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  • オヤジのあくび221

    石弘之、安田喜憲、湯浅赳男「環境と文明の世界史」を読む4 ヨーロッパ・イスラムを牧畜民による動物文明とすると、インカ、長江、縄文=足るを知るやさしさの植物文明で欲望をコントロールできると、本書では持ち上げている。しかし、グローバル化が進み、世界中で人々がハンバーガーを頬張っている現在、ハンバーガーの牛肉を作るために、どこでどれだけの飼料が必要で、その為に地球の農地、牧草地、森林にどのような変化が起きているのか?かなり想像を逞しくしないとわからないだろう。植物文明を持ち上げてみても、もう戻れないところまで来てしまった気さえする。 人々が肉食を好むということは、家畜が人間のそばにいるということで、…

  • オヤジのあくび220

    石弘之、安田喜憲、湯浅赳男「環境と文明の世界史」を読む3 新たな土地への移動。大航海時代、新大陸への移動、植民地・帝国主義など、さまざまな歴史があるけれど、ここでは古代ローマ帝国の話。年間降水量によって、農耕が可能か否かが決まるが、それ以上に耕作を進めれば土地は持たずに疲弊する。二圃式農業を工夫したが、限界だったようだ。そこで地中海沿岸の乾燥化に伴って、アルプスの北へ進出を試みる。けれども、森林を伐採し、新たに畑を開墾する労働力をどう確保したのか?その答えが奴隷だった。 スレイブ=スラブ。う〜む発音がそっくり!その他北欧からも奴隷ご集められた。ローマ帝国による奴隷獲得のターゲットだったのだ。か…

  • オヤジのあくび219

    石弘之、安田喜憲、湯浅赳男「環境と文明の世界史」を読む2 日本人は、古来コメを収穫し魚をタンパク源として食べてきた。いったいいつ頃からなのか?という仮説の一つ。 古代5〜6000年前の長江流域に黄河流域の漢民族とは違うコメの文明があった。やがて漢民族の侵入によって、雲南や日本へと逃げた。豊かなコメ文化に生きる農耕民は、争わないのだ。また商売、税金集め、奴隷管理が必要ないので文字が要らなかったのだ。だから日本の縄文時代に人々が争った形跡はないし家畜の文化もない。 やがて牧畜民の系統と思われる弥生人が大陸から家畜を連れてきた。集落同士の利権争い、勢力拡張が始まり、結果としては一つの統一国家が生まれ…

  • オヤジのあくび218

    石弘之、安田喜憲、湯浅赳男「環境と文明の世界史」を読む1 文明。いつだか「シュメール文明」を紹介した本を読み、たしか「オヤジのあくび」にも投稿しました。楔形の人類最古の文字は、シュメールで作られたのだ。けれどもその時は、なぜ周辺地域からどんな人々が何をしにメソポタミアにやって来たのか? それは交易のため、程度の理解だった。本書ははるかに時代を遡り、地球上に現人類と共にまだネアンデールタール人がいた時代から始まる。 文明の定義付けも、定住後の記録=文字の発明にとどまらない視点が感じられる。狩猟、牧畜、農耕、定住の順番という順番が、それぞれの地域によって、位相が異なっていたような話の進め方なのだ。…

  • オヤジのあくび217

    矢崎泰久編「永六輔の伝言」を読む 編者によるあとがきの追記は、永六輔さんの出棺の日に書かれている。次の言葉を添えて。「誰かの記憶の中にある限り、その人は生きている」 三木鶏郎さんのところにコントを持ち込んでいた学生時代から、話が始まる。なぜだか、淡谷のり子さんや住井すゑさんを除いて、ほとんど男性である。黒柳徹子さんをはじめとする女性との交流も多かったろうに。永さんの根っこは女性に対してシャイで照れ屋だったのではないか?という気がする。 大勢の友人が登場するけれど、特に小沢昭一さんの言葉が印象に残った。「日本は軍事大国で失敗して、次に経済大国を目指した。でも、どうも大国というのが、私の性には合わ…

  • オヤジのあくび216

    岩波明「天才と発達障害」を読む 著者は、東大医学部卒の精神科医である。この学歴は、偏差値信仰信者の皆様にとっては最高水準であり、著者自身が学校教育で育成される能力の秀才であるのだ。しかし、知能指数などで測れる優秀さと本人の人生において創造性が発揮できるか否かは、あまり関係がないらしい。そのことをルイス・ターマンの研究を例に書いているが、受験能力の高さが著者自身の創造性にどう関係したか?は書かれていない。東大医学部というところは、森鴎外、斎藤茂吉、安部公房など、文学史を飾る天才を輩出しているのですが・・。 本書では、文学史、芸術史、科学史を彩る天才の皆様が、発達障害や統合失調症であった可能性を述…

  • オヤジのあくび215

    渋滞にはまりながら考えていたこと 多くの車が同じ時刻に同じ方向に向かって走るから渋滞が起きる。ならば同じ時間帯を避けるとか、他の方向を選べばいいような気がするが、そういうわけにもいかない。 視点を変えて、時間帯を時代に、車の動きを一人ひとりの人生に例えてみよう。経験した時代で言えば、高度経済成長の頃は、同じ方向にかなりのスピードで走っていた気がする。バブルの頃は、オカシイと感じつつも制限速度をはるかに超えて暴走していた。その結果大きな事故が起きて、高速道路は使えなくなり、一般道をノロノロ走らなければならなくなる時代が長く続く。 人は生まれる時代を選べないのだから、時間帯を選ぶことは難しい。けれ…

  • オヤジのあくび214

    大切なんじゃないかな? ③ 心の揺れや動きをキャッチしよう 心はいろいろな色彩に染まる。それは同じ色にとどまることがなく、絶えず変化していく。 日々の心の動きを、TwitterやFacebookに書き込む人も多いでしょう。まぁ、他の人を不快にさせないという前提付きですが。 SNSが使えるようになる前は、日記とか随筆とか、定型詩なら短歌や俳句があった。その時の気持ちをどう書き留め、どう伝えるか? が、しっかり教育されていて、夏休みの宿題にはお決まりのように日記が含まれていた。あれ勘弁して欲しかったなぁ。 しかし、このスキルは古今東西を見渡してみても長いこと使えるスキルでして、書くことを整理するこ…

  • オヤジのあくび213

    大切なんじゃないかな? ② 美しさを感じ取るセンサーの開発とメンテナンス 私たちが求めているはずの喜びとは、お金だけで得られるはずのものではない。お金は必要だ。けれどもそれはエンジンを起動させるセルモーターのようなもので、一番最初に少し使うだけでいいのだ。 生きる喜びには様々な顔がある。そのうちとても大切にしたいのが、美しいものに出会う喜びです。同じ音楽を聴いても人によって反応が異なるのは、美しさを感じ取るセンサーが違うからです。そして、美しいと感じ取る気持ちは、誰それから強制されるものではなく、人それぞれまったく自由なわけです。それは、現在においては芸術限らず、倫理面すなわち人々の態度価値に…

  • オヤジのあくび212

    大切なんじゃないかな? ① なぜ?どうして?を探しに行こう! 誰かがが新たな問いを発したときに、時代は動いた。電気の力で明るく照らす道具ができないか?とエジソンは問いを立てた。ノーベル賞受賞者の業績も皆新たな問いを発したところがスタートでしょう。 けれども問いを立てる能力を育成するのは、なかなかに難しい。まずは教育だが、教室で不思議な質問ばかりしていたエジソンが学校教育に馴染めなかったのは有名な話。先生方が想定している枠に収まらない問いが、子どもから出てくるのだから迷ってしまったのだろう。 やはり有名な話だが、数学者ガウスの少年時代。自習課題として先生が出した問題を瞬時に解いたガウス少年の特異…

  • オヤジのあくび211

    未来への行動は、できるところから手をつけるべし 優先順位をつけることは、未来(たとえそれが数分先のことであっても)を選択する上で、やはり大切でしょう。 説得力があるのは、命を守る=安全安心最優先ということです。コロナ禍でこれだけ強引な政治を行っても、大きな反乱が世界各地で起きないのは、命を守るという大義名分があるからです。これは災害時に強い指示や命令が出されることにも通じています。 持続可能な開発なのか、さらにもう一歩踏み出して脱成長なのか? という未来を語る議論も気になります。世界が今例えば地球温暖化のような危機に直面していて変革を求めているとするならば、それは具体的には誰がどのように行動す…

  • オヤジのあくび210

    ぼくの転機、 今後は花の60代、実りの70代、刈り入れの80代。 振り返ってみると、およそ15年くらいのスパンで生き方に節目が付いているように感じる。意図的というよりは、結果としてそのような景色が浮かび上がっているという感じだが。 第一期は、13歳〜15歳くらいまでの鶴見俊輔曰く、神話的時代(鶴見氏の場合もあまり思い出したくないような事実を含めて、白濁化した過去という括りに押し込めている感じかするけど)。いろいろな経験が白濁とした時間の中に埋れ、自分の意思が働いていたかどうかさえ、はっきりしないそんな時代。誰しもそんな少年期を過ごしているのだろうけれど。親父が進学を期待していた高校へは進めず、…

  • オヤジのあくび209

    就職した頃の話2 小学校教員となった私が配属されたのは、横浜市の隅っこにあるF小学校。夕焼けに染まる富士山が美しく見える学校でした。私は子どもらと楽しく、よく学びよく遊べの日々を送る予定だった。ところがここに大学の先輩らしいAさんがいらっしゃり「武部さん、大学の時、グリークラブで指揮者だったでしょう?」とおっしゃる。そんなことを知っている人がまさか同じ職場にいるとは! まさに青天の霹靂。特別活動担当=クラブの割り振り担当だったA先輩は、何の迷いもなく、私を合唱クラブ担当にした。 ここから小学校の音楽教育との関わりが始まった。 いやはや、音楽との関わりが就職して後も続くことになるとは!

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