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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 年末のご挨拶

    今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。厚く御礼申しあげます。やっとパンデミックから解放された年越しになりそうですね。しかし、かかりつけ医からコロナが再び増勢にあるので年末年始はくれぐれもご用心との指示がありました。来るべき新年も、気候変動による自然災害や新たな感染症の襲来を予想する専門家もいます。皆様方がご息災でお幸せな一年になりますことを心よりお祈りいたします。来年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。筆主敬白水前寺成趣園年末のご挨拶

  • 「今朝の秋」再び…

    昨日深夜、NHK-Gで「山田太一さんをしのんでドラマスペシャル『今朝の秋』」が放送されたた。このドラマは1987年に初回放送されたが、その後の再放送も含め観るのは今回で5回目ではないかと思う。個人的には不動の「オールタイム・ベスト1ドラマ」である。初回放送から36年経った今日でも新鮮な感動がある。原作・脚本が山田太一、演出が深町幸男、音楽が武満徹という超一流のスタッフに加え、笠智衆、杉村春子、杉浦直樹、倍賞美津子、樹木希林、加藤嘉、名古屋章、谷村昌彦ほかのキャスティングは絶妙だ。当時、社会問題となりつつあった家庭の崩壊、老いや病いと人生観、老々介護など今日的な問題が丹念に描かれている。このドラマの中で僕が最も好きなシーンは、年老いた父(笠智衆)が、癌で余命いくばくもない一人息子(杉浦直樹)を入院先の病院か...「今朝の秋」再び…

  • ハーン 謎を解く

    今日、家内を伴って年末の墓掃除とお参りを済ませた。わが家の墓は立田山の西麓にある。父の生家があった本籍地は泰勝寺跡の南側(下立田)なので墓地とは400㍍ほど離れている。父の生家の前を通る泰勝寺参道を挟んだ向かい側は小峰墓地となっている。僕は若い頃、父の生家の目の前に小峰墓地があるのに、なぜわが家の墓はだいぶ離れた立田山西麓にあるのだろうと不思議に思っていた。数年前、その謎はラフカディオ・ハーンの「石仏」を読んで解けた。小峰墓地から立田山南麓を見る(右奥の集合住宅辺りに父の生家があった)ハーンの「石仏」冒頭に次のような一節がある。この文章から、ハーンは小峰墓地から立田山を眺めている様子がうかがえ、ハーンの視界には父の生家も入っていたであろう。父の備忘録には幼い頃(大正初期)、この下立田は11軒の民家が、ここ...ハーン謎を解く

  • フォトジェニック2023

    ただでさえ年齢とともに行動範囲が狭くなっているのに、寒い季節になるとますます限られた範囲でしか行動していません。それに伴いブログネタにも事欠くようになり、このところ、下書きしたままほったらかしにしていた記事や一度はボツにしたネタなどを再び引っ張り出している有様です。今日の「フォトジェニック2023」も数年前からネタ候補ではありましたが、なかなかイメージに合う写真がなく、いつの間にか忘れていました。今回なぜか思い出し、ムリヤリ3点の写真を選んでみました。いずれも初出しの写真です。2023.3.18熊本城二の丸広場「春のくまもとお城まつり」から「チアダンスDAY!」における九州学院ミリアムズ2023.5.4「代継宮曲水の宴」から女性歌人に扮した後生川凜アナ(RKK)2023.10.29夏目漱石内坪井旧居「漱石...フォトジェニック2023

  • 野口雨情と熊本

    一昨日の記事「加勢川と『五足の靴』」に、ブログを通じて交流させていただいている「油屋種吉の独り言」様からコメントをいただいた。記事の中に北原白秋の名前があったので、野口雨情のことを連想されたらしい。お住まいの栃木県や野口雨情の生誕地・北茨城などには雨情ゆかりの施設がある。明治末期から昭和前期にかけて詩人、童謡・民謡作詞家として活躍し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情。昭和初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになり、雨情も日本全国をまわって数百曲という新民謡を作った。熊本でも県内各地を回って20数曲を残しているが、代表作が下記の三曲と言っていいだろう。野口雨情は熊本県民にとって忘れることのできない作詞家の一人である。▼よへほ節(山鹿灯籠踊り)明治初期からお座敷唄として唄わ...野口雨情と熊本

  • 加勢川と「五足の靴」

    今日は久しぶりに県立図書館で文献探しをした。目的に沿う文献は見つからなかったので、図書館裏の加勢川沿いの道を散策した。水前寺から流れ出て来た水は相変わらず青く澄んで、ただ眺めているだけで時の経つのを忘れてしまう。川面を泳ぐマガモを見ているとふと「五足の靴」を思い出した。「五足の靴」というのは、明治40年7月から8月にかけて、歌人与謝野寛が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した時の紀行文「五足の靴」のことである。その中で「勢舞水楼(せんすいろう)」という料亭から屋形船に乗り、江津湖の涼を楽しむくだりがある。僕が川面を眺めていた場所がかつて「勢舞水楼」があった辺り。船上には二人の町芸者が呼ばれ、民謡「おてもやん」を披露する。そんな場面を空想しながらひと...加勢川と「五足の靴」

  • 「密着!中村屋ファミリー」を見ながら

    昨夜放送されたフジテレビ系ドキフジテレビ系ドキュメンタリーュメンタリー「密着!中村屋ファミリー」のシリーズ最新作を見ながら思った。もし、2016年の熊本地震なかりせば、熊本城でも「熊本城歌舞伎」が行われていただろうと残念な気持が再び湧いて来た。昨夜の内容は今年5月に世界遺産の姫路城で行われた平成中村座公演を中心に密着取材したものだった。今から10年前の2013年に熊日新聞に発表され、熊本の歌舞伎ファンの期待を集めたのが「熊本城歌舞伎」。熊本地震により実現の可能性が遠のいたものの、実現に向けて再度動き出してほしいものだ。▼2014年2月の熊日新聞記事≫≫≫これまで熊本城で行われた歌舞伎や創作舞台の中から≪≪≪▼坂東玉三郎特別舞踊公演(2008.4.30)熊本城築城400年を記念して復元された本丸御殿落成記念...「密着!中村屋ファミリー」を見ながら

  • 雪の季節に聴く一曲(邦楽編)

    日本各地で大雪に見舞われているらしい。まずは被害が出ている地域の皆様にお見舞いを申し上げたい。熊本も大雪警報が出ていたけれど今のところ粉雪がパラついた程度。これまで住んだことのある地域の中では那須や彦根の冬は雪がよく降った。その時の思いをすれば、熊本で雪が降ってもたいしたことはない。雪にちなんだ音楽は数多あるが今日は邦楽の中から選んでみた。1曲目は﨑秀五郎さんの端唄三味線で「淡雪」。詞章を読むと想像がつくように、新内節の「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)」に材をとったいわゆる「明烏もの」。2曲目は三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんが「山中節(石川県民謡)」をモチーフに創作された「俚奏楽雪の山中」。いずれも雪の季節に聴くと一層味わい深い。〽淡雪と消ゆるこの身の思ひ寝に浮名を厭ふ恋の仲乱れしままの鬢付き...雪の季節に聴く一曲(邦楽編)

  • 今年忘れられない風景(3)

    3月21日、「古謝美佐子・熊本城島唄コンサート」のラストコンサートが熊本城二の丸広場で行われた。2001年に始まったこのコンサートは、熊本地震や新型コロナなどで中止された年もあったが、20回目を数える今回で幕を閉じることとなった。雨が降りしきる中、「熊本節」「春の唄」「花」「童神」などお馴染みの曲が次々と演奏され、詰めかけたファンから盛んな拍手が送られた。僕は2010年から見始め、今回が10回目だった。その2010年に竹の丸で行われたコンサートも雨が降ったが、この年に初めてゲスト出演した舞踊団花童は今回まで毎回出演し、島唄に踊りを添え、舞台を華やかに盛り上げた。演奏曲の中で最も人気が高かったのがやはり「童神」で、ほかに戦時中、この熊本城にあった第六師団に沖縄から徴兵されてやってきた多くの若者たちの心情を唄...今年忘れられない風景(3)

  • 第57回熊本県邦楽協会演奏会

    本條秀美さんのホームページに「第57回熊本県邦楽協会演奏会」のお知らせが載せられていた。前回が都合で見に行けなかったので今回は何としても行きたい。今回、本條秀美さんの秀美会は、本條秀太郎さん作詞・作曲の「俚奏楽民謡七福神(舞踊付)」、またトリの「蓑里会・うらら会・花と誠の会」共演による「花見踊り(舞踊付)」など楽しみな演目が並ぶ。【過去の舞台より】2019.1.20熊本市国際交流会館7Fホール第54回熊本県邦楽協会演奏会蓑里会・うらら会・花と誠の会2015.4.4熊本城本丸御殿春の宴舞踊団花童ザ・わらべ(くるみ・あやの)2016.1.10熊本市国際交流会館7Fホール第51回熊本県邦楽協会演奏会うらら会・花と誠の会第57回熊本県邦楽協会演奏会

  • 昭和レトロの街 ~子飼商店街~

    3週間前の話で恐縮ですが、藤崎宮に朔日詣りをした後、久しぶりに子飼商店街を歩いてみたくなりました。午前中だったからか人通りもあまりありませんでした。廃業した店や廃屋も散見されました。僕らが子供の頃の活気溢れたさざめきはもうないのでしょうか。ここは昭和の薫りただよう街としてメディアでもよく取り上げられますが、かつては松雲院通りと呼ばれた通りでした。その名の由来は今も残る松雲院という臨済宗の大きなお寺があったからです。松雲院は細川家の重臣だった松井家の墓所としても知られています。この通りの途中に南に入る小路がありますが、かつての細川刑部邸への入口です。刑部邸が熊本城三の丸に移築された後にはマンションが建っています。明治時代、そんな通りを人力車に乗ったラフカディオ・ハーンや夏目漱石らが毎日、五高(今の熊大)へ向...昭和レトロの街~子飼商店街~

  • 年賀状の季節に思うこと

    そろそろ年賀状をと考えている今日この頃、日本郵便のCMで今田耕司が「今年も出します年賀状」と歌いながら「あの人にはもう出さんでええか」と愛犬に同意を求めるが、愛犬は首を横に振って同意しない。という場面にものすごく共感する。「年賀状じまい」をされる方が年々増えているようで、自分もそうするかなと毎年思うのだが、年に一度の年賀状だけで辛うじてつながっている方も多く、もし年賀状を待っていてくださる方がいらっしゃるかもしれないと思うとなかなか踏み切れない。逆に、自分への年賀状が全く届かなくなったらそれは随分寂しい正月になるに違いない。アメリカのポップスやジャズのスタンダードナンバーに「手紙でも書こう」(I'mGonnaSitRightDownandWriteMyselfaLetter)という曲がある。これは恋しい人...年賀状の季節に思うこと

  • 忘年会シーズン

    昨日は年末の親戚挨拶回りをした。ある親戚の家を訪れるとちょうどご主人がほろ酔い気分で帰って来られた。同級生仲間と忘年会をやったのだという。そう言えば家の外での忘年会などとはすっかり縁遠くなってしまった。会社員の頃は温泉旅館に泊りがけの忘年会もよくやった。那須勤務時代の塩原温泉や鳥栖勤務時代の嬉野温泉、熊本勤務時代の菊池温泉などが思い出深い。宴会ではコンパニオンを呼んだりして飲めや歌えの乱痴気騒ぎになったこともある。そんな宴席でよく聞いたのがお座敷唄の定番「お座敷小唄」や「芸者ワルツ」など。11年前にYouTubeにアップした「こわらべ」が踊る「お座敷小唄/芸者ワルツ」を久しぶりに視聴していたら、当時、急いでアップをしたと見え、画質の粗さが気になったのでリマスターして再アップした。お座敷小唄/芸者ワルツ忘年会シーズン

  • 今年忘れられない風景(2)

    肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公の廟所があることで知られる本妙寺。この寺のシンボルとなっているのが大正9年(1920)に建てられた正面幅13㍍、奥行6㍍、高さ15㍍、鉄筋コンクリート造りの仁王門(国登録有形文化財)。2016年4月の熊本地震で天井・壁に亀裂が走るなど甚大な被害を被り、地震以来通行できなくなっていた。2年前から始まった修復工事が昨年11月に完了。やっと通行が可能になった。そして今年は4年ぶりに行われた3月の「桜灯籠(はなどうろう)」、そして7月の清正公御逮夜の「頓写会(とんしゃえ)」では熊本地震前年の2015年以来8年ぶりに大勢の市民が仁王門をくぐった。また参道の出店が復活し、夏の一夜を賑わせた。8年ぶりの頓写会に仁王門をくぐる市民門前町の参道を続々と仁王門へ向かう市民の群本妙寺大本堂の灯明と...今年忘れられない風景(2)

  • 2023年師走 熊本小ネタ集

    1消えた風車京町台から阿蘇中岳を眺めると手前の俵山の斜面に沿って並ぶ風車がお馴染みの風景だった。ところがいつからか風車が消えた。聞けば、熊本地震で損壊した風車が修復不可能となり全面的に建て替えを行なうらしい。現在、全基撤去され、来年度から建設工事が始まるという。1基当りの性能を増強し、5基に減らして3年後から再稼働の予定だという。現在の阿蘇中岳と俵山の風景2019年12月の阿蘇中岳と俵山の風景(この年10月に中岳が噴火。俵山には10基の風車が並ぶ)2素屋根に覆われた宇土櫓熊本城宇土櫓(国指定重要文化財)は素屋根に完全に覆われてしまった。年明けにはいよいよ解体工事が始まる。約2年をかけて解体し、その後の再建工事を経て、宇土櫓が再び姿を現すのは10年後。それまでは何とか見たいと願っているが。素屋根に覆われた宇...2023年師走熊本小ネタ集

  • ご視聴に感謝!

    今日、早くもYouTubeマイチャンネルの年間サマリーがメールで届きました。まだ今月は半分残っているので、少々気が早いなと思いますが、11月末までの統計データのようです。そして今年の最多視聴回数動画が「伊勢音頭」になったとありました。統計的に12月分を加えても順位が変わることはないと判断したのでしょう。最終的な年間統計データはまた後日掲載することとして、ともかく今年も多くの方々に弊チャンネルをご視聴いただきありがとうございました。下の画像をクリックしていただきますと、動画のページが開きます。ご視聴に感謝!

  • 今年忘れられない風景(1)

    今年も残すところ3週間。そろそろ振り返りをしたい時期になりました。今日はその第1回として「7年ぶりの夏目漱石内坪井旧居再公開」を選びました。五高教師として熊本で4年3ヶ月を暮した漱石は、その間6回もの転居を繰り返しましたが、その中で最も長い1年8ヶ月を暮したのが5番目の内坪井旧居。2016年4月の熊本地震で大きく損壊し、ずっと休館が続いていました。この漱石旧居前は普段からよく通るので、いつから復旧工事が始まるのだろうと通る度に思っていましたが、3年前に復旧工事が始まり、今年に入ってやっと工事が完了し、漱石の誕生日である2月9日に公開を再開しました。約7年ぶりの公開です。僕自身も2016年1月に訪れて以来、7年ぶりの入館となりました。内坪井旧居再開翌日(2023.2.10)の風景再開後、今では毎月、漱石にち...今年忘れられない風景(1)

  • 漱石気分で能を楽しむ

    今日は夏目漱石内坪井旧居で行われたイベント「漱石気分で能を楽しむ」に参加した。観世流の薬師堂隆子先生による「お能のイロハ」のお話の後、薬師堂先生と茨木國夫先生お二方により「高砂」と「井筒」の仕舞披露があった。その後、参加者全員により能の所作の基本である「カマエ」と「ハコビ」および扇のかざし方について先生の指導を受けながら体験した。能の公演は何度も拝見しているが、自ら所作をやってみたのは初めて。なかなか難しいものだ。漱石と能については、7年前の漱石来熊120年記念年の際、演能が予定されていたにもかかわらず、実現することなく終わったことはガッカリした。新作能の企画がまとまらなかったらしいが、われわれ能楽ファンは何も新作能を期待しているわけではない。「熊野」でも「高砂」でもいいし、2002年に法政大学能楽研究所...漱石気分で能を楽しむ

  • ブラタモリ宇和島編

    今夜のブラタモリは四国・宇和島編。個人的に興味がある地域だった。それは15年前、妻と二人で四国旅行をした時、回り切れなかったのが四国の西側地域だったから。大分の佐伯からフェリーで高知の宿毛に渡り、太平洋沿いに反時計回りに旅した。高知―徳島―香川と回り、愛媛は松山まで行った後、今治からしまなみ海道で広島の尾道に渡った。実は愛媛は内子座や高校水球で対戦していた大洲高校や宇和島城など行ってみたいところがいくつかあった。しかし、スケジュールがタイトで断念したのが心残りだった。今夜ブラタモリで見た宇和島は、僕が抱いていたイメージと大きく異なっていた。それは、宇和島は温暖な気候のもと、豊かな田園が広がっているというイメージだったからだ。番組のキーワードだった「ギザギザ」のリアス式海岸。山が海に迫り、平地は限られ、米が...ブラタモリ宇和島編

  • 太平洋戦争開戦の日

    今日12月8日は太平洋戦争開戦の日。父にとって82年前のその日がどんな日だったのか、あらためて父の回顧録を読み直してみた。(2011.12.7記事再掲)昭和29年頃の紺屋今町周辺。白川に沿って走る道路が国道3号線。白川べりのビルが防空監視哨があった元九電熊本支店。戦時中、父が勤務した三菱熊本航空機製作所で製造された爆撃機「飛龍」太平洋戦争開戦の日

  • パソコン歴43年

    パソコンなどというものにかかわるようになって43年になる。その始まりは1980年、東京本社に勤務している頃だった。ちょうど会社の中で“OA化”なるものが本格的に始まり、部署内で若手だった僕は先頭を切ってパソコンの習得をせざるを得ないハメになった。社内講習が始まったが、教わることと言えば、BASIC言語によるプログラミング。およそコンピュータなどとは縁遠い人生を送っていた僕にとって悪戦苦闘の連続だった。当時のパソコンは自らプログラムを組むしか使う方法はなかったのだ。早晩挫折するのは目に見えていた。しかし、そこで踏みとどまれたのはある人のお蔭である。その人は会社の大先輩であり、かつての上司でもあった。50歳を過ぎてから一念発起して、独学でプログラミングを修得され、会社の生協のシステムを自ら開発された。その取り...パソコン歴43年

  • 1年ぶりの谷汲観音様

    今年はまだ谷汲観音を拝観していなかったので今日、浄国寺を訪れ、1年ぶりにご尊顔を拝した。天才生人形師と謳われた松本喜三郎の最高傑作を初めて見てから13年になる。以来、拝観すること10回ほどになるが初見の時の感動は未だ覚めやらぬ。今日は拝観しながら、谷汲観音像が表す場面設定についてあらためて思いを致した。「西国巡礼三十三所観世音霊験記」は、三十三番札所「谷汲山華厳寺」(美濃國:岐阜県)で満願(結願)を迎える。大倉太郎信満という奥州の金商人は常に大悲を深く信じていた。ある時、文殊菩薩が童子に身をやつし、霊木の松木を彫って十一面観音の像を造り信満へ賜うた。京都仁和寺に於て供養を済ませた信満は、美濃垂井までやって来たが背負った御厨子が重くなって動けなくなった。すると御厨子の中から観音像が出で賜いて、この地は有縁の...1年ぶりの谷汲観音様

  • Those were the days

    僕が大学を卒業した1968年、イギリスのメリー・ホプキンという女性歌手の唄う「悲しき天使(ThoseWeretheDays)」という歌がヒットした。ビートルズのポール・マッカートニーがプロデュースしたこの曲は原曲はロシアの歌だそうだが、ちょっと悲しげな旋律が受けた。原題の「Thosewerethedays」とは、「あの頃はよかった」というようなニュアンスの慣用句で、歌詞も若い頃をノスタルジックに思い返している心境を描いている。下のママズ&パパスが歌う「夢のカリフォルニア」とペトゥラ・クラークが歌う「恋のダウンタウン」はともに僕が学生時代の60年代半ばにヒットした曲。この3曲を聴いているとまさに「Thosewerethedays」の心境。いずれも胸に響く。▼悲しき天使(Thosewerethedays)▼夢...Thosewerethedays

  • 稲作と芸能

    秋の祭りもあらかた終わり、熊本も本格的な冬の季節へと入って行く。今年もいろんな祭りが行われたが、日本の祭りは農業、就中稲作と密接につながっていることを実感する。春から初夏、田の神に豊作を祈願する祭りを行ない、秋には田の神に豊作を感謝する祭りを行なう。そしてその祭りには必ず芸能が演じられる。わが国は、縄文時代から弥生時代にかけて大陸から稲作が伝来し、稲作を中心とした農耕社会が形成された。季節季節に神を迎えて祭りを営み、祈りと感謝を歌舞音曲で表した。これがさまざまの芸能のルーツになって行った。今日もこれら季節ごとの祭りが脈々と受け継がれているのである。秋祭りでは五穀豊穣に感謝する。春から初夏にかけて豊作を祈願する田植祭りを行なう。稲作と芸能

  • 夏目漱石旧居と謡

    昨日、朔日詣りで藤崎八旛宮へ行く時、夏目漱石の熊本第六の旧居前を通りかかると隣接地の建物が解け、さら地になっていることに気付いた。第六旧居は熊本市が買い取って整備すると聞いているが、何か関連施設でもできるのだろうか。それはさておき、しばし立ち止まって標柱をあらためて読んでみた。次のように書いてある。漱石が熊本で過ごした最後の住居で、明治33年4月から熊本を去る33年7月までの3ヶ月住んだ後、上京し同年9月には英国留学へと旅立ちました。家主である磯谷氏一家の努力によって漱石のいたままのおもかげがそのまま残されています。漱石のここでの作に「鶯も柳も青き住居かな」「菜の花の隣もありて竹の垣」の句があります。最初の句を読んでふと気付いた。漱石が第五旧居に住んでいた頃に始めたといわれる謡のなかでも好んで呻っていたと...夏目漱石旧居と謡

  • 師走の朔日

    今年もあっという間に師走。今日はいつものとおり藤崎八旛宮へ朔日のお詣りへ。本殿に参拝した後、末社もと思って境内を回ろうとすると、三光宮で例祭の神事が行われていた。三光宮は医薬の祖神といわれ、大己貴神と少彦名神が祭神となっている。医薬には自分も日頃お世話になっているので、神事に合わせて拝礼して後にした。楼門前鳥居の前の参道に大型トラックが3台並んでお祓いを受けていた。今日から使う新車なのだろう。ボディのサイドパネルにNEXロジスティクスと書かれていた。トラックドライバーの人手不足に加え、来年からトラックドライバーの時間外労働の規制が強化されることなどによる「2024年問題」が懸念されており、来年は物流は大変な年になりそうだ。三光宮例祭の神事お祓いを受けるNEXロジスティクスのトラック▼今月のお奨め曲~We'...師走の朔日

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