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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 小峰墓地から

    今日は所用で熊本大学黒髪キャンパスの近くを通ったのでついでに小峰墓地に立ち寄った。昨年12月、鶴崎文化研究会の皆さんと一緒に訪れて以来だ。いつものようにラフカディオ・ハーンが愛した「鼻欠け地蔵」や偉人たちの墓にお参りした。その後、墓地の北側に回って立田山と麓の下立田の集落を眺めた。かつてその一角に父の生家があった。しばらく眺めていると、ハーンの「石仏」の冒頭の一節が頭に浮かんだ。ハーンが言う「このあたりの黒髪村の人たち」にはおそらくわが先祖たちも含まれているであろう。そしてハーンが言うようにわが家の墓地も小峰から立田山西麓に移されたのだろうと思う。ハーンの「石仏」より小峰墓地から

  • だらりの帯の家紋

    今年も鶴屋百貨店で現在行われている「大京都展」で京都の舞妓さんの舞披露を見た。祇園東の満彩尚(まさなお)さんが「もみじの橋」「萩桔梗」「祇園小唄」の三曲を舞った。司会者とのトークでは、振袖の肩上げと袖上げの由来、髪型のおふくと割れしのぶの使い分け、だらりの帯に入った家紋の話などが披露された。だらりの帯の家紋は、かつて12,3歳の舞妓さんがいた頃、お座敷で眠ってしまうことがよくあったため、連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。その話を聞きながら、高浜虚子の随筆「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏」という一節を思い出した。漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」を執筆するため京都に滞在していた頃、虚子に誘われ、祇園の一力で舞妓さんたちと...だらりの帯の家紋

  • 今日のアングル

    アングル1新町電停水戸岡鋭治氏のデザインによる新型超低床電車「COCORO」が新町電停に入って来た。洗馬橋電停から新町電停の区間は熊本市電唯一の専用軌道区間となっている。その間、二ヶ所の踏切がある。新町電停の西側にはかつての新町繁栄の名残を感じさせる長崎次郎書店や吉田松花堂などの建物が見える。そして洗馬橋電停の辺りは慶長年間に加藤清正が阿国歌舞伎を招いて興行をした場所でもある。アングル2京町拘置支所今年6月に渡鹿の熊本刑務所構内に移転した京町拘置支所は、大正元年(1912)に「熊本監獄京町出張所」として開設。昭和38年(1963)に建替えられた。われわれ地区住民は「京町刑務所」という通称で馴染んでいたが、110年におよんだ京町での歴史を終えた。8年前、戦前の小学生時代に「京町刑務所」脇を下って(観音坂)壺...今日のアングル

  • 幻の熊本民謡 ~火の国小唄~

    昭和10年に水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックに、熊本の民謡として次の8曲が歌詞付きで紹介されている。火の国小唄/五十四万石/田原坂/おてもやんキンキラキン/東雲節/新興熊本博覧会会歌/新興熊本小唄その筆頭に挙げられているのが「火の国小唄」。最後の2曲は博覧会用に特別に作られた歌なのでさておき、他の5曲と比べ今日では「火の国小唄」の影は薄い。というよりこの歌を知っている熊本県民はほとんどいないといってもいい。この歌について、昭和から平成にかけて発刊された「新熊本市史」の編纂過程で発行されていた「市史編さんだより」第16号(1998年3月発行)に、瑞鷹酒造専務(当時)吉村圭四郎氏の「戦前の熊本の歌あれこれ」という一文の中で次のように紹介されている。この時代は一方で民謡調流行歌(新民...幻の熊本民謡~火の国小唄~

  • gooブログの仕様変更

    最近、gooブログの仕様が変わったらしい。YouTube動画を埋め込んだ記事を見ていて気付いた。動画と直下に書き込んだキャプションの間が妙に開いているのだ。試しに新規投稿ページにYouTube動画のコードを貼り付けてプレビューしてみた。なんと既に動画のアラインがセンターになっている。これまではコードを貼り付け、1行改行してキャプションを書き込んだ後、動画のコードとキャプションを括ってセンタリングしていた。これまでの1行改行が余計になったことに気付き、動画のコードとキャプションが続いたままプレビューしてみると前の状態に戻った。修正方法はわかったがこれまでの同様の投稿記事を探し出し修正するとなるといったい何10件、何100件になるのだろう。気が重い。仕様変更後の状態修正後(仕様変更前の状態に戻したもの)gooブログの仕様変更

  • 今日のちょっとした話題

    ◇娘ジントヨーこの数日、5月2日に投稿したブログ記事「娘ジントヨー」へのアクセスが急増したので不思議に思っていたが、どうやら22日放送の朝ドラ「ちむどんどん」で上白石萌歌さん扮する三女歌子がプロポーズされ、彼女が「娘ジントヨー」を歌うシーンがあったかららしい。ここしばらく朝ドラは失礼していたので気が付かなかった。このドラマの中では一番気になっていたキャラクターだったので彼女の想いが通じて、まずはめでたしめでたしといったところか。◇嗚呼「一太郎」今日、BSテレ東の「私の履歴書」というドキュメンタリー番組で、かつてワープロソフト「一太郎」で名を馳せた浮川和宣さんご夫妻が取り上げられた。「一太郎」には80年代半ばから90年代半ばまで随分お世話になった。ウィンドウズ95が登場して会社のパソコンが「ワード」に統一さ...今日のちょっとした話題

  • 熊本城宇土櫓石垣の修復

    昨日投稿したばかりの「宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで」の中で、宇土櫓石垣の修復方法についても触れた。記事には会話の要点のみ記載したのだが、実は結構な時間を費やしてこれについて語り合っていた。そして、今日の熊日朝刊にまるでそれに対する解説のような記事が載った。それが下の記事なのだが、昨年10月に投稿した「熊本城修復のあり方」と合せて掲載してみた。◇熊本城修復のあり方(2021.10.26)今朝の熊日新聞に「熊本城を歩く」と題した特集記事に城郭考古学者として有名な千田嘉博先生の熊本城復旧についてのインタビュー記事が掲載された。千田先生は熊本城文化財修復検討委員会の委員も務めておられるのでとても興味深く読ませてもらった。なかでも極めて注目すべきは、国重文である宇土櫓周辺の石垣の復旧に関する話だ。石垣に大きな...熊本城宇土櫓石垣の修復

  • 宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで

    昨日は散歩の途中、宇土櫓の前でしばらくその姿に見入った。来月から解体保存工事が始まるそうなのでひょっとしたら見納めになるかもしれない。現在、解体保存工事中の戌亥櫓ゾーンの警備員のおじさん(と言っても僕よりだいぶ年下だが)がすぐそばに立っていたので話しかけてみた。「戌亥櫓の解体保存工事もまだ続いていますが、宇土櫓の方はもっと大変でしょうね」「戌亥櫓は来年3月までかかると聞きますが、おそらく宇土櫓は戌亥櫓の何倍もかかるでしょうね」続けて「宇土櫓の内部に入ったことがありますが、柱が折れたり曲がったりとそれは酷いものでした。解体しても新しい木材を相当多く使わざるを得ないでしょうね」「そうなんですか。解体保存が終わったとしても国重文ですから再組立ては大変でしょうね」「となりの西出丸の倉庫に保管することになると思いま...宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで

  • くまもと 秋のまつり

    朝方は布団が恋しい季節になりましたね。熊本はやがて秋のまつりのシーズンに入ります。何かご興味をお持ちのイベントがありましたらどうぞお運びください。熊本市政令指定都市移行10周年記念秋のくまもとお城まつり熊本城流鏑馬10/30(日)10:30~12:00熊本城二の丸広場(無料)熊本城ライトアップ(城あかり)11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00(最終入場20:30)熊本城特別公開エリア(有料)旧細川刑部邸特別公開と紅葉ライトアップ(城あかり)11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00旧細川刑部邸(無料)二の丸竹あかり(城あかり)11/18(金)~12/4(日)点灯は日没後熊本城二の丸広場周辺(無料)市街地イベント熊本暮らし人まつりみずあかり10/8(土)~9(日)18:00~22:0...くまもと秋のまつり

  • 和菓子 LOVE!

    ブログ友の「くりまんじゅう」さんが、先日BSプレミアム「美の壺」で放送された「黒の風格羊羹(ようかん)」にちなんで「羊羹」をブログで取り上げておられた。これを読ませていただきながら、7年ほど前に「漱石と羊羹」というブログ記事を投稿したことを思い出し、さっそく「くりまんじゅう」さんの記事にコメントさせていただいた。コメントを書き込みながら、自分のブログに羊羹に限らず、和菓子の記事を書いていることを思い出し、主なものをピックアップしてみた。こうして並べてみると自分の和菓子好きにあらためて気付いた。◇時を超える菓子「かせいた」(2022.5.29)◇綾子舞ものがたり(2022.4.6)◇長谷幸輝検校没後百年記念の和菓子(2020.3.2)◇細川家立田別邸~父の幼時を追体験~(2017.4.16)◇いきなり団子の...和菓子LOVE!

  • なごり風

    昨夜は風の音でなかなか寝付かれなかった。日付が変わった午前1時頃、急に風がやみ雨音に変わった。テレビを点けてみると、台風はもう熊本県と福岡県の県境を越え大牟田付近にあった。今回は「経験したことの無い超大型台風」と散々おどかされたが、これまで経験した多くの台風と特に変わったところもなくちょっぴり肩すかし感も。今日の日中は台風のなごり風や時折小雨もパラついたが、夕方それもおさまってきたので少し散歩した。道端のオシロイバナが開き始めていた。昨夜は強い風や雨の中で咲いていたのだろうか。開花時期も終わりに近い。野分去りけなげに咲くや夕化粧※夕化粧:オシロイバナのことなごり風

  • しずごろう民謡わがままチャンネル

    東海風流チャンネルでおなじみの民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのお二人が、東海・中部の枠にはこだわらず、お二人が演奏したい曲を「しずごろう」というコンビ名で発信して行かれるそうです。新たにスタートした「しずごろう民謡わがままチャンネル」の発信第1弾は「鹿児島三下り」です。この唄は江戸後期から幕末にかけて流行った「三下り端唄」の一つで、七・七・七・五を基本に、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という音数律で唄われます。〽唐傘の糸は切れても紙ゃ破れても通わせ給(たも)るがわしゃ嬉しこの唄は江戸後期に京都から薩摩に伝わった唄といわれています。「しずごろう」の第2弾、第3弾が楽しみです。※三下りとは(goo辞書より)三味線の調弦法の一。本調子の第3弦を1全音(長2度)下げたもの。粋 (い...しずごろう民謡わがままチャンネル

  • 御旅所御能奉納・御能組

    もし台風14号なかりせば明日の御旅所奉納能で演じられるはずだった御能組(プログラム)は下表のとおり。10月に延期されることになったが、役者さんたちのスケジュールもあってこのままの演目になるとは限らない。この中で未見は「六浦」のみだが、いずれも見ごたえ十分の演目ばかり。特に「枕慈童」は個人的にも思い出の曲。2014年の熊本城薪能でも演じられたが、今回同様台風の襲来で二の丸広場の特設舞台から手狭な本丸御殿大広間へと急遽会場変更となった。この時シテを務めたのは喜多流の女性能楽師・大島衣恵さん。女性がシテを務める能を見たのはこの時が初めてだった。不老不死の霊水で700年を生き続けねばならなかった童子の話。御旅所御能奉納・御能組

  • 三年ぶりの鉦太鼓

    14号台風の襲来が予想されるため、明後日(18日)の藤崎八旛宮例大祭の神幸式は延期が決まりましたが、今日は朝9時からの「神馬飾卸」と10時からの「飾馬飾卸」が予定どおり実施されました。3年ぶりに鉦太鼓やラッパの音が熊本の街に響き渡りました。なお、延期の日程は後日発表の予定だそうです。神馬飾卸飾馬飾卸三年ぶりの鉦太鼓

  • 桃太郎からの~

    昨夜のNHK「歴史探偵」では「桃太郎」がテーマだった。3年ほど前に放送されたブラタモリ「岡山・桃太郎編」の内容に加え、口承文芸として各地に伝わりながら少しずつ変化していった物語や日本帝国主義の時代に桃太郎伝説が利用されていった経緯などが解説された。番組内容については別の機会に譲るとして、番組を見ながらふと思い出したのが端唄「桃太郎」。そして「桃太郎」の元唄とも言える「奴さん」。そしてそのまたバリエーションの「花魁三分二朱」と続けて三曲聴いてみた。端唄「桃太郎」(立方:ザ・わらべ地方:藤本喜代則社中ほか)端唄「奴さん」(唄・三味線﨑秀五郎)端唄「花魁三分二朱」(立方:花童音源は本條秀太郎師)桃太郎からの~

  • 御旅所能舞台の鏡板

    今朝の熊日新聞に下の記事が載った。藤崎八旛宮例大祭で御能奉納が行われる御旅所能舞台(熊本市中央区新町)の鏡板を崇城大美術学科の学生らが新たに描いたという。百年以上の歴史を有するこの能舞台は老朽化が進んだため、熊本市が昨年から改修工事を進め、檜をふんだんに使って見違えるほど美しくなっているのを6月末の新町大祓の時に見ていた。今回新調された鏡板は例大祭の「神幸行列」がある18日に〝こけら落とし〟が行われるという。神事として始まった原始の能は、野外に土を盛り上げただけの簡素な舞台で、神社の境内などの大きな老松の下などで行われた。まずこの自然木の老松に神を降ろすことから始まった。この神が宿った松の木を「影向の松(ようごうのまつ)」と呼ぶ。つまり、もともと舞台のそばにあった天然の松の木を模して描かれたのが能舞台の「...御旅所能舞台の鏡板

  • 火に身を投げたうさぎ

    昨夜は中秋の名月。一応撮影に挑んでみたものの満足できる写真は撮れませんでした。中秋の名月をブログのネタにする方も多かろうと思い、昨日はあえて名月をネタにするのはやめました。ところで、子供の頃、大人たちによく聞かされたのは「月ではうさぎが餅をついている」という話。そう言われると満月の暗い部分がうさぎが餅をついている影絵のように見えたものです。この言い伝えが日本で始まったのは、平安時代に書かれた「今昔物語集」の巻五第十三話に「月の兎が生まれた話」という一節があり、それがもとになったようです。もっともこの話には原典があり、インドの仏教説話からきているといわれています。それはこんな話です。昔、天竺(インドの旧名)にうさぎときつねとさるがいました。三匹は菩薩の修行をしていましたが、これを見た帝釈天(仏教の守護神)は...火に身を投げたうさぎ

  • 喜多流能楽師一行の南仏公演

    現在、南フランス能公演ツアー中の喜多流能楽師・大島衣恵さんがFacebookに中間報告を投稿されていた。その中で一行がエクサンプロヴァンス市長への表敬訪問が地元新聞に掲載されたことを紹介されていた。記事にはジョワサン市長とレイナル副市長が、交流都市である熊本市の大西一史市長と約1時間にわたってオンライン会議を行い、来年、交流都市10周年を迎える両市をつなぐプロジェクトやパートナーシップについて話し合った。その後、市庁舎で狩野了一さんを団長とする能楽師一行の表敬訪問を受けたことなどが書かれていた。熊本市とエクサンプロヴァンスとの交流は1984年の熊本日仏協会のエクサンプロヴァンス市訪問に始まるが、80年代初めからフランスでの能公演を行なっていた喜多流能楽師の狩野琇鵬さん(2016年没)が1992年、エクサン...喜多流能楽師一行の南仏公演

  • 宇土櫓の傾き

    熊本城宇土櫓の解体・復旧工事がいよいよ来月から始まります。宇土櫓というと通常は五階櫓の部分を指してそう呼んでいますが、熊本地震で倒壊した二階の隅櫓と平櫓からなる続櫓を合わせた総称が宇土櫓です。隅櫓と平櫓は既に解体保存されていますが、熊本地震前の平櫓をご覧になった方は、五階櫓に向かってやや下がって行く構造だったことを憶えておられるでしょうか。これは何か損壊があったというわけではなく、櫓を支える石垣そのものに傾斜があるためその上に建てられた平櫓も傾斜がついたというわけです。下の熊本地震前の2枚の写真を見ますと傾斜の度合いがよくわかると思います。まだだいぶ先になりますが、復旧された時はこの傾斜も再現されると思います。宇土櫓の傾き

  • 病院の待合室で

    今日は姉を国立病院に連れて行って診察が終わるまで待合室でテレビを見ながら待った。一番印象強かったのは昨日96歳で亡くなったイギリスのエリザベス女王の話題。昭和28年、僕が小学2年生の時、学校の映画見学会があった。当時、通町筋にあった大劇で見た肝心の映画は何だったか思い出せないが、その前に上映された映画ニュースで見たエリザベス女王の戴冠式の様子は鮮明に憶えている。約70年の長きにわたり女王に君臨したエリザベス2世の死は、第二次大戦後世界の一つの時代が完全に終わったという感慨とともに寂しさを禁じ得ない。外国の元首の死でこれほど寂しさを感じたことはかつてない。夕方だったので、NHKで朝ドラの再放送をやっていた。今放送しているのは1996年に放送された「ひまわり」。2話続けて放送していたが、近年の朝ドラとは何かが...病院の待合室で

  • 阿蘇 ~青春の1ページ~

    1968年、僕が大学を卒業して最初に就いた仕事はM社のトラックやバスを販売するディーラーだった。ここには1年余りしかいなかったのだが、このわずか1年余りの経験が、後にいろんな場面で生きることになった。顧客は運送業や土木建設業などに限られるので、新入社員の僕の仕事と言えば、定期的な顧客への挨拶回りとご用聞きだった。そして僕の担当テリトリーは、阿蘇五岳を挟んだ南郷谷と阿蘇谷を中心とする阿蘇地方一円。地域特性もあっていろんな体験をし、多くの人々に出会った。中でも特に忘れられない思い出をあげてみた。ヒッチハイク当時はモータリゼーションのさなかにあったが、阿蘇ではまだマイカーはそれほど普及しておらず、乗用車で行くと羨ましがられたものだ。顧客回りをしているとその家の娘さんなどから「ついでに〇〇まで乗せてって」などと頼...阿蘇~青春の1ページ~

  • 本條秀咲さんのホームページ

    本條流三味線の奏者として10年以上前から存じ上げている本條秀咲(ひでさき)さんがこのほど自らのホームページを立ち上げられた。秀咲さんを初めて拝見したのはたしか2011年の春だったと思う。当時、ザ・わらべ&こわらべ(現舞踊団花童)の熊本城本丸御殿などでの公演では、本條秀美社中と藤本喜代則社中が交互に地方を務めていたが、本條秀美社中の時は立三味線の本條秀美さんの脇のワキ三味線がいつも秀咲さんだった。当時はまだ本條流の名取りは許されていない頃で本名で出演されていた。今日、本條秀美さんに確認したところ、その年の10月に家元の本條秀太郎さんから名取りを許されたそうである。その後もずっと本條秀美さんについて修行を重ねられ、今では家庭を持ちながら自分の三味線教室も開設して日々奮闘中とのことである。秀咲さんが三味線を始め...本條秀咲さんのホームページ

  • 海舟・龍馬の歩いた道

    先週の「明治天皇行幸150年・120年記念年」の記事をご覧になったFB友の大分の栗田さんが、明治天皇の行在所となった新町の会輔堂には長崎行途上の勝海舟と坂本龍馬も泊ったということに強く興味を抱かれたようだ。栗田さんが所属しておられる鶴崎文化研究会の研究テーマの一つにもなっているようで、いずれ機会があれば海舟・龍馬の歩いた道を追体験するのも面白いかなと思う。毎年8月には、小中学生を対象とした「大分~熊本125km参勤交代徒歩の旅」なる催しが行われている。海舟・龍馬の歩いた道もほとんど同じなのだが、高齢者には125kmというのは過酷なので、その一部分を歩いてみるというのはどうだろうか。例えば、後半の次のような行程が考えられる。大津宿―二里木―一里木―立田口(立町構え)―坪井番所―観音坂―新堀御門―百間石垣―二...海舟・龍馬の歩いた道

  • 初めはみんな創作舞

    先日、FB友のNさんから「天麻那舞(あまなまい)ってご存じですか?」というメッセージが届いた。初耳だったが、添付資料を見ると神社などで奉納舞をするグループらしい。また全国各地で舞レッスンの活動もやっているようだ。昨年12月、加藤神社へ参拝に行った時、たまたま「太宰府まほろば衆」というグループの奉納舞を見た。こちらは和踊りと称しているようだが、飛鳥時代をイメージした衣装や音楽を現代風にアレンジした舞踊集団だった。この二つはモチーフとする時代背景は違えど宗教性をもった創作舞踊であることに変わりはない。創作舞あるいは創作舞踊というのは古典があるからそう呼ぶのであって、芸能の始祖といわれるアメノウズメの天岩戸伝説における神がかりした舞も創作舞だったわけである。舞と踊りの違いについては、以前、折口信夫の「舞ひと踊り...初めはみんな創作舞

  • 熊本城櫓群解体保存および復旧工事進む

    現在、熊本城は監物櫓(国指定重要文化財)、戌亥櫓、馬具櫓など櫓群の解体保存および復旧工事が進行中だ。このうち監物櫓と戌亥櫓は散歩の時に見るので工事の進捗状況は概ねわかる。2018年に解体保存された監物櫓は今年前半に石垣補修も終わり、復旧工事が進行中で組まれた足場の中に姿が見えてきた。来年末には完成の予定だそうだ。一方、戌亥櫓、馬具櫓は解体保存工事が進行中。馬具櫓は今年10月下旬には解体完了、戌亥櫓は来年3月下旬に解体完了するという。だが、その後の復旧工事はまだだいぶ先になりそうだ。そして、来月からは最重要の宇土櫓(国指定重要文化財)の解体保存工事が始まる。僕は生まれてこの方、宇土櫓のない熊本城を見たことがない。いずれ復旧されるとはいえ寂しさを感じられてならない。解体保存工事が進む戌亥櫓熊本地震前の監物櫓(...熊本城櫓群解体保存および復旧工事進む

  • 二百十日も過ぎて

    暑い日が続くとつい億劫になって日課の散歩をサボるようになった。台風が近づいたこともあってか、今日は時々雨がぱらついたりして強い日差しもなかったので夕方散歩に出かけた。京陵中学校前の漱石記念緑道に立てられている「すみれ程の小さき人に生れたし」という漱石の句碑のそばのベンチに腰を掛けてひと休みした。句碑はいつの間にかコスモスに覆われている。そうか、二百十日も過ぎて季節はすっかり秋だなという感慨にふける。漱石の小説には阿蘇を舞台にした「二百十日」というのもあるし、今まさに11号台風がやってこようという時だが「野分」(台風の古称)というのもあった。熊本時代の秋の句には「傘(からかさ)を菊にさしたる新屋敷」なんてのもあったなと思い出しながらひと時を過ごした。長唄「秋の色種(いろくさ)」より二百十日も過ぎて

  • 阿蘇神社楼門の上棟式

    熊本のテレビ各局は今夜のニュースで阿蘇神社楼門(国指定重要文化財)の上棟式を報じた。熊本地震で楼門が倒壊して6年4ヶ月。再建工事が始まって3年。来年末の竣工が待ち遠しい。阿蘇神社のある一の宮町は僕自身にとってカーディ-ラー時代の懐かしい街であり、楼門再建の暁には必ず訪れて参拝するとともに、当時お世話になった方に長い間のご無礼を詫びに行きたいと思っている。楼門の上棟式を伝えるニュース2016.4.17ショッキングな阿蘇神社楼門倒壊のニュース熊本地震で倒壊する前の阿蘇神社楼門阿蘇神社神主友成が登場する能「高砂」阿蘇神社楼門の上棟式

  • 明治天皇行幸150年・120年記念年

    今朝、所用で新町の方へ車を走らせていると、一新地域コミュニティセンターの前を通り過ぎようとすると、「明治天皇行幸150年・120年記念年」の幟が目に入った。帰ってから確認してみると、たしかに明治天皇の熊本行幸は明治5年(1872)と明治35年(1902)の2回なのでそうなる。何か記念行事をやるのだろうか。これまでこのブログにも明治天皇の熊本行幸について何度か記事を書いたことがあるのでちょっと整理してみた。最初の行幸は明治5年6月のこと。西国・九州巡幸の折、6月18日長崎から、熊本藩が明治新政府に献上した軍艦「龍驤艦」で熊本小島沖に到着された。1日目の行在所となったのは旧藩時代、細川家の御旅所となっていた米村家(現存)。明治天皇が父のように慕っていた西郷隆盛が随行していた。そのわずか5年後、西郷は西南戦争で...明治天皇行幸150年・120年記念年

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