孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
まいにち 毎日の積み重ねと云うのは おおきい事と思う。変えず 変らず続ける事の難しさは、何時も同じ調子の繰り返しと 世の中の動きが噛みあってこそ 続く事の絶対条件かと思う。 京都には 老舗と言わ
昨夜 自宅近くのガソリンスタンドで 灯油を買い求め 家で使う分少し小分けして 愛用の三輪自転車で 店まで運んだ。東一条京大正門前辺りまでは 僅か五分程の距離 いつも通り 快適走行だったのだが 鴨川荒
相変わらず 遠来の客人の髭と格闘している。八十路近くなって、長年続けてきた仕事がこの様に変るとは想像もしていなかった。 柳居子自身は 何一つ広告めいた事 どうぞお越し下さいと云うPRめいた事は何
業種を特化した 商店街と云うのが在ったが、最近は色褪せていると思う街並みが有る。 先日 丸太町通りの本屋さんの事を 地元紙の 樺山記者が書いておられたが 川東 マキムラ書店は懐かしい店名 寺町六角下
中学校を卒業して 直ぐ親の仕事である理容の業に就いたのだが、親から小遣とか 給料と言われる金を貰った記憶が無い。 毎晩仕事が終わった頃 やって来る町内の骨董屋さんは、大きなレートでは為かったのだ
五線紙の上に躍る楽譜を全く読めないのに 文化の月(音楽)のタイトルは 烏滸がましいが 生活の身近に 11月は 喉と耳を愉しませる音楽が有った。 カラオケ二度と リサイタル・ライブショー・そして昨日は
毎朝 一緒に珈琲飲む九十二歳のGF曰く『なんで 京都の町に こんな沢山観光客が來るの?』と、空席待ちの観光客の前を通り過ぎて 店が其のお婆さんの爲準備した席に座るなり尋ねられた。 その席には 大分前
柳居子の世代になると、街の風景 これから何が建つのか という事より 以前何が建っていたか どの様な人々の営みが有ったのか そう云う事を思いだす事の方が愉しい 過ぎ去った過去が戻る事は無いのに。
徒然草の一節に『是なる時は喜び 非なる時は恨まず』という下りが有る。 【是】とは、正しい事とか 理屈に叶う事を指す一字かと思う。 国是という言葉も使われなくなって久しいが、国が是と認めた事 絶対
仕事に必須の 手持ちのヘアドライヤーの電源差し込み口のソケットの元が 長年の使用に耐えかねて、+ - どちらかのビニールの被膜が破れて、電源剥き出しの状態になった。 もう一方が同じ様に破れたら 完全
その時 そのタイミングで、受け答えが出来なければ、後から幾ら悔やんでも間に合わないと言う事がある。 ああ言えば良かったとか もつと良い話しが有ったのに と言う事の繰り返し 加齢が進むと特に其れを思う
昨夜は,どちらから誘った訳では無いのだが カラオケに出掛けた。コロナ禍前は、店の有る町内の御婦人たちと時々ご一緒したのだが このところ無沙汰気味 又 八十歳後半とか 九十を越える年輩になられると お
文化庁が 今年一月から三月にかけて、十六歳以上を対象として 3559人から 読書に関する調査をして、回答の有った人の結果を報じていた。 アンケート方式か 直接聞き取りか 判らないし 業種とか地域
少女達と掲げたが、如何見ても少女に見える女性 キャリアのある女性かも知れないと断りおく 毎朝 四時から五時に掛けてが、柳居子が自宅を出る 出勤時間 前照燈を付けて行き交う自転車やバイクは。全部新
昨日お越しの客人との会話は、同世代の思う事がほぼ一致する様な思いがした。 『年取って いいなぁと思う事は、皆無ですなぁ』 という事から始まった。 『若かった時の一日と 年取ってからの一日 同じ二十
先日 朝から遠来の客人が続いた日の事 午前十時過ぎ 夫婦連れと思しき二人が店に入って来た。 いきなりスマホの日本語表示のメッセージを見せられた。 「私達は メルボルンから来ました。 床屋を営業して
スマホの扱い方や 機能が、よく理解出来ていないと言うより殆ど何も判らない。 仕事に必要なものなら 無関心でいられないと思うのだが、スマホが使いこなせて無くとも 仕事に障りが有ったとは考えない。
今の季節 朝晩と昼間の温度差の大きい時は、着る物にも体感温度を考えねばならない世代になった。 朝 夜明け前自宅を出ての自転車通勤の往路 店まではほぼ完全に冬装束 マフラー巻いて 手袋嵌めてほぼ下
途切れることなく やって来る遠来の客人の数は、この四年間ほどで 施術後のメッセージを残してくれた人数だけでも 800人を越える。メッセージを書いて貰えずに送り出す人数も結構多いから 1000人は越え
このところ 少々オーバーワーク気味 昨日も定休日だったが 頼まれて仕事をして その後は恒例のプリント版の配達や 訪ねてきた人と昼食を共にしたりで 自宅に戻ったのが午後五時少し前 昼寝の時間では無かっ
昨日 午後 四国電力の配電先 三十六万世帯に電気を送る事が出来なくなるという椿事が起こった。 地震とか台風という天変地異が原因では無く 安定供給の目的で設置された 本州と四国間の連絡送電システムが
昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯前 主賓二人の挨拶の内の一人に 柳居子が指名された。 『おとつい(一昨日) 六日 今日は 三木貴子さんの誕生日だな
東一条通り 吉田神社参道 京都大学正門前を 通勤路として往復する日が多い。大きな時計塔が建っている。柳居子の通過する時間帯は、夜明け前とか陽がほぼ沈みかけている頃だから 時計塔の表示は煌々と輝いて
専業主婦 家事は嫁さん任せという旧い時代とは 隔世の感が有る。 家庭内の仕事は、今は夫婦協働で果たすのが当然とされている。 家事とは どの様な仕事の事を言ったのか 思いつく事は。家の中の掃除 洗濯
寺院の門を山門と書くのが正しいのか 三門 三つの門と書くのが正しいのか判らず 随分前 親しくしていた郷土史家の田中緑紅さんに尋ねた事が有った。お年を召されていて ご子息の泰彦さんも同席されていた。
昨日は 振替休日の定休日だったが、旧い御常連の予約を頂いてたから 客人お越しの準備をして 朝の珈琲屋へ出掛けた。 次々と 空き席待ちから招じ入れられる客人の内 外国人の多い事 十人入って来る客の
日本人が、自分の名乗りをする時、先ず最初に氏(うじ)姓を名乗り次に名を告げるのが常識 当たり前過ぎる話しだ。 名刺の名前 漢字表記には 必ず氏を最初に書き 名前が後に書いてある。名前が上 逆表記の漢
今日 十一月三日は、文化の日 旧明治節 明治天皇の生誕日を『明治節』言っていた。 皇位継承が、巷でも大きな問題になっている様だ。我々の世代 昭和・平成・令和の御世を過ごしてきた者にとって 次の代
自宅庭 背の高い樹木の枝払いは、腰が曲って上を向いての作業が出来なくなってからは 伸びるに任せ、ご近所から声が掛ると 業者に頼んでいるのだが、地表近くの雑草は、比較的こまめに曳いていた。しかしこの夏
七月末 回春ボランティアという一文を本サイトに載せた 書き足したいと思う事が有るので 背景省略の爲 七月の記事 一部再録する 〖・・・・毎朝 珈琲屋の常連席 五番テーブルの座る前 三番テーブ
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も