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  • オヤジのあくび352

    名作を読む80 ハーディ作「ウェスト=ポーリー探検記」を読む。 水は私たちの生命線なので、昔から川の流れを巡って、ずいぶんいろいろな争議があったらしい。ことば検定の林先生によれば、Riverはライバルの語源らしい。 話は少年たちが洞窟探検に出かけたところから始まる。洞窟の奥には大きな水晶があって、そこへ辿り着きたい一心で水の流れを変えてしまう。しかし、それは村を流れる川の水源だったのだ。少年たちの探検のおかげで、突然水車が回らなくなり粉屋は大弱り。さらには隣りの村に流れ出す穴や袋小路になっている穴も見つけ出す。 最後はスティーブが決死の覚悟でダイナマイトを投げ入れたので、元通りになるというお話…

  • オヤジのあくび351

    きょういくときょうよう あるファイナンシャルプランナーの書かれた文から教えていただいた言葉。定年後の生活に必要な二つ。 きよういくとは、教育ではなくて今日行く所。きょうようとは、教養ではなくて今日の用事という意味。 家で燃えないゴミ化していても、邪魔なだけ。かと言って何をしたらいいのか? よくわからない。前も似たようなことを書いた気がするけれど、自分の仕事を辞める前に、助走期間の間に、膨大な時間(お金ではないことが多い)を手にしたら何を始めるか? 夢プランを描き、実現可能な計画を立てておくこと。 思いつかなければ、図書をはじめ、膨大な情報の中から、自分の夢の種を探すこと。きっと今日行く所や今日…

  • オヤジのあくび350

    麻生芳伸編「落語百選」を読む3 あたま山 さくらんぼの種を食べたら、頭のてっぺんから木が生えてきた。木を引っこ抜いたら水が溜まって魚が泳ぎ出す。最後はその池に身投げすると言う何ともはやシュールな噺。 「どこかにこういう人っていそうだよね」という設定から遠く離れた荒唐無稽さであります。けれど「一体この噺のどこか面白いのか?説明してください。」と言われると私は困る。落語としてのドラマはない。むしろイラスト的な直観的な面白さなのだ。妖怪変化の絵や版画が残っているのと同じで、リアルには見えないし、あり得ない世界が描かれている。 巻末に鶴見俊輔の解説が付いていて、文庫本になった1999年に書かれたと思わ…

  • オヤジのあくび349

    麻生芳伸編「落語百選」を読む2 浮世床 江戸の頃は髪を結っていたから髪結床があったわけで、そこでの人間模様。愉快な人がたくさん登場して噺を盛り上げる。眠っていた半公が起き抜けに語り出す「歌舞伎見物で、女性と良い仲になる話」は、うすうすこれは夢の話だろうなぁと感じても面白い。モテない男の願望が投影されているからでして、モテ期がなかった・・私にはよくわかる。 こういう身近な社交場は、洋の東西を問わず娯楽の場となっていたようで、アメリカでは床屋から男声カルテットのスタイルが生まれて、その名もバーバーショップという。 三方一両損 江戸っ子のイメージというのは、いろいろあるけれど、とにかく喧嘩っぱやくて…

  • オヤジのあくび348

    麻生芳伸編「落語百選」を読む1 今までに読んだことがある落語本は、長屋噺、武家噺とかジャンル別になっていて、実際に演者が語る通りに文字に直したもの。林家三平まで出ていて、あの大脱戦ぶりがそのまま記録されている。今回の本は、演者の個性は表に出さないで、元々の噺の筋書きを紹介している。 侍の言う台詞が堅苦しくって、違和感・誤解満載の「猫久」。「あ〜ら、我が君」で有名な「たらちね」。落語は原則庶民の目線だから、鼻につく態度を取る武士を内心ではとても軽蔑したり、漢籍の教養がある人を、俺たちはそういう難しいことはわかんねぇや、てやんでえ!と開き直っているわけです。庶民の言葉と武士の使う堅い言い回しの間に…

  • オヤジのあくび347

    島田裕巳「神道はなぜ教えがないのか」3 「神は神社に赴いて願いを捧げる人々の思いを受け止めてくれる。でも神のすることはただそれだけで積極的に救ってくれるわけではない。神は救いの手をさしのべてはくれない。」これでは何だか物足りない感じもするが、筆者は「救いを求める」行為の対極である「無心の境地」に私たちを誘ってくれるのではないか? と言う。 二礼二拍手一礼の間のどこで願いを伝えればいいのか? 長い間よくわからなかったのですが、神様の前に来ただけで、そんな願いの類いはとうの昔にお見通しなのかもしれない。あれこれの思いや悩みを言葉に変換して、数秒間のお祈りで何とかしてくださいね! と思うこと自体、浅…

  • オヤジのあくび346

    島田裕巳「神道はなぜ教えがないのか」2 世界宗教と言うと、キリスト教やイスラム教が連想される。なぜ世界中に広まったのか? 時にはクリスマスのように土俗の宗教行事を取り込みながら、そして時には魔女狩りのように打ち消していったのである。さて日本の場合、仏教が大陸から伝来した時に、蘇我氏と物部氏が対立したと言われている。恐らくはそれぞれに有利に働く状況があったのだろう。なぜならその後は明治初期の廃仏毀釈を除けば、共存の道を辿るからであります。ざっくりした関わり方として、出産・成長・結婚など生きている時にお世話になっている神様に対して、葬式や法要など死後に関わる仏教という感じでしょうか? そういう庶民…

  • オヤジのあくび345

    島田裕巳「神道はなぜ教えがないのか」1 何でも疑ってみるところから、好奇心は芽生えることが多い。開祖・宗祖、教義、救済が「ない」神道とは、何なのか? そもそも宗教なのか? この辺りが筆者のスタート位置だと思う。 初めの祭りの場所は岩の上。建築物として今のお社の形ができる前、沖ノ島や奈良の大神神社=三輪山を例に岩の上や周りで祭礼が行われていたと筆者は考える。登呂遺跡や吉野ヶ里遺跡には神殿はなかったと考えているのだ。ちなみに大神神社は三輪山が御神体なので、拝殿はあるが神様を安置する本殿はない。 続いて、熊野の神倉神社の火祭りが紹介される。ここも御神体が大きな岩なので拝殿はあるが、本殿はない。一度見…

  • オヤジのあくび344

    松濤アクターズギムナジウム監修 「基礎から始める演技トレーニングブック」を読む 初めに「これなら、似たようなことやったことあるなぁ」というストレッチや身体の力を抜き、内部を解放する運動が紹介される。 続いて、体で覚えるの項で「日本舞踊」の動きが紹介されていたことは、普段着物を着る機会が少ないので新鮮でした。和服で演じる時代劇では、必ず習得しておかないとさまにならないのでしょうね。 私の関心の真ん中にあるのは、声・喉をつくるトレーニング。音程や響きを優先に捉える音楽系の練習とは、だいぶ違う。トゥワングとかベルティングなんて初耳だった。けれどジャンルを問わずに歌っているアカペラシンガーズにとっては…

  • オヤジのあくび343

    吉田松陰「留魂録」を読む。 留魂録は牢屋敷で書かれたものだから、いつどのような取り調べがあり、それに対して松陰がどのような考えを持って答えたのか? を綴っている。 実は同じ時期に僅かな期間ではあるが、別の部屋に橋本左内がいた。けれど二人が邂逅し、会話をした事実はない。左内の部屋から移動してきた勝野という人を通じて松陰は左内の思想に触れたのだ。 松陰の言葉では「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」が有名だ。至誠とは「真心を尽くせば、相手は必ずわかってくれる」と意味でよいのだろうか? 野山獄中にいた時は「私は、人を疑って失敗するより、人を信じて失敗することを望む」とも話している。まぁ、…

  • オヤジのあくび342

    立川談志「現代落語論」を読む2 「教わったとおりに演じるという段階を経てから、はじめて自分のできない技術をカバーし、自分の得意な技術を加え、特徴を生かし、ギャグを入れ、場合によっては人物の性格を変え、落げまで変えてみるくらいの演出力が必要で、それをその人なりに完成したとき、同じ噺でも先代の残した作品と比べることができる。」 談志師匠がいうこの考え方は、落語という芸能に限らず、教わることと自分で工夫することの違いを鮮やかに述べている。 最終章では、テレビで演じる落語について自論を語っている。コロナ禍で何でもオンラインで代替できるなら「それで何とか済ませたい。」と考えがちな昨今の風潮に参考になる。…

  • オヤジのあくび341

    立川談志「現代落語論」を読む1 1965年12月6日が第一版第一刷で、今手にとっているのは2011年の12月7日第二版第二刷、それだけで、この本が多くの読者を得てきたことを思わせる。 笑わないのが、いい客だ! と談志師匠は言う「笑いを求めてくるから笑わせて帰す。それでもいいけれど下手にこれを繰り返しているとだんだん笑いの量で勝負するようになり、誰にでも子どもにでも分かるような笑いをふりまいているうちに、ラセン階段を下るごとく、だんだん笑いの質が低下する。」 これ、56年も前の本ですぞ! 笑いに限らず、話の哀しさや情感を伝える表現については言うに及ばずですね。自分に引き寄せれば、鎮魂の調べを歌い…

  • オヤジのあくび340

    さだまさし「まほろばの国で 終章」を読む。 毎日新聞の連載コラムをまとめた本なのだけど、戦争の愚かさ、とりわけ今世紀初頭のイラク戦争に対する痛烈な批判が原稿を埋め尽くしている。そう。サッダーム・フセインを超悪役に仕立て上げ(もちろん彼の悪行の数々は称賛されるべきではないが)、結局大量破壊兵器など見つからずに戦争は終わり、イラクという国が実質破壊されてしまったのだから。 新聞のコラムなので、話題はその前後に起きた事件にふれることが多い。少年犯罪について、まっさんは心の制御装置について言う。「その制御装置は教育でしか身につかないもの。元々が動物だからだ。では教育の最も大切な道具は何かというと、それ…

  • オヤジのあくび339

    さだまさしとゆかいな仲間たち「うらさだ」を読む 話を盛る。その場を面白くするために大袈裟に喋る。この本に出てくるエピソードの多くが、まるで話を盛っているかのようだ。けれど相手はあの「さだまさし!」。少し引き算しても、半分以上は本当の話なんだろうなと思えてくる。 お医者さんの鎌田實先生が「超多能病」と診断している。「心が動く→表現する」のパターンを私たちは繰り返しながら生きているんだけど、さだまさしの場合は、魔法の引き出しから出てくる言葉や歌の量が、まったく尋常ではない。あまりに突出した能力を本人が持て余したり、苦しんだりしているのか? と言えば、きっと本人にとっては楽しくやっているだけなのだろ…

  • オヤジのあくび338

    藤田紀昭「パラリンピックの楽しみ方」を読む。 パラリンピックの起源は、第二次世界大戦後、グットマン博士によりイギリスのストーク・マンデヒル病院で脊髄損傷患者に行われていたリハビリだと語られる。リハビリに競技の要素を取り込むことによって、明らかに回復への時間が短くなったという。 さて、競技化し、広がりをみせるにつれてルールを共有化しなければなりません。どのような、どの程度の障がいについて、どんな競技とどんなレベル分けがなされているのか? これは子どもたちに体育を教える教員に不可欠の知識だと、筆者は語ります。 一教員として感じることは、障害がある子どもたちが、増え続けている現在、一人ひとりの個性特…

  • オヤジのあくび337

    稲田和浩・守田梢路「5人の落語家ぎ語る ザ・前座修業」を読む ボクの本棚に古谷三敏の「寄席芸人伝」が全巻揃って鎮座している。その中に前座を主人公に据えた一話が入っている。噺は上手ではないが、前座仕事に情熱をかける心意気が描かれていた。 本書より心に沁みた言葉抄録。 柳家小さん「人間は正直でないといい噺はできない。ずるいやつにはずるい噺しかできない。」 柳家小三治「修業の根本は、人間の手を使い、心を使うことです。」 三遊亭円生「芸は砂の山だ。当人は上がっているつもりで一歩ずつ歩いていても、じつは足元から崩れていっているから、実際には少しも上がっていっちゃいない。」 三遊亭円丈「芸は盗め。教えられ…

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