孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
何故 百八の鐘を撞くのか? 大きな意味が有るのだと疑問に思って居た。 お寺で打ち鳴らす 其れも除夜十二月三十一日の夜と言うのなら 宗教関係の書物に載っているかと 今から五十年ほど前に買い求めたのが
年末 最終の定休日 昔は当然の様に営業したのだが、昨日日曜日の定休日は午前中予約が入り 一仕事したのだが、昼前からはフリータイム ブログプリント版の配布に出掛けた。 祇園切通しの 珈琲屋さんへは
もう幾つ寝ると お正月 「お正月には 鞠(まり)撞いて こまを回して遊びましょ 早く来い来い お正月」 七十年以上前に 親に唄って聞かされた記憶が有る。 鞠つき コマ回し 凧揚げなんで 今の子供は知
南禅寺 瓢亭の高橋さんが今年最後の散髪に起しになった。丁度外人客の仕事が終わって送り出した後 床に散らばっている 金髪に近い白い髪の毛指さして『外人さんでしたか?』と尋ねられた。「はい ルーマニアか
昨日 午後 掛かってきた 電話 営業無関係の電話なら、煩わしい 『今お客様の 顔剃りとかシャンプーの最中』と言って受話器を戻すのだが、手が空いていた。 二ケ月ほど前に 祇園町の珈琲屋で お茶屋の
昨夜は贔屓の料理屋『松長』 のクリスマス パーティと 若女将の誕生日祝いを兼ねての大宴会。夜の宴会は直ぐに眠くなるので 余り出掛ける事も無いのだが、場の盛りたて役をしようと一計を立てた。 先日柳居
毎年 十二月は色々と頂戴する事の多い月である。お歳暮という伝統的な物々交換も有るが 手作りの梅干しとか 柳居子の身の安全を守る蛍光シールを張り付けた安全ベルトとか 数の多くは口に入れるものが多かった
朝の珈琲屋で、高齢女性のお話を聞くという 介護ボランティアの様な事をしているのだが、 同じ話しを何度も聞かせて貰うのを 始めて聴く様な顔をして ほんの少しこちらが色づけして返すと『あんた 何でも知っ
色々な人との出逢いで、日々過ぎる事を 結構な事と感謝している。 特に日曜日 客待つ立場の仕事は 営業中は外出できないから 定休日に集中する事になる。 昨日午前中は、高校駅伝で 通行制限を受けた
色々な人との出逢いで、日々過ぎる事を 結構な事と感謝している。 特に日曜日 客待つ立場の仕事は 営業中は外出できないから 定休日に集中する事になる。 昨日午前中は、高校駅伝で 通行制限を受けた
今朝は 四時半に自宅を出た。周囲は真っ暗闇 店近く寺町二条辺り 街燈が点いていて 少し明るくなっていたのだが、突然真っ黒のいでたちで 若い女の子が辻から飛び出してきた。 自転車の急ブレーキを掛け 相
自分の思う事 考える事を、どれだけ相手に正確に 自分の思い通りに届いているのか? 幾つになっても判らない事の一つ、 喋るというのは 相手が居て成り立つののだから 始末が悪い。 年季の入った
脱炭素社会を目指す 政府の国家戦略の内 発電所近くに。電力を大量に使う工場等を集めて、送電コストの軽減を図るという内容のニュースを見て、歴史は繰り返されるという思いがした。 明治の初年 蝋燭
一昨日 イスラエルからお越しの客人には、本当に驚かされた。 肩口に迄伸びきった髪 一体どの位 放っておいたらこれだけ伸びるのか? 『お任せします。』の言質を取って取り掛かったのだが 何故これだけ
朝の珈琲屋 同じ卓に座る事は無いのだが、毎朝 柳居子と同じく開店前から 特定の席に座る人 奈良県からの通勤 建築関係の仕事をされている。柳居子徒然のプリント版を発行ごと差上げて他に一枚配達の用を引き
若い時は、手際よく短時間で出来た事が、出来なくなったり 時間の掛かる事が増えてくる。 店のフロアにワックス掛けを刈るのに ワックスは大分前に買い求めてあるのに未だ手付かず。床面が汚れて気になってい
九十歳を越えられると、ご自身一人で柳居子の店まで お越し頂くのは大変なご負担をおかけする事になる。柳居子も決して若くは無いが一応現役の理容師。 理容師法の規定では 認可を受けた理容所以外では 理
七・八年前から、手許と懐中に飴玉 一個づつ包装されたのを、途切らせた事が無い。 先日も幼い子連れでやって来た遠来の客人 客待ちの椅子が足りない 子供二人と奥さんの三人が 父親・ご亭主の散髪と髭剃りを
父 柳居の客人だった最後の方が 亡くなった事を知った。 二ケ月毎 ご自宅の在る 松ヶ崎迄出張の散髪に出かけていた。 十月の始めに出掛けたから 又髪を短く刈り込んで、お正月を迎えて頂こうと 心準備を
この上ない幸せを感じる時 至福と言う言葉が使われる。 日常会話では滅多に出てこない言葉ではあるが、誰もが至福を感じる時が有るのだと思う。 子供の頃の至福の日は 十二月二十五日 寝ている間にやって
未だ残す日も有るが、振り返る日々の方が多いこの時期 新聞各紙も今年の十大ニュースのランク付けに 忙しい頃で有ろう 年明け 八十歳になる柳居子の 七十歳台最後の一年 身に起こった十大事件 十件も
このところ カラオケに出掛けると、越路吹雪の『愛の賛歌』を唄う事に決めている。 越路が初めて海外旅行をした時 エディト・ピアフの歌唱を直接聞いた時 越路が唄う事の本髄を開眼したという。 以前にも
理解出来ない事が起こる隣国 最高権力者と思われる大統領とか首相が 『高位公職者犯罪捜査処』が有るなんて 日本では信じられない。 午前三時のニュースを聞いて直ぐに書いた 本サイトの記事では 韓国国
一昨日 土曜日は、散髪・顔剃りの 御用では無かったが、嬉しい客人をお迎えする事が出来た。 午後三時ごろ 手空きでパソコンを触っていたとき 店の扉開けて 体の大きい金髪の男性が入って来た。妙に人懐っ
八十三年前の今日『ニイタカヤマ ノボレ』の暗号発信から始まった戦争は、昭和二十年の八月十五日迄 続いた。柳居子は 戦争の終る半年ほど前に生れたから 戦中も戦後の混乱期の記憶は無いのだが 辛うじて進駐
昭和三十年初版の広辞苑に載っている『現代』という言葉の説明の中で。何時から現代 今の世かな 特定するのは何時ごろか 明治維新が 現代の始まりと書いてあって、第三版には現代の始まりは昭和二十年八月
司馬遼太郎氏が 乞われて『法然上人とわたくし』という演題で 知恩院で講演を開かれた時の 記録が 氏の没後三年経ってから 出版上梓されたのを頂いた。平成十五年版 おてつぎ運動企画広報部 発行 本章
地球温暖化の影響は、冬のスポーツ 特にスキー等の競技会場が。雪が降らず会場設定の出来ないケースが 世界的に起こっているらしい。 冬季オリンピックの開催出来る国も限定されてくると、国際競技 オリンピ
午前三時のNHKラジオニュースの第一報で。韓国大統領が 韓国全土に 『非常戒厳令』を布いた事を報じていた。 一切の政治活動中止 報道にも禁令が出た様だ。 国政マヒ状況を伝えるが 最大野党の党首が
販売商品を限定して、消費者と販売側が、極近で有るにも関わらず 無人で 商いの成立する商売が 有る事 誰もが知る清涼飲料水の自働販売機 これからの季節は、暖かい飲み物 温度管理もほぼ完璧な自版機ビジネス
繁華街とか メインストリートの纏まった敷地で営業している店舗と云うのは。其の業種が、ある意味時代を象徴しているのではと考える。 子供の頃 河原町三条西南角に 洋菓子の不二家が在った。ペコちゃん ポ
最後の一枚 月捲りのカレンダーが、とうとう残すところ一枚になった。 早く日が過ぎ去るというのは、同年配の誰に聞いても同じことを言う。確かに残存の期間は短くなる一方 だからこそ大事に使わねばと思うもの
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も