正を加え、精度を上げているのだそうだ。これまでにも何十回と修正を重ねて来たという。館内には...大和ミュージアム(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 呉市海事歴史科学館(海上自衛隊呉基地見学記)

    正式には「呉市海事歴史科学館」と言う、お堅い名称である事を当地に来て初めて知った。JR呉駅からだと大きな商業施設を通り抜け、歩いて5分ほどの所にあるこの館は、一般的には「大和ミュージアム」として知られている。と言うよりも、むしろこの愛称の方が定着し知名度が高い。呉潜水艦訓練センター、潜水艦の体験の後はこの施設の見学である。開館は平成17(2005)年の4月23日と言う。ここ呉市には嘗て海軍鎮守府や海軍工廠が置かれ、それにより発展を見た造船や鉄鋼の重工業が町を支えてきた。それは明治以降の日本の歴史そのもので、そうした先人達の活躍に触れながら、歴史と平和の大切さを深く認識する場として、呉らしさを表現した博物館をと言うことで開館したと言われている。開館以来の来館者は既に一千万人を越えていて、来館者の年齢幅が非常に広い...呉市海事歴史科学館(海上自衛隊呉基地見学記)

  • 「おやしお型」と「そうりゅう型」(海上自衛隊呉基地見学記)

    潜水艦のことはよく知らないが、幾つかの「型」に分類されるのだそうだ。その代表的なものが、「おやしお型」と「そうりゅう型」で、大きな違いはエンジンにあるらしい。「おやしお型」はディーゼル・エンジンで発電し、電気を電池にため込む。このさい電池が減れば必要な酸素を取り込むため、海面すれすれに管を出すスノーケルという作業を必要とする。しかしこれは敵方に見付けられる可能性がある。一方「そうりゆう型」はスターリング・エンジンと言って、非大気依存推進装置を搭載している。これは液体酸素用のタンクを備えていて、これを使い切らない限りスノーケル時の危険が低減されているという。いずれにしても「音を出さない音との戦い」と同様、潜水艦にとっての「電気」は生命線だけに、蓄電池を含めこの分野の研究は日進月歩らしい。これらの技術により潜航期間...「おやしお型」と「そうりゅう型」(海上自衛隊呉基地見学記)

  • コンパクトデジカメ(JR乗り潰しの旅)

    「思い出の引き出しを開ける依代(よりしろ)」は、旅ならやはり写真である。これなら何時眺めても、その時の光景が一瞬のうちにまざまざと蘇ってくる。だから旅には、必ずコンパクトデジカメを持参する。予備カードと充電ケーブルさえ忘れなければ、際限なく撮り溜が出来るから重宝している。しかし一人旅が多いので、風景写真は多いものの、自身の記録となると極めて少ない。そんな状況を打開するために、旅先では可能な限り妙齢な女性の、複数連れを見つけお願いする。これは若い人や、一人だと変に警戒されてしまうし、どうせお願いするのなら、男性よりは女性、年寄りよりは若い方がいいに決まっている。老人は「シャッターはどれ?」とか、「どこを押せば良いの?」とか、不安なのかやたらに説明を求めてくるから正直面倒くさい。また「あんたが・・、」「○○ちゃん、...コンパクトデジカメ(JR乗り潰しの旅)

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