★今朝も寒かった。クルマの窓はこんなに凍ってた。エンジンをかけると溶け出すが、前が見えるまでに5分ほどかかる。そんな朝だったが、午後には結構暖かかったので、ちょっと庭仕事、こんなに散らかっていて、ごみもいっぱいだったが、大きなごみを拾って水を撒いたら、幾らか綺麗になった。今年もあと10日になった。年末までにはもうすこし頑張って新しい年を迎えたい。今朝も寒かったが・・・
思いつくまま、感じるまま、 綴っています。
ブログはみんなで8つほど毎日更新しています。 gooのほか、excite、Yahoo、ひょこむ、村ぶろ、FC2,Ameba,livedoorなど ブログの名前は全て『雑感日記』です。 今年、75歳になりました。 兵庫県三木に住んでいます。
★このところ毎日の日課の中に『庭仕事』があると言っていいのだが、素人なりにヒマに任せて毎日やるので、庭は綺麗になっているし『草は1本も生えていない』と言いたいほどホントに小さいうちに抜いてしまっている。樹木も50本以上あるのだが、梯子が無くても『剪定』出来るように小さく仕上げている。そして、最近さらに小さくそして樹木の間に空間を創るようにしている。どの樹も、思い切って小さくしているのがお解りだろう。これはその空間に『つる薔薇』の枝を誘引するためで、樹を小さくした分、『薔薇』を大きく育てたいと思っている。昨日は表の槇の樹を思い切って小さく切ってしまった。梯子なしに楽に剪定できるようにこんなに切ってしまったのだが、少し経つと『新葉』が出てくるので、もう一度仕立て直しなのである。何年か前には、樹を小さくするため...最近の庭仕事
★今年も我が家のブラックベリーの花が咲きだした。植えてから、もう10年以上にもなるが、強くて放っておいてもどんどん枝を延ばし、あちこちに根を下ろすので、今年はその半分ほどを間引いてしまったのだが、5月の半ばには白い花を付けた。それから何日も経ってはいないが、もう実がはっきりわかるようになった。こんなにあちこちに枝を延ばしてるので、今年もいっぱい採れるだろう。こんな実をつけて、黒くなるから『ブラックベリー』と言うのだろう。そのままでも食えるのだが、そんなに美味しくもないので、『ブラックベリー酒』にすることにしている。これが昨年作ったものだが、もう、殆ど残っていない。8月頃には収穫できるので、また新しく『ブラックベリー酒』を家内が創ってくれるだろう。私は収穫するのと、飲むのがその役割になっている。★50万人フ...我が家のブラックベリー
★この播磨地域は雨が少ないことになっている。本当に滅多に大雨などは降らないと言ってもいい。降ってもそんなに大したことがないのが普通なのである。そう言う意味では、今回の雨はホントに『本降りの大雨』だったと言っていい。そんな雨の中、小野の北播磨総合医療センターまで往復したが、雨で煙っていたというような表現がぴったりの雨だった。天気図を見ても、確かにこの地域が大雨なのである。そんなことで庭にも出ずに終日家の中だったが、庭がこんなに水いっぱい含んだ状況も珍しい。水が庭の表面まであふれている。いま天気図の通りの15時なのだが、雨は『降りしきって』いる。あと3時間、6時にはこの大雨も終わるだろう。そんな珍しい大雨なのだが、我が家は大丈夫な環境なのである。平坦地でも大きな災害にならぬことを祈るのみである。珍しく大雨だった
★28日は警報級の大雨だという。果たしてどんな雨になるのか?我が家の辺りはなだらかな起伏の丘陵地を開拓されたところなので、雨水が溜まる心配はない。こんな新しい開拓地は、水利権の関係で元の山の起伏を水が流れた通りに水が流れるように開拓されているのだという。いずれにしてもこんな起伏だから、滝のような大雨でも水が溜まる心配はない。★予報では午後あたりがひどくなるようなのだが、昨日と今日の2日間は家内の定期診断で北播磨総合医療センターへ行かねばならない。予約時間は13時なので大雨の時間帯に往復しないといけないような感じになる。医療センターも高台だから問題はないと思うのだが、途中で渡る三木市内の美濃川あたりだけが一番低いのだが、その橋に水が溢れるとも思えない。★朝・6時、今も結構降っている。10時半ごろにはこんな予...大雨だとか・・・
★昨日は何だったんだろう?勝手に『NPOTheGoodTimes懇親会』と名付けたが、集まったメンバーは間違いなくNPOTheGoodTimesのメンバーなのである。NPOTheGoodTimesは2009年の設立だからもうもう15年にもなるのだが私・山本隆さんに次いで今年関東の松島裕さんが理事長を引き継いでくれたのである。松島裕さんは元鈴鹿8耐ライダー、今はウェブプランナーで、NPOTheGoodTimesのHPの創作をして頂いて、TheGoodTimesの団体プロジェクトとしてスタートした「二輪文化を伝える会」は昨年にはNPO法人となり、その理事長も務めています。そんな松島裕さんが関西にバイクで遊びに来られたので、柏原久さん宅でこんなメンバーが集まっての楽しいパーテイーだったのである。最近は殆ど何の活...NPOTheGoodTimes懇親会
★昨日は午後から『神戸ベンチャー会』に行ってきた。ちょっとしたご縁があって、毎回のように出席をしていた会なのだが、今回出席してみて、『今回で終わりにしよう』とそんなご挨拶をしてお別れしてきたのだが、今回初めてのことだが『耳が遠くなって』講師の方のお話がちゃんと聞けないのである。今回のテーマは「ペットと過ごす世界を広げるビジネスにチェレンジ」で、ペットとどう一緒に過ごすといいのか、チャレンジされておられる最前線のお二人の発表で、伊豆長岡温泉八の坊当主望月敬太さんと公益社団法人Knots代表理事冨永佳与子さんの、お話の内容は非常に素晴らしいモノだったのだが、聞き取るのが大変なのである。耳はこの1年ほどの間に、急に聞き難くなったのだが耳鼻科の先生は『歳だから仕方がないな』と仰るのである。★望月敬太さんは伊豆の長...神戸ベンチャー研究会に行ってきた
★神戸の隣町なのだが、三木に住んでると『雑踏とは無縁の生活』が続いている。毎朝行ってる三木総合防災公園はかっては三木の山の中だったこともあって、林間広場の駐車場の横は、こんな大きな樹木がいっぱいなのである。こんな文字通りの林間の広場になっているのだが、ここはかっての山の尾根の部分で、この公園で一番高い場所である。そこを広場にして、こんな運動器具がいっぱいある。そんな器具を使って、約50分ほどここで体をほぐすことにしている。殆ど毎日やってるので、体は結構柔らかい。一直線にはならないがこれくらいはできる。こんな静かな環境で、殆ど借り切り状態である。そんな『雑踏とは無縁の生活』の毎日なのである。雑踏とは無縁の生活
★交通事故のニュースが毎日のように報じられている。私自身は30歳の頃免許を取って、それ以降は殆ど毎日運転をしているから、もう60年にもなる。最初の頃は、結構飛ばしたりしていて、スピード違反で捕まったりしたこともあったが、カワサキの安全運転本部長を兼務してからは、こんな職位で違反などしたらと『安全運転』に徹していて、それ以降は無事故無違反で現在に至っている。高齢者では『免許返納』される方も多いのだが、現在でも車がないと毎日の日課も成り立たないような環境にいるので現在も毎日運転をしない日はないが、間違いなく安全運転に徹している。★車の運転は、毎朝運動する公園までと家内の買物の付き合いが主で、その殆どが三木市内で、たまに明石や伊丹空港にも行ったりするのだが、交通ルール通りの『安全運転』に徹している。高速道路を走...車の運転・安全運転
★もう人生で就職などすることなど間違いなくないのだが、現役時代を振り返ってみても、私自身は自分の仕事を選ぼうという意識など全くなかったと言っていい。兎に角、子どもの頃から『何になりたい』など思ったこともないし『何をやりたい』と思ったこともなかった。ただ、周囲の状況から『与えられた』こと或いは『頼まれたこと』を自然に、やって生きてきた人生だったかなと思う。就職活動もやったことはなく、勧められて縁故で入社しただけのことである。★逆に定年後は、今も自分の『やりたいこと』をやって生きている。定年後の人生がもう20年にもなるが、これは間違いなく、『自分のやりたいこと』ばかりをやれている。昨今の若い人たちの『就職先企業選択』の重視ポイントというグラフが出ていたが、『給与・待遇』が一番で。『仕事の内容』が最下位だった。...私の人生雑感
★マッハⅢと言われたH1が世に出たのは1964年のことで、カワサキで「2ストロークのエンジン設計は松本」と言われていた松本博之さんの作である。★125B8をはじめ、数々の2ストロークエンジンを開発した松本博之さんだが、あまり知られてはいないがCKDで東南アジアに出荷された開発コード740、GTOのエンジンも松本さんの開発で、CKDなので部品出荷のため台数記録がないのだが、カワサキの二輪車で間違いなく最大の台数を世に送り出した大ヒット車なのである。私は企画やマーケッテング分野が専門で、機種の開発などには関係していなかったのだが、このGTOの開発については私が色濃く関係したので、そんな昔話をご披露してみたい。★1978年、東南アジアのCKD新市場進出のため市場開発室を組織して、タイでの合弁会社をスタートさせる...H1とGTOと松本博之さん
★昨日久しぶりにつる薔薇を2本買ってきた。1本はピエールドゥロンサール、これは昔からある名花だが、もう1本は、2023の年新品種。小山内健さんが作った、端正で風格ある美しさ咲き始めは丸みのあるカップ咲きで、季節や光の加減によって色彩が変わるというバラ。その名は『さくらいろ』である。小山内健さんは、「全国バラの花選手権」を2回制覇というバラのスペシャリストで、そんな有名人が昨年作ったという新しい薔薇だとか。調べたら何でも解る世の中である。小山内健さんの写真も出てきた。★そんなことで、もう一度『つる薔薇』を中心に薔薇の栽培を頑張ってみようと思う。昨年から手入れをしていたらその効果か今年は、つる薔薇の『シュート』が4本も出た。『シュート』とはバラの根元から出るこんな太い新芽でこれは少なくとも5メートルぐらいに伸...もう一度、薔薇をやり直すことにした
★ずっとずっと以前、私の小学校時代のことなのだが、野球やサッカーは敵国の競技だったからなかったし、当時の小学校でのスポーツと言えば、相撲と剣道と水泳だった。私は相撲と水泳の選手で小学校の大会に出たことがある。いまのソウルは京城と称して朝鮮ではなく日本だったのである。当時の京城は戦時中のことだが、当時の内地(日本)の小学校よりはずっと立派で鉄筋コンクリートだったし、暖房はストーブではなくスチームで、プールも土俵も体育館の剣道場もあった。これは戦後、ソウルオリンピックの時に写してきた写真で、建物が増築されてはいたが、3階建ての建物は昔のまま残っていた。★そんな小学校時代はよく相撲をとってたのだが、実際に相撲などとったのは小学校時代だけで、それ以降、一度も相撲などしたことがない。その小学校時代には大相撲の京城巡...私と相撲
★この頃はカタカナや英文が多いので解らないことも結構多い。「DIY」と言うのも、読み方もその意味ももう一つよく解らなくて、「ダイ」と読むのかと思っていたら、「ディー・アイ・ワイ」とローマ字をその通りに読むらしい。そしてその意味は、英語のDoItYourselfの略語だから、何でも「自分でやろう!」と言う意味であるようだ。そういう意味では昨今の私の生活は、自分自身でやることと、家内にやって貰うことが極端に分かれている。毎日の3度の食事はすべて家内任せだし、洗濯も毎日着る服もすべて家内が揃えてくれるのを黙って着ているだけである。所謂、家の中のことは全くしないと言っていい。やると言えば『風呂の掃除』ぐらいである。ただ、それ以外のことと言えば、家の中ではネット関連だが、これはすべて自分でやるし、家の外のこと『庭仕...DIY雑感
★燕についていままでに特に考えたことなどなかったのだが、今朝、三木総合防災公園の芝生の大広場に燕が飛び交っているのである。何となくそれを飽きずに眺めていたが、何をしているのだろう?低空で芝生の上をみんな飛んでいる。多分、虫などを採っているのだろうが、兎に角飛び続けているのである。そんな写真を何枚も撮ってきたが、どれも同じような構図なのである。芝生のすぐ上を飛んでいる黒いのが燕である。何枚も撮ったがみんな同じように写る。と言うことは、同じことを繰り返しているのである。この燕の巣はどこにあるのだろう?いま,子育て中なのだろうか?広い公園だが燕が飛び交ってるのは、ここだけである。この公園のすぐ隣がわが街だが、車で10分ほどその帰り道でも、燕の姿は見なかった。★帰って、燕のことをいろいろ調べてみたが、燕は人の住む...燕雑感
★夏場所が始まって、夕方の時間は相撲を観ているが、大相撲について検索してみるといろんなことが出てくる。関取とは、大相撲の番付の階級の総称で、幕内と十両の力士を指すもので、幕下以下の力士は取的というらしい。幕内とは、横綱、大関、関脇、小結、前頭の5段階で、懸賞金がかかるのも幕内から。2024年5月11日現在の相撲部屋は43部屋ですべて所在地が関東であり、特に両国国技館周辺の東京都墨田区に集中立地しているという。国技館はJR両国駅より徒歩1分、都営大江戸線両国駅より徒歩5分で、定員は11,098人だとか。★兎に角、こんな大相撲があるのは世界で日本だけで、髷を結ってるし、他国では真似をすることすらムツカシイだろう。スポーツ選手でこんなに腹が出てるのも、相撲だけだろう。ただ、こんな写真を見る限りでは、ほかのスポー...大相撲雑感
★昨日は植物の生命力について書いたが、人間の生命力も捨てたものではない。私自身もいつの間にか91歳まで生き延びているのだが、最近の体調を自分で感じてみると、そんなに衰えもなくまだまだ生きられるようにも思うのである。昨今の日本人の100歳以上の高齢者数を見ても年々増加して、92,139人になったという。女性が圧倒的に多いのだが、何とか100歳は目指せそうにも思っている。これは遺伝もあるのだろうが、祖母は103歳まで生きたし母は104歳まで生きていて、祖母や母の90歳代のことはよく解っているのだが、それよりは、今の自分のほうが元気なような気もする。★『超・長寿』の秘密と言う本が出ているようなので、いまAmazonに注文している。そこには『110歳まで生きるには何が必要か』と言うことが書かれているようなので、一...110歳をめざそう
★我が家のカラーは池の中で大きくなって綺麗に咲いていたのだが、ちょっと大きくなり過ぎたのか、雨の重みに耐えきれず倒れてしまったのである。仕方がないので根本から切ってしまったのは5月1日のことで、こんな姿になってしまった。それからちょうど半月、こんなところまでは復活して、花も一輪だけだが咲かせたのである。小さな葉も何枚かツイてるし、これで順調に復活するだろう。自然の生命力に一寸ビックリしてるのである。もう半月したら、元の形に近くなるかも知れない。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglishVersionです。★NPOTheGoodTimesのホ―ムページです。自然の生命力
★大相撲夏場所が始まったが、初日から横綱・大関が総崩れで5人が初日に黒星を喫したのは、昭和以降では初めてのことだという。横綱照ノ富士は大の里に豊昇龍が熱海富士に貴景勝が平戸海に霧島が豪ノ山に琴桜が大栄翔に敗れてしまった。★2日目からは頑張るのかと思ったら、横綱・照ノ富士と大関・貴景勝は休場だという。この二人は先場所も休場したと思ったが、もう引退した方がいいのかも知れないと思ったりする。その反面、若手の登場が期待できる。前場所優勝の尊富士は足のケガで今場所休場だが、大の里もいるし、熱海富士も元気である。そんな新旧の力士たちが居るから相撲はオモシロいのかも知れない。大相撲夏場所が始まったが・・・
★娘のほうの孫二人、サッカーをしてるが、今回、末弟が参加して同じチームでやることになったらしい。こんな写真が出て『TheKADONOS』とある。35番が弟・門野哲也で兄貴の門野真也はこのチームのキャプテンをやっているようだ。20年前、アメリカに行く前の小学生低学年の頃の二人で、単なる可愛いデブの兄弟で、スポーツなどやるとは思いもしなかった。それがサッカーをはじめて、この頃は息子が専らお師匠さん役を務めてた。アメリカに行ってからは、ホントにサッカーにハマってしまって真也は名門バークレーでキャプテンなど勤めてたが卒業時にはプロに入団して、神戸新聞の記事になったりした。それから4年、今度は哲也もサッカーのプロ選手にそれも同じチームで、ホントに20年も経つと『変わる』ものである。★50万人フォロワーのいるツイッタ...20年経てば変わるな
★我が家の地名は『緑が丘』である。永年住んでいて『緑いっぱいの環境』は当たり前になってしまったが、こんなに緑がいっぱいの環境は、日本でも住宅地では珍しいのではなかろうか。今朝もいつも行く三木総合防災公園の特に山に中を歩いていっぱい写真を撮ってきたが、こんな緑いっぱいの環境なのである。ご覧のような環境で、わが町緑ヶ丘は山の向こうなのである。こちらの眺望は阪神間と言うか、神戸の方向だが、真正面の丹生山は神戸市なのである。こちらも緑しか目に入らない。こんな休憩場所のあるかっての山の尾根を今朝は歩いてきた。こんなかっての尾根が続いている。こんな緑の中を歩くには気持ちがいい。山登りをしたような気持ちなのである。すぐ横は駐車場なので、こんな環境のすぐ横まで、車で来ている。老後の毎日を過ごすには『最高の環境』だと言って...緑のある環境
★「五月晴れ」と書いて「さつきばれ」と読む。本来の「五月晴れ」の意味は、5月ではなく6月の晴れた日のことで、旧暦の5月、現在の6月は梅雨の時期に当たることから、元々「五月晴れ」は、「梅雨の晴れ間」を指していたという。時が経つにつれて、五月晴れの使われ方は変化して、「新暦の5月のよく晴れた日」という意味でも用いられるようになり、この誤用も正しい意味の1つとして定着したという。現在では、5月のよく晴れた日を指すのも間違いではありません。とあるのだが、子どもの頃から『五月晴れ』は5月と思い込んでいて、その言葉の意味の変遷など知ったのは、ごく最近のことである。★今朝の空の青さはホントに透き通るように青かった。そんな朝三木総合防災公園の林間広場で、2時間ほど体を動かしてきた。先日は『腹筋500回』などやったのだが、...五月晴れ
★5月はいろんなことが始まる月でもある。メダカは卵を産みだしたので、毎日忙しくなる。庭にはいろんな花が咲きだしたが、これは芍薬『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』などと言うが、一応は三つとも揃っている。芍薬は咲いてるのだが、牡丹はなぜか今年は花を付けていない。なかなか綺麗な花である。スイレンの花も開いた。小さいけど池があるので放っておいても、毎年スイレンの花が開く。菖蒲の節句のある5月、菖蒲も咲いている。もう少しするとあやめが咲きだすだろう。5月は「薔薇の季節」でもある。薔薇にシュートが出ると、上手く育っていることを意味するという。そんなシュート、根元から元気な太い枝を出している。こちらはつる薔薇のシュートなので長い。これが新しい主枝になる。どんどん伸びるので、あとで横に倒して引っ張ろうと思ってい...5月のいろいろな庭の花
★1966年は米国に新会社KMCを設立、そしてA1を発表とある。二輪事業に進出はしたものの、民需のそれも末端ユーザへの販売は、川崎航空機工業にとっては初めての体験で、国内市場の販売はメイハツ・メグロの方たちに任せた対応だったし、なかなか大変だったのである。そんな時期に1965年からアメリカ市場に進出したのだが、このアメリカ市場への進出は、本社の企画にいた浜脇洋二さんが旗を揚げ、明石の事業本部からは、田崎雅元さんが最初にアメリカに渡たり、W1などを持ち込んだのだが、アメリカの高速道路には通用しなかったし、何もかにも初めての経験で大変だったようである。★二輪の販売など経験した人は、川崎航空機工業にはいなくて、アメリカ市場では現地主義と称して、二輪に関心のあるアメリカ人を集めて当初の販売を推進したのである。これ...1966年・アメリカ市場進出、A1の時代
★新緑の時期で葉が茂る。放っておくと小さな庭だから樹が大きくなり過ぎるのは鬱陶しい。それで小さく保つように剪定をするのだが、それがなかなか大変なのである。毎日、少しづつやっているのだが、庭師さんがやるようにはいかない。昨日はこのようになってたのを、ここまでスッキリ剪定をした。隣のつる薔薇も、枝を透かしたのだがこれくらいにはなった。薔薇など切ってないようだが、これくらい枝を切っている。スッキリはするのだが、後片付けが結構大変なのである。表の方も、こんなになってるので、これはまた剪定しないといけない。そんなことで、5月はなかなか大変なのである。ただ、鋏でモノを切るのは、結構好きなのである。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglishVersionです。★NPOTheGoodTimesの...5月の庭
★メダカが卵を産んだとアップしたのは、4月26日だったが、10日経って『5月6日』今年のメダカの第1号が孵った。2ミリほどで写真には写らないが、元気に泳いでいる。これから毎日産まれるだろうからちょっと大きい鉢に入れた。昨年も沢山生まれたのだが、上手に育てられなかったので、今年は上手く沢山育てたいと思っている。いまも毎日卵を産み続けているし、これからは毎日が忙しくなると思う。2~3日は餌をやらなくても大丈夫なようである。それにしても産み出すと9月頃まで、毎日産み続けるのはスゴイなと思う。寿命は2年ほどだそうだし、自然界では食われる率も高いのでこんな調子に産まなければ種の保全ができないのだろう。今年は大事に育てて池に放してやりたいと思っている。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglis...5月6日メダカが孵った
★今年の1月から1万歩歩いてみたが、体重は減らないし、腹回りもへこまない。そんなことで、腹筋運動をやってみることにした。いつも行く三木総合防災公園の林間広場には、こんな運動の器具がいっぱいある。そんな器具の中から、腹筋運動の器具のお世話になることにした。こんな器具だが、ここに足をかけての腹筋運動を休み休みながら500回やってみた。500回はきついかなと思ったが、そうでもなかったのである。そのあとこんな台を使ってのストレッチ。長いほうは相当な広さだが、こんな具合に十分、広げられてまだ余裕がある。なかなか一直線にはならないが、体は柔らかいほうだと言える。ちょっと、こんな運動を続けてみようかなと思っている。幾らかでも、ハラが締まればいいのだが。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglish...腹筋500回
★5月のゴールデンウイーク真っ只中である。5月と言えば「五月晴れ」と「鯉のぼり」どちらも昔からあるのだが、昔の人は偉かったなと思う。何も記録など少ない時代に、日本の季節をただ長年の経験から、このような言葉や鯉のぼりを創ったのは立派だなと思う。鯉のぼりは江戸時代の中期頃に誕生したと言われているが、端午の節句には、当時から男の子の誕生と健やかな成長を願い、外に飾る幟(のぼり)にも鯉が描かれていたのだとか。そこから「鯉を吹き抜けにしよう」と考え出されたといわれている。鯉のぼりは、初めから大きなものではなく、その幟についていた小さな姿が人気となり次第に大きくなっていったのだとか。★昨日は雲一つない青空だった。まさに五月晴れである。そんな青い空に泳ぐ鯉のぼり。風があって勢いよく泳ぐからサマになる。それにしても、この...五月晴れと鯉のぼり
★5月に入って今年も薔薇の季節になった。何故か『つる薔薇』から咲き始める。ちょっと大きくなり過ぎたので、下の方は切ってしまおうかなと思ったりする。冬の間にもう少しちゃんと剪定しておけばよかったのである。こちらもつる薔薇で咲きだしたが、まだ蕾のつる薔薇もある。薔薇が咲くのは5月の中旬だと思っていたのだが、昨今は暖かくて、時期が早くなったようである。もうすこし経つと木薔薇もほかのつる薔薇たちも咲きだすので、花柄積みが忙しくなる。樹々の新葉も伸びるし、庭仕事が忙しくなる5月である。50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglishVersionです。★NPOTheGoodTimesのホ―ムページです。今年も薔薇の季節になった
★1965年に「W1を発表」とある。当時の昭和40年を振り返ってみると、私はまだ33歳、広告宣伝課でレースなども担当していた頃で、W1のカタログなど創っていたが、直接の販売には関係なかった時代なのである。このカタログは私の広告宣伝課長時代の作なのである。その年には販社の名称がカワサキ自動車販売から『カワサキオートバイ販売』に変わって、そのカワ販に出向した年でもある。そのころ丁度、アメリカ市場開拓がはじまって、一緒にレースなどやってた田崎雅元さん(後川重社長)が、シカゴに事務所を創った時代なのだが、W1はそのアメリカ市場に持ち込まれたのだが、高速道路の高速走行には不向きで、振動が激しくもう一つ評判がよろしくなかったという記憶があったりする。ただ、国内市場では誠に評判がよくて、当時の国内市場では最大排気量車で...W1の時代カワサキ単車の昔話
★昨日は朝から小雨だった。毎朝の散歩だが、雨の日は協同学苑に行くことにしている。ここには自然いっぱいの散歩用の周回路もあるのだが、本来の学苑施設としての本館・学舎・ホテル・レストランなどを繋ぐ『渡り廊下』がある。結構長くて、あちこちを繋いでいるのである。すぐ横に駐車場が隣接していて、車を降りたら直ぐ廊下なのである。レストランの横にはこんな綺麗な池もあるし、庭園風に造られている。そのすぐ横も通っているので、池の鯉などを眺めながらの散歩になる。この回廊を1周すると1000歩ちょっとになるので、結構な長さなのである。昨日の朝は雨だったのでこんな『協同学苑』で6000歩ちょっとを歩いてきた。こんな環境なので「協同学苑の渡り廊下」、雨の日は大いに重宝しているのである。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感...雨の日は協同学苑で
★我が家の池に『カラーの鉢』を漬けてからもう10年以上になるかも知れない。一度大きくなりすぎて株を小さくしたのだが、今年はまた大きくなって、見事な花を咲かせていた。ちょっと普通では見られないほどの大きさなのである。ところが、大きくなり過ぎて、昨夜の雨で耐えきれなくなったのか、みんな横倒しになってしまったのである。こんなことは初めてだが、どうしようもないので、根元から思い切りよく切ってしまった。こんな感じになったが、多分直ぐ元のようになって、今年中に花を咲かせるに違いない。根がいっぱい出ているので、鯉や金魚が卵を産まないかなと思っている。一昨年だったか、金魚がコドモを産んだ。いまはこんな状態になったので、あとで片付けようと思っている。大きくなり過ぎて、鉢では支え切れなくなったのだと思うが、再生する様子を観察...我が家のカラー
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★今朝も寒かった。クルマの窓はこんなに凍ってた。エンジンをかけると溶け出すが、前が見えるまでに5分ほどかかる。そんな朝だったが、午後には結構暖かかったので、ちょっと庭仕事、こんなに散らかっていて、ごみもいっぱいだったが、大きなごみを拾って水を撒いたら、幾らか綺麗になった。今年もあと10日になった。年末までにはもうすこし頑張って新しい年を迎えたい。今朝も寒かったが・・・
★朝起きたら雪はやんでたが寒かった。三木総合防災公園に着いたのは7時ちょっと過ぎだったが、芝生や道路にはうっすらと雪が残っていた。神戸の丹生山もこんな感じで、雪が積もっていた。寒かったからか、駐車場には私のクルマ1台だけ、こんなことは滅多にない。★そんな中を約2時間、1万歩になるまで歩いたり、スロージョッギングしたら、流石に汗ばんだりした。8000歩から1万歩に戻して1ヶ月くらいになるが、背中も腰もちゃんと伸ばして歩いてるので、体がしゃんとした感じである。果たしていつまでこんな感じで歩けるのだろうか?そんなことを想いながら約2時間動いていた。これが今年の初雪だが、この辺り12月に雪が降るのは珍しい。ついこの間まで暖かかったのに、気候は急変するものである。今年も余すところ10日ちょっとになった。これは『初雪...初雪かな?
★10日間ほどの日本滞在だったが、あっという間に過ぎてしまった。最後の1日の今朝は小さいころによく行った三木ホースランドパークと三木山森林公園に一緒に行ってきた。三木ホースランドパークの奥にはキャンプ場に通じる末弟の哲也がコワくてなかなか降りれなかったほど急な階段がある。改めて行ってみたが、ホントに急である。その時の真也と哲也だが、この時は夏、いまは冬で人影もなく静かだった。そのあと三木山森林公園にも行ってきた。ここにも子供の頃よく遊びに来ていたものである。もみじ谷の落ち葉の上を歩いてきた。真也は子どもの頃、魚とりやカブトムシなど採りにつれ廻ったので、想い出いっぱいなのだが、20年経つと立派に成るものである。夕方の飛行機に乗るというので、午後家を出て三ノ宮のバス停まで送ってあげた。今頃はもう飛行機に乗って...真也、アメリカに戻って行った
★日本に遊びに来てた孫・門野真也の日本滞在も『あと1日になった』そんな1日は三木総合防災公園でのトレーニングから始まった。今朝は日本でのサッカートモダチの米田さんも一緒だったが、1時間半ほど汗を流していた。私はその間周囲をスロー・ジョッギングしていた。あとはどうするのかと思ったら、三宮まで土産を買いに行くとか言って、出て行った。当たり前のことかも知れないが、動くことに躊躇がない。若いということはいいことである。夜はなかなかアメリカでは食えない『すき焼き』をそしてデザートでは神戸でお土産に買ってきてくれたシュークリームを。家内と二人だけの生活では、なかなかこうはいかない。11月には末弟の哲也が来ていたが、12月には次男の真也がやって来たのだが、明日の午後にはアメリカに戻るので『あと1日になった』年末から新春...あと1日になった
★今年も師走、それも半ばを過ぎた。新年を迎えるにあたって我が家の庭もぼつぼつ整理をしないととほんの片隅だけやってみた。こぶしのある一角だがこぶしの葉が落ちかかっている。このまま放っておくと葉があちこちに散らばるだろう。それを拾ってもいいのだが、葉を全部落としてみた。こんな感じになって、つる薔薇の枝があちこちに伸びてるので、その整枝をすることにした。落とした葉もこんな状態だったので、その落ち葉も拾って、枝を整理し、つる薔薇の整枝をしたらこれくらいスッキリした。これでこの一画はOKである。庭にはつる薔薇がいっぱいなので、それを全部整理するには、あと2,3日掛かるだろう。毎年の師走の庭仕事だが、すっきりして新年を迎えたい。★50万人フォロワーのいるツイッターです。★雑感日記のEnglishVersionです。★...師走の庭仕事
★先日来、日本に遊びに来ている孫・門野真也がバークレー時代からのサッカー部のトモダチのサム君を連れて我が家に戻ってきた。真也もサム君もアメリカのプロのサッカー選手なのである。バークレー大学時代には、私も何度も試合を観に行ったので、初対面と言うことではなかった。彼はフランス人と日本人の間に生まれていて、日本語も喋れるので重宝した。サム君はひと足早く今日の夕方の便でアメリカに戻るので、最後の1日だった。★朝7時、彼らがサッカーのトレーニングをするというので一緒に三木総合防災公園に行ってきた。気温は0℃で芝生は一面霜だった。スタート前のスリー・ショットである。約2時間のトレーニングの後だが、霜も解けて、上も脱いで二人は三木の米田君に貰ったというヴィッセル・神戸の応援用のユニホームを着ての記念撮影である。私も彼ら...孫・門野真也とサムくん
★「真摯に」と言う言葉をよく聞くが、私は一度も使ったことがない。その意味は『一生懸命物事に取り組む様子』などとあるが、間違いなくそんな生き方をしてきたとは思うが使ったことはないのである。政治家が言ってるのをよく聞くのだが、なぜ政治家はよく使うのだろう?常日頃の生き方が逆に『まじめでひたむきでない』ので、敢えて使っているように思ったりもする。その解説を読むと、「真摯に」には「まじめでひたむきなこと」「一生懸命に物事に取り組む様子」などの意味があり、「真摯に向き合う」「真摯に取り組む」などの表現があります。政治家の演説や所信表明、お詫びの場面などによく使われます。ビジネスシーンでも役立つ表現なので、覚えておくとよいでしょう。などとあった。その意味はよく解ったが、多分今後も間違いなく、自分で使ったりはしないと思...真摯に雑感
★急に寒くなった。当たり前の話だが、もう冬である。協同学苑の樹々もその葉を落とし始めている。紅葉ももう終わりに近い。落ち葉が目立つ、そんな季節になった。この落ち葉、どうなるのだろう?落ち葉で地面が見えなくなっている。坂道も落ち葉がいっぱいである。掃除をするのか?そのまま放置するのか?毎年のことなのだが、どうしているのかは解らない。なぜか、今年はそんなことが気になる。長く生きてても、そんなことは考えたことがない。やはり、昨今は考えることも少なくて、こんなことが気になるのだろうか?どんななことになるのか?年末まで気を付けて追っかけてみたい。寒くなった、落ち葉の季節
★何を思ったのか、ワイルドストロベリーを1本だけAmazonで買って庭に植えた。1000円もしなかった。1本だけだが、増えるようなので、そのうち庭いっぱいになるかも知れない。そんな育て方が何となく好きなのである。ワイルドストロベリーは、かわいらしい草姿が特徴で、花壇やコンテナをはじめ、グラウンドカバープランツとしても使われるるとか。果実はフルーティな香りが魅力で、古くから食用や薬用に利用されていて、葉はハーブティーにもなるという。多分、そのうちに庭いっぱいになるのかも知れない。グランドカバーにもなるというから、増えることは間違いない。こんな写真から、その将来を想像するのは楽しい。我が家の庭も、既にいっぱい植わっていて、極端に言うともう植えるところがないくらいなのである。この辺りも地面が見えないくらい葉が茂...ワイルドストロベリー
★昨日は家内の定期健診日で北播磨総合医療センターまで行ってきた。時間待ちの間、広大な病院の駐車場の周りを歩いて写真を撮ってきた。ホントに広大な駐車場である。もみじやどうだんつつじの紅葉が綺麗だった。結構歩いて4000歩をちょっと越えたりした。それにしても世の中にはこんなに病人が多いのかと思うほどの人である。ここは受付と支払いだが、長蛇の列だがシステムはよく出来ていて、スムースにさばかれていく。帰りに三木市役所に寄った。私のマイナンバーカードの何かの期限が切れて、その延長手続きだった。結構早い時期にカードは造ったのだが、何の期限だったのかはよく解らない。係の方の言うなりにいろいろとやって来た。先ずは『暗唱番号を』と言われて4ケタの数字を言ったが『違います』と仰る。私と家内に関係のある数値の組み合わせなのだが...師走の一日
★今朝はちょっと冷たかった。三木総合防災公園は『初霜』だった。うっすらと白い。日影はこんな感じだった。この紅葉が散ると冬が来る。もう12月も10日だから、当然かも知れない。そんな冷たい朝、1万歩歩いたら少しは汗ばんだ。ちょっと寒かったが、気持ちのいい朝だった。初霜かな
★昨日の夕方孫・門野真也がやて来た。私のネットとかパソコンの先生である彼は、来るなり私のパソコンの表紙をこのように変えてくれた。弟・門野哲也とのツーショットだが、彼ら二人ともアメリカのプロサッカーチームの選手なのである。今朝は三木総合防災公園に朝から行ってきた。こんな道具一式を持参でトレーニングを写していた。彼の動画編集は『プロの領域』で、その収入だけでも食えるような金額を貰っている。帰ってきたらこん道具足をストレッチしていたが、この会社の動画編集をしたのでこの会社から無料で貰ったようである。世界でトップレベルのカリフォルニア大学バークレー校出身の彼は、ホントにいろんなことにタケていて、絵も描いたりするし、サッカー選手を止めてもいろんな分野で活動することが可能だと思う。果たして、どんな道を進むのだろう?公...孫・門野真也との半日
★今日は『12月8日』である。私にとって『12月8日』は何となく想い出のある日なのである。もう80年以上も前の話だが、昭和16年(1941)12月8日に「太平洋戦争」が始まったのである。確か小学校2年生の時だったと思うが、『帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり』と臨時ニュースが流れてアメリカとの戦争が始まったのである。当時私は朝鮮京城(今のソウル)にいたので、この戦時中も何の問題もなく暮らしていたのだが、昭和20年8月15日に終戦になって、その年の『12月8日』に日本に引き揚げてきたのである。★そんな想い出があるものだから、何となく『12月8日』は特別な日のように思ってしまうのでる。と言っても昨今では、何事もない普通の1日なのだが、今年はちょっとだけだが、変わっ...12月8日雑感
★今朝は協同学苑の周りを1周してきた。協同学苑は新しい住宅街に面しているのだが、その裏手はこんな風景になる。もうすこし行くと右手は山になり森があって、この森の中に旧い神社がある。地図にも名前は載っていないし、お参りする人も今はいない。たまに来るのだが、私ぐらいだけかも知れない。こんな感じで、普通の神社とは様相が異なる。狛犬さんも苔むしている。大狼社だとか、岩神社だとかあったが、調べてみたらこんな文章に出会った。細目地区の大年神社は小高い山裾に建てられ、境内には大年社の他にも大小九社のお社に神様が祀られています。拝殿も昔の割拝殿で境内も太古を思わせるとても趣きのある神社です。天文十三年(1545)九月十五日の創建と伝えられています。この細目は昔は和田(わだ)と呼ばれ、縮見屯倉(しじみのみやけ)があり、都から...新しい街、旧いまち
★国会の予算委員会が始まった。石破総理がどんな答弁をするのか?非常に興味があったのだが、一言で言って『なかなかいい』石破さんらしいし、ちゃんと自分の言葉で答えている。答弁の内容も、従来の総理に比べて丁寧であるように思えた。こんな写真も載っていた。その解説文である。石破茂首相にとって、今国会での衆参予算委員会は、10月1日の就任後初めての本格的な国会論戦となった。今月5日の衆院予算委では、紙を読まずに自らの言葉で答弁する姿勢が目立ったが、答弁を安住淳予算委員長に求める際の挙手の仕方も独特だった。岸田文雄前首相らは手のひらを開いて挙手していたが、石破首相の場合は親指を立てたり、人差し指を立てたり、3本指を立てたりなどバリエーションに富んでいた。予算委員会の答弁を聞いていると、石破さんらしい人柄がよく出ているし...石破総理雑感
★『花壇の植え替え時期』などあるのだろうか?毎朝のように散歩に行ってる三木総合防災公園には幾つもの花壇があるのだが、ごく最近まだ咲いていた花を全部抜いてしまっていたそして、今朝気が付いたら新しく小さな苗を植えていた。植え替えの場所も沢山あるから大変だと思う。道沿いの小さな花壇もあちこちにある植木鉢もみんな植え替えられていた。★12月が始まったばかりである。新春を迎える頃にはどんなになっているのだろう?『花壇の植え替え時期』と検索してみたらこんな説明文が載っていた。暑さ寒さが厳しくなる前に行いましょう。夏であれば夏日に入る前、冬であれば霜が降りる前に行います。『冬であれば、霜が降りる前』とあるから、いまがいい時期なのかなと思った。植え替えたのが解ったので、どんな具合に成長するのか?新しく花を付けるのはいつな...花壇の植え替え
★Z1会とは当初は技術部内のコンペだったはずだが、大槻幸雄さんに誘われて私は2004年9月1日に初めて参加している。その時の日記の一文である。当時は80台で廻れていたようである。この会が何年にスタートしたのかは定かではないのだが、私が初めて参加した2004年はスタート間もないことだったのは間違いない。その第21回年次総会兼忘年会が昨日明石で開催された。毎年年4回のコンペが開催されているのだが、今年から私はコンペには不参加でこの総会と忘年会だけ参加してきたのである。カワサキのホントにいいメンバーが集まっているコンペなのだが、今年もこの総会兼忘年会にはカワサキバイクマガジンの取材もあった。★そんな年次総会で、私はなぜか表彰して頂いてこんな記念品と花束を頂いたのである。今のメンバーでは多分間違いなく『一番の古手...Z1会第21回年次総会兼忘年会カワサキワールド
★テレビを観ていると日本のあちこちが出てくるのだが、どこが出ても何となく土地勘がある。私はカワサキの二輪事業を40年間担当したのだが、その間の20年は国内担当だったし、全国を自分で車を運転して走り廻ったものだから、何となく解るのである。当時の二輪の販売網は全国に5万店もあるという販売店に、と言ってもその殆どが自転車屋さんだったが、車を委託していて、その店を訪問するのが、営業だったのである。当時のカワサキはまだ『実用車のカワサキ』の時代だったから、都会よりも東北や九州、北陸などの地方が主力市場だったのである。★話は変わるが、秋田で熊が出た。福島県の喜多方でも熊がでたというのだが、そのどちらにも土地勘がある。秋田は兎も角、喜多方とは福島県の山の中で、こんなところだが、会津若松にはカワサキの代理店があってそのサ...日本なら何となくどこでも解る
★昨日は朝から雲一つないいい天気だった。協同学苑を歩きながら写真を撮ってきた。いい時代になったものである。昔は写真を撮るのも面倒だった。カメラを買い、フィルムを買い、写真を撮ったらそのフィルムを現像してもらい、どれを写真にするかを選ばねばならない。そんなことが面倒なので、私は写真は殆ど撮っていない。それに比べて現在はスマホがあればいくらでも撮れる。今朝は50枚ほどにもなったので、全部アップしてその感想など書いてみたい。秋の青空、紅葉と落ち葉、写真を撮ろうかと思うほど綺麗だった。黄葉と紅葉、これがそのうち葉が全部落ちる。空が綺麗だ。下は既に落ち葉でいっぱい。並木道もいい。朝日に当たって色鮮やか。志染の里はいつ見てもいい。この風景のすぐ横に住んでいる。協同学苑に戻ってきた。ここからはちょっと地面を、苔が生えて...協同学苑を写真を撮りながら
★テレビで「全日本相撲選手権大会2024」をやってたので観ていた。この大会の2021年、2022年の優勝者が『大の里』の様である。ベスト8には高校生も入っていた。優勝戦は1番目は同体で取り直しだったが、取り直しの一番は『打っちゃり』で優勝が決まった。優勝者は日本人だが、準優勝と3位には海外の人の名前があった。そう言う意味では、相撲も世界のスポーツになっていくのだろうか?全日本相撲選手権大会2024
★今年も残り10日になった。2023年という年はどんな年だったのだろう?この1年のことなのにもう一つ想い出さないのである。体のほうは結構ちゃんとしているのに、記憶力などアタマのほうはどんどんダメになってしまう。そんなことで、この1年をFacebookで確かめてみた。そんな画面を見ると、『そうだったな』と思いだすのである。7月にアメリカから娘がやって来て、有馬温泉に招待してくれたのも忘れかけていたのだが、そのあと「息子もやって来た」のは、全く忘れてしまっていて、息子とは長く会っていないなと思っていたのである。ずっと1年間を遡ったのだが、カワサキとバイクの話題が多くて、この「二輪との関係」が、私の人生を豊かなものにしてくれたなと改めて思ったのである。「二輪雑感日記」とGogleで画像検索すると、こんなにいっぱ...今年の1年、こんな年だった
★昭和37年(1962)12月21日に結婚したので、めでたく結婚60周年を迎えたことになる。50周年の年の秋にはアメリカに遊びに行っていてニューポートビーチで撮ったこんな写真を、娘がこんな額縁にして贈ってくれたのである。結婚以来、初めての『結婚〇〇周年』のお祝もので、60年も経つのだが、『結婚祝い』などはこの写真が初めてで、特にお祝などしたこともないし、昨今は流石にアメリカなどにも行かなくなったし、殆ど家で静かに暮らしている毎日だから結婚60周年は特に何事もなく静かに夫婦二人で過ごすことになるのだろう。★結婚60周年を『ダイヤモンド婚』と言うらしい。そんなことも調べてみて初めて知ったのである。このような名前を付ける風習はイギリスからはじまったとされていて、1年目の紙婚式から15年目の水晶婚式までは毎年名称...結婚60周年
★現役時代、特に子育て時代には、毎月引かれる年金の額の多さに、当時は辟易していたのだが、いまになってみると毎月の年金が生活の基盤になっていて、家の修理や特別のことでもない限りすべて毎月の年金で賄えている。『老後の生活費はいくら必要?』なのか?「生活保障に関する調査」の回答では、夫婦2人の老後の最低日常生活費は20~25万円が最も多く、平均で月額22.1万円とある。こんなデーターもあって年金の受給額は15~22万円ぐらいが一番多いようだが、我が家の場合も大体平均よりちょっといいぐらいで、毎月の生活費は年金額のなかに収まっているようなので援かっている。★私の場合は会社員と専業主婦だったので、子どもたちが独立するまでの家計は大変だったが、70歳以降の老後の生活は安定していると言っていい。退職後も70歳代の前半辺...老後の年金生活雑感
★日記を書きだしたのは、昭和28年(1953)11月8日からだから、20歳の頃からの記録が残っていて、70年目に入ったということなのである。私は大してムツカシクないことを継続するのは得意と言っていい。日記のほかに70歳の頃から始めたストレッチもそうだし、最近では、毎朝のスロー・ジョッギングなどがそうである。そんななかでも一番長いのは日記で70年間の日記が本棚に残っているので、昨今はその日記を読み返しているのだが、人間、覚えていることは覚えているのだが、それ以上に忘れてしまっていたことが多いのに驚いている。若し日記を書いていなければ、そんなことは永久に想いだしたりはしないことになる。以前にも書いたが、日記を書きだした直接の動機は朝日新聞に、『蒋介石は30年も日記を書いていてエライ』とあったので『日記を書くぐ...日記70年目に入っている
★「二輪文化を伝える会」は松島裕さんが2012年6月に立ち上げられた。最近NPO法人化したこともあって、自動車工業会の二輪メディアのMOTOINFOに取り上げられたりしたようである。これがその記事の内容なのだが、少々長いが関心のおありの方はお読みになればいい。https://motoinfo.jama.or.jp/?p=3897&fbclid=IwAR2JJAQ4sCsJ-QzsKJxenB6qY9TJNcYAh1vcBPBIKeSWKDBxD9M47xrYIbQ★私は松島裕さんとは、2009年7月にNPO法人TheGoodTimesを立ち上げた時からのお付き合いで、そのホームページの制作者が松島裕さんなのである。これがそのNPO法人TheGoodTimesのホームページなのだが、https://www....二輪文化を伝える会
★今年も12月も半ばを過ぎた。年賀状を出してたころはこの時期にはもう出していたと思う。年賀状を出さなくなって、もう10年を過ぎたような気がする。母が亡くなる前までは年賀状は100枚以上、それも筆で自筆で書いて出していたから、年賀状は年末の大仕事の一つだったのである。なぜ出さなくなったのかと言うと、母が亡くなった翌年は喪中で印刷したもので「喪中はがき」を出したのだが、この年、自筆の年賀状を休んでしまって、気が抜けたというか、翌年から出さなくなってしまったのである。★気になって、ちょっと調べてみたら、年賀状を出す人とださない人は、半々だと言っていい。出す人も40枚以下の枚数なのである。年賀状は、どうやら戦後に始まって、2003年あたりをピークに減少を続けている。日本のいい仕来りと言ってもいいのだが、昨今のよう...年賀状雑感
★この3年間は、30代最後の3年間である。私にとっても、会社としても激動の3年間だったと言っていい。前年の4月に川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併があって川崎重工業となるのだが、この合併で異質で且つ重荷であったのが実は二輪事業なのである。当時は船・車両・航空機に代表される大型受注産業が主力で、開発・生産・販売を自らの手で行う民需・大量商品などグループにとって異質の存在だったし、その業績が赤字と言うこともあって、『50㏄の中止』などが合併の条件になったし、シェア競争などは会社の方針としては全く異質で、二輪事業部の経営は台数などよりは黒字経営が最優先課題となったのである。★そんなこともあって、当時のカワサキで台数ではTOP市場であった東北から、当時最悪の市場と言われた大阪を中心とする近畿地区の担当に異...私の日記から昭和45年(1970)~昭和47(1972)
★昨今の政治のヒドサは目に余るものがある。政治家とは?ひょっとしたら政治家ほどわかりにくい職業はこの世にないかもしれない。政治家とは本来どうあるべきなのだろう?政治と金の問題が言われているが、これは自民党だけの問題なのだろうか?兎に角、よく解らぬ世界である。なぜ、そんなに政治に金が要るのだろうか?国民のどれくらいの人がそのことを解っているのだろうか?少なくとも、私はよく解らない。これが『清和会』所謂安部派の会合だが、異常という以外にない。どんな人たちが集まっているのだろうか?そんな安部派の4人が辞任し、さらに5人衆と言われた世耕さんも辞任した。ただ、辞任はしても議員を辞めるわけではない。★安部派以外の自民党は金問題に大丈夫なのだろうか?野党も大丈夫なのか?問題があるのは自民党の安部派だけなのか?その辺がよ...政治と金雑感
★昨日はZ1会の忘年会だった。Z1会とはゴルフコンペの名前なのだが、その名のとおり当初は川崎重工の技術部のメンバーを中心にスタートしたのだが、初代会長の大槻幸雄さんんが技術部や川重のメンバーだけでなく、『Z1をはじめバイクを愛する人』なら『どなたでもOK』と言うことにされたことから、今では川重のOBだけでなくライダーたちや一般のバイクを愛するユーザーたち、さらには女性たちも加わった多彩なメンバーになっていて、総勢60名を超えるメンバーになっている。毎年4回のコンペが開催されているのだが、既に86回を数えているので、20年以上にもなるのである。初代会長の大槻幸雄さんは御年94歳にもおなりなので、いまは引退されて、名誉会長になられている。大槻幸雄さん、あの名車Z1の開発総責任者でもあり、カワサキのファクトリー...Z1会の忘年会だった
★家の前の道路の舗装工事が行われることになっていた。こんな感じで、確かに水道管の工事をした後が目立ってはいたのだが、反対側もこの程度で、舗装をやり替えるほどでもないとは思ったのだが、この街の周辺の道路はみんな舗装をやり替えて、この道が最後と言う状態になっていた。工事車両が入って来て、舗装をめくることから始まった。器械でやるから至極簡単である。昨日、公園から戻ってきたら、ちょうど工事が始まっていた。こんな風にアスファルトをめくっていく。半日でこんなになった。★そして今朝から舗装工事が始まった。トラックで運んできたアスファルトの原料を器械で道に下ろしてゆく。こんな感じだが下ろしたら、すぐ表面は綺麗になり、器械だけではなくて、人が上手にさばいてゆく。めちゃくちゃ手際よくて、たちまちに新しい道が出来る。こんな綺麗...家の前の道路工事
★別に今まで飴など買ったこともなかったのだが、半月ほど前だったか、スーパーで阪神の岡田監督が『ベンチで飴をなめてる』と言うので、ひとつ買ったのだが、その横に並んでいた『俺』も一袋買ってみた。岡田監督の『飴』はそうでもなかったのだが、ちょっとだけ高いがこの『俺のミルク』には今ハマってしまっている。こんな飴は、兎に角食ったことがない旨さなのである。メロンやあずきなど3種類ほどあるのだが、以来、毎日口にしている。★これは私が書いたのではないのだが、誰かがこの飴をこのように評価している。騙されたと思って、試されてはどうかなと思う。濃い。実に濃い。その濃厚さは、口に入れた直後からガツンと来る。今まで食べてきたミルクキャンディと比べたら、スーパーで買う「低脂肪乳」と牧場で買う「しぼりたて牛乳」くらいの差がありそうだ…...飴にハマっている
★昭和42年(1967)は34歳である。この年の1月に明石から仙台に異動になった。生涯ではじめての転勤である。当時のカワサキはまだ国内市場が中心で、アメリカ市場の開拓がはじまった時期である。『実用車のカワサキ』と言われていた時代で東北6県がカワサキの中でも最大の市場だった。当時はまだ全国各地に自前の代理店がありその下にサブ店と称する販売店、と言っても殆どが自転車屋だが、そこにバイクを委託する『委託販売』の時代だった。この委託販売方式は本田宗一郎さんの発案で、50㏄モペットを大量に売るために、当時の全国自転車屋、5万店以上にバイクを委託するという日本独特の販売方式だったのである。カワサキの場合は当時はモペットもあったが、販売の中心は125ccの実用車や90ccの中間車種に時代で、C2SSなどは東北が圧倒的に...私の日記から昭和42年(1967)~昭和44(1969)
★青野ヶ原モトクロスのあったのは昭和38年(1963)5月のことである。このレースが無かったら、ひょっとしたらカワサキの二輪事業もなかったかも知れない。カワサキが二輪の一貫生産を始めたのは昭和35年(1960)のことなのだが、最初に開発・生産した125B7がとんでもないクルマだったのである。車体に欠陥があって工場は返却車の山になった。昭和37年1月度の生産台数は返却車が出荷台数を上回ってマイナス17台の生産となったのである。こんな状態だったから、当時の川崎航空機の本社は日本能率協会に『この事業続けるべきかどうか』の市場調査を依頼したのだが、その年にあった青野ヶ原モトクロスの1位から6位までの独占勝利で事業部の意気は上がったこともあって、日能は『この事業やるべし』との結論を出すのである。これがその時の記念写...青野ヶ原モトクロス雑感
★1941年のことだから、もう80年以上も前の話である。私は小学校の3年生だったから、意外にはっきりとその日のことを覚えている。「12月8日未明、日本海軍は、アメリカ合衆国のハワイ真珠湾のアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して奇襲攻撃を行った」と発表されたのである。同時にマレーシアにも侵攻し、シンガポールも直ぐ陥落したから、これは世界が日本になるとコドモ心にそう思った。そんな戦争をした相手のアメリカと今は一番仲がいい国になっているから不思議である。★今は、そんなことも殆ど触れられない普通の1日になってしまった。そんな12月8日だが、いつもの通り防災公園を歩いてきた。このところ、ずっと1万歩が続いている。平均が8839歩になった。今朝も公園を一回りしたのだが、芝生広場では兵庫県警が警察犬の訓練をやっていた。...12月8日は眞珠灣攻擊のあった日だが・・・
★昨夜は雨だったのか、今朝の公園にはいたるところに雨の名残が残っていた。こんな写真を撮ったのは初めてだが、なかなかこんな光景も珍しいのではなかろうか?不思議に思えるいろんな形の水玉、大きいのも小さいのも、形がいろいろなのがいい。初めて見たような気がする。樹の葉にも水玉がいっぱいだったし、散歩道も独特の風情だった。青空なのに、散歩道は濡れてるし陽は上がっているのに車道もこんなに濡れていたがあとどれくらいこんな感じで持つのだろうか?どうだんつつじの紅葉が綺麗だったし初冬の南天の赤い実も雨に洗われて、一際綺麗だった。雨上がりの公園
★NPO法人TheGoodTimesは2009年7月1日の設立だからもう13年にもなるのですが、設立当初の理事長は私で、2代目が山本隆さんでしたが、今回、新しく3代目の理事長・松島裕さんがスタートしました。クリックして頂くとそのホームページが現れます。https://www.thegoodtimes.jp/このNPOTheGoodTimesのホームぺージの制作者が実は松島裕さんなのです。このホームページの訪問者は延べ137000人以上にもなっていて毎日訪れる方がいるのです。松島裕さんは、このホームページの制作者でもあり、二輪文化を伝える会の理事長もされています。NPO法人TkeGoodTimesの基本コンセプトは『みんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』というもので、今後も異種・異質・異地域をみんな繋いで楽し...NPO法人TkeGoodTimesについて
★今年ももう師走である。2023年は何とか元気に生きて終わることが出来そうである。来る2024年、来年をどのように生きればいいのか?何となくだが、いろいろ考えている。殆どの毎日が、ヒトと会うこともないので会話がない毎日が多いのである。毎日、日記は書いているし、ネットの世界にもこの雑感日記をアップするので、会話はないのだが、人との接触はあって、コメントなどは頂くので全く会話がないというわけでもない。★来年は3月には91歳を迎える。90歳を迎えてから、特に感じたのは『物忘れのレベル』がひどくなったことである。体力のほうはあまり落ちたという実感はないのは、毎朝動いているからだと思う。来年の目標は端的に言うと●体力的には、今年と同じように頑張りたい●何か新しく『脳のトレーニング』でもあればやってみたいなとは思って...来年の目標をどうするか?
★朝8時、三木総合防災公園に行ったときは、天気は良かったのだが、気温は1℃、林間広場には霜が降りていた。こんなに真っ白だったのだが、陽が上がった9時には霜もなくなってしまって気温は3℃ほどには上がったが、まだ寒いという感じだったが、写真を撮ろうと思うほど気持ちのいい朝だったのである。帰るときに、車の中から撮った写真だが、抜けるような青い空だった。昼からはどんどん気温も上がって、小春日和とは晩秋から初冬の頃の,穏やかで暖かな天気のことだが、昨日はまさに『小春日和』だったのである。★久しぶりに庭に出ようかなという心境になった。まさに穏やかな陽だまりで、薔薇も綺麗に見えたし、万両の赤もよかった。紅い薔薇も、このような日和に見ると綺麗に見えるから不思議である。これは勝手に自生した、草花だが、1輪可愛い花を付けた。...小春日和
★私の一生を振り返ってみてもこの年が一番いろいろなことがあった年だったように思う。それがよかったのか悪かったのかは別にして、こんなにいろいろ経験することはなかなかないと言っていい。1月の初出の日に藤井敏雄がやって来た。カワサキがGPレースに初めて参戦する年なのだが、その契約にやって来たのである。スズキからの移籍だった。年末のMFJの運営委員会で鈴木さんから社内ライダーの引き抜きは困るというようなクレームが出たのだが、その時は私はホントに解っていなかったのだが、カワサキの技術部がいろいろ折衝していたようである。そんなことで彼の移籍には関係していないのだが、ライダー契約は私の担当だったので、契約についてはいろいろと纏めたのである。先方の希望でその時はライダー契約とはせずに『マシンの貸与契約』にして約半年ヨーロ...私の日記から昭和41年(1966)
★『KX50周年を祝う有志の会』に行ってきました。写真いっぱい撮ってきたのでご紹介します。その雰囲気で、どんな会だったのか、ご想像下さい。往年の名ライダー塚本昭一・多田喜代一・高橋芳延さん。KXの産みの親、百合草三佐雄さんまだまだ、お元気で何よりです。乾杯の音頭を!吉村太一ちゃんも来てくれました。お二人とは同じテーブでした。美種子島径さんも、旧いカワサキの仲間の井上一美さんも同じテーブルでした。東京からはるばる来られた西郷善治さんと松島裕さんこの会の主宰者かな?私を誘って頂いた、大津信さんこれはTeamGreenのメンバーだったかな、御大の平井稔男さんは写真で登場。壇上に上がった、ライダーたち。伊吹清孝さんも森田優治さんも司会の腰山峰子さん・川崎由美子さん・松田真弥さんもおられたのに写真を撮るのを忘れてし...「KX50周年を祝う有志の会」